2024年8月17日土曜日

20240817 株式会社講談社刊 東浩紀著「動物化するポストモダン」オタクから見た日本社会 pp.96-99より抜粋

株式会社講談社刊 東浩紀著「動物化するポストモダン」オタクから見た日本社会
pp.96-99より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4061495755
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4061495753

 ヘーゲル哲学は一九世紀の初めに作られた。そこでは「人間」とは、まず自己意識をもつ存在であり、同じく自己意識をもつ「他者」との闘争によって、絶対知や自由や市民社会に向っていく存在だと規定されている。ヘーゲルはこの闘争の過程を「歴史」と呼んだ。

 そしてヘーゲルは、この意味での歴史は、一九世紀初めのヨーロッパで終わったのだと主張していた。この主張は一見奇妙に思われるが、じつはいまでも強い説得力を備えている。というのも彼は、ちょうど近代社会が誕生するとき、まさにその誕生こそが「歴史の終わり」だと宣言していたからだ。彼の主著「精神現象学」が、ナポレオンがイエナに侵攻する前日、まさにそのイエナで脱稿されたというのは有名な話である。むろん、西欧型の近代社会の到来をもって歴史の完結とするこのような考え方は、のち民族中心主義的なものとして徹底的に批判されている。しかし他方で、ヘーゲルののち、二世紀のあいだ近代的価値観が全世界を蔽っていったという現実がある以上、その歴史観がなかなか論駁しがたいのも事実である。

「アメリカ的「動物への回帰」と日本的スノビズム」

 いずれにせよここで重要なのは、ヘーゲルではなく、その歴史哲学にコジューヴを加えたある解釈である。より正確には、彼が講義の二〇年後に「ヘーゲル読解入門」の第二版に加え、以後、少なくとも日本では有名となったある脚注である。第一章でも簡単に紹介したように、そこでコジューヴは、ヘーゲル的な歴史が終わったあと、人々は二つの生存様式しか残されていないと主張している。ひとつはアメリカ的な生活様式の追求、彼の言う「動物の回帰」であり、もうひとつは日本的スノビズムだ。 

 コジューヴは、戦後のアメリカで台頭してきた消費者の姿を「動物」と呼ぶ。このような強い表現が使われるのは、ヘーゲル哲学独特の「人間」の規定と関係している。ヘーゲルによれば(より正確にはコジューヴが解釈するヘーゲルによれば)、ホモ・サピエンスはそのままで人間的なわけではない。人間が人間であるためには、与えられた環境を否定する行動がなかればならない。言い換えれば、自然との闘争がなければならない。 

 対して動物は、つねに自然と調和して生きている。したがって、消費者の「ニーズ」をそのまま満たす商品に囲まれ、またメディアが要求するままにモードが変っていく戦後アメリカの消費社会は、彼の用語では、人間的というよりむしろ「動物的」と呼ばれることになる。そこには飢えも争いもないが、かわりに哲学もない。「歴史の終わりのあと、人間は彼らの記念碑や橋やトンネルを建設するとしても、それは鳥が巣を作り蜘蛛が蜘蛛の巣を張るようなものであり、蛙や蝉のようにコンサートを聞き、子供の動物が遊ぶように遊び、大人の獣がするように性欲を発散するようなものであろう」と、コジューヴは苛立たしげに記している(注37)。

 他方で「スノビズム」とは、与えられた環境を否定する実質的理由が何もないにもかかわらず、「形式化された価値に基づいて」それを否定する行動様式である。スノッブは環境と調和しない。たとえそこに否定の契機が何もなかったとしても、スノッブはそれをあえて否定し、形式的な対立を作り出し、その対立を楽しみ愛でる。コジューヴがその例に挙げているのは切腹である。切腹においては、実質的には死ぬ理由が何もないにもかかわらず、名誉や規律といった形式的な価値に基づいて自殺が行われる。これが究極のスノビズムだ。このような生き方は、否定の契機がある点で、決して「動物的」ではない。だがそれはまた、歴史時代の人間的な生き方とも異なる。というのも、スノッブたちの自然との対立(たとえば切腹時の本能との対立)は、もはやいかなる意味でも歴史を動かすことがないからである。純粋に儀礼的に遂行される切腹は、いくらその犠牲者の屍が積み上がろうとも、決して革命の原動力にはならないというわけだ。

