2024年2月10日土曜日

20240210 株式会社 草思社刊 ポール・ケネディ著 鈴木主税訳「大国の興亡―1500年から2000年までの経済の変遷と軍事闘争〈上巻〉」pp.223-224より抜粋

株式会社 草思社刊 ポール・ケネディ著 鈴木主税訳「大国の興亡―1500年から2000年までの経済の変遷と軍事闘争〈上巻〉」pp.223-224より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4794204914
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4794204912

 ナポレオンの没落から半世紀あまりのあいだに形成された国際関係には、独特な性格がある。そこには一時的なものもあったが、その反面、いつまでも尾をひいて現代の特徴をつくっているものもある。 

 その第一は、世界経済の統合が進み、(一八四〇年代以降は)とりわけ顕著になってきたことである。世界経済が相互にからみあって、いっそう多くの地域が大洋の両側をつないで両大陸にまたがる貿易と金融のネットワークのなかに組み込まれていく。このネットワークの中心は西ヨーロッパであり、とくに大英帝国だった。イギリスが経済の覇権を握ったこの時代は、同時に輸送と通信手段が大きく改善され、多くの産業技術が地域かた地域へとすみやかに伝わっていって、製造業の生産高が急激に増大し、その刺戟を受けて農業や原材料部門でも新たな分野の開拓が進んだ時期である。関税障壁が崩されて、重商主義政策が展開され、自由貿易と国際協調という理想が広く受け入れられて、新しい国際秩序が生まれ、世界では大国が抗争を繰り返した十八世紀とはまったく様相が一変したかに見えた。このころには、一七九三年から一八一五年までの戦いー十九世紀には「大戦」と呼ばれたーによる混乱と疲弊にこりて、保守主義者も自由主義者もともにできるだけ平和と安定を求めるべきだと考え、ヨーロッパの協調や自由貿易など、さまざまな手段が編み出された。当然、商業および産業への長期的な投資が伸び、世界経済の成長が促進されることになる。

 この時代にみられる第二の特徴は、長期にわたる大国間の戦闘がなかったといっても、国家間の利害の衝突がすべて解消されたわけではなかったことである。とにかく、ヨーロッパと北アメリカは未開発地域をめぐって激しい征服戦争を繰り広げていたし、海外への経済進出には多くの場合軍事行動がともない、非ヨーロッパ社会が世界の生産高に占める割合は急激に減少する。さらに、ヨーロッパの列強のあいだの地域紛争や散発的な衝突も起こったし、とくに領土の帰属や国境の決定をめぐっての争いは多かった。しかし、これからみるように、一八五九年のフランスとオーストリアの戦いや一八六〇年代のドイツ統一戦争のような公然たる敵対行動は期間も地域も限られていたし、クリミア戦争でさえとても大戦争とはいえなかった。ただし、アメリカの南北戦争だけは例外で、これについてはのちほど検討する。

 第三に、産業革命に端を発するテクノロジーの進展が、陸海の軍事技術にも影響をおよぼしはじめていた。だが、この変化はこれまでにいわれてきたよりもずっとゆっくりしたもので、十九世紀後半になってやっと鉄道や電信、速射砲、蒸気エンジンの利用、装甲艦などが戦力の決定的な指標になる。新しい技術の導入によって、大国は火力でも機動性でも主導権を握り、海外でもわがもの顔にふるまうのだが、陸海の軍隊の指揮官がヨーロッパの戦いの概念を見直すようになるのはそれから何十年も先のことである。とはいえ、技術の変化と産業の発展の二つが原動力となって、陸でも海でもさまざまな影響をおよぼし、やがては大国の力関係にも変化が生じてくる。

2024年2月8日木曜日

20240208 東京創元社刊 ウンベルト・エーコ著 橋本勝雄訳「プラハの墓地」pp.85-87より抜粋

東京創元社刊 ウンベルト・エーコ著 橋本勝雄訳「プラハの墓地」pp.85-87より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4488010512
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4488010515

