2017年6月20日火曜日

20170619 白村江の戦いとクリミア戦争・バラクラヴァの戦いから思ったこと・・

A「先日来より読み進めている書籍にて、ようやく7世紀半ば過ぎの『白村江の戦い』の項まで至りました。

そして、この『白村江の戦い』の項を読んでおりますと、どうしたわけか以前に観た19世紀半ば頃の『クリミア戦争』を舞台とした『遥かなる戦場』(原題「The Charge of  the Light Brigade」)という映画が思い出されました。

この映画の題名は、同じ戦争・戦闘を題材としたテニスンによる、どちらかといえば勇壮な同名の詩に基づいており、この映画においては、さきほどの詩の印象(勇壮)とは異なり、平時・戦時における当時の軍上層部の腐敗、無能ぶり、そしてそこから必然的に生じる犠牲のバカバカしさについて特に力点を置いて描かれていたように記憶しています。

この映画が制作された時代背景が多少気になるところではありますが、ともあれ、このクリミア戦争はイギリス・フランス・トルコ側が勝利し、その結果、特に前二国の国際的な力が強まり、後に続く19世紀後半の帝国主義全盛期が齎されたとも云えます。

そしてまた丁度この時期とは、我が国においてもペリー来航により、幕末動乱期(維新回天期)に入ろうとする時期でもありましたので、この19世紀半ばとは、世界史、日本史的に見ても共通して一つの大きな時代の変革期であったのではないかと思われます・・。

またそれはさきに書いた『白村江の戦い』においても同様であり、この戦争での惨敗を機に、そこから惹起される外圧意識により我が国(倭国)は内乱等を経て本格的な中央集権体制へと移行したと考えられています。

それ故、当然ではあるのでしょうが、我が国も直接、間接を問わず国際間にて生じる出来事から多大なる影響に受けており、それは現在もまた同様であると云えます。

その意味で、現在の東アジアの状況とは、今後、如何なる状況への進展に結び付くのかとはやはり多少気になるところです・・。

とはいえ、そこまでハナシが大きくなりますと、あまり具体的なことは分かりませんので書きませんが、しかし少なくとも現在およびその(少し)先の未来とは、おそらく我が国の前世紀後半に見られたような、さまざまな事物の社会での急激な増加、浸透といった時代ではなく、何においても量から質への転換が図られる時代になるのではないかと思われます。

多くの事物において、その『量』とは、それぞれ測定、数値化され、比較検討すること、ひいては一般化することが容易ではあるのですが一方、その『質』となると、なかなかそのようには行かないのではないかと思われるのです・・。

さまざまな事物がその質においても、同様の手法にて、それぞれ何らかの要素による測定、数値化が為され、比較され、その大小によって良し悪しが判断、決定されるようになりますと、それはこれまでもそうであったように、無意識ながら次第に人間それ自身にまでもおよび、結果的に人間のみが持つとされる特質である創造性が壊死してしまうおそれも少なからずあるのではないでしょうか・・?

あるいは、そこで創造性を担保、保持するため、他に対する嗜虐性を強化することもまたあるのではないかとも考えます・・(これは案外新しい意見かもしれない・人身御供の起源?)。

とはいえ、そうした状況において、それぞれの民族、国民が持つ歴史、文化によって、その反応が変わってくるのではないかと思われます・・。

そのことから、やはり歴史、思想などもまた重要であるものと考えるのです・・。

今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

去る2016年、
熊本、山陰東部、福島県周辺にて生じた地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、その後の速やかな復興を祈念しております。」









20170602 ラッセルにはじまりコンラッドに至るまで・・M2病の妄想?

昨日分の投稿記事は、投稿翌日にしてはここ最近珍しいほど多くの方々に読んで頂けました。とはいえ、相変わらずその理由は分かりません・・(苦笑)。
しかし、一つ思い当たるのは、やはり抜粋引用した書籍が良かったのではないかということです・・。

そのことから、さきほど、この著作の頁を繰ってみますと、あちこちに赤ペンで線が引かれており、その痕跡を辿ってみると、どうやら過去の私は、この一連の著作(全三巻)のうち二巻目の半分ほどまでは読んでいたようです・・。

また、さらに遡って、何故当時ラッセルの著作を読むようになったのかと考えてみますと、それは以前もブログ記事にて書いたと記憶しておりますが、修士課程院生時の議論にてよく出てきたからであると思われます・・。

