A「先日ブログ記事にて記した2010年の出来事とは、その後の2011年に入り、多少は自身に対しても影響を与えたようであり、各々の期間に撮影された自身の写真などを見ますと、何かしら異なった印象を受けます・・。
そして、このように多少年代記的に自身のことを書いてみるのもまたなかなか面白いものであることが理解できました・・(笑)。
こうしたことは日常生活においてあまり意識することはないと考えますので・・。
また、そのように考えてみますと時間の経過とは、一般的に云われるように残酷であると同時に、意識してみますとなかなか面白いこともまたあるようにも思われます・・(笑)。
さて、こうしたことを書いておりますと、想起されるのはトーマス・マン著「魔の山」であり、この著作においては、主人公が従兄のいるスイス・ダヴォスの療養所を訪れてからの数カ月間に多くの文量が割かれ、それに対し、その後、療養所を去るまでの期間はどちらかというと飛び石的に描かれております。
このことは、著者自身その著作内にて意識の流れと関連させ述べており、またトーマス・マンに心酔していた北杜夫も、その著作「楡家の人びと」のなかで、さきのトーマス・マンと類似した見解を述べておりました・・。
とはいえ、こうした意見、見解が普遍的であるかどうかは分かりませんが、私にとっても2009~2013年の鹿児島在住期間においては、たしかにその前半といえる2009~2010年の期間においてさまざまな出来事が大挙して生じており、この意見、見解にある程度合致しているといえます。
それに比して、後半である2011~2013年とは、どちらかというと前半の期間に生じた出来事から派生、対応するようなカタチで、また、さまざまな出来事が生じていたように思えます・・。
とはいえ、こうしたことは畢竟、感覚的なことでありますので、その判断(実際にそうであるのか?)とは、なかなか難しいように思いますが、さて如何でしょうか?
しかしながら、ヒトはこうした年代記に類することを述べる際、たとえ無意識あるいは結果的であったとしても、上記のような何かしらの観念的な基軸あるいは物語のスジといったものを採用しなければなりません・・。
そうでなければ、それは単なるグラフ的な年表といえるでしょう・・。
そのように考え、私の鹿児島在住期間を当て嵌めてみますと、前半に生じた出来事を後半に生じた出来事に対応させるカタチにて述べるのが適当ではないかと思われるのですが、そのような場合、どうも記述の手法において心もとなさをおぼえるため難しいように思われるのです・・(苦笑)。
また、個人的には後半である2012年以降に生じた出来事の方が自身に与えた影響は大きかったのではないかとも思われますので、それぞれ記しながら、その都度、それらの関連性について示唆していくのが適当ではないかと考えるに至ります・・。
ともあれ、今後もまた、機会がありましたら、それら期間での出来事を記していきたく思います。
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨年発生した熊本、山陰東部、福島周辺での大地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」
2017年1月15日日曜日
20170114 2010年の出来事について・・
本日の首都圏は大変気温が低く、これまでとはまた異なった感じの寒さを感じさせました。
また、最近投稿したブログ記事に関しては何故か2010年のことを扱ったものが多かったことから、この年の出来事を思い起こしてみますと、この時期は所用により色々と移動をしていたことが分かりました・・。
おそらく友人が鹿児島に訪ねて来て頂いたのが9月頃であり、その後10月はじめ、東海地方にて学会が開催(この際、熱田神宮に講座先輩院生の方々と参拝した)され、それに出席、発表し、そして鹿児島に戻った翌日には師匠と講座の方々で韓国岳(2010・10/11)に登っておりました・・(笑)。
さらに翌月の11月初頭は学会発表にてインドネシアのジョグジャカルタに行っておりました・・。
そして、このインドネシアへの行き来の旅中とはムラピ山の大規模な噴火により、なかなか波瀾に富むものでありました・・。
ちなみにこの旅では関西国際空港から飛行機が飛ぶため、鹿児島を出発し、大阪なんばにて一泊することになりましたが、このインドネシアへの出立の前夜(なんばにて一泊する日)南海電車にて南下し、何の目的もなく和歌山市駅まで行き、夕刻のぶらくり丁を徘徊し、刺田比古神社に参拝したことが思い出されました・・(笑)。
ついでながら、この旅中読んでいた書籍は、訪問国と物語の主要な舞台が同一であることからローレンス・ヴァン・デル・ポスト著「影の獄にて」(「A Bar of Shadow」)を選んでおりました・・。
ともあれ、このようにあらためて思い起こしてみますと、この時期2010年の後半とは、さまざまな出来事が大挙して押し寄せてきたような感じがあったように思われます・・。
また、それは続く2011、2012年の前哨戦のようなものであったのかもしれません・・(笑)。
これらの年のことは、また後日、機会があった際、想起すると思われますが、これらもまた自身にとってはなかなか重要な年々でした・・。
特に講座の先輩院生方が修了され、私一人が院生として講座に在籍していた2012年以降とは、現在になり考えてみますと、大変ではありましたが、それ以上に得るものもまた大きい期間であったのではないかと思います・・。
そして、そのように考えてみますと、果たして現在の私とは、その時(2012年~)に比べ成長しているのであろうか?と考えてしまうのですが、こうしたことを考えてみても、当時とは色々と局面が異なるため、あまり意味はないのではなかろうかと思い、とりあえず、こうした疑問は棚上げしておこうと思うに至ります・・(苦笑)。
しかし、一つおそらく成長していると思われることは、こうした文章を継続的に書くということであると思われます・・。
とはいえ、これもまた自身の内的な必要(衝動に近い)に迫られて継続しているものであり、その意味において、単にその衝動の質、相が異なるものになっただけとも云えるのかもしれません・・(苦笑)。
そして、それは成長や進化といったいわゆる前向きなものであるとは決して言い切れません。
無論、逆もまた然りではありますが・・。
さる熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。
また、最近投稿したブログ記事に関しては何故か2010年のことを扱ったものが多かったことから、この年の出来事を思い起こしてみますと、この時期は所用により色々と移動をしていたことが分かりました・・。
