2019年9月29日日曜日

【20190929】太平洋戦争について述べた著作を読んで思ったこと「シビュラの書」

先日来からいくつかの著作を読み進めていますが、そのうちの一つは、内容的には専門書に近いと云えますが、同時に以前読了した司馬遼太郎著「翔ぶが如く」とまさに同時代を扱っているものであることから、難解と感じられる部分は多々ありつつも、どうにか読み進め、そして年内に読了に至れば御の字と考えています・・(笑)。

また、他の読み進めている著作については、昨日、一昨日でいくつか読了しました。それら著作では、太平洋戦争における複数戦場地域を、記録されたその様相を踏まえて述べていることから、ある意味において大変痛ましく、読んでいて自然に眉間にしわが入り、目が細くなってきます・・。

ここ最近になり実感することは、こうした著作は、その記述の大半が事実を述べたものであることから、心身を消耗させ、何やら絶望的に気分にさせられます。しかし、それは近現代において大規模な敗戦を経験した国々であるならば、同様であるはずなのに、我が国については、母国であることから、その生活文化をある程度理解していると感じられるところに根差すものと云え、その程度は相対的に深いと云えます・・。

つまり、自身の理解している我が国の生活文化と、それら太平洋戦争戦場について述べた著作の記述との間に、連続性・近しい関係が多いに認められることから、必然的にやるせなさ、そして絶望感を感じさせられるのだと云えます。

そのように考えてみますと、夏目漱石著「吾輩は猫である」そしてロバート・グレーヴス著「この私、クラウディス」双方に記述がある「シビュラの書」についての説話の持つ意味合いが理解され、そしてまた同時に、当説話の背景である古代ローマ帝国の後裔を自認する西欧諸国くわえて、その派生と評し得る米国において、単なるゼスチャーとしてでなく「歴史」が学問として重んじられている意味合いの輪郭をボンヤリと理解することが出来るのではないかと思われます。

そして少なくとも、その点において我が国は、他の敗戦国であるドイツをはじめ、西欧諸国そして米国と比べ、低い段階にあるか、あるいは、違った認識の方向の先にあると云えます・・。

我が国においては、未だ先進国並みと評し得る理系学問分野を基盤とする諸技術と比して「歴史」をはじめとする人文社会科学分野が前述の状態であることには、やはり生活文化に大きな挫折を負った太平洋戦争後からではなく、それよりはるか古くから続く、何らかの原因があると考えます。そして、この原因が、これまた何らかの原因によって、大きく変わること、あるいは今後ある程度の年月を経て、漸進的に変化していくことがない限り、おそらくまた我が国は直截的な流血は伴わないにしても、太平洋戦争終盤における各戦場地域であったような悲劇、否、惨劇を繰り返してしまうのではないかと思われるのですが、さて、如何でしょうか。

そういえば、ここまで書いていて不図、思い出したことは文系の師匠が仰っていた「歴史の女神様はとても嫉妬深くてね、この女神様に好かれると、他の女性はどうしても近寄って来れなくなるんだよ(苦笑)。」といった冗談めいたコトバですが、当時は「何をカッコ付けているのだろうか?」と割合冷やかにこれを眺めていましたが、現在になりますと、何となくその意味、そしてそれ以上に、その背景にある悲哀のようなもののが理解出来るように思われます・・(苦笑)。


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2019年9月24日火曜日

20190923 「医療イノベーションの本質」からの抜粋記事のランクインから思ったこと

おかげさまで先日記事として投稿したクレイトン・M・クリステンセンによる「医療イノベーションの本質」からの抜粋引用部が、コピペ先のアメーバブログにてランクインしました。また、それに関連してか、その後いくつかご連絡を頂戴しました。

当ブログ記事の投稿と頂いた連絡との関連性については、未だによく分からないものの、あるいは思いのほかエライ方々も私のブログを読んでくださっているのではないかとも不図思いました・・。

しかし、そうしたことを認識してしまいますと、自身の場合、作成する文章の滑りが乏しくなり、どうも堅苦しい文章になってしまう傾向があると思われるため、つとめて、そうしたことを考えないようにします・・(苦笑)。

