2017年10月24日火曜日

20171023 ブログ記事の作成を容易にする方法を考えてみたところ・・一長一短?

A「昨日の天候が荒れ模様であり、本日に関してもまた、そうした一日になるものと考えていましたが、本日はこの時季にしては温暖な一日になったのではないかと思われます。

さて、本日に関してもまたほぼ通例の如く、ブログ記事の主題は決まっておりません。

『日中に記事題材を考え、その素描だけでも書いておいた方が良いのではないだろうか?』と、たびたび思うところではあるのですが、どうも日中は日中にて、それとは別の何か(原理)が意識面にて優位にあるのかもしれません・・。

とはいえ、それ(日中にブログ記事の題材を考える)は毎日ではないにしても、必ずしも出来ないこともない(実際に以前は行っていた)と考え、また、そのことをここに記事として書いることから、今後は折を見て日中にブログ記事題材について(多少は)考え、そして素描程度は(出来る範囲にて)書いておくことを心がけます・・。

また、上記に示したように、今現在の如く、記事の着想がない状態にて書いておりますと、今度は『では比較的容易に記事の着想が湧き、また書くに伴い、さらにそれが湧いてくるといった状態において共通する要素とは何かしら存在するのであろうか?』といった疑問もまた生じてくるのですが、これに関しては、ここまでブログ記事作成を継続してはきましたが、明瞭に分かることはなく、また、そうであるからこそ、さきに書いたように『日中に記事題材の素描を試みる』といった記事作成行為の軽減をはかるような考えが未だ出てくるのです・・(笑)。

おそらくこうした文章の着想とは、その選択が自由であるからこそ(特に継続して書き続ける際に)ある程度の困難さを感じるのであり、たとえば毎日ある決まった時間帯に
『本日のお題は***です。』といった感じにて題材を告知されるのであれば、少なくとも記事作成時の着想に関しての苦労とはかなり軽減されるのではないかと思われます・・。

しかし、そのように考えてみますと、こうした記事題材が随意に出てくるようなシステムを自身が持っていれば良いのかもしれません・・。

そして、そのタネになりそうなものとは、たとえば何らかの辞書であったり、地図上の地名であったりすれば良く、その記載されている語句の順番にしたがい、各々記載語句を題材として記事を書いていけば良いのかもしれません・・。

たしかにこの手法とは、記事を書く側からしますと、比較的容易に記事作成が為されるのかもしれません・・。

とはいえ、この手法にて、これまでにあまり縁のない、知らない語句について何かしら書かなければならない時はそれなりに辛く、今以上に面倒と感じるのではないかと思われます・・(苦笑)。

そのようなことをしばらく考えあぐねた結果、今後のブログ記事作成を円滑にし且つ内容の充実をはかるため、可能な範囲において日中に記事の題材を考え、それをメモしておく手法を採ることにしました。

また、ここまで書くまでに、何かの参考になるのではと考え、大分以前に投稿した記事を幾つか読んでみますと、面白いことに『ブログ開始当初期に投稿した対話形式の文体を用いた記事とは、あるいは今現在では作成することが困難ではなかろうか?』と強く感じられたのです・・。

それらの多くは会話の内容がしばしば飛躍するにもかかわらず、場合によっては現在用いているこの文体においては描写することが難しいことをも、まさしく対話形式にて書き、そして描写しているようにも思われるのです・・。

それ故に、今後も鋭意、あまり前後との脈絡を感じさせることなく、自然なカタチで対話形式の記事を書いてみたいと考えています。

そしてまた、そうしたことを考えてみますと『果たして文章能力の向上とは、結局のところ一長一短であり、実際のところあまり進歩していないのかもしれない・・。』とも考えさせられるのですが、果たしてその真相とは如何なるものなのでしょうか・・(苦笑)?

