2021年6月29日火曜日

20210629 非生産的としてマウントを取られがちな人文社会科学ではありますが・・

どうにか6年間、10日のうち7日はブログ記事の更新をしてはきましたが、それによって自信がついたといった自覚はほぼありません・・。一方で世の中を見てみますと、現今において自信なるものは、その稼ぐ金銭の多寡によって決まるといった風潮があるように見受けられます。

これは経済活動の首府でもある東京において、著しくその傾向が強いように思われます。また、それに対抗し得る学術・芸術といった文化活動においても、多くの場合、最終的には経済活動に収斂され、丸め込まれ、本来それらが持っていた価値が、少なからず減じられているように思われるのです・・。

他方でそれは「経済活動が盛んであり、多くの富が蓄積され、さらに流通すれば、自然と、そこでの学術や芸術といった文化活動も盛んになる」といったメカニズムを別の視点から眺めたものであるとも云えます。

つまり、肥料としての冨が豊富であれば、その地の文化活動も盛んになるということですが、しかし、経済活動による富と文化活動の関係性において、文化活動とは一方的に肥料を与えられる受動的なものなのでしょうか・・。

これは文化活動の分野にもよると思われますが、医療の基礎たる医学研究を文化活動の一つとして捉えますと、分かり易いと思われます。つまり、そうした文化活動があることから、我々の社会は漸進的ではあれ進化しているのだとも云えるのではないでしょうか。

しかし、さきに述べたように、分野によっては社会に対しての貢献が見え難く、特に人文社会科学分野などは、非常に分かり難いと云え、あるいは疾病保険か生命保険の掛け金のように(半ば無為とは思いつつも)肥料を与え続けなければならないものであるようにも思われます・・。

してみますと、そこで「合理化・効率化」といった概念やコトバが広く一般的に用いられるようになりますと、そこから、さきの人文社会科学分野などは(無駄なものとして)真っ先に槍玉に上げられ易くなると云えます・・。

そして、ここに至って大事であると思われるのは、やはり「さまざまな歴史」であると思われるのです。「経済状況があまり芳しくなくなり、合理化や効率化といったコトバ・考えが重視されるようになると、不図、頭に浮かぶさまざまな事物は、本当に全て無駄なものとして排除しても良いものなのだろうか?」といった疑念を持った場合、参照されるのは古今東西の類似した状況であると思われます。

しかしながら、それはただ、そうした事柄が記されている各種資料が存在していれば良いというわけではなく。それを類似していると考え、指摘出来る方々、また、以前からそうしたことを考え続けている方々が、意見を発信し、さらに関連諸分野の方々との議論・検証等を経て、ある程度分かり易いカタチとして世の中に広く発信することが大事であると思われるのですが、こうした作業を大きく歪ませるものが、以前からの伝統的価値の力が大規模な敗戦によって著しく減衰し、その代わりに更に重視されるようになった経済活動による諸価値の判断であるように思われるのです・・。

坂本龍馬に続き、渋沢栄一を一種の英雄として扱いたがる世間の価値観とは、詳細は別として、半世紀を通じ、大きくは変化していないものと思われます。あるいは団塊の世代の青年期と老年期での理想像の変遷といったものを示しているのかもしれません・・。

そういえば、登場人物達が揃いも揃って美男美女であり、衣装もセットもやたらとキレイな歴史ドラマが普通に制作出来て、それが当り前にヒットするような国や地域とは、たとえ他方の経済活動による合理性や効率性が重視され、それが活きた活動指針とはなっていても、やはり何かがおかしく、数世紀にわたる持続的な発展などは困難であるように思われるのですが、さて、いかがでしょうか?

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!


日本赤十字看護大学 さいたま看護学部 



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電話番号:047-334-0030 

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20210628 源泉の感情に達するために悠々として急ぐことについて・・(言い回し・表現と趣旨・結論)

あと37の新規記事投稿にて、総投稿記事数が1600に到達します。これはあまりキリの良い数字ではなく、また今後いくらか頑張ってみても、来月7月内での到達は困難であるように思われます。また他方で、これまで当ブログを継続して思うことの一つに、夏季になり、陽気が良くなってきますと、徐々に記事作成がスムーズになってくる傾向があることです。あるいはこれは、気温の上昇により、体内の血液などの巡りが良くなることから生じる面も少なからずあるのかもしれません・・。

それにくわえて、作成される文章も、寒い時季に作成したものと比べ、開放的になっている傾向があると思われるのです。とはいえ、未だ本格的な夏には至っておらず、現在の時期は、あるいは、その前の、いわば「もがきの段階」にあると云えるのかもしれません・・。

そう、たしかに「もがいて」はいるのですが、そうであっても、以前にはあった「しばらく続く記事作成の波に乗った」という感覚は、ここ最近は皆無であり、その代わりに、何かしら、これまでの継続により身に着いたと思しき文章作成の(卑近な)技法のようなものに逃避して記事作成を行っているような感覚があるのです・・(苦笑)。

これに関して、現在はツイッター等SNSを通じ、大分前のブログ記事を連携して投稿可能であることから、過去の投稿記事もその機会にそれなりに読んでいますが、そこでの視座から、現在に至るまでの当ブログ全体を考えてみますと、開始当初期(2015・2016)に作成した記事の趣旨と大きくは変わっていないように思われるのです・・。

それはつまり、文章の言い回しや表現が若干変わったと云える程度であり、それに続く趣旨や結論のようなものは、あまり変化していないということになります。しかし、これ(趣旨・結論)については無理に変える必要はなく「徐々にゆっくりと変化していく」というのが、本来の自然な変化の流れであると思われますので、この点は慌てる必要は全くないと考えてます。

そうしますと、現時点においては、むしろ「文章の言い回しや表現」の方に注意を払い、記事作成を続けることが大事であるようにも思われるのです・・。また、ここからは未だ経験していない領域ではありますが、そうしたことを念頭に置き、記事作成を続けることにより、自分の「源泉の感情」まで達することが出来るのではないかとも思われるのです・・。そしてまた、それこそが私にとっては相変態であるように思われるのです・・。たとえ、趣旨や結論に新奇性ナシの不毛と思しき記事が続いても、作成している主体については、多少はそのことで葛藤を抱き、また「ゆっくりと急げ」もしくは「悠々として急げ」あたりのコトバが心中にて持続重低音のように響いてはいるのです・・。

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2021年6月27日日曜日

20210627 朝日新聞出版刊 松本仁一著「カラシニコフⅠ」 pp.132-134より抜粋

朝日新聞出版刊 松本仁一著「カラシニコフⅠ」

pp.132-134より抜粋

ISBN-10 ‏ : ‎ 4022615745
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4022615749

 武装勢力は「テクニカル」と呼ぶ武装車両を持っている。日本製の四輪駆動小型トラックの荷台に旧ソ連製「デシーカ」12.7ミリ重機関銃をすえつけてあり、ソマリア内戦独特のものだ。武装勢力の中では対戦車ロケット砲と並ぶ最強の兵器で、モガディシオの町をわが物顔で走り回っている。デシーカのかわりにロケット砲をすえつけたテクニカルもある。こんなもので攻撃されたら車など吹き飛んでしまう。

 ソマリアでは、テクニカルを何台持っているかが武装グループの戦力を測る基準になっている。冷戦時代の米ソのミサイル競争みたいなものだ。大きな武装グループは自前でテクニカルの製造工場を持っており、外国に「輸出」しているところもあるという。

