2023年5月4日木曜日

20230504 東京堂出版刊 マラート・ガビドゥリン 著 中市和孝訳 小泉 悠監訳「ワグネル プーチンの秘密軍隊」 pp.293-295より抜粋

東京堂出版刊 マラート・ガビドゥリン 著 中市和孝訳 小泉 悠監訳「ワグネル プーチンの秘密軍隊」
pp.293-295より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4490210787
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4490210781

この本は一人の傭兵とその仲間たちの武勇譚というよりも、むしろ、ロシアが傭兵制度をいかに利用しているかに光を投げかけたものである。傭兵とは西側諸国に特有の現象で、傭兵制度は資本主義の怪物が生み出したものであると教え込まれているが、われわれもまた、海外で自国の権益を拡大するために傭兵を利用している。我が国の政治家は、ロシアの民間軍事会社については控え目に口を閉ざし、そういう民兵組織を利用しているという噂をまるごと否定するとともに、国民に対して集中的プロパガンダを展開し、ロシアにはロシア独自の外交政策があるという考えを叩き込み、傭兵部隊に関する疑問については直接的な答えを避けている。

 こういう現状は誰の利益になっているのか?まずは国民に食わせてもらっていて、自分たちがその国民の役に立っていると思い込ませようとしている者たちに。例えば、シリアに駐留しているロシア軍の将軍たちは「誰もいない」キャンペーンを巧みに駆使して、兵士の犠牲はたいしてないという錯覚を生み出した。だが、イスラム国との戦争で命を落としたロシア市民の実際の数は、公式データと食い違っている。シリアで戦死したロシア人傭兵の数は、正規軍兵士の死者数をはるかに上回っているのだが、流血のない戦争という神話を維持するため、民間軍事会社の介入そのものが国民に隠されている。シリアに駐留するロシア軍人はみな、イスラム国に勝利するために本当は誰が体を張ったのかを知らない国民からちやほやされ、誇らしさに浸っている。

 政治指導者たちもまた、「きわめて道徳的な我が国の価値観にそぐわない現象」と高言する傭兵制度から恩恵を得ている。アサド政権を救ったことで、ロシアは世界各地のあらゆる犯罪者どもの庇護者かつ救済者としての地位を確立した。ロシア外交と政治の裏でうごめく人間にとって、アフリカ大陸は有望な新天地となることだろう。アフリカで権力を握った指導者どもは、シリア政府に対するロシアの支援に目をつけ、自国の豊かな金やダイアモンドや石油などの鉱物資源をロシアの手に渡してもよいという素振りを見せている。

*ChatGPTによる要約に手を加えたものです☟
この本は、一人の傭兵と彼の仲間たちの勇敢な物語というよりも、むしろロシアが傭兵制度をどのように利用しているかを明らかにしたものです。傭兵というのは西側諸国に特有の現象であり、傭兵制度は資本主義の悪例が生んだものだと考えられていますが、ロシアも自国の権益を海外で拡大するために傭兵を使用しているのです。我々の政治家たちは、ロシアの民間軍事会社については口を閉ざし、その存在を否定して、ただ、ロシアに独自の外交政策があるというイメージを国民に植え付けて、傭兵部隊に関する疑問には直接答えずに避けています。
しかし、このような現状は誰のためになっているのでしょうか?それは、国民に食わせてもらっている政治家や軍人たちにとって都合がよく、自分たちが国民の役に立っているという錯覚を生み出しているのです。例えば、ロシア軍の政治家や将軍たちはシリアに駐留している間、兵士たちが犠牲になっている印象を与えないようにしています。しかし、実際には、ロシア市民のシリアでの死者数は公式データとは異なり、ロシア人傭兵の死者数は正規軍兵士の死者数をはるかに上回っています。つまり、民間軍事会社の介入が国民に隠され、流血のない戦争という神話を維持するために、ロシア政府はこの事実を隠しているのです。ロシア軍人たちは、誰が犠牲になったかを知らずにイスラム国に勝利し、国民から称賛を受け、誇らしく思っているのです。政治指導者たちも、傭兵制度が我が国の道徳的な価値観にそぐわないという言葉を口にしながらも、実際には傭兵制度から利益を得ています。ロシアはアサド政権を支援することで、世界中の犯罪者たちを庇護し、救済する立場を確立しました。ロシア外交や政治の裏で活動する人々にとっては、アフリカ大陸が有望な新天地となるでしょう。アフリカの指導者たちは、ロシアがシリア政府を支援していることに注目し、自国の豊かな鉱物資源(金、ダイアモンド、石油など)をロシアに売却する意向を示しています。

