2024年1月14日日曜日

20240114 株式会社東洋書林刊 セバスチァン・ハフナー著 魚住昌良監訳 川口由紀子訳「図説 プロイセンの歴史―伝説からの解放」 pp.218‐219より抜粋

株式会社東洋書林刊 セバスチァン・ハフナー著 魚住昌良監訳 川口由紀子訳「図説 プロイセンの歴史―伝説からの解放」
pp.218‐219より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4887214278
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4887214279

一八五四年から、一八五六年のあいだに、オーストリアとロシアの関係を友人から敵に、それもどう見ても永遠の敵に変えたのは、クリミア戦争であった。西側諸国対ロシアのこの戦争で、初めてバルカン半島のトルコの継承が問題となり、この危険をはらんだ地域は、その後、半世紀以上にわたってヨーロッパの政治を不穏におとしいれ、ついには第一次世界大戦の発火点となった。

 プロイセンとオーストリアは、クリミア戦争でともに中立を保った。とはいえ両国の中立は非常に異なる色合いをもち、プロイセンはいわばロシア側に、オーストリアは西側諸国の側に立った。オーストリアはドナウ諸国(今日の南および東ルーマニア)の獲得とバルカン半島からのロシアの追放のためのクリミア戦争を利用しようとした。そのわずかな五年前、ハンガリー戦争で負けかけていたオーストリアをロシアが助けてくれたにもかかわらず。「オーストリアはその恩知らずによって世間を驚かせるだろう。」シュヴァルツェンベルクはすでに早い時期にそう言っていたが、これは特徴を言いあてた名言である。オーストリアとロシアは、いまやバルカンにおいて致命的なライバルとなった。

 そしてプロイセンは、もはや彼らの同盟の中の第三者ではありえなかった。その同盟はもはや存在しなかった。今後プロイセンは、好むと好まざるとにかかわらず、両者間での選択を余儀なくされた。

 終わったのは「三羽の黒鷲」同盟だけではなかった。一八一五年にメッテルニッヒが設立し、プロイセンが進んでその中に憩ったきわめて巧妙なヨーロッパ体制が、革命と革命のもたらした結果とによって崩壊した。フランスはもはや関与していなかった。フランスではいま、ふたたびナポレオンという人物が支配していた。

 この「三代目」ナポレオンは、初代が抱いた帝国という野心こそもたなかったが、ヨーロッパ政治の中心をウィーンからパリに移すという野心を抱いていた。彼の手段はナショナリズムとの同盟であった。まず初めはイタリア・ナショナリズムとの同盟、そこでは彼は成功した。次はポーランド・ナショナリズムとの同盟、そこでは何の結果も出なかった。最後は、なんとドイツ・ナショナリズムとの同盟である。

 ここにいたってはナポレオン三世は自らの破滅を招いた。彼はいつものように、ヨーロッパに不穏・戦争・鬨の声をもたらした。革命後のヨーロッパは、もはや一八一五年から一八四八年までのような平和な国家共同体ではなかった。それぞれの国がいまはまた自立していた。良くも悪くも、プロイセンも例外ではなかった。

2024年1月13日土曜日

20240113 中央公論新社刊 池内紀著「ヒトラーの時代-ドイツ国民はなぜ独裁者に熱狂したのか」 pp.103-107より抜粋

中央公論新社刊 池内紀著「ヒトラーの時代-ドイツ国民はなぜ独裁者に熱狂したのか」
pp.103-107より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4121025539
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4121025531

テレビが普及して以来、すっかり影が薄くなったが、二十世紀前半にラジオが果たした役割を忘れてはならないだろう。テレビの映像にとって変わられるまで、ラジオの声は、おおかたの人が朝ごとにまっさきに耳にした音声であり、夜は、この声を消して床についた。真空管つきの小さな箱が、海のかなたの政変を伝えてきた。世界的オーケストラによる名曲を気前よく送ってくれる。スポーツの実況を通してグラウンドや競技場の一員になれる。連続放送劇が大当たりすると、その時間帯は通りから人影が消えた。

