2024年1月9日火曜日

20240109 株式会社平凡社刊 ジョン・エリス著 越智道雄訳「機関銃の社会史」pp.25-27より抜粋

株式会社平凡社刊 ジョン・エリス著 越智道雄訳「機関銃の社会史」pp.25-27より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4582532071
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4582532074

イギリスでも、その他の国でも、機関銃は第一次世界大戦の勃発まで日の目を見なかった。しかし世界の一部では、機関銃のすさまじいまでの威力はすでに証明されていた。アフリカに乗り込んだヨーロッパ人たち、兵士および武装した入植者たちの少人数の部隊は、たびたび多人数の原住民による抵抗を受けた。原住民は貧弱な武器しかもっていなかったが、数の上では圧倒的に優位だったために、白人たちはもっていた火器という火器をすべて活用せざるをえなくなった。後装式小銃を使っていた白人にとって、機関銃はこのうえない助っ人だった。アフリカ大陸のあらゆる場所で、ズールー族、デルウィーシュ[過激なイスラム教徒の一派]、ヘレロ族、マタベレ族など、大英帝国の行く手を阻むものはすべて、ガトリング銃、ガードナー銃、マクシム銃が根こそぎ蹴散らしていった。これらの機関銃は、ヨーロッパ人が領土を拡大するために、足掛かりを確保し、一息つくのに必要不可欠なものだった。機関銃を使わなかったら、イギリス南アフリカ会社はローデシアを失っていただろうし、ルガードはウガンダから、ドイツ軍はタンガニーカから追い出されていただろう。ハイラム・マクシムがいなければ、その後の世界の歴史はだいぶ変わっいたはずだ。ヒレア・ベラクがこう書いている。

ありがたや、われわれにはマクシム銃がある

だが、やつらにはない

しかし、帝国主義者たちによるこうした余興は、見る目のある者にとってはきわめて強烈な印象を与えただろうが、本国にいる軍部のエリートたちのにはほとんど何の影響も及ぼさなかった。ヨーロッパ人、とくにイギリス人は、わずかな数の英雄の手柄を讃えることばかりに夢中になっていたため、これらの大勝利がじつは機関銃によってもたらされたものだと認めることができなかったのだ。この並外れた武器の価値をいったん認めてしまえば、栄光はどうなる?武器に勲章をぶら下げるわけにはいかないではないか。第一、勝敗の決め手となったのがただの兵器にすぎなかったといってしまえば、イギリス人が優れている証拠だとは吹聴できなくなってしまう。

 実のところ、機関銃もパーマー、パクル、レブニッツ、ベセマーの時代以来、長い道程を歩んできた。彼らのような、本業でない者はもちろん、ガトリングやマクシムですら、自分たちがどんなに恐ろしい武器をつくりだしたか、人類が地球上から人間を一掃する能力をどれほど高めたか、想像もしていなかった。帝国主義者の体験はこの事実を明らかにしていたが、誰もそれを認めたがらなかった。そもそも、少人数のみすぼらしい〈カフィル〉(黒人)相手の軍事作戦から、ヨーロッパ人が自分たちの大陸で将来起こる戦争について教訓を得ることなどありえようか。こうしたわけで、機関銃は相変わらず調達品リストの末尾にかろうじて載っているにすぎなかった。それもせいぜい、敵が機関銃を装備している場合に何丁かもつというだけのことだったようで、機関銃があればほんの少しでも優位にたてるなどと言い張っても、何の効用もなかったのは確かだ。

 しかしあいにくなことに、一九一四年に、ドイツ軍、イギリス軍、フランス軍の手中にあったこれら少数の機関銃でさえ、実際に重大な影響を及ぼした。それは防衛に関して圧倒的な優位ももたらし、ヨーロッパにおける大戦争について両陣営が抱いていた見方を根底からくつがえした。

2024年1月8日月曜日

20240108 日本経済新聞出版社刊 ジャレド・ダイアモンド著 小川敏子、川上純子訳「危機と人類」下巻 pp.133‐136より抜粋

日本経済新聞出版社刊 ジャレド・ダイアモンド著 小川敏子、川上純子訳「危機と人類」下巻 pp.133‐136より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4532176808
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4532176808

