2018年11月26日月曜日

20181126 書籍からの抜粋引用ばかりで記事を作成しない理由・・歴史意識を磨く意味?

おかげさまで昨日投稿分の記事(主に書籍からの抜粋引用)もまた、比較的多くの方々に読んで頂きました。これを読んでくださった皆さま、どうもありがとうございます。そしてまた、本日も、書籍からの抜粋引用を以て投稿記事にしようと、つい先ほどまで考えていました。たしかに、この手法にて記事作成・投稿を行うのであれば、かなり長期間にわたって比較的容易に記事作成を継続することが出来ると思われます。しかしながら、この手法に一たび慣れてしまいますと、自身で文章を作成することが困難になってしまうおそれがあると考え、本日も含めて以降、出来るだけ自身の文章にて記事作成を行い、そして時折、挿話的に書籍からの抜粋引用を用いるのが当ブログ本来の目的である自身の文体の獲得・文章能力向上のためにも良いのではないかと思われました。そのため、当ブログにて書籍からの抜粋引用の方が比較的楽しく読むことが出来ているという皆さま、まことに申し訳ありませんが、以上の理由により、今後も出来るだけ自身の文章にて記事作成を行わせて頂きます・・。

さて、昨日投稿分記事にて抜粋引用した作品は、戦争小説に分類されるものの、その記述は、主人公の回顧的な独白により物語が進行するわけですが、この独白の仕方がきわめて独特であり、当引用部末尾にもわずかにありましたが、作中にて主人公が経験する出来事が同じく主人公の読書経験の記憶と結びつけられることにより、ハナシの時代背景が古今東西に飛ぶことから、その筋についていくことが困難に感じられることがあります。しかし他方で、こうしたハナシの進め方は、さきに述べた手法としての書籍からの抜粋引用と同様、かなり長い物語とすることも出来るのではないかと思われました【実際の記憶と読書の記憶の掛け算か・・】。

くわえて、少し前の著述家の多くは、こうしたことをあまり痛痒を感じることなく、自然に出来ていたのではないかと思われます。このことを異言しますと、一つ一つの述べるところの意味が深く、さらに、それらの結節の仕方が自然で洗練されているといった感じであると云えます。あるいはまた、帰納法にて用いるピースの一つ一つに味があり、同時にそれらはインターネットで簡単に入手できるような知識ではなく、さらにその組み立て・構成にセンスがあるといったところであるとも云えます。

こうした視座から、昨今作られた我が国のさまざまな文学作品、映画などについて考えてみますと、どうも過去に作られたものと比べ、全体的に深みがなく、何と云いましょうか、史実への忠実さといった意味での重厚さが乏しいのではないかと思われるのです。あるいはそれはPCやCGといった、さまざまな映像制作技術の進化発展により、作中にほんのわずかに登場する小道具などに特にこだわらなくとも、ある程度のものは作成出来てしまうといった事情があるのかもしれませんが・・。

これは映画など映像においては如実に看取出来ることですが、おそらく昨今の小説などに関しても、もとにある戦争体験者による著作(たとえば大岡昇平、山本七平など)を後代の著述家がその記述をコピーし、さらにコピーしていくといった間に、著述全体がボケてくるといったことが生じているのではないかと思われるのです・・。

とはいえ、こうしたコピーに次ぐコピーをしている時代は、多くの場合、実際の戦争体験を持たないで済んでいる平和な時代であるとも云えることから、理想的であるのかもしれません。しかし、そのコピーに次ぐコピーを行っているまさにその時、何らかの間違い、勘違いのようなことがなかば必然的そして無意識的に生じ、内面より次の戦争の準備をしていくことになってしまうのではないかとも思われるのです。そして、それ故に、たとえ直接的な経済的利益に結びつく可能性はかなり低くとも、歴史意識を磨く意味、そしてまた、歴史全般が研究として不断に為される価値といったものがあるように思われるのです。

その意味において、昨今のエンターテイメントのようなもの(のみ)として映画・小説などが歴史を扱うことにより、特に我が国の場合、どうも変な方向に行ってしまうことが多いようにも思われるのですが、さて如何でしょうか?

今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!