 情報や娯楽の送り手だっただけではない。そもそもヒトラーが驚くほどの短期間に圧倒的な人気と信任をかちえたのは、ラジオの利用なくしては考えられない。ゲッペルスの見通したように、十九世紀は新聞、二十世紀はラジオの世紀だった。そしてまさに後藤新平が開局の挨拶で述べたとおり、ヒトラーはこれを「精妙に利用」して、「民衆生活の枢機」を握ったのである。

 年頭所感や政局のおりおりに、荘重な音楽が流れ、ついで「ドイツ国民に対するドイツ政府の告諭」になった。どの家庭でも、この瞬間、いっせいに静けさが訪れた。

「ドイツ国民に告ぐ」

ヒトラーお得意の弁舌が流れてくる。選挙の前日には、急遽番組表に割りこんできた。それは放送であって放送にとどまらなかった。ラジオの声はとりも直さず「ナチス国家の表現」であり、ナチズムの精神、ナチス指導部原理にかなうものだった。居間に据えた国民ラジオをとり巻いて、家族全員が威儀を正し、身じろぎせず、神の声を聴くように301型の声に耳を傾けた。

 メディア論者マクルーハンによると、ラジオは「部族の太鼓」だった。ラジオの声が人間の内面の深層にはたらきかけ、ちょうど深い密林で打ち鳴らされる太鼓のように、陶然とした恍惚感に導くからだという。マクルーハンはラジオの影響度を文字文化と産業主義とに関連づけた。イギリスやアメリカは早くからこの両者になじんでおり、いわばラジオに対する「予防注射」を受けていたが、ヨーロッパ大陸はラジオの「免疫」というものを持たず、だからこそファシズムの調べとともに「古い血族関係の網の目」が共鳴を起こして声の魔術にしてやられたー。

 論議が分かれるとこだろう。同じアメリカで一九五〇年代はじめ、上院議員のマッカーシーのラジオ番組とともに「赤狩り」が始まった。煽動的なラジオの声を合図に、人々は一斉に共産主義者摘発に狂奔した。ここでも「部族の太鼓」が人々を、雪崩のような動きへと駆り立てた。

 それはともかく、ナチズムがみるみる勢力をのばしたのは、あきらかにラジオと拡声装置のおかげだった。演説好きの独裁者は新技術を最大限に活用した最初の権力者だった。アドルフ・ヒトラーこそ「メディア人間」のはしりだった。もともと故郷や家族志向の強いドイツ人に「部族の太鼓」はとりわけ効果的に鳴りひびいた。

 さらにマクルーハンによるとラジオは「熱いメディア」であって、本来的に魔術的な威力をそなえている。はるか遠くで発せられた声にもかかわらず、ラジオはひそひそと耳近くでそなえている。はるか遠くで発せられた声にもかかわらず、ラジオはひそひそと耳近くで話しかける。宗教上の神々が地上に降臨するとき、それはつねに目に見えない姿をとり。信(神?)託の声として現われ、人を誘いこむ、ラジオが親密な一対一の関係をもたらすことは、現代のディスクジョッキーでおなじみだろう。これは話し手と聴き手のあいだに、親密な私的世界を生み出すばかりでなく、意識下にはたらきかけて、ひそかな「共鳴」をつくりだす。

 技術はすべて肉体の延長といった目でながめると、ラジオは電話や電信よりもはるかに強く中枢神経の拡張といった役割を担うのではあるまいか。音声として与えられた言葉は目よりもずっと敏感で、本能的で、排他的に作用してくるからだ。

 若きオーソン・ウェルズが一九三八年、CBSラジオの臨時ニュースの形をとって、火星人襲来のラジオ・ドラマを放送したとき、全アメリカがパニックに陥った。ラジオだったせいだろう。テレビであれば、口元にいたずらっぽい笑いを浮かべた野心家の俳優が映っており、その機知と話術を楽しんで、誰も火星人の襲来に逃げまどったりしなかったはずである。