 ちょうど一八四八年という、驚異の年を迎えていた。学生はひとりのこらず、教皇座に就いたマスタイ・フェレッティ枢機卿に熱狂していた。彼は二年前に教皇ピウス九世となり政治犯に恩赦を与えていた。この年初め、ミラノで最初の反オーストリア暴動が発生し、帝国政府の国庫を苦しめるためにミラノ市民は禁煙を始めた。(薫り高い葉巻の煙を挑発的に吹きかけてくる兵士と警察官の前で断固として抵抗していたミラノの学生は、私たちトリノの学生の目に英雄のように映った)。その同じ月に両シチリア王国で革命騒動が勃発し、フェルディナンド二世は憲法を約束した。しかし二月にパリで民衆蜂起によってルイ・フィリップが退位して(ふたたび、そして決定的に)共和国が宣言されー政治犯に対する死刑と奴隷制が廃止され、普通選挙が制定されたー三月には教皇は憲法だけでなく出版の自由も保証し。ゲットーのユダヤ人を多くの屈辱的な規則と奴隷状態から自由にした。そして同じ時期にトスカーナ大公も憲法を保証し、国王カルロ・アルベルトはサルディーニヤ王国に憲法を公布した。そしてウィーン、ボヘミア、ハンガリーで革命運動が起こり、ミラノの五日間蜂起によってオーストリア人は追い出され、解放されたミラノをピエモンテに併合するためにピエモンテ軍が戦いはじめた。共産主義者の宣言が出されたという噂さえ学生仲間のあいだで流れた。そのことには学生だけでなく工員や貧困層も熱狂し、最後の国王のはわらわたで最後の司祭を絞首刑にすることになると誰もが信じていた。

 すべてがよい知らせであったわけではない。カルロ・アルベルトは敗戦を重ねていて、ミラノの住民、そして一般的に愛国者全員から裏切り者とみなされた。ピウス九世は大臣が殺害されたことに怯えて、両シチリア王の領地であるガエタに避難した。身を隠して攻撃する教皇が当初思われたほど自由主義者ではないことが判明し、認められた憲法の多くは取りさげられた。しかしそのあいだに、ローマにはガリバルディとマッツィーニに率いられた愛国者が到着していて、翌年初めにローマ共和国が宣言された。

 父は三月には家にはまったく姿を見せなくなり、乳母のテレーザは、きっとミラノ蜂起に加わったのでしょうと言っていた。しかし十二月頃、家に出入りするイエズス会士のひとりが、ローマ共和国の防衛に駆けつけたマッツィーニ派に父が参加していたという知らせを受け取った。祖父は気落ちして、驚異の年が恐怖の年に変わるような恐ろしい予言を私に浴びせかけた。たしかにその頃、ピエモンテ政府はイエズス会の財産を没収して組織を攻撃し、その周囲を徹底的に破壊するためのサン・カルロ会やマリア・サンティッシマ会、レデンプトール会といったイエズス会を支持する修道会まで弾圧するようになった。

 「これは反キリストの到来だ」と祖父は嘆き、当然、あらゆる出来事をユダヤ人の陰謀だとみなして、モルデカイの陰惨な予言が実現するのを見ていた。

2024年2月7日水曜日

20240206 昨日久しぶりに自らの文章を作成して思ったこと

本日の首都圏は昨日の降雪の影響もあってか、これまでよりも一段と寒く感じられ、また場所によっては残雪により足元が悪く移動に少し難儀しました。また他方で、当ブログの方は、おそらく、さきの積雪とは関係ありませんが、久々に自らの文章によるブログ記事を作成・投稿しました。

この昨日の記事題材は、今後何回かにわたる予定であり、続きの記事の重要な部分については、断片的ではありますが、過日の訪問直後に作成しました。そして本日も、この「訪問記」の続きを作成しようと考えていましたが、以前の独白形式のブログ記事作成の感覚を取り戻そうと、考えをあらためて、さきほどから当ブログ記事を作成しています。