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ISBN978-4-263-46420-5

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*上記以外、他分野での研究室・法人・院内等の勉強会・特別講義のご相談承ります。

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2018年11月25日日曜日

20181125 昨日投稿記事【書籍からの抜粋引用】が多くの方々に読んで頂いたことから・・【主に書籍からの抜粋引用 大西巨人著 『神聖喜劇』第一巻pp.543-546

一昨日投稿の書籍からの抜粋引用部は、その後、現在に至るまでかなり多くの方々に読んで頂けました。また、それは自身が作成する記事と比べてもかなり多いことから、多少複雑な思いもなくはないですが、ともあれ、これを読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。くわえて、この記事と関連があるのか分かりませんが、記事投稿後、いくつかの方面の先生方よりご連絡を頂きました。とはいえ、こうしたことを関連付けて考えてみますと、その後の記事作成が変に力んでしまうこともあり得ることから、とりあえず書くだけは書き、あまり気には留めず、記事作成を継続していこうと思います。

さて、一昨日のような書籍からの抜粋引用による記事投稿が比較的多くの関心を持って頂いたことから、今後しばらく、このフォームにて記事作成をして行こうと思います。そして本日は、これまでに何度かブログ記事にて取り上げ、また、一度その文章を記事として抜粋引用させて頂いた大西巨人著『神聖喜劇』(第一巻)からにします。

光文社刊 大西巨人著 『神聖喜劇』第一巻 pp.543-546
ISBN-10: 9784334733438
ISBN-13: 978-4334733438


『わざわざこの場まで出かけてきた二人の上官がひきつづき事態を傍観している理由も、私に明快でなかった。彼らの意図は何か。もしも彼らが彼らの臨場という事実の威圧によって大前田の火を吐く舌端を牽制しようと欲したのであったならば、それはすでにみごとに失敗したと見られるべきであろう。もはや彼らは、積極的に介入しなければならぬのではないか。だが、昼食喇叭の余韻をさえぎって発言したのは、村上少尉でも山中准尉でもなく、またしても大前田軍曹であった。

『お通夜にでん行ったごたぁる顔を拵えて、うんともすんともぬかさんが貴様たちも、これで少しはわかったろうな。おれだけが、うんにゃ、おれたちだけが、日本軍だけが、あってあられんごたぁるめずらしいことをしよるなんち思うなよ。なんぼチャンコロちゅうても、敵もそげん甘うはない。貴様たちの目にゃ、「日本勝った、支那負けた」で、戦争は万事すらすらっと行きよるごと見えとるかもしれんばってん、―またそれじゃけん、いまは勝ち戦の日本だけが、あってあられんごたぁるめずらしいことをしよるごと目立っとるかもしれんばってん、殺し合い取り合いぶっ壊し合いの根比べともなりゃ、チャンコロも隅にゃ置いとかれんぞ。あぁ、おれはこの目で現地を見て知っとる。なかなかどうして隅にゃ置いとかれるもんか。新聞やラジオやらで「残敵」、「残敵」なんち言い触らすとばっか聞いとったら、まるで支那の軍勢は残り少のうなってしもうたごと貴様たちは思うとろうが、聞くと見るとじゃ大違いよ。それにまた赤のゲリラ部隊は、あっちでもこっちでも執念深う出たり入ったりしとる。もう五年もかかり切りでやっとるちゅうとに、いっちょも片付いとりゃせんじゃろうが?その上に今度は毛唐が相手よ。毛唐とチャンコロとどっちが余計隅に置いとかれんか、知れたことか、「毛唐。」、「毛唐。」ちバカにして、あんまり嘗めてかかっとりどもしょうもんなら、いつか日本も太えまちがいをするとじゃなかろうかねえ。・・・なんせ南方じゃ、あってあられんごたぁるめずらしいことが、いろいろありよるじゃろうなぁ。ありよるにちがわんじゃろうなぁ。』

南方戦線に関して独白調で感慨しながら天空をもろに仰いだ大前田の満面に、正午の光があざやかな膜を張った。その光の膜が不意に歪んで罅割れて、得体の知れぬ悍ましい薄笑いが音もなく現れた。七、八秒あと、薄笑いと光の膜とを諸共に振り捨てた大前田の真顔に、ふたたび帽の庇に隈取る影が下りた。彼の垂れていた右腕が右横へおだやかにしなやかに持ち上げられるのを私は見ていたが、たちまち彼は、そのたなごころで右外股を一打ち丁と打った。

