大分前に投稿したブログ記事を何かの折にあらためて読んでみますと、そこに書かれている内容にてワザとらしく難解と思われるコトバを【あえて】用いているのではないかと感じられることが多々ありました。
昨今投稿された記事においても、時折はそうした傾向が看取されることもあるかもしれませんが、冒頭に書いた時期の投稿記事に比べますと、その傾向は収まりつつあるのではないかと思われます。
そして、それに関連して思い出されることは、世代が上の理系・文系の研究者の方々とアカデミックな場でなく、日常会話が為されるような場にて、ある種学問・研究に関連するようなハナシをしておりますと、何といいますか難解と思われるコトバを敢えて使わずに、たとえ話、もしくは何やらよく分からない抽象的なハナシになるといった傾向が往々にしてあるということです・・。
とはいえ、これはこれで大変面白く、そうしたものを記憶に留めておくと、後にある程度の量の書籍・文献を読んだ結果『ああ、あの時**先生が云っていた意味はこういうことだったのだな・・』と分かる(と感じる)こともしばしばあるのです・・(笑)。
また、そうした経験が比較的多いのは、私見としては文系学問分野ではないかと思われます。
おそらく(私の知る)理系学問とは、その学問としての性質上、具体性・論拠の明示(再現可能性の基礎となるもの)が強く要求されることから、文系学問ほどに抽象的に語る、あるいは考える必然性に乏しいのではないかとも思われます。
しかし、一口に理系といいましても、たとえば原理的な理論・現象を主として扱う分野になりますと、やはり高度な事物に対する抽象化能力が要求されるようであり、そこで為される会話とは、たとえアカデミックな場を離れていても、時として、ある種の高度な抽象性を見出せることが多々あるようにも思われます・・。
そして、何れの学問分野においても自身が驚き、そして到底敵わないと感じさせる対象が持つ特質とは、概ねこうした(事物の高度にして洗練された抽象化能力)ものであり、その意味において私は老若男女問わずさまざまなタイプの優れた方々を見ることが出来たのではないかと思われます。
そして今回も、ここまで興味を持って読んで頂きどうもありがとうございます。
昨年から現在に至るまでに発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被災された地域における諸インフラの復旧・回復および、その後の復興を祈念します。」
2017年8月24日木曜日
20170823 食育と夏場の体臭について首都圏から思ったこと
A「つい先日上巻を読了し、下巻を読みはじめた書籍も今日までに100頁以上にまで至りました(下巻全体の四分一)。
まだまだ先は大分長いですが、同時に思いのほか面白く読み進めることが出来ていますので、この調子にて読了に至ることが出来ればと思います。
さて、本日の首都圏は昨日と同様、日中気温が上昇し、本格的に夏らしい一日となったのではないかと思われます。
さて、以前にもブログ記事に何度か書いたことではありますが、こうした時季にしばらく街中を歩いておりますと、どうも九州在住時の記憶が想起されるようです・・(笑)。
また、それに関連して、つい先日気が付いたことは、さきに書いたような蒸し暑い環境にくわえ、周辺の自然の薫りが濃厚に感じられますと、私の場合、紀伊・和歌山での何処かの記憶が連想、想起されることです。
そして、このようなことをあらためて気が付いてみますと、目で見る視覚と同様、薫りといった嗅覚による環境の認識もまた身体レベルでの(包括的)認識という意味において、かなり重要ではないかと思われるのです・・。
また、この嗅覚による認識とは、近年その重要性が指摘されている『食育』とも、かなり密接な関連があるといえます。
しかしそれと同時に、ここで大変面白く思うことは、特に首都圏において(発汗の多い)夏場の男性の体臭をかなり忌諱するという傾向です。
そのため、男性用の制汗剤、香水などが多く開発、販売そして消費されているのでしょうが、そうした状況の下、この時候の満員電車に乗りますと、さきの体臭よりも男性用の制汗剤、香水あるいはその他香料などの香りの方が強く感じられ、それはそれであまり快適とはいえない環境であるとも云えるのです・・(笑)。
そして、一方において前述の近年その重要性が指摘されている『食育』とは、どうも(夏場の男性の体臭を忌諱する傾向と)本質的あるいは根源的に相矛盾するのではないかと思われるのです・・。
しかし、その反面において、衛生観念および、それに関連する技術の進化発展とは喜ばしいことではあるのでしょうが、どうも我々日本人の場合、そうしたモノあるいは観念を原初の姿から把握しないままで実用性に基づく応用に次ぐ応用を重ねるといった傾向があることからか、多くの場合、どうも変な方向に行ってしまうような傾向があるようにも思われるのです・・(苦笑)。
結句、現在の首都圏における夏場の体臭を忌諱する傾向とは、同じく電車内にて多く見受けられるスマートフォンでのゲームと同様、何やら人間の生来の感覚から逃げだそうとする傾向があるのではないかと思われ、あまり良いものであるとは考えることが出来ないのです・・。