この当時は当然の如く、主に民俗学、考古学関連の書籍を読んでおりましたが、それだけではどうも自身の述べる事柄の論拠が乏しいと思われたのか、こうした思想、哲学関連の著作をも読む習慣が身に着いたのではないかと思われます・・。

ちなみにこうした議論を通して知り、自分なりにある程度精読した記憶があるのはオルテガ、フレイザー、バタイユ、コンラッドなどであり、中でもコンラッドに関しては、その著作『闇の奥』(Heart of Darkness)になみなみならぬ関心を抱き、当時その和訳が岩波文庫版と市場に出回っていないものの二種があり、前者に関しては既に入手、既読であったのですが、後者を手に入れるために、自分なりに苦心した記憶があります・・。
加えて、当ブログにおいて一記事として抜粋引用している著作(闇の奥)冒頭部分をそれまでの研究にて知り得た古代史、紀伊半島の歴史に当て嵌めて、さきの議論あるいは雑談などの際に述べていたことが思い起こされます・・(苦笑)。
それは以下のように・・

『僕は大昔のこと、我が国の初代天皇(大王)に率いられた一団がここにやってきた頃のことを考えていたんだ・・ついこの間のことのようにね・・。
そしてあとの時代、この紀の川の河口から髪を角髪(みずら)に結い、胡服に身を包み、直刀を杖立てた連中にはじまり、鎧兜姿に太刀を履いた連中がそれぞれ船団を組んでこの港、当時は雄ノ湊とか徳勒津とか云ったらしいけれども、そこからさまざまな事情を背負いつつ出立して行ったわけだが、それはね、青々とした水田、畑を走る一陣の風あるいは一瞬の稲妻のようなものなんだ・・。
われわれ人間の生なんてはかないものだーせいぜいこの古ぼけた地球が回り続けるかぎり、それが続くことを祈ろうじゃないか。
しかし、我々が今でも知り得ない世界はついこの間までこのあたりを覆っていたんだ・・。
まあ想像してもごらんよ、九州の東海岸にいた航海術に長けた連中が・・そうそう、そういえば当時の我が国には、外洋航海を目的とするような構造船はなくて、大型の丸木舟に舷側板を立てたような船だけであったらしいけれども、そうした船で瀬戸内海を東に抜けて今の大阪か奈良あたりに向かうと決まった時の気持ちをね・・。
それはいわば、自分達とは全く違う不可解な形をした青銅祭器を祀っているような連中の間を抜けて・・いや、そうした連中の真っ只中に行くわけなんだが、それでもこの当時九州東海岸にいた連中はとても勇ましかったようで、ものの本などによると、古代有数の軍事部族であった大伴氏や佐伯氏などは、ここに出自を持っているらしいのだがね・・。
ともあれ、彼等がこのあまり堅牢とはいえない、まあ準構造船とでも云えるような船に兵糧・武器その他あれこれを積んで、どうにか瀬戸内海を抜け、そうだな当時の大阪、河内平野一帯に広がっていた潟湖である河内湖に入り、その流れ込みの淀川のデルタ地帯に上陸したところあたりを想像してみたまえ・・。
砂州、沼沢、故地とは違った植生の森林、自分達とは異なるイントネーションの言語、衣服・・それまで自分達が慣れ親しんだ文化が見当たらなく、陸に上がっても狡猾な罠があったり、毒矢で射られたりして、この航海で見知った仲間達が日を追って減っていったに違いない・・。
こうした環境では、水、森林、草原、藪のなかにも、死がそっと潜んでいるのだ。
だが、もちろんそれでも彼等は特に思い惑うこともなく上陸地点を慎重に選定しながら、時には敵対部族とも戦いながら、更なる航海を続け、また上陸後は上陸後で険しい山道を通り抜け、どうにか目的地に達することが出来たのであろう・・。
彼等こそがこうしたまったく見知らぬ土地に立ち向かうに十分な強さを備えた連中だったのだ。
そして、もし、この一連の長く続く航海、在来部族との諍い、そして、この慣れない気候風土を生き抜いたあかつきには、この航海の目的地でもあり、そして、いずれは此処が己が居地ともなることもあろうという思いに元気づけられることもあっただろうよ・・。』