『いまは「日本勝った、日本勝った、米英負けた」ととんとん拍子で運んどるごたぁって、結構なことよ。この調子で、今年の夏か秋にゃカリフォルニア州はサン・フランシスコへんに敵前上陸するちゅう話もある。十一月三日の明治節ごろにゃアメリカもイギリスもお手上げじゃちゅう話もある。そのとおりに行きゃ世話はあるめいが、どうじゃろうか。「ほんとにそうなら、うれしいね」じゃなかろうか。おれにゃようはわからんが、お隣の支那さん一つさえ、六年がかりで持て扱うて、埒は明いとらんちゅうとに、遥か太平洋の向こうの大きな国を二つも相手にしといて、置いた物を取るごとそげん気安う見縊っとると、当てがはずれるかもしれん。勝ち戦のうちはぇぇ。ばってん、まだこれまでのところは、こっちから手近な先様の田舎出店を二つ三つたたき潰しにかかっとるちゅうだけで、アメリカ本店、イギリス本店をぐらりとでもさせたとじゃない。万が一、日本が負け戦になってみろ。いんにゃ、日本が負けてしまうことはなかじゃろう。まぁ仕舞いにゃ勝つじゃろうが、万が一、途中で形勢が悪うなって、敵が内地に攻め上がちゅうごたぁることになってみろ。日本人大ぜいが毛唐の軍隊からどげなあってあられんごたぁるめずらしい目に会わせられるか、考えるだけでも、おれはぞっとする。味方が負け戦になって敵が攻め入って来りゃ、否も応もなしに必ずそげな目に会わせられるとじゃ。そげんことになってから、なんぼあわてふたいめいても吠え面かいても、もう間に合やせん。上つ方か耶蘇教坊主か何かのごと聖人ぶるかして、「日本の戦争は、そげなあってあられんごたぁるめずらしいことをしよるとでありますか。」なんちゅう美しい寝言を言うたりしとったら、反対に自分たちが敵から思う存分そげなことをされにゃなるめえぜ。こっちが勝ち戦のときにゃやらかすことを、敵も勝ち戦のときにゃやらかすまでよ。そげな美しい寝言は、味方が味方にむかって言うはずのもんじゃない。味方が敵にむかって言うはずのもんじゃ。さもなきゃ味方が敵から言われるはずのもんじゃ。そうして何をどげん言おうと言わりょうと、とどのつまり「勝ちゃ官軍、負けりゃ賊軍。」ちゅうわけぞ。それが戦争よ。・・罷りまちごうて、もしも日本が負け戦にでもなろうもんなら・・・。』

しかし大前田は、語を中絶した。彼は、左手を帯剣の柄から放ち、その手の平で、面上のほとんど出てはいないであろう汗をぬぐい取るように額から顎までを一度ねんごろに撫で下ろすと、ここの太陽の下に不存在の何物かを見つめるかのように、この上なくむごたらしい何事かを思い描くかのように、薄目を作って、眉を顰めた。そのあやしげな面体で、数秒時間の沈黙を彼は守った。大前田の饒舌の内容よりも、むしろその憑かれたような止めどのなさが、今更に私は気味が悪くなってきていた。その話題の野放図な飛躍発展に反して、彼の声色は、―書き抜きの棒読みのような孤独な穏便な有様からわずかに変化していたけれども、―甲高くも荒々しくも上っ調子にもなっていなかった。そのくせ、そのおしなべて単調な地味な声音の長ったらしいつながりには、ある超現実の気違いじみた熱気が立ち籠めているようであった。癇癪を起したドストエフスキーが不断の彼は片言でしかしゃべられないドイツ語を流暢にあやつって啖呵を切っているというような図が、なぜか私に連想せられていた。』

2018年11月23日金曜日

20181123【書籍からの抜粋引用】岩波書店刊 ジョージ・オーウェル著 小野寺 健訳『オーウェル評論集』pp.307-311【ナショナリズムについて】

岩波書店刊 ジョージ・オーウェル著 小野寺 健訳『オーウェル評論集』pp.307-311

『『ナショナリズム』というときわたしがまっさきの考えるのは、人間を昆虫と同じように分類できるものと考えて、何百万、何千万という集団をひとまとめに、平然と「善」「悪」のレッテルを貼れるときめてかかる考え方である。

だが、その次に考えるのはーそしてこの方がはるかに重要なのだがー自分を一つの国家あるいはこれに似た何らかの組織と同一視して、それを善悪を超えた次元に置き、その利益を推進すること以外はいっさいの義務をみとめない考え方である。ナショナリズムと愛国心ははっきり違うのだ。