ともあれ、今回もまたここまで読んで頂きどうもありがとうございます。
昨年から現在までに日本列島各地にて発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被害を被った諸地域のインフラの復旧・回復およびその後の復興を祈念しています。

また、先日より新たに噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事も祈念しています。」

















2017年10月22日日曜日

20171022 最近傘をなくし、そして貰ったハナシから思ったこと(関連性と因縁)

A「本日は終日を通して悪天候であり、また気温も上がらず外出には決して好ましいといえる一日ではありませんでした。

さらにまた、明日もこうした状況が続くとのことであり、こうしたことは、わずかではありますが気分を重くさせるには十分な効果を持っているようです・・(苦笑)。

そして、今後もこうした状況が続き、季節が変化していくと思われることから冬用衣類も近日中に準備しておく必要があるように思われます。

とはいえ、本日に関しては未だ冬用衣類を用いることなく、選挙への投票をも含んだ外出をしておりました。

この時に着ていたものは、オイルを染み込ませた布地を用いた雨用のジャケットであったことから、傘をささずに歩いていますと、後ろの方から『すいません、ちょっといいですか?』と声をかけられ振り返りますと自転車に乗りフード付きのレインコートを着た女性から『よければ、この傘を差し上げますので使いませんか?』といわれました。特に断る理由もなかったため、その傘を『どうもありがとうございます。では使わせて頂きます。』というお礼と共に受け取り、以降、頂いた傘をさしつつ歩きました。

以上の経緯により傘をさしつつ歩いていますと不図、つい先日、所用のため地下鉄三田駅近くの郵便局に出向いた際、この折も雨が降っていたことから傘をさして行き、郵便局前の傘立てに傘を置き、五分程度の所用を済ませ、帰りしなに傘立てを見ますと、置いてあった傘がなくなっていたという出来事が思い起こされました。

この時、その事態がなかなか呑み込めないため、しばらく傘立ておよびその周辺をいぶかしげに見ていますと、その行為とは後から郵便局に来られた方々にとって入口付近を部分的に占拠してしまうことから迷惑であることに気付き、その場を退散し、雨に濡れつつ事務所に戻りました。

その時は、傘を盗まれた、あるいは間違えて持っていかれたにしても、自身にとっては驚くべき出来事であったことから少し落ち込みましたが、本日の先ほど書いた、それとは逆の出来事により、どうしたわけか、いや、もとよりそれらの出来事の間に(科学的な意味での)関連性などはないのでしょうが、それでも、そこに何かしら不思議な因縁らしきものを感じさせられたのです・・(笑)。

また、これらの出来事の間に関連性はなくとも、同時に『不思議である』と感じることには決して矛盾であるとも、おかしいことでもないように思われるのです・・。

そしてまた、それらの(科学的な意味での)関連性について考えることと同時に、そうした不思議さについても考えてみることは、案外と重要なことではないかとも思われるのです。

あるいは、これらの『感じ方』つまり『考えのはじまるところ』に、理系的なるものと、文系的なるものの根源的ともいえる相違が存在するのではないかとも思われるますが、さて、これらのことについては、どのようにお考えになるでしょうか?

とはいえ、今回もまた、ここまで読んで頂きまして、どうもありがとうございます。

昨年より現在に至るまでに日本列島各地にて発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被災された諸地域のインフラの復旧・回復およびその後の復興を祈念しています。

さらに引き続き、先日より新たに噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事も祈念しています。」























20171021 ある文化を体現されている方々にお目にかかって思うこと

A「時折お目に掛かるある程度御高齢の女性から伺うお話とは大変興味深いものであり、そうして語られるお話しの中から、その時代の精神といったものが強く伝わってきます。

また、そうした語り口には、もちろん、それぞれに個性があるのですが、それと同時に何かしら共通する要素もまた、少なからずあるのではないかとも思われるのです。

そして、それらの語り口における共通する要素とは、残念ながら現在の自身の文章能力によっては、その真髄を文章にて表現することは困難ですが、別方面からの表現もしくは描写を試みますと、それは『白洲正子自伝』にある文章により、いくらか象徴することが出来るのではないかと考えます・・。

また、その表現をさらに異言してみますと、それは『戦前の東京山手文化』としても象徴することが出来るのではないかとも思われます。

しかしながら、時代の変化により、こうした文化を体現されてているような方々は、あまり見受けらなくなり、また、そうであるからこそ、自身が少数ながら見知っているそうした方々が持つ共通する要素が際立って見えてくるのかもしれません・・(やはり現代の我々が持っているさまざまな特性とは総じて異なり、それは単に御高齢であるからという理由のみによって収斂され得ない何かがあるのではないかと思われます。)。

そしてまた、そうした方々とはある程度の御高齢であるにもかかわらず、大変にお話しが上手であり、またさまざまな活字を読むことを好むといった傾向があるようにも思われます(しかし一方で、読む書籍の好みに関しては、それぞれ確固たるものが確立しているといった感が総じてあります。)。

そうした背景を持ちながら語る過去の我が国社会におけるさまざまな様相とは、かなり生き生きとしたものであり、それは自身がかつて民俗学のフィールド・ワークにて出向いて伺ったお話しとも、その意味(生き生きとしている)においては共通しているのですが、それらの背景にある文化が、どちらかが良い悪いといった価値判断を抜きにして、大きく異なると思われるのです・・。

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年より現在までに日本列島各地において生じた一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被害を被った諸地域のインフラの復旧・回復そしてその後の復興を祈念しています。

また、先日から新たに噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事も祈念しています。」






























2017年10月20日金曜日

20171020 『伸びしろ』ともいえる余白部分に対し、どのように接するかによって未来は変化するのか?

