2026年5月14日木曜日

20260514「フィルターとしての私」と知性

 我々は日々、会話、SNS、PC・スマホ、テレビ、書籍などからの膨大な情報に接して生きています。これらから得られる情報は、意識しなければ、そのまま通り過ぎていきます。こうして、ただ情報を得ている状態は、いわば情報の「消費」に留まっている状態であると云えます。そして、そこには知性はあまり関与していません。では、知性が情報に関与するとは、どういうことでしょうか?それは、端的に、ある情報に触れた時に「私はこれをどう認識するのか?」と云う、能動的な問いが自然に生じる状態であると考えます。そして、ここで重要であるのか「フィルターとしての私」です。我々は皆、普段、同じ世界を見ているようでいながら、実際には異なるものを見ています。ある人は数字に目を向け、ある人は歴史的な背景を読み取り、またある人は自らの感覚に注目します。こうした差異は、単に知識量の違いではなく、それぞれの人が積み重ねてきた経験や思索の蓄積によって形成された「ものの見方の癖」によるものと云えます。つまり、読んだ本、出会った人、繰り返してきた習慣や鍛錬が、幾層にも重なり、その人独自ののフィルターを形成するのです。そうした意味から知性とは、まず、この自分なりのフィルターを持ち、そして、それを通して世界に「引っかかり」を見出すことから始まるのだと考えます。そして次に、その引っかかりを「解釈」へと進める段階があります。ここでの解釈とは、ただ意味を付与することではなく、与えられた事実に対して問いを深めていく営為であると云えます。具体例を挙げますと「地方大学の多くで受験生が減少している」という情報に接したとき、「少子化だから仕方がない」と結論づけて終わるのは、さきの情報の消費にすぎません。しかし「何故、少子化とはいえ地方大学から先に受験生の深刻な減少が生じるのか?」そして「地方で大学が減少すると、どのような変化が社会に生じるのか?」といった問いを重ねていきますと、そこから、また新たな意味の連関が惹起されます。これは、バラバラの情報を単に並べるのではなく、それらを結びつけて、自分しか見えないような構造を見出す作業であると云えます。換言しますと、点と点を結び付け、自分なりの星座を見出すような営みと云えるのではないでしょうか?そして最後に、その解釈を「言語化する」という段階に至ります。そして、この段階、過程こそが知性の核心であると云えます。なぜならば、我々は言語化にしない限り、自らが何を考えているのか精確に把握することが出来ないからです。頭の中で「理解したつもり」になっている状態は、多くの場合、曖昧なまま放置されている状態です。それを口語なり文語なり言語化してはじめて、その論理の飛躍や前提の曖昧さなどが露わになります。そして、この時に初めて、自らの思考が試され、磨かれるのだと考えます。言語化することは、単に他者に伝えるための行為ではなく、自らの考えを明晰化するための不可欠な過程なのです。さらに重要であるのは、自分の言葉で言語化することは責任が伴うという点です。既存の正解をなぞるだけであれば、安全であり、批判を受けることも少ないです。しかし、そこには「自分」が存在しません。一方で、自分のフィルターを通して解釈を言語化することは、「私はこのように世界を見ている」と表明することです。それは誤りを含む可能性もありますが、そのリスクを引き受けた言葉だけが、他者にとって新たな視点となり得ます。ここにおいて、知性とは単なる能力ではなく、一つの態度、あるいは覚悟となります。以上のことを踏まえますと、知性とは「ただ情報を蓄積すること」ではなく、「世界を一度自分の中で咀嚼し、再構成して表現する力」であると整理することが出来るのではないでしょうか?料理にたとえますと、材料を集めることが知性ではなくて、それをどのように調理し、どのような料理にするかに本質があると考えます。同じ材料であっても、料理人によって全く異なる料理が生まれるように、同じ世界を前にしても、人によりその意味は異なります。その差こそが知性の相違であると考えます。そして、この営みは一度きりのものではなく、反復により鍛えられていきます。考え、言語化し、表現して、また考え直す。この循環を繰り返すことにより、フィルターはより精緻なもなものとなり、解釈はより深まり、言葉はより明晰になっていきます。そこから、知性とは、瞬間的なひらめきではなく、むしろ、この循環、反復のなかで徐々に考えが形成されていくメカニズムであると云えるのではないでしょうか。ともあれ、今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。


