2024年9月3日火曜日

20240902 株式会社平凡社刊 平野雅章 監修「別冊太陽 日本のこころ41 北大路魯山人」 pp.117‐118より抜粋

株式会社平凡社刊 平野雅章 監修「別冊太陽 日本のこころ41 北大路魯山人」
pp.117‐118より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4582920411
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4582920413

 一九五四年四月、ニューヨーク近代美術館で開かれたレセプションにおいてーまさに魯山人の作品が初めて西洋人の眼に触れようとしていた時―彼はこう語った。

「私の作品は放縦であるとか尊大であるとして批判されることがよくある。だが私には脆弱なところがあるため、ピカソほど放縦にはなっていない。フランスにピカソを訪ね、語り合いと思っている。もっとも私は彼のように活気にあふれているというわけではないから、恐らく圧倒されてしまうだろうが・・・。」

 二人は会合したが、余りうまくはいかなかったようだ。極めて著名なこの西洋の芸術家のもとへ、魯山人は自分の作品を持参した。言うまでもなくそれは桐でできた見事な箱に収められていた。表面に手を触れたピカソは木肌のなめらかさに魅了され、歓喜に上気した。それを見ていた魯山人は耐えがたくなり、怒鳴った。

「箱じゃない、箱じゃない、この間抜け。私の作品は箱の中だ。」

 二人の個性は激しく衝突したのであった。一体どちらがどちらに圧倒されたのか、知る由もない。パリ滞在中、駐仏大使が招いたワケではない自前で行った魯山人は持ち前の粗野な気性をさらけ出すことになる。ラ・トゥール・ダルジャンを訪ねたときのこと。ラ・トゥール・ダルジャンは海外にも広くその名を知られた由緒あるレストランで、鴨料理が自慢であった。客の面前で料理中のコックを実際に見る機会を与えられ、例によって、イライラしながら数分間見た後、

「鴨料理はそんなやり方じゃだめだ。さぁ、俺が見せてやる」

 と言い、一日(*原文ママ)調理場へ下げようとする鴨をそのままにさせ、自分の舌に合う味に料理してしまったという。

 海外で開催された魯山人展について書かれた色々な批評を調べてみると、魯山人を評するのに使われた強烈な形容詞と、その多様性に目を見張らされる(それらの形容詞はピカソを評する際にも恐らく等しく有効だろう)。その形容詞群は、他の陶芸家に対するおとなしい関心に比べ、西洋での魯山人に対する関心がいかに強く、激しいものであるかを雄弁に物語っている。いくつかの例を記すと、「嵐のようだ」、「正統ではない」、「野蛮だ」、「火花を散らしている」、「男性的だ」、「雄々しい」、「精力的だ」、「すばらしい」、「芸術的天才だ」、「自由な感性がある」、「「ユニークだ」、「魅惑的だ」、等等。念のために断っておくが、どれ一つとして私自身の創作した言葉はない。いずれも西洋の展覧会で、魯山人の作品を初めて鑑賞した批評家や作家による表現である。

 魯山人と西洋人の感性を、橋渡ししたのがピカソの天才であった。では濱田庄司やバーナード・リーチと比較してみるとどういうことになるだろうか。この二人の陶芸家と魯山人とはいくつかの点で鋭い対照をなしている。濱田とリーチは、他の誰よりもまず工芸家であり、長く厳しい徒弟期間の効用を信じ 一方では謙虚で優しい魂を重視した。濱田さんは私の面前でこう語ったことがある。

「陶芸家が真に偉大な作品を生み出すには、謙虚さと優しさという魂の二つの特質が必要である。」

 と。魯山人は、私の知る限り、いずれの特質も持ち合わせていないようだ。

 日本の陶芸家である魯山人と濱田では、濱田の方がはるかに広く西洋で知られている。とは言え、二人が知られるようになった経路は、いくらか異なるということは留意しておいていい。濱田は工芸家として、魯山人は芸術家として、名声を獲得した。濱田を賞賛したのは工芸蒐集家及び工芸館であり、魯山人が広く人々の注目を集めるに至ったのは、美術館を通してであった。

 これは大事な点だが、西洋では美術と工芸とは厳密に区別されている。工芸は一般に絵画や彫刻とは同時出品されない。ニューヨークの近代美術館での魯山人展のときに、あるキュレーターが言ったそうだ。

「実際に使用できるものは芸術ではない。」

 また、ごく最近、中西部のアメリカン美術館館長がこう語ったという話を聞いた。

「上部が開いている陶磁器には興味がない」と。

一九五四年一月、イサム・ノグチは魯山人を評して次のように語った。

「今日見られるような日本の陶芸の影響力は、濱田やリーチのような専門家の手を通して拡大されたものである。彼等は技量、知識、情熱をもって、西洋の感性に合う要素を抽出した。私には民芸の理想が国際的(西洋的)なものの見方に基づいているように思われる。これは日本のであれ、イギリスのであれ、オランダのであれ、民衆芸術に固有な、ある種の普遍的特質を探求するものである。だが魯山人については、いくらか話が違ってくる。魯山人はディレッタントであり、しかも、飛び切り上等のディレッタントである。魯山人の成功は、古き良き日本の夢に完全に基づいているのである。」

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