おそらく友人が鹿児島に訪ねて来て頂いたのが9月頃であり、その後10月はじめ、東海地方にて学会が開催(この際、熱田神宮に講座先輩院生の方々と参拝した)され、それに出席、発表し、そして鹿児島に戻った翌日には師匠と講座の方々で韓国岳(2010・10/11)に登っておりました・・(笑)。
さらに翌月の11月初頭は学会発表にてインドネシアのジョグジャカルタに行っておりました・・。
そして、このインドネシアへの行き来の旅中とはムラピ山の大規模な噴火により、なかなか波瀾に富むものでありました・・。
ちなみにこの旅では関西国際空港から飛行機が飛ぶため、鹿児島を出発し、大阪なんばにて一泊することになりましたが、このインドネシアへの出立の前夜(なんばにて一泊する日)南海電車にて南下し、何の目的もなく和歌山市駅まで行き、夕刻のぶらくり丁を徘徊し、刺田比古神社に参拝したことが思い出されました・・(笑)。
ついでながら、この旅中読んでいた書籍は、訪問国と物語の主要な舞台が同一であることからローレンス・ヴァン・デル・ポスト著「影の獄にて」(「A Bar of Shadow」)を選んでおりました・・。
ともあれ、このようにあらためて思い起こしてみますと、この時期2010年の後半とは、さまざまな出来事が大挙して押し寄せてきたような感じがあったように思われます・・。
また、それは続く2011、2012年の前哨戦のようなものであったのかもしれません・・(笑)。
これらの年のことは、また後日、機会があった際、想起すると思われますが、これらもまた自身にとってはなかなか重要な年々でした・・。
特に講座の先輩院生方が修了され、私一人が院生として講座に在籍していた2012年以降とは、現在になり考えてみますと、大変ではありましたが、それ以上に得るものもまた大きい期間であったのではないかと思います・・。
そして、そのように考えてみますと、果たして現在の私とは、その時(2012年~)に比べ成長しているのであろうか?と考えてしまうのですが、こうしたことを考えてみても、当時とは色々と局面が異なるため、あまり意味はないのではなかろうかと思い、とりあえず、こうした疑問は棚上げしておこうと思うに至ります・・(苦笑)。
しかし、一つおそらく成長していると思われることは、こうした文章を継続的に書くということであると思われます・・。
とはいえ、これもまた自身の内的な必要(衝動に近い)に迫られて継続しているものであり、その意味において、単にその衝動の質、相が異なるものになっただけとも云えるのかもしれません・・(苦笑)。
そして、それは成長や進化といったいわゆる前向きなものであるとは決して言い切れません。
無論、逆もまた然りではありますが・・。
さる熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。
2017年1月12日木曜日
20170112 510記事 書籍などの電子化について・・
A「昨今は多くの雑誌、書籍そして書類が電子化される傾向によってか書籍全般の売り上げが落ちてきていると聞きます。
こうした電子化によって実体としての書籍を購入する必要がなくなることから生じる影響とは、如何なるものであるか私には分かりませんが、やはり私見としては、実体としての書籍、書類が存在しないと、どうも不安になってしまいます・・(苦笑)。
あるいは、そういったものとは目的に応じ、それぞれ(実体としての書籍、書類、電子化されたもの)を使い分けすれば良いのであるかもしれませんが、そうなりますと、今度はその「目的」が当初より明確化されることにより不具合、不都合などが生じることが予想されます・・(苦笑)。
このように書いておりますと、実際にそうした局面に立っていないにも関わらず、あれこれ考えるのもあまり意味がないのではないかと思うに至り「その問題は棚上げしておこう・・。」となります。
とはいえ、そうした技術的な変化によって元来の書籍を読む習癖に良からぬ変化が生じるかもしれないと考えますと、多少問題は変わってきます・・。
しかしながら、現在こうして書いているブログ記事も、正確には筆記の意味で書いているのではなくキーボードにて文章を入力しているのです・・。
私がはじめてキーボードにて文章を入力することをおぼえたのはまさに前世紀末であり、その頃はそれなりに違和感を感じており、また「何故、キーボード入力であると文章が浮かんでこないのであろうか?」といった感覚をおぼえていたこともまた思い起こされます・・。
そのことから、私とは、文章を書くことを筆記にておぼえ、そして徐徐にキーボード入力に慣れていったということになります。
また、現在においても場面、目的によっては筆記をも行っており、実際に一連の当ブログ記事初期段階では筆記による下書きからキーボード入力を行い記事を作成しておりました・・。
しかし、面白いことに、ある程度記事を書いておりますと、自身のブログ記事に対する敷居が下がったのか、徐々に下書きなしの直接入力にて記事を作成するようになっていきました・・。
これは昨年の出来事ですので、一概にそれを進化と「のみ」見做すことは出来ませんが、ただ、この程度の年齢になっても色々と順応による変化が生じることは理解できました・・(笑)。
それ故、さきの電子化された書籍に対する危惧云々も、こうしたスタンスにて考えてみれば「自然と収まるところに収まるのであろう・・。」と思うに至ります・・(笑)。
しかし、そこで問題になるのは、その後の実体であれ電子化されたものであれ書籍にて得た「何か」(感覚や知識ではなかろうか?)の実体としての身体への定着の程度です・・。
あるいは、そうした傾向全体から生じる社会への影響です・・。
これは昨今のニュースなどを見聞きしておりますと、何やら良からぬ要素もないことはないのではなかろうか・・?と多少マジメに考えさせられるのです・・。
また元来書籍を読む習癖が定着していない場合においては、その影響もまた大であり、そのことから社会全体における知性?の壁のようなものが、より一層明確化されてしまうのではないかといった危惧も生じ得ます・・。
その意味において「知性」といったものは最先端の機器操作に習熟出来る柔軟性である一方において、その芯あるいは核となる要素とは、あくまでも、我々の原初より続く文明を繋いできた生命の灯の延長上に存在する、いわば「原始的な何か」ではなかろうか・・?と考えさせられるのです・・。
また同時に、それこそがさきの柔軟性をも担保するものではないだろうか・・?とも考えます・・。
そして、現代の社会において忘れてきつつある要素とは、一つにはこういったものではないでしょうか?
