2024年9月4日水曜日

20240903 知らぬ間に2250記事を過ぎていて思ったこと:繰りかえしによって生じる変化、上達?

 先ほど、新たに記事作成をしようと、当ブロガーを開き、これまでの投稿記事を眺めていますと、総投稿記事数が2252となっており、既に2250記事へ到達していたことが分かりました。面白いもので、この投稿記事数は、気になる時期と、全く気にならない時期とが私にはあるようです。とはいえ、それがどのような原因あるいはサイクルによるのであるかは分かりませんが、しかし、作成者の実感として、比較的ノッテいる時期には記事数を気にしなくなり、反対に、落ち込み気味で元気がない時などは「これまでにどのくらい作成したのか?」と気になり何度も確認してしまう傾向があるように感じられます。そうしますと、自然「ここ最近の私は調子が良くノッテいたのか?」と自問することとなり、そこで「たしかにそこまで落ち込んではいないが、他方で、そこまで調子は良いわけではないのだが...?」といった認識に至るわけですが、また同時に、ここ直近数ヵ月は、何かと話題の生成AIをブログ記事作成に援用しており、実際、最近の投稿記事には、そのようにして作成したものがいくつかあります。くわえて、同手法による作成途中の(下書き)記事もまた150近くあります。この手法による記事作成は、既投稿のオリジナル、引用の記事から、関連があると思しき記述の部分をコピペして並べて、そこに指示をして、新たな文章の生成を行い、それをドラフト・下書きとして、そこから色々と手を加えますと、それらしい文章にはなると云えます。とはいえ、この作成方法では、未だ慣れないために多少難儀しており、また、現在作成している当記事のように、はじめからの書下ろしにて文章作成をしている方が、何と云いますか、作成している際の集中もしくは没入の感覚が、さきの生成AIを援用して作成した下書きに手を加えて記事作成を行う方法での集中・没入感と比べて、有意に強いと感じられるのです。しかし、であるからといって、集中・没入感に重きを置いて、書下ろしでの記事作成に拘ることはないと考えます。その理由は、当ブログ開始当初当初の頃を思い出しますと、まずノートに手書きでブログ記事の下書きを作成し、それをPCに入力してブログ記事を作成をしていましたが、この手法を数カ月程度続けていますと、どうしたわけか、やがてノートへの手書きの工程を省略しても記事作成が出来る様になり、やがて文体もまた、当初の対話形式から独白形式にて文章の作成が出来るようになりました。とはいえ、それ以前の頃であってもミクシィなどで時々は文章を作成し、公表してきましたので、おそらく、こうした手法の修得あるいは身体化とは、何度かの繰返される経験の中で徐々に為されて、そして、より深化されるのではないかと思われるのです。そして、その背景にある通底する要素があると思われる私的な経験は、これまでに何度か当ブログにて述べてきました「英語の勉強について」です。おそらく我々の多くは、私的あるいは公的な目的でメール文章を作成する機会が少なからずあると思われますが、しかし、そうしたメールで作成する文面と、斯様な公表を前提とした文面では性質が異なると云えます。そしてまた、そうした感覚を認識するようになりますと、突然文章の作成が恐ろしくなり、そして、身構えるようになり、先ずは手慣れた手書きでの作成法から初めて、自分なりに堅牢な文章の作成を意識するようになるのだと云えますが、そうした段階も、思い返してみますと、私はそれまでの人文系・歯系の大学院においてもあまり強くは意識することはなかったものの経験したことであったと云えます。つまり、あくまでも私見ではありますが、文章作成や口語と文語などについて、自分なりに思い悩みつつ作成していた時期を何度か経ることによって、人はその人なりの文体といったものを獲得するのではないかと思われるのです。とはいえ、そのように述べる私も、未だ文体の獲得には至っていないとも思われますので、先日2250記事に到達していたとしても、今しばらく引用記事も含めつつ、当ブログを継続してみたいと考えています。ちなみに来年2025年6月で当ブログ開始から丸10年となりますが、出来ればそこまでは、いかなる投稿頻度であれ、否、出来るだけ高頻度にて新規投稿を継続して、2400~2500記事程度にまでは至ることが出来ればと考えてはいますが、他方で、まだ先が長いハナシであることから、今現在その実感といったものは皆目ありません…。
今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます!
一般社団法人大学支援機構


~書籍のご案内~
ISBN978-4-263-46420-5

*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。

連絡先につきましては以下の通りとなっています。

メールアドレス: clinic@tsuruki.org

電話番号:047-334-0030 

どうぞよろしくお願い申し上げます。




2024年9月3日火曜日

20240902 株式会社平凡社刊 平野雅章 監修「別冊太陽 日本のこころ41 北大路魯山人」 pp.117‐118より抜粋

株式会社平凡社刊 平野雅章 監修「別冊太陽 日本のこころ41 北大路魯山人」
pp.117‐118より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4582920411
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4582920413

