pp.103-107より抜粋
ISBN-10 : 4121025539
ISBN-13 : 978-4121025531
テレビが普及して以来、すっかり影が薄くなったが、二十世紀前半にラジオが果たした役割を忘れてはならないだろう。テレビの映像にとって変わられるまで、ラジオの声は、おおかたの人が朝ごとにまっさきに耳にした音声であり、夜は、この声を消して床についた。真空管つきの小さな箱が、海のかなたの政変を伝えてきた。世界的オーケストラによる名曲を気前よく送ってくれる。スポーツの実況を通してグラウンドや競技場の一員になれる。連続放送劇が大当たりすると、その時間帯は通りから人影が消えた。
情報や娯楽の送り手だっただけではない。そもそもヒトラーが驚くほどの短期間に圧倒的な人気と信任をかちえたのは、ラジオの利用なくしては考えられない。ゲッペルスの見通したように、十九世紀は新聞、二十世紀はラジオの世紀だった。そしてまさに後藤新平が開局の挨拶で述べたとおり、ヒトラーはこれを「精妙に利用」して、「民衆生活の枢機」を握ったのである。
年頭所感や政局のおりおりに、荘重な音楽が流れ、ついで「ドイツ国民に対するドイツ政府の告諭」になった。どの家庭でも、この瞬間、いっせいに静けさが訪れた。
「ドイツ国民に告ぐ」
ヒトラーお得意の弁舌が流れてくる。選挙の前日には、急遽番組表に割りこんできた。それは放送であって放送にとどまらなかった。ラジオの声はとりも直さず「ナチス国家の表現」であり、ナチズムの精神、ナチス指導部原理にかなうものだった。居間に据えた国民ラジオをとり巻いて、家族全員が威儀を正し、身じろぎせず、神の声を聴くように301型の声に耳を傾けた。
メディア論者マクルーハンによると、ラジオは「部族の太鼓」だった。ラジオの声が人間の内面の深層にはたらきかけ、ちょうど深い密林で打ち鳴らされる太鼓のように、陶然とした恍惚感に導くからだという。マクルーハンはラジオの影響度を文字文化と産業主義とに関連づけた。イギリスやアメリカは早くからこの両者になじんでおり、いわばラジオに対する「予防注射」を受けていたが、ヨーロッパ大陸はラジオの「免疫」というものを持たず、だからこそファシズムの調べとともに「古い血族関係の網の目」が共鳴を起こして声の魔術にしてやられたー。
論議が分かれるとこだろう。同じアメリカで一九五〇年代はじめ、上院議員のマッカーシーのラジオ番組とともに「赤狩り」が始まった。煽動的なラジオの声を合図に、人々は一斉に共産主義者摘発に狂奔した。ここでも「部族の太鼓」が人々を、雪崩のような動きへと駆り立てた。
それはともかく、ナチズムがみるみる勢力をのばしたのは、あきらかにラジオと拡声装置のおかげだった。演説好きの独裁者は新技術を最大限に活用した最初の権力者だった。アドルフ・ヒトラーこそ「メディア人間」のはしりだった。もともと故郷や家族志向の強いドイツ人に「部族の太鼓」はとりわけ効果的に鳴りひびいた。
さらにマクルーハンによるとラジオは「熱いメディア」であって、本来的に魔術的な威力をそなえている。はるか遠くで発せられた声にもかかわらず、ラジオはひそひそと耳近くでそなえている。はるか遠くで発せられた声にもかかわらず、ラジオはひそひそと耳近くで話しかける。宗教上の神々が地上に降臨するとき、それはつねに目に見えない姿をとり。信(神?)託の声として現われ、人を誘いこむ、ラジオが親密な一対一の関係をもたらすことは、現代のディスクジョッキーでおなじみだろう。これは話し手と聴き手のあいだに、親密な私的世界を生み出すばかりでなく、意識下にはたらきかけて、ひそかな「共鳴」をつくりだす。
技術はすべて肉体の延長といった目でながめると、ラジオは電話や電信よりもはるかに強く中枢神経の拡張といった役割を担うのではあるまいか。音声として与えられた言葉は目よりもずっと敏感で、本能的で、排他的に作用してくるからだ。
若きオーソン・ウェルズが一九三八年、CBSラジオの臨時ニュースの形をとって、火星人襲来のラジオ・ドラマを放送したとき、全アメリカがパニックに陥った。ラジオだったせいだろう。テレビであれば、口元にいたずらっぽい笑いを浮かべた野心家の俳優が映っており、その機知と話術を楽しんで、誰も火星人の襲来に逃げまどったりしなかったはずである。
マクルハーンの言うように、熱いメディアのラジオに対して、テレビは「冷たいメディア」である。マッカーシーが赤狩りの弾劾演説を、おりしもひろがりはじめたテレビに移したとたん、おこりが落ちたようにアメリカ市民は正常に立ちもどった。共産主義者の恐怖ではなく、憎悪にゆがんだ一上院議員の醜悪な顔を見たからである。
もしヒトラーがラジオではなくテレビの時代に生まれ合わせていたら、せいぜいのところミュンヘン一帯を地盤とする、やたら演説の好きな、チョビひげがトレードマークの一地方政治家に終っていたかもしれないのだ。
ISBN-10 : 4121025539