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。


昨年に熊本、山陰東部、福島県周辺において生じた地震によって被害を被った地域の出来るだけ早い諸インフラの復旧、そして、その後の速やかな復興を祈念しております。

2017年6月18日日曜日

20170618 具体・抽象への書く文章のブレが生じる要因(未だ不可知なもの)

A「昨日は一件は書籍からの抜粋引用でしたが、二件の記事投稿を行ったことによってか、本日これまでの閲覧者数は思いのほか多くなりました(300程度)。

また、本日に関しては、昨日二件の記事投稿を行ったことにより記事投稿は止めておこうとも考えましたが、一方で、何も書かないでおくのも気持ちが悪いことから『とりあえず何かしら書いてみよう・・』と思い立ち、現在こうして記事作成を試みている次第です・・(苦笑)。

さて、先日来より読み進めている書籍も頁数半分以上にまで至り、そこに書かれていることの多くは、これまでの研究成果によってか、かなり明瞭、具体的な記述となっており、大変勉強になります。

また同時に、こうした書籍を読みますと、当然ではあるのでしょうが、自身がかつて興味を持ち、ある程度文献、書籍を読んだと云える分野での研究が、その後も進展していることが実感出来ます。

さらにまた、こうした経験を得ることにより、自身もまた、さまざまなことに対する興味関心が新たに湧いてくるとも云えます・・。

そして、これまでの経験から、それは直ちに自身のブログ記事の題材としては生かされないものの、ある程度時間が経ってから、何かしら新たな記事着想のタネとなる傾向があるものと云えます・・。

また、自身がこれまでどうにか記事作成を継続出来ている一つの原因とは、ここにあるのではないかとも思われるのです・・。

またその一方で、無用な、もしくは悪意ある詮索を避けるため、仕事上のことは、あまりブログ記事の題材にはしないことにしておりましたが、これは現在になり振り返って考えてみますと、少なくとも悪くない選択であり、これまでの作成記事の主たる題材とは、自身の(数年前の)経験、読書に基づいたものであったからこそ、あまり多くの閲覧者数を得ることが出来ないにしても現在まで記事作成を継続することが出来たのではないかと思われるのです・・。

これもまた一つのブログ記事作成を継続させる手法ではないかとも思われます・・(笑)。

あるいは、こうした手法での記事作成に慣れることを通じて、仕事上でのことを記事として書く必要性が生じた場合、あまり痛痒を感じることなく作成することが可能になるとも云えるのかもしれません・・。

何故ならば、一般的に
文章を書く場合、具体的な出来事などを書く方が抽象的な考えなどを書くよりも書き易いと思われますので・・。

一方、読み手として考えてみますと、一般的に我々は考え・想念などを文章にて辿るような抽象的、思弁的な文章よりも、具体的な記述内容を持つ文章の方が分かり易く、理解し易いといった傾向があるように思われます。

また、それ故に当記事冒頭に挙げたかつて自身が面白く、勉強になると感じた研究分野においてその後、研究が進展していることが理解し得たとも云えるのではないでしょうか?

おそらく、こうした一つの要素・分野毎の抽象・具体への志向およびそれに付随する書く文章の(抽象、具体への)ブレとは、何かしら未だ自身にとっては不可知な要因によって循環しているのかもしれないと考えさせられます・・(笑)。

果たして今しばらく書き続ければ何かが分かってくるのでしょうか(笑)?

ともあれ、今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年2016年、熊本、山陰東部、福島県周辺において発生した地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の速やかな復興を祈念しております。」




20170617 其の2 筑摩書房刊 山田風太郎著『昭和前期の青春』pp.171-174より抜粋引用

筑摩書房刊 山田風太郎著『昭和前期の青春』pp.171-174より抜粋引用
ISBN-10: 4480433317
ISBN-13: 978-4480433312