まあ『程度の問題』ではあるのかもしれませんが・・。
ともあれ、今回もここまで興味を持って読んで頂きどうもありがとうございます。
昨年から現在に至るまでに発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被害を被った地域での諸インフラの復旧・回復および、その後の復興を祈念します。」
まだまだ先は大分長いですが、同時に思いのほか面白く読み進めることが出来ていますので、この調子にて読了に至ることが出来ればと思います。
さて、本日の首都圏は昨日と同様、日中気温が上昇し、本格的に夏らしい一日となったのではないかと思われます。
さて、以前にもブログ記事に何度か書いたことではありますが、こうした時季にしばらく街中を歩いておりますと、どうも九州在住時の記憶が想起されるようです・・(笑)。
また、それに関連して、つい先日気が付いたことは、さきに書いたような蒸し暑い環境にくわえ、周辺の自然の薫りが濃厚に感じられますと、私の場合、紀伊・和歌山での何処かの記憶が連想、想起されることです。
そして、このようなことをあらためて気が付いてみますと、目で見る視覚と同様、薫りといった嗅覚による環境の認識もまた身体レベルでの(包括的)認識という意味において、かなり重要ではないかと思われるのです・・。
また、この嗅覚による認識とは、近年その重要性が指摘されている『食育』とも、かなり密接な関連があるといえます。
しかしそれと同時に、ここで大変面白く思うことは、特に首都圏において(発汗の多い)夏場の男性の体臭をかなり忌諱するという傾向です。
そのため、男性用の制汗剤、香水などが多く開発、販売そして消費されているのでしょうが、そうした状況の下、この時候の満員電車に乗りますと、さきの体臭よりも男性用の制汗剤、香水あるいはその他香料などの香りの方が強く感じられ、それはそれであまり快適とはいえない環境であるとも云えるのです・・(笑)。
そして、一方において前述の近年その重要性が指摘されている『食育』とは、どうも(夏場の男性の体臭を忌諱する傾向と)本質的あるいは根源的に相矛盾するのではないかと思われるのです・・。
しかし、その反面において、衛生観念および、それに関連する技術の進化発展とは喜ばしいことではあるのでしょうが、どうも我々日本人の場合、そうしたモノあるいは観念を原初の姿から把握しないままで実用性に基づく応用に次ぐ応用を重ねるといった傾向があることからか、多くの場合、どうも変な方向に行ってしまうような傾向があるようにも思われるのです・・(苦笑)。
結句、現在の首都圏における夏場の体臭を忌諱する傾向とは、同じく電車内にて多く見受けられるスマートフォンでのゲームと同様、何やら人間の生来の感覚から逃げだそうとする傾向があるのではないかと思われ、あまり良いものであるとは考えることが出来ないのです・・。
まあ『程度の問題』ではあるのかもしれませんが・・。
ともあれ、今回もここまで興味を持って読んで頂きどうもありがとうございます。
昨年から現在に至るまでに発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被害を被った地域での諸インフラの復旧・回復および、その後の復興を祈念します。」
2017年8月23日水曜日
20170822 再びスランプから思ったこと・・視点を変えてみると・・
A「本日の首都圏は日中気温も上昇し、夏らしい陽気であったのではないかと思われます。
さて、先日投稿のブログ記事に挙げた書籍は、つい昨日より下巻を読み始めました。
この下巻もまた冒頭より面白いのですが、それと同時に思うことは、こうしたいわば自身にとって新たな知見に富んだ(ある程度)専門的な書籍とは、それを読んだあとは、頭脳が疲労するためか、しばらくの間、能動的な文章の作成などといった創造的活動が困難、億劫、面倒になるということです・・。
そして、もしも、この仮説がある程度妥当なものであるとすれば、一昨日投稿分の記事に書いた、昨今より感じているこのスランプとは、現在読んでいる著作(の負荷)に大きく因るものであり、あるいは今後この著作を読了することにより、スランプから脱することも出来るのではないかとも思われるのです。
まあ、それも一山越えてみないと分からないハナシではありますが・・(笑)。
また、そうしたことを題材としてここまで記事を書くことが出来ましたのでスランプであれ、現在の読書であれ、書きようによれば、あまり文章が進まないにしても、とりあえずは何かを書くことが出来るようです・・(笑)。
くわえて、そのことと多少関連があるのかもしれませんが、現在読んでいる書籍(上巻を含めて)を読みながら時折思うことは『この書かれている内容を人に説明する場合、どのようにしようか?』といったことであり、これを勝手に頭の中で考えている時は、頁は進みませんが、それはそれで面白く、あるいは書かれている内容に関連すると思しき考えが想起される場合もなかなか面白く、その考えを忘れないうちに赤ペンにて文中に書き込むわけです・・。