「オタク的文化が洗練された日本的スノビズム」

 コジューヴのこの議論は短い日本滞在と直観だけに基づいており、多分に幻想が入っている。しかし、日本社会の中核にはスノビズムがあり、今後はその精神が文化的な世界を支配していくだろうというその直観は、いまから振り返るとおそろしく的確だったとも言える。



2024年8月15日木曜日

20240814 株式会社筑摩書房刊 アレクシス・ド トクヴィル 著 小山 勉 訳「旧体制と大革命」pp.117-120より抜粋

株式会社筑摩書房刊 アレクシス・ド トクヴィル 著 小山 勉 訳「旧体制と大革命」pp.117-120より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4480083960
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4480083968 

 ローマ帝国を滅ぼし、ついに近代的国家を形成した諸民族は、人種も領土も言語も異なっていた。これらの民族の類似点といえば、未開状態だけだった。これらは帝国の版図に定住しながらも、長期にわたって大混乱のなかで衝突し合っていた。諸民族がついに安定状態に達したとき、衝突がもたらした荒廃によって、民族は相互に分裂した。文明はほとんど壊滅し、公共の秩序は崩壊し、人間相互の関係も困難で危険なものとなった。そして大ヨーロッパ社会は、独立した無数の敵対的な小社会に分裂した。しかし、この不統一な全体のなかから、突然画一的な諸法律が生れてくる。

 これらの法制度は、ローマ法を模倣したものではない。ローマ法とまったく異なるものであったからこそ、ローマ法を用いてこれを改正したり廃止したりできたのである。この法制度の特徴は独創的で、それまでに作られたいかなる法律とも違っていた。それは相互に整合性をもち、全体として非常に緊密にまとまった諸部分からなる大法典である。それゆえ、我が国の近代法典の諸条項も、この緊密な統一性に及ぶべくもない。この巧緻な法律は、ほとんど未開社会が使用するためのものだった。

 このような同じ法律がどのようにして形成され、普及し、ついにはヨーロッパ全体に広まったのだろうか。私は、この問題を究明しようとは思わない。ただ、確信できることはある。中世ヨーロッパでは、程度の差こそあれ、このような法律がいたるところで発見されている。しかも多くの国々でこの法律だけが支配し、これ以外の法律はすべて排除されているのである。

 私はフランス、イギリス、ドイツの中世における政治制度を研究する機会をもった。この作業が進むにつれて、私はこの三国の法律がことごとく酷似しているのを発見して、大いに驚いたものである。そして、私は不思議に思った。この三つの民族の相違は明らかだし、交流の機会も少ないのに、なぜこれほど類似した法律をもつことができたのだろうか。法律の細目部分は、国ごとに絶え間なく、ほとんど無限に変化しているにもかかわらず、その基盤がどの国においても同一だからなのだ。旧ゲルマン法制に政治制度、規則、権力に関する規定があるとすれば、徹底的に探究することで、フランスやイギリスでも本質的にまったく同一のものを見つけられるだろう、という予測はあった。果たして、それが間違いなく見つかったのである。この三つの民族のそれぞれは、私が他の二つの民族をより深く理解するのに役立った。

 英独仏の三国の場合、政治は同一の原則に従って行われている。政治的会議は同一の成員によって構成され、同一の権力を与えられている。この三国では、社会の区分の仕方も同じで、諸階級の間には各国とも同じ階層区分が見られる。貴族はどこでも同じ地位を占め、同じ特権を有し、同じ顔つきをし、同じ気質をもっている。すなわち、貴族は各国で相異なるわけではなく、まさにどの国でも同じなのである。

 都市の制度も互いに似ている。農村も同じ方法で統治されている。農民の生活条件もほとんど違わない。土地も同様に所有さて、保有さて、耕作されている。耕作者も同じ税負担を負っている。ポーランドの国境からアイルランドの海岸まで、領主制、領主裁判所、封土、地代、賦役、封建的賦課租(権利)、ギルド、これらすべてが相似ている。時として名称まで同じである。さらに注目すべき点は、唯一の精神がこれらの類似した制度全体を支えている。ということである。思うに一四世紀には、ヨーロッパの社会、政治、行政、司法、経済、文芸の諸制度は、おそらく今日以上に多くの類似性を有していた。と言っても過言ではなかろう。今日にいたって、文明はあらゆる交流の道を開き、あらゆる障壁を低くしようと心がけているかに見える。