A「昨日分の投稿記事は投稿翌日にしては割合多くの方々に読んで頂けました(43)。

こうしたブログ記事をも含む文章の作成の際に存在する『葛藤』については、これまで自身が作成した文章のなかでは比較的明瞭に述べることが出来たのではないかと思われます。

とはいえ、たとえ、その文章が自身としては上出来と認識されても、あくまでもその(あるいはそれら)文章にて述べたいことは『それだけではく』やはり何かしらの追加、加筆修正を要する部分・余地が存在するものと考えます。

しかしながら、完璧な文章を期し、そうした追加、加筆修正といった作業を行っていますとキリがなく、時間も掛かることから、そうした行為とは、あくまでも、もとにある文章の意味、味を残したままにて体裁を整える程度にて切り上げる方が良いのではないかと考えます。

つまり、こうした公表は前提とするものの、必ずしも公的なものとはいえない文章(ブログ記事のような)を作成する際には、さきに書いたような一種のアバウトさ、あるいは余白らしき部分を残しておく方が、その先にある展開を惹起させ易くするのではないかと思うのです。

そして、それがブログ記事作成の継続に対しても、少なからず寄与する部分があるのではないかと思われます。

また、そこから考えてみますと、昨今の我が国を含む(主に先進諸国)国際社会とは、さまざまな情報機器の進化発展により、演繹的ともいえる科学的知識、知見を社会一般にて広く用いることが可能となった反面、先にある展開を惹起させ易くする要素として前に述べた余白らしき部分、あるいは異言すると、未来において偶然が介入し得る部分を出来る限り最小化しようと試みているのではないかとも思われるのです・・。

もちろん、如何なる分野においても科学的な思考は極めて重要・有用ではあると考えますが、ただ、表層的に利用、応用し易いような科学的知識、知見のみを正義の名のもとに振りかざすような(圧政的ともいえる)姿勢とは、さらに先に存在する面白い、その時点では考えもしなかったような劇的な展開の発生を封殺させるような何かがあるのではないかと思われるのです・・。

また、それが現代(あるいは古来からの)我が国社会に見られる悪癖(凝集性が強い)の一つではないかとも思うのです・・。

しかし一方、かつての我が国には『牛に牽かれて善光寺詣り』といったコトバもまた存在しますので、あるいはこうした風潮とは都市文化限定であるのか、あるいは、これまた我が国にてよくありがちな『一過的な流行』によるものであるのかもしれません・・。

そして、そうしたことを考えてみますと、現在のさまざまな現象を精確に把握、認識するためにも、やはり歴史・思想・哲学などもまた重要ではないかとも思われるのですが、さて、如何でしょうか?

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂きまして、どうもありがとうございます。

昨年から現在に至るまでに日本列島各地にて生じた一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害により被災された諸地域のインフラの復旧・回復そしてその後の復興を祈念しています。

また、引き続き、先日より新たに噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事も祈念しています。」







2017年10月19日木曜日

20171019 入出力の均衡のためには(何らかの)葛藤が必要であるのか・・?

A「昨日分の投稿記事において『ブログ記事作成を継続的に行うために大事なことは、日々の文字を媒介とする経験を重ねることではないか』といった意味のことを書きました。

そして、このことは以前にもブログ記事にて書きましたが『入力と出力の均衡』においても深く関連することであり、くわえて、その継続においては『均衡』すなわち『出力されると同時に入力もある』といった状態の保持が重要ではないかと考えます。

その意味にて、自身はおそらく入力については何かしら読み続けてはおりますので、こちらの要素については特に大きな問題はないものと考えます。

しかし他方にある出力に関しては、今現在においても、何と云いますか『ある状態の保持安定』といったものを得られることはなく『毎回とりあえず何かしら文章を作成している』といった状態が継続していると評して良いと云えます。