現在になり、そうした箇所の頁を開いてみますと『なるほど、そういった考えか・・』と、ある程度素早くその文章箇所の説明内容を想起、理解することが出来るのです・・。
こういった芸当は、おそらく以前にはあまり出来なかったように思われますので、そのことから、少し視点を変えてみますと、現在のスランプもまた、あるいはそうした類いのものであるのかもしれません・・。
つまり、文章をスムーズに書くことが出来ない時期(スランプ)とは、他方の自身が認識し得ないところにて何かが成長しているのかもしれないということであり、また、こうした現象を無意識下の自身をも含めて肯定し、信じようという精神的態度が文字通りの意味で『自信』であるようにも思われた次第です・・。
自身としては、上記のような考えはあまり好きではないのですが、実際に書いてみますと不思議なことに一理はあるようにも思えてくるものです・・(笑)。
そして今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございます。
昨年から現在に至るまでに発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被害を被った地域での諸インフラの復旧・回復および、その後の復興を祈念します。」
さて、先日投稿のブログ記事に挙げた書籍は、つい昨日より下巻を読み始めました。
この下巻もまた冒頭より面白いのですが、それと同時に思うことは、こうしたいわば自身にとって新たな知見に富んだ(ある程度)専門的な書籍とは、それを読んだあとは、頭脳が疲労するためか、しばらくの間、能動的な文章の作成などといった創造的活動が困難、億劫、面倒になるということです・・。
そして、もしも、この仮説がある程度妥当なものであるとすれば、一昨日投稿分の記事に書いた、昨今より感じているこのスランプとは、現在読んでいる著作(の負荷)に大きく因るものであり、あるいは今後この著作を読了することにより、スランプから脱することも出来るのではないかとも思われるのです。
まあ、それも一山越えてみないと分からないハナシではありますが・・(笑)。
また、そうしたことを題材としてここまで記事を書くことが出来ましたのでスランプであれ、現在の読書であれ、書きようによれば、あまり文章が進まないにしても、とりあえずは何かを書くことが出来るようです・・(笑)。
くわえて、そのことと多少関連があるのかもしれませんが、現在読んでいる書籍(上巻を含めて)を読みながら時折思うことは『この書かれている内容を人に説明する場合、どのようにしようか?』といったことであり、これを勝手に頭の中で考えている時は、頁は進みませんが、それはそれで面白く、あるいは書かれている内容に関連すると思しき考えが想起される場合もなかなか面白く、その考えを忘れないうちに赤ペンにて文中に書き込むわけです・・。
現在になり、そうした箇所の頁を開いてみますと『なるほど、そういった考えか・・』と、ある程度素早くその文章箇所の説明内容を想起、理解することが出来るのです・・。
こういった芸当は、おそらく以前にはあまり出来なかったように思われますので、そのことから、少し視点を変えてみますと、現在のスランプもまた、あるいはそうした類いのものであるのかもしれません・・。
つまり、文章をスムーズに書くことが出来ない時期(スランプ)とは、他方の自身が認識し得ないところにて何かが成長しているのかもしれないということであり、また、こうした現象を無意識下の自身をも含めて肯定し、信じようという精神的態度が文字通りの意味で『自信』であるようにも思われた次第です・・。
自身としては、上記のような考えはあまり好きではないのですが、実際に書いてみますと不思議なことに一理はあるようにも思えてくるものです・・(笑)。
そして今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございます。
昨年から現在に至るまでに発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被害を被った地域での諸インフラの復旧・回復および、その後の復興を祈念します。」
2017年8月22日火曜日
20170821 読書とブログ記事作成の違い【能動性の多寡】
A「まだまだ先のハナシにはなりますが、現在のペースにて記事を作成投稿し続けることにより、おそらく年内11月中に800記事までどうにか到達することが出来るのではないかと思われます。
とはいえ、これまでどうにか記事作成を継続してはきましたが、その間に何かが大きく変わったと実感するようなこともなく、また、たとえ、この先無事に800記事まで到達することが出来たとしても、おそらくその時もまた、これまで通り大きな感慨もなく、何となく到達するのではないかと察せられます・・。
そして、そうした感慨などの自身を励起・鼓舞するような要素がないにもかかわらず記事を作成し続ける行為とは習慣あるいは意地悪く云えば惰性のようなものであるのかもしれません・・(苦笑)。
また実際にそれを否定出来るような理屈を自身は保持しておりません。