その意味で、現代の我々とは、見ようによればオデュッセイアでのロートパゴス(蓮喰い)族の島に漂着したような状況であるのかもしれません・・(笑)。
今回もここまで興味を持って読んで頂いてどうもありがとうございます。
さる熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」
こうした電子化によって実体としての書籍を購入する必要がなくなることから生じる影響とは、如何なるものであるか私には分かりませんが、やはり私見としては、実体としての書籍、書類が存在しないと、どうも不安になってしまいます・・(苦笑)。
あるいは、そういったものとは目的に応じ、それぞれ(実体としての書籍、書類、電子化されたもの)を使い分けすれば良いのであるかもしれませんが、そうなりますと、今度はその「目的」が当初より明確化されることにより不具合、不都合などが生じることが予想されます・・(苦笑)。
このように書いておりますと、実際にそうした局面に立っていないにも関わらず、あれこれ考えるのもあまり意味がないのではないかと思うに至り「その問題は棚上げしておこう・・。」となります。
とはいえ、そうした技術的な変化によって元来の書籍を読む習癖に良からぬ変化が生じるかもしれないと考えますと、多少問題は変わってきます・・。
しかしながら、現在こうして書いているブログ記事も、正確には筆記の意味で書いているのではなくキーボードにて文章を入力しているのです・・。
私がはじめてキーボードにて文章を入力することをおぼえたのはまさに前世紀末であり、その頃はそれなりに違和感を感じており、また「何故、キーボード入力であると文章が浮かんでこないのであろうか?」といった感覚をおぼえていたこともまた思い起こされます・・。
そのことから、私とは、文章を書くことを筆記にておぼえ、そして徐徐にキーボード入力に慣れていったということになります。
また、現在においても場面、目的によっては筆記をも行っており、実際に一連の当ブログ記事初期段階では筆記による下書きからキーボード入力を行い記事を作成しておりました・・。
しかし、面白いことに、ある程度記事を書いておりますと、自身のブログ記事に対する敷居が下がったのか、徐々に下書きなしの直接入力にて記事を作成するようになっていきました・・。
これは昨年の出来事ですので、一概にそれを進化と「のみ」見做すことは出来ませんが、ただ、この程度の年齢になっても色々と順応による変化が生じることは理解できました・・(笑)。
それ故、さきの電子化された書籍に対する危惧云々も、こうしたスタンスにて考えてみれば「自然と収まるところに収まるのであろう・・。」と思うに至ります・・(笑)。
しかし、そこで問題になるのは、その後の実体であれ電子化されたものであれ書籍にて得た「何か」(感覚や知識ではなかろうか?)の実体としての身体への定着の程度です・・。
あるいは、そうした傾向全体から生じる社会への影響です・・。
これは昨今のニュースなどを見聞きしておりますと、何やら良からぬ要素もないことはないのではなかろうか・・?と多少マジメに考えさせられるのです・・。
また元来書籍を読む習癖が定着していない場合においては、その影響もまた大であり、そのことから社会全体における知性?の壁のようなものが、より一層明確化されてしまうのではないかといった危惧も生じ得ます・・。
その意味において「知性」といったものは最先端の機器操作に習熟出来る柔軟性である一方において、その芯あるいは核となる要素とは、あくまでも、我々の原初より続く文明を繋いできた生命の灯の延長上に存在する、いわば「原始的な何か」ではなかろうか・・?と考えさせられるのです・・。
また同時に、それこそがさきの柔軟性をも担保するものではないだろうか・・?とも考えます・・。
そして、現代の社会において忘れてきつつある要素とは、一つにはこういったものではないでしょうか?