つまり、多少の欲を述べるならば『出力という文章を書く行為においても、他方の入力である読書と同程度に安定して行うことが出来ないものであろうか?』といったことであり、これまでどうにか継続的にブログ記事の作成が為されてはいるものの、その背景には慢性的にこうした悩みが存在しているのです・・(苦笑)。

あるいは、こうした悩みから一時的に逃れる(忘れる)ことが出来ている時とは、何かしらの着想を得て、比較的円滑に文章を書くことが出来ている時か、ブログ記事作成の必要性から解放されている時であるとも云えます。

それ故、ある種の楽しみといった要素が存在しないことにはブログ記事の作成とは継続し得ないといったことも事実として認められるものの、それと併存して、さきに書いたある種の葛藤とも評し得る状態もまた自身の内面において比較的明瞭に存在しているのです。

そして『今後、恒常的に円滑に文章を書くことが出来る状態が自身内面において達成されるのことはあるのだろうか?』ということは、今もって興味深いことであり、おそらく当ブログ記事の作成をはじめた時期に比べれば、多少の変化は認められるのでしょうが、そうした変化を心ゆくまで味わうといった余裕・感興とは、そうそうありません・・。

それよりも、さきに書いたような日々の記事作成を為す際に(大なり小なり)感じる葛藤と対峙している時の方が、円滑に文章を書くことが出来る自身と為すためには、有益ではないかと思われるのです(そうした状態に慣れてきた?)。

また、そのように考えてみますと、逆説的に日々のブログ記事作成を行うことがなくとも、葛藤らしきものを(全く)感じることがなくなれば、それはさきの『円滑に文章を書くことが出来る状態』が達成された時であるのかもしれませんが、面白いことに、どうやらこうしたことに関しては、自身を偽ることは出来ないようです・・。

もっと器用に自身を偽ることが可能であるのならば、こうした自意識過剰ともいえる行為(ブログ記事の作成)をも行わずに安心出来るはずではあるのですが・・(苦笑)。

また、こうした状態に至ったトリガーとは、現在になり考えてもあまり意味のあることではないのかもしれませんが、それでも一体何であったのでしょうか・・?

おそらくそれは、一般的な意味で健全な感情・情念ばかりではないように思われるのですが、しかしその健全でばかりとはいえないものによって、これまで自身は継続的にブログ記事を書くことが出来ているとも云えます・・。

あるいは、このことは何かしら普遍的な意味合いがあることであるのかもしれませんが、読んで頂いた皆さまはどのようにお考えになるでしょうか?

ともあれ、今回もまたここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年から現在までに日本列島各地にて発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害により被害を被った諸地域のインフラの復旧・回復およびその後の復興を祈念しています。

引き続き、先日より新たに噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事も祈念しています。」



20171018 ブログ記事をある程度継続的に行うために大事なこと・・

本日は帰宅が遅くなったことから一度しばらく休んだのち、記事作成を開始することにしました。

そして午前三時頃に目を覚まし、シャワーを浴び、記事作成を開始し、現在に至っていますが、本日作成分の記事主題においても、概ねこれまで通り、その主題とは定まっておりません・・(苦笑)。

とはいえ、こうして何かしら書いておいますと思い起こされることは、今現在読んでいる著作についてであり、また、こうした題材とは、著作そのものに何かしら大きな問題(ある種の話題性)がない場合、どちらかというと無難であり、自身が(どうにか)現在までブログ記事作成を継続することが出来た主たる要因とは、抜粋引用をも含め、何かしら書籍に関して書くことが多かったからではないかと考えます。

しかし、書籍、文字を媒介としない経験もまた、自身を含め何方であれ毎日経験しているはずです。

そして、そうした文字を媒介としない毎日の経験を文章として書き続けることは、出来ないこともないのでしょうが、そうしますと、それは語義的に『日記』に近いものになると云えます(読書日記といったものも存在しますが、あくまでも一般的な意味で・・)。

当然ではありますが、通常、日記とは一日の出来事を綴るものであり、そこに綴られる出来事が創作ではなく、実際の出来事であり、さらにそれをブログ記事として継続的に公表するといった行為には、私見ではありますが、何かしら書き手自身の精神を制限・束縛し、そして(不自然な)負荷を強いるといった要素があるのではないかと思われるのです・・。
(プライバシーの価値、意味合いといったものは、この辺りにあるのではないでしょうか?)