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2026年5月13日水曜日

20260512 調べものという習慣:引用記事から科学的文章作成への連関

 ここ最近、続けて書籍からの引用記事を作成・投稿してきましたが、そのおかげもあり、これまでの総投稿記事数は2460を超えました。引用記事の作成は、それなりに楽しい部分があるため、一旦始めますと継続することが出来るのですが、そればかり続けていますと、徐々に精神が変容するのか、あるいは精神の他の部分が主張を始めるのか、こうした自らによる文章の作成をしたくなります。

 さて、こうした自発的な文章作成は、以前にも述べましたとおり、2015年より現在まで当ブログにて(どうにか)継続しており、また、そのおかげもあってか、現在は当ブログ以外においても定期的に執筆の機会を頂いております。そこで作成する文章は、当ブログにて作成するものと比較して、さらに科学的要素が強いと云えます。それは基本的な文章の作成方法が異なるからであり、科学的要素が相対的に乏しいと云える当ブログでは、執筆中に書籍などを用いた調べものをすることは多くありません。しかし、もう一つのより科学的な文章の方では、その都度、調べものや確認をしつつ作成するといった進め方であり、こちらは、勉強にもなり、また時には当ブログでの新たな記事作成の材料にもなります。それ故、こうした文章作成の機会があることは、大変にありがたいことであると云えます。

 つまり現在の私は、当ブログでの文章作成、より科学的な内容での文章作成、そして先に述べました引用記事の作成という、三つの方法を使い分けていることになります。さて、さきに引用記事の作成には楽しさがあると述べましたが、その楽しさとは、書籍の頁を開き文章をキーボードで入力し、その言葉が画面上に顕われるのを見て、そこで用いられている単語などの意味を改めて調べたくなるような楽しさです。

 そのようにして一記事作成しますと、当ブログでの執筆と比較しても同程度の疲労感がありますが、この引用記事作成での「調べものをする習慣」があったからこそ、新たな科学的要素の強い文章作成も出来るようになったのではないかと考えます。

 それぞれにある種のやりがいはあるのですが、私の文章作成の原点はあくまで当ブログであり、ここでの継続、そして2020年以来のエックス(旧ツイッター)との連携により、当ブログ自体も性質が多少変わり、以前よりも、さらに読まれることを意識して記事を作成するようになったと云えます。これまでの継続と幾たびかの環境の変化を経て、新たな文章作成の方法を知りましたが、やはり、それらは単独ではなく、組み合わせと繰り返しによって、身体化されるもののようです。そのため、上達の感覚こそ乏しいですが、2022年の人工知能の社会実装以来、これを用いて新たな文章作成を当ブログとは関係なく試み続けてきたことで、どうにかそれも使えるようにになってきたのではないかと思われます。

 ともあれ、今後もまたしばらく引用記事の投稿が続くでしょうが、私個人としては、その間も当ブログとは別に文章を作成していますので、大きな能力の低下はないと考えております。しかし、時にはこうした「息継ぎ」のように、自らによる文章作成を行うことも、大変良い刺激になることが分かりました。ともあれ、今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。