さて、以下に「医療イノベーションの本質」からの抜粋引用部をもう一度示します。

多くの疾患が直感的医療から精密医療の領域へと移行するのにつれ、また、総合診療医の診察室に世界最高の診断能力を持ったインターネットベースの意思決定ツールが普及するにつれ、必要とされる専門医はより少なく、プライマリケア医はより多くなるだろう。さらに、今日の総合診療医の仕事の大部分は、ナースプラクテショナ―やフィジシャンアシスタント、医療技術者に取って代わられるー私たちはこれらの専門職もより多く養成しなくてはならないということである。』


ここでは、近年我が国においても割合頻繁に聞く、医療分野におけるIOT・AI技術の普及、進化の先にある世界・社会について述べていると云えますが、その一方で、我が国においては、高等教育を受ける全人口のうち、こうした医療技術者・専門職となる教育を受ける人口の割合などについては、あまり聞くこともなく、また議論となっている様子も見受けられません・・。

あるいは、そうした議論を私が知らないだけであり、または医療分野におけるIOT・AI技術のみ進化すれば、医療自体も全体として随時良くなっていくであろうといった意見であるのかもしれませんが、しかし、後者であるとすれば、それは間違いと云えます。

具体例を一つ挙げますと、こうした近年のIOT・AIをはじめとするコンピューター技術の進化発展によって大きな変化を迫られている一つが「歯科技工」業界と云えます。

今からおよそ10年前、私が実習等で学んだ様々なタガート以来の20世紀初頭あるいはそれ以前からの歯科技工に関する技術は既に過去のものとなり、おそらく今後は、そうした過去の技術が、ある意味、汎用的ではない属人的な伝統技術のようなもののみとなり、それ以外の大半はコンピューターに有線・無線で接続された印象採得、デザイン、切削機器による歯科技工物の作製といった様相になると考えます。

そのように比較的近い将来の歯科技工業界を想像し、そこから現在を逆算していきますと、ほぼ当然のように、その教育・養成課程も変える必要性が生じると云えるのですが、そうした変革については、部分的なもの(いくつかの養成機関)として聞くことはありますが、養成機関全体として大きな方向転換を行ったというハナシは未だ聞いたことがありません・・。

あるいは、多くの既存養成機関では、こうした大きな教育・養成課程の変更は、さまざまな側面から困難であるのかもしれません・・。

そうしますと、新約聖書のマタイ伝にある「新しい酒は新しい革袋に盛れ」のように、口腔衛生指導・口腔ケア・診療補助といったこれまでの歯科衛生士の職分と歯科技工の双方に従事・対応出来るような資格・職種を設け、その教育・養成を行うような養成機関(あまり大規模ではない1学年100人程度の専門職大学あたりが妥当であるように思われます。)を新設するのが良いのではないかとも思われるのですが、さて如何でしょうか?

ちなみに、その小規模な専門職大学は教育・養成課程において近隣の大学歯学部・歯科大学および周辺医療機関との連携を取る必要性があることから、少なくとも設置当初は半官半民での運営体制が妥当であるのではないかと思われます。