しかし、実際の行動として記事を書き続けるのであれば、そうした批判を否定するいわば防御的な理屈とは特に必要ないのではないかとも思われます・・(笑)。
そうしますと、それはもう一つの自身がこれまで継続している『読書』についても同様であるのではないかと考えが及ぶのです。
先日投稿したブログ記事においても書きましたが、読書に関しては当ブログよりはるかに長く継続していますが、これに関しては、さきに書いたブログ記事作成に対するような防御的な理屈とは、大分以前より考えることもなく、何といいますか、自身の自然な行為の一つとなっているのではないかと思われます・・。
そして、その意味において、さきに書いた感慨などがなくとも記事を作成し続けるようになりつつあることは、それもまた読書と同様、自身の自然な行為へと変化しつつあることを示しているのかもしれません・・。
しかし、読書とブログ記事作成にて大きく異なることは、それら行為の基層にある能動性の多寡であるといえます。
能動性に関しては、読書と比べ、ブログ記事作成の方がより多く必要であるとこれまでの経験より考えます。
そして、その理由から現在に至るまで、ある程度の期間にわたる継続的な文章(ブログ記事)の作成とは為されなかったのではないかと思われるのです。
これを多少詳しく言い換えますと、能動性を発揮し、他者から非難の対象とならず、なおかつ何かしら主張する文章を継続的に作成することは自身にとってはかなり難しいことであり、今現在の段階において(本当に)どうにかそれを行うことが出来ているということです・・。
また、その作成する文章とは客観的な科学的知見を述べるような性質のものではないことから、それ特有の難しさ(表現のバランス)があるのではないかとも思われます。
もちろん、今現在の自身は、そうしたことをただ漠然と感じ、思う程度であり、この先に為されるであろう記事作成を通じ、そのあたりの微妙とも云える感覚を自分なりに開拓あるいは進化発展させることが出来れば良いと考えています・・。
とはいえ、今回もここまで興味を持って読んで頂きどうもありがとうございます。
昨年より現在に至るまでに生じた一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被害を被った地域での諸インフラの復旧・回復および、その後の復興を祈念します。」
とはいえ、これまでどうにか記事作成を継続してはきましたが、その間に何かが大きく変わったと実感するようなこともなく、また、たとえ、この先無事に800記事まで到達することが出来たとしても、おそらくその時もまた、これまで通り大きな感慨もなく、何となく到達するのではないかと察せられます・・。
そして、そうした感慨などの自身を励起・鼓舞するような要素がないにもかかわらず記事を作成し続ける行為とは習慣あるいは意地悪く云えば惰性のようなものであるのかもしれません・・(苦笑)。
また実際にそれを否定出来るような理屈を自身は保持しておりません。
しかし、実際の行動として記事を書き続けるのであれば、そうした批判を否定するいわば防御的な理屈とは特に必要ないのではないかとも思われます・・(笑)。
そうしますと、それはもう一つの自身がこれまで継続している『読書』についても同様であるのではないかと考えが及ぶのです。
先日投稿したブログ記事においても書きましたが、読書に関しては当ブログよりはるかに長く継続していますが、これに関しては、さきに書いたブログ記事作成に対するような防御的な理屈とは、大分以前より考えることもなく、何といいますか、自身の自然な行為の一つとなっているのではないかと思われます・・。
そして、その意味において、さきに書いた感慨などがなくとも記事を作成し続けるようになりつつあることは、それもまた読書と同様、自身の自然な行為へと変化しつつあることを示しているのかもしれません・・。
しかし、読書とブログ記事作成にて大きく異なることは、それら行為の基層にある能動性の多寡であるといえます。
能動性に関しては、読書と比べ、ブログ記事作成の方がより多く必要であるとこれまでの経験より考えます。
そして、その理由から現在に至るまで、ある程度の期間にわたる継続的な文章(ブログ記事)の作成とは為されなかったのではないかと思われるのです。
これを多少詳しく言い換えますと、能動性を発揮し、他者から非難の対象とならず、なおかつ何かしら主張する文章を継続的に作成することは自身にとってはかなり難しいことであり、今現在の段階において(本当に)どうにかそれを行うことが出来ているということです・・。
また、その作成する文章とは客観的な科学的知見を述べるような性質のものではないことから、それ特有の難しさ(表現のバランス)があるのではないかとも思われます。
もちろん、今現在の自身は、そうしたことをただ漠然と感じ、思う程度であり、この先に為されるであろう記事作成を通じ、そのあたりの微妙とも云える感覚を自分なりに開拓あるいは進化発展させることが出来れば良いと考えています・・。
とはいえ、今回もここまで興味を持って読んで頂きどうもありがとうございます。
昨年より現在に至るまでに生じた一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被害を被った地域での諸インフラの復旧・回復および、その後の復興を祈念します。」
