2015年10月5日月曜日

20150804 文系と理系および儒家と墨家について・・

A「最近ブログはじめたんだって・・?」

B「はあ、そうですが、何故わかったのですか?」

A「いや、そりゃ色々聞くからね、でも、ああいうのは誰が見ているか分からないけど、大丈夫なのかね・・?」

B「ええ、それは知っていますが、まあ何かしら書いていた方が良さそうですからね・・それに内容もそこまで過激なことは書いていない、選んでいないと思うのですが・・。」

A「君のそれはあまりあてにならないからね・・それに毒づいたり、足を引っ張ったりする人達ってのは、どんな細かいことでも材料にしたがるからね。そういうのは君もよく知っているはずだと思ったのだけれど・・。」

B「はあ、確かに2ちゃんねるとかをたまに見ますと、どうにもならないくらい憂鬱になってくることもありますし、多分**はそれが精神的に大分応えたのだと思います。しかし一方、今の私の様な状況でしたら、ブログでもやっていないと正気が保てないような気がするのです。それに読んだ本の面白い箇所を備忘録的に残しておくのは、結構有益だと思いますしね・・。」

A「ふむ、まあ君がそういうのだったら、いいけれど、とにかく気をつけなさいよ・・。」

B「御心配どうもありがとうございます。気をつけます。あと、気が向いたら是非ブログを読んで感想でもお聞かせください。」

A「ああ、わかったよ。」

B「それで、最近思ったことなのですけれど、学問、研究分野を大別すると文系、理系になりますが、文系の学問というのは、一つのトピックをある程度勉強なり研究してはじめてその背後にある、もう少し大きな体系みたいなのが見えてくるという傾向があると思います。それに対し理系学問一般は先ず概論あるいは体系を学び、次いで各論に入っていくという傾向があり、これは前者が帰納法的、後者が演繹法的であるのではないかなと思いましたが、どうでしょうか・・?」

A「うーん僕は理系のことはよくわからないけれど、君がそう云うんだったらそういう傾向もあるかもしれないね・・しかし、演繹、帰納ってのは本来、砂山のトンネル作りみたいに、両方から掘り進んで開通、貫通する為の方法みたいなものだと思うんだけれどねえ・・。」

B「ええ、それは仰る通りだと思います。あと、もう一つは前者が秘教、呪術的、観念的な側面があり、後者に普遍的、実際的あと技術重視といった側面がありますが、これは古代中国の儒家墨家に通じるのではないかなと思います。」

A「文系が儒家的であり、理系が墨家的ということかね?」

B「ええ、そうです。元来漢字の起源とは、の時代からの甲骨文字で、これは当初文字通り、動物の肩甲骨を用いた占い、呪術に用いられたのです。そして、漢字の「儒」の本来の意味、起源とは、左側が人で、右側の上は「雨」そして下の「而」は髪型を指しまして、これは、当時占い、呪術などを司る職掌の人々は一般の人々と異なり、笄を用いて髷を結わない、まあザンバラ髪だったのですが、その髪型を指しているのです。つまり、あの「儒」の意味とは、雨乞い呪術をするザンバラ髪の特定の職掌の人々という意味で、呪術用文字に慣れ親しんでいる、親和性を持つ人々を指していたのです。だから後世において儒者が歴史、呪術、儀式、祭祀等を司る様になったのは、自然なことなのです。さらに後世、それは文系学問となったのです。多分、明治以前までは日本においてもそういった流れが自然に存在していたんじゃないかなと思います。また、文化の蓄積が重厚な西日本では日常生活から案外そんなことが感覚として理解できるのではないかなとも思います・・。」

A「何だか壮大な話だね・・。でも確かに江戸時代の儒者軍学者、漢方医、山伏等はザンバラ髪をしていたのが多いよね、ああいうのもそういうのが起源なのかもしれない・・。ううむ、うっかり信じてしまいそうだ・・。それで、墨家の方はどうなんだい。」

B「ええ、もともと墨とは墨刑のことで、これは日本でも明治時代まであったのですが、当時、ある程度の軽い罪を犯すと顔や腕に入墨をして、他の人々と区別したそうです。そしてこの墨刑に処された人々の多くは、宗教施設等を含む当時の公的機関に付随する様々な作業に従事することになり、そしてそこから様々な分野における技術知識、まあ現在で云うところの理系学問分野知識が蓄積され、それが墨家という実際的、技術重視の教団を形成したのです。ついでに日本、特に西日本においてもこういった傾向はあり、古墳が盛んに築かれ、その継続として古くからの寺社が多く存在する西日本の地域には大概、何らかの伝統的技術の蓄積が見られます。例えば大阪堺における須恵器、刃物、鉄砲、歯車などは全てこういった蓄積の系譜に立つものと云ってもいいかもしれません。但し、日本においては、こういった技術の蓄積は墨刑とはあまり関係ないと思われます。それよりも大陸より渡来した先端技術が在来技術と癒合、定着しやすい文化的土壌が古来より継続して存在していたといった方が精確であると思います。また、墨家は集団で行動していたことが多かったというのも現在の理系学問分野と親和性があると思います。彼等は大概、数人の連名で論文、学会発表をしますからね、これは当たり前だと思っていましたが、以前、知人の文系学問研究者に云われてはじめて気が付きました・・。」