 マクルハーンの言うように、熱いメディアのラジオに対して、テレビは「冷たいメディア」である。マッカーシーが赤狩りの弾劾演説を、おりしもひろがりはじめたテレビに移したとたん、おこりが落ちたようにアメリカ市民は正常に立ちもどった。共産主義者の恐怖ではなく、憎悪にゆがんだ一上院議員の醜悪な顔を見たからである。

 もしヒトラーがラジオではなくテレビの時代に生まれ合わせていたら、せいぜいのところミュンヘン一帯を地盤とする、やたら演説の好きな、チョビひげがトレードマークの一地方政治家に終っていたかもしれないのだ。

2024年1月11日木曜日

20240111 株式会社河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田裕之訳 「21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考」pp.309-311より抜粋

株式会社河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田裕之訳 「21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考」pp.309-311より抜粋
ISBN-10: 4309227880
ISBN-13: 978-4309227887

宗教やイデオロギーに加えて、営利企業も虚構とフェイクニュースに頼っている。ブランド戦略は、人々が真実だと思い込むまで、同じ虚構の物語を何度となく語るという手法を取ることが多い。あなたはコカ・コーラについて考えたとき、どんな画像が頭に浮かぶだろうか?若くて健康な人々がスポーツをしながらいっしょに楽しんでいるところを思い描くだろうか?あるいは、太り過ぎの糖尿病患者が病院のベッドに横たわっている姿を想像するだろうか?コカ・コーラをたくさん飲んでも若返れないし、健康になれないし、運動が得意にもなれない。むしろ、肥満と糖尿病になる危険が高まる。それにもかかわらず、コカ・コーラは長年、膨大な資金を投じて、自らを若さや健康やスポーツと結びつけてきた。そして、何十億という人が、潜在意識の中でその結び付きを信じている。

 真実がホモ・サピエンスの課題リストの上位に入ったことは一度もなかった、というのが真実だ。特定の宗教あるいはイデオロギーが現実を偽って伝えたら、その宗教あるいはイデオロギーの信奉者は、判断力に優る競争相手に太刀打ちできないから、遅かれ早かれその偽りに気づくに違いないと、多くの人は思い込んでいる。そう思っていれば気が楽なのだが、あいにく、それもまた神話にすぎない。実際には、人間が協力してどれほど力を発揮できるかは、真実と虚構の間の微妙なバランスにかかっているのだ。

 もしあなたが現実を歪めすぎると、非現実的な形で行動してしまうので、自分のためにならない。たとえば、一九〇五年にキンジキティレ・ングワレという東アフリカの霊媒師は、ヘビ神に仕える精霊ホンゴに憑依されたと主張した。この新しい預言者は、東アフリカのドイツの植民地の人々への、革命のメッセージを持っていたー団結し、ドイツ人を追い出せ、という。このメッセージの魅力を増すため、ングワレは信奉者たちに、ドイツ人の銃弾を水(水はスワヒリ語で「マジ」)に変えるという触れ込みの秘薬を与えた。こうして、マジ・マジ反乱が始まった。そして、失敗に終わった。なぜなら戦場では、ドイツ人の銃弾は水に変わらなかったからだ。銃弾は、装備不足の反乱軍兵士の体に容赦なく食い込んだ。その二〇〇〇年前、ローマ人に対するユダヤ人の大反乱もやはり、神はユダヤ人のために戦い、見たところ無敵のローマ帝国を打ち負かす手助けをしてくれるという、熱狂的な信念が呼び起こしたものだった。この反乱も失敗に終わり、エルサレムは破壊され、ユダヤ人は国を追われた。

 その一方で、何らかの神話に頼らなければ、大勢の人を効果的に組織することはできない。もしありのままの現実にこだわっていたら、ついてきてくれる人はほとんどいない。神話がなければ、失敗に終わったマジ・マジ反乱やユダヤ人の大反乱ばかりでなく、大きな成果をあげたマフディーやマカベア家の反乱も、組織できなかっただろう。