第二次世界大戦に対する日本の姿勢をアジアがどうみているかを示すものとして、リー・クアンユーの評価を紹介する。リーは数十年にわたりシンガポールの首相を務め、日本、中国、韓国とその指導者をよく知る、鋭い人間観察眼を持った人物だ。

「ドイツ人と異なり、日本人は自分たちのシステムのなかにある毒を浄化することも取り除くこともしていない。彼らは過去の過ちについて自国の若者に教えていない。橋本龍太郎首相は第二次世界大戦五二周年(一九九七年)に際して「心からのお詫び」を、同年九月の北京訪問時には「深い反省の気持ち」を表明した。しかし、中国や韓国の国民が日本の指導者に望むような謝罪はおこなわなかった。過去を認め、謝罪し、前に進むことを日本人がこれほど嫌がる理由が、私には理解できない。どういうわけか日本人は謝りたがらないのである。謝罪するとは、過ちを犯したことを認めることだ。後悔や遺憾の意を示すのは、現時点での主観的な感情を表明しているにすぎない。日本人は南京大虐殺が起こったことを否定した。韓国人、フィリピン人、オランダ人などの女性たちが、拉致あるいは強制によって前線の兵士たちのための「慰安婦」(性奴隷の婉曲表現)にさせられたことを否定した。満州において中国人、韓国人、モンゴル人、ロシア人などの捕虜を生きたまま残酷な人体実験に使ったことを否定した。いずれの事例についての、日本人自身の記録から反論の余地のない証拠が出てきてようやく、彼らは不承不承ながら事実を認めた。今日の日本人の態度は将来の行動を暗示している。もし彼らが過去を恥じるなら、それを繰り返す可能性は低くなるだろう」

毎年、UCLAの私の学部生向けクラスには日本からの学生が含まれており、日本の学校で教えられていることや、カリフォルニアに来て体験したことを教えてくれる。日本の学校の日本史の授業では、第二次世界大戦についてほとんど時間を割かない(「数千年の日本の歴史のうちのほんの数年にすぎないから」)といい、侵略者としての日本についてはほとんど、あるいはまったく触れないし、何百万人もの外国人や数百万人の日本の兵士と民間人の死についての責任よりも、むしろ被害者としての日本(原爆によって十数万人が殺されたこと)を強調し、日本が戦争をはじめるように仕向けたとしてアメリカを非難するという(公平を期して述べておくと、韓国、中国、アメリカの教科書も、第二次世界大戦について自国に都合よく紹介している)。私の日本人の学生たちは、ロサンゼルスのアジア人学生連盟に参加し、韓国人や中国人の学生と出会い、戦時中の日本人の行動を知り、それが今も他国の学生たちの反日感情を醸成していることを知ると、ショックを受ける。

 同時に、私の日本人の学生の数人は、そして多くの日本人が、日本の政治家がこれまでに述べた数々の謝罪の言葉を挙げ、「日本はすでに十分に謝ったのではないか?」という疑問を述べる。短い答えは「ノー」だ。なぜならそれらの謝罪には真実味がなく、日本の責任を最小化、あるいは否定する言葉が混ぜられているからだ。日本とドイツの対照的な手法は主要な犠牲者である中国と韓国を納得させそこねているのはなぜだろうかと問うことだ。第6章で、ドイツの指導者たちが示して来た反省と責任や、ドイツでは子供たちが学校で自国の過去に正面から向き合うように教えられることなど、ドイツのさまざまな対応を紹介した。日本がドイツと同様の対応をすれば、中国人や韓国人は真摯さに納得するかもしれない。たとえば、日本の首相が南京を訪れ、中国人が見守るなかでひざまずき、戦時中の日本軍による残虐行為への許しを請うてはどうだろうか。日本中にある博物館や記念碑や元捕虜収容所に、戦時中の日本軍の残虐行為を示す写真や詳しい説明を展示してはどうだろうか。日本の児童が国内および南京、サンダカン、バターンなど海外のこうした場所を修学旅行や遠足で定期的に訪れるようにしてはどうだろうか。あるいは、戦争の犠牲者としての日本よりも、戦時中に日本の残虐行為の犠牲となった非日本人を描くことにもっと力を入れてはどうだろうか。こういった活動は今の日本には存在しないし、思い浮かべることすらできないが、ドイツでは同様の活動が広く実行されている。こうした活動が実行されるまで、中国人や韓国人は日本流の謝罪を信じることはなく、日本を憎みつづけるだろう。そして、中国と韓国が徹底した軍備を進めているのに日本は十分な自衛力がないという状態がつづく限り、日本の目前には大いなる危険が迫ったままである。