*ChatGPTによる要約に手を加えたものです②☟
この本は、一人の傭兵と彼の仲間たちの勇敢な物語というよりも、むしろロシアが傭兵制度をどのように利用しているかを明らかにしたものです。ロシアは自国の権益を海外で拡大するために傭兵を使用しており、政治家たちはその存在を否定し、ロシアに独自の外交政策があるというイメージを国民に植え付けています。しかし、実際には、ロシア市民のシリアでの死者数は公式データとは異なり、ロシア人傭兵の死者数は正規軍兵士の死者数をはるかに上回っています。これは、民間軍事会社の介入が国民に隠され、流血のない戦争という神話を維持するために、ロシア政府がこの事実を隠しているためです。政治指導者たちは、傭兵制度が我が国の道徳的な価値観にそぐわないという言葉を口にしながらも、実際には傭兵制度から利益を得ており、アフリカ大陸での鉱物資源の取引に注目しています。ロシアはアサド政権を支援することで、世界中の犯罪者たちを庇護し、救済する立場を確立しました。

20230504 筑摩書房刊 ちくま新書 小泉悠著「現代ロシアの軍事戦略」 pp.165-167より抜粋

筑摩書房刊 ちくま新書 小泉悠著「現代ロシアの軍事戦略」
pp.165-167より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4480073957
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4480073952

2015年に入ると、彼らはシリアにも派遣された。ロシア航空宇宙軍の空爆開始に先立ち、潰滅的な状況にあったアサド政権のテコ入れを図るのがその目的であったと見られている。実際、元軍人を中心に構成され、戦車などの重装備も与えられたワグネルはKSSOの特殊作戦部隊と並んで有力な戦力となり、パルミラやデリゾールの奪還では中心的な役割を果たしたとされる。

 だが、彼らが完全にロシア政府のコントロール下にあるのかどうか、疑われるような事態も発生している。2018年2月7日深夜から翌8日にかけて、アサド政権側の1個大隊がクルド人勢力の支配下にあるユーフラテス川東岸に侵入し、米軍の猛烈な空爆で撃退された事件がそれである。この地域は米露の仲介で合意された非戦闘地域に当たっていたことから、アサド政権側の停戦合意違反とされ、ロシア側も表向きはこれを非難する側に回った。

 しかし「コメルサント」(2018年2月14日)によると、この侵攻作戦にはワグネルのコントラクター600人が加わっており、ロシア政府の許可を得ずにデリゾールの石油精製施設を占拠することを目的としていたという。

 これに先立つ2017年12月12日、AP7通信は、ワグネルの活動にはプリゴジン氏の個人的な経済的利権が関連していると指摘していた。ワグネルのフロント企業であるエヴロポリス社はワグネルのコントラクターがISから奪取し、警備する施設から得られる石油・ガス収入の25%を得る約束になっていたという。デリゾールにおける出来事は、こうした利権獲得を目指す軍事活動であった可能性がある。