A「なるほど、期せずして、理系、文系の対立?を墨家、儒家の間に見たわけか・・?」

B「ええ、そうです。古来より儒家は文字を用いて建前、前提の無い神託テーゼ的なことを述べ、それに対し墨家は実際的な内容、アンチテーゼ的なことを述べ、対立することが多かったようです。しかし結果的にはそれが、様々な進化を呼び起こすには好都合な環境であったのかもしれませんね・・。
ただ、どちらか権力を独占、覇権を握ると、こういった進化に好都合な緊張を持った均衡の状態が崩され、次いで進化を伴わない均衡の状態が生成するのです・・江戸時代中期以降(18世紀中頃)の日本は多分そういった感じだったのではないでしょうか?
そして、そういった状況に別の系で進化を経てきた実際的、技術重視の西洋文明が出現し、新たな発展が、まあ、外発的、他律的にではありますが、促され、後代ある程度それが安定すると、儒家的あるいは観念的思想が再度覇権を握り、神がかり的な社会となり、太平洋戦争に至ったのではないかと思います。まあ、短絡的に表現しましたが・・。」

A「なるほど、弁証法できますか・・。じゃあ、その伝でいくと、今の大学あるいはその背後の社会の状況を見てみると墨家的な志向が強いのかな・・?」

B「ええ、多分そうだと思います。しかし、この状況は決して悪くないと思います。何故ならば、文系学問の多くはこれまで蓋然性よりも可能性の有無、実際よりも仮説、全体を忘れた個の重視に力点を置く傾向があったと思いますので、これで多少はそういった傾向が是正されるのではないかと思います。
さらに方法論的なところで理系的なものの採用、あるいは、教養段階における手作業を伴う何らかの技術教育なんかは案外重要であり、その後の論理的な思考の発展、感性の洗練において役立つのではないかと思います。ちなみに地下鉄サリン事件で有名なあの教団は、修行の一環で半導体の組み立て、PCの製作があったというのですが、ああいった細かい作業をしていると、何か日常的な視野におけるものとは違ったもの、観念が脳裏に現出して、それが宗教の洗脳、良く云えば定着化、インカーネーション(incarnation・血肉化)に何かしらの影響があるのかもしれない・・と思いました。」

A「ふーん、穏やかだか、穏やかじゃないか分からないけれど、元々日本人は細かい作業が好きでそういうのに熱中し易い傾向があるからね・・あと、ゲーテ曰く「顕微鏡は正常な人間の感覚を狂わせる」であったけれど、時代がここに至れば、そうとばかりも云ってられず、一種の複眼的思考をしないとダメということなのかねえ・・。」

B「ええ、その複眼的思考がジョージ・オーウェルの「1984」でいうところのダブルシンクにならない限りにおいては意味があるのではないかと思います。ただ、このダブルシンクとは実は日本人の多くが本音、建前として日常的にしていることで、これが更に進行、悪化しますと、言葉とそれに付随する意味といった最も根源的なところが脅かされるようになると思うのです。こういう社会は露悪的だろうと偽善的であろうと、どうにもならない疑心暗鬼に成らざるを得ず、結果として社会、文化の発展を阻害し、結果的に衰亡させるのではないかと思います・・。その意味では儒家的なものは根源において保持、維持されなければならないと思いますが、どうですかね・・?」

A「うーん確かに現在の日本には超越的な価値の拠り所、あるいは正典みたいなものがないからねえ・・そういうのは大事だとは常々思うけれども、一方、太平洋戦争に負けた日本にとって、それに成り得る、代わるものがあるのかねえ・・?」

B「ええ、そこなのですが・・今更大戦争はあり得ないですし、戦前の様な天皇観に戻す、変化させることは不可能ですし、また、あまり良いと思いません。しかし、そうかと云って強力なリーダーシップを持つ政府などは、その内実において何を企んでいる、考えているのか分かりませんから、これは実に難しい問題であると思います・・。」

A「おい、君はもう既に疑心暗鬼に陥っているんじゃないかね?」

B「ああ、なるほど、確かにそうかもしれませんね・・。」

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