2024年1月7日日曜日

20240107 東洋経済新報社刊 北岡伸一・細谷雄一編著「新しい地政学」 pp.142‐144より抜粋

東洋経済新報社刊 北岡伸一・細谷雄一・田所昌幸・篠田英朗・熊谷奈緒子・託摩佳代・廣瀬陽子・遠藤貢・池内恵 編著「新しい地政学」
pp.142‐144より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4492444564
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4492444566

ロシアは、間接的な形でシリアやアフガニスタンの紛争にかかわる。また、近接地域であるジョージア(コーカサス地方)、およびウクライナなどで、より目立った紛争とのかかわりを見せてきた。1990年代にロシア政府が激しく戦ったチェチェン紛争の、ロシア領域内とは言え、コーカサス地方で発生した紛争であった。

 カスピ海および黒海の沿岸地域は、19世紀に南下政策をとるロシアが、海洋覇権を握るイギリスと、さまざまな対立を繰り広げた地域である。冷戦終焉後の世界では、21世紀になってから、反ロシアの行動をとったジョージアのサアカシュヴィリ政権に対して、ロシアは軍事衝突も辞さず、南オセチアとアブハジアに対して国家承認を行っており、ロシアにとってコーカサス地方への重要な足掛かりとなっている。

 2014年に勃発したウクライナ問題についても、ロシアの姿勢はジョージアに対するものと基本的に同じであった。ロシアにしてみれば、ウクライナやジョージアに対するものと基本的に同じであった。ロシアにしてみれば、ウクライナやジョージアなどの旧ソ連邦共和国は、少なくとも西側諸国に対する緩衝地帯となるべきだというのが、ある種の不文律なのだろう。2014年で起こった親西欧的な政治運動は、ロシアが決して看過できないものであった。そこでロシアは、クリミア半島を併合し、さらにはウクライナ南部を親ロシア勢力圏に置くことによって、キエフの新政権を囲い込むことを試みた。経済コストを甘受しても黒海におけるプレゼンスを確保するためにクリミアを死守したプーチン大統領の行動は、地政学的な着想に基づいたものであったと言える。

 このようなロシアを中心にユーラシア大陸の動きをとらえる視点は、マッキンダーによって、最も劇的に説明されていた。マッキンダ―は、歴史の「回転軸」を、ほとんどがロシアの領土と重なるユーラシア大陸の中央部の「ハートランド」に見出した。

 周知のように、マッキンダ―は、大陸の外周部分を形成する国家を「海洋国家(シー・パワー)」、大陸中央部にあるのが「陸上国家(ランド・パワー)」だと規定した。この地理的制約を受けた二つの大きな勢力の間のせめぎあいこそが、「グレート・ゲーム」を形成してきた。マッキンダーはハートランドの「陸上国家」は歴史法則的に拡張主義をとるという洞察を提示し、もともとは外洋に向かって勢力圏を拡大させる「海洋国家」群は、「陸上国家」の拡張に対抗して抑え込む政策をとっていかざるを得ないという洞察も示した。これはロシアの膨張主義を、ほぼ歴史法則的にとらえる視点につながる。

20240106 中央公論新社刊 中公クラシックス 宮崎市定著「アジア史論」 pp.301-303より抜粋

中央公論新社刊 中公クラシックス 宮崎市定著「アジア史論」
pp.301-303より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4121600274
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4121600271

イスパニア、ポルトガル両国、続いて英、仏、蘭を主動力とする西欧帝国主義の魔手は最初に強敵トルコを敬遠し、最も抵抗の薄弱なる地点を選んで東洋に伸び、喜望峰迂回路によってインド、南洋を蚕食し、清朝末期のシナ帝国をも脅迫して、これを反植民地化するの機会を覗いはじめた。