 このヨーロッパの古い制度は、どうして少しずつ弱体化し衰頽していったのか。この問題について説明することは、私の主題ではない。ここでは、一八世紀になって、この古い制度がいたるところで崩壊に瀕していたことを明らかにするだけにとどめよう。この衰頽は、一般にヨーロッパ大陸の東部ではさほど顕著ではなく、西部のほうで顕著だった。しかし、いたるところで老化と、しばしば老衰が現われていた。

2024年8月14日水曜日

20240813 太平洋戦争を題材とした諸作品から思ったこと

 おかげさまで、昨日投稿分の記事は、投稿翌日としては比較的多くの方々に読んで頂けました。これを読んでくださった皆さま、どうもありがとうございます。また、そうした事情から気を良くして、本日もオリジナルにて記事作成を試みることにしました・・。そして、その題材は、昨日の投稿記事にて述べた加藤周一著「日本文学史序説」にしようと考えていましたが、今は8月15日の敗戦記念日に近いということもあり、太平洋戦争を題材として扱った各種書籍や映画などを題材としていきます。

 一言で太平洋戦争と云っても、1941~1945と四年近くも続き、また、その戦域も北はアリョーシャン列島から南はジャワやニューギニアまでと広大であり、さまざまな戦局で数多くの様相があったものと考えます。さて、そうした中で私が先ず挙げたいのは、大岡昇平による「俘虜記」です。

 こちらの作品は著者ご自身の従軍経験に基づくものであり、戦況も厳しくなった1944年春にフィリピンに送られ、その後、ルソン島の南に位置するミンドロ島の守備任務に就いて、しばらく経った12月に同島に米軍が大挙押し寄せました。それに対し、駐屯していた日本軍は敗退するのですが、その際、大岡昇平は体調を崩しており、撤退する部隊からはぐれ、単独で行動をとっていたなかで米軍の捕虜となりました。その後は、体調の回復とともに、診療所棟から一般の捕虜収容所に移され、そこでの、さまざまな出来事や生活の描写に、現代の我が国の社会にも通底する「何か」が少なからず描かれているのと思われるのです・・。そしてまた、その当作品から看取される現在にも通じると思しき要素とは、全て、いや殆どの場合、たとえ、それを認識したとしても、容易に改良・改変などは出来ないと思われることから、当作品は、読み進めるに伴い、徐々に暗鬱とした気分になってくるようなところがあると云えます・・。

 しかしそれでも、その容赦のない率直な描写には、読み手を惹き込ませるものがあり、それでもやはり、最後まで「救い」といったものはありません・・。また、同じくフィリピン戦域に従軍していた山本七平による旧日本軍を題材とした諸著作からもまた、さきの大岡昇平とは異なるものの、我が国社会において広く認められる、さまざまな性質について言及しており、これもまた、読み進めていますと、さきの「俘虜記」と同様、暗鬱とした気分になってきます・・。

 いや、おそらく、太平洋戦争末期の我が国を題材とした著作・作品で、読んでいて楽しくなるようなものは稀有であるのだと思われますが、その視座から、他の著作を検討してみますと、ジョン・ト―ランドによる「大日本帝国の興亡」全五巻のうち、真ん中の三巻目からは、南太平洋のガダルカナル島での戦況の推移、そして玉砕に続き、さらに日本本土に近いサイパン島の玉砕で巻を終えるのですが、さらに先の四巻目から最終五巻終盤にまで至ると、さらに悲惨な描写が続き、眉間に皺が入り、自然体で読み進めることが困難になってきます・・。しかし、たとえ、そうであったとしても、こうした史実を扱った著作や記述を読み、当時のさまざまな様相を知ることは、我々日本人にとって(きわめて)重要なことであり、あるいは、戦後79年となり、当事者世代の方々がもう既に殆どご存命でなくなったことから、さきのような「陰惨にして重要な記憶」が社会で共有することが困難になっていることを背景として、昨今の世界各地での争いや緊張の高まりが生じているのではないかとも思われるのです・・。そこで我々後発の世代が、こうした世界規模での潮流に対抗するためには、たとえ当事者世代の生の記憶でなくとも、かつて、こうした悲惨な歴史・史実があったことを忘れないようにする、ほぼ無意識化、ルーチン化された活動があるのではないかと思われます。そしてまた、おそらく、そうした所為を個々の義務感のみに訴えても、継続することは困難であろうと思われることから、そうしたことを、より本能に近い領域で駆動出来るような、ある種変った方々が社会に一定数いることが、思いのほかに重要ではないかと思われる次第です。そして、今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます!