 外国って、どこへ?ジャマルは「イエメンとコンゴだ」といった。紅海対岸のアラビア半島イエメンは、北部山岳地帯で部族同士の抗争が恒常的に続いており、人々はつねに銃を持ち歩いている。西アフリカのコンゴ[旧ザイール]はモブツ政権崩壊後、周辺諸国の支援を受けた武装勢力が力を競う状況が続いている。イエメンやコンゴに行くテクニカルは政府にではなく、そうした集団に売り渡されているらしい。

イエメンまでは海路100キロほどしかなく、小さな船で簡単に渡れる距離だが、コンゴは遠い。陸路だとケニア・ウガンダを通るか、エチオピア・スーダンを通るルートしかない。重機関銃がすえつけられて隠しようもない車を、どうやって国境を通過させるのか。「陸地で行くんじゃない。船で運ぶんだ。リビアの船が来て積んでいく」ジャマルが答えた。内戦のシエラリオネにAK47を密輸し、混乱に拍車をかけていたのはリビアだったが、ソマリアにもリビアの影があった。

20210626 でたらめから始まり、因果律や法則そして物語などを見出すようになり大事になるもの・・

おかげさまで一昨日の投稿記事である「先日の「記事作成を継続する理由」と「新たなものに対する精神の開かれ」について・・」は、本日に至るまでに比較的多くの方々に読んだ頂くことが出来ました。これを読んで頂いた皆様どうもありがとうございます。

ともあれ、そこで述べた「好みの変化に象徴されるような感覚の変化」とは、やはり感性が柔軟である若い頃に、より多く自然に生じると云えますが、また一方で、ある程度の年齢に達し、そうした感覚が落着いたと自覚するようになってからは、敢えて意識して、そうした感覚を保持し続けるよう努めることが大事になってくるのではないかと思われるのです。

こうした感覚はある種、非合理的とも云える面をも含むため、成熟され、その人なりの最適化が為された、いわば「大人の感性」を持つ方々にとっては多少困難を伴うのかもしれませんが、しかしながら、国全体規模にて考えてみますと、これが近代以降の新興国であったという出自を持つ我が国の現代において、特に弱点であり、重要なことであるように思われるのです・・。

とはいえ、そうした感覚の保持とは、具体的には、世間にて「良い」評価を受けている諸感性に対し無条件に迎合するという態度ではなく、あくまでも、自分の感性や、ある程度体系化された考えに基づいた価値判断に拠ってこそ保持され、さらに進化していくものと考えます。しかしながら、そうであっても、おそらく、その当初の頃は、よく分かららずに、賭けのような感覚にて価値判断をしてしまっていることも多分にあると思われます。それでも、とにかく続けていくうちに、その中に何らかの因果律や物語のようなものを見出すことが出来るのではないかと思われるのです。

そして、この見出された因果律や物語を観念的な意味にて写実的に述べ、自他共への理解を深め、共有化するために極めて有効と思われるものが、我々人類が過去から受け継いできた様々な知見や教養であると思われます。その意味から、これらは、やはり人文社会科学分野での高等教育にて必要不可欠であると思われるのですが、さて如何でしょうか・・。

そういえば、以前にも書きましたが、ここ最近はまたスランプ気味であり、そこから本日も記事作成を躊躇していたのですが、どうにかこのあたりまで書き進めることが出来ました。そして、こうしたことを今しばらく続けていきますとキック・スタートのバイクのエンジンのように、また動き出してくれるのでしょうか・・。とはいえ、そうして「エンジンがかかった!」と思い、得意気になることもまた、これまでの経験から、あまり良い兆候とは云えませんので、出来るだけ客観的な態度にて自身の中で沸き起こる、想起される「流れ」の理解に努めたいと思います。そのように考えてみますと、これまでに投稿した記事そしてまた記事として引用した書籍の記述などは、さきの沸き起こる、想起される「流れ」に当座の形を与えるもの(依代)としては悪くなく、あるいは、これまた観念的な意味での、組み立て遊びに用いるレゴ・ブロックの一つのようなものとも云えるのかもしれません・・。

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2021年6月25日金曜日

20210625 中央公論新社刊 中公クラシックス 柳田国男著「明治大正史」世相篇 pp.181-184より抜粋

中央公論新社刊 中公クラシックス 柳田国男著「明治大正史」世相篇
pp.181-184より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4121600134
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4121600134

都市はいつの間にか驚くほど大きくなっていた。これでは大き過ぎると思うくらいの成長ぶりを示した。それでいて、その今までの役目が依然として単純であったのである。主としては消費の標準を示そうというのが、人も官府も一致しての計画であったけれども、以前と違うのは田舎から取り寄せて使おうとせずに、できるだけ自分の手で作って、兼ねて余分のものを地方にも頒とうとする企てにあった。国を動いて居るいっさいの産物も、いったんはここに集めて入用の分を止め、残りはその整理と配分とを此方の考えできめてやろうというのが、いわゆる経済都市の自ら任じた抱負であった。新しい交通系統はまずこれを支援したのである。

 ついで諸国の田舎から移って来た者も、一人としてこの計画に加担しておらぬ者がなかった。消費の緩急と適不適は土地ごとに不同であるにしても、これを総括して指導する者は大小の都市であった。個々の生産力との釣合いまでは考えられない。買うことはできなくとも欲しい品物は来て居る。これがわれわれの貧窮感を、第一次に痛烈ならしめたのである。都市は搾取者だという類の無理な憎しみが、処々に叫ばれたのもこの結果を見てからであった。町には産し得ない商品を農村が統制して、対抗して見ようとしたのも窮策であったが、これも多くの場合にはあべこべに利用せられて、結局は双方の弱い者だけの苦しみになって居る。町にはまた町の方で、最近袂を別って来た故郷人の無情を、怨もうとして居る者が多くなって来たが、この対立ばかりはどう考えても誤解であった。

 都市を総国民の力で支持して行こうということは、最初からの約束であったといってもよい。そのためにめいめいが故郷の余りの勤労を分けて、安んじてこれへ送り込んだのであった。現に国外に対しては今でもその建設と偉大なる膨張とを、自慢にしようとする者さえ多いのである。実際また都市を大きくし過ぎて支持に困難を感ずるということを、ただちに失敗と見るにはまだ早いかもしれない。村でも湊でも幾度かこういう階段を通って、弱って衰えてはまた改造せられてい居る。都市の新しい試みは彼らの思う存分であって、まだ一度も批評せられ牽制せられたことがないのである。住民には故郷の因縁ばかりなお深く、人を他人と見、その親愛の地を互いに無視し合う風は、近く出て来た地方人ほど盛んであった。つまりは相結び相知るの必要が、今はまだ十分に感ぜられていないので、改造もまた前進の途上にあるのである。

 そういう不用意なる大小の都市の間にも、早晩に生存のための競争が現れ来て居る。汽車がその大多数を連絡してしまうと、ただちに気づかれるのは町と町との間隔のあまりに短いということであった。単なる消費と分配の町ならば、そういくつもの中心は要らぬということになって、力のやや劣ったものが苦悶し始めた。一部は何らかの特殊生産を見つけて、新たに自分の領域を拓こうとして居るのだが、他の多くはむしろこのわずかな距離の差を利用しても隣を接する都市の繁華を奪い取ろうとする。模倣はこの趣旨から急激に行われて居るのである。以前の城下町などがそれぞれに持っていた気分はそのために破れ、特色ある周囲の風景と縁が切れても、いよいよもって多くの町はいずれか一つあれば沢山ということになり、競争は必死(至)に陥った。これに中央の商業が干与すると、いっそう速やかに地方旧市の矜持は崩壊するのであった。現在の彼らはその事業の中心を中央商品の取次ぎに置いて居る。自分で作り設けまたは保持して世に示そうとするものが、ことのほかに乏しくなって居るのである。人口がひとり非凡に増加するというだけで、日本の小都市ほど各自の文化を持たぬ都市は類が少ない。あるいは大学その他の学校をも争い取ったけれども、これとても単なる繁栄の刺激であったゆえに、それを自分のものとしては愛護していない。他の幾多の官庁・兵営、もしくは道路・鉄道の引張り凧に至っては、ことに見苦しい闘奪が多く、その惨劇は今もなお持続しているのである。