ここ最近は主として書籍からの引用記事を作成・投稿してきましたが、引用記事については、まだ題材のストックがあり、またそれは日課とも云える短時間での数冊の斜め読みなどによって、不定期ながらも、さらに随時蓄積されています。

しかしながら一方で、さきの経緯で引用記事の候補となった著作の記述を後日あらためて少し身を入れて読んでみますと「そこまで適当ではないかもしれない・・」と感じ方、考えがあらたまることも少なからずありますので、こうしたいわば観念的な採掘作業は継続する必要性があるように思われます・・。

さて、書籍に関しては、昨年末に購入して読み進めている白水社刊オーランド・ファイジズ著「クリミア戦争」上巻は、ようやく終りが見えてきました。そして次に下巻の購入が望まれるところですが、これは今月中旬を目安したいと考えています。ともあれ、これまで私はクリミア戦争について断片的な知識しか持っていませんでしたが、今回の多少難儀している読書により、以前よりも若干、その様相が分かるようになってきた感じがあり、さらに著作内にある19世紀当時の社会についてのさまざまな記述から、21世紀現在の未だ混乱がおさまらない東欧・中東地域での様相とも相通じる、通底すると思われるものが少なからず見受けられました。

しかし、当著作に関しては、文庫本のように比較的気軽に犬耳をしたり朱線を入れることに対して抵抗感があり、後日、興味深い記述を引用記として作成する際に少し難儀するのではないかと予感させられます・・。また他方で、その折には頁を開きしばし斜め読みをしていると、読み進めていた時の感覚が想起されてきて、そして次第に、そうした記述の場所も思い出されてくるのではないかと幾分楽観的に構えている側面もまたあります・・。

これは後日検証してみると面白いかもしれません。

そして、そのように考えてみますと、これまで一連の当ブログは自らの読書経験と継続している読書により成立しているとものと云え、これがなければ、おそらく、継続的に自分なりの文章を作成することは出来なかったと云えます。それ故、私は外出の際に、いつも何かしらの書籍を持ち歩いているのだとも云えますが、しかし、その淵源は既に小学生の頃からであり、またその当時から電車通学の期間が長く続いたことから、その癖はさらに固定化されていったのだと思われます。くわえて、幼稚園から小・中学校の頃は近辺に神田神保町の古書店街があったことも、そうした癖の助長や固定化に有意に寄与しているのではないかと思われます・・。自らの年齢、世代が変っても、その都度、興味深いと感じ、読み進めることが可能な書籍を見つけることが出来ることは、悪くはないように思われるのですが、さて如何でしょうか?

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!

一般社団法人大学支援機構


~書籍のご案内~
ISBN978-4-263-46420-5

*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。

連絡先につきましては以下の通りとなっています。

メールアドレス: clinic@tsuruki.org

電話番号:047-334-0030 

どうぞよろしくお願い申し上げます。








2024年2月5日月曜日

20240205 令和・歯科医院訪問記①訪問に至るまでの経緯

昨年の初夏、突然、下顎の左側の小臼歯のあたりが痛くなり、当初は我慢していましたが、それも出来なくなり、以前から訪問の機会があった都内東部の歯科医院に問い合わせたところ、すぐに診察して頂けることになりました。

待合室からチェアに通されてエプロンをつけ、うがいをして待っていると、担当の歯科医師がやってきました。こちらの先生は、これまで何度かお話したこともある中堅どころの先生であり専門領域は口腔外科であるとお聞きしていました。

早速、診療がはじまり一通り診察してからレントゲンやCTの撮影を行い、あらためてチェアに戻ると、すぐに先生が戻って来て、今しがた撮影されたモニターの画像を見つつ症状の説明をはじめました。