その意味で、現代の我々とは、見ようによればオデュッセイアでのロートパゴス(蓮喰い)族の島に漂着したような状況であるのかもしれません・・(笑)。
今回もここまで興味を持って読んで頂いてどうもありがとうございます。
さる熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」
2017年1月11日水曜日
20170111 2010初秋霧島周辺にて 昨日の続き
A「昨日投稿のブログ記事のその後、霧島の「嘉例川」から再び出立し焼鳥屋に向かう車中での会話を以下に再現します。」
A「いやあ、何だかBさんのお蔭でこちらも楽しくなりましたよ・・(笑)。
それでも嘉例川の駅舎があんなに観光客がいるほど有名だとは知りませんでした・・。」
B「ええ、私もお蔭でかなりレアな写真を撮ることができました。
あの駅は鉄道ファンの間ではなかなか有名なのです。
私としてはむしろ地域の情報に関心を持つAさんがそのことを知らないことの方が意外な感じがしますけれども・・。」
A「いえ、そんな・・私は主に歴史関係の地域ネタには興味を持ちますが、どうも鉄道まではその守備範囲の外になってしまいますね・・(苦笑)。
とはいえ、この「カレイガワ」という地名ですが、我々が住んでいた和歌山にもあったことはBさん御存知でしたか・・?」
B「いえ、それは知りませんね・・本当ですか?」
A「ええ、実は私も先日偶然こちらに来て知ったのですが、また、その用いる漢字は異なるのですが、和歌山市のすぐ南の海南市に魚の鰈で「鰈川」と書く地名があるのです・・。
たしかここは有間皇子の万葉集の歌で有名な藤白よりも少し南に位置し、おそらくこのあたりとは古来、畿内より南下する熊野参詣道の始めの方の難所、つまり山あいの地域であったのではないかと思います・・。
しかし、この海南の鰈川と霧島の嘉例川に何か関連があるのかどうかは私にはよく分かりません。
とはいえ、似たような事例であるかどうか分かりませんが、ここ鹿児島東部の大隅半島には垂水(たるみず)という街がありますが、それと同じ字を用いる「たるみ」という街がたしか神戸の方にあったと思います・・。
これらの間にも、さきと同様に何か関係があるのかもしれません・・。
まあ「垂水」の場合は語義通り「瀧」のある地域につく名称であるとは云われてますが・・。」
B「・・やはりそういうところは研究分野が変っても変わらず関心を持っているものなのですね。
少し安心しましたよ・・(笑)。」
A「はあ、たしかにこういったところはあまり変わっていないかもしれませんね。
また、それと面白いのは、このあたりはご存知のとおり古代隼人の勢力範囲内なのですが、帰りにおそらく寄ると思いますがJR日豊線の「隼人駅」ここは実はCさんの御実家のごく近所なのですが、ここに隼人塚というものがありましてね、ここにある石像の意匠がどうも独特で面白いのです・・。
たしかこのことはたしか白洲正子の自伝にも書いてありましたが、とにかく一度ご覧ください・・。」
B「はあ、そうするとCさんは本当の隼人の子孫であるのですね・・。
それにしても、そうした石像などに関する感覚とは、私はイマイチよくわからないのです・・。
しかしAさんは昔からそういった昔の銅鐸や古墳を見るのが好きでしたが、ああいうものに対する意見、評価とは、どこから出てくるのでしょうか?」
A「ええ、それらは決して出まかせを云っているつもりではないのですが、ああいったものは、ある程度多く見ておりますと、そのうちに向こうの方から何か話しかけてくるような感じがあるのではないかと思います・・。
そして、その話しかけてきたものを自分なりに言語化して、さらに研究者の著作などを読んでいて、その自身が言語化したものに近い見解が示されていたりしますと、何だか嬉しくなり、あるいはそれが異なっている場合、その理由を考えてみるものもまた、それぞれ面白いものであると思います・・。」
B「・・なるほど、たしかにそういった感覚はたしかに文献調査でもあるかもしれませんね・・。
ただ調査する対象の実体が存在するという意味では、案外現在のAさんの研究とも重なる部分があるのかもしれませんね・・(笑)。」
A「・・ええ、そうなのです・・。
実際、最近はそのように考えて、自分を正当化させようとしていたフシがあるように思います。
あ、もうじき着きます!