 実際、人々を団結させる点では、偽りの物語のほうが真実よりも本質的な強みを持っている。集団への忠誠心がどれほどのものかを判断したかったら、人々に真実を信じるようにと飲むよりも、馬鹿げたことを信じるように求めるほうが、はるかに優れた試金石になる。もし大首長が、「日は東から昇り、西に沈む」と言ったら、人々はその首長への忠誠心がなくても、是認して拍手喝采するだろう。だが、もし首長が、日は西から昇り、東に沈む」と言ったら、手を叩くのは忠実な支持者だけだ。同様に、もしあなたの隣人たちがみな、同じとんでもない物語を信じていたら、危機が訪れたときに彼らは団結して立ち上がると思って間違いない。もし彼らが、正しいという折り紙付きの事実しか信じる気がないのなら、それが何の証になるというのか?

 少なくとも一部のケースでは、虚構や神話ではなく、当事者の合意のみで成り立つ約束事を通して人々を組織することが可能だと主張する向きもあるかもしれない。たとえば、経済の領域では、貨幣や企業は人間の約束事にすぎないことを誰もが知っているにもかかわらず、それらは神や聖典よりもはるかに効果的に人々を束ねる。聖典の場合、熱狂的な信者は、「この書物は神聖だと、私は信じている」と言うだろうが、ドルの場合には、熱狂的な信奉者は、「他の人々がドルには価値があると信じていると、私は信じている」と言うにすぎない。ドルが人間の所産でしかないのは明らかであるにもかかわらず、世界中の人がドルを尊重する、それならば、なぜ人間はあらゆる神話と虚構を捨て、ドルのような約束事に基づいて自らを組織しないのか?

20240110 株式会社新潮社刊 新潮選書 高坂正尭著「歴史としての二十世紀」pp.125-127より抜粋

株式会社新潮社刊 新潮選書 高坂正尭著「歴史としての二十世紀」pp.125-127より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4106039044
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4106039041

「コカ・コロナイゼーション」

ここで知っておくべきことは、こんな高度な物質文明がすでに一九二〇年代にはアメリカに存在した事実でしょう。そして、ネビンソンのような冷めた見方をするイギリス人もいました。日本人は戦後にアメリカの豊かな文明を体験して、その差に驚嘆したのですが、その四半世紀前に同じことがあり、かつ、びっくりするより反感を持った人もいたというのが面白いところです。

 同様の違和感はイギリス人のみらなず大陸側のヨーロッパにもあったようです。たとえば、フランスの場合、第一次大戦も第二次大戦もアメリカに助けてもらい、やっとのことで勝ったわけで、イギリス以上に屈折しています。米軍のおかげでナチスから解放されたわけで、感謝するのが普通の感情でしょう。だが、気位が高ければ、その事実がますます忌々しく、「アメリカ糞くらえ!」という思いになることは、十分考えられます。

「コカ・コーラ」と「コロナイゼーション(植民地化)」をくっつけた、「コカ・コロナイゼーション」という造語は、それをうまく表現しています。直訳すれば「コカ・コーラによる植民地化」でしょうか。「コカ・コーラを飲むのが進歩かね、これはアメリカ文明に対する隷属だ」という気持ちを、この言葉に託したわけです。フランス人にしてみれば、自分たちのワインが世界一で、甘ったるいコカ・コーラを飲む連中はどっちみちクズだと思ったのかもしれません。

ラジオと自動車という文明の利器

 しかし、鬱屈した対米感情は、フランスでも長続きしませんでした。その理由は一九二〇年代から三〇年代にアメリカの一般家庭に入っていた工業製品が、第二次大戦後、ヨーロッパにあふれかえってしまったことです。発明された順番は諸説ありますが、普及した順ではラジオと自動車と電気製品、これらが重要です。現代人の生活はラジオを含めマス・コミュニケーションを離れては考えられません。さらに自動車を抜きにした生活もありえない。これは綿製品が安くできるとか、広い家がいいということとは違い、社会生活を根本から変える効果、さらにいえば、人々を虜にする麻薬的なところも持っていた。マス・コミュニケーションという大がかりな伝達手段がなければ、一つの国民が同時に同じニュースを聞いて、同じものに惹かれて、同じことを考えることはないはずです。これまでは、一つの国でも中心から遠い地方では情報が分離・隔絶されていました。ところが、ラジオ、続いてテレビに代表される大衆伝達は広い国でも全土を同時にカバーできます。それまで存在しなかった「国民社会」が、マスメディアによって形成されたことは間違いないでしょう。