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2019年9月21日土曜日

20190921 東京創元社刊 ウンベルト・エーコ著「薔薇の名前」上巻pp.30-33

 『私たち主従が行動を共にしていたあいだは、規則的な生活を送る機会があまりなかった。とりわけあの僧院に着いてからは、真夜中に目を覚ましたり昼間から疲れて眠りこんでしまったり、規則的に聖務日課に加わることはなかった。けれどもまだ旅から旅を続けていたころには、終課の後にまで師が目を覚ましていたためしは滅多になく、つねに節度ある習慣を保っていた。それが、あの僧院に入ってからは、しばしば生じたように、一日中薬草園を歩きまわって、緑玉や翠玉を探すみたいに、植物を調べていることがあった。あるいは地下聖堂の宝物庫を歩きまわって、朝顔の茂みを除きこむみたいに、緑玉や翠玉の鏤められた手箱に見とれていることもあった。あるいはまた、一日中文書館の写字室に籠って、自分の楽しみ以外の何ものも求めていないといわんばかりに、写本をめくっていることがあった。(私たちのまわりでは、日一日と、身の毛よだつばかりの殺され方をした修道僧の死体が殖えていったというのに)。ある日など、師は自分の没頭している仕事のために神さまへの務めなど気にかけていられないと言わんばかりに、やたらに僧院の中庭を歩きまわっていた。私が学んだ修道会ではこういう師の行動とはまったく違ったやり方で日課が定められていたから、思いきってそう言ってみた。すると師は、宇宙のすばらしさは多様性のうちの統一性にあるばかりでなく、統一性のうつの多様性にもあるのだ、と答えた。そういう返事は無教養な経験論に基づくもののように思えてなっらなかったが、後になってから、理性の働きはあまり重要な働きはしないという言い方で、師と同郷の人士たちが事物を規定することを知った。
 あの僧院では共に日夜を過ごしていたあいだ、師のほうは書物に積もった塵や、仕上がったばかりの細密画の金粉や、セヴェリーノの施療院で触れた黄色い物質などで、いつも両手を汚していた。それはまるで両手を使わなければ考えは進まない、と言わんばかりの態度であり、当時の私の目に師はときおり機械職人そのもののように映った(そして私がそれまでに受けてきた教育では、機械職人とは〈不倫ナ者〉であり、本来は貞節な結婚で知的生活と結ばれるべきなのに、いわば不倫を犯している者なのであった。)師の手が非常に壊れやすいものを、たとえば細密画を施し終わったばかりの手写本や、古くなって無酵母パンのようにもろくなり、崩れかけたページなどを取り扱うときには、少なくとも私の目には、師が並はずれて繊細な触角の持主であり、職人が自分の機械仕掛けに触れるときとまったく同じ手つきをしているように見えた。じじつ、いずれ述べることになろうが、このように風変りな人物であった師は、旅行用の袋のなかに、当時は私などが見たことも聞いたこともなかった道具類を所持していて、これを大切な機械類と称していた。機械とは技工の現れであり自然の模倣である、と師はいつでも言っていた。また、機械によって再生されるのは自然の形態ではなくて、作用そのものであるとも。こうして師は、時計の仕組みや天体観測器や磁石の秘密などを、私に説き明かしてくれた。しかし初めのうち、私はそれらを魔術のように恐れていたので、晴れた夜に師が(奇妙な三角形の道具を手にして)しきりに星座の観測を繰り返していたときなどには、眠っているふりをした。私がイタリアの各地や自分の故郷で知りあったフランチェスコ会修道士はみな素朴で単純な人たちばかりで、なかには文盲の人も少なくなかったから、師があまりにも博学の士であることに驚いてしまった。けれども師は微笑みながら、彼の故郷の島に住むフランチェスコ会修道士たちも自分とはまったく別種の人間だ、と私に言った。「ただしロジャー・ベーコン、この方を私は師とも仰いでいるのだが、この巨匠の説かれた言葉によれば、神の意図はやがて聖なる自然の魔術すなわち機械の科学となって実現されていくであろうという。また、人はやがて自然の力を用いて航海のための装置を造りあげ、船舶は〈人ノ力ノ支配ニヨッテノミ〉進むことができるようになるであろう、帆や櫂で進むよりはるかに迅速に航行できるようになり、さらには地上を走る車も別種のものになるであろうという。〈動物ニ牽カレナクトモ猛烈ナ勢イデ動ク車、サラニハ空飛ブ機械。人ハソノ機械ノ真中にスワリ、何ラカノ装置ヲマワスト、巧ミニ作ラレタ翼ガハバタイテ、鳥ミタイニ空ヲ飛ブデアロウ〉そしてごく小さな装置で非常に重いものを持ち上げるようにようになり、海底を進む乗物さえ造りだされるときが来るであろう」
 どこへ行けばそのような機械にお目にかかれるのかとたずねると、師はすでに古代において造られた例がある、そして私たちの同時代にはいくつか造られている、と答えた。「ただし、例外は空飛ぶ機械だ。これだけはわたしもまだ見たことがないし、見たという話を聞いたこともない。だが、その装置の考案にたずさわっている博学の士ならば、私は知っている。また、支柱を立てなくとも支点がなくても河川に橋梁を架けることができたり、それ以外にも、まだ聞いたことのない機械装置さえ造られているという。いままで存在しなかったからといって、疑いを抱くには当たらない、将来にも存在しないとは限らないからだ。そこで、おまえに言っておくが、神はなによりもそのような事物の存在を望んでおられるのだ。それが神慮のうちにすでにあることは疑いを入れない、たとえオッカムのわたしの親友〔ウィリアム〕がそのような形での思念の存在を否定しようとしても。なぜなら、わたしたちには神の性格が決定できるからではなく、そこに何らかの限界をも設けることができないからだ」このように矛盾する命題を師の口から聞いたのは、そのときに限らなかった。それにしても、すっかり年老いてあの当時よりはるかに賢明になったはずの私に、いまなお完全に理解しがたいのは、どうして師がオッカムの親友にあれほどまでの信頼を寄せていたのかという点であり、と同時にまた口癖の一つでもあったベーコンの言葉に、師があれほどまでに全幅の信頼を寄せていたのかという点だ。ともあれ、確かに言えるのは、あれが暗い時代の渦中の出来事であり、いかに賢明な人物であっても矛盾のうちに思索を進めなければならなかったということである。』
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2019年9月19日木曜日