同時に東欧に勃興したるはロシアである。ロシアはトルコ、蒙古の抵抗を憚って、極北無人のシベリアを通過して東洋に到達した。ロシアが最初に選びたるシベリア横断路は、カザン、ボルスク、トムスク、イェニセイスク、ヤクツクを経て、オホツクに達するもので、現今のシベリア鉄道路線よりも、ひとまわり北方を走っていたのである。

 インド、南洋の富は著しく西欧を富ましめた。なかんずく大都市の商工関係者を潤した。ここに西欧における市民階級の勢力勃興を見るのである。英国においてはこれが代弁者としてクロムエルを見出した。都市商工業の勢力はついに、最後の封建制度の残滓たる専制君主を圧倒抹殺し去った。その後英国において名目上は王朝の復興を見たるも、そは決して英国の支配者としてではない。英国の支配者はロンドン市であって、国王は単に諸外国との摩擦を避けんがために、外務大臣として推戴せられたるに過ぎない。英国と相並んで活躍せるオランダの東洋貿易の発展は、またその後方地帯たるフランスに甚大なる影響を与えないでは措かなかった。パリ市の発達はすなわちフランス市民階級の勃興を物語るものであり、パリの新興市民階級とヴェルサイユにおけるスペイン婦系家族ブルボン朝の大陸封建勢力とは、まさに好個の対照をなしていた。この両者の対立の爆発せしものがフランス大革命である。そしてナポレオン時代の市民階級の勢力は、既にクロムエル時代におけるそれの比ではなかった。彼等は既に産業革命を経験し、機械力の恐るべきこと、伝統的封建君主の無力なることに対して絶大の自信を抱いていた。フランスはナポレオンの失脚により、諸外国より旧ブルボン王朝の復活を強制されながら、仏国民は決してかかる外務大臣を歓迎しなかった。ここに最も市民的なる第二共和国の出現する契機が潜んでいた。英国及びフランスにおける二大政治革命は、その結果として著しく西欧を近代化した。しかしながら、この二大革命の裏面には隠れたるアジアの働きが与って力ありしことを忘れてはならない。それはすなわちアジアの物資である。ただしアジアの物資も人の手を藉らねば生産されない。西欧の革命はヨーロッパ人の血を流して達成されたが、その蔭において膏血をしぼられた者は実に東洋の民衆であったのだ。

 西欧における政治革命と相並んでの産業革命こそは、ヨーロッパの世界制覇を確立せしむる決定的要素となった。西欧の侵略に対し、辛うじて自ら支持し来った、東亜の清朝、西亜のトルコ二大国も幾度かの反抗の後、ついには戟を投じて敵の軍門に投降せざるを得なくなったのである。

 オスマントルコの衰頽とともに西アジアの没落が始まった。西アジア社会の没落は、それが最古の文明を有し、最も進み過ぎたる社会の没落であるが故に、必然の結果としてその苦悶が最も深刻であった。オスマン帝国領土の分割は、まず北方におけるバルカン半島小民族、セルビア、ルーマニア、ブルガリア、ギリシャの独立に始まり、次いで南方におけるエジプトの独立で一段落となった。

2024年1月5日金曜日

20240105 河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ:著 柴田 裕之:訳「ホモ・デウス」下巻 pp.71-74より抜粋

河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ:著 柴田 裕之:訳「ホモ・デウス」下巻 
pp.71-74より抜粋
ISBN-10 : 4309227376
ISBN-13 : 978-4309227375

進化論的な人間至上主義は、人間の経験の対立という問題に、別の解決策を持っている。ダーウィンの進化論という揺るぎない基盤に根差しているこの人間至上主義は、争いは嘆くべきではなく称賛するべきものだと主張する。争いは自然選択の原材料で、自然選択が進化を推し進める。人間に優劣があることには議論の余地がなく、人間の経験どうしが衝突したときには、最も環境に適した人間が他の誰をも圧倒するべきだ。