2024年1月9日火曜日

20240109 株式会社平凡社刊 ジョン・エリス著 越智道雄訳「機関銃の社会史」pp.25-27より抜粋

株式会社平凡社刊 ジョン・エリス著 越智道雄訳「機関銃の社会史」pp.25-27より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4582532071
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4582532074

イギリスでも、その他の国でも、機関銃は第一次世界大戦の勃発まで日の目を見なかった。しかし世界の一部では、機関銃のすさまじいまでの威力はすでに証明されていた。アフリカに乗り込んだヨーロッパ人たち、兵士および武装した入植者たちの少人数の部隊は、たびたび多人数の原住民による抵抗を受けた。原住民は貧弱な武器しかもっていなかったが、数の上では圧倒的に優位だったために、白人たちはもっていた火器という火器をすべて活用せざるをえなくなった。後装式小銃を使っていた白人にとって、機関銃はこのうえない助っ人だった。アフリカ大陸のあらゆる場所で、ズールー族、デルウィーシュ[過激なイスラム教徒の一派]、ヘレロ族、マタベレ族など、大英帝国の行く手を阻むものはすべて、ガトリング銃、ガードナー銃、マクシム銃が根こそぎ蹴散らしていった。これらの機関銃は、ヨーロッパ人が領土を拡大するために、足掛かりを確保し、一息つくのに必要不可欠なものだった。機関銃を使わなかったら、イギリス南アフリカ会社はローデシアを失っていただろうし、ルガードはウガンダから、ドイツ軍はタンガニーカから追い出されていただろう。ハイラム・マクシムがいなければ、その後の世界の歴史はだいぶ変わっいたはずだ。ヒレア・ベラクがこう書いている。

ありがたや、われわれにはマクシム銃がある

だが、やつらにはない

しかし、帝国主義者たちによるこうした余興は、見る目のある者にとってはきわめて強烈な印象を与えただろうが、本国にいる軍部のエリートたちのにはほとんど何の影響も及ぼさなかった。ヨーロッパ人、とくにイギリス人は、わずかな数の英雄の手柄を讃えることばかりに夢中になっていたため、これらの大勝利がじつは機関銃によってもたらされたものだと認めることができなかったのだ。この並外れた武器の価値をいったん認めてしまえば、栄光はどうなる?武器に勲章をぶら下げるわけにはいかないではないか。第一、勝敗の決め手となったのがただの兵器にすぎなかったといってしまえば、イギリス人が優れている証拠だとは吹聴できなくなってしまう。

 実のところ、機関銃もパーマー、パクル、レブニッツ、ベセマーの時代以来、長い道程を歩んできた。彼らのような、本業でない者はもちろん、ガトリングやマクシムですら、自分たちがどんなに恐ろしい武器をつくりだしたか、人類が地球上から人間を一掃する能力をどれほど高めたか、想像もしていなかった。帝国主義者の体験はこの事実を明らかにしていたが、誰もそれを認めたがらなかった。そもそも、少人数のみすぼらしい〈カフィル〉(黒人)相手の軍事作戦から、ヨーロッパ人が自分たちの大陸で将来起こる戦争について教訓を得ることなどありえようか。こうしたわけで、機関銃は相変わらず調達品リストの末尾にかろうじて載っているにすぎなかった。それもせいぜい、敵が機関銃を装備している場合に何丁かもつというだけのことだったようで、機関銃があればほんの少しでも優位にたてるなどと言い張っても、何の効用もなかったのは確かだ。

 しかしあいにくなことに、一九一四年に、ドイツ軍、イギリス軍、フランス軍の手中にあったこれら少数の機関銃でさえ、実際に重大な影響を及ぼした。それは防衛に関して圧倒的な優位ももたらし、ヨーロッパにおける大戦争について両陣営が抱いていた見方を根底からくつがえした。