二つの言葉はふつうきわめてあいまいに使われているから、どんな定義を下してみても異論が出るだろうが、ここには二つの異なったというより対立する概念が潜んでいるのであって、両者ははっきり区別しておかねばならない。わたしが「愛国心」と呼ぶのは、特定の場所と特定の生活様式に対する献身的愛情であって、その場所や生活様式が世界一だと信じてはいるが、それを他人にまで押しつけようとは考えないものである。愛国心は、軍事的にも文化的にも、本来防御的なのだ。

ところがナショナリズムのほうは権力志向と固く結びついている。ナショナリストたるものはつねに、より強大な権力、より強大な威信を獲得することを目指す。それも自分のためではなく、個人としての自分を捨て、その中に自分を埋没させる対象として選んだ国家とか、これに類する組織のためなのである。

この言葉の対象を、ドイツや日本をはじめとする悪評高い明白なナショナリズム運動に限るなら、こんなことはすべてわかりきっている。ナチズムのようにわれわれが外から観察できる現象をつきつけられれば、誰もが同じようなことを言うだろう。だが繰り返して言えば、ここで「ナショナリズム」という言葉を使うのは、ほかにうまい言葉がないからで、わたしの考えている広い意味のナショナリズムとは、共産主義、政治的カトリシズム、シオニズム、ユダヤ人差別、トロツキズム、平和主義(パシフィズム)といった運動ないし風潮まで含むのである。それは必ずしも一政府一国家への忠誠心であるとは限らず、まして自分の祖国への忠誠心である必要もない。それどころか、その対象になる組織が、かならずしも現実に存在する必要さえないのである。

具体的な例をいくつかあげるなら、ユダヤ世界、イスラム世界、キリスト教世界、プロレタリアート、白人種といったものも、すべて熱烈なナショナリスティックな感情の対象になりうるのであって、こういうものが実在するかどうかは大いに疑わしく、どれをとっても万人が認める定義など存在しないものばかりである。

ここでもう一度、ナショナリスティックな感情が純粋に消極的なものでもありうることを強調しておいてもいいだろう。たとえばトロツキストのばあいにしても、彼らは単にソヴィエト連邦の敵になっただけなのであって、これに類するそれ以外の組織に忠誠心を抱いたわけではない。ここ事実の意味を理解してもらえば、わたしがナショナリズムと呼ぶものの本質も、ずっと明確になる。

ナショナリストとは、威信競争という観点からしか考えない、すくなくともまずそれを考える人間なのである。積極的なばあいも消極的なばあいもあるーつまり後押しするために精神的エネルギーを使うこともあれば、引きずりおろすことに使うこともあるわけだが、いずれにしてもその考えはつねに勝利か敗北か、栄光か屈辱かといった思想を軸に回転する。ナショナリストは歴史を、それもとくに現代史を、大きな勢力の果てしない興亡としてとらえる。そして彼の目には、あらゆる事件が、自分の陣営は上り坂にあり憎むべき敵は下り坂にある証拠だと見えるのである。

だがさいごにもう一つ大切な点は、ナショナリズムを単なる成功礼賛と混同してはならないということである。ナショナリストは、いちばん強いものの味方をするという単純な原理は採らない。逆に、いったん自分の立場を決めたあとは、それが事実いちばん強いのだと言い聞かせて、客観的情勢がどれほど圧倒的に非であろうと、この信念を固守することが出来るのである。ナショナリズムとは自己欺瞞をふくむ権力願望なのだ。

ナショナリストたるものは例外なく、どんな目にあまる不誠実な行為でもやってのけるがー自分より大きなものに殉じているという意識があるためにー自分はぜったい正しいという不動の信念を持つことも出来るのである。』

2018年11月21日水曜日

20181121 1130記事を過ぎて思うこと、自分の才能、取り柄とは・・

当ブログの総投稿記事数はつい先日1130記事に到達し、年内の目標である1150記事も目前とまでは行きませんが視野に入ってきたとは云えます。そして、もしも、このまま1日1記事の投稿ペースを維持すれば、来月半ば前には1150記事に到達することも出来るように思われます。年内に無事1150記事に到達しましたら、いくらかは記事を作成、投稿しますが基本的には、しばらく記事作成を休もうと思います。