そこに今、看板がありましたので、もうすぐ着きます。」
B「分かりました、丁度いい時間に着きそうですね。」
「さる熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」
A「いやあ、何だかBさんのお蔭でこちらも楽しくなりましたよ・・(笑)。
それでも嘉例川の駅舎があんなに観光客がいるほど有名だとは知りませんでした・・。」
B「ええ、私もお蔭でかなりレアな写真を撮ることができました。
あの駅は鉄道ファンの間ではなかなか有名なのです。
私としてはむしろ地域の情報に関心を持つAさんがそのことを知らないことの方が意外な感じがしますけれども・・。」
A「いえ、そんな・・私は主に歴史関係の地域ネタには興味を持ちますが、どうも鉄道まではその守備範囲の外になってしまいますね・・(苦笑)。
とはいえ、この「カレイガワ」という地名ですが、我々が住んでいた和歌山にもあったことはBさん御存知でしたか・・?」
B「いえ、それは知りませんね・・本当ですか?」
A「ええ、実は私も先日偶然こちらに来て知ったのですが、また、その用いる漢字は異なるのですが、和歌山市のすぐ南の海南市に魚の鰈で「鰈川」と書く地名があるのです・・。
たしかここは有間皇子の万葉集の歌で有名な藤白よりも少し南に位置し、おそらくこのあたりとは古来、畿内より南下する熊野参詣道の始めの方の難所、つまり山あいの地域であったのではないかと思います・・。
しかし、この海南の鰈川と霧島の嘉例川に何か関連があるのかどうかは私にはよく分かりません。
とはいえ、似たような事例であるかどうか分かりませんが、ここ鹿児島東部の大隅半島には垂水(たるみず)という街がありますが、それと同じ字を用いる「たるみ」という街がたしか神戸の方にあったと思います・・。
これらの間にも、さきと同様に何か関係があるのかもしれません・・。
まあ「垂水」の場合は語義通り「瀧」のある地域につく名称であるとは云われてますが・・。」
B「・・やはりそういうところは研究分野が変っても変わらず関心を持っているものなのですね。
少し安心しましたよ・・(笑)。」
A「はあ、たしかにこういったところはあまり変わっていないかもしれませんね。
また、それと面白いのは、このあたりはご存知のとおり古代隼人の勢力範囲内なのですが、帰りにおそらく寄ると思いますがJR日豊線の「隼人駅」ここは実はCさんの御実家のごく近所なのですが、ここに隼人塚というものがありましてね、ここにある石像の意匠がどうも独特で面白いのです・・。
たしかこのことはたしか白洲正子の自伝にも書いてありましたが、とにかく一度ご覧ください・・。」
B「はあ、そうするとCさんは本当の隼人の子孫であるのですね・・。
それにしても、そうした石像などに関する感覚とは、私はイマイチよくわからないのです・・。
しかしAさんは昔からそういった昔の銅鐸や古墳を見るのが好きでしたが、ああいうものに対する意見、評価とは、どこから出てくるのでしょうか?」
A「ええ、それらは決して出まかせを云っているつもりではないのですが、ああいったものは、ある程度多く見ておりますと、そのうちに向こうの方から何か話しかけてくるような感じがあるのではないかと思います・・。
そして、その話しかけてきたものを自分なりに言語化して、さらに研究者の著作などを読んでいて、その自身が言語化したものに近い見解が示されていたりしますと、何だか嬉しくなり、あるいはそれが異なっている場合、その理由を考えてみるものもまた、それぞれ面白いものであると思います・・。」
B「・・なるほど、たしかにそういった感覚はたしかに文献調査でもあるかもしれませんね・・。
ただ調査する対象の実体が存在するという意味では、案外現在のAさんの研究とも重なる部分があるのかもしれませんね・・(笑)。」
A「・・ええ、そうなのです・・。
実際、最近はそのように考えて、自分を正当化させようとしていたフシがあるように思います。
あ、もうじき着きます!
そこに今、看板がありましたので、もうすぐ着きます。」
B「分かりました、丁度いい時間に着きそうですね。」
「さる熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」
2017年1月10日火曜日
2070110 情念引力について・・
A「ここ最近はブログの投稿記事数を気にすることはありませんでしたが、今回の記事投稿により、総投稿記事数は508に到達するようです。
そして「では、今後は具体的にどの程度の頻度にて記事投稿を行えば良いのであろうか?」と考えてみますと、妥当なところで年内に600記事を幾らか越えれば良いのではないかと思うに至りました。
この頻度とは、これまでの500記事に到達するまでの記事投稿頻度に比べますと、大分遅く、鈍くなっているといえますが、まあ身体のこともありますので、あまり無理をしない頻度となりますと、上記のような投稿頻度が妥当、適当なのではないかと考えるのですがさて、如何でしょうか?
そういえば、先日も再度いくつか年賀状を頂きました。
送って頂いた方々、どうもありがとうございます。
さて、その送って頂いた方々を思い起こしてみますと歯系、文系両方にわたり、特に文系の方々の場合、何やら意味深い箴言のようなことが書いてある場合が多く、そこから、おそらくこれまでの一連のブログ記事をある程度読んで頂いているのではないかと推察されます・・(果たして本当であろうか?)。
また、理系の一端ともいえる歯系の方々に加え、文系の研究者といっても良い方々からも、こうしたお葉書を頂くということから不図「果たして私は何者であろうか?」と考えてしまいます・・(苦笑)。
しかし、よく考えてみますと、何のことはありません、単にそれは私の生きてきた軌跡そのものなのではないかということになります・・(苦笑)。
また、昨今は特に元来文系であった自身が歳月により内面での応力緩和が生じ、文系寄りに戻っているのではないかとも思われます・・(笑)。
そういえば、ここまで記事を書いており不図思い起こしたことは、鹿児島在住時の2010年に文系時代の友人がわざわざ鹿児島まで訪ねて来て頂いた時のことです。
その時、この友人は北の方の大学院博士課程を無事修了し、御実家に戻り、そこから近隣の板金工場に働きに出て、同時に地元の大学にて非常勤講師をしつつ、大学職種への応募活動を行っておりました。
この時も修士院生当時と変わらず快活であり、同時にこれも変わらず鉄ちゃんであることから鹿児島の市電に大いに興味を示しながら最寄の脇田電停から中央駅(西駅)まで行き、そこからレンタカーにて霧島方面に向かいました。
何故なら、以前もブログ記事に書きましたが、そこに美味しい焼鳥屋があり、そこに連れて行くと、かねてより伝えていたからです・・。
この焼鳥屋に関しては、それ以前にも面白いハナシがありますが、ここではそれは述べません。
ともあれ、霧島方面に向かい走行しておりますと、その途中で「嘉例川」と記された標識を目にした友人が「ここに寄りましょう!」といったため寄り道をしました。
どうやら、そこ(嘉例川)とは鉄道ファンの間ではかなり名の通った駅舎であるらしく、また確かにその建物は相当時代を感じさせるものでした。
所々で写真を撮りつつ速足で移動している友人が時折「さあ、こっちで良い写真が撮れますよ!」と呼ぶので、こちらも呼ばれた方に小走りで移動しておりますと、面白いことに、こちらも何だか楽しい気分になってくるものなのでした・・(笑)。
その時「なるほど「情念引力」とは、こうしたものであるのかもしれない・・。」と妙に感心したことを憶えています・・(笑)。
さる熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」
そして「では、今後は具体的にどの程度の頻度にて記事投稿を行えば良いのであろうか?」と考えてみますと、妥当なところで年内に600記事を幾らか越えれば良いのではないかと思うに至りました。
この頻度とは、これまでの500記事に到達するまでの記事投稿頻度に比べますと、大分遅く、鈍くなっているといえますが、まあ身体のこともありますので、あまり無理をしない頻度となりますと、上記のような投稿頻度が妥当、適当なのではないかと考えるのですがさて、如何でしょうか?