20210624 先日の「記事作成を継続する理由」と「新たなものに対する精神の開かれ」について・・

今回の記事投稿で総投稿記事数が1560に到達します。すると、余すところ40記事の投稿にて当面の目標としている1600記事に到達することになりますが、これも出来るだけ早くに達成したいと考えています。具体的には8月上・中旬迄の到達を目指したいところですが、ことは上手く運ぶでしょうか・・。

さて、先日の投稿記事にて「記事作成を継続する理由」について「鹿児島在住時(2009~2013)の経験・記憶」が強いと述べましたが、たしかに、これがなければ、ブログを書き続けようとは思わず、また、そうした踏ん切りもつかなかったと云えます。

また、それ以前の和歌山在住期間も、その準備期間と考えれば同様ではあるのですが、そこでは比較的順調にことが運び、鹿児島在住時でのような衝撃的と云える出来事はなかったことから「書き続ける理由」として考えますと、そこでの経験や記憶は、ありがたいことではあるのですが、大過なく幸せであったのだと云えます・・。

しかし、であるからといって「再び鹿児島在住時のような経験をしてみたいか?」と問われますと「それはご遠慮願いたいです・・。」となります。他方で、比較的明瞭にそうした価値判断、自意識を持つようになりますと(不思議なことに)それに付随し「新たなものに対する精神の開かれ」が損なわれていくといった感覚を覚えるようになるのです。

昨今の私の場合、それは新たに手に取り、読む書籍の分野から、そうした感覚を得るわけですが、そうであっても、それまで全く知らなかった分野の書籍を理解しながら読むことは、何れにしても困難な作業であると云え、そうした場合、以前にも書きましたが、既知の分野を基軸として、新たな分野の記述がある書籍へと徐々にスライドしていくといった方法が有効であると考えています。

とはいえ、この方法は何も私が発見したものではなく、文系の師匠との会話にて、しばしば読んだ、もしくは読んでいる書籍が話題となり、そうした経験が蓄積した結果、自然と会得したものであると云えます。おそらく、そうしたことは、能動的に書籍を見つけて読む習慣のある方でしたら、ごく自然に行っているようにも思われますが、他方で、書いておいて悪いこともないと思われますので、ここに記しておきます。

また、さきの「新たなものに対する精神の開かれ」とは書籍のみに対して有効というわけでなく、その他についても同様であると私は考えています。

鹿児島に渡る以前、私は歌手の松*聖子について、全盛期を知らないこともあり、その歌全般を何やら「ダサい」ものと思っていましたが、鹿児島在住の最後の年である2013年のたしか3月のはじめ頃、町なかで偶然に流れていたその歌声にいたく感動し、それ以来から聴くようになったという経験があります・・。

調べてみたところ、松*聖子は九州(福岡県久留米市)のご出身であり、それは、九州島の一部である鹿児島に馴染んできていた当時の私にとっては、必然的ではないにしても、理解は出来る感覚の変化であったのだと考えています。ともあれ、そうしたことは科学的に説明することは困難ではあるものの、やはり、各人各様なりに、似たような経験はあるように思われます。また、そうした経験とは、思いのほかに大事なことであると思われるのですが、さて如何でしょうか。

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2021年6月23日水曜日

20210623 朝日新聞出版刊 松本仁一著「カラシニコフⅡ」pp.170-172より抜粋

朝日新聞出版刊 松本仁一著「カラシニコフⅡ」

pp.170-172より抜粋

ISBN-10 ‏ : ‎ 4022615753

ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4022615756

 旧ソ連は1974年、口径5.4ミリのカラシニコフ「AK74」を開発した。NATO(北大西洋条約機構)が口径を小さくしたのにあわせた動きだ。銃の基本構造はまったく変わらない。しかし弾丸が軽くなり、兵士一人がより多くの弾丸を携行できるようになった。日本の自衛隊の銃も、「豊和64式」は7.6ミリ口径で「89式」は5.6ミリだ。

 AK47とAK74の違いは口径の大きさなのである。AK74の弾丸は一個3.4グラムと、AK47の半分以下だ。これまで200発しか携行できなかったとすれば、倍の400発持てるようになるのである。「自動小銃のスプレー的使用」の時代に適応した改良だった。

 口径が小さくなった分、敵に与える打撃が落ちたという意見がある。心臓や頭部に当たらないかぎり、相手は死なないからだ。

 しかし茨城県にある自衛隊武器学校で、幹部の一人は、今の戦争では小口径の方が効果的なのだといった。

 「口径の大きい弾丸は力が強く、即死の率が高い。逆に腹部などに当たると貫通してしまって大きな損害にはならない。小さい弾丸は力が弱いため即死率は低い。軽いため腹部などに入っても貫通せず、体内で回転して周囲の臓器をずたずたに破壊する。当然、痛みはひどい」

 撃たれた味方兵士が死んでしまった場合、部隊は戦闘行動を続けることができる。遺体はあとで収容すればいい。しかし重傷を負ったら後送しなければならない。一人を後送するのに、かついだり抱えたりで三人ほどの同僚の手がかかる。一個分隊を約十人として、一人が負傷したら、本人をづくめて四人が戦線から離脱することになる。戦闘能力は半分近くに落ちてしまう。

 痛みで泣き叫ぶので、周りの兵士は気になって放っておくことができない。かならず後送することになる。「弾丸が小さいというのは、本当は残酷なことなのです。」とその自衛隊幹部はいった。

2021年6月22日火曜日

20210622 丸6年間のブログ記事作成を通じて「記事作成を継続する理由」から・・

本日、2021年6月22日にて当ブログを開始してから丁度丸6年となります。これは日数にしますと2190日程度となり、それに対し、これまでの総投稿記事数は凡そ1550ですので、これを均しますと、この6年間、10日のうち7日は、新たな記事投稿を行ってきたことになります。

とはいえ、そこからの自覚や感慨といったものはほぼ皆無であり「とりあえず本日は6年間の達成記念日であることから、記事作成を行わなければ・・」といったスタンスにて、先ほどから記事作成を開始した次第です。

さきに述べたように、これまで凡そ1550記事投稿してきましたので、次なる当面の目標は1600記事と定めていますが、これまでの記事投稿頻度から考えますと、約2カ月程度で到達出来る目途が立つと云えます。

即ち、来る8月の後半・末頃には1600記事に到達することが見込まれることになりますが、未だに「達成出来る」といった自信はなく「まあ、またしばらくは書き続けよう・・」といった昂揚感とはほど遠い感慨がわずかに湧いてくるのみと云えます・・(苦笑)。

しかしながら、また他方で「これまでどうにか続けることが出来ているのだから、記事作成を継続する理由がなくならない限りは、どうにか1600記事までは到達出来るのではないか・・」と思っている自分もいます・・。