一般社団法人大学支援機構


~書籍のご案内~
ISBN978-4-263-46420-5

*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。

連絡先につきましては以下の通りとなっています。

メールアドレス: clinic@tsuruki.org

電話番号:047-334-0030 

どうぞよろしくお願い申し上げます。





 

2024年8月13日火曜日

20240812 先日の2240記事到達を知って思ったこと

 一昨日の記事投稿により、総投稿記事数が2240に到達していました。昨今は、記事数をあまり気にせずに作成していたことから、思いのほかに高頻度での投稿による記事数に少し驚かされました。またここ最近は、引用記事を主として作成しており、これは、オリジナルでの記事作成と比べ、渾身とはいえないことから、総投稿記事数を気にする習慣も薄らいでいたのだとも云えます。

 ともあれ、そうして迎えた2240記事ですが、相変わらず、その実感や達成感は皆無であり、何やらここまで来ますと、闇雲に無感動のままで、ただ記事数を積み上げているといった観すらあります・・(苦笑)。そうしたことから、何と云いますか、自分がブログ記事の作成を継続しているという実感もまた希薄化してくるわけですが、しかしながら、現在このようにブログ記事の作成が出来ている背景には、それを成立せしめてきた環境があり、その環境によって紆余曲折を経ながらも、何とか9年以上にわたり、当ブログを継続することが出来ています。そして、そうした背景・経緯があって、はじめて、オリジナル・引用の何れであれ、先ほどのように躊躇なく記事作成に取り組むことが出来るのだと云えます。ともあれ、そのようにして私にとってのブログ記事の作成は、半ば習慣化しているのだとも云えますが、同時に、取り掛かるまでには記事作成が億劫に感じられ、やりたくないと思うこともまた度々あります・・。それでも、ルーチンとして記事の作成していますと、徐々に興に乗ってくるのか、少なくとも、このあたりまでの文章は、あまり時間を要せずに作成することが出来るようになったとは云えます・・・。

 また、それに加えて、以前より数冊の書籍も読み進めており、そこにある、いわばさまざまな文語に対する「慣れ」の意識や親近感もまた、こうした文章作成においては重要であると私は考えます。さて、この読み進めている書籍については、過日(7/23)の投稿記事で、加藤周一による「日本文学史序説」上下巻を挙げましたが、この題材はまた後日、あらためて作成したいと考えていますが、当著作が私にとって意義深いものと考える理由は、当著作は、2013年に学位取得以降はじめて、ある程度身を入れて通読した人文系の著作であったからなのですが、また、それと同時に、当ブログの開始初期(2015~2016)の頃は特に、当著作の通読経験に支えられて、どうにかブログを継続することが出来たのだとも云えます。あるいは、その他のこうした私にとって重要な著作を挙げてみますと、たとえば昨今は、敗戦記念日に近い時期でもあることから、太平洋戦争を思い起こすために、大西巨人による「神聖喜劇」全巻、あるいはもう少しライトな文量ですと、大岡昇平による「俘虜記」などの読書経験は、自分にとって印象深いものであったと云えます。そして、こうした読書経験は、おそらくある程度年齢が若く、感性が生き生きとしている時期(具体的には30代前半まで)に積んでおいた方が良いと考えています。そして、こうした視座からも、我が国の高等教育は、いま少し考えをあらためた方が良いのではないかとも私は考えます。