それによると「この痛くなっている歯は、長年にわたる食いしばりの癖により、過剰な咬合圧がかかり、そのために歯全体に亀裂が入ってしまい、その割れ目から色々なものが歯の中に浸透し、それが歯髄の方にまで達して奥の方で炎症を起こし膿が溜まっている。」とのことでした。

こうした症状は「歯根破折による根尖性歯周炎からの歯根膿疱」といわれるものであり、特段珍しくはない症例とのことでした。

ともあれ、その治療法としては、まず歯の神経がある場合はそれを取り去り、次に根の方に溜まった膿を排出して、そこを清潔にしてから薬剤を詰め、再度炎症が生じないように処置を行い密閉して、そこから膿疱を起こした歯の処置を行うといった流れになりますが、こうした歯根破折(割れてしまった歯)の場合、一般的には、その歯はもう使い続けることは出来ないため、抜歯して、その欠損部に部分床義歯やインプラントなどによる補綴治療を行います。

しかしながら、こちらの先生によると「私は口腔外科が専門であり、これまで既に数多く治療してきているのですが、この割れてしまった歯を一旦抜歯して、その割れた部分を接着して使える状態にして、あらためて欠損部にその接着した歯を植えなおすことも可能ではあるのですが・・。」とのことでした。

この治療法は「破折歯の接着治療」と称されるものであり、以前に少し聞いたことはありましたが、実際に自分がそれを受ける可能性があるとまでは考えたことがなかったため、少し躊躇していましたが、先生の様子を見ていますと、至って平静であり、そこから「先生、割れてしまった歯を一旦抜いて、接着剤を用いて接着してから、また植え戻すということは本当に出来るのですか・・?」と尋ねると、これまた至って平静な様子で「ええ、まあ割れ目の走行の入り方などにもよりますが、これも見た感じでは、そこまで複雑に割れ目が入っていなかったようですので、おそらく大丈夫であると思います。」とのことで、出来るだけ自分の歯を生かして使いたい私としては、他の補綴方法よりも優先して、この「破折歯の接着治療」を受けることにしました。

ちなみにこちらの先生は、御実家は山梨県山梨市にあり、そこから首都圏の某老舗歯科大学に進学そして卒業されてから、沖縄にある大学病院にて臨床研修医を経て、同大学病院の歯科口腔外科に医員として6年間ほど勤務されてから、御実家の山梨市の歯科医院に戻り、そして週1日は、さきの都内東部の歯科医院にて勤務医をされているとのことでした。

山梨から東京の歯科大学へ、そして卒業後は沖縄に渡るといった背景には一体何があるのかと興味を抱き、治療に入る前のちょっとした雑談などから話が進展して、やがて私が山梨市の医院を訪問させて頂く運びとなりました。それが決まったのが昨年の暮れであり、そして訪問の日程は翌、本年の1月下旬に決まりました。

私としても、こうした取り組みは初めてであり、どのような要領で進めて良いのかよく分からないものの、とりあえず始めた次第です。また近日中に続編を作成予定ですので、どうぞよろしくお願いいたします。

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!

一般社団法人大学支援機構


~書籍のご案内~
ISBN978-4-263-46420-5

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2024年2月4日日曜日

20240204 株式会社紀伊国屋書店刊 ロバート・グレーヴス著 高杉一郎訳「ギリシャ神話」pp.166‐167より抜粋

株式会社紀伊国屋書店刊 ロバート・グレーヴス著 高杉一郎訳「ギリシャ神話」pp.166‐167より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 431400827X
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4314008273