さて、ここで出ました「記事作成を継続する理由」ですが、これは当ブログにて度々書きましたが、ここ最近においては「記事作成の中で感じる、何やら不思議とも云える偶然や同時代性をもう少し明らかにしてみたい。」といった欲求が比較的強いと云えますが、さらに、その根源にある理由については、さらに以前の鹿児島在住時(2009~2013)の経験・記憶が強くあるように思われます・・。

人は異郷に住むと、それだけで心身に相当のストレスが負荷されると聞きますが、おそらく、あの在住期間が、そうしたストレスと対峙し、それを自分のエネルギーに変換することが出来た最後の時期であったように思われるのです。

いや、あるいは鹿児島の場合、年齢・性別などにあまり関係なく、訪れ住んだ人間の「生」の燃焼度を必然的に高めてしまう「何か」があるのかもしれませんが・・。

また、師匠も同様の御意見を述べられていた記憶があります。ともあれ、在住期間にそうした体験を経ますと、その後、その地域を(少なくとも)バカする、変に見下げることはなくなり、あるいは(その地域を)全く知らなかった頃の無関心に近い意味での平常心とは異なる次元での平常心にて、その地域のことを眺め、考えることが出来るようになると思われるのです・・。

そして、この視座から、現在の我が国にて見られるさまざまな意見のやり取り、議論などを見聞きしますと、さきに述べた「全く知らなかった頃の無関心と近似するような平常心」が「良いもの」とされているのではないかといった感じを受けることが度々あります。

そしてまた、ここにおいても、一昨日投稿の引用記事にあった「すべての社会改革のためには「予め知ってかからねばならぬ歴史が多く、それが今日はまだ荒野のままに置かれている」のだから、その「歴史の知られざる巻々」を明らめることにより、国民の「予言力」を培養することに集中されていた。」へと結節するものがあるように思われるのです・・。

おそらく、アニメ・マンガ的なものを基盤とした二次創作・シミュラークルとは、比較的容易に多数創作することが出来るのだと思われますが、しかし、そこで創造された一連の「系」は、ゲーテが述べた戯曲と小説の違いにおける戯曲のように、速やかに終局に向っていく性質があり、またそれは、国民の「予言力」に寄与することも乏しいように思われ、さらに、そうした事態を我々国民も深層では望んでいるようにも思われますが、さて、如何でしょうか?

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!

日本赤十字看護大学 さいたま看護学部 



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ISBN978-4-263-46420-5

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2021年6月20日日曜日

20210620 株式会社岩波書店刊 中島岳志[編]「橋川文三セレクション」pp.379-381より抜粋

株式会社岩波書店刊 中島岳志[編]「橋川文三セレクション」pp.379-381より抜粋

ISBN-10 ‏ : ‎ 4006002572
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4006002572

柳田の学問が日本の歴史的科学の中で示した比類のない長所にもかかわらず、それは究極のところ「国民共同の疑問」の提起と組織化とにおいて、やはり大きな弱点をあらわさねばならなかった。その反省は、何よりも敗戦に際して彼の記した幾つかの文章の中に明らかに示されている。

「始めて私が東北大学の講義に、民俗学の現代性ということを唱導したときには、時代は我々の生活上の疑問を抑え付け、極度にその提出を妨碍している際であった。大きな幾つかの国の問題には、予め堂々たる答えが準備せられ、人がどういうわけで是非とも殺し合わねばならぬか、何故に父母妻子を家に残して、死にに行かねばならぬかというような、人生の最も重大な実際問題までが、もう判りきっていることになっていた。

第一に自分はそうは考えられぬのだがということが言えない。誰もがそうだから是には背こうとする者が無い。寧ろ心の底から其気になってしまって、涙もこぼさずいさぎよく出て行く者が多かった。こう各自の自由な疑問を封じてしまわれてはかなわぬと、思うような事ばかりあの頃は周囲に多かった。

そういうまん中に於いて、なお民俗学は現代の科学でなければならぬ。実際生活から出発して、必ず其答えを求めるのが窮極の目的だと、憚らず説いたのは勇敢だったとも言われようが、白状するならば私はやや遠まわしに、寧ろ現世とは縁の薄い方面から、問いはいつかは答えになるものだという実例を引いていた。

従って又気楽な学問もあるものだというような印象ばかり与えて、国の政治上の是ぞという効果は挙げ得なかった。なんぼ年寄りでも、是は確かに臆病な態度であったが、しかし実際又あの頃は今とちがって、ただ片よった解決ばかり有って、国民共同の大きな疑いというものは、まだ一向に生まれてもいなかったのである。」

このとき柳田は73歳の老齢であった。この言葉の表面には、敗戦にともなう痛切な自己批判の調子といったものはみられない。むしろ戦中の己の姿勢を苦笑まじりに弁明しているという軽い調子さえ感じられる。人に己れの態度の弁明を迫られているものというより、その権威を追及されることのない長老的傍観者の自戒にすぎないようにも感じられる。しかし、それは表面だけの印象にほかならないのではないか。

 「日本人の予言力は既に試験せられ、全部が落第ということにもう決定したのである。是からは蝸牛の這うほどの速力を以て、まずその予言力を育てて行かねばならぬのだが、私などはただ学問より以外には、人を賢くする途は無いと思っている。即ち到底急場の間には合わないのである。

「ところが私は年をとり、力やや衰え、志は有っても事業がそれに追付かず、おまけにこの時代の急転に面して、用意のまだ甚だ不足だったという弱点を暴露した。」

これはまず傷心の言葉として受取られる。これらの言葉の背景には、日本近代のほとんど半世紀に即して、その期間の根本的課題を自ら選びとることによって、前人未到の学問を築き上げたものの労苦と抱負とが横たわっている。しかもそのすべてが、敗戦による大転形期において、他の多くの学問とさして変わりばえのない無力さを暴露しなければならなかった。というよりも、柳田の努力のすべては、他の多くの文化諸科学が国民生活の実情に冷淡であり、しきりに演繹的な空中楼閣の建造のみに専心しているのにあきたらず、すべての社会改革のためには「予め知ってかからねばならぬ歴史が多く、それが今日はまだ荒野のままに置かれている」のだから、その「歴史の知られざる巻々」を明らめることにより、国民の「予言力」を培養することに集中されていた。

したがって、いまその予言力の喪失が嘆かれていることは、何よりもまず己れの民俗学についてでなかればならなかった。これはほとんど悲劇といってよいであろう。柳田は戦争中、ある青年の出征に際し、日章旗に「未来を愛すべきこと」と書いて与えている(昭和19年10月5日の記)。柳田が固陋な現状維持者でないことは幾度も述べたとおりだが、しかも彼は、その愛すべき未来に関して、その青年に、必ずしも明確な見通しを与えることはできなかった。その格率の実践的解決は、いわば青年たちの模索に委ねられざるをえなかったのである。

2021年6月18日金曜日

20210618 株式会社 光人社刊 光人社NF文庫 比留間弘著「地獄の戦場泣きむし士官物語」 pp.299-300より抜粋

株式会社 光人社刊 光人社NF文庫
比留間弘著「地獄の戦場泣きむし士官物語」
pp.299-300より抜粋

ISBN-10 ‏ : ‎ 4769820631
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4769820635

 (復員)船にのって、はじめて味噌汁を配給された。内地の味であった。

野戦では塩汁がつづいた。そのときは、となりで醤油汁を飲んでいるのを、匂いだけをかいでうらやましくて仕方がなかった。病院では、醤油汁であった。現地人のつくった味噌は、似て非なるもので、ショーガを漬けて食うぐらいにしか使えなかった。