 さらに2017年以降には、ワグネルはアフリカでの資源利権確保のためにも投入されているという情報が見られるようになった。知られている限りでは、スーダンの金鉱山警備や中央アフリカの金。ダイアモンド鉱山警備などが主なところで、そのいずれもがプリゴジン氏の関連企業が開発利権を得ている場所であった。(Marten 2019)。ちなみに中央アフリカでは2018年7月、ワグネルの活動を追っていたドキュメンタリー番組の撮影チーム3人が何者かに殺害されているが、ロシアの民間団体「ドシヨー・センター」は携帯電話の通話記録などを独自に調査した結果、プリゴジン氏の周辺が殺害を命じた可能性が高いと結論づけている(Meduza 2019.1.10.)。

 こうした動きを見る限り、ロシア政府のために戦闘任務を担う見返りとして外国の資源利権を獲得する権利を与えられる。というのがワグネルの「事業モデル」であるようだ。




 


 


 

20230503 視覚による認識の違いと「耳」から「眼」への感覚の変化について:銅鐸の変遷から

GWとはいえ旅行などに出かけることもなく過ごしていますが、久々に数本の映画作品をDVDで視聴しました。ここ最近は映画作品を最初から最後まで視聴することはなかったことから、これはなかなか新鮮に感じられました。また、書籍も何冊か読み進めていますが、ここ最近で気が付いたことは、スマートフォンをしばらく使用すると、その後の書籍など紙の文章を読み進めることが、とても辛くなるということです。これは以前から感じていたことですが、年齢のためであるのか、以前よりも顕著になってきたと感じられました。そして私としては、今しばらくは紙の書籍を読みたいと考えていますので、今後は以前よりもスマートフォンの使用時間を出来るだけ減らしたいと考えています。他方、PCの画面であれば、それ以前から用いていて慣れているためであるのか、読書との相性が悪いとは感じたことがありませんでしたので、スマートフォンとPCでは、眼に与える影響が異なるのかもしれません。あるいは、スマートフォンも継続的に使用して慣れてきますと、そこまで苦痛を感じなくなるのかもしれません・・。

そして、これもまた先日の投稿記事にて述べました「同じ視覚による認識であっても文字による文章を目で読み認識する」ものと「マンガなどの画像を見て感覚的に認識する」ものとでは性質が異なるのではないか?とも何か関連があるのかもしれません。また、こうしたことを書いていますと、これまでに何度か当ブログにて述べました、弥生時代の青銅製祭器である銅鐸の我が国での伝播、およびその発達の様相での特徴が想起されてきます・・。

朝鮮半島・中国東北部から北部九州に齎されてからごく初期の銅鐸は、概して小型で装飾性に乏しく、これは本来の用途である「鐸」から逸脱せずに「鳴らす」機能を重視していたと推察されることから、これら初期的な特徴を持つ銅鐸は「聞く銅鐸」として分類されます。

これらの銅鐸は当時の祭祀でどのように用いられていたのか分かりませんが、ああしたベル型の金属器は、後世の寺の釣鐘ほどではないでしょうが、叩くと特有の金属音がして、それが金属器自体が乏しかった当時の人々としては、神秘的に感じられたことは感覚的にも納得出来ます。

そしてまた、この初期型・比較的小型の「聞く銅鐸」は、主に西日本にて比較的早い段階から集落として栄えた地域での出土が多く、その典型は奈良や香川であると云えます。これを異言しますと、弥生時代の西日本にて、相対的に早い段階から水稲耕作を生産手段として栄えた地域にて多く出土するのが前出の比較的小型の「聞く銅鐸」であると云うことになります。くわえて、その出土数は当時の耕地面積から推測される社会規模と比べて相対的に少なく、おそらくは社会規模が大きくなる以前から、代々、それらの銅鐸が音を鳴らす祭器として認識されていたのだと推察されます。

やがて、それらの社会(ムラ)がさらに発展して大規模になってきますと、そこから比較的近い水稲耕作に適した他の土地に移住して、新たなムラが営まれるようにになりますが、こうしていわば分村して成立した社会においても銅鐸を用いた祭祀は行われ、あるいは、そうした新たなムラに、もとのムラから祭器として新たな銅鐸が授けられるような仕組みがあったのではないかとも思われます。