 そして、この我が国の高等教育については、以前から当ブログやエックス(旧ツイッター)にて述べている医療・歯科医療・介護などの専門職を養成するための専門職大学の新設について、以前からボンヤリと考えていたことが、ここ最近の経験や読書によって、いま少し精密に言語化出来るようになったと思われることがあり、それをまた、近日中にブログ記事として作成したいと考えています。

 以上のことから、ここ最近は引用記事が主ではありましたが、しかし引用記事の作成による当該記述の対自化によって、その記述内容と類似、近似あるいは対立する見解が含まれる既投稿のオリジナル・引用の記事が新たに想起されてくることは、毎度それなりに面白いものであり、そこでの自分なりの発見を当ブログやエックス(旧ツイッター)などで共有して、そして、そこに興味を持って頂ける方々が、たとえわずかではあれ、いらっしゃるのであれば、それらを投稿、連携して示した私としては、やはり僥倖と評して良いのではないかと思うところです。

今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます!
一般社団法人大学支援機構


~書籍のご案内~
ISBN978-4-263-46420-5

*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。

連絡先につきましては以下の通りとなっています。

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電話番号:047-334-0030 

どうぞよろしくお願い申し上げます。





2024年8月11日日曜日

20240810 河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ:著 柴田 裕之:訳「ホモ・デウス」下巻  pp.74-76より抜粋

河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ:著 柴田 裕之:訳「ホモ・デウス」下巻 
pp.74-76より抜粋
ISBN-10 : 4309227376
ISBN-13 : 978-4309227375

 ジャーナリストのマーク・ボウデンは、ベストセラーになった著書「ブラックホーク・ダウン」の中で、ソマリアのモガディシュにおけるアメリカ兵ショーン・ネルソンの一九九三年の戦闘経験を同じような言葉で描いている。

 そのときの気持ちを説明することは難しかった…物事の本質が突然明らかになる瞬間に似ていた。死の瀬戸際にあって、かつてないほどの生命感を覚えていた。死が自分をかすめるように過ぎていったと感じた瞬間は、それまでの人生にもあった。疾走してきて急カーブが曲がり切れなかった車が、やはり飛ばしていたいたこちらの車と、間一髪で正面衝突を免れたときのように。この日彼はあのときの気持ちで、死が自分の顔にまともに息を吹きかけてくるのを感じながら生きていた…一瞬一瞬、三時間以上にわたって…戦闘は…完璧な精神的・肉体的自覚の状態だった。路上にいたその間、彼はショーン・ネルソンではなかった。外の世界とは何の結びつきもなく、支払わなければならない請求書もなければ、感情のつながりもない。何もなかった。このナノ秒から次のナノ秒へと命をつなぎ、一息ずつ呼吸を繰りかえし、そのどれもが最後になるかもしれないことを完全に自覚している一人の人間にすぎなかった。もうけっしてそれまでの自分ではいられなくなると感じた。

 アドルフ・ヒトラーも、自分の戦争体験で変わり、目を開かれた。「わが闘争」の中で語っているように、彼の部隊が前線に到着して間もなく、兵士たちの当初の熱狂が恐れに変わり、めいめいがあらゆる神経を張り詰めさせ、圧倒されまいとして、その恐れに対して激しい内なる戦争をしなければならなかった。ヒトラーは、一九一五年から翌年にかけての冬にこの内なる戦争に勝ったと言っている。「ついに私の意志が明白な主人となった…今や私は落ち着き払い、決然としていた。そして、それは永続的なものだった。今や運命が究極の試練をもたらそうとも、神経をずたずたにされることはないし、分別を失うこともありえなかった」

 戦争の経験はヒトラーにこの世界についての真実を暴いて見せた。そこは自然選択の無慈悲な法則が心配するジャングルなのだ。この真実を認めるのを拒む者は生き残れない。成功したければ、このジャングルの法則を理解するだけでなく、それを喜んで受け容れなければならない。これは強調するべきだが、戦争に反対する自由主義の芸術家たちとまさに同じで、ヒトラーも平凡な兵士たちの経験を神聖視した。それどころか、ヒトラーの政治面での経歴は、二〇世紀の政治で一般大衆の個人的経験に与えられた莫大な権威の有数の例になっている。ヒトラーは高級将校ではなく、四年間の戦争中、階級は兵長止まりだった。彼は正式な教育を受けておらず、専門的技能も持たず、政治的背景もなかった。羽振りが良い実業家でも、労働組合の活動家でもなく、有力な友人や親族もおらず、たいしたお金も持っていなかった。初めはドイツ国政さえなかった。彼は無一文の移民だったのだ。