 味噌汁の身は、乾燥野菜ではあったが、なんともいえない美味であった。だから、元気なヤツは、もっともっと食いたかったであろう。

 それに金鵄(タバコの名、むかしのバット)をもらった。これが現地タバコに比較すると、とんでもなくニコチンが強く、一本吸っただけで、目がくらくらし、気持がわるくなった。

 便所は、舷の外に張り出してあり、その作り方も仮設であるので、なんともあぶなっかしい。連続した便所の床には、大きな樋のようなものが通っており、一方から海水がポンプでジャージャー流れていた。常続水洗便所である。

 嵐になって、大きく舟がゆれ、雨風がひどく、舷側にぶつかる波しぶきが、たたきつけるように上がるときには、便所ごと海に流されそうで、とてもこれに乗って用をたす気にはならなかった。

 台湾沖を通過するとき、その嵐にあった。さすがに、このときばかりは、蚊帳をかついで船倉に逃げこんだ。舟は大きくゆれて、大部分の者は船酔いになり、それでなくても衰弱した病院船の乗客には、相当こたえたと思う。航海は約十日であった。

 入港地は、神奈川県の久里浜であった。港について、一晩、碇泊した。検疫のためであったと思う。

 その夜、殺人事件が持ち上がった。人の話を聞いてみると、殺されたのは軍医で、殺したのは、鍼医であった。なんでも、その鍼医は下士官で、その軍医の下ではたらいてきたが、軍医からつねづね、鍼などで病気は治らない。鍼医は医者ではない、とばかにされたり、いじめられたのを恨み、寝ているところを、頸動脈を刃物で切って殺したのだそうだ。

 寝首をかかれるとは、まさにこのことで、内地の山を見ながら死んだ軍医も気の毒なはなしだが、それまでの階級をかさにきて、部下をいじめたのがタネだったのは、これも運命か、自業自得の結果だったが、船に警察官が上がってきて、犯人をつれていった光景を思い出す。

2021年6月17日木曜日

20210617 1555記事への到達 555回目の投稿記事を見て気が付いたこと

昨日のブロガーでの閲覧者数が、ここ1年で最高の1000人近く(969)となっていました。他方、連携しているツイッターにおいては、普段よりも少し少ない程度の閲覧者数でしたので、これは少し不思議なことであるように思われました。

さて、本日は先日の投稿記事に書いた半額以下で購入したダナー社のマウンテンライトを履いて外に出ました。帰宅後にスマホの万歩計を確認しますと7㎞弱の歩行距離であり、休日の散歩としては、そこまで長いものではなかったと云えます。

また、足の疲れの方も、これまで履き慣れた同社のライト(ダナー・ライト)とは若干異なり、現時点ではライトの方が身体に合っているといった感覚があります。とはいえ、前々回、前回の散歩と比較しますと、その履き心地は格段に良くなり、おそらく、次回の散歩では10㎞程度は歩くことが出来るのではないかと思われます。

さて、一昨日投稿の記事にて書きましたが、今回の記事投稿により、総投稿記事数が1555に到達します。これはあまりキリの良い数値とは云えませんが、他方、投稿記事数にて5が三つ並ぶという事態は、4年前(2017年)の3月1日以来の二度であり、珍しいと云えば珍しくもあり、あるいは、そこから1000記事追加したことにも、いくらかの感慨を覚えると云えます。

ともあれ、そうした経緯にて2017年3月1日に投稿した555回目の投稿記事を見たところ、そこに橋川文三の著作からの引用がありました。そこで大変面白かったのは、本日、この経緯を知る前に、調べもののため、かなり久しぶりに橋川文三の他の著作を書棚から引張り出し、しばらくこれを読んでいたことです・・。

おそらく、これは偶然であり、さらにまた「しょうもないこと」であるのかもしれませんが、同時にそれはブログの継続により発見できたことであり、また、さきに述べた調べものの内容とも関連があると思われることから、これはまた後日の記事題材として取っておきたいと思います。

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!

日本赤十字看護大学 さいたま看護学部 



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ISBN978-4-263-46420-5

*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。

連絡先につきましては以下の通りとなっています。

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2021年6月15日火曜日

20210615 記事作成の中で徐々に明瞭になってくる流れについて

 何度か寝落ちしそうになりながら作成した昨日分の投稿記事ではありましたが、これまでに思いのほか多くの方々に読んで頂けました。こちらを読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。また、本日につきましては、さすがに休んでおこうと考えていましたが、当記事の投稿により総投稿記事が1554となり、さらに1記事の追加により1555と、少し珍しいゾロ目の投稿記事数に至るため、本日も記事作成を行い、出来るだけ早めに到達出来るようにしておこうと思い立ち、先ほどから記事作成を始めた次第です。

とはいえ、上記のような行為態度は、機会主義的であると見られますが、他方において、こうして新たな記事作成を行うための公開する理由付けを行わないと、記事作成を割合容易に断念しようとする自分もいるため、あくまでも自分内部での話ではあるのですが、こうして機会主義的に苦肉の策を弄しているのです・・(苦笑)。

また、そうしたことをも文章化することにより、文字数も稼げ、さらに、その文中に意図せぬものであっても、何かしらの含意が見つかれば、それはそれで意味はあるのではないかと思われるのです。

そういえば、この「含意」ですが、これは私にとっては面白いものであり、こうした散文的なブログの場合は特に、文章作成の当初から、その主題・題材が明確に決まっていることは少なく、記事作成が進むに随い、その流れが明確になってくることが多いと云えます。そしてまた、ある程度、記事作成を行ってきますと、自分にありがちな文章の流れというものも認識出来るようになってきます。

また同時に、記事作成を重ねることにより、さきの「ありがちな文章の流れ」に変化が生じてくることもあります。おそらくそれは、文章として書くことにより、明瞭に認識された自身の観念に対し、変更を加える必要性を感じ、それを行うために、源泉とも云える当初の文章の流れに変更を加えているのだと思われますが、面白いことにこちらも、あまり意識して行っているわけではないのです・・。

その意味においても昨日の投稿記事にて述べました「文章作成時の意識の相」とは、我がことでありながらも、同時に普遍的な部分もあるのではないかと思われ、興味深いものと云えます・・。

ともあれ、そうして文章として表出された自分なりの主題・題材と、同時期に世の中にて生じている出来事との間に相関性のようなものを何かの拍子に見出したりしますと、以前、当ブログにて書いた「時代精神」や「集合的無意識」といったものに思いが至るわけですが、これはインターネットの普及によって著しく感知し易くなったとは思われますが、それ以前から、そうした相関性を感知する感覚はあり、古代における骨や亀甲を用いる占いなども、そうした感覚が背景観念にあったのではないかと思われます。

そして、私にとってのブログ記事作成の一つの大きな楽しみとは、今現在では、あまり明確には認識出来ないものの、自身の作成した記事と、客観的に認識出来る同時期のさまざまな出来事との間に、何らかの関連や相関性を見つけようとすることにあると云えますが、これは今しばらく更に継続してみますと次の展開のようなものがあるのでしょうか。そしてまた、それももう一つの楽しみであると云えます。

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2021年6月14日月曜日

20210614 文章作成時の意識の相の継続によって生じる感覚・・人文社会科学分野の重要性

 以前にも書きましたが、ここ最近はスランプ気味であり、そのためもあり、書籍からの引用部を多く記事として投稿してきましたが、それでも、この状況は、あまり変わることはありません。

くわえて、つい先日、1550記事に到達したことから「しばらく記事作成を休止しても良いのでは・・」とも思いましたが、現在の私の場合、ここで記事作成を休みますと、再開が面倒になり、そのままブログから離れていく可能性もないとは云えず、また、スランプからの速やかな脱出とは、そうした状態において、なおも記事作成を続けることにより、達せられるとも思われたため、本日もまた、こうして作成しています・・(苦笑)。