この時点においては未だ尚早であるのかもしれませんが『ブログは1000記事を越えてからが本番だ。』といった意見がありますが、これに関して自身は、その後100記事以上を越えていることから『ブログの本番とは何か?』については多少理解出来たのではないかとも思われるところですが、実際のところは何一つそうした感覚はなく、ただただ毎日何かしら書き続け、その中で時折、比較的多くの方々に読んで頂ける記事、あるいは、ある程度の期間にわたって読み続けて頂ける記事が出てくるといった感じです・・(笑)。

とはいえ、目標としていた1000記事の後に、さらに100記事以上作成し続けることが出来たことに関しては『まあ、そのくらいのことは出来るのだな・・。』といった感覚、そしてまた、体力と時間さえあれば2000記事くらいまでは続けることが出来るような感覚は自然に生じてくるようです・・。しかし、それでも自身にこうした文章を作成する才能があるとは、どうしても思われないのです・・(苦笑)。

そして、ここで『才能』というコトバが出てきましたが『では、私の才能あるいは取り柄は一体何であろうか?』と考えてみますと、他者評価による整合性を得ることが出来ていないため明言することは差し控えますが『やはり歴史や文学などをさまざまな手法を用い他者に対し口語ベースで語ること』ではないかと思われるのです・・。

これに関しては、おそらく、いくらかの素地のようなものはあり、そしてそれ以上に、その後の師匠筋が良かったのではないかと思われます。ともあれ、そのようなことから、私が自分の『才能』を生かしつつ努力し続けることの出来る職に就くことが出来るとすれば、その職は、何らかの医療専門職学科にて、その専門職領域と関連する歴史、文学などを複合させた教養科目を担当することではないかと思われます。くわえて、それと同時にさまざまな材料による試料の作成、そして就職支援などで、わずかではあるかもしれませんが寄与することが出来るようにも思われます。そして、こうした職をいくつかの大学にて(季節毎に)クロスアポイントメントで行うことが出来るようになれば、大変面白いのではないかと思われるのですが、さて如何でしょうか?

しかし、何れにせよ社会の成立そしてその発展のためには、もちろん科学技術は極めて重要であるのですが、それと同程度に、こうした『歴史や文学』もまた重要であることを、本格的に忘れかけてきているのが現在の我が国社会であり、また、それをどこかで認めているからこそ、昨今、さまざまなモノガタリ・アニメなどでタイムループ・転生ものが流行するのでしょうが、しかし、それらモノガタリ・アニメは、本当の『歴史や文学』を面倒くさい、堅苦しいものとして踏みにじり続けてきた我が国の社会が、その代替として生み出し、興隆したものであることから、それらから『歴史や文学』のエッセンスを学ぶことはおそらく不可能ではないかと思われるのです・・。

また、そうした状況に対し開き直り、そして半ばヤキになっているのが、昨今の我が国に見受けられるさまざまな国粋風の文化・活動ではないでしょうか?・・・いや、しかし、そのように考えてみますと、こうしたことは幕末期、昭和初期からも、現在と類似・同様の構造が見えるのではないかとも思われてきますが、さて、如何でしょうか?

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20181121 徳島在住以降初めての新たな著作の読了から思ったこと・・

昨日乗っていた夜半の大阪発徳島行のバス車内にて、去る9月23日に徳島への転居以来はじめて購入し読み続けていた書籍(上巻)を読了しました。この著作は上下巻ものであり、本日より続きの下巻を読み進めていこうと思いますが、同時に徳島にて初めて新たな書籍を読了したことは、多少嬉しく感じます。

これは単なる個人的な偏見であるのかもしれませんが、書籍などを読みに際しては、あまり人口の多くないゆったりとした環境よりも、多少人口密度が高く、不快に思うか思わないかの瀬戸際あたりの環境の方が、集中して読むことが出来るように思われます。また、私はかねてより書籍を読むことは、どの地域に在住していても続けていたことから、読書時の環境については、それなりに考えてきたと云えますが、面白いことに、昔からあまり変わらない自分の習性として、首都圏に入ると書籍を読むスピードが有意に速くなります。

そして、この感覚あるいは現象をこれまで繰り返し感じてきたことから、さきに述べた『多少人口密度が高く、不快に思うか思わないかの瀬戸際あたりの環境の方が、集中して読むことが出来る』といった考えに至ったと云えますが、しかし他方で、自分の場合、より多くの書籍を読んだのは和歌山在住時であり、また(自分なりに)気合を入れてさまざまな書籍・論文等を読んだのは鹿児島在住時の頃でした。