『弱肉強食は生物の原則で、同時に人間の原則だ。形は変わっても、この原則は永遠に変わらない、という強食派に対して、そんな原則をほしいままにさせないのが人類の進歩だ、と弱肉派がいう。
実は私は個人の素質としては弱肉派のほうだから、こちらに拍手を送りたい。
出来ればその陣営の人となりたい。が―例の低音がいう。
少なくとも日本を弱肉の地位に置かないように渾身の努力をはらうのが、子孫に対するいまのわれわれの義務ではあるまいか。―そもそも、資源なく人間のみひしめく日本という国は、何らかのかたちで他を侵略しなければ生存可能因果な国ではないのか。
ある国が攻めて来たら、どうせ叶わないのだから、威厳をもってただちに降伏すればいい、という論があった。
しかし降伏すれば、それで一件落着、万事大団円とは参らない。こんどはその国の敵国から容赦なく攻撃を受けることになるだろう。
だいいち降伏という事態に威厳を持つことなんか出来やしない。勝利者がそんなことは許さないのである。それは言葉のアヤに過ぎない。
そもそも一国をあげて粛々と降伏するには、国民すべて一つの宗教的信念に徹していなかればならないが、いったい日本人がそんなかたちの宗教民族になれるだろうか。
それどころではない、世界にさきがけて不戦の憲法を持つことすら、ニンに過ぎたことではなかったろうか?
いまそれを支持する国民が大半ではないか、という論に対して、それはただ眼先の泰平に酔い痴れているだけの怠け者のねごとに過ぎない、と低い声がいう。
こんな問答は、何か事が起こらなければ決着のつかない、果てしのない水掛論に過ぎない、とは思うが、いやそう水掛論といっても片付けてもいられない、とも考える、事が起こってからではもう遅いのである。
二年や三年で一応訓練出来る刀と鉄砲だけの戦争の時代ではないのである。
また、突如発作的に大々的軍備に踏み切れば、それこそそのこと自体が事を起こすもととなる。
やるなら、むしろ無用時に、ある水準までの備えをしておかなければならないのではないか、とも考える。
これはとうてい戦中派とか戦後思想とかの次元で論じられる問題ではない。
くり返すが、日本民族はこれから何千年も何万年も生存してゆかなければならないのである。
その間、すべてのことにおいて、ほかの民族に、せめて出来るだけピッタリくっついてゆくことがそのための条件ではあるまいか。
ひとり、あんまり変わった方法で生きながらえゆこうというのは、虫がよ過ぎ、ウヌボレ過ぎ、夢想が過ぎ、はては「非合理」なのではあるまいか。
しかし、しかし、しかし。―
実際問題として、本格的再軍備というのは至難でしょうなあ。私はいまの日本人の男性でさえ再軍備賛成論者は50%に満たないと見ている。
女性のほとんどすべては反対論だろう。その理由のきわめて大きな部分は、現在の酔夢をさましたくないという願望であるにしろ、何といっても軍備らしい軍備なくして過ごして来た「日本の黄金時代」の記憶は決定的である、そしてまたそういう国民から生まれた軍隊が、たとえ何兆円の金をかけようと物の役には立つとは思われない。
「戦中派」の正確な定義はよく知らないが、私はあの戦争中、学校でいえば中学生から大学生までの年齢期にあった人間だと解釈している。
その年齢だから、ある意味でいえば、戦中派は戦争をひき起こした責任はない。
その戦中派も今や老いつつあるが、彼らは戦争に対してではなく、戦後自分たちの子供の教育に過ちを犯したのではなかろうか、と疑うことがある。彼らは戦中の苦難を子供に語る。しかし考えてみれば右の理由で、その苦難はみずから求めたものではなく、いつのまにか落とされた運命であって、自慢出来る苦労話ではない。それがわかっているから、実は、いうことに自信がない。子供は親のうしろ姿を見て育つ。子供は戦中派のうしろ姿を見て、あまり感心しないのである。
私にしてすら、事実はこの未曾有の泰平の日々を、安逸の中に沈んでいるのである。
庭に野鳥が来る。はじめ残飯パンのたぐいを与えていたが、次第に鳥の数がふえ、餌をアテにしてやまないので、いつしか新しい米やパン粉を盛大にまいてやるようになった。
それで庭に大きくバカという字を書くと、鳥がバカの字なりにならんで食べている。
それを二階の書斎から双眼鏡で見て、終日暮らしていることもあるのである。
ただ、そんなとき、あのガダルカナルの戦いの日本兵に、この米、このパン粉をやっていたら、あるいはーなど、ふっと頭に浮かばせながら。
「不戦日記」はすでに遠くなりにけり、か、いまだ遠くはなりゆかず、か。―』