しかし、面白いことであるのか、作成開始後しばらく経ちますと、多少はその作業に集中するようになり、この集中に至るまでの割合短い時間にて、私の精神に生じている変化とは、未だ意識・言語化することは出来ませんが、同時にそれは、これまで6年近くの記事作成の継続により、あらわれるようになったものとも云え、あるいは私にとっては貴重なものと云えるのかもしれません・・。

この「文章作成時の意識の相」のようなものは、おそらく誰であれ、ある程度の期間の鍛錬によって、強化され、それが機に応じて発揮・顕現されるようになるとは思われるのですが、この「ある程度の期間の鍛錬」こそが、思いのほかに面倒であり、基本的にその行為が「好き」であるか「興味がある」でないと、継続することが困難であるように思われます。

もちろん、そこには所謂「文才」もあるとは思われますが、しかし、期間当初の頃における「文才」などは、多分に「行為を継続する面倒臭さ」をいくらか緩和させる程度のものであり、そしてまた、そこまで稀有なものではないように思われます。

それよりも、その行為を継続することにより、少しずつではあれ、自分なりに、作成する文章が研ぎ澄まされてく中で、言葉と、その意味が持つ、深さ、そして面白さのようなものが、これも自分なりに、感じ取ることが出来るようになっていくのではないかと思われるのです。

また、これは文章を扱う研究分野全般においても共通して云えることであるとも思われます。さらにまた、こうしたことは「記述された歴史の流れ全般」においても、少なからず関連するものがあり、それ故に、何と云いますか「歴史」というものには「この時代に、こうした出来事があった」の集積、および、それらの関連性だけでは済まされない「何か」があるのではないかと思われるのです。そしてまた、その感覚は、視覚によるものとは異なり、ある種、文字の修練を要する、まさに人間独自の感覚であり、また同時に、その民族、集団が辿ってきた「歴史」を精確に反映するものであるようにも思われるのです。

それ故、何度も繰り返し述べるようではありますが、人文社会科学分野を、実地に役立たないものとして軽んずることは控えた方が良いと思われるのです。おそらく、現在の我が国の苦境全般とは、太平洋戦争後の民主主義治下において根付いてきた、文脈を意識しない、いわば近視眼的な合理主義の結果であるとも思われますので、そこには何かしらの関連性があるように思われるのですが、さて如何でしょうか。

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20210613 朝日新聞出版刊 木村誠著 「消える大学 生き残る大学」 pp.144-147より抜粋

 朝日新聞出版刊 木村誠著 「消える大学 生き残る大学」

pp.144-147より抜粋

ISBN-10 ‏ : ‎ 402273390X
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4022733900

歯科医の数が社会需要をはるかに上回るといわれる状態をつくり出したのは、実は歯学部の責任ではなく、政府の責任があったのである。

 子供の虫歯が世間から注目され、ちょうど歯科医師が不足していた1970年代に、当時の厚生省(現厚生労働省)と文部省(現文部科学省)は、社会的需要を見すえて、どんどん歯科医を増やす方針をとった。歯学部120人の定員に300人を入学させる大幅定員超過状態でも、文部科学省は黙認したといわれた。今ならとても許されない。

 国立大学にも歯学部がどんどん生まれ、1975年には、現在の29学部に達した。そのため、当時の約10年間で歯学部の定員は3倍の3400人ほどに急増したのである。

 その結果、毎年、歯科医師は増加し続け、現在では10万人近くになっている。1970年代末期に比べ倍増し、過剰状態といわれるようになった。国は社会的需要を読み間違えたのだ。保護者の意識も向上して、子供が虫歯にかかる率も大幅に減ったうえに、少子化が加速し、患者は減った。歯科医師会も歯科医師過剰論を強く打ち出し始める。

 1980年代半ばには、歯科医が過剰になることを危惧した政府は、一転して歯科医師の新規参入20%削減方針を打ち出し、それ以来、歯学部入学定員はどんどん減らされることになった。

 歯学部は2011年、全国で27大学29学部あるが、そのうち私立大学が17学部で、入学定員の75%を占めている。私学は定員割れになると学生納付金が減少し、すぐに財政に響く。それだけに苦しい。定員割れの歯学部は経営的に限界に近づきつつある。

 歯科医そのものは、臨床研修を終わって歯科医として就職する場合、まだ7倍の求人件数がある。求人の初任給平均は25万円だが、40万円というケースもある。就職氷河期の再来といわれる現在、歯学部卒業生は今のところ恵まれた状況にあるといえるだろう。

 意欲的な歯科医は、新たに取り組む分野を積極的に拡充している。よく知られているのが、インプラント歯科治療であろう。歯を失った場合に義歯が簡単に外れないように、骨に直接人工歯根を植えて支える治療である。原則、保険がきかないので、治療費は高額になる。

 ひとくちに過剰といっても、全国の人口10万人対比の歯科医数を調べると、地域によって違う。全国平均で比べると、比較的多い都市は、福岡市、新潟市、横須賀市、長崎市、郡山市などである。実は地元に大学歯学部がのある都市である。

 半面、県単位で見ると、歯学部のない北陸3県は、富山、石川、福井ともに全国最低クラスである。これらの地域では無歯科医地域も少なくなく、バスで隣の市町村の歯医者さんまで診療を受けに行くという高齢者もいる。

 新人歯科医師も医療人として、このような歯科過疎地域に飛び込んでいくべきだ。また、小学校の歯科検診時における育児放棄の発見や、要介護状態の高齢者の出張ケアなど、社会福祉における役割も広く考えていく必要がある。

 さらに地域においては単なる「虫歯医療」に限定せず、国民の健康生活に歯科の予防ケアや治療がどのような役割を持つか考えるべきだ。

 阪神・淡路大震災で被害を受けた高齢者が病死した原因に、体の抵抗力が落ちている時に口内の細菌や食物が肺に入り、細菌感染して発症する誤嚥性肺炎が多かった、と報告されている。これらの多くは、口内ケアによって防止できたのだ。今回の東北関東大震災に際しても、活動すべき場は数限りなくある。心から期待したい。

2021年6月12日土曜日

20210612 株式会社岩波書店刊 兼常清佐随筆集 杉本秀太郎編 「音楽と生活」pp.153-157より抜粋

 株式会社岩波書店刊 兼常清佐随筆集 杉本秀太郎編

「音楽と生活」pp.153-157より抜粋

ISBN-10 ‏ : ‎ 400331901X
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4003319017

ニッポンの流行唄はニッポン語で唄われる。ニッポン語の性質からひどく離れたものは私共になつかしみを感じさせにくい。例えば世界的に有名な流行唄「暗い日曜日」は私が確に一番美しい、一番おもしろいと思った曲の一つである。私はあの曲に気品さえ感じる。しかしそれをニッポン語で唄うと何となくおかしい。不自然である。フランス語で聞く美しさの半分以上はなくなる。やはりニッポンの流行唄はニッポンの言葉にあったニッポンのふしでなくては本当には成立しない。この事実が学校唱歌だの国民歌謡だのいうような西洋音楽の組織を基礎にした曲が、心底から私共大衆の感情になずまない理由の一つであろうと思う。