 ドイツの有権者に訴えて信頼を求めるとき、ヒトラーには頼みの綱はたった一つしかなかった。大学や総司令部や省庁ではけっして学べないことを塹壕での経験で学んだという主張だ。人々が彼を支持し、票を入れたのは、その姿に自分自身を重ねたからであり、彼らもまた、この世界はジャングルだ、私の命を奪わないものは私をより強くする、と信じていたからだ。

 自由主義がもっと穏やかな国家主義のバージョンと一体化して個々の人間のコミュニティの唯一無二の経験を守ろうとしたのに対して、ヒトラーのような進化論的な人間至上主義者は、特定の国々が人間の進歩の原動力であると考え、それらの国々は誰であれ行く手を遮る者を打ち倒し、根絶しさえするべきであると結論した。とはいえ、ヒトラーとナチスは進化論的な人間至上主義の極端なバージョンの一典型にすぎないことは、忘れてはならない。スターリンが強制労働収容所を造ったからといって、社会主義の考え方や主張がすべて自動的に無効になりはしないのとちょうど同じで、ナチズムが惨事を引き起こしたからといって、何であれ進化論的な人間至上主義が提供してくれる見識を私たちが見逃すことがあってはならない。ナチズムは、進化論的な人間至上主義と特定の人種理論や超国家主義的感情が組み合わさって生まれた。進化論的な人間至上主義者がみな人種差別をするわけではないし、人類はさらに進化する可能性があると信じている人がみな、必ずしも警察国家や強制収容所の設立を求めるわけでもない。

 アウシュヴィッツは、人間性の一部をそっくり隠すための黒いカーテンの役割ではなく、血のように赤い警告標識の役割を果たすべきだろう。進化論的な人間至上主義は近代以降の文化の形成で重要な役割を演じたし、二一世紀を形作る上で、なおさら大きな役割を果たす可能性が高い。

2024年8月9日金曜日

20240808 中央公論新社刊 陸奥宗光著「蹇蹇録」pp.115‐119より抜粋

中央公論新社刊 陸奥宗光著「蹇蹇録」pp.115‐119より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 412160153X
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4121601537

