2022年5月13日金曜日

20220512 歴史的文脈、背景の意味について思ったこと

直近の投稿記事にて「ここ最近は仮説があまり思いつかなくなった。」との主旨を述べましたが、これは後になり考えてみますと、その後、関連著作などからの当該分野に関する知識が増加することにより、そうした、空想にも近い仮説は簡単には思いつかなくなったとも云えるのではないかとも考えるようになりました。

どの分野の著作を読み進める場合においても、当初は何も分からず、まさに五里霧中の態であるのですが、そこから幾