 ここで話が非常に面倒になる。一体何がニッポンのふしであるか?一体ニッポンのふしというような特別なものが存在するか?-それが話の中心になる。

 私はまず第一に声の質の事を考える。それに何かニッポン風なものがありはしないだろうか。そしてそれが私共にニッポン風な流行唄に、特に親しみを感じさせるのではあるまいか。殊に女の声はそうではないだろうか。今まで正式に西洋風な発声法を練習した女の唄で一世を風靡したというような例は割合に少ない。それよりも芸者の唄の方が段違いに一般から選ばれた。私もあのような声は一種の綺麗さをもっていると思う。表情は乏しいし、力がないし、音域が狭いが、しかし綺麗で、そして何よりもいい事は、唄の文句がよくわかる。発音が十分にニッポン語に適している。あれを正式のアルトやゾプラン風にやったとしたら、文句の意味はあれほど明瞭にわかるまい。国民歌謡を本当に流行させる必要があるならば、今はやりの「ああそれなのに」を唄った芸者に唄ってもらうのは確に一つの方法である。

私はこのような発音や唄い方の相違が、実際音波の上にどんな形になってあらわれているかを顕微鏡で見ようとした。しかし今私共はここでその数字やグラフを振回そうというのではない。またこのような事は現象が非常に複雑で、一朝一夕には真相はわからない。ただ私が今までおぼろげに知った事の一つはこうである。―西洋の発声法は咽喉を一種の楽器にする事である。性質がよほど楽器の音に似ている。ニッポンの唄は結局ニッポン語の朗読や談話の一種である。普通の話の声に近い。

 流行唄の文句は都会の若い生活の裏面をよく面白く歌っている。文句がなかなか巧みである。「怒るのがあたりまえでしょうが」だとか「×××素肌のはずかしさ」だとか、とにかく何となく人の気持に訴えるように、うまく出来ている。正に小唄を唄うのに適している。文句がよくわかることは絶対に必要である。ニッポンの流行唄が何も知らない芸者たちにニッポン語らしく唄われることには、十分意味があると私は思う。

 しかしまだ一つ難題が残っている。-ではニッポン風のふしというものがあるのか?もちろん、ただふしだけを取るならば、ニッポン風のふしというものがあるにきまっている。長唄のふし、清元のふし、謡曲のふし、ニッポン各地の民謡のふしというようなものである。そのようなものは西洋のどこにもないから、いうまでもなくニッポン特有のものである。今私共の問題は、それが何かの必然性を持つかどうかということである。つまりそのようなふしの根底は、ニッポン語そのものの性質のなかになって、ニッポンのふしとニッポン語とは、必然的に離れられない関係にあるかどうか、というのである。

 これは私の口癖でなく、実際難問である。それを考えるためには、まだまだ沢山の実験と沢山の観察とがいる。

 私はこれまでニッポンの言葉やニッポン語の文句を読んだ場合や、あるいは唄った場合をフィルムに記録した。そしてそれを高さだけについて測定して、いろいろのグラフをかいてみた。そしてニッポン語とニッポンの唄との何か離れられない関係があるかどうかを考えようとした。もちろんこのような実験は、そう急にはまとまらない。今私はそれについて何も断案を下すことは出来ない。ただこれまでに私はおぼろげに知った事は、前にニッポン風な唄の声の質について述べた事と非常によく一致している。それは次のような事である。-ニッポンのふしはニッポンの唄の文句を読んだ場合と性質がよく似ている。ニッポンのふしはニッポンの唄の文句の朗読の一種である。しかし西洋音楽による唄では、文句を読む時の語調Sprach-melodieは相当無視される。そしてふしはほとんど楽器と同じような約束で動く。この系統は別々な音楽の系統である。

 この事は私共の常識ともよく一致する。今までに大喝采を博した唄い手には多くの芸者があった。それには物珍しさも手伝ったであろうが、唄い方にも何か大いに人の心に訴える処があったであろう。しかし彼らは音階の練習どころでなく、「ド」と「レ」とどちらが高いか低いかどころでなく、初めからド・レ・ミという言葉さえも聞いた事はあるまい。本格的な音楽には全然素人であった。それであれほどの大成功をかち得ている。また作曲者にしても、和声学教科書の例題をピアノで弾かせたら、どれほど正確に弾ける自信があるか怪しいものだそうである。しかし彼らはそれで一世を動かす名流行唄を作っている。これを見ても本格的な音楽的訓練と流行唄とは相当物が違っている事がわかる。

 また私共が流行唄のレコードをかけて発売の楽譜を見ながら、その芸者の唄った声の通りをピアノで弾くとする。ピアノはレコードのふしと似るには似るが、しかし完全には一致しない。ただ似るというだけの事である。声そのものの高さにも、ふしの唄い方にも西洋の楽器では出来ない処がある。楽譜もそこまでは書く事が出来ない。レコードの中のふしを楽器でやる一節のあるものなら、その楽器の部分と声の部分とを比べて見てもすぐわかる。西洋の音楽や楽器の系統とニッポン人の唄のふしとは、物理的な約束の違う処がある。似てはいるが、一致しない。そこへ西洋音楽の長短の音階の構造などを不用意に持ち出して来ても、それは少々お門が違う。ニッポン人の唄はニッポン語の語調を基礎として、もう一度その性質を考えて見なくてはならないものである。私共一般の流行唄を好む大衆は、このニッポン風なものの方に親しみを感じている。

 それはニッポン語の唄として誠に当然な事である。そして西洋の系統の音楽を聞く時には、その時にはまた、そのような気持で聞く。それが本格的な、大仕掛けなものになれば、「冬の旅」の演奏になり、ちょっとした模倣ということになれば、学校唱歌だの国民歌謡だのいうようなものになる。その時には私共はニッポン語が明らかに西洋音楽の約束に従って鋳直されたものであるという感じを受ける。


2021年6月10日木曜日

20210610 1550記事の到達、前進のために不可欠な道具について

今回の記事投稿によ総って総投稿記事数が1550に到達します。直近のキリの良い数値である1500記事の到達は、さる3月23日であったことから、その後、大体80日ほどにて、50記事を新規に追加したことになります。そうしますと、2日に1記事以上の投稿はしてきたことになります。

さて、そこで本日の記事の主題について考えてみたところ、以前にも扱いましたが、再度「靴」を題材として作成しようと思い立ちました。

さる5月の中頃、上野アメ横の某靴店の特価品コーナーにて、ダナー社のマウンテンライトを見かけました。これは黒スエードであり、最近、店頭では見かけないものでしたが、作りは米国製のホンモノであり、さらに私のサイズの在庫品があったことから、試し履きさせて頂きました。

これが特価品となった理由は、長く店晒しであり、スエードの色合いが変化したためとのことでしたが、私としては特に見た目に問題があるようには感じられませんでした。また、試し履きの結果も問題ないと思われたことから、このマウンテンライトを購入することにしました。

これは正価の半額以下ではありましたが、同時に決して安い買い物ではありませんでした。ともあれ、こうして私は既存のダナー社のライト2に加えて、この度、マウンテンライトを新たに購入し、計3足のダナー社のブーツを持つことになったわけですが、これは高校生の頃にダナー社のライトを渋谷のアメカジ店で見て「いいなあ・・」と思ってから30年近く経っています・・。

こうした経緯にて購入したマウンテンライトを、購入翌週の休日に履いて街を歩いたところ、両足共に踝・踵周辺が擦れて痛むようになってしまいました。そのため、その日の夜は、風呂上りに傷口にオロナイン軟膏を塗り、バンドエイドを貼っておきました。また、マウンテンライトの方も内張りの表革部分にミンクオイルを塗り込み、少し手で揉んで革が柔らかくなるようにして保管しました。そして本日、再び休日の街履きに、このマウンテンライトで出たところ、未だ擦れる部分はあるものの、先週と比べて、大分事態は改善されていることを体感しました。また、それと同時に一昨年に購入したダナーライトもまた、履き始めの頃は、こうした感じであったことが思い出されました。このダナーライトは、その後、大分足に馴染み、これを履いて10㎞以上歩く日は、今に至るまで毎月数回はあります。