 豊島の海戦は七月二十五日午前七時と八時との間、わが軍艦秋津洲、吉野、浪速と清国軍艦済遠、広乙との間における戦闘にして、すなわち清艦済遠よりまず戦端を啓きたるに始まり、而してその結果は済遠敗走し広乙逃れて沙礁に坐触し、操江ついにわが海軍の捕獲するところとなるに畢り、その後同日午前九時ごろ、浪速が敵艦を追撃する途上、ショパイオル島の近傍において、清国軍隊を搭載し英国旗章を掲げたる運送船高陞号に出会えり。このときすでに戦端は啓けり。わが軍艦は交戦者の権利を行わんため運送船を捜査し、またある場合にありてはなんらの強制手段をも施し得べきこともちろんなれば、浪速は最初に信号をもって停戦を命じたるに、高陞号船長は直ちにこれに応じその他浪速の下したる命令に対し一も違背するところなかりしも、同船に乗り組み居たる清国将官は、該船長を抑制しすべて浪速の命令に服従せしめず。浪速は両回までもその短艇を発し該船船長に就き懇諭したるもなお、その目的を達し得ざるを見て、ついに最後の信号を掲げて該船内の欧人をして各自活路を求めしむるの便宜を与えたるのち、これを砲撃して沈没せしめたるは正に午後零時四十分なりという。かくのごとくほとんど四時間を経過するまで、浪速艦長が最後の手段を決行せざりしは該艦長の注意精密周到なるを見るべく、また国際法上なんら失当の所為なかりしを証すべきなれども〔すべて戦闘の状況を詳記するは本篇の目的にあらず、然れども豊島の海戦は高陞号砲撃のことと関繋して他日国際公法上争論の基礎となりし事実は、ここにその大要を記せざるを得ず。これ例外とす〕、然れども、これ特に後日続々接受したる詳報により初めて明瞭なるを得たる事実のみ。当初豊島の海戦中わが軍艦が英国の旗章を掲げたる運送船を砲撃し沈没せしめたりとの報告に接したるときにありては、この不慮の出来事より日英両国の間将に一大紛争を惹き起こすやも計られずとて何人もいたく驚駭し、ともかくも時日を遷延せず英国に対し十分満足を与えざるべからずとの説多く、在英国青木公使より七月三十一日をもって、「英国運送船の事件に関しては英国政府よりなんらの要求あるを待たず、われより進んで相当の満足を与うるよういたしたく、かつ該船に乗り居たる独逸士官がはたして死したりとせば、これまた同上の処分ありたし」との電稟あり〔このときまで倫敦には未だ船名をつまびらかにせず、またハンネッケンの姓名も明らかならざりしと見ゆ〕。ついで八月三日において、英国外務大臣は高陞号事件に関し公然青木公使に向かい一の書翰を送れり。その公文の概要に、「当時日本海軍将校の処置より生じたる英国臣民の生命もしくは財産の損害に対しては、日本政府はその責に任ずべきものと認定いたし候。(中略)なお本件に関し詳細の報知を得て英国政府の意見も確定いたし候節は、直ちに再応御照会におよぶべく候」と照会ありたりと電稟せり。当時倫敦においてその詳報を得ずというのはもちろんのことなり。東京においてすら未だ確然たる詳報を得る能わずにより、余は、かの時日を遷延せずまず英国に対し満足を与うべしとの説にも、また青木公使の建議のごとく、かの国よりなんらの要求あるを待たず我より進んで補償を申し出ずべしとのことも今日はなお早計たるを免れずと思惟し、かつ余は曩にこの変報に接したるとき、とりあえず東京駐在英国臨時代理公使を招き、この悲嘆すべき事件に付ては十分に顛末を審査したるうえ、もし不幸にも帝国軍艦の所為その当を失したることを発見せば、帝国政府は相当の補償をなすことを怠らざるべき旨を述べ、同公使をして直ちにこれを本国政府に電報せしめておきたれば、今はただ一日も早く詳報を得んことを望めり。その後各所より戦時実地の確報続到し、かつ当時わが軍艦のために救出せられたる高陞号船長以下の外国人はすべて佐世保鎮守府に到着したるにより、政府は七月二十九日をもって法制局長官末松謙澄を該鎮守府に派遣し、親しく右外国人等につき事実取調べなさしめたり。すなわち末松がその取調べの結果を余に報告したる概要を挙ぐれば、沈没船は高陞と号し英国船籍に属しその持主は印度支那汽船会社なり、同船には清国砲歩将卒千百人乗りこみその他多の大砲弾薬を搭載しほかに旅客の名義をもって独逸人フォン・ハンネッケンあり、本船は清国政府の雇船となり大沽より清国兵およびハンネッケンを搭載して朝鮮国牙山に至り揚陸せしむの命令を受けおれり、高陞号の大沽を出帆したるは七月二十三日なり、同船長の言によればその前後清国軍隊の運送船八隻はおのおのの封書命令を奉じて大沽を発したりと、下官は高陞号もまた封書命令を齎したるものと信ずべき理由を有す。高陞号は七月二十七日(実際には二十五日)の早天、豊島近傍においてわが軍艦と清国軍艦との間においてすでに開戦ありたるのち二時間を経てわが軍艦浪速に出空いたり、該船長はすべて浪速の命令に依従することを諾したるも船内の清国軍官はこれを許さず、ゆえに該船長はすべて自由の運動を妨げられたり、浪速艦長はこの軍機倥偬の間においても高陞号が英国旗章を掲げるのゆえをもって談判往復に長時間を費やしたるは注意周到なりしを証するに足る。また高陞号の持主と清国政府の間との間にいかなる関係あるや未だその詳細を得ざれども、種々の事情より推察すればけっして尋常一様の通運業の関係に止まらざるを信ずべき理由あり、下官の切実なる質問に対し該船長が書面に記したるところによるも、該船は清国政府が雇用し、もし航海中に開戦におよぶときは直ちに同船をもって清国政府に引き渡し乗組員は悉皆その船を去るべしとの契約ありしこと明白なり、といい、而して末松はこの報告書の末文において、「以上は下官が調査したる事項の要領とす。関係書類はこれを別封とし斉しくこれを閣下に呈す。本件に対し万国公法上わが浪速艦長行為の当否如何は下官がここに論述すべきところにあらずといえども、これを要言すれば、前に挙ぐるところの事実なるをもってその行為の失当にあらざることはいやしくも公平を持する批評家の疑わざるところなるべし」との意見を加えたり。この取調書の事項はあたかも追い追いに海軍当局者より接受したる確報と符合せり。ここにはじめて高陞号砲撃の事件もようやく明瞭となるに至れり。