28 オルペウス

a トラーキアの王オイアグロスとムーサのカリオペーの息子であるオルペウスは、ギリシャが生んだもっとも有名な詩人で音楽家だった。アポローンが彼に竪琴をあたえ、ムーサたちがそのかなでかたを教えたので、野獣たちさえ彼の音楽に聞きほれたばかりでなく、木石までも動きだして彼のかなでる調べのあとを追いかけたほどである。トラーキアのゾーネでは、山樫の老樹の木立が彼をとりかこんでさまざまにおどりまわり、さて彼がその場を立ちさったときの最後の踊りの形そのままの姿で、いまも立ちならんでいる。

b エジプトをおとずれたあと、オルペウスはアルゴナウテースたちの遠征に参加して、彼らとともに海路コルキスに渡った。途中、いろいろな困難はあったが、オルペウスの音楽がこれを切り抜けさせてくれた。遠征から帰ってくると、彼はエウリュディケー、一説にはアグリオペーと結婚して、トラーキアに住む野蛮なキコーン族のあいだに身をおちつけた。

c ある日のこと、ペーネイオス河流域のテムペーの近くで、エウリュディケーはたまたまアリスタイオスに会ったが、彼はいきなり彼女を犯そうとした。あわてて逃げようとしたとき、あやまって踏みつけた蛇にかまれて、彼女は世を去った。しかしオルペウスは、妻をとりもどそうとして、勇敢にもタルタロスへ降りていき、テスプローティアのアオルノンで口をひらいている奈落への道を通った。タルタロスに到着すると、彼はその哀切な歌の調べで、冥府の河の渡し守カローン、番犬のケルベロス、死者をさばく三人の裁判官を魅了したばかりでなく、永劫の呪いをうけた者たちの拷問の責苦を一時的ながらとめてやることさえできた。そして冥府の支配者ハーデースの残忍な心をすっかりやわらげたので、エウリュディケーを上の世界へつれもどすゆるしをかちとることができた。ただし、ハーデースはひとつだけ条件をつけた。それは、彼女が無事に太陽の光のもとに帰りつくまで、オルペウスはけっしてうしろをふりむいてはならないということであった。エウリュディケーは、オルペウスの竪琴の調べに導かれ、暗い路を通って彼のあとについて地上へとあがっていった、ふたたびまぶしい陽の光を見たオルペウスは、そこではじめて、はたして彼女が自分のあとについてきているかどうかをたしかめようとして思わずふりかえった。そして永遠にいとしい妻を失ってしまったのである。

20240203 株式会社講談社 講壇社学術文庫刊 谷川健一著「魔の系譜」pp.21-22より抜粋

株式会社講談社 講壇社学術文庫刊 谷川健一著「魔の系譜」pp.21-22より抜粋
ISBN-10: 4061586610
ISBN-13: 978-4061586611

私は、ユーラシア大陸に縁由をもつといわれるイザナギの呪的逃走のドラマを思い出した。そのドラマは、こうした横穴式古墳を舞台におこなわれた。イザナミは産の苦しみのなかで死に、金銅の王冠は重たく死者にのしかかっていた。彼女の筋肉をつなぐ腱は石棺のなかで溶け、骨に膠着しようとしている。 

 そこはもはや殯宮ではない。死者の黄泉返りをねがって生者が歌舞することはおろか、火を焚くなどもってのほかのことだ。それなのにイザナギは櫛の歯を欠いて火を点じたのだ。封印された石棺の影が、壁に大きくゆれうごく。石壁に刻まれた円は孔雀の怒った羽のようにイザナギにおそいかかる。イザナギは思わずあと退りする。

 しかし屍姦したいとさえ思う愛する女への愛情が、イザナギをふたたび捉える。彼は思い切って石棺のふたを開いた。ところがどうだったか、。屍体には、死臭にとりかこまれて蛆や蛇がたのしげに這っていた。

 イザナギは顔をそむけて逃げ出した、つまずいた拍子に石棺のふたが轟然と鳴って、石室の天井に反響する。石壁の円や三角形も、玄室から羨道へと逃げるイザナギを追っかける。横穴式古墳は両者の愛を、生と死の葛藤に引き裂いた。イザナギは入り口を大岩でふさいだ。そして有名な、あなたの治めている民を、日に千人くびり殺そう、それならば千五百人生もう、という問答が交わされる。死者を守る円や三角形の番人たちは、日本最初の逃走劇のしたしい目撃者となったのだ。