2024年1月8日月曜日

20240108 日本経済新聞出版社刊 ジャレド・ダイアモンド著 小川敏子、川上純子訳「危機と人類」下巻 pp.133‐136より抜粋

日本経済新聞出版社刊 ジャレド・ダイアモンド著 小川敏子、川上純子訳「危機と人類」下巻 pp.133‐136より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4532176808
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4532176808

第二次世界大戦に対する日本の姿勢をアジアがどうみているかを示すものとして、リー・クアンユーの評価を紹介する。リーは数十年にわたりシンガポールの首相を務め、日本、中国、韓国とその指導者をよく知る、鋭い人間観察眼を持った人物だ。

「ドイツ人と異なり、日本人は自分たちのシステムのなかにある毒を浄化することも取り除くこともしていない。彼らは過去の過ちについて自国の若者に教えていない。橋本龍太郎首相は第二次世界大戦五二周年(一九九七年)に際して「心からのお詫び」を、同年九月の北京訪問時には「深い反省の気持ち」を表明した。しかし、中国や韓国の国民が日本の指導者に望むような謝罪はおこなわなかった。過去を認め、謝罪し、前に進むことを日本人がこれほど嫌がる理由が、私には理解できない。どういうわけか日本人は謝りたがらないのである。謝罪するとは、過ちを犯したことを認めることだ。後悔や遺憾の意を示すのは、現時点での主観的な感情を表明しているにすぎない。日本人は南京大虐殺が起こったことを否定した。韓国人、フィリピン人、オランダ人などの女性たちが、拉致あるいは強制によって前線の兵士たちのための「慰安婦」(性奴隷の婉曲表現)にさせられたことを否定した。満州において中国人、韓国人、モンゴル人、ロシア人などの捕虜を生きたまま残酷な人体実験に使ったことを否定した。いずれの事例についての、日本人自身の記録から反論の余地のない証拠が出てきてようやく、彼らは不承不承ながら事実を認めた。今日の日本人の態度は将来の行動を暗示している。もし彼らが過去を恥じるなら、それを繰り返す可能性は低くなるだろう」

毎年、UCLAの私の学部生向けクラスには日本からの学生が含まれており、日本の学校で教えられていることや、カリフォルニアに来て体験したことを教えてくれる。日本の学校の日本史の授業では、第二次世界大戦についてほとんど時間を割かない(「数千年の日本の歴史のうちのほんの数年にすぎないから」)といい、侵略者としての日本についてはほとんど、あるいはまったく触れないし、何百万人もの外国人や数百万人の日本の兵士と民間人の死についての責任よりも、むしろ被害者としての日本(原爆によって十数万人が殺されたこと)を強調し、日本が戦争をはじめるように仕向けたとしてアメリカを非難するという(公平を期して述べておくと、韓国、中国、アメリカの教科書も、第二次世界大戦について自国に都合よく紹介している)。私の日本人の学生たちは、ロサンゼルスのアジア人学生連盟に参加し、韓国人や中国人の学生と出会い、戦時中の日本人の行動を知り、それが今も他国の学生たちの反日感情を醸成していることを知ると、ショックを受ける。