20190919 クレイトン・M・クリステンセン著 「医療イノベーションの本質」p.365より抜粋引用

これまでは、現在のメディカルスクールが実行すべき持続的イノベーションのテーマについて述べてきた。メディカルスクールが破壊されつつあるという事実も、変化の緊急性を増すものとなる。 

これまでの章で紹介してきた医療の見通しにおいて重要な点は、将来必要となる医療線専門職の構成が現在のものとは異なっているだろうという点である。


専門医は、協業型ソリューションシップという複数の専門領域から成るチーム環境で直感的医療を実践できるように教育される必要がある。プライマリケア医は専門医を大きく破壊するだろう。

多くの疾患が直感的医療から精密医療の領域へと移行するのにつれ、また、総合診療医の診察室に世界最高の診断能力を持ったインターネットベースの意思決定ツールが普及するにつれ、必要とされる専門医はより少なく、プライマリケア医はより多くなるだろう。

さらに、今日の総合診療医の仕事の大部分は、ナースプラクテショナ―やフィジシャンアシスタント、医療技術者に取って代わられるー私たちはこれらの専門職もより多く養成しなくてはならないということである。



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2019年9月17日火曜日

20190916 文体について思ったこと(読んでいる書籍から思ったこと)

先週はブロガーにて新たに作成し、アメーバブログ上に転載した記事が、アメーバブログにて何度かランク・インしました。これら記事を読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。

このランク・インがどの程度のことであるのか、イマイチよく分かりませんし、また記事の作成においては特に気にすることでもないと思われるため、このまま出来る限り継続していこうと思います。また、それと関連して、今回投稿する当記事により、総投稿記事数が1210に到達します。

1210記事と云っても、あまり良い区切りではなく、また、去る7月終盤に到達した1200記事から、ようやく10記事の更新という速度は、多少遅いようにも思われるため、今後は週末を中心とした金・土・日のうちに2記事程度、新たに記事を更新していこうと思います。そうしますと、ひと月に少なくとも8記事程度は更新出来ることになり、したがって、年間100記事程度の更新ペースとなり、この程度であれば自身の感覚としては許容範囲となります・・(笑)。

とはいえ、年間100記事の更新ペースにて、このまま継続していきますと、2000記事への到達まで5年以上掛かることになりますので、また新たに先が思いやられて来ます(苦笑)。

そういえば、先日来から、また新たな書籍を数冊読み進めていますが、そのうちの1つは、おそらく歴史書に分類される著作であると思われますが、これは読み進めるのが面倒な割にはなかなか面白いといった、ある意味困った著作であり、感覚としては加藤周一著の「日本文学史序説」に近いものがあると思われます。おそらく、現在のペースにて読み進めますと、読了に至るまで数か月を要すると思われますが、この著作は出来るだけ読了まで至りたい、あるいはその価値があると考えています。

しかし、そのように考えてみますと、以前に読了した、ある程度の文量を持つ作品として思い起こされるのは司馬遼太郎著「翔ぶが如く」全10巻ですが、この作品も、現在考えてみますと「よく2か月程度で読み切ったな・・。」と多少思わないこともありません・・。そして、その理由について考えてみますと、おそらく小説作品には概ね、何と云いますか、読み進めて行きますと「その文体に乗せられる」といった性質があり、それにより読む速度が加速するのではないかと考えます。

他方、硬質な文体の学術書などは全般的に、そうした「文体に乗せられる」要素は乏しいものの、多くの情報が濃密に含まれており、それらが読み手にとって興味深いものであれば、ある程度速やかに読み進めることが出来るのではないかとも思われます・・。