 一九五四年四月、ニューヨーク近代美術館で開かれたレセプションにおいてーまさに魯山人の作品が初めて西洋人の眼に触れようとしていた時―彼はこう語った。

「私の作品は放縦であるとか尊大であるとして批判されることがよくある。だが私には脆弱なところがあるため、ピカソほど放縦にはなっていない。フランスにピカソを訪ね、語り合いと思っている。もっとも私は彼のように活気にあふれているというわけではないから、恐らく圧倒されてしまうだろうが・・・。」

 二人は会合したが、余りうまくはいかなかったようだ。極めて著名なこの西洋の芸術家のもとへ、魯山人は自分の作品を持参した。言うまでもなくそれは桐でできた見事な箱に収められていた。表面に手を触れたピカソは木肌のなめらかさに魅了され、歓喜に上気した。それを見ていた魯山人は耐えがたくなり、怒鳴った。

「箱じゃない、箱じゃない、この間抜け。私の作品は箱の中だ。」

 二人の個性は激しく衝突したのであった。一体どちらがどちらに圧倒されたのか、知る由もない。パリ滞在中、駐仏大使が招いたワケではない自前で行った魯山人は持ち前の粗野な気性をさらけ出すことになる。ラ・トゥール・ダルジャンを訪ねたときのこと。ラ・トゥール・ダルジャンは海外にも広くその名を知られた由緒あるレストランで、鴨料理が自慢であった。客の面前で料理中のコックを実際に見る機会を与えられ、例によって、イライラしながら数分間見た後、

「鴨料理はそんなやり方じゃだめだ。さぁ、俺が見せてやる」

 と言い、一日(*原文ママ)調理場へ下げようとする鴨をそのままにさせ、自分の舌に合う味に料理してしまったという。

 海外で開催された魯山人展について書かれた色々な批評を調べてみると、魯山人を評するのに使われた強烈な形容詞と、その多様性に目を見張らされる(それらの形容詞はピカソを評する際にも恐らく等しく有効だろう)。その形容詞群は、他の陶芸家に対するおとなしい関心に比べ、西洋での魯山人に対する関心がいかに強く、激しいものであるかを雄弁に物語っている。いくつかの例を記すと、「嵐のようだ」、「正統ではない」、「野蛮だ」、「火花を散らしている」、「男性的だ」、「雄々しい」、「精力的だ」、「すばらしい」、「芸術的天才だ」、「自由な感性がある」、「「ユニークだ」、「魅惑的だ」、等等。念のために断っておくが、どれ一つとして私自身の創作した言葉はない。いずれも西洋の展覧会で、魯山人の作品を初めて鑑賞した批評家や作家による表現である。

 魯山人と西洋人の感性を、橋渡ししたのがピカソの天才であった。では濱田庄司やバーナード・リーチと比較してみるとどういうことになるだろうか。この二人の陶芸家と魯山人とはいくつかの点で鋭い対照をなしている。濱田とリーチは、他の誰よりもまず工芸家であり、長く厳しい徒弟期間の効用を信じ 一方では謙虚で優しい魂を重視した。濱田さんは私の面前でこう語ったことがある。

「陶芸家が真に偉大な作品を生み出すには、謙虚さと優しさという魂の二つの特質が必要である。」

 と。魯山人は、私の知る限り、いずれの特質も持ち合わせていないようだ。

 日本の陶芸家である魯山人と濱田では、濱田の方がはるかに広く西洋で知られている。とは言え、二人が知られるようになった経路は、いくらか異なるということは留意しておいていい。濱田は工芸家として、魯山人は芸術家として、名声を獲得した。濱田を賞賛したのは工芸蒐集家及び工芸館であり、魯山人が広く人々の注目を集めるに至ったのは、美術館を通してであった。

 これは大事な点だが、西洋では美術と工芸とは厳密に区別されている。工芸は一般に絵画や彫刻とは同時出品されない。ニューヨークの近代美術館での魯山人展のときに、あるキュレーターが言ったそうだ。

「実際に使用できるものは芸術ではない。」

 また、ごく最近、中西部のアメリカン美術館館長がこう語ったという話を聞いた。

「上部が開いている陶磁器には興味がない」と。

一九五四年一月、イサム・ノグチは魯山人を評して次のように語った。

「今日見られるような日本の陶芸の影響力は、濱田やリーチのような専門家の手を通して拡大されたものである。彼等は技量、知識、情熱をもって、西洋の感性に合う要素を抽出した。私には民芸の理想が国際的(西洋的)なものの見方に基づいているように思われる。これは日本のであれ、イギリスのであれ、オランダのであれ、民衆芸術に固有な、ある種の普遍的特質を探求するものである。だが魯山人については、いくらか話が違ってくる。魯山人はディレッタントであり、しかも、飛び切り上等のディレッタントである。魯山人の成功は、古き良き日本の夢に完全に基づいているのである。」

2024年8月31日土曜日

20240831 株式会社岩波書店刊 アレクシ・ド・トクヴィル著 喜安朗訳「フランス二月革命の日々:トクヴィル回想録」 pp.286‐287より抜粋

株式会社岩波書店刊 アレクシ・ド・トクヴィル著 喜安朗訳「フランス二月革命の日々:トクヴィル回想録」
pp.286‐287より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4003400917
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4003400913 

