B「ええ、お陰さまです。
それでもまだ抜粋してみたい文章、書いてみたいことが多くあるような気がします。
しかしその一方で「一体私は何をやっているのだ?こんなことをやっているのなら、ダメもとでいいから、就職活動を、応募書類の発送をした方が良いのではないか?」と思うことが多々あります。
しかしそういった気持ちは応募職種の内容を読み本当に自分に適した職種であるかどうか慎重に判断することにより、以前に比べ大分抑えられています。」
A「色々なスポーツの試合の流れみたいなものが多分こういうのにもあると思います。
ですから、ここは慎重でいいと思います。それにBさんみたいな人が活躍できる場所、職種はあると思いますし、また、そういった情報は自然に入ってきます。」
B「そんなものでしょうかね・・?
しかし、どうもありがとうございます。
その様に云ってくれる方々がほんのわずかでもいることが現在の私をどうにか支えてくれています。
しかし、ここ最近どうも胃が痛むようになってきました。
元々体は頑丈な方なので、多分これはストレスによるものだろうと思います・・。
それにしても今年に入ってから本当に色々なことがありました。
最近では自分の専門分野、研究内容が何であるのかさえよくわからなくなってきました・・。
しかし私の場合、得たものも多くありましたので、それはそれでいいのかもしれません・・。」
A「ええ、それでもBさんは元々は多分文系だと思います。
ですから***でのレジュメを箇条書きで持って来られた時には「一体何が起きたのか?!」って思いましたよ(笑)。
ですから、今の感じでブログを続けて色々と考え続けていけば、たとえまた理系の環境に入っても、ある程度そこに浸かっていればまた馴染んでいくことができると思いますよ。」
B「ええ、どうもありがとうございます・・。
それは確かに自分でもある程度はそうではないかと思います。
そして、その先に多分、自分にしかわからない、自身の能力の限界みたいなものがあるのではないかと思います。
そうした中で応募要項などを読み、応募の可否を判断するのが
なかなか難しいです・・。」
A「ああ、そういうのはわかります。
「Read between the lines.」や「眼光紙背に徹す」みたいな感じですよね。」
B「ええそうです。
そしてそれに関連して、またブログの話に戻るのですが、毎回ブログを投稿しますと、その投稿したブログに関連する内容を記した既に投稿したブログに+1を敢えてつけてきたりすることがあるのですが、これは見ていて「こいつやるなあ!」って思いますが実はこれAさんのしわざではないでしょうか?」
A「いやあ、私はそこまでやりませんよ・・(笑)。
しかし、そこまで読んでくれている人がいるというのはありがたいかぎりじゃないですか?」
B「ええ、それはおっしゃる通りです。
その様なよく分からないけれども面白い反応にも支えられて、どうにか投稿数3桁までいくことができたのだと思います。ただ、こういった反応ができるのは、果たして運用できる知識の量に基づいているのか?
あるいは論理的な思考能力の高さに基づいているのか?
はたまたその双方によるものであるのかイマイチよくわからないのです。
案外単なる自意識過剰、幽霊の正体見たり枯尾花というような感じかもしれませんが、なんといいますか、あのモビルスーツのテレビアニメ初代の主人公が相対する敵の動き、反応などを見て、感じてそれが因縁の宿敵であると了解するようなものかもしれません・・(笑)。
A「Bさん、それは面白いですけれども中二病全開の発言ですね(笑)。
それでも楽しんでブログを作成されている様子がよく伝わってきますよ。」
B「いやいや、それは少し違いますよ(笑)。
ブログを作成している根本の理由とは、あくまでも今の私の状況では、そういったことを何かしらしていないとどうも落ち着かないといった理由からであり、たとえて云いますと、一応好きで入った部活でも雨の日で練習が中止になると嬉しいみたいな感じではないでしょうか?
