2017年8月24日木曜日

20170823 食育と夏場の体臭について首都圏から思ったこと

A「つい先日上巻を読了し、下巻を読みはじめた書籍も今日までに100頁以上にまで至りました(下巻全体の四分一)。

まだまだ先は大分長いですが、同時に思いのほか面白く読み進めることが出来ていますので、この調子にて読了に至ることが出来ればと思います。

さて、本日の首都圏は昨日と同様、日中気温が上昇し、本格的に夏らしい一日となったのではないかと思われます。

さて、以前にもブログ記事に何度か書いたことではありますが、こうした時季にしばらく街中を歩いておりますと、どうも九州在住時の記憶が想起されるようです・・(笑)。

また、それに関連して、つい先日気が付いたことは、さきに書いたような蒸し暑い環境にくわえ、周辺の自然の薫りが濃厚に感じられますと、私の場合、紀伊・和歌山での何処かの記憶が連想、想起されることです。

そして、このようなことをあらためて気が付いてみますと、目で見る視覚と同様、薫りといった嗅覚による環境の認識もまた身体レベルでの(包括的)認識という意味において、かなり重要ではないかと思われるのです・・。

また、この嗅覚による認識とは、近年その重要性が指摘されている『食育』とも、かなり密接な関連があるといえます。

しかしそれと同時に、ここで大変面白く思うことは、特に首都圏において(発汗の多い)夏場の男性の体臭をかなり忌諱するという傾向です。

そのため、男性用の制汗剤、香水などが多く開発、販売そして消費されているのでしょうが、そうした状況の下、この時候の満員電車に乗りますと、さきの体臭よりも男性用の制汗剤、香水あるいはその他香料などの香りの方が強く感じられ、それはそれであまり快適とはいえない環境であるとも云えるのです・・(笑)。

そして、一方において前述の近年その重要性が指摘されている『食育』とは、どうも(夏場の男性の体臭を忌諱する傾向と)本質的あるいは根源的に相矛盾するのではないかと思われるのです・・。

しかし、その反面において、衛生観念および、それに関連する技術の進化発展とは喜ばしいことではあるのでしょうが、どうも我々日本人の場合、そうしたモノあるいは観念を原初の姿から把握しないままで実用性に基づく応用に次ぐ応用を重ねるといった傾向があることからか、多くの場合、どうも変な方向に行ってしまうような傾向があるようにも思われるのです・・(苦笑)。

結句、現在の首都圏における夏場の体臭を忌諱する傾向とは、同じく電車内にて多く見受けられるスマートフォンでのゲームと同様、何やら人間の生来の感覚から逃げだそうとする傾向があるのではないかと思われ、あまり良いものであるとは考えることが出来ないのです・・。

まあ『程度の問題』ではあるのかもしれませんが・・。

ともあれ、今回もここまで興味を持って読んで頂きどうもありがとうございます。
昨年から現在に至るまでに発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被害を被った地域での諸インフラの復旧・回復および、その後の復興を祈念します。」




















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