野生のオオカミを絶滅させ、家畜化されたヒツジを情け容赦なく搾取するように人類を駆り立てているのと同じ論理が、優秀な人間が劣悪な人間を迫害することも命じる。ヨーロッパ人がアフリカ人を征服し、抜け目ない実業家が愚か者を破産に追いやるのはは善いことだ。もしこの進化論的な論理に従えば、人類はしだいに強くなり、適性を増し、やがて超人が誕生するだろう。進化はホモ・サピエンスで止まらなかった。まだまだ先は長い。ところが、もし人権や人間の平等の名のもとに、環境に最も適した人間を去勢したら、超人の誕生が妨げられ、ホモ・サピエンスの対価や絶滅まで招きかねない。

 では、超人の到来の先駆けとなる、その優秀な人間たちとは誰なのか?それはいくつかの民族全体かもしれないし、特定の部族かもしれないし、個々の並外れた天才たちかもしれない。それが誰であれ、彼らが優秀なのは、新しい知識やより進んだテクノロジー、より繁栄した社会、あるいはより美しい芸術の創出という形で表れる、優れた能力を持っているからだ。アインシュタインやベートーヴェンのような人の経験は、酔っ払いのろくでなしの経験よりもはるかに価値があり、両者を同じ価値があるかのように扱うのは馬鹿げている。同様に、もしある国が一貫して人間の進歩を戦争してきたのなら、人類の進化にほとんど、あるいはまったく貢献しなかった他の国々よりも優秀さと考えてしかるべきだ。

 したがって、オットー・ディックスのような自由主義の芸術家とは対照的に、進化論的な人間至上主義は、人間が戦争を経験するのは有益で、不可欠でさえあると主張する。映画「第三の男」の舞台は、第二次世界大戦終結直後のウィーンだ。先日までの戦争について、登場人物のハリー・ライムは言う。「けっきょく、それほど悪くはない。・・イタリアでは、ボルジア家の支配下の三〇年間に、戦争やテロ、殺人、流血があったが、ミケランジェロやレオナルド・ダ・ヴィンチが登場し、ルネサンスが起こった。スイスには兄弟愛があって、五〇〇年も民主主義と平和が続いてきたが、やつらは何を生み出したか?鳩時計さ」。ライムはほとんど全部、事実を取り違えている。スイスはおそらく、近代初期のヨーロッパで最も血に飢えた地域だった(この国の主要な輸出品は傭兵だった)し、鳩時計はじつはドイツ人が発明したが、こうした事実はライムの考え方ほど重要ではない。その考え方とは、戦争の経験は人類を新しい業績へと押しやるというものだ。戦争は自然選択が思う存分威力を発揮することをついに可能にする。戦争は弱い者を根絶し、獰猛な者や野心的な者に報いる。戦争は生命にまつわる真実を暴き出し、力と栄光と征服を求める意志を目覚めさせる。ニーチェはそれを次のように要約している。戦争は(生命の学校」であり、同じような考え方を述べたのがイギリス陸軍のヘンリー・ジョーンズ中尉だ。第一次世界大戦の西部戦線で命を落とす四日前、二一歳のジョーンズは戦争での自分の体験を熱烈な言葉で書き綴った手紙を兄弟に送っている。

 あなたはこんな事実を一度でも考えたことがあるだろうか?戦争に惨事は付き物であるとはいえ、少なくとも戦争とは途方もない代物だ。つまり、戦争では、人は否応なく現実に直面させられるのだから、平時に世界の人の一〇人に九人が送る、おぞましい営々本位の生活の愚かさや利己主義、贅沢、全般的な下劣さは、戦時には残忍さに取って代られるのだが、その残忍さのほうが、少なくとももっと正直で率直だ。これは、こんなふうに見るといい。平時には、人はただ自分自身のちっぽけな生活を送る。取るに足りないことにかまけ、自分の案楽やお金の問題といった類のさまざまな事柄を心配しながら、たんに自分のために生きている。なんとあさましい暮らしだ!それに引き換え戦時には、たとえ本当に命を落とすことになっても、どのみち数年のうちにその避け難い運命に見舞われることを予期しているのであり、自分は祖国を助けるために命を捧げたのだと知って満足することができる。現に理想を実現したのであり、私の見るかぎり、ありきたりの生活ではそういうことはごく稀にしかできない。なぜなら、ありきたりの生活は営利本位で利己的な基準で営まれているからだ。よく言うように、成功したければ、手を汚さずには済まされないのだ。