そこから、あまり人口密度の高くない地方都市在住の時期であっても、それなりに多くの書籍を読んできたとは云えるのですが、ここで現在と異なることは、明確な目標の有無、そしてその目標への道程から、つかの間、自分を逃避させるための何かの存在といったことになります。つまり、当時の自身は目標を意識している時も、そこからの逃避をしている時も読書をしていたということになります。そして現在においては、自分で思い定めた学位の取得といったある程度重い目標はなく、それ故、そこからの逃避もまた必ずしも不可欠ではないことから、現今における読書は、見方によれば、自分のニュートラルな本質を示しているとも云えるのかもしれません・・。

それでも、仕事上での必要性以外で、毎日何らかの書籍は少なくとも何頁かは読んでいますが、徳島在住以降の全く新たな書籍の読了は、今回のこの著作であり、また、私見としてはこの著作は同著者前作の『サピエンス全史』と同様、かなり面白く感じられ、特に頁が進むにつれて、読み進む速度が増し、そして夜半いや真夜中といっても良い24時少し前の高速鳴門あたりのバス車内にて、この著作を読みおえた時は何やらよく分からない感慨が生じました(笑)。さらにそのすぐ後に、このバスが高速鳴門の停留所にとまり、ドアが開きますと、何やらベートーベンの第九交響曲のサビが聞こえてきました・・。書籍を読了した直後の余韻に耽っていた自分は、当初これを幻聴ではないかと思いましたが、よくよく考えてみますと、以前にもバスがこの停留所に停まった時も、同じ曲が流れていたことが思い出され、そこから、これは幻聴でなく、映画『バルトの楽園』で知られる坂東俘虜収容所がこの付近にあったことに因む選曲であることに気が付かされました・・。あまり知られていることではありませんが、我が国で最も著名と云っても過言ではないクラシックの楽曲ベートーベンの第九交響曲が日本で、いやアジアで初めて全曲演奏されたのは、ここ徳島県の鳴門市(かつては板野郡)であるのです・・。くわえて、それは今から丁度100年前、第一次世界大戦が終結した年(1918年)のことです。

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2018年11月19日月曜日

20181118 照葉樹林文化の縄文、弥生時代の共通、連続性と銅鐸

一昨日投稿分の記事にて述べた『照葉樹林文化』の中に柑橘類の栽培といった特徴があり、それにより、一昨日、昨日投稿分記事はまとめることが出来ます。

さて、以前に当ブログにて述べたことですが『照葉樹林文化』は中国南部、東南アジア北部地域そして西日本、朝鮮半島南部にて多く見受けられる生活文化であり、さきの柑橘類の栽培の他にはすぐに思い付くものだけでも、養蚕、漆の利用、味噌・納豆など大豆を原料とした発酵食品、蒟蒻といったイモの中に含まれるマンナンという成分を固めた食品、芋・穀類と肉・魚などを交互に積層し発酵させた『なれずし』の存在、喫茶の習慣、餅など粘性の強い食品の愛好、小豆に邪霊を祓う力があるといった考え、鵜を用いて漁業を行うこと、などが挙げられます。

また、水稲耕作も照葉樹林文化に含まれるのですが、水稲耕作は,この文化体系の中においては、さまざまな知識・技術が複合・集約化された高度なものであり、そこから、その年代的な起源は比較的新しいと云えます。

しかし、であるからといって日本列島に水稲耕作が縄文時代晩期頃より波状的にもたらされたのと同時期に照葉樹林文化もまた我が国にもたらされたというわけでもなく、それ以前より雑穀、イモ類などの栽培は広く行われており、その中でも特に植生、気候風土がその文化発祥の地に近く、且つまた当時、列島内にて人口密度が希薄であった西日本は、その文化を受容するに好適であったと考えられます。

つまり、水稲耕作の列島流入以前より、我が国の縄文時代文化に紐付けされる照葉樹林文化が既に存在し、また、それ故に、類似あるいは同一の生活文化に属する水稲耕作も比較的容易に受容そして融合することが出来たのではないかということになります。

そして、こうした事情を背景として据えることにより、弥生時代の西日本水稲耕作社会における青銅祭器である銅鐸に、縄文土器に見られるものと同じ紋様が認められることの意味合いといったものを理解することが出来るのではないかと思われます。

しかし、その後、弥生時代から古墳時代への移行は、このような比較的平和裏と思しき背景でなく、もう少し血腥いものであったことを、さまざまな遺跡・遺物は示し、また、さきの銅鐸も、そうした様相を示す遺物の一つであると云えます・・。