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2026年4月29日水曜日

20260428 大岡昇平「俘虜記」から考える戦後の我が国の社会

 大岡昇平による『俘虜記』に描かれた収容所の様相は、単なる戦争体験の記録に留まりません。それは、我が国社会における統治の様相が、どのように成立し、運用され、そして変容するのかを示す具体例あるいは縮図であると云えます。そこには、管理主体である米軍、捕虜でありながら米軍との仲介機能を担う一部の捕虜(いわば捕虜側の支配層)、そして統治される一般捕虜という構造があります。この構造の核心は、外部である米軍と内部である捕虜とを媒介する捕虜側支配層にあります。彼らは、同じ捕虜でありながら、外部権力との接続を独占することで、収容所内部における支配的地位を確立しました。その性質は、ナチスドイツによるユダヤ人収容所におけるカポーにも通じるものがあります。また、その権力の源泉は、捕虜全体の合意や何らかの正統性に基づくものではなく、外部権力との非対称な関係に依拠したものでした。それ故、米軍が収容所の直接統治へと方針を転換した時、彼らの地位は容易に失墜しました。ここから看取されるのは、一つの普遍的とも云える統治の原理です。すなわち、統治権力の源泉は必ずしも能力や内発的な合意、正統性にあるわけではなく、外部との接続を独占する位置そのものにある場合があるという点です。内部の情報を調整し、それを外部権力に翻案・折衝する者が、実質的な支配層(エスタブリッシュメント)を形成します。こうした構造は、植民地支配などを経験した多くの国や地域に共通して見られる「買弁的構造」の一種であると云えます。もっとも、この構造が社会で固定化するかどうかは、各社会の条件に依存します。とりわけ重要であるのは、外部に依存せずとも成立し得る天然資源・人的資源といった基盤の有無です。これがあれば、外部との関係は単なる従属ではなく、戦略的関係へと転化させることが出来ます。加えて、社会内部における流動性と公正な競争が担保されているかどうかも重要です。外部権力との接続が恒常的に特定の層に独占されていれば、その構造は固定化され、やがて周辺から硬直化して閉じていきます。そして、ここで看過してはならないのが、我が国に歴史的に見られる「安定が閉鎖へと転化し易い傾向」です。一定の秩序が形成されると、やがて、それを維持すること自体が目的化され、新たな参入や異なる経路が閉ざされます。このメカニズムは短期的には安定をもたらす一方で、長期的には社会の硬直化を招き、既得権層に管理された閉鎖的な構造へと変質させます。この観点から見れば、戦後の我が国は特異な位置にあったと云えます。安全保障を米国に依存する一方、既存の官僚機構と産業基盤を温存し、経済成長を通じて国力を増進させたからです。この「外部依存」と「内部自律」が併存する構造は、外部権力との接続の完全な独占を防ぎ、一定の流動性を保つ役割を果たしてきました。しかし、現在問われるべきは、この均衡がなお維持されているのかという点です。問題の本質は、外部権力との接続の是非そのものではなく、統治構造の正統性の源泉が外部との関係に強く依拠している可能性、そして、その接続経路が固定化しているかどうかにあります。もし接続が特定のネットワークや既得権層に集中し、新たな参入が制度的にも実質的にも困難であるならば、その社会は閉鎖的な構造へと移行しつつあると見るのが妥当であると云えます。無論、こうした独占を排することは、既存秩序の破壊や扇動的なポピュリズムを肯定することと同義ではありません。安易な解体は、新たな独裁や社会秩序の崩壊を招きかねないからです。したがって必要であるのは、具体的な制度設計です。すなわち、①外部との窓口を複数の主体に分散させ、単一経路への依存を回避すること、②意思決定や資源配分の過程を可視化し、第三者による検証を可能にすること、③既存の接続とは異なる経路からの参入を継続的に保障することです。これらを通じて、「閉じる力」に対抗し、「開いた構造」を維持しなければなりません。独占された接続を、透明性と公正な競争を備えた重層的な経路へと再構築すること。そうでなければ、「外部権力との接続を独占する者が内部を支配する」という構図は、より洗練され、不可視化されたかたちで再生産され続けます。その意味で『俘虜記』を読み直す意義は、この構造を過去の一事例としてではなく、現在の問題として捉え直す点にあると云えます。ともあれ、今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