 六月の戦闘についてもうこれ以上語ることはしない。最後の二日間の記憶は、最初の日々の記憶のなかにまざり込んでしまって、はっきりしなくなっている。反乱の最後の拠点であるフォーブール・サン‐タントワーヌが降伏したのは月曜になってであること、つまり闘いが始まってから四日目であったということは、人の知るところである。マンシュ県の義勇兵がパリに着くことができたのは、この四日目の朝になってからのことだった。彼らは急ぎに急いでやって来たのだが、それは鉄道のない地方を通っての八十里以上の道のりであった。総員一五〇〇人。私は彼らのなかに、地主、弁護士、医師、農業家、私の友人、私の隣人を認めて感激した。私の郷里のほとんどすべての旧貴族たちが、この機会に武器をとり、部隊に加わった。フランスのほとんど全土でこうしたことがおこった。自分の郷里の草深いところで、もうすすけてしまっているような田舎貴族から、立派な家系の優雅で役立たずの相続人までの、すべての連中がこの時に、自分たちはかつて戦う階級、支配する階級に属しているのだということを思い起こした。そしていたるところで彼らはパリへの出発の先頭に立ち、力強さの模範を示したのだった。それほどにこの旧い貴族の集団の活力は大きいのである。彼らはすでに無価値なものになってしまったとみえる時に、自分自身の足跡は保持しているのであり、永遠に死の影のなかに憩いを求める前に、そのただなかからいく度も立ち上げるのである。シャトーブリアンが息を引き取ったのは、まさに六月事件のさなかであった。この人は今日でも旧い世代の精神をたぶんもっともよく保存していた人であった。私は家族の関係と子供時代の思い出とによって、この人のことは身近に感じていた。長いこと前からシャトーブリアンは茫然として言葉が出ないというような状態におちいっていた。そのことは時に人をして、彼の知性は消えうせたと思わせたものであった。しかしこうした状態のなかで、二月革命が発生したという噂が彼の耳にはいり、彼はその経緯を知ろうと思ったのだった。人が彼に七月王政が打倒されたと告げると、「よくやった」と言って沈黙した。四ヵ月の、六月の砲声がまた彼の耳にまでとどくと、彼は再びあれは何の音かと尋ねた。パリで戦闘が起こっており、あれは大砲の音だと人が答えると、「そこに行きたい」と言いながら、無理をして起き上がろうとした、そして今度は永遠に沈黙してしまった。その翌日に彼は死んだのである。

 これが六月事件であった。必然的で痛ましい事件であった。それはフランスから革命の火を消し去りはしなかった。しかし少なくとも一時の間、二月革命に固有の仕事と言いうるものに終止符をうった。六月事件はパリの労働者の圧政から国民を自由にし、国民を国民自身のものとした。

2024年8月28日水曜日

20240827 1848年のヨーロッパについて①

 1848年はヨーロッパにおける大きな変革の年でした。それまで続いたウィーン体制は、ナポレオン戦争後の1815年に始まったものであり、これによりヨーロッパ各国の勢力均衡が維持されてきたものの、この年にヨーロッパ各地にて反体制運動や革命、さらには国際間の紛争も勃発して、このウィーン体制は終焉を迎えました。

 この社会激動の波は、まず、フランスの二月革命で生じ、それまでの復古した七月王政が打倒されて、第二共和政が樹立されました。そしてその影響は、ヨーロッパ各国に波及し、プロイセンやオーストリアにおいて自由主義やナショナリズムを掲げた運動が活発化して、また同時に、プロイセンとデンマークの間では、シュレスヴィッヒ=ホルシュタインの領有をめぐる争いが激化し、さらにサルディニア王国はイタリア統一を目指してオーストリア・ハプスブルグ帝国に宣戦布告するなど、国際間の緊張もまた高まりを見せました。

 さらにその後、1854年から1856年にかけてのクリミア戦争は、ナポレオン戦争以降最大規模の戦争となり、これによりヨーロッパの地政学的バランスが一変しました。オーストリア・ハプスブルグ帝国は、クリミア戦争の際に武力は用いず中立の立場ではありましたが英仏側に立ち、ロシア勢力のバルカン半島からの駆逐をはかりました。これに対してロシアは強く抵抗し、そして、このバルカン半島での影響力をめぐり、オーストリア・ハプスブルグ帝国とロシア帝国は対立を深め、やがて、それが1914年の第一次世界大戦発端の遠因となりました。

 また同時に、クリミア戦争によってプロイセンとオーストリア・ハプスブルグ帝国との関係も深刻に悪化しました。先述のように同戦争時、オーストリア・ハプスブルグ帝国は、英仏寄りの中立でしたが、プロイセンはロシア側での中立の立場であり、この立場の違いにより両国間の関係が悪化して、それまでの同盟関係が崩壊して、後年の普墺戦争勃発にまで至ります。