そういえば、先日も再度いくつか年賀状を頂きました。
送って頂いた方々、どうもありがとうございます。
さて、その送って頂いた方々を思い起こしてみますと歯系、文系両方にわたり、特に文系の方々の場合、何やら意味深い箴言のようなことが書いてある場合が多く、そこから、おそらくこれまでの一連のブログ記事をある程度読んで頂いているのではないかと推察されます・・(果たして本当であろうか?)。
また、理系の一端ともいえる歯系の方々に加え、文系の研究者といっても良い方々からも、こうしたお葉書を頂くということから不図「果たして私は何者であろうか?」と考えてしまいます・・(苦笑)。
しかし、よく考えてみますと、何のことはありません、単にそれは私の生きてきた軌跡そのものなのではないかということになります・・(苦笑)。
また、昨今は特に元来文系であった自身が歳月により内面での応力緩和が生じ、文系寄りに戻っているのではないかとも思われます・・(笑)。
そういえば、ここまで記事を書いており不図思い起こしたことは、鹿児島在住時の2010年に文系時代の友人がわざわざ鹿児島まで訪ねて来て頂いた時のことです。
その時、この友人は北の方の大学院博士課程を無事修了し、御実家に戻り、そこから近隣の板金工場に働きに出て、同時に地元の大学にて非常勤講師をしつつ、大学職種への応募活動を行っておりました。
この時も修士院生当時と変わらず快活であり、同時にこれも変わらず鉄ちゃんであることから鹿児島の市電に大いに興味を示しながら最寄の脇田電停から中央駅(西駅)まで行き、そこからレンタカーにて霧島方面に向かいました。
何故なら、以前もブログ記事に書きましたが、そこに美味しい焼鳥屋があり、そこに連れて行くと、かねてより伝えていたからです・・。
この焼鳥屋に関しては、それ以前にも面白いハナシがありますが、ここではそれは述べません。
ともあれ、霧島方面に向かい走行しておりますと、その途中で「嘉例川」と記された標識を目にした友人が「ここに寄りましょう!」といったため寄り道をしました。
どうやら、そこ(嘉例川)とは鉄道ファンの間ではかなり名の通った駅舎であるらしく、また確かにその建物は相当時代を感じさせるものでした。
所々で写真を撮りつつ速足で移動している友人が時折「さあ、こっちで良い写真が撮れますよ!」と呼ぶので、こちらも呼ばれた方に小走りで移動しておりますと、面白いことに、こちらも何だか楽しい気分になってくるものなのでした・・(笑)。
その時「なるほど「情念引力」とは、こうしたものであるのかもしれない・・。」と妙に感心したことを憶えています・・(笑)。
さる熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」
2017年1月8日日曜日
20170108 内視鏡検査を受けて思ったこと
A「本日の首都圏は雨が降り、気温も上がらずまさに寒々しい一日です。
さて、年賀状を送って頂いた方々でこれをご覧になっている皆様、どうもありがとうございます。
また、新しい年となり、昨年暮に受けた健康診断の結果も届きましたが、これによると胃に病変があり「精密検査を要す」とのことでした・・。
そして、その後早速内視鏡による精密検査を受けた結果、特に悪性のものは認められないとのことで一安心しました・・。
私自身、これまでの人生で胃が悪いという認識はまったくありませんでしたので、この一連の出来事には大いに驚き、そして今後はあまり胃に悪いことはしないように心がけます・・。
それに加え、これまで仕事にて時折口にしていた経鼻による内視鏡検査の実体験とは、なかなか貴重なものであったと思います。
内視鏡による検査とは、そのスコープの届く範囲までの体内の動態・様相を観察することが出来、たとえば、概ね歯科領域といっても良い摂食嚥下の機能検査などの場合、摂食物が気管・食道部位に至るまでの動態・様相を観察・診察することを目的としております。
一方、先日私が受けた内視鏡検査とは、スコープが食道をも通過し、さらにその先にある胃・十二指腸までも観察・診察されるものでした。
おそらく双方共に用いる機器の間に大きな差異はないものと考えますが、そうした意味からも、この内視鏡とは、ある意味、学際的な医療機器であるように思います。
とはいえ、スコープが先端に取り付けられた管・ファイバーが体内に入っている感覚とは、やはり大変違和感を感じるものではありましたが・・(苦笑)。
しかしながら、あの程度の違和感にて、さまざまな体内器官の様相・状態を観察・診察出来るのであれば、内視鏡による検査とは大変有意義なものであり、今後更なるその画像による診察・診断技術および使用機材性能の向上が望まれるのではないかと思います・・。
さらにそのとき聞いたハナシではありますが、現在は管・ファイバー先端に取り付けられたスコープを用いる内視鏡検査ではありますが「今後は薬剤カプセル状のものにスコープが内蔵されたものが出現するのではないだろうか?」とのことでした。
このハナシを聞いたとき、不図、大分昔に観た映画「ミクロの決死圏」(「Fantastic Voyage」1966)のことを想起しました。
ちなみにこの映画作品の監督とはジュール・ヴェルヌ著の「海底二万海里」の映画作品(「20000Leagues Under the Sea」1954)もまた以前に監督しており、そこから双方の間に何やら不思議な共通点を見出した感じがします・・(笑)。
また、そうしますと、かなり久しぶりにまた「海底二万海里」を読んでみたくなってきました・・。
あの著作を読んだのは一体何時の頃であっただろうか・・?