ともあれ、こうして分村により成立した新たなムラにおける銅鐸祭祀は、当初からの特徴的な金属音よりも、銅鐸自体の見た目の壮麗さなどが重視されるようになる傾向があると云え、そこから、大型・高装飾化した比較的後期からの銅鐸は、さきの「聞く銅鐸」に対して「見る銅鐸」として分類されます。

もちろん、この銅鐸の大型・高装飾化の背景には、鋳造技術の進歩により、作成可能になったのですが、しかし、それと同時に、やはり「聞く」から「見る」を重視する感覚の変化といったものが少なからず関与しているのではないかとも思われるのです。そして、当時の我が国では文字・漢字は(殆ど)入ってきていませんので、さきに述べました「文章と画像の視覚認識の違い」と同じではありませんが、この銅鐸に関する、いわば「耳」から「眼」への感覚の変化の背景には、一体何があり、そしてまた、そうした現象は、その後の歴史の推移においても看取出来るのであろうかと考えてみますと、それはそれでまた興味深いものがあるように思われるのですが、さて、これも実際のところはどうなのでしょうか?

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2023年5月1日月曜日

20230430 株式会社角川書店刊 横溝正史著「獄門島」 pp.9-10より抜粋

株式会社角川書店刊 横溝正史著「獄門島」
pp.9-10より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4041304032
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4041304037

それは終戦後一年たった、昭和二十一年九月下旬のことである。いましも笠岡の港を出た、三十五トンの巡航船、白竜丸の胴の間は種々雑多な乗客でぎっちりとつまっていた。それらの乗客の半分は、ちかごろふところぐあいのいいお百姓で、かれらは神島から白石島へ魚を食いに出かけるのである。そして、あとの半分は、それらの島々から本土へ物資を仕入れに来た、漁師や漁師のおかみさんたちである。瀬戸内海の島々は、どこでも魚は豊富だけれど、米はいたって不自由だから、島の人々は魚を持って、米と交換して来るのである。

 すりきれた、しみだらけの、薄ぎたない畳敷きの胴の間は、それらのひとびとと、それらのひとびとの持ちこんだ荷物とで、足の踏み場もないほどであった。汗のにおいと、魚のにおい、ペンキのにおい、ガソリンのにおい、排気ガスのにおい、どのひとつをとってみても、あまり愉快でないにおいが、錯綜して、充満しているのだから、気の弱いものなら、嘔吐を催しそうな空気だけれど、漁師と百姓、いずれも神経の強靭な人たちばかりである。そんなことにはおかまいなしに、この辺の人間特有のかん高い調子でしゃべりまくり笑い興じて、その騒がしいことといったらお話にならない。

 ところがそういう胴の間の片すみに、ただ一人ちょっと風変わりな男が乗っていた。その男は、セルの袴をはいている。そして頭にはくちゃくちゃに形のくずれたソフトをかぶっている。いまどきは家にいるときの百姓だって、洋服あるいは洋服に類したものを着ている。ましてや旅に出るとあれば、猫も杓子も洋服を着る。現にこの胴の間につまっている乗客でも、男で和服を着ているのはこの男のほかにもうひとりしかいなかったが、これはお坊さんだから致し方があるまい。

 こんな時代に、あくまでも和服でおしだすこの男は、どこかしんにがんこなものを持っているのだろうが、見たところ、いたって平凡な顔つきである。がらも小柄で、風采もあがらない。皮膚だけはみごとな南方やけがしているが、それとてもあまりたくましい感じではない。年齢は三十四・五というところだろう。

 胴の間の喧騒もどこ吹く風といわぬばかりに、その男は終始窓際によりかかって、ばんやり外をながめている。瀬戸内海の潮は碧くすみわたって、あちこちに絵のような島がうかんでいる。しかしこの男はそういう景色にもかくべつ心を動かすふうでもなく、いかにも眠たげな眼つきである。