 やがてクリミア戦争が終結し、パリ平和会議が開催され、ヨーロッパに一時的な平和が戻りましたが、すぐに内乱や革命や紛争が生じ、とりわけ、イタリアおよびドイツでの民族的統一を目指した戦争によってヨーロッパの国境や国家間の力関係は、また大きく変わることとなりました。1848年のフランスでの二月革命の後、クーデターによって自ら帝政を敷いたナポレオン三世は、その治世において、イタリアやポーランドのナショナリズムを利用してヨーロッパでの政治的影響力の拡大をはかりましたが、最終的にはプロイセンによって統一されたドイツとの対立を深め、普仏戦争の開戦を招き、敗北して自らの第二帝政の崩壊、そしてフランスの没落を招く結果となりました。

 これら一連の1848年からの革命や戦争によって、ヨーロッパでの古くからの秩序が崩壊して、新たな国家の形成を促しました。当時のプロイセンやイタリアの統一はその象徴であり、また、これらの動きは、さきに少し述べましたが、後の第一次世界大戦の伏線となったのです。19世紀後半のヨーロッパでは、こうした動乱期を経て、新たな民族国家の形成と国際秩序の構築へと進展し、これによって、ヨーロッパ全体が変革と再編の時代を迎えて、現代の国際政治の基盤が形成されたのだとも云えます。

今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます!
一般社団法人大学支援機構


~書籍のご案内~
ISBN978-4-263-46420-5

*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。

連絡先につきましては以下の通りとなっています。

メールアドレス: clinic@tsuruki.org

電話番号:047-334-0030 

どうぞよろしくお願い申し上げます。



2024年8月26日月曜日

20240826 「文明」や「理想の社会」について、いくつかの著作から得た見解

【原文】
『又英国の学士「ミル」氏著述の経済書に云く、或人の説に、人類の目的は唯進で取るに在り、足以て踏み手以て推し、互に踵を接して先を争うべし、是即ち生産進歩のために最も願うべき有様なりとて、唯利是争うを以て人間最上の約束と思う者なきに非ざれども、余が所見にては甚だこれを悦ばず、方今世界中にてこの有様を事実に写出したる処は亜米利加の合衆国なり。「コウカス」人種の男子相合し、不正不公の羈軛を脱して別に一世界を開き、人口繁殖せざるに非ず、財用富饒ならざるに非ず、土地も亦広くして耕すに余あり、自主事由の権は普く行われて国民又貧の何物たるを知らず、斯かる至善至美の便宜を得ると雖も、その一般の風俗に顕れたる成跡を見れば亦怪しむべし、全国の男児は終歳馳駆して金円を遂い、全国の婦人は終身孜々としてこの遂円の男児を生殖するのみ、これを人間交際の至善と云わんか、余はこれを信ぜずと。
以上「ミル」氏の説を見ても亦以て合衆国の風俗に就き其の一班を窺知るに足るべし。
右所論に由て之を観れば、立君の政治必ずしも良ならず、合衆の政治必ずしも便ならず。
政治の名を何と名るも必竟人間交際中の一箇条たるに過ぎざれば、僅かにその一箇条の体裁を見て文明の本旨を判断すべからず。
その体裁果して不便利ならば之を改るも可なり、或は事実に妨なくば之を改めざるも可なり。人間の目的は唯文明に達するの一事あるのみ。之に達せんとするには様々の方便なかるべからず。随て之を試み随て之を改め、千百の試験を経てその際に多少の進歩を為すものなれば、人の思想は一方に偏すべからず。』


【現代文】
『英国の学者ミル氏は、ある人の説として、人類の目的はただ前進することであり、足で踏み、手で押し合いながら互いに先を争うべきだと述べています。これが生産と進歩のために最も望ましいとされ、ただ利益を追求することが最も重要だと考える人もいますが、私はこれを好ましく思いません。現在、このような状態が見られるのはアメリカ合衆国です。

「コーカソイド」人種の男性たちは、不正や不公正の束縛から逃れ、新たな世界を切り開きました。人口は増え、財政も豊かで、土地も広く耕作に余裕があります。自主と自由の権利が広く行き渡り、国民は貧困を知りません。理想的な環境にもかかわらず、一般の風俗を見ると、男性は一年中お金を追い求め、女性はその男性を育てることに専念しています。これが人間関係の理想でしょうか。私はそうは思いません。

以上のミル氏の説からも、アメリカ合衆国の風俗を一端知ることができます。この議論を通じて見ると、君主制の政治が必ずしも良いわけではなく、共和制の政治が必ずしも便利とは限りません。政治の名が何であれ、人間関係の一部に過ぎません。わずかな側面で文明の本質を判断してはいけません。

その側面が本当に不便ならば改めるべきですが、問題がなければ改める必要はありません。人間の目的はただ文明に到達することです。これを達成するにはさまざまな手段が必要です。試行錯誤を繰り返し、進歩を遂げていくため、思想は一方向に偏ってはいけません。』