それ故、新たに購入したマウンテンライトもまた、徐々に足に馴染んでいくものと思われますが、その過程も楽しみと云えます。

ともあれ、こうした手間をかけるほどに、靴はとても大切なものであり、特に年齢を重ねますと、その重要性が、まさに体を通じて理解出来るようになっていくのではないかと思われます。

ある程度の節目と云える今回の記事ではありますが、何故か「靴」のハナシになりました。しかし、この物理的に前進するために不可欠な道具は、当ブログを前に進める上においてもまた同様に重要であると云えることから、それはそれで繋がっていなくもないのかもしれません・・。

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20210609 「下手の横好き」と「好きこそものの上手なれ」の間でブログ記事作成を継続していると・・

 かれこれ6年近くブログのために文章を作成してきましたが、未だに自分なりの文体を見出したといった感覚はありません。しかし同時に、おそらく、こうした感覚は「突然、雷に打たれるようにして得るものではないであろう」ということは分かりました。

おそらく、そうした変化とは、その時の自分では感知できない、微々たるものであり、ある程度、まとまった年月の前後にて、それぞれ作成した文章を比べて「少しは文章が滑らかになったかな?」といった態にて気が付くのではないかと思われます。

また、これは以前にも書いたことではありますが、作成文章の変化とは、寄せては引く波のようなものでもあり、ある所まで変化・上達すると、それがまた戻り、そしてまた、変化・上達してゆく(3歩進んで2歩下がる)といった実感があります。

そして、その視座から現在の私は、波が引いている、あるいはスランプに近い状態にあると云えます。具体的には、記事主題の着想がなかなか湧かず、また、文章の進みが遅いといった状態ですが、とはいえ、そうした中においても、たとえ嫌々ではあれ、記事作成をどうにか進めることが、思いのほかに重要であり、そのようにして継続するからこそ、次の波を見出し、そして乗ることが出来るのだと思われるのです。

一般論として、ブログをある程度の期間継続することが、それなりに困難とされる理由の一つとして、ブログを始めてある程度の期間が経ち、着想を得ることが難しく、記事作成がなかなか進まない、いわばスランプ状態の中で、さきに述べました、上達に至る波様の認識(3歩進んで2歩下がる)に思いが至らないということもあるのではないかと思われます。

つまり、何であれ、あまり恥ずかしいとは思わずに記事を作成し、投稿し続けることにより、良い悪い何れであれ、次の波が訪れるのではないかということになりますが、あるいは実はこの時点で、既にその人のブログへの向き、不向きが顕われ、多くは継続に至らないのではないかとも思われます。

そうしますと、これまでに私は文章作成が得意であると自覚したことはあまりなく、また、どちらかと云いますと「負けじ魂」や「ハングリー精神」なども乏しいことから、当ブログは刺激への反動を原動力としておらず、そして現在に至るまで、記事作成を(どうにか)継続出来ているという事実から思うことは、私は文章作成の才は乏しいのかもしれないが、他方で、少なくとも「ブログには向いていない」ということは云い難いのではないかということです。

しかし、世の中には「下手の横好き」というコトバもありますので、あるいは、当ブログも、それに類するものであるのかもしれませんが、同時に「好きこそものの上手なれ」というコトバもあり、これについても「適応しない」と断言は出来ませんので、もうしばらく、これら「下手の横好き」と「好きこそものの上手なれ」の間をブログ記事を作成しつつ彷徨ってみようと思います。

しかし、かねてより私は「少し変わっている」「おかしな部分があるのでは・・」と、心の片隅でボンヤリと思いつつ生きてきましたが、あるいはそれが顕現したのが、まさにこのブログであったのかもしれません。通常、ブログを数年間続けることが珍しいのであるならば、私の場合、さきの「変わっている」「おかしい」があったからこそ、ブログを続けることが出来たとも云えるのかもしれません・・(笑)。

そのように考えてみますと「少し変わっている」「おかしな部分があるのでは・・」といったネガティブな要素を当ブログの継続を通じて「自信」にまで変えることは出来なくとも、あるいはどうにか「肯定」までには、もっていくことが出来るのではないかと思われてくるのですが、さて如何でしょうか。

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2021年6月8日火曜日

20210608 手先が器用で繊細な感覚を持つ国民性の創造的な未来について・・

 何度か寝落ちしそうになりながら作成した一昨日投稿の「ブログ記事作成の意味と人生の創造的な期間について」は思いのほかに多くの方々に読んで頂けました。これを読んで頂いた皆様どうもありがとうございます。

そして、そこでとり上げた「30代後半から40代が最も創造的である」という意見に関しては、未だ自身で実感することはありませんが、しかし、もう少し早くから当ブログをはじめていたならば、いくらか記事数は多く、そして、より多くの方々に読んで頂けていたのかもしれません・・。

しかしそれでも、当ブログを始めて以来、約57万人の方々に読んで頂き、そして、それを1年に均しますと約10万人、さらにそれを1日に均しますと250人ほどの閲覧者数になります。

もちろん、この数は決して多いとは云えませんが、それでも自身が選んだ書籍からの引用部、そして、自身が作成した文章が、それだけの方々に読んで頂けているということ自体に、今なお色褪せない驚きのようなものがあると私は思っています。

また、これがブログといった公開を前提とするものでなかったならば、私の場合、何処かで面倒になり、止めていたのではないかと思われます・・(苦笑)。つまり、私は「ブログ」という装置・環境があったからこそ、書き続けることが出来ているのだと云えます。

そして、おそらく、こうした装置や環境とは、我々があまり明瞭には意識出来ないところで、私をも含めて、我々の人生を左右し、変えてきたとも云えます。その意味において、誰もが皆「時代の子」であると云うことになりますが、ここでいくらか重要であることは、それら時代環境の装置の「何か」と、自分の本能や本質に近い部分からの興味を持つことが出来る「何か」とを化合させ、何かしらの創造的な活動を(ある程度)継続することであるように思われます。

これが既存の経済活動上に乗るものであれば大変素晴らしいのでしょうが、しかし他方で、おそらく現在の我々の社会の多くは、経済活動を基準として逆算された各種社会制度でありながら、同時に、その既存の経済活動が、近年の様々な技術革新により、大きく変わりつつあり、さらに社会全体の少子化、高齢化などにより、根本的な見直しが迫られているのが現状であるように思われます。

そうなりますと、重視されることは、社会のより多くの人々が、自分の本能に近い部分から取り組むことが出来る創造的な側面を持つ活動を見出すことであると思われます。そして、我々日本人の場合、より多くの人々が継続的に興味を持つことが出来るのは、実際に手を動かす作業が含まれる職種であると私は考えます。

そこには農業や工業に加え、医療介護なども含まれており、特に医療介護分野については、世界に先駆けて社会の高齢化が進行する我が国においては、極めて重要なものであると云え、それら職種のより多くの養成、さらに後年、世界規模での医療介護分野にて先導的な役割を演じることが出来る方々を(こちらもより多く)養成・輩出することが、工業分野での革新と同時進行にて我が国が推し進めていく途であるように思われるのですが、さて如何でしょう。

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!


日本赤十字看護大学 さいたま看護学部 


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