20170617 昨年この時期作成のブログ記事および知人からの電話にて思ったこと・・

昨年の丁度この時期に作成したブログを読んでみますと『季節の変わり目故かブログ記事作成が困難である。』といったことが書かれておりましたが、たしかに今の状況もまたブログ記事作成がなんとなく面倒に感じております・・(苦笑)。

加えて、思い返してみますと、一昨年のこの時期とは、まさしく文章作成が出来ないことで悩んでいた時期でもあり、その打開策として一連のブログ記事作成を始めた頃ですので、やはり春~夏の季節の変わり目という、この時期とは、私の場合、文章作成に対しては良い影響をもたらさないのかもしれません・・(苦笑)。

とはいえ、その一方で一昨年、昨年と比べてみますと、その状況は幾分かは良くなっているように感じられます。

そして、こうしたことを実感として感じられることが継続的なブログ記事作成が生み出している効果であるのかもしれません・・。

また、今後さらに記事作成を継続することによって、果たして、この実感とは大きなものとなり、さらには一つの自信として体得出来るようになるのでしょうか・・?

しかし、何れにせよ、記事作成を継続することが前提であり、大事であると思われますので、もうしばらくはこれを継続しようと思います・(笑)。

さて、本日かなり久しぶりに文系院時代の知人から電話がありました。

久しぶりということもあり、割合長い時間話しましたが、以前と変わらずお元気そうな様子であり安心しました・・。

また、思い返してみますと、先月末から本日のこの電話に至るまで「どうしたわけか、ここ最近は文系院の方々との連絡が多いな・・。」と思うところです・・(笑)。

とはいうものの、こうしたことの背景には一体どのような原因、力が作用しているのかとは今もって理解しかねるところではあるのですが・・。

私としては、どうしてもそれらは単なる偶然とは思えないのです・・(笑)。

そして今現在の段階では科学的には立証出来なくとも、同時に迷信ではない、何かしらの法則性、関連性をもった事象、出来事とは、まだまだ世の中には多く存在するのではないかと思うのです・・。

あるいは理系的な物言いでこうした事象、出来事を表現する場合「それは統計学の領域ではないかな・・?」といった感じになるのかもしれませんが、統計学でもまた、人の行動ではなく、さらに奥にある内面における(真の)傾向を看取、見出すことは困難であると考えます・・。

こうしたことは、おそらく、この記事を読んで頂いている方々の多くもまた、ご理解して頂けるのではないかと思います・・。

そして、こうした内面における何かしらの傾向、特徴を看取するためには、やはり古今東西の文献、モノガタリ、小説などをなるべく能動的に多く読むことが大事であり、理系であれ、文系であれ、本質的に『学ぶ』とは、そうした『人の世』に関する特質、核なるものを能動的な態度にて看取、見出すことを目指したものではないかと思われるのです・・。

今回もまた、ここまで興味を持って読んでくださり、どうもありがとうございます。

昨年
に熊本、山陰東部、福島県周辺にて生じた地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、その後の速やかな復興を祈念しております。











2017年6月17日土曜日

20170617 現在読んでいる書籍から・・

つい先ほど帰宅しましたが、本日は大変長く感じる一日であり疲れました(笑)。

そのことから、本日は記事作成を止めて、早めに休もうと考えておりましたが、ブログの閲覧者数をチェックしてみますと、本日もまた三ケタの方々に読んで頂いていたことから、にわかに気を取り直し、現在こうして記事を作成している次第です・・(苦笑)。

さて、現在読んでいる書籍に書かれていたことであり、また以前にブログ記事として抜粋引用した書籍においても書かれていたのですが、古代4、世紀頃の朝鮮半島では、その南端に任那、伽耶といった国があり、その北部の西部に百済、東部に新羅が位置していたのですが、この南端の任那、伽耶とは、あまり統一的、中央集権的な王権、国家体制らしきものが確立されなかったようであり、それと同時に対馬海峡を挟んだ南隣の倭国とも交易を盛んに行っており、当然の如く人の行き来も盛んでした。

おそらくこの当時、朝鮮半島南部と北部九州の間には、かなり似通った、共通した文化らしきものがあったのではないかと思われます・・。

しかし後年、朝鮮半島のさらに北方に位置する高句麗が強大化するに及び、その南隣諸国(百済・新羅)もまた圧迫を受け、あるいは刺激され、統一、中央集権的な王権が確立されていなかった任那、伽耶国土を蚕食することとなり、そのことから対馬海峡を挟み南隣に位置する倭王権が任那あるいは百済の要請を受け、海外派兵をすることがたびたびあった。