2023年4月29日土曜日

20230429 いくつかの種類の認識を互関連させて継続することについて

先日の投稿記事で、同じ視覚による認識であっても「文字による文章を目で読み認識する」ものと「マンガなどの画像を見て感覚的に認識する」ものとでは性質が異なるのではないか?といった見解を述べましたが、後になり、もう少し考えてみたところ、これら視覚に基づく認識は、たしかに各々性質が異なるものの、どちらか一辺倒になるということはなく、多くの人々は、日常的な場面に応じて使い分けているものと思われます。そしてまた、日常的にそれぞれの認識を用いることにより経験を積み、それぞれの認識の精度を上げていくのだと思われますが、これもまた、どちらか一辺倒になってしまっても、あまり宜しくないのだと思われます。

また、こうした視点で他国・他地域の文化などを眺めてみるのも、それなりに興味深いと思われます。たとえば、ユリウス・カエサルの「ガリア戦記」やロバート・グレイヴスの「この私クラウディウス」やトム・ホランド著「ルビコン 共和政ローマ崩壊への物語」あるいは塩野七生のローマ人の物語のⅣ・Ⅴ巻(ユリウス・カエサル ルビコン以前・以後)やウィリアム・シェイクスピアの「ジュリアス・シーザー」などを読み、文章から、その時代の感覚のようなものをある程度認識してから、HBOとBBCによる共同制作の歴史ドラマ「ローマ」や、これまでに何度か映画化された「ベン・ハ―」などの、それなりに良い作品を視聴しますと、さらに、当時の時代感覚の精度が向上するのではないかと思われます。

こうして、文字情報からの視覚による認識と、画像・動画などからの視覚による認識を交互に繰り返すことによって徐々に、たとえ遠い過去の時代ではあっても、その時代の感覚や雰囲気といったものを、全体的なものとして、ある程度、認識することが出来るようになると思われるのです。

そしてまた、私見としては、歴史を学ぶ大きな意味とは、前述した交互の繰り返しの継続を通じて、新たな見解や知見を獲得して、それらをさらに他の時代、あるいは他分野への応用を試みるところにあると考えています。しかし同時に、この見解は後知恵的なものでもあり、そうした読書や映画の視聴は、あくまでも、さきのことを意識して行われたものではなく、やはり、その始点には「そういうことに興味があった。好きであった。」という感覚が継続的にあったからであると云えます。

そのように考えてみますと「では何故、そうした事に興味があったのか?」と云う疑問が生じてきますが、これについては、自らの経験から考えてみますと、やはり文系の師匠の存在が大きかったように思われます。そしてまた、ここまで述べてきました「文字情報による認識と画像・動画などによる認識を交互に行いつつ時代感覚の向上をはかる。」といった内容は、期せずしてか、以前に投稿した文系の師匠について述べたブログ記事の内容とも、通底するものが、少なからずあるように思われてきます。

*ChatGPTによる要約に手を加えたものです☟
過日の投稿記事で、視覚認識は、文章を読んでいるか、画像を認識しているかによって、異なる性質を持つ可能性があると述べました。しかし、ほとんどの人は日常生活にて、両方のタイプの認識を用いており、これは継続することにより認識の精度が向上すると云えます。また歴史や様々な異文化についても、さきの文字認識と画像認識を交互に行うことにより、その時代感覚を、徐々に全体的なものとして理解することが出来るようになると云えます。そして、このような視点で歴史や異文化を考察することは面白く、また、歴史を学ぶことの一つの意味は、継続的な活動を通じて、新たな見解や認識を獲得し、それを他の分野に応用することにあると云えます。そして、私について、その活動の起源を思い起こしてみると、文系の師匠の存在があると云えます。