また、そのように考えてみますと、ある程度昔の方が著した、硬質な文章により構成される著作でも、文章はそのままで、フォントのみ現在のものとしたものであれば比較的読み易いものもあり、陸奥宗光による「蹇蹇録」の文章は、現在においても十分に名文と評価し得るものと考えます。あるいはまた逆に、現在において、同時代(現在)を扱ったこうした文章を作成することが困難であることの方が問題であるのかもしれません・・(笑)。

ともあれ、こうしたことから「文体」にも時代性・流行のようなものがあり、意識されることは少ないのかもしれませんが、そうしたものを時代・国・地域などによる特徴を認識しておくことは、それなりに意味があるのではないかと考えます。

そしてまた、それと同時に、それぞれの時代・国・地域などにおける、何かしらの普遍的な特徴・傾向などをも見出すことが出来るということは、面白いことであり、そして、そうした認識に至るためには、やはり読み続け、そして、主体として書き続けることも大事であるように思われます。さて、もうしばらく書き続けていますと、何らかの認識の相転移のようなことは生じるのでしょうか・・(笑)。

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2019年9月15日日曜日

自身について 2007~2013年のこと

これまでにも何度か書いたことがありますが、私は歯科技工士の免許を保持しています。歯科技工士は、歯科補綴物(金歯・インプラント・ブリッジ・義歯など)の作製を業とする国家資格であり、その修業年限は専門学校、大学で異なり2~4年となっています。

私は人文社会科学分野の大学院修士課程を経て、歯科技工専門学校に入学し、卒業後、そのまま歯科生体材料学分野の大学院に進みました。また、私が歯科技工専門学校に入学した2007年の2年前、2005年に国内で初めて四年制大学(口腔工学専攻)としての歯科技工士養成が始まり、次いで2011年には、二つ目(口腔保健工学専攻)が設置されました。

つまり、私は歯科技工士の大学院生(あるいは大学院生の歯科技工士)としては、比較的早い段階にて大学院博士課程に進んだと云えます。とはいえ、その翌年(2010年)の秋には指導教員が退職されることとなり、そこからは多少苦労して、2013年に、どうにか学位取得にまで至ることが出来ました・・。

そして、その後はさらに(要らぬ?)苦労をして、(これまたどうにか)現在に至っていると云えますが、その間は歯科生体材料学分野はおろか、アカデミアからも遠ざかっていたことから、その分野での主体性を持った研究に携わることは(出来)なく、他方で、それ以前からの自身の性質である書籍を読むこと(これは大して褒められることではないが)を続けてきた結果により、一連のブログ記事が成立していると云えます・・。

人によっては「何故、その苦労していた期間に歯科生体材料学分野に積極的に関与しようとしなかったのか?」と難詰される方々もいらっしゃいましたが、しかし、2009年に兄が亡くなり、次いで2010年には歯科生体材料学分野の師匠が(おそらく心ならずも)退職されるような事態ともなれば、表層的には分からなくとも、心の深い部分にてダメージを受け・芯が疲れて、その分野から離れた方が良いのではないか・・?」と無意識に考えるようになることも自然であると考えます。

それ故、そうした難詰をされた方々、そして、それ以上に、そうした事態に私を運んでくださった(追い込んだ)関係各位の皆様には、是非、それと同様の経験をされることを切望いたします。また、こうした思いの吐露は、理性的とは云えない単なる怨恨感情の表出であるともとられかねなく、また、そのようにとられても仕方ありませんが、しかし、同時に、自身の正直な思いとしては、あくまでも上記の通りであり、また今後、その考えが払拭あるいは何らかの別の様相に昇華する可能性は(極めて)低いとも思われます・・。

そして、そうした危機的状況の真っ只中にいた鹿児島在住時(2010~2013年)は、週末の天文館から宇宿への散歩の際、イヤホンを耳にして、常時うつむき、そしてポケットに手を突っ込み、黙々と歩を進めていた記憶があります。そしてまたイヤなことが重なると「いなくなりたい」といった希死念慮のような思いがボンヤリと出現し、その思いをどうにか追い払うため、また外に出てしばらく散歩をしていました・・(苦笑)。

おそらく、こうしたことは大学では表に出すことはなく、また他者に気が付かれることもなかったと思われ、そしてまた、そうした心的状況は現在でも思い出すことは出来ますが、しかし同時に、あまり意図して想起したいものではないとも云えます・・(苦笑)。