 私としては、この戦争が自分のもとにやって来てくれたことをしばしば喜んでいる。人生とはどれほどつまらないものか、気づかせてくれたからだ。戦争は、言ってみれば自分の殻を破る機会をみんなに与えてくれた・・たしかに、自分について言えば、たとえば先日の四月のもののような、大規模な攻撃が始まるときのあれほどの激しい気分の高まりは、これまでの人生で、一度も経験したことはない。直前の半時間かそこらの昂奮ときたら、並ぶものなど何一つない。

2024年1月4日木曜日

20240104 中央公論新社刊 宮崎市定著「アジア史概説」 pp.395-396より抜粋

中央公論新社刊 宮崎市定著「アジア史概説」
pp.395-396より抜粋
ISBN-10 : 4122014018
ISBN-13 : 978-4122014015

世界交通の幹線からの除外は同時に文化の停滞を意味した。十八世紀からはどんどんヨーロッパ文化が流入したが、それはトルコ国力の復興を意味するものではなく、かえって、ヨーロッパの政治力に圧倒される前兆であった。そして地理的に接触する関係から、トルコがもっとも大きな圧迫をうけたのは、いうまでもなく北隣のロシアである。ただロシアが無力化したトルコをついに合併することができなかったのは、トルコ自身の力ではなく、ヨーロッパの国際政局の間に勢力の均衡が保たれ、ロシアのトルコにたいする攻撃ごとに、列国がその勢力均衡を破ることを恐れて、あいついで干渉した結果に過ぎない。

 十八世紀の終りに、ロシアはクリミア半島を占領して黒海を制圧し、バルカンのスラヴ系諸国民を後援して地中海への進出をねらった。ところがオーストリア帝国もまたバルカン支配をのぞみ、バルカン諸国民も独立を欲しこそすれ、ロシアに併合されることを好まなかったので、バルカン半島ではつぎつぎに小国が独立した。

 十九世紀にはいり最初に独立の宿望を達成したのは、スラヴ系のセルビアであり、ラテン系のギリシャとルーマニアがこれについだ。ギリシャの独立に際しては、それが古典文化発祥の地ということでヨーロッパ諸国の同情が集まり、この際ロシアも兵を出してトルコ軍を破り、ドナウ北岸人民の独立を認めさせたのが、すなわちルーマニアであったのである。この成功に勢をえたロシアは、トルコ領内キリスト教徒にたいする保護権を要求したが、イギリス、フランス二国はそれがトルコの存在を危うくすることを恐れ、トルコをたすけてロシアと戦った。これがセバストポール要塞攻囲戦によって知られるクリミア戦没である。この結果、ロシアは黒海を中立とし、かつトルコの領土保全を約束した(一八五六年)。

 一度きっさきを収めたロシアは、つぎにトルコのブルガリア人虐殺問題の責任を問うてふたたびトルコに侵入した。イギリスはこれに干渉して、ベルリン列国会議を開いてロシアのバルカンにたいする勢力伸長を抑え、ブルガリア、モンテネグロの事実上の独立が確認された(一八七八年)。そしてこのときに、スラヴ民族の居住地であるボスニア地方がオーストリア帝国の領土に併合されたことは、後に第一次世界大戦の遠い原因となったものである。

 バルカン諸国が自力によって独立せず、列国の勢力均衡の上に立って他力的に実現されたものであることは、この地方の民族分布の複雑さとあいまって、陰謀、騒乱の舞台となり、ヨーロッパの伏魔殿とさえいわれた。諸国民の偏狭で利己的な国民主義から、領土の拡張争奪の戦いが、二十世紀に入って第一、第二のバルカン戦争をまねき、それがさらに発展して、第一次世界大戦の破局に導いたのであった。

 

20240103 東京大学出版会刊 池内 恵・宇山 智彦・川島 真・小泉 悠・鈴木 一人・鶴岡 路人 ・森 聡 著「ウクライナ戦争と世界のゆくえ」pp.41‐42より抜粋

東京大学出版会刊 池内 恵・宇山 智彦・川島 真・小泉 悠・鈴木 一人・鶴岡 路人 ・森 聡 著「ウクライナ戦争と世界のゆくえ」pp.41‐42より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4130333054
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4130333054