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2023年4月27日木曜日

20230427 小説・ノンフィクションなどを読むことの重要性

ここ最近は、主に新書を何冊か読み進めてきましたが、しばらく新書ばかりを読んでいますと、その繋ぎとして、もう少し柔らかで読み進め易い文章を読みたくなるのか、近くに置いてあった横溝正史著の「獄門島」を不図、手に取って読んでみたところ、大変面白く感じられてしばらく読み入ってしまいました。

さらに、以前ツイッターでとり上げた、マラート・ガビドゥリン著 小泉悠監訳「ワグネル プーチンの秘密軍隊」を再び書店で手に取り読んでみたところ、これも同様に面白く感じられ、また、さきの読み進めていた新書はすべて概ね読了していたことから、この「ワグネル プーチンの秘密軍隊」を多少高価ながら購入することにしました。

早速帰りの電車内にて、これを読み始めますと、やはり面白く、直近で読んでいた新書の時と比較して、明らかに頁の進みが速いと感じられました。また、新書の文体は、概して若干硬質であることによるのか、読書中であっても、あまり感興が生じることはありません。どちらかというと、書面の情報を自らの経験や手持ちの知識で吟味しつつ読み進めるといった作業であると云えます。それ故、経験や手持ちの知識が乏しい分野の著作を理解しつつ読み進めることは困難であるのだと思われます。さらに、年齢を重ねますと、やはり頭は硬くなり、新たな事柄を最初から覚えることが困難になってきますので、気負うことなく、何かしら新たな知見を求める活動を能動的に続けることが、後々重要になってくるのだと思われます。その意味で、自ら手に取り読み、興味を抱くことが出来る著作を見つけることは、精神にとっては、それなりに良い刺激になっているのではないかと思われます。

また、さきの「ワグネル プーチンの秘密軍隊」を読んでいますと、その「過剰」とも感じられる独特の文体から、期せずして同じロシアの文豪フョードル・ドストエフスキーの「地下室の手記」が思い出されました。これまで私はあまりロシアの文学作品を意識して読んだことがないため、あくまでも憶測ではありますが、彼の地にて、何かしら内面に葛藤を抱えた男性が独白形式にて文章を作成すると、さきに述べた「過剰」あるいは「執拗」といった感じを受ける文体になるのかもしれません・・。

しかし、ここで主張したいのは、そうした文体と個人の気質との関係などではなく、それより前に述べた、比較的柔らかい(読み易い)と感じられる文章で書かれた小説・ノンフィクションといった、いわばモノガタリ形式の著作を、これまた能動的に読むことの重要性です。そしてこれは、音声として耳から聞くのではなく、あくまでも、文字によって書かれた文章を読むことにより、つまり、ある種の視覚を通じた認識と云えますが、それを通じて得られた認識が、思いのほかに重要であるのではないかと考えます。

そして、ここに文字による文章を目で読み認識する視覚と、マンガなどの画像を見ての感覚的に認識する視覚との違いのようなものがあり、これが社会全般にて、後者的なものが、より多くを占めて常態化するようになりますと、これまでとは異なった種類のさらに内奥からの変化といったものが、社会にて見受けられるようになるのではないかと思われましたが、さて、これも実際のところどうなのでしょうか。

*ChatGPTによる要約に手を加えたものです☟
最近は主に新書を読んでいたためか、柔らかい文章の小説が読みたくなり横溝正史の「獄門島」が読み始めたところ面白く感じられたことが印象的であった。また、本日は以前にツイッターでとり上げたマラート・ガビドゥリン著「ワグネル プーチンの秘密軍隊」を多少高価ながら購入した。これは新書よりも頁の進みの早さが印象的であった。新しい知識を得ることが重要と云われるが、加齢により新たな知見を得ることが困難になるとも云われている。そのため、年齢に関係なく、能動的に新たな知見を求めることが出来る分野を持つことが重要であるのだと思われる。そして、そこに比較的読みやすい文章でのモノガタリ形式の著作を読むことの重要性があるのだと思われる。