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2018年11月18日日曜日

20181117 柑橘類について思ったとりとめのないこと・・

以前在住していた和歌山では、この時季になりますとスーパーなどの野菜、果実売り場にて蜜柑が多く置かれるようになります。それは普段柑橘類をあまり購入しない私でも自然に手を伸ばし購入するほどです。また、和歌山における蜜柑については以前にもブログ記事にて取り上げましたが、現在在住している徳島もまた、全国的に知られている酢橘をはじめ、蜜柑や柚子などの柑橘類の栽培が盛んです。

おそらく和歌山と同様、徳島も柑橘類の栽培に適した自然風土であるのだと思われます。とはいえ、もう少し視野を広げてみますと、同じ四国内においては、これまた蜜柑、伊予柑で有名な愛媛県があり、また高知県は柚子の栽培で知られています。

柚子のような比較的酸味の強い柑橘類は、どちらかというと沿海部ではなく、内陸部のいくらか標高が高い場所の方がよく育つように思われます。また、ここまで書いて思い出されたことは、以前、当ブログにて和歌山県の飛び地として取り上げた和歌山県東牟婁郡の北山村では『じゃばら』という柑橘類が多く栽培されていることです。その果皮・果実には花粉症などアレルギーに対する抑制物質が多く含まれているとのことであり、これは私が和歌山在住の頃はあくまでもローカルなハナシであったのですが、現在では首都圏のスーパー(比較的高級な)においても、その加工品(ポン酢、飴、ジュース、果汁・・)が販売されており、これに関しては多少隔世の感があると云えます・・(笑)。

ともあれ、この北山村も内陸部の比較的標高の高い、中山間地域と称されるところであり、この地にて栽培される『じゃばら』もまた柚子と同様、酸味の強い柑橘類です・・。自身の味覚の記憶を頼って書きますと『じゃばら』の方が柚子よりも若干柑橘類特有の苦みのようなものが強かったように思われます・・。感覚的ではありますが、おそらく、この苦みのようなものの中に、さきのアレルギーに対する抑制物質が多く含まれているのではないかと感じられます。

また、さきに述べた愛媛県と豊予海峡・豊後水道を挟んだ対岸の大分県においては『かぼす』の栽培が盛んであり、さらに九州各県においては、それぞれ地域特有の柑橘類が存在すると云えます。

そして、ここまで書いていて不図思い出したことは、蝶の幼虫は、その種類毎に食べる葉の種類も異なり、揚羽蝶は柑橘類、特に蜜柑の枝に卵を産み付け、孵化した幼虫はその葉を食べるというということです。

そうしますと、柑橘類の栽培が盛んな西日本各地に揚羽蝶も多いということになり、またそこから平家の家紋が揚羽紋であったことが想起されます。

治承寿永の乱の頃において平家は勢力基盤の多くが西日本にあり、他方源氏は関東地方を主とする東国を地盤としていたことから、平家の揚羽紋の発想は自然であると云えます。
また、ここからは多少蛇足になりますが、平家の最盛期を築いた当時、氏の長者であった平清盛が安芸国(現在の広島県廿日市市)の厳島神社を氏神として崇敬しましたが、後世、この地の野球球団が平家と同じ赤色を基調として、また同じくこの地から出たロックバンドの2001年にリリースされたミリオンセラー楽曲の題名が『アゲハ蝶』であったことは、何かしら因縁めいているとも思われるのですが、さて如何でしょうか?



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前掲書籍の筆頭著者である師匠による歯科材料全般、あるいはいくつかの歯科材料に焦点を当てた勉強会・講演会の開催を検討されておりましたら、よろこんでご相談承ります。師匠はこれまで長年にわたり大学歯学部・歯科衛生・歯科技工専門学校にて教鞭を執られた経験より、さまざまなご要望に対応させて頂くことが可能です。

*上記以外、他分野での研究室・法人・院内等の勉強会・特別講義のご相談承ります。

~勉強会・特別講義 問合せ 連絡先メールアドレス~
conrad19762013@gmail.com 
どうぞよろしくお願いいたします!

数年前より現在までに日本列島各地・特に西日本において発生した、さまざまな大規模自然災害により被害を蒙った地域の速やかな復旧そして、その後の復興を祈念しています。
↑こちらもどうぞよろしくお願いいたします!