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2026年4月20日月曜日

20260419 我が国の「失われた30年」の基層にあるものについて

 「失われた30年」と呼ばれる、1990年代以降の長期にわたる我が国の低迷は、しばしば経済政策や制度設計の不備に帰されがちではありますが、その深層には、我が国社会全般において、人びとが書籍を読まなくなり、それに基づいて考えなくなったという、知的基盤そのものの変容があると考えます。また、こうした変化は、一見しただけでは看取し難いものではありますが、徐々にあらゆる営為を空疎なものに変え、最終的には形式だけが残る状態、すなわち「形骸化」をもたらすと考えます。本来、あらゆる人的営為は、それだけで成立するものではなく、方法や規則、あるいはそれを支える組織の仕組みがあり、それらに関与する人びとが、その意味や背景にある文脈を理解し、状況に応じて解釈し運用することにより、はじめて成立するものです。換言すれば、我々の営為とは、それに関与する人びとの思考によって支えられているのだと云えます。しかし、その前提となる思考が形骸化し、実質的に失われてしまうと、営為は、もはや内実を伴わず、単なる作業手順や工程へと変質します。このことを踏まえますと、文章や書籍を読むという行為は、単に知識を得るためのものではないと云えます。すなわち我々は、読むことを通じて、他者の経験や思考を追体験し、複数の視座を往還しつつ、抽象と具象とを機に応じて往復する力を獲得するのだと考えます。そして、この過程を経ることにより、我々は、接する事物の背景や構造を推量、理解し、それらを相対的に認識する力を身につけることが出来るのだと云えます。したがって、文章や書籍が読まれなくなるということは、単に社会における情報量が減少することを意味するのではなく、思考の形式そのものが単純化、浅薄化していくことを意味するのだと考えます。このような状況においては、営為の背景や意味、目的を考える力が減衰し、代わりに形式や手順といった、いわば即物的な要素に依拠する傾向が強まります。何故ならば、背景や意味を読み解くことが出来ない場合、人びとは、容易に看取可能な要素に拠るほかなくなるからです。その結果、営為の柔軟な運用は困難となり、現実の複雑さに対応出来なくなります。それにもかかわらず、形式や手順は厳守されるため、外見上は秩序が維持されているように見えます。そして、この外見と内実との乖離こそが、形骸化した社会の特徴であると考えます。その意味において、我が国は、こうした傾向が比較的顕著な社会であると考えます。太平洋戦争の敗戦後、米国を主とする占領軍のもとで様々な制度が導入され、民主化が急速に進み、社会に定着したように見えました。しかし、その多くは背景や意味、目的への十分な理解を伴わないまま受容されたものであり、そのため時間の経過とともに、徐々に忘却され、綻びが生じていきました。その結果、営為の正当性は、形式や手順、あるいは前例や空気に委ねられるようになったのだと考ます。このような状況においては、形式を逸脱することは過度に忌諱される一方で、形式に従ってさえいれば、実質が伴わなくとも問題視されないという逆転現象が生じます。さらに、昨今においては、情報環境の変化がこうした傾向に拍車を掛けているように見受けられます。すなわち、短文的で断片的な情報が主流となる中で、ある程度の長文を読み、論理を積み上げていく経験は希薄になりつつあります。その結果、複雑な問題を過度に単純化されたフレーズや印象によって捉える傾向が強化されて深い理解に基づく判断が困難になります。このような状況では、営為を支える思考の内実はさらに失われ、形式化は不可避の帰結となります。すなわち、どれほど精緻な制度設計を行ったとしても、それを運用する我々に、読むこと、そして考えることの習慣が乏しい限り、あらゆる営為は必ず形骸化していくと云えるのではないでしょうか。制度改革が為されても、状況が大きく改善しない一つの要因は、ここにあると考えます。つまり、問題の本質は外部にあるのではなく、我々を支える内的な知的基盤の側にあるのです。したがって、社会の再生や再活性化を考える際には、制度の改変以前に、人びとが再び読むこと、そして考えることを取り戻すことが不可欠であると考えます。これは即効性のある対応策ではありませんが、唯一、持続的に社会の質を高める方法であると考えます。つまり、読書という営為を通じて獲得される各自の内発的な知性こそが、諸営為に意味と内実を与え、形式を超えて現実に対応する力を社会にもたらすことが出来るのではないでしょうか。ともあれ、今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

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2026年4月15日水曜日

20260415 日経BP社刊 黒川 清著「大学病院革命」 pp.179‐181より抜粋

日経BP社刊 黒川 清著「大学病院革命」
pp.179‐181より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 482224556X
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4822245566