2017年8月21日月曜日
20170820 スランプの時はどのようにすれば良いか・・?【価値観の多様性と世の中・社会を実地に学んでいく経路・手法】
A「本日は休日ということもあり、以前に投稿した記事を比較的多く読みました。
そうしますと、この程度の期間(2年数カ月)ではありますが、継続的にブログ記事の作成投稿を行っておりますと、その間に何度かスランプといえる期間があったことが思い出されます・・。
そしてまた、おそらく今現在も、そうしたスランプといえる期間であると感じています。
それは毎日の記事作成の際に『やる気があまり出ない』『良い着想が得難い』といったところから実感されます・・。
しかしながら、他方において、これまでの継続的な記事作成を通じ『たとえスランプに陥った場合においても、それはあくまでも一時的なものであり、ある程度の期間を経れば良くなる』といったことをも認識していますので、そうした期間は【とにかく】もがき続ける(何かしら書き続ける)のが良いのではないかと考えます。
また、もがくように書き続ける行為の中から、自身にとって何らかの更なる進化発展、文体獲得の契機となるものを見つけることが出来るのではないかとも考えています。
くわえて、面白いことにこのスランプの期間とは、思いもよらぬことから(急激に)霧が晴れるように再び書くことが出来るようになることも(往々にして)あるため、何といいますか、その変化を的確に感知しスムーズに為されるよう(たとえスランプであるとしても)何かしら書き続けるのが良いのではないかと考えるのです。【微弱な振動を与え続ける】
とはいえ、このことは、これまでどうにか継続的な記事作成を行ってきたことから実感として得られた、いわば【内的感覚に依拠する】個人的な見解であり、そこに普遍性あるいは何らかの応用可能性があるかどうかは分かりかねるところです・・。
そしてまた、以前よりたびたび述べてきたことではありますが、これまでの継続的な記事作成がどうにか為された主たる外的な要因とは、何よりも、それら記事を読んでくださる方々がいたことであり、こうしたことは現在のスランプといえる期間においては、そうでない期間に比べて割合痛切に感じられるものであるようです。
そしてまた、このように考えてみますと、おそらく我々人間とは、さまざまな場合において、あまり調子が良くない時には周囲の支えをより強く感じ、一方調子が良い時にはそのようなこと(周囲の支え)など考えず、省みず内面から湧き上がる力によって活動的でいられるのでしょうが、おそらく我々とは『そのどちらか一方の状態のみが続く』といったことはなく双方の期間を順繰りに経験することによって世の中、社会といったものを実地に学んでいくのではないかと思われます・・。
そして、こうした世の中、社会を実地に学んでいく経路・手法には、ある程度の普遍性があるのではないかと漠然とながら思うところではあるのですが、他方、その学ぶ対象となる世の中、社会といったものの種類が多岐に渡り、おそらく、そのことが多様な価値観といったものが生じる所以ではないかと思われます。
また、この価値観の多様性とは一般的に都市部にて看取されるということは、それだけ多くの世の中、社会の縮図としての会社、組織(ある程度の閉鎖性を持った人の集団)が存在することに因るものと考えられます。
このことはもう少し考えてみると面白いのかもしれませんが、今回の記事はこのあたりで終えます。
今回もここまで読んで頂いてどうもありがとうございました。
昨年から現在に至るまでに発生した一連の地震・大雨・水害といった大規模自然災害により被災された地域での諸インフラの復旧・回復および、その後の復興を祈念しています。』
そうしますと、この程度の期間(2年数カ月)ではありますが、継続的にブログ記事の作成投稿を行っておりますと、その間に何度かスランプといえる期間があったことが思い出されます・・。
そしてまた、おそらく今現在も、そうしたスランプといえる期間であると感じています。
それは毎日の記事作成の際に『やる気があまり出ない』『良い着想が得難い』といったところから実感されます・・。
しかしながら、他方において、これまでの継続的な記事作成を通じ『たとえスランプに陥った場合においても、それはあくまでも一時的なものであり、ある程度の期間を経れば良くなる』といったことをも認識していますので、そうした期間は【とにかく】もがき続ける(何かしら書き続ける)のが良いのではないかと考えます。
また、もがくように書き続ける行為の中から、自身にとって何らかの更なる進化発展、文体獲得の契機となるものを見つけることが出来るのではないかとも考えています。
くわえて、面白いことにこのスランプの期間とは、思いもよらぬことから(急激に)霧が晴れるように再び書くことが出来るようになることも(往々にして)あるため、何といいますか、その変化を的確に感知しスムーズに為されるよう(たとえスランプであるとしても)何かしら書き続けるのが良いのではないかと考えるのです。【微弱な振動を与え続ける】