しかしそれでも、ブログを続けていきますと、先ほどの様な反応の発見があったり、さらに抜粋文章を見ておりますと、そこから何かしら小さな発見を見つけることもあります。
たとえば林屋辰三郎著の「日本の古代文化」での抜粋で示した斧鉞とファスケスの間における意味合いの類似などはこれまでに書籍で読んだことがありませんので、もしかしたら初の発見、指摘であるかもしれません。
もちろん別に違っていても一向に構わないのですが、二つ目として同じ抜粋内における紀生磐の朝鮮半島における行動と和歌山県和歌山市の大谷古墳から出土した馬冑とは何か関係があるのではないかとも考えさせられます。
三つ目は谷川健一著「古代学への招待」での抜粋が挙げられますが、これは読んでいただければお分かりになると思います。そのような自分なりの発見があることから続けていくうちに楽しくなってきた部分は少なからず確かにあります。」
三つ目は谷川健一著「古代学への招待」での抜粋が挙げられますが、これは読んでいただければお分かりになると思います。そのような自分なりの発見があることから続けていくうちに楽しくなってきた部分は少なからず確かにあります。」
A「うーん、はじめの方のたとえはあまり上手いとは思えませんがニュアンスは伝わってきました。
また、その後におっしゃたことはよくわかります。そして早いところ良い就職口が見つかり、その後、Aさんのブログの更なる洗練を楽しみにしてます。」
B「ええ、私も早いところ自身が納得のできる職に就きたいところですが、そうなったら、このブログは止めるか、あるいは更新は少なくなると思います。
就いた職を本業とするわけですから・・現在のこのブログ作成は健康維持、精神衛生のために行っているようなものなのです・・。」
A「それでもBさんの声は以前とあまり変らずお元気そうですね。」
B「ああ、声といいますかAさん達と話す時に用いる言語体系が多分、私にとって使い心地が良いので多分そうなるのではないかと思います。
しかし現実では笑顔を出すのも以前に比べ自然にできなくなってきたと思います・・。
この様なことは一見よくわからないかもしれませんが、以前ブログで投稿した中井久夫著「アリアドネからの糸」に書かれており、また以前より読み続けている著作の中においても最近見つけましたので、今度その抜粋を投稿しようと考えております。
あとは前に確かCさんが仰っていたのですが「指導教員が留学生を相手に英語で話している時にはどうもテンションが変わる」というのと類似した現象がここで起きているではないかと思います。
あるいはこういったものは昔の映画の「マイ・フェア・レディ」の主題にも近いかもしれませんね・・。
いや、あの映画の場合、言語体系というよりも、より表層に近い発声、発語のあたりに重点を置いているかもしれません。
ああ、あと、それでしたら、ウンベルト・エーコ原作の小説あるいは映画の「薔薇の名前」がそういった言語体系とか笑いを主題にしていましたね。
この著作は多分私がはじめて挑んだ海外作家のある程度難解な長編小説でした。」
A「マイ・フェア・レディ」は観たことがありませんが「薔薇の名前」は以前観ました。確かショーン・コネリー出演の中世末期修道院を舞台にした推理ものですよね。私はあれを観るとどうも「インディ・ジョーンズ」の「最後の聖戦」を思い出してしまいますが、小説の方は面白いのですか?」
B「ええ、確かに「最後の聖戦」を思い出しますね(笑)。
それで「薔薇の名前」の小説は面白いですよ。
今でも本箱の中に入っているはずです。
ちなみに私はそれを読んだのと前後して岩波文庫版ニーチェの「ツァラトゥストラかく語りき」を読んだのをよく覚えています。「薔薇の名前」に関しては学問・研究の成果そして真理の保存およびそれら真理の進化、発展と笑いとの関係が重要なテーマとして扱われていると思います。
いずれにしても笑いとは、様々な進化、発展の成果の硬直化を防ぐために大事な要素であるとは思いますが、同時に今度はそれが勝ち過ぎた社会とは、これまたニヒリズムに陥り、先ほどのニーチェの「ツァラトゥストラかく語りき」と関係あるのかもしれませんが、スタンリー・キューブリック監督の映画「時計仕掛けのオレンジ」の様な社会になってしまうのかもしれません。
ちなみにこの映画は大分昔に制作されたものですが、現在こそ観るべき価値のあるものではないかと思います。
内容に関してはただ大変興味深いとしか云いませんが、スタンリー・キューブリックはまた、音楽の使い方が大変上手いと思います。「時計仕掛けのオレンジ」ではベートーベンの第九交響曲が多用されています。
そして同時にほんの少しですが、ロッシーニの歌劇「ウィリアム・テル」序曲終幕の「スイス兵の行進」という曲が同映画内で使われています。
ベートーベンの第九の第四楽章合唱の歌詞はシラーの詩が基にあり、同時にロッシーニの歌劇「ウィリアム・テル」もその基がシラーなのです。
こういうよくわからない共通性は果たして制作の際に監督が意図したものであるのか、あるいはそうでないのかよくわかりませんが何れにしても面白いものです。」
A「ええ、今度「時計仕掛けのオレンジ」を観てみます。
私も同監督作品の「博士の異常な愛情」という作品を先日観ましたが、あれも現在なお面白い映画ですね。またおっしゃった映画内の音楽についてはよければブログの中で示してください。後日拝聴します。」
B「ええ、了解しました。」
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