 現在の医療不信のベースにあるのは医療と患者の間のコミュニケーション不全にある、と申し上げました。そこから考えると、改革すべき重要な病院の機能があります。それは病院の広報システムです。
 現在、日本の病院の広報システムもあまりにお粗末です。医療事故がおき、テレビで記者会見が報道されますが、病院側は事実を隠蔽しようとするクセが抜けず、切羽詰まると今度は土下座。広報戦略としては、最悪のやり方をどこの病院もとっている、としかいえません。どんな情報をどう開示するのか、どうすれば病院のブランドを落とさず、患者や世間の信頼をかちとれるのか、それを考え、情報発信を実行できる広報専門の担当者が必要です。もちろん、最終的にはこうした広報戦略を束ねるのは病院の経営者である院長や理事長です。
 企業の場合、広報は社長直属になっており、先進的な企業の社長は自ら広報マンであることを自覚しています。それと同じような病院経営者の自覚とシステム作りが病院においても急務です。
 アメリカでは、医療事故があると、すぐに弁護士が飛んできます。夜中であろうが、経営者や関係スタッフが集まり、それぞれがやるべき仕事を分担します。取材を受ける人間を決めます。「対外的にどこまで話すべきか」「どういう観点で話すか」も議論します。同時に、院内委員会を調べ、事故について調査し、報告書をすぐにまとめます。それをもとに外部評価委員を集めて会議を開き、質問を受けます。
 東海大学で医療事故が起きたとき、私はアメリカの大学病院で学んだ広報体制をとってみました。でもこのような方法は日本の病院のあいだになかなか広まっていません。
 人の失敗から学ぶというのはとても大切です。ゆえに医療の安全についての講座や講義を医者や大学医学部の学生たちに対して行う必要があります。医療というのは100%確実ということがありません。だから「事故はある」という前提で、ふだんから備えておくべきなのです。病院でおきた過去のヒヤリハット事例を集めるとか、専門家を読んで話を聞く。無論、普段はもちろんいざというときの患者さんの家族との対応も欠かせません。患者さんの信頼を得るためには、何かあったときではなく、ふだんから情報発信をすることが大切です。
 医療事故は、いつだって起こりえる。ゼロにする努力を怠ってはいけませんが、ゼロになることはありえない、と考えるべきです。そういう教育をしながら、制度的なミスがどこにあるかという話を考え、分析し、改善し、透明性を保つ、広報する。病院側が意識と体制を変え、こうした対応がとれるようになれば、医療と社会の関係も改善し、医療不信を解消する方向に持っていくことは可能なはずです。

2026年4月12日日曜日

20260411 2440記事に到達して思ったこと:文章作成と記憶の励起

 直近の引用記事の投稿により、総投稿記事数が2440に到達しました。この数字からは、達成感よりも、これまでの継続期間をあらためて感じさせられます。また、これにより当記事を含め、残り60記事の更新により、現在目標としている2500記事に到達することが出来ます。60記事の更新は、毎日1記事の投稿であれば約2カ月間を要します。そして、2日に1記事の投稿であれば、約4カ月もの期間を要し、現在から起算しますと、夏真っ盛りの頃での到達となることが見込まれます。その頃、未だにブログ記事作成をしているのかと考えますと、正直なところ、少々滅入ってくるような感覚もありますが、元来、私にとってブログ記事の作成は、滅入るような性質のものではありませんでした。それにもかかわらず、ここに来て、そうした感覚があるということには、やはり10年以上にわたり、2400記事以上作成してきたことによる疲労のようなものが出てきているのだと思われます。そして、そうであるのならば、どこかで一度、当ブログのことを忘れるほどに休止することも、一つの選択肢であると考えられます。もっとも、そのためにも、現在掲げている2500記事という目標に、まずは速やかに到達しておくことが望ましいようにも思われます。そこから、本日も、先ほどより文章の作成を始めた次第ですが、先述の2440記事到達ということもあってか、ここまでは比較的速やかに書き進めることが出来ました。そういえば、今月に入ってからの投稿2記事「20260402 先日の久しぶりの紀伊田辺訪問から思ったこと」「20260405 書籍の選択と文章作成とのバランスと、そこから生じるものについて」の投稿数日前に、2017年より毎年、些少ながらも支援させて頂いている医療系シンクタンクさまより、お礼と共に新年度分の支援額の領収書PDFファイルが添付されたメールを頂き、これに対する返信として、了解と領収書へのお礼を述べる文面に続き、前述の投稿2記事にて述べたように、書籍を複数分野のアカデミアの先生方にお送りし、その反応について簡潔にお伝えして結びました。これに対する返信はすぐにはありませんでしたが、その後、「20260405 書籍の選択と文章作成とのバランスと、そこから生じるものについて」の投稿翌日にお返事があり、書籍送付および反応についての情報を組織にて共有されたとのことでした。そこから「こちらのシンクタンクさまに当ブログを読まれている方がいらっしゃるのではないか?」と考え、勝手ながら少し緊張してしまいました(苦笑)。しかしながら、考えてみますと、これは特に驚くべきことでもなく、現時点での当ブログの閲覧者総数は115万人を超えていることから、そのようなことがあっても決して不思議ではないとも思われるのです。そうしますと、やはり今しばらくは、コンスタントなブログ更新を継続し、わずかではあれ、興味深く、我が国の社会に何かしら貢献し得る情報を発信していくことが良いのではないかとも思われるのです…。また、そのように考えますと、面白いことに、未だ文章化・発信出来ていない事が、まだまだ多くあるように思われてきます。あるいは、こうしてキーボードで文章を作成するという行為そのものが、過去の記憶を励起させ、それが最近での出来事や読書の記憶と化合することで、新たな文章の作成を可能にしているのかもしれません。換言しますと、文章作成という行為は、単に記録ではなく、記憶と経験を再編成する結節点として機能しているのだとも考えられます。今回、当初は2440記事到達の勢いで始めましたが、結果として、比較的自然に文章作成の流れに入ることが出来たように思われます。そして、おそらくは、この状態に入ることが、継続において、とても重要なことなのであるとあらためて思われました。ともあれ、今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