少なくとも、自身の場合、さきに挙げた日記体でのブログ記事の場合、それを継続することは困難であったものと云えます・・(外からの風が常時流れ込む鍾乳洞には鍾乳石(つらら石)は形成し辛い・・)。

それ故、文字を媒介とし、さらにその文字列が公表を前提とする文章(論文・小説・新聞・雑誌など)である場合、日々それらに接し、その思うところを継続的に書くことは、それが文字を媒介とする『実際』の経験に基づくものであり、そして、その行為には創造性をも要することから、もちろん精神的な負荷も(少なからず)あるのでしょうが、さきの日記様のものとは異なり、書き手の精神を制限・束縛するといった要素については少ないと考えます・・。

そこから、自身の経験から思うところではありますが、ブログ記事をある程度継続的に行うために大事なことは、さきに書いた意味において、日々、文字を媒介とする経験を重ねることではないかと思われます(これはある程度の普遍化が可能ではないかとも考えますが、如何でしょうか?)。

そしてまた、それ以外の経験もまた充実している方が望ましいのでしょうが、公表を前提とするブログ記事の作成においては、文字を媒介とする経験の方が幾分かは重要であるのではないかと思われます・・。

また、以上に述べたことの概括から極言を試みますと、我々が何かを学ぶという行為の根源にあるものとは、こうした『変換』(経験から文章へ、もしくはある種の抽象化)の様式の洗練・上達にあるのではないかと思われるのですが、さて、如何でしょうか?

今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございます。
昨年より現在に至るまで列島各地において発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被害を被った諸地域のインフラの復旧・回復およびその後の復興を祈念しています。

引き続き、先日より新たに噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事も祈念しています。」






























2017年10月17日火曜日

20171017 777記事への到達 感情の精神による変換・・文章作成の要諦?

書くことを忘れていましたが昨日の記事投稿により、総投稿記事数が777に到達しました・・(笑)。

これは特に区切りの良い数字ではありませんが、その一方でこの数値とは、幸運といった意味合い・ニュアンスをも感じさせるため、わずかではありますが嬉しく思います。

しかしながら、今現在自身の身辺において、特に幸運と評し得る出来事は生じておりませんので、こうしたものは迷信の類いであるのか、あるいはまた、いましばらく待ち続けるべきものであるのかもしれません・・。

ともあれ、ここまで(どうにか)到達出来たことにより、次の区切りの良い目標である800記事への到達もまた現実味を帯びてきます。

具体的には、
現在の調子(1日1記事)にて記事作成を継続することにより、来月初旬に800記事への到達が見込むことが可能となります。

未ださきのハナシではありますが、もしもここへ至ったならば、概ね2年半にわたるブログ記事作成の継続により到達したことになります。

それは決して非凡なことではありませんが、同時にあくまでも自身としては初めての経験でもあることから、どうにかそこまでは到達したいとも考えています。

とはいえ、たとえそこに至った場合においても、これまでの区切りの良い記事数への到達の際、くわえて、それが近いものであればあるほど、徐々に達成感が希薄になっていったと感じられたことから、おそらく次の800記事への到達に至った場合も、そうした種類の感情とは、これまで以上に感じることが難しくなっているものと予測します・・(苦笑)。

しかし、そうであるからといって記事作成を止めようとも考えておらず、むしろ達成感といった高揚を齎す要素を出来る限り排除した状態にて800記事にまで到達された場合、如何なる想念が生じる、視野が開かれるのかとは、少なくとも自身としては興味深いことであると考えるのです・・(笑)。

もちろん、であるからといって達成感もしくは内発的な高揚感自体が悪いものと認識しているわけではなく、そうした感情が欠如した状態が継続すると精神そのものが干乾び、また文章作成といった行為も極めて困難になると思われます。

そして、おそらくそうした一種の感情の抑制、制御もしくは精神によるその変換の過程が文章作成における一つの要諦ではあるまいかと考えているのですが、そのように考え続けていますと、今度は不思議なことに自身が口語にて話すことがさらに下手になったように感じられるのです・・(苦笑)。

この感覚を信じて良いのか分かりませんが、こうした(話し言葉と書き言葉)のバランスにはなかなか難しいものがあるのかもしれません・・(笑)。

ともあれ、今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。


昨年より現在に至るまでに列島各地にて発生した一連の地震・大雨・水害等など大規模自然災害によって被災された地域の諸インフラの復旧・回復およびその後の復興を祈念しています。

そして引き続き、先日より新たに噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事も祈念しています。