この荒田八幡宮は鹿児島有数の古社であり、かつては弓矢の神である八幡神を祀る神社らしく流鏑馬神事も行われていたという。そして、その名残によるものか、近くに騎射場(きしゃば)という地名もある。この騎射場という地名はそれまで見聞したことはなかったが、同じ音をもつものとして喜舎場(きしゃば)という琉球、沖縄の地名、苗字は聞いたことがあった。
では、この喜舎とはどの様な意味であろうかと考えた際、仏教用語の「喜捨」が浮かんだ。その意味とは現代で云うところの寄付であり、仏教的意味合いとしては功徳につながるものであるという。また、この功徳という意味において神道ではあるが、前述した八幡宮にて名高い鳥、魚などを野に放つ放生会(ほうじょうえ)に親和性を持つと考える。
八幡宮の本家である宇佐八幡宮における放生会神事の起源とは、朝廷に対し反旗を翻し、戦にて倒れ死んだ隼人の鎮魂の意味であったという。つまり亡くなった生命の代わりに新たな生命を放つということであると思われるが、その様に考えると、荒田八幡近くに騎射場(きしゃば、喜捨)があり、その近くに放生会神事にふさわしい池があり、さらに動物園がそこにあったことは大変興味深く、かつてそれらの間に何らかの関係性が認識されていたのではないかと考えることができる。
八幡宮の本家である宇佐八幡宮における放生会神事の起源とは、朝廷に対し反旗を翻し、戦にて倒れ死んだ隼人の鎮魂の意味であったという。つまり亡くなった生命の代わりに新たな生命を放つということであると思われるが、その様に考えると、荒田八幡近くに騎射場(きしゃば、喜捨)があり、その近くに放生会神事にふさわしい池があり、さらに動物園がそこにあったことは大変興味深く、かつてそれらの間に何らかの関係性が認識されていたのではないかと考えることができる。
別件ではあるが、千葉県市川市八幡の葛飾八幡宮の近くに「八幡藪知らず」がある。ここはかつて広大な藪であり、一度入ると祟り迷宮の様に出られず、諸国漫遊で名高い水戸黄門もここに足を踏み入れ祟りにあったという。
ともあれ、現在その起源、いわれは明確には分かっていないが、一説には近くの葛飾八幡宮の放生会神事が行われた池がこの場所に存在していたのではないかという。
当初、放生会神事の行われる池などは神域として足を踏み入れることができなかったが、後の時代に神社の影響力が弱まり、神域としての観念が薄れた結果、地名の当て字の変化あるいは単に祟る場所として各々認識される様になったのではないかと考えられる。
しかし武の神として名高い八幡神であるが、その一方において放生会といった鎮魂、生命の保護、繁栄を願う側面がその本来の姿として存在することは、前述の変容の現象を自然なものとして認識することが可能となり、それに伴い言葉による思想、時代を超えた原初的な信仰観念らしきもの存在を考えさせられる。
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