その一方で、時折、そうした心的状況が多少好転するような出来事も生じることがあり、学会発表での受賞、文系院時代からの知人の鹿児島訪問、講座での飲み会(のんかた)そして、その他のそうしたイベントは、まさに、そうした時期での精神的なオアシスであったと云えます。

ともあれ、今回の記事作成にて何故、こうしたことを題材としたものか分かりませんが、次の投稿記事においては、もう少し、そのこと(好転するような出来事)について書いてみようと思います。

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2019年9月8日日曜日

「八つ墓村」オリジナル小説と映画作品の違いから思ったこと

先週投稿のブログ記事にて書くことを忘れていましたが、先日来から読み進めていました中路啓太による「ロンドン狂瀾」および横溝正史著「八つ墓村」は、先週の時点にて読了していました。現在も新たにいくつかの著作を読み進めていますが、その著作につきましては、また後日投稿のブログにて述べさせて頂きます。

さて、読了した「ロンドン狂瀾」は、その結末に続く歴史の展開が、まさに昭和の15年戦争そして同時に、我が国近現代の悲劇の幕開けであるとも云えますので、そこには何かしら重苦しいものがあると云えます・・。

また、「八つ墓村」につきましては、これまでに観た野村芳太郎監督による同名映画作品とは微妙に何人かの登場人物の性格等の描写、そして物語の結末が異なりますが、私の意見としては、映画版の方がより、我が国特有の湿気の多い、説明のつかない怪談的な怖さが濃厚であり、他方、横溝正史によるオリジナルの小説版は、コナン・ドイルによるシャーロック・ホームズシリーズの「ヴァスカビル家の犬」のように、物語背景の道具立ては怪奇と見えるものではあっても科学的な説明がつく、という意味でスジは通っているのですが、さきに述べたような「説明のつかない怪談的な怖さ」は案外と希薄であったことから、多少肩すかしを受けたようにも感じました。

とはいえ「八つ墓村」読了後、数日経て不図思い浮かんだことは、この小説版にて描かれている世界観、あるいは作品全体を包括する雰囲気が「日本霊異記」あるいは「今昔物語」に近いのではないかということです。もちろん「日本霊異記」「今昔物語」何れにも霊異、怪奇的と評し得る物語は載っているのですが、その「重さ」「暗さ」あるいはより端的には「おどろおどろしさ」があまり「これでもか!」と云わんばかりには描いていないと思われるのです。

つまり、霊異、怪奇的と云える事柄も共通して比較的サラッと淡泊に描いているのが「日本霊異記」「今昔物語」そして小説版「八つ墓村」ではないかということです。

他方で、野村芳太郎監督作品「八つ墓村」の最終シーンでは、かつて村人に惨殺された八人の尼子家の遺臣達が、村を見渡せる丘の上で、燃え盛る多治見家(かつて尼子遺臣達の惨殺を先導した村惣代の子孫の家筋)の屋敷を毒々しい笑顔で見守っている場面がありましたが、こうした描写、演出は、より映画作品として「おどろおどろしさ」の効果を狙ったものであったのではないかと思われました。

また、こうした同一作品の小説版と映画作品との間にある、さまざまな描写の相違の傾向のようなものを考えてみますと、それはそれで面白いようにも思われました・・。

そういえば、先日「人間の経験」について述べたブログ記事をいくつか投稿しましたが、それら記事が思いのほか多くの方々に読んで頂けていました。これらを読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。

ともあれ、基本的に我々人間は全般として、自らが経験、知覚した事柄でないと、それについての「生きた文章」を作成することが困難であると考えます。そして、そうした背景の認識があってはじめて、ミゲル・デ・セルバンテスによる「ドン・キホーテ」の面白さのようなものが生き生きと読者に伝わるのではないかと思われるのです・・。

そこから、1つの意見ですが「ドン・キホーテ」の執筆を行っている、あるいはそこに至るまでのミゲル・デ・セルバンテスの人生遍歴を物語、あるいは映画作品として作成しましたら大変面白いものが出来るのではないかと思われますが、さて、如何でしょうか(笑)?(セルバンテスの伝記はありそうなので後日、探してみようと思います。)

さて、さきほど、ウィキペディアで調べてみた程度ですが、そこで知る限りではミゲル・デ・セルバンテスの人生は波乱万丈であり、「ベン・ハー」の原作者ルー・ウォーレスあるいは「この私、クラウディウス」「さらば古きものよ」著者のロバート・グレーヴスと比較してみても、その波乱万丈の程度は勝っているのではないかと思われます・・。
そして、そうした経験を持つ著者の作品が400年以上にわたり、名著として世界中多くの人々に読まれているという事実は「本物の文化」というものを考える上で示唆するものが何がしか含まれているのではないかと思われるのですが、さて、如何でしょうか?

