株式会社講談社 講壇社学術文庫刊 谷川健一著「魔の系譜」pp.21-22より抜粋
ISBN-10: 4061586610
ISBN-13: 978-4061586611
私は、ユーラシア大陸に縁由をもつといわれるイザナギの呪的逃走のドラマを思い出した。そのドラマは、こうした横穴式古墳を舞台におこなわれた。イザナミは産の苦しみのなかで死に、金銅の王冠は重たく死者にのしかかっていた。彼女の筋肉をつなぐ腱は石棺のなかで溶け、骨に膠着しようとしている。
そこはもはや殯宮ではない。死者の黄泉返りをねがって生者が歌舞することはおろか、火を焚くなどもってのほかのことだ。それなのにイザナギは櫛の歯を欠いて火を点じたのだ。封印された石棺の影が、壁に大きくゆれうごく。石壁に刻まれた円は孔雀の怒った羽のようにイザナギにおそいかかる。イザナギは思わずあと退りする。
しかし屍姦したいとさえ思う愛する女への愛情が、イザナギをふたたび捉える。彼は思い切って石棺のふたを開いた。ところがどうだったか、。屍体には、死臭にとりかこまれて蛆や蛇がたのしげに這っていた。
イザナギは顔をそむけて逃げ出した、つまずいた拍子に石棺のふたが轟然と鳴って、石室の天井に反響する。石壁の円や三角形も、玄室から羨道へと逃げるイザナギを追っかける。横穴式古墳は両者の愛を、生と死の葛藤に引き裂いた。イザナギは入り口を大岩でふさいだ。そして有名な、あなたの治めている民を、日に千人くびり殺そう、それならば千五百人生もう、という問答が交わされる。死者を守る円や三角形の番人たちは、日本最初の逃走劇のしたしい目撃者となったのだ。
三角形が神聖な観念であったことは、すでに縄文時代に三角形の土板が護符の役目をはたしているのでも分かるが、埴輪の人物のかぶる帽子や王冠に好んで三角文がつけられるのは、三角形からみちびき出される絶対性の観念が、威厳にみちた王者の飾りにふさわしいものだったからである。王塚古墳(福岡県)の石室いちめんに彩色された三角文は、星空にまがうばかりの死者の宇宙の実在感を私たちに示してくれる。
装飾古墳のなかには、直線の実在感を私たちに示してくれる。
装飾古墳のなかには、直線の交叉軸に弧をからませた、いわゆる直弧文と呼ばれる文様がある。アイヌの厚司文様や大礼服の金モールの飾りが、袖口から襟からしのびこむ悪霊を防ぐための模様だったのは、その紐をかたくむすんで、その意味を解きがたくしたような入り組んだ形式が、悪霊どもをとまどわせて、その侵入を防ぐ効果があると信じられたからではあるまいかと考えられているが、縄文土器の奇怪な文様も、装飾古墳の直弧文も同様の効果をあげる目的でつくられたにちがいない。
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