岩波書店刊・バートランド・ラッセル著「幸福論」pp.54ー55より抜粋引用
『成功感によって生活がエンジョイしやすくなることは、私も否定はしない。たとえば、若いうちはずっと無名であった画家は、才能が世に認められたときには、前よりも幸福になる見通しがある。また、金というものが、ある一点までは幸福をいやます上で大いに役立つことも、私は否定しない。しかし、その一点を越えると、幸福をいやますとは思えない。
私が主張したいのは、成功は幸福の一つの要素でしかないので、成功を得るために他の要素がすべて犠牲にされたとすれば、あまりにも高い代価を支払ったことになる、というのである。この災いの根源は、実業界一般に広まっている人生観にある。確かに、ヨーロッパには、実業界以外にも威信のある階級がいる。一部の国には、貴族階級がある。
すべての国には、知識階級があり、二、三の小国を除くすべての国では、陸海軍の軍人が非常に尊敬されている。さて、ある人の職業が何であろうと、成功の中に競争の要素があることは事実であるが、同時に、尊敬の対象となるのは、ただ成功することではなくて、何でもいい成功をもたらしたすぐれた資質である。科学者は、金をもうけるかもしれないし、もうけないかもしれない。しかし、金をもうけたほうが、もうけない場合よりも余計に尊敬されることは、絶対にない。有名な将軍や提督が貧乏だからといって、だれも驚きはしない。それどころか、こういう境遇での貧乏は、ある意味では、それ自体一つの名誉である。
こういう理由で、ヨーロッパでは、純粋に金銭のために競争し奮闘するのは、一部の階級だけに限られているし、しかも、そういう人たちは、たぶん最も有力でもなければ、最も尊敬されているわけでもない。アメリカでは、事情が異なる。陸海軍は、彼らの尺度では、影響を及ぼすほどの役割を国民生活において果たしていない。知識階級について言ば、ある医者が本当に医学のことをよく知っているかどうか、あるいは、ある弁護士が本当に法律のことをよく知っているかどうか、部外者にはさっぱりわからない。だから、彼らの価値を判断するには、彼らの生活水準から推定される収入によるほうがやさしい。大学教授について言えば、彼らは実業家たちに金で雇われた使用人であり、そういうものとして、もっと古い国々で与えられているほどの尊敬を受けていない。こうした事態の結果、アメリカでは、知的職業にたずさわる人は、実業家のまねをし、ヨーロッパにおけるように独自のタイプを作っていない。それゆえ、アメリカには、裕福な階級のどこを見まわしても、金銭的な成功のための露骨な容赦ない闘いを緩和するものは、何ひとつない。』

以上をまとめた見解 

 近代以降の社会において個人や国家の究極の目的は何であるかという議論は、多くの研究者や思想家、哲学者などによってされてきました。

 19世紀の英国の学者であるジョン・スチュアート・ミルは、その著書で、ある人の説として「人類の目的は前進し続けることであり、互いに競争し合うことが生産と進歩のために最も望ましい」と紹介しました。その考えの基層には「利益追求を最重要視する」考えがあると云えますが、この考えには異議もあります。たとえば、当時のアメリカ合衆国社会を考えますと、そこには自由・自主の精神が広く行き渡り、国民の多くは自由であり、少なくとも貧困ではなく、理想的な環境を享受していたように見えます。しかし他方で男性は一年中利益・金銭を追い求めて、そして、その妻たる女性は、そうした男性を支えて再生産することに専念するといった社会構造をも同時に存在していたのだとも云えます。そして、こうした状況とは「人類にとって果たして理想的であるのか」とミルは疑問を投げかけ、そしてまた、福澤諭吉もその著作「文明論之概略」の中で同様の見解を述べています。

 さて、さきのミルと思想の系譜上に連なると云える英国の論理学者、思想家であるバートランド・ラッセルもまた「成功感が人生をより楽しむ手助けになることを認めつつも、成功が幸福の唯一の要素ではない」と、その著作で述べています。ラッセルは成功のために他を犠牲にすることは高すぎる代償を払うことになると警告しています。特に実業界においては金銭的な成功こそが人生の究極の目的とされがちですが、ラッセルはそれを疑問視します。ラッセルによれば、成功の中に競争の要素があることは事実ではあるものの、真に尊敬されるべき要素とは、成功そのものではなく「それをもたらした優れた資質」であると述べています。たとえば、英国や西欧諸国において科学者や軍人などは、必ずしも金銭的に成功していなくても、その職業上の資質や貢献に対して尊敬が払われると強調しています。

 このように西欧とアメリカを比較すると、金銭的成功の追求に対する社会の価値観の違いが浮かび上がります。西欧諸国においては、金銭的成功を求めるのは一部の階級に限られており、金銭的な成功が最も尊敬されるわけではありません。西欧においては、たとえば研究者や軍人などが、それぞれの専門分野での知識や技術、貢献によって尊敬を集めています。しかし、アメリカにおいては、金銭的成功が社会的地位を決定する最も重視される要素となっており、知識階級あるいは軍人でさえも、それぞれの価値を金銭的な成功で測られる傾向があります。アメリカにおいては大学教授でさえ、実業家の使用人のようなものと見なされ、西欧諸国におけるような尊敬は受けていません。