 同時に、私の日本人の学生の数人は、そして多くの日本人が、日本の政治家がこれまでに述べた数々の謝罪の言葉を挙げ、「日本はすでに十分に謝ったのではないか?」という疑問を述べる。短い答えは「ノー」だ。なぜならそれらの謝罪には真実味がなく、日本の責任を最小化、あるいは否定する言葉が混ぜられているからだ。日本とドイツの対照的な手法は主要な犠牲者である中国と韓国を納得させそこねているのはなぜだろうかと問うことだ。第6章で、ドイツの指導者たちが示して来た反省と責任や、ドイツでは子供たちが学校で自国の過去に正面から向き合うように教えられることなど、ドイツのさまざまな対応を紹介した。日本がドイツと同様の対応をすれば、中国人や韓国人は真摯さに納得するかもしれない。たとえば、日本の首相が南京を訪れ、中国人が見守るなかでひざまずき、戦時中の日本軍による残虐行為への許しを請うてはどうだろうか。日本中にある博物館や記念碑や元捕虜収容所に、戦時中の日本軍の残虐行為を示す写真や詳しい説明を展示してはどうだろうか。日本の児童が国内および南京、サンダカン、バターンなど海外のこうした場所を修学旅行や遠足で定期的に訪れるようにしてはどうだろうか。あるいは、戦争の犠牲者としての日本よりも、戦時中に日本の残虐行為の犠牲となった非日本人を描くことにもっと力を入れてはどうだろうか。こういった活動は今の日本には存在しないし、思い浮かべることすらできないが、ドイツでは同様の活動が広く実行されている。こうした活動が実行されるまで、中国人や韓国人は日本流の謝罪を信じることはなく、日本を憎みつづけるだろう。そして、中国と韓国が徹底した軍備を進めているのに日本は十分な自衛力がないという状態がつづく限り、日本の目前には大いなる危険が迫ったままである。

2024年1月7日日曜日

20240107 東洋経済新報社刊 北岡伸一・細谷雄一編著「新しい地政学」 pp.142‐144より抜粋

東洋経済新報社刊 北岡伸一・細谷雄一・田所昌幸・篠田英朗・熊谷奈緒子・託摩佳代・廣瀬陽子・遠藤貢・池内恵 編著「新しい地政学」
pp.142‐144より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4492444564
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4492444566

ロシアは、間接的な形でシリアやアフガニスタンの紛争にかかわる。また、近接地域であるジョージア(コーカサス地方)、およびウクライナなどで、より目立った紛争とのかかわりを見せてきた。1990年代にロシア政府が激しく戦ったチェチェン紛争の、ロシア領域内とは言え、コーカサス地方で発生した紛争であった。

 カスピ海および黒海の沿岸地域は、19世紀に南下政策をとるロシアが、海洋覇権を握るイギリスと、さまざまな対立を繰り広げた地域である。冷戦終焉後の世界では、21世紀になってから、反ロシアの行動をとったジョージアのサアカシュヴィリ政権に対して、ロシアは軍事衝突も辞さず、南オセチアとアブハジアに対して国家承認を行っており、ロシアにとってコーカサス地方への重要な足掛かりとなっている。

 2014年に勃発したウクライナ問題についても、ロシアの姿勢はジョージアに対するものと基本的に同じであった。ロシアにしてみれば、ウクライナやジョージアに対するものと基本的に同じであった。ロシアにしてみれば、ウクライナやジョージアなどの旧ソ連邦共和国は、少なくとも西側諸国に対する緩衝地帯となるべきだというのが、ある種の不文律なのだろう。2014年で起こった親西欧的な政治運動は、ロシアが決して看過できないものであった。そこでロシアは、クリミア半島を併合し、さらにはウクライナ南部を親ロシア勢力圏に置くことによって、キエフの新政権を囲い込むことを試みた。経済コストを甘受しても黒海におけるプレゼンスを確保するためにクリミアを死守したプーチン大統領の行動は、地政学的な着想に基づいたものであったと言える。

 このようなロシアを中心にユーラシア大陸の動きをとらえる視点は、マッキンダーによって、最も劇的に説明されていた。マッキンダ―は、歴史の「回転軸」を、ほとんどがロシアの領土と重なるユーラシア大陸の中央部の「ハートランド」に見出した。

 周知のように、マッキンダ―は、大陸の外周部分を形成する国家を「海洋国家(シー・パワー)」、大陸中央部にあるのが「陸上国家(ランド・パワー)」だと規定した。この地理的制約を受けた二つの大きな勢力の間のせめぎあいこそが、「グレート・ゲーム」を形成してきた。マッキンダーはハートランドの「陸上国家」は歴史法則的に拡張主義をとるという洞察を提示し、もともとは外洋に向かって勢力圏を拡大させる「海洋国家」群は、「陸上国家」の拡張に対抗して抑え込む政策をとっていかざるを得ないという洞察も示した。これはロシアの膨張主義を、ほぼ歴史法則的にとらえる視点につながる。