また、今度は英文でも読めるであろうか・・?
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
さる熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した大地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧およびその後の復興を祈念しております。」
さて、年賀状を送って頂いた方々でこれをご覧になっている皆様、どうもありがとうございます。
また、新しい年となり、昨年暮に受けた健康診断の結果も届きましたが、これによると胃に病変があり「精密検査を要す」とのことでした・・。
そして、その後早速内視鏡による精密検査を受けた結果、特に悪性のものは認められないとのことで一安心しました・・。
私自身、これまでの人生で胃が悪いという認識はまったくありませんでしたので、この一連の出来事には大いに驚き、そして今後はあまり胃に悪いことはしないように心がけます・・。
それに加え、これまで仕事にて時折口にしていた経鼻による内視鏡検査の実体験とは、なかなか貴重なものであったと思います。
内視鏡による検査とは、そのスコープの届く範囲までの体内の動態・様相を観察することが出来、たとえば、概ね歯科領域といっても良い摂食嚥下の機能検査などの場合、摂食物が気管・食道部位に至るまでの動態・様相を観察・診察することを目的としております。
一方、先日私が受けた内視鏡検査とは、スコープが食道をも通過し、さらにその先にある胃・十二指腸までも観察・診察されるものでした。
おそらく双方共に用いる機器の間に大きな差異はないものと考えますが、そうした意味からも、この内視鏡とは、ある意味、学際的な医療機器であるように思います。
とはいえ、スコープが先端に取り付けられた管・ファイバーが体内に入っている感覚とは、やはり大変違和感を感じるものではありましたが・・(苦笑)。
しかしながら、あの程度の違和感にて、さまざまな体内器官の様相・状態を観察・診察出来るのであれば、内視鏡による検査とは大変有意義なものであり、今後更なるその画像による診察・診断技術および使用機材性能の向上が望まれるのではないかと思います・・。
さらにそのとき聞いたハナシではありますが、現在は管・ファイバー先端に取り付けられたスコープを用いる内視鏡検査ではありますが「今後は薬剤カプセル状のものにスコープが内蔵されたものが出現するのではないだろうか?」とのことでした。
このハナシを聞いたとき、不図、大分昔に観た映画「ミクロの決死圏」(「Fantastic Voyage」1966)のことを想起しました。
ちなみにこの映画作品の監督とはジュール・ヴェルヌ著の「海底二万海里」の映画作品(「20000Leagues Under the Sea」1954)もまた以前に監督しており、そこから双方の間に何やら不思議な共通点を見出した感じがします・・(笑)。
また、そうしますと、かなり久しぶりにまた「海底二万海里」を読んでみたくなってきました・・。
あの著作を読んだのは一体何時の頃であっただろうか・・?
また、今度は英文でも読めるであろうか・・?
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
さる熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した大地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧およびその後の復興を祈念しております。」
2017年1月2日月曜日
20170102 「帰ってきたヒトラー」を観て思ったこと
A「正月休みということもあり、久しぶりに映画をDVDにて観ました。
題名は「帰って来たヒトラー」というドイツ映画ですが、これはかなり面白かったです。
「ドイツ人はコメディのセンスがない」といった評価があるようですが、この映画を観る限り少なくとも最近はそうでないのかもしれない・・と考えさせられます。
また、どうやらここ数年は、世界規模にて時間・空間の移動といった主題が流行っているのかもしれないとも考えさせられました・・。
であるとすれば、ハナシは先日来の大河ドラマ題材に戻り、その主題を現代にタイムスリップした西郷南洲翁(隆盛)とするとなかなか面白いのではないかと思いますが如何でしょうか・・?