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2023年4月24日月曜日

20230424 ChatGPTを用いたブログ記事の作成について・・【記載情報の精確さの希求から】

ここ最近、ChatGPTを操作しています。これを用いて、何らかのオーダーを出しますと瞬時に「それらしい」文章が生成されます。これはたしかに驚くべきことではありますが、現時点では、生成された文章の内容は、オーダーの内容にもよるのでしょうが、あまり精確であるとは云えません。そのため、出来上がった文章を読み、記載情報についての加筆修正をしつつ、文章全体を精確なものとする作業をして、どうにか読める文章にしていくといった、自分としては新たな経験をしていると云えます。

とはいえ、たしかにChatGPTによって生成された文章は、その記載情報の精確さについては現時点では不充分であるかもしれませんが、ある程度の文章が瞬時に生成されることは、やはり驚異的であると云えます。しかも、それはおそらく、出来合いの文章ではなく、こちらのオーダーに反応して作成されたものなのです。

また、このような新たな驚異的とも云えるソフトが出現したことにより、こうしたブログ記事の作成は無意味に近いものになるのかと考えてみますと、さきに述べた記載情報の精確さにおいては、現時点では、そこまで脅威ではないと思われますが、おそらく今後も、そうした生成文章についてのファクト・チェック機能などは、随時改良されていくと思われますので、こちらとしても、当ブログを今しばらく継続するのであれば、何らかの対策を検討しておいた方が良いのではないかとも思われます。

そしてそれはもちろん、ChatGPTを用いた手法であっても良いと考えます。具体的には、これまでの当ブログでの投稿記事の中で、折々の機会にて気になった記事をChatGPTを用いて簡潔な要旨を作成して、その要旨内容と関連がありそうな記事を、あらためて、また当ブログから見出して、それもまたChatGPTを用いて要旨を作成し、そうして出来上がったいくつかの要旨をつなげて一文としてから、そのつなげた要旨から、またChatGPTを用いて要旨を生成して、記載情報についてのファクト・チェックや言い回しなどに加筆修正を加えて、それらしい文章にすることは、おそらく、そこまで困難ではなく、また私としては興味深い試みであると思われますので行ってみたいと考えています。

また、そうしたブログ記事などの文章作成の仕方が私のなかで一般化してきますと、これまでに培ってきた文章作成のノウハウが消失してしまうのではないかと思われますが、それは今後もどちらか一辺倒にはならずに継続していれば、あるいは手を用いる筆記での作業を継続していれば、双方の感覚は、並行して活きたものとして残るのではないかとも思われるのです。もちろん、それをさらに大きな視座から眺めてみますと、一種の賭け・博打のようなものと云えますが、それもまた、ある程度の継続によって、次なる新たなブログ記事作成についての手法や見解得ることが出来るようになるのではないかと思われるのです。

*ChatGPTによる要約に手を加えたものです☟
最近、ChatGPTを使用しています。オーダーを出すと瞬時にそれらしい文章が生成されますが、その記載内容の精度は、オーダーの内容に依存します。そのため、生成された文章に加筆修正を加え、文章としての精度を上げることが必要であると云える。とはいえChatGPTで文章を瞬時に生成できることはやはり驚異的であると云える。またChatGPTの登場により、ブログ記事作成が無意味になるとも考えられますが、現時点では記載情報へのファクト・チェックなどの加筆修正が必須であることから大きな脅威にはならないと考えます。逆にブログ記事作成にChatGPTを応用することは有効であると考えます。例えば、気になる既投稿記事の要旨をChatGPTを用いて生成し、それと関連性のある別の記事を探し、これもまたChatGPTにて要旨を作成し、そして、それらをつなげてファクト・チェックや文章全体の流れを整えてブログ記事を作成することも充分に可能であると考えます。他方で、これにより文章作成の方法が変わることが懸念されますが、これは手書きにて文章作成を行うことにより、両方の感覚を維持することができるものと思われます。もちろん、これは賭けでもありますが私にとっては次なる興味深い挑戦となることでしょう。

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