こうした派兵の際、指揮、統率者として倭王権豪族である紀氏、大伴氏某などが赴いたと考えられている。

また、彼等の中には半島での戦いにおいて功績を上げた者もおり、北東アジア騎馬文化の香りが濃厚に感じられる馬冑が出土した和歌山市大谷古墳の被葬者も、おそらく、そうした史的背景に立つ人物ではないかとされている・・。

加えて、以前投稿した『ラッセルにはじまりコンラッドに至るまで・・M2病の妄想?』にて描いた世界、光景とは、こうした史的背景を一つの基盤としている。

今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。


去る2016年、
熊本、山陰東部、福島県周辺において発生した地震によって被害を被った地域の出来るだけ早い諸インフラの復旧、そして、その後の速やかな復興を祈念しております。」





















2017年6月15日木曜日

20170615 継続的なブログ記事作成のモデル化、たとえ・・勢い・着想・文章化?

本日これまでのブログ閲覧者数もまた200近くとなっていました・・。

しかし650記事を超えると閲覧者数が有意に増加するといったことは、これまでに聞いたことがありませんので、これには、その他の分からない要因が作用しているのかもしれません・・。

とはいえ、そのようなことを気にしていても記事の着想などはあまり湧くことはないと考えますのでハナシを変えることにします・・(笑)。

そういえば、普段はあまり考えないことではあるのですが、ここ最近『私は一体誰に対して読んでもらおうと記事を作成しているのだろうか?』と不図思うことがあります。

こうしたことはあまり考えないでいる方が記事作成は捗るのですが、しかし一方、あまりにも考えないでいると、今度は何と云いますか、記事を書く際の焦点がブレることにより記事、文章を書く際に必要な『勢い』が徐々に減衰していくのではないかとも思うのです・・。

一方、こうした公表を前提とする文章を書く際に『勢い』など必要ないという考えもあるかもしれませんが、おそらくそれは間違いであると考えます・・。

たとえどのような識者であろうと、文章を書く際においては、この『勢い』そしてその日毎の持続がなければ、ある程度の長さの文章の継続的な作成とは、為し得ないのではないかと思われます・・。

また、継続的なブログ記事作成とは、この『勢い』を毎日『絞り出す』もしくは『湧き出すのを待ち』作成していることになるのですが、おそらく、この行為(絞り出す・待つ)が意外と疲れるのではないかと思われます・・(苦笑)。

つまり、少し極端に書きますと、この『勢い』が得られたならば、あとは適当と思われる『着想』を途中で推敲を入れつつ文章化すれば、ブログ記事程度としては、ある程度まとまったものにはなるのではないかと考えられるのです・・。

そうしますと、今度は『では『着想』はどうするのだ?』といったことになるかもしれませんが、おそらく『着想のタネ』とは常時精神内部を浮遊していて、それがこの『勢い』に反応、凝固し文章化するようなメカニズムではないかと思われるのです・・。

それは丁度、冷水で満たされた円筒管の外側に沿って、零度以下に冷やされた冷却リングがゆっくりと移動するような状態をイメージして頂ければと思います。

そうしますと円筒管内の冷水は冷却リングの内側に近い部分だけが急速に凍結凝固します。

このようにして冷水にて満たされた円筒管の内側では、冷却リングの移動に伴い、凍結部位もまた移動することになります。

そして冷却リングが通り過ぎた後では再び凍結部位は溶けて冷水に戻るのです・・。

このたとえでは円筒管内の水が着想のマトリックスとなる精神であり、凍結凝固という作用が文章化を意味し、移動する冷却リングが凍結凝固という作用を生みだす勢いといった感じになるのではないかと思われます・・。

あまり上手いたとえではないかもしれませんが、自身としてはそのような感じではなかろうかと考えております・・(笑)。

しかし他方においては、昨日挙げた著作を読み進めていて、そこで分からない、気になる部分がいくつかありモヤモヤしているのもまた今現在の状態でもあるのです・・(苦笑)。

とはいえ、今回もまた、ここまで興味を持って読んでくださってどうもありがとうございます。

昨年である2016年
、熊本、山陰東部、福島県周辺において生じた地震により被害を被った地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の速やかな復興を祈念しております。