 三角形が神聖な観念であったことは、すでに縄文時代に三角形の土板が護符の役目をはたしているのでも分かるが、埴輪の人物のかぶる帽子や王冠に好んで三角文がつけられるのは、三角形からみちびき出される絶対性の観念が、威厳にみちた王者の飾りにふさわしいものだったからである。王塚古墳(福岡県)の石室いちめんに彩色された三角文は、星空にまがうばかりの死者の宇宙の実在感を私たちに示してくれる。

 装飾古墳のなかには、直線の実在感を私たちに示してくれる。

 装飾古墳のなかには、直線の交叉軸に弧をからませた、いわゆる直弧文と呼ばれる文様がある。アイヌの厚司文様や大礼服の金モールの飾りが、袖口から襟からしのびこむ悪霊を防ぐための模様だったのは、その紐をかたくむすんで、その意味を解きがたくしたような入り組んだ形式が、悪霊どもをとまどわせて、その侵入を防ぐ効果があると信じられたからではあるまいかと考えられているが、縄文土器の奇怪な文様も、装飾古墳の直弧文も同様の効果をあげる目的でつくられたにちがいない。

2024年2月3日土曜日

20240203 株式会社講談社 講談社学術文庫刊 吉田敦彦著「日本神話の源流」pp.180‐185より抜粋

株式会社講談社 講談社学術文庫刊 吉田敦彦著「日本神話の源流」pp.180‐185より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4061598201
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-406159820

 日本神話との特異な類似に、われわれが注目したもう一つのギリシャ神話は、オルペウスの冥府行きを主題とするものであった。ナルト叙事詩の中には、われわれが前にオルペウス型神話に与えた「死んだ妻を上界に戻すため、冥府を訪問した男の冒険を主題とする話」という定義と正確に合致する話は見られぬようである。しかしながら、オルペウス神話の影響がイラン系遊牧民のあいだにまで強くおよんでいた痕跡は、この叙事詩伝説中につぎのような形で、明らかにみて取れると思われるのである。

 ナルト叙事詩中には、英雄の冥府訪問を主題とする二篇の説話があり、その主人公はいずれもナルトのソスランである。一方の話では、ソスランは彼が遠征に出かけた留守のあいだに、ナルトたちによって冥府に投げこまれた母のサタナを救出するために死者の国に赴き、冥府の王バラステュルの許可を得て、母を上界に連れ帰ることに成功したとされている。もう一方の話では、彼はオルペウスやイザナギと同様、冥府に亡妻を訪問したとされているが、この時のソスランの冥府訪問の目的は、死んだ妻を生き返らせることではなく、太陽の娘と結婚するため、亡妻の助けを借りることであった。

 しかしながら、この話には、主人公が冥府で与えられた禁令を守らなかったために、不幸な目に遭ったという、オルペウスとイザナギの話に共通する、前述した禁忌の話根とよく似たモチーフが含まれている。

 ソスランは、冥府を出発する前に亡妻から、帰途になにを見ようとも、けっしてそれに手を触れぬようにと、注意された。彼は、最初のうちはこの注意を守って、まず道の上に黄金の山を、つぎに黄金のきつねの尻尾を見ても、それらに眼もくれず通り過ぎた。しかし最後に古ぼけた帽子を見つけると、「これまでどんな宝物にも手を触れずにきたのだから、こんなつまらぬ物の一つぐらい拾っても何ということもあるまい。こんな古帽子でも家に持ち帰って女たちにやれば、石臼を磨く雑巾の役ぐらいにはたつだろう」

 とつぶやき、拾い上げて帯のあいだに挟んだ。

 彼はそのまま道を急いだが、ナルトの村の近くまでくると、疲れて一休みすることにした。そして馬を木につなぎ、鞍を外してやると、彼は突然気まぐれを起こし、この愛馬に向かって、「お前の急所はどこか、すぐにいえ、いわぬと痛い目に遭わすぞ」