2024年8月6日火曜日

20240805 ワクチンとしての悲観(現実)的視座の重要性・・

 2020年初頭からの新型コロナウィルス感染症の世界的流行にはじまり、2022年2月のロシアによるウクライナへの侵攻、そして2023年10月のイスラム原理主義武装組織ハマースによるパレスチナ・ガザ地区からのイスラエル領への越境攻撃と、ここ直近の数年間は、世界情勢がラチェット式に悪化している観があり、私の方も、気が滅入ることも少なからずありますが、それでも、情勢の推移を出来るだけ精確に認識したいと考え、関連する著作を読み、動画などを視聴しています。そして、先日来のイスラム原理主義組織によるイスラエル領へのミサイル攻撃から、イスラエルによるレバノンおよびイランでのイスラム教指導者の暗殺により、中東情勢の危険度がまた一段と高まり、あるいはその延長として、第五次中東戦争の勃発にまで至るのではないかとも考えられます・・。また、それらの主戦場となる地域は、我が国からは遠い中東地域ではあるのでしょうが、もしも、今後、中東地域においてまた、全面戦争が勃発しますと、おそらく西側諸国のいくつかの国々は、双方の和平・早期停戦のため、少なからぬ兵力を当地に割くことが予想されます。そうしますと、かねてより緊張の度合いが高まってはいるものの、未だ戦争には至っていない南シナ海での領海をめぐる中国に対する台湾・フィリピンの状況にも変化が生じ、あるいは「鬼の居ぬ間の洗濯」とばかりに、中国が、これらの領海問題を武力によって強引に解決しようとする可能性も相対的に高まってくると云えます。そうしますと、台湾に南西諸島を介して隣接する我が国もまた、物理的な呼称としては「対岸の火事」であるのかもしれませんが、しかし、その意味が全く異なってくると云えます。つまり、我が国が戦火に巻き込まれることが現実味を帯びてくるのだと云えます。私としては、そうした事態に至って欲しくないと考えてはいますが、しかし同時に、我が国は1945(昭和20)年の太平洋戦争の敗戦から昨今に至るまで、大規模な周辺の紛争・戦争に巻き込まれることはなかったため、私も含めて、多くの日本国民は、さきに述べた状況を現実感をもって認識することが出来ていないのではないかと思われるのです・・。そして、そうした状態を現実のものとして認識して受容するためには、信頼できる情報を出来るだけ多く集め、そして多面的な視座を保持しつつ、各々で少しづつ、我が国の現状を認識することが重要であると考えます。あるいは換言しますと、いまだ戦争に至ってはいないため、辛いかもしれませんが、我々はもう半ば戦時状態にあることを、強要されたものとしてでなく能動的に意識することが重要であると云えます。そして、こうした心構えが我が国内にて広がれば、これから数年後に昨今の平和に対する危機の要素が除かれて、また平和が訪れた時に、平和のありがたさを満喫することが出来、またたとえ、悪い方へと事態が推移しても、比較的冷静に、その状況に対峙することが出来るようになるのではないかと思われるのですが、さて、実際のところは、どのような方向へと事態は進展するのでしょうか・・。

今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます!
一般社団法人大学支援機構


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ISBN978-4-263-46420-5

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