そのように考えてみますと、さきの「帰ってきたヒトラー」においては、タイムスリップしたとしても、その政治的手腕は社会において発揮され、徐徐に権力に近づいてゆくさまが描かれ、またそれが、おそらく現代のドイツ社会に対するある種の警鐘であると同時に喜劇でもあるのかもしれません。
それに対し、西郷隆盛を現代の我が国に甦らしたとしても、その手腕、個性などは、どの場面においても発揮されず、むしろ幕末維新期に活躍した西郷隆盛としては悲劇的な結末に至るのではないかと思われます・・。
それほどに我が国とは何といいますか、現世重視、此岸性の強い社会であり、過去において大事とされた事物を現在において有益でなければ躊躇なく投げ捨て、忘却することが出来る性質を持っているのではないかと思います(断捨離など)。
もちろん、これは自身をも省みて書いていることであり、また、良くも悪くも我々とは、そのような性質を持っているのではないかと考えるということです。
そして以上のことを踏まえ西郷隆盛を現代にタイムスリップさせると、さきに記したような結末になるのではないかと思うのです・・。
とはいえ、こうしたことは全て、あくまでも仮定のハナシであり「帰ってきたヒトラー」に関しても、もしも実際にそのような現象が生じたとしても、果たして、そこまで首尾よく行くことはないのかもしれませんが・・。
そして、ここまで書いていて不図思い出したのは、太平洋戦争後もなおフィリッピンのルバング島にて戦争が継続していると信じて戦っていた帝国陸軍将校のことです・・。
実際のタイムスリップとは難しいのかもしれませんが、さきに述べた事例(戦後30年近く経過の後の(かつての)戦地からの帰国)とは、一種のタイムスリップ状態といっても良いのではないかと思います・・。
そして、このタイムスリップ状態を経験した元帝国陸軍将校は、帰国した我が国社会でのさまざまな価値観の変化に違和感を感じ帰国後一年も経ずに海外へ移住しました・・。
こうした事例を考慮してみても、さきに挙げた「西郷隆盛が現代の我が国社会に蘇ったら」という仮定とは、少なくともハッピーエンド的なものにはならないと考えるのです・・。
こうしたことから、現在の我が国社会とは、果たして同じ社会において称揚されている、偉人とされている方々が持っていた思想・理想に多少は叶っているのであろうか・・?と考えてしまうのですが、果たしてどうなのでしょうか・・?
とはいえ、こうした疑念とは決して現在の我が国社会に対する悲観(のみ)から生じているものではありません。
また、時にはこうしたこと考えてみることもあながち無意味なことではないと思うのですが、さて如何でしょうか?
今回もここまで興味を持って読んで頂きどうもありがとうございました。
さる熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」
題名は「帰って来たヒトラー」というドイツ映画ですが、これはかなり面白かったです。
「ドイツ人はコメディのセンスがない」といった評価があるようですが、この映画を観る限り少なくとも最近はそうでないのかもしれない・・と考えさせられます。
また、どうやらここ数年は、世界規模にて時間・空間の移動といった主題が流行っているのかもしれないとも考えさせられました・・。
であるとすれば、ハナシは先日来の大河ドラマ題材に戻り、その主題を現代にタイムスリップした西郷南洲翁(隆盛)とするとなかなか面白いのではないかと思いますが如何でしょうか・・?
そのように考えてみますと、さきの「帰ってきたヒトラー」においては、タイムスリップしたとしても、その政治的手腕は社会において発揮され、徐徐に権力に近づいてゆくさまが描かれ、またそれが、おそらく現代のドイツ社会に対するある種の警鐘であると同時に喜劇でもあるのかもしれません。
それに対し、西郷隆盛を現代の我が国に甦らしたとしても、その手腕、個性などは、どの場面においても発揮されず、むしろ幕末維新期に活躍した西郷隆盛としては悲劇的な結末に至るのではないかと思われます・・。
それほどに我が国とは何といいますか、現世重視、此岸性の強い社会であり、過去において大事とされた事物を現在において有益でなければ躊躇なく投げ捨て、忘却することが出来る性質を持っているのではないかと思います(断捨離など)。
もちろん、これは自身をも省みて書いていることであり、また、良くも悪くも我々とは、そのような性質を持っているのではないかと考えるということです。
そして以上のことを踏まえ西郷隆盛を現代にタイムスリップさせると、さきに記したような結末になるのではないかと思うのです・・。
とはいえ、こうしたことは全て、あくまでも仮定のハナシであり「帰ってきたヒトラー」に関しても、もしも実際にそのような現象が生じたとしても、果たして、そこまで首尾よく行くことはないのかもしれませんが・・。
そして、ここまで書いていて不図思い出したのは、太平洋戦争後もなおフィリッピンのルバング島にて戦争が継続していると信じて戦っていた帝国陸軍将校のことです・・。
実際のタイムスリップとは難しいのかもしれませんが、さきに述べた事例(戦後30年近く経過の後の(かつての)戦地からの帰国)とは、一種のタイムスリップ状態といっても良いのではないかと思います・・。
そして、このタイムスリップ状態を経験した元帝国陸軍将校は、帰国した我が国社会でのさまざまな価値観の変化に違和感を感じ帰国後一年も経ずに海外へ移住しました・・。
こうした事例を考慮してみても、さきに挙げた「西郷隆盛が現代の我が国社会に蘇ったら」という仮定とは、少なくともハッピーエンド的なものにはならないと考えるのです・・。
こうしたことから、現在の我が国社会とは、果たして同じ社会において称揚されている、偉人とされている方々が持っていた思想・理想に多少は叶っているのであろうか・・?と考えてしまうのですが、果たしてどうなのでしょうか・・?
とはいえ、こうした疑念とは決して現在の我が国社会に対する悲観(のみ)から生じているものではありません。
また、時にはこうしたこと考えてみることもあながち無意味なことではないと思うのですが、さて如何でしょうか?
今回もここまで興味を持って読んで頂きどうもありがとうございました。
さる熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」
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