 といって問いただしはじめた。馬は最初はなかなか答えようとしなかったが、ソスランが怒って激しく打ったために、ついにしぶしぶ口を開き、「私を殺す唯一の方法は、蹄の裏側を下から上へ突き通すことです。それ以外のやり方では、わたしを殺すことは絶対にできません。ソスランよ、ではあなたの急所はいったいどこにあるのですか」といった。ソスランが、「わたしの身体はすべて鋼鉄だが、ただ膝の部分だけが普通の肉でできている。だからパルセグの車輪がひざに当たれば私は死ぬ。それ以外の方法ではわたしを殺すことは絶対にできない」と答えると、馬は、「神があなたの過失を許したまうように。あなたは、わたしとあなたを破滅させたのです。あなたがさっき拾われた帽子が、今どこにあるか探してごらんなさい。あれはゲテグの息子の、ずる賢いシュルドンだったのです」といった。

 ソスランはあわてて帯のあいだをあらためてみたが、いわれたとおり、古帽子はいつのまにかなくなっていた。こうして彼は、冥府で与えられた亡妻の注意を最後まで守らなかったために、変身して彼の帰りを待ち伏せていた。ずるいシュルドンに、自分と自分の馬の弱点を知られてしまう破目に陥ったのである。そしてこのことは、結局彼の死の原因となる。

 ここで問題にしているソスランの冥府訪問の話に関して、われわれの注意をひくもう一つの点は、主人公のソスランが、死者の国に亡妻を訪ねるというオルペウス型に近いモチーフを含むことの話の中でだけ、例外的に、ギリシャ神話のオルペウスを髣髴させるような、霊妙な魔力をもつ音楽の奏者として、再度にわたち描写されていることである。

 ソスランのこの冥府訪問の目的は、前述したように、太陽の娘と結婚するための助けを亡妻に求めることであった。

 彼はあるとき、一頭の不思議な鹿の跡を追っていくうちに、太陽の娘の住む城に行き着き、そこで自分がこの美女の婚約者として定められた人物であることが知らされた。しかしそれと同時に、彼は結婚の条件として、いくつかの難題を課された。そしてその一つの、冥府に生える樹の葉を獲得するという課題を果たすために彼は亡妻の助けを得ようとして、死者の国を訪問したとされている。

 ところで、この太陽の娘の住居に足を踏みいれたときに、ソスランはフェンデュルという二弦の楽器を奏で、妙なる楽の音を鳴り響かせた。するとこの音楽に誘われて、野の獣や空の鳥が、彼の周囲に集まって演奏に耳を傾け、城の壁まで踊り出し、遠くの山々もこだまを返して伴奏をつとめたと物語られている。

 また太陽の娘との結婚の条件として、彼に要求されたことの中には、百頭の鹿と、百頭の野生の山羊と、百頭のその他の野獣と、すべてで三百頭の獣を集めて引き渡しという課題が含まれていたが、これを果たすために、彼は冥府から帰還した後に、野獣の主のエフサティから笛を借り受け、これを吹き鳴らすと、その音楽につられて三百頭の獣が、たちまちのうちに集まったといわれる。

 冥府訪問を中間に挟むこの二つの場面でのソスランは、明らかに霊妙な音楽の力で、野獣や木石をも感動させたといわれる、ギリシャ神話のオルペウスと酷似している。絃楽器をかき鳴らして、鳥獣や山にまで反応を起こさせたという最初の場面におけるこの類似の度合いは、ことにいちじるしいといえよう。

 このように、ナルト叙事詩のソスラン伝説の中には、その原型であったステップ地域のイラン系遊牧民の古神話に流入していたと考えられる、ギリシャのオルペウス神話の影響の痕跡が、かなりの変容を蒙りながらも、種々の形で明瞭に保存されていると思われるのである。