 こうした社会の文化的背景から、アメリカ社会では、金銭的成功を追求するための競争が苛烈であり、他の価値観や文化的な要素によってその競争が緩和されることはありません。その結果として、社会全体において、金銭的な成功を絶対的な指標とし、そのために全力を尽くすといった風潮が生まれて、それが果たして人類にとって理想的な在り方であるのかといった疑問が生じます。

 以上のことを総合して考えてみますと、社会や文明の本質や個人の目的といったものを一面的に捉えることは危険であると考えられます。個人の幸福や社会全体の進歩といったものは、さまざまな要素のバランスによって成り立っており、一つの価値観に偏りすぎることは避けた方が良いと考えます。金銭的な成功や利益だけを追求することが、必ずしも社会全体や個人の幸福につながるわけではないという認識が重要であり、むしろ、さまざまな価値観や生活様式が共存して、多様な個人の幸福を追求できる社会の在り方こそが、真の意味での「進歩」に近いのではないかと思われます。

今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます!

一般社団法人大学支援機構


~書籍のご案内~
ISBN978-4-263-46420-5

*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。

連絡先につきましては以下の通りとなっています。

メールアドレス: clinic@tsuruki.org

電話番号:047-334-0030 

どうぞよろしくお願い申し上げます。




2024年8月23日金曜日

20240822 0820に「変幻する音楽会」を鑑賞して思ったこと

① 去る8月20日(火)、サントリーホールにて開催の落合陽一博士(以下落合氏)と日本フィルハーモニー交響楽団とのコラボレーションによる「変幻する音楽会」を鑑賞しました。かねてより落合氏が述べる「デジタル・ネイチャー」とは、歯科医療、とりわけ現在進行形でデジタル化が進む歯科技工分野との親和性が高いと考えて、ここしばらくの間、落合氏による創作や講演や対談などを鑑賞・視聴させて頂きましたが、それらからは、これまでに私が感銘を受けた創作物と同様の感銘を得ることはありませんでした。こうした評価は正直であることが重要と考えます。

 しかし他方で、それらを創作された落合氏は、おそらく、私がさきに「感銘を受けた」とした創作については概ねご存じであると云えます。換言しますと、落合氏は、それら過去の著名な創作は認識され、また、自らの創作の背景にあったと云えます。それは対談動画や、執筆された文章などを視聴したり読みますと判然とすると考えます。そしてまた、それら優れた創作を文脈に据えた創作活動により、多くの人々に感動を与えるということは、これまで全ての芸術作品と同様、簡単ではないと考えます。しかしながら、落合氏の場合、さきに述べた活動の文脈・後背にある、さまざまな創作は、すでに適宜に運用可能な、いわば教養となり血肉化され、そこに、自らが研鑽したコンピューター科学を化合させ、新たな創作を試みているところが、きわめて現代的であり、また語義通りに前衛的でもあり、そして卓越しているのだと考えます。あるいはこれを異言してさらに進めますと、大抵の方々は、工学か芸術のいずれか一方を専門として満足するのに対して、落合氏の場合、双方分野を深く掘り下げ、それらを駆使・統合させて新たな創作を行うということ自体が相当困難と察せられることから、少なくとも、その活動から、現在までに後世に残る傑作と評される創作をしていなくとも、未来において、そうした創作を成し得る蓋然性が高いと考えるのです。そして、そのように考えてみますと、落合氏の場合は特に「創作手法」に新規性があり、そのためにいまだ、芸術家としての評価は定まってはいないのだと思われます。しかしまた他方で、芸術作品などの創作全般は「優れたもの」と世評を得るまでの期間が長く、ある程度の期間にわたり、創作を継続する必要があるようにも思われます。そして、こうした見解を述べる背景にあるのが総合芸術家とも評し得る北大路魯山人です。とはいえ、魯山人と落合氏では背景が随分と異なるようにも思われます。しかしながら、ここからは私見としての見解が濃厚になりますが、両者共に海外からの評価を視野に入れつつも、ホンモノの自国文化に根差した独自の創作をされていることが共通しているのではないかと考えます。そして、そうした創作とは、少なくとも「弱くはない」と考えます。ちなみに北大路魯山人は多作としても知られています。


② 8月20日、サントリーホールで開催された落合陽一博士(以下落合氏)と日本フィルハーモニー交響楽団による「変幻する音楽会」を鑑賞しました。落合氏は「デジタル・ネイチャー」という概念を提唱しており、これはデジタル化が進む歯科技工分野との親和性が高いと感じていました。そのため、彼の作品や講演、対談を積極的に鑑賞し、どのような感銘を受けるか期待していましたが、残念ながら心を深く打つような感動には至りませんでした。こうした評価は率直であるべきだと考えます。

 しかし、それは単に私の好みの問題かもしれません。というのも、落合氏が生み出す作品には、過去に私が感銘を受けた多くの芸術作品との関連性をも感じさせるからです。落合氏は、過去の著名な創作をよく理解され、さらに、それらを自らの創作活動の背景に据えています。それは彼の対談や執筆物を通じて判然とします。そして、こうした過去の優れた創作を踏まえ、新たな創作を行うことは、容易なことではありません。