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2019年9月1日日曜日

20190831 先日のフェイスブックでの写真投稿から【人文社会科学系と専門職大学】

先日、かなり久しぶりにFacebookにて写真を投稿したところ、思いのほかに多くの反応があり、驚かされました。また、おそらくそれに付随して、昨日のアメーバブログでの1日の閲覧者数が65人と、これまでの私のアメーバブログとしては、かなり多くの方々に読んで頂けました。

それら中で特に多く読んで頂いて記事は「久しぶりに民俗学の書籍を読んで思ったこと、歯科医療職の教育課程に対しての提案【20180905】」と「20181026 師匠からのメールの返信で思ったこと・・『浮く』何か?」そして「『野良犬』であった自分が思ったこと・・【20181109】」といった具合でした。

以前に何度か書いたことではありますが、近年、医療系専門職大学の新設が目立っていますが、こうした流れは今後もしばらく続き、あるいは既存の一条校である大学が専門職大学を併設する、さらには国公立大学であっても、何らかの機関を通して他大学、企業と共に専門職大学を設置、運営に関与するといった(面白い)事態も生じる可能性が少なからずあると考えます。

かねてより私は人文社会科学系学問はきわめて重要であると考えていますが、他方で、戦後以来、現在に至るまでの我が国の歴史を鑑みますと、我が国の高等教育においては人文社会科学系の教育(特にマスプロ教育!)を施しても、そこまで有益な結果につながらないのではないかと思われるのです。

そうであれば、概ね普遍的と云える人体に関するさまざまな医療に関する知識を学生時代に学び、卒業の後は当該専門職「以外」の職にも就くことが出来るような世の中の方が、我が国の場合、持続可能性・発展持続性を担保出来るのではないかと考えます。

そうしますと、各学部学生数などの編成も変える必要性が生じますが、そうであっても今後の我が国のことを考えますと、全大学の人文社会科学系学生数定員を現在の三分の二程度まで減らし、一方で新設の医療・介護系の大学、専門職大学、学部、学科の新設を出来るだけ認可の方向で進めることにより、比較的速やかに既存の社会構造を、より持続可能性、発展持続性のあるものに変えることが出来るのではないかと考えます。

その背景にあるのは、我が国全般の特徴と云える、即物性、此岸的傾向を良い方向に伸ばすことが出来るのが、物体とその名称の対応関係が(相対的に)明確であり、且つその知識体系が普遍的である人体に関する医学的知識であるという考えです。

我が国のさまざまな高等教育での制度は欧州・米国から移入したものですが、さらにその背景にある民族的な国民性といった要素については、おそらく考えていなかったのではないかと考えます。

古くからの我が国の変わらない性質は、神や宗教を論じたりする抽象的な思弁性よりも、具体的に存在する何かを手で触触れることにより、自分なりに確固たる知見を手に入れ、そして体系を組み立てるところに長けているといったところであると考えます。

そして、その性質を良い意味で助長することが出来るのが人体に関する医学的知識であると考えます。また、そうした知識をより多くの人々が学ぶことが出来る社会の成立こそが、今後、我が国の国際的影響力・競争力を維持、拡大そして国内社会での持続可能性を担保するために重要であると考えるのですが、さて、如何でしょうか。

*そういえば、先日アメーバブログでの参加ジャンルランキングにて23位となりました。このジャンルのランクがどういった経緯にて決まっているか分かりませんが、それでも読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。また、今後もよろしければ、どうぞよろしくお願いいたします。

今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。









日本福祉大学
オープンキャンパス

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新版発行決定!
ISBN978-4-263-46420-5

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前掲書籍の主著者である師匠による歯科材料全般あるいは、いくつかの歯科材料に関しての勉強会・講演会の開催を検討されていましたら、ご相談承ります。師匠はこれまで長年、大学歯学部・歯科衛生・歯科技工専門学校にて教鞭を執られた経験から、さまざまなご要望に対応させて頂くことが可能です。

上記以外、他分野での研究室・法人・院内等の勉強会・特別講義のご相談も承ります。
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