ISBN-13 : 978-4121025531
テレビが普及して以来、すっかり影が薄くなったが、二十世紀前半にラジオが果たした役割を忘れてはならないだろう。テレビの映像にとって変わられるまで、ラジオの声は、おおかたの人が朝ごとにまっさきに耳にした音声であり、夜は、この声を消して床についた。真空管つきの小さな箱が、海のかなたの政変を伝えてきた。世界的オーケストラによる名曲を気前よく送ってくれる。スポーツの実況を通してグラウンドや競技場の一員になれる。連続放送劇が大当たりすると、その時間帯は通りから人影が消えた。
情報や娯楽の送り手だっただけではない。そもそもヒトラーが驚くほどの短期間に圧倒的な人気と信任をかちえたのは、ラジオの利用なくしては考えられない。ゲッペルスの見通したように、十九世紀は新聞、二十世紀はラジオの世紀だった。そしてまさに後藤新平が開局の挨拶で述べたとおり、ヒトラーはこれを「精妙に利用」して、「民衆生活の枢機」を握ったのである。
年頭所感や政局のおりおりに、荘重な音楽が流れ、ついで「ドイツ国民に対するドイツ政府の告諭」になった。どの家庭でも、この瞬間、いっせいに静けさが訪れた。
「ドイツ国民に告ぐ」
ヒトラーお得意の弁舌が流れてくる。選挙の前日には、急遽番組表に割りこんできた。それは放送であって放送にとどまらなかった。ラジオの声はとりも直さず「ナチス国家の表現」であり、ナチズムの精神、ナチス指導部原理にかなうものだった。居間に据えた国民ラジオをとり巻いて、家族全員が威儀を正し、身じろぎせず、神の声を聴くように301型の声に耳を傾けた。
メディア論者マクルーハンによると、ラジオは「部族の太鼓」だった。ラジオの声が人間の内面の深層にはたらきかけ、ちょうど深い密林で打ち鳴らされる太鼓のように、陶然とした恍惚感に導くからだという。マクルーハンはラジオの影響度を文字文化と産業主義とに関連づけた。イギリスやアメリカは早くからこの両者になじんでおり、いわばラジオに対する「予防注射」を受けていたが、ヨーロッパ大陸はラジオの「免疫」というものを持たず、だからこそファシズムの調べとともに「古い血族関係の網の目」が共鳴を起こして声の魔術にしてやられたー。
論議が分かれるとこだろう。同じアメリカで一九五〇年代はじめ、上院議員のマッカーシーのラジオ番組とともに「赤狩り」が始まった。煽動的なラジオの声を合図に、人々は一斉に共産主義者摘発に狂奔した。ここでも「部族の太鼓」が人々を、雪崩のような動きへと駆り立てた。
それはともかく、ナチズムがみるみる勢力をのばしたのは、あきらかにラジオと拡声装置のおかげだった。演説好きの独裁者は新技術を最大限に活用した最初の権力者だった。アドルフ・ヒトラーこそ「メディア人間」のはしりだった。もともと故郷や家族志向の強いドイツ人に「部族の太鼓」はとりわけ効果的に鳴りひびいた。
さらにマクルーハンによるとラジオは「熱いメディア」であって、本来的に魔術的な威力をそなえている。はるか遠くで発せられた声にもかかわらず、ラジオはひそひそと耳近くでそなえている。はるか遠くで発せられた声にもかかわらず、ラジオはひそひそと耳近くで話しかける。宗教上の神々が地上に降臨するとき、それはつねに目に見えない姿をとり。信(神?)託の声として現われ、人を誘いこむ、ラジオが親密な一対一の関係をもたらすことは、現代のディスクジョッキーでおなじみだろう。これは話し手と聴き手のあいだに、親密な私的世界を生み出すばかりでなく、意識下にはたらきかけて、ひそかな「共鳴」をつくりだす。
技術はすべて肉体の延長といった目でながめると、ラジオは電話や電信よりもはるかに強く中枢神経の拡張といった役割を担うのではあるまいか。音声として与えられた言葉は目よりもずっと敏感で、本能的で、排他的に作用してくるからだ。
若きオーソン・ウェルズが一九三八年、CBSラジオの臨時ニュースの形をとって、火星人襲来のラジオ・ドラマを放送したとき、全アメリカがパニックに陥った。ラジオだったせいだろう。テレビであれば、口元にいたずらっぽい笑いを浮かべた野心家の俳優が映っており、その機知と話術を楽しんで、誰も火星人の襲来に逃げまどったりしなかったはずである。
マクルハーンの言うように、熱いメディアのラジオに対して、テレビは「冷たいメディア」である。マッカーシーが赤狩りの弾劾演説を、おりしもひろがりはじめたテレビに移したとたん、おこりが落ちたようにアメリカ市民は正常に立ちもどった。共産主義者の恐怖ではなく、憎悪にゆがんだ一上院議員の醜悪な顔を見たからである。
もしヒトラーがラジオではなくテレビの時代に生まれ合わせていたら、せいぜいのところミュンヘン一帯を地盤とする、やたら演説の好きな、チョビひげがトレードマークの一地方政治家に終っていたかもしれないのだ。
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