 特に落合氏の特徴的な点は、豊富な教養を土台として、そこにコンピューター科学という先端技術を融合させているところにあります。これにより、新たな芸術の形を生み出そうとしており、そのアプローチは非常に現代的であり、同時に前衛的でもあります。多くの人が工学か芸術のどちらか一方を専門として自足するなか、落合氏は両分野を深くまで理解し、それらを統合して新たな作品を生み出しているのです。こうした取り組みは、非常に難易度が高く、そのために彼の作品はまだ広く評価されていないのかもしれません。

 落合氏の現在の作品が、今後どのように評価されるかは未知数ですが、将来的には傑作と呼ばれる可能性が十分にあります。芸術の評価は時間がかかるものであり、長期間にわたって創作活動を続けることが求められるからです。彼の手法自体が革新的であることから、現在はまだ過渡期にあるのかもしれません。

 このように考える背景には、総合芸術家として知られる北大路魯山人の存在があります。魯山人と落合氏では時代や背景が異なるものの、共通点もあります。それは、自国文化に深く根ざしながらも、独自の視点で創作活動を行い、国際的な評価も視野に入れている点です。彼らの創作活動には独自性と力強さがあり、その点で共通していると感じます。

 北大路魯山人は、多作としても知られており、これこそが彼の芸術に対する情熱を象徴していると思います。彼のように多くの作品を生み出すことが、芸術家としての評価を高める一つの要因であることは確かです。そして、落合氏の今後の創作活動がどのように進化していくのか、大いに注目する価値があると考えています。

 さいごに、落合氏の取り組みは、芸術とテクノロジーの融合という新たな挑戦であり、その創作が今後どのように発展し、如何なる評価を得るのか、そして、彼の目指す未来の芸術が、どのような形をとるのか、期待とともに、その進展を楽しみにしています。


③ さる8月20日、サントリーホールにて開催された落合陽一博士(以下落合氏)と日本フィルハーモニー交響楽団のコラボレーションによる「変幻する音楽会」を鑑賞しました。

 かねてより落合氏は「デジタル・ネイチャー」という概念を提唱しており、この概念は、デジタル化が進展しつつある歯科技工分野と親和性があると考え、そこから、ここ最近は、落合氏の創作した作品を鑑賞してきましたが、過日の「変幻する音楽会」を含め、それらの作品からは、これまでので音楽を含めた芸術の鑑賞で得たものと同様の深い感動を得ることはありませんでした。こうした評価は、あくまでも率直に述べることが重要であると考えます。

 しかしながら、これは私の個人的な好みによるものである可能性も否定はできません。というのも、落合氏の作品には、過去に私が感動した多くの芸術作品との関連性をも感じるからです。落合氏は古今東西のすぐれた工芸・芸術作品や著作などを広汎に御存知であり、また、それらが氏の創作活動の基層にあります。そのことは落合氏の対談動画や著述などから判然とされます。しかしながら、そうした、いわば蓄積され教養にまで昇華されたものを新たな創造活動に結節し、そこからさらに、より多くの人々に感動を与える芸術作品の創造にまで駆動することは至難の業と云えます。

 あるいは異言しますと、落合氏の創作の特徴は、豊富な教養を背景に持ちつつ、そこにコンピューター科学という先端的な技術を融合させている点にあります。これにより、彼はまったく新しい形の芸術を生み出そうとしており、その手法は非常に現代的かつ前衛的と言えます。多くの人々が工学か芸術のどちらか一分野に特化自足するのに対して、落合氏は両分野を深くまで理解し、それらを統合し、新たな作品の創造を試みています。もちろん、そうした試みは新しいものであるが故に困難をも伴い、そのため、落合氏の作品は高い評価を未だ広汎には得ていないのではないかとも思われます。

 そしてまた、落合氏が今後、どのように評価されるようになるかは不明ですが、将来的には傑作と呼ばれる可能性が十分にあると考えます。何故なら、芸術の評価が社会に定着するには時間がかかり、そのため、長期間にわたる創作活動の継続が求められるからです。その点において、落合氏の創作活動は長く継続しており、さらに、その創作手法自体が革新的であることから、現在はまだ過渡期にあるものと考えます。

 こうした考えの背景には、総合芸術家として広く周知されている北大路魯山人がいます。魯山人と落合氏は時代や背景こそ大きく異なりますが、共通点もあります。それは、自国文化に深く根ざしながらも独自の視点での創作活動を行い、同時に国際的な評価を視野に入れている点です。

 くわえて、北大路魯山人は多作としても知られ、そこから創作活動への情熱のほどが理解出来ます。このように多くの作品を生み出すことは、芸術家・創作者としての評価を高め、そして広める主たる要素の一つであることは確かと云えます。それ故、落合氏の今後の創作活動がどのように変遷しつつ継続するのか、その経緯を注視したいと思います。そして、落合氏が述べる「デジタル・ネイチャー」と「芸術」がどのように化合して芸術作品として顕現するのかを期待とともに楽しみにしています。