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2026年4月6日月曜日

20260405 書籍の選択と文章作成とのバランスと、そこから生じるものについて

 相変わらず現在も数冊の書籍を読み続けていますが、そのうちの一冊である人類学を題する著作は、難解と思われるところが少なからずありますが、興味の方が強いことから、比較的好調に読み進み、半分以上にまで至りました。年齢を重ねますと、読むことが出来る書籍が以前よりも少なくなっているように感じられ、あるいは、読書以前の興味や好奇心と云ったモチベーションが、以前よりも減衰したように感じられます。それでも、ある程度興味を持ちつつ読み進めることが出来る書籍があることには安心させられます。そして、そうした興味・好奇心は、書店での立ち読みと云う、身体性を伴う行為により、更新・昂進される性質があると考えます。このことは、2020年から1~2年間続いたコロナ禍の際に痛感しました。しかし、その一方で、同年1月から開始したエックス(旧ツイッター)で得られる新刊をはじめとする書籍の情報もまた、興味深く有益であり、私の場合、2020年以降の状況(コロナ禍・エックスの開始)により、書籍選択の様相が変化したと云い得ます。また、エックスでのポストをしばらくの期間、読み続けていますと「こちらの方は、この本を読まれると面白いのでは…?」と考えることが度々生じるようになり、また同様に、対面での会話においても、そのように考えることが増えるようになりました。そうしたことから、一月ほど前、ある歯学分野の先生に「おそらく、先生はこちらの本を興味深くお読み頂けると思います。」と申し添えて、ある著作をお渡ししたところ、つい先日「おお、あの本良かったぞ、良いことが書いてあった。」とのご感想を頂きました。こちらの先生は、人を褒めることは多くないことから「あるいは、私の読みが当たったのでは…?」と思われました。また、直近投稿の「先日の久しぶりの紀伊田辺訪問から思ったこと」内で述べました「(和歌山での勉強会を)主催されている先生が、今春より、同じ和歌山市内に立地する四年制大学看護学部の教養科目を担当(兼任)されるとのご報告を頂き」の先生より「何か事前の参考になりそうな書籍があれば教えて欲しい」とのご要望を受け、手持ちで参考になりそうな書籍を数冊まとめて、つい先日、レターパックにて投函したことも思い出され、そこから、いくつかの異なる分野のアカデミアの方々から、書籍選択についての評価を頂けたことは、我がことながら印象深かったです…。また、そこから、鹿児島での歯科理工学の師匠が退職された後、戻られた師匠のご自宅に度々、書籍などをお送りしていたことが思い出されました。当時の私は現在よりも、かなり多く書籍を読んでいました。しかし一方で、こうした文章を作成することは出来なかったとも思われます。あるいは、既にそうした資質はあったのかもしれませんが、実際にそうした内容を文章として表して(著して)公表するという、継続を要する身体性の獲得が為されていなかったため、やはり、作成することは出来なかったと云えます。その意味で、その十数年後に、書籍の選択について、複数分野の先生方から評価されたことは、その十数年のうちの多くの期間、当ブログを継続してきたことが、何かしら効いているのではないかとも思われるのです…。そしてまた、多少不遜ながらも、こうしたことは、金銭的価値は乏しいのかもしれませんが、他方で、そこまで簡単なことでもなく、また、誰にでも出来るわけではないようにも思われるのですが、実際のところはどうなのでしょうか?ともあれ、今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

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