とはいえ、このことは、これまでどうにか継続的な記事作成を行ってきたことから実感として得られた、いわば【内的感覚に依拠する】個人的な見解であり、そこに普遍性あるいは何らかの応用可能性があるかどうかは分かりかねるところです・・。
そしてまた、以前よりたびたび述べてきたことではありますが、これまでの継続的な記事作成がどうにか為された主たる外的な要因とは、何よりも、それら記事を読んでくださる方々がいたことであり、こうしたことは現在のスランプといえる期間においては、そうでない期間に比べて割合痛切に感じられるものであるようです。
そしてまた、このように考えてみますと、おそらく我々人間とは、さまざまな場合において、あまり調子が良くない時には周囲の支えをより強く感じ、一方調子が良い時にはそのようなこと(周囲の支え)など考えず、省みず内面から湧き上がる力によって活動的でいられるのでしょうが、おそらく我々とは『そのどちらか一方の状態のみが続く』といったことはなく双方の期間を順繰りに経験することによって世の中、社会といったものを実地に学んでいくのではないかと思われます・・。
そして、こうした世の中、社会を実地に学んでいく経路・手法には、ある程度の普遍性があるのではないかと漠然とながら思うところではあるのですが、他方、その学ぶ対象となる世の中、社会といったものの種類が多岐に渡り、おそらく、そのことが多様な価値観といったものが生じる所以ではないかと思われます。
また、この価値観の多様性とは一般的に都市部にて看取されるということは、それだけ多くの世の中、社会の縮図としての会社、組織(ある程度の閉鎖性を持った人の集団)が存在することに因るものと考えられます。
このことはもう少し考えてみると面白いのかもしれませんが、今回の記事はこのあたりで終えます。
今回もここまで読んで頂いてどうもありがとうございました。
昨年から現在に至るまでに発生した一連の地震・大雨・水害といった大規模自然災害により被災された地域での諸インフラの復旧・回復および、その後の復興を祈念しています。』
2017年8月20日日曜日
20170819 これまでのブログ記事から・・読書傾向から思う自身の性質・特徴について
A「本日は休日ではありましたが、所用のため仕事場に夜半までおりました。
とはいうものの、同時に日中、書店での物色、立ち読みも行いまた新たに面白そうな書籍を見つけてしまいました・・(笑)。
さて、そこで大変面白いと思うことは、こうした立ち読みにて面白いと感じる書籍を購入した場合、概ね、かなり速いスピードにて読了に至るということです・・。
もちろん、一応その内容は概ね理解しているつもりではありますが、それら書籍とは小説であったり、あるいは学術書に分類されるようなものもあり、多岐にわたると評しても良いのではないかと思われます・・。
そして、そのことから自身が内容を理解しながらもスムーズに読み進めることの出来る書籍の傾向を通じ、何らかの自身の性質・特徴らしきものが看取されるのではないかとも思われるのです・・。
また、それ故、本棚に並んでいる書籍を見れば、概ねその人の背景、学識等を理解することが出来るといった言説が生じるものと考えられます。
しかしながら、殊自身に関しては、どうした理由によるものか、こうした見地にて考え、認識することが困難であるように思うのです・・(苦笑)。
とはいうものの、他方において、そこで看取される(客観的ともいえる)自身の性質・特徴を認識したいという欲求とは、ないわけではありませんので、今後機会を見つけ、そうしたことをもう少し考えてみたいとも思っています・・。
そしてまた、こうした読書傾向の系譜あるいはその経時的な変化について考えてみますと、それはそれで面白く、一方で多少怖い気もしますが、相対的なものとして他者のそれと比較・検討してみますと更に面白い新発見があるのではないかとも思われるのです・・。
また、以前であれば、こうした読書の傾向とは、周囲の方々からの影響を強く受けていた記憶があります。
しかし、近年になりますと特に何らかの必要性がある場合を除き、あくまでも自身が理解し、興味を持って読むことが出来る書籍に集約され、その点において以前と比べますと、読む書籍の分野・傾向とは収束しているとも評し得ます。
とはいえ、この傾向とは今後このまま収束、安定するとも断言出来ず、またそれを望まないといった一面もありますので当面その判断は差し控えます。
しかし他方、自身の読書傾向において一貫する要素は何かと考えてみますと、それはかなり単純であり『歴史』であるといえます。
『歴史』関連の書籍に対しての興味・愛好とは小学生の頃から継続しており、その地域、時代に関しては種々変化しましたが、その変化とは内発的なものであり、また、それぞれ(地域、時代には)ある種の関連性、繋がりがあり、それは一つの(個人的な)体系と表現しても良いと思われます。
そして、以上のような認識、自覚に拠って、これまでのところ、どうにかブログ記事の更新が為されているのではないかとも思われるのです・・。
さらに、そうした自覚に立ってみますと、もうしばらくはブログの記事作成を継続することは出来るようにも思えてきます・・(笑)。