今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます!
一般社団法人大学支援機構


~書籍のご案内~
ISBN978-4-263-46420-5

*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。

連絡先につきましては以下の通りとなっています。

メールアドレス: clinic@tsuruki.org

電話番号:047-334-0030 

どうぞよろしくお願い申し上げます。





 

2024年8月21日水曜日

20240821 株式会社ゲンロン刊 東浩紀著「訂正可能性の哲学」 pp.145‐148より抜粋

株式会社ゲンロン刊 東浩紀著「訂正可能性の哲学」
pp.145‐148より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4907188501
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4907188504

 日本の例も挙げておこう。二〇一〇年代に強い影響力をもった思想家に落合陽一がいる。

 落合は大学に籍を置いて研究するだけでなく、エンジニアでアーティストでもあり、みずからベンチャー企業も経営しているという新しいタイプの知識人である。行政にも深く関与しており、二〇二五年の万博ではパビリオンをまるまるひとつ担当するといわれている。

 そんな彼は二〇一八年に「デジタルネイチャー」という著作を発表している。デジタルネイチャーとは「計数的な自然」を意味す造語である。近い将来、世界のあらゆるところにセンサーが張り巡らされ、人物も物流もすべてがデータ化され、ネットワークを介してアクセスされ分析されるような時代がやってくる。そのときぼくたちは、目や耳で捉えることができる物理的な環境とはべつに、デバイスを通じて知覚するデータ環境も新たな「自然」として認識することになる。それがデジタルネイチャーだという。落合は、これからの政治やビジネスはこのデジタルネイチャーの活用に敏感でなくてはならないと説く。

 この主張そのものに問題はない。データ環境の重要性は仮想現実や拡張現実といった言葉で広く認識されているものである。ただし落合はその誕生に、カーツワイルのシンギュラリティと同じような、大きな文明論的な意味を見出している。

 落合によれば、デジタルネイチャーが誕生することで、人類は不完全な市場原理に頼らずとも資源を最適に配分できるようになる。生産力は飛躍的に増大し、個人の特性を分析して社会的役割を指定できるようにもなる。そのうえ落合は、そのとき人類は、ひとにぎりの先進的な資本家=エンジニア層(AI+VC層)と、残り大多数の労働から解放された大衆層(AI+BI層)に分裂することになるだろうという。「AI+VC」は、人工知能(AI)に支援されてイノベーションに挑むベンチャーキャピタル(VC)の担い手を意味し、「AI+BI」のほうは、政府によるベーシックインカム(BI)で衣食住を保障されるる、人工知能の勧めに従ってそこそこの幸せを追求する生き方を意味するとされている。

 これは人類を選良とそれ以外に分ける社会像にほかならない。明らかに倫理的に問題がある。しかもさらに厄介なことに、落合は同書で、デジタルネイチャーの誕生は人類を古い道徳観から解き放つものなのだと主張することで、そのような批判の可能性そのものを封じ込めてしまっている。

 彼のヴィジョンによれば、未来の人類は、というよりもその一部の「AI+VC層」は、もはや個人の幸福のような小さな目標には関わらない。大きな視野でイノベーションを押し進め、「コンピュータがもたらす全体最適化による問題解決」によって人類という種全体の幸福を追求することになる。その試みはまったく新しく崇高なものなので。「自由」や「平等」のような古い人間中心主義的な考えにしばられてはならない。落合はこの点について、シンギュラリティ以降においては「人間」の概念こそ「足かせ」になるのであり、人々は「機械を中心とする世界観」に対応する必要があると繰り返し強調している。そこでは「全体最適化による全体主義は、全人類の幸福を追求しうる」のであり、「誰も不幸にすることはない」のだという[★4」。

 つまりは落合は全体主義をはっきりと肯定している。彼のエンジニアやアーティストとしての業績には敬意を払うべきだろう。しかし同時に、彼の未来像が、カーツワイルほど壮大ではないにしても、同じくらい夢想的で、政治的にはより危険でありうることにも注意が払われるべきではないだろうか。情報技術と全体主義の関係については、のち第六章でふたたび触れる。

 このように二〇一〇年代は、情報産業論を背景にした夢想的な文明論が、政治やビジネスの現場に大きな影響を及ぼした時代だった。ぼくたちはいま、共産主義という第一の大きな物語のかわりに、シンギュラリティの到来という第二の大きな物語が席捲する時代を生きている。

 資本主義はもはや終わることはない。世界革命は起きない。国民国家も消えることはない。しかしそのかわりに人類には計算力の指数関数的な成長がある。ありあまる計算力は、どこかの時点で人類の社会や文化を根底的に変えてしまうだろう。そして人類は遠からず、働かなくてもだれもが快楽を手に入れ、実質的には死ぬことすらない、永遠の楽園への切符を手に入れることができるだろう。そしてその未来への扉を開くのは、いまや政治家でも哲学者でもなく、起業家とエンジニアなのだ・・・。