中東欧諸国とロシアのどちらがより重要であるかという単純化された議論は、現実の政治・外交の現場において建設的とはいい難い。それでも、欧州における冷戦が終結する過程において、欧州の中央に位置するドイツという存在をいかに安定的な秩序に取り込むのかという「ドイツ問題」は、統一ドイツのNATO帰属という形で解決された(鶴岡 二〇〇一)。他方で、欧州大陸にもう一つ存在する大国であるロシアをどう扱うのかという「ロシア問題」は未解決のままに残されたことは否定できない。これは、単に冷戦後のNATO拡大への賛否という問題ではなく、欧州秩序をめぐるより大きな課題である(Sarotte,2021)。

 冷戦後、旧西側諸国は、新生ロシアの民主化と市場経済化を支援し、ロシアをパートナーとして扱う努力を繰り返した。他方で、NATOやEUへの加盟を促したわけではなかった。ロシアのNATO加盟という議論は、一九九〇年代には度々話題にのぼったが、冷戦時代に(ソ連として)東側陣営の盟主だったロシアが、米国主導で軍事組織の最高司令官(欧州連合最高司令官:SACEUR)を米軍の大将が務める同盟に加盟することは、現実問題として真剣に捉えられていたわけではない。そうしたなかでNATOは、ロシアのことを「パートナー」だと呼び続けてきたのである。

 ロシアが反対してきたNATOの東方拡大に際しても、NATOは、新規加盟国の受け入れと、ロシアとの関係強化を並行して進めてきた、一九九七年五月の「NATO・ロシア基本議定書」と、二〇〇二年五月の「ローマ宣言」は、それぞれの後に控えていたNATO拡大を念頭に、ロシアとの手打ちを演出するものだった。(Sarotte 2021:Asmus 2002)。しかし、そうしたNATO・ロシア関係は、結局のところ、双方にとって中途半端なものだったのだろう。二〇一四年のロシアによる一方的なクリミア併合やウクライナ東部への介入によって両者の関係はほぼ完全に崩壊し、NATO側は対露抑止・防衛体制の強化に舵を切ることになった。

 他方で、欧州にとってのロシアが、同じ大陸の同居人である現実も変わらない。ロシアを脅威と捉えての抑止が必要えあることは論を俟たないものの、ロシアを孤立化させるだけでは欧州の平和と安定が実現しないことの感覚が根底に流れているのも欧州の現実である。固定的な対峙を想定した場合は、冷戦ということになるが、これが欧州大陸にとっての最適解でないことは自明である。

 二月二四日のロシアによるウクライナ侵略開始の直前まで、特にフランスのマクロン(Emmanuel Macron)大統領とドイツのショルツ首相が、モスクワを訪問したり、電話会談によってプーチン大統領との対話と説得を続けようとした背景にも、ロシアを封じ込めるのみでは欧州大陸の長期的な平和と安定は実現しないとの問題意識があったといえる。こうした立場は、フランスとドイツにおいて特徴的だが、ポーランドやバルト諸国、さらにはウクライナといったロシアにより厳しい姿勢をとる諸国からみれば、ロシアに過度の配慮した宥和的姿勢として批判の対象になる(Morcos2022)。

 ただ、このような戦争が行われてしまった以上、今後のロシアとの関係が、戦争前のような状態に戻らないこともまた確実な状況であろう。今回の戦争を経ても、プーチン体制が継続する場合は、大統領本人の「戦争犯罪人」としての訴追を含めて、ロシアとの関係は大きく制約された状態が続くことになる。プーチン大統領が職を追われる場合、そのこと自体は欧州の多くが歓迎すると思われるが、新たな政権といかに接するかについて、欧州内でコンセンサスを築くのは容易ではないだろう。

 ただし、これはいわばデジャヴュのような状況なのではないか。一九九〇年代以降、ロシアが欧州のような自由民主主義国家になることを期待する声が西欧では強く、それは結局幻滅に終った。しかし、同じEUやNATOの加盟国でも、ポーランドやバルト諸国では、「ロシアはロシアだ」として、本質は変わらないとの冷めた見方が一貫して主流だったのである。彼らにしてみれば、「だから言ったではないか」ということになる。このギャップを埋めるのは容易ではない。