ともあれ、今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨年から現在までに発生した一連の地震・大雨・水害といった大規模自然災害によって被災された地域での諸インフラの復旧・回復および、その後の復興を祈念します。』
とはいうものの、同時に日中、書店での物色、立ち読みも行いまた新たに面白そうな書籍を見つけてしまいました・・(笑)。
さて、そこで大変面白いと思うことは、こうした立ち読みにて面白いと感じる書籍を購入した場合、概ね、かなり速いスピードにて読了に至るということです・・。
もちろん、一応その内容は概ね理解しているつもりではありますが、それら書籍とは小説であったり、あるいは学術書に分類されるようなものもあり、多岐にわたると評しても良いのではないかと思われます・・。
そして、そのことから自身が内容を理解しながらもスムーズに読み進めることの出来る書籍の傾向を通じ、何らかの自身の性質・特徴らしきものが看取されるのではないかとも思われるのです・・。
また、それ故、本棚に並んでいる書籍を見れば、概ねその人の背景、学識等を理解することが出来るといった言説が生じるものと考えられます。
しかしながら、殊自身に関しては、どうした理由によるものか、こうした見地にて考え、認識することが困難であるように思うのです・・(苦笑)。
とはいうものの、他方において、そこで看取される(客観的ともいえる)自身の性質・特徴を認識したいという欲求とは、ないわけではありませんので、今後機会を見つけ、そうしたことをもう少し考えてみたいとも思っています・・。
そしてまた、こうした読書傾向の系譜あるいはその経時的な変化について考えてみますと、それはそれで面白く、一方で多少怖い気もしますが、相対的なものとして他者のそれと比較・検討してみますと更に面白い新発見があるのではないかとも思われるのです・・。
また、以前であれば、こうした読書の傾向とは、周囲の方々からの影響を強く受けていた記憶があります。
しかし、近年になりますと特に何らかの必要性がある場合を除き、あくまでも自身が理解し、興味を持って読むことが出来る書籍に集約され、その点において以前と比べますと、読む書籍の分野・傾向とは収束しているとも評し得ます。
とはいえ、この傾向とは今後このまま収束、安定するとも断言出来ず、またそれを望まないといった一面もありますので当面その判断は差し控えます。
しかし他方、自身の読書傾向において一貫する要素は何かと考えてみますと、それはかなり単純であり『歴史』であるといえます。
『歴史』関連の書籍に対しての興味・愛好とは小学生の頃から継続しており、その地域、時代に関しては種々変化しましたが、その変化とは内発的なものであり、また、それぞれ(地域、時代には)ある種の関連性、繋がりがあり、それは一つの(個人的な)体系と表現しても良いと思われます。
そして、以上のような認識、自覚に拠って、これまでのところ、どうにかブログ記事の更新が為されているのではないかとも思われるのです・・。
さらに、そうした自覚に立ってみますと、もうしばらくはブログの記事作成を継続することは出来るようにも思えてきます・・(笑)。
ともあれ、今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨年から現在までに発生した一連の地震・大雨・水害といった大規模自然災害によって被災された地域での諸インフラの復旧・回復および、その後の復興を祈念します。』
2017年8月19日土曜日
20170818 720記事到達・・現在読んでいる書籍の上巻読了から・・
A「今回の記事投稿により総投稿記事数が720に至ります。
これもまたあまりキリの良い数字ではありませんが、700記事に到達後、あまり期間を経ずにここまで至ったように思われます。
また、昨日投稿分の記事は投稿翌日のわりには、これまた多くの方々(37)に読んで頂けました。
くわえて、先日来より読んでおります、ある通史的な文献(上下二巻本)の上巻を本日移動中の電車内にて読了しました。
今後あらためて再読し、その際には重要と思われる箇所、疑問に思ったことなどを赤線引き、記入していこうと考えています。
さて、先日もブログ記事にて書きましたが、通史的な文献とは、その書かれている内容(歴史の流れ)について、ある程度の基礎的な理解を得ていない場合、読み進めることが困難となるため、その読み進める速度とは、小説などと比べますと、有意に遅くなる傾向があると云えます(調べつつ、思い出しつつ読むため)。
とはいえ、この本日読了に至った上巻は、どうにか(理解しつつ)読み終えた実感がありますので『では、その内容への基礎的な理解とは一体どこで得ていたのか?』と考えてみますと、それは主に以前読んだ宮崎市定による一連のアジア史関連の著作にあるのではないかと思われます。
そして、そこからもう少し考えてみますと、本日読了に至った著作(上巻)とは、書店の話題の書籍コーナーに置かれてている傾向があるのですが、その視点、内容の面白さとは日本人の私からみますと『実のところ(宮崎市定の一連の著作と)あまり変わらないのではないか・・?』とも思われてくるのです・・(笑)。
しかしながら、もとより私見にはなりますが、宮崎市定に劣らぬほどに面白いということは同時に『かなり面白い』ということを意味しますので、今後、下巻を出来るだけ安く購入し読んでみようと考えています。
また、それに加えて、先日投稿のブログ記事に取りあげたことに因るものか陸奥宗光著『蹇蹇録』をあらためて読んでみたいと思うようになりましたので、これは後ほど本箱を開けて探してみることにします。
さて、そこからハナシを記事冒頭に戻し、昨日投稿分の記事の関してですが、文系・理系の院における院生の置かれる環境が大きく違うことを自身は経験を通じて実感したわけですが、これは現在考えてみますと『どちらが絶対的に良い』とは(決して)断言できないものであり、どちらもそれなりに(大変)良い面があったように思われます。
また、出来るならば、上記のものを含め、さまざまな経験を持つのが良いと思われるところですが、その意味において、特に医科・歯科系の院において見受けられる(大学とは別の)外部医療機関にて為される研修等が、さらに大学組織との連携を深め、外部医療機関自体にて単位等(複数大学の)を付与・認定出来るようなシステムが構築されるならば、それは若い医療スタッフの流動性を高め、医療スタッフ各個人の望むキャリア・デザインがより柔軟に為されるのではないかと思われ、また同時にこれはあまりムリがないハナシであるようにも思われるのですが、さて、如何でしょうか?
今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨年より現在に至るまでに生じた一連の地震・大雨・水害といった大規模自然災害によって被災された地域での諸インフラの復旧・回復および、その後の復興を祈念しています。』
これもまたあまりキリの良い数字ではありませんが、700記事に到達後、あまり期間を経ずにここまで至ったように思われます。
また、昨日投稿分の記事は投稿翌日のわりには、これまた多くの方々(37)に読んで頂けました。
くわえて、先日来より読んでおります、ある通史的な文献(上下二巻本)の上巻を本日移動中の電車内にて読了しました。
今後あらためて再読し、その際には重要と思われる箇所、疑問に思ったことなどを赤線引き、記入していこうと考えています。
さて、先日もブログ記事にて書きましたが、通史的な文献とは、その書かれている内容(歴史の流れ)について、ある程度の基礎的な理解を得ていない場合、読み進めることが困難となるため、その読み進める速度とは、小説などと比べますと、有意に遅くなる傾向があると云えます(調べつつ、思い出しつつ読むため)。
とはいえ、この本日読了に至った上巻は、どうにか(理解しつつ)読み終えた実感がありますので『では、その内容への基礎的な理解とは一体どこで得ていたのか?』と考えてみますと、それは主に以前読んだ宮崎市定による一連のアジア史関連の著作にあるのではないかと思われます。
そして、そこからもう少し考えてみますと、本日読了に至った著作(上巻)とは、書店の話題の書籍コーナーに置かれてている傾向があるのですが、その視点、内容の面白さとは日本人の私からみますと『実のところ(宮崎市定の一連の著作と)あまり変わらないのではないか・・?』とも思われてくるのです・・(笑)。
しかしながら、もとより私見にはなりますが、宮崎市定に劣らぬほどに面白いということは同時に『かなり面白い』ということを意味しますので、今後、下巻を出来るだけ安く購入し読んでみようと考えています。
また、それに加えて、先日投稿のブログ記事に取りあげたことに因るものか陸奥宗光著『蹇蹇録』をあらためて読んでみたいと思うようになりましたので、これは後ほど本箱を開けて探してみることにします。
さて、そこからハナシを記事冒頭に戻し、昨日投稿分の記事の関してですが、文系・理系の院における院生の置かれる環境が大きく違うことを自身は経験を通じて実感したわけですが、これは現在考えてみますと『どちらが絶対的に良い』とは(決して)断言できないものであり、どちらもそれなりに(大変)良い面があったように思われます。
また、出来るならば、上記のものを含め、さまざまな経験を持つのが良いと思われるところですが、その意味において、特に医科・歯科系の院において見受けられる(大学とは別の)外部医療機関にて為される研修等が、さらに大学組織との連携を深め、外部医療機関自体にて単位等(複数大学の)を付与・認定出来るようなシステムが構築されるならば、それは若い医療スタッフの流動性を高め、医療スタッフ各個人の望むキャリア・デザインがより柔軟に為されるのではないかと思われ、また同時にこれはあまりムリがないハナシであるようにも思われるのですが、さて、如何でしょうか?
今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨年より現在に至るまでに生じた一連の地震・大雨・水害といった大規模自然災害によって被災された地域での諸インフラの復旧・回復および、その後の復興を祈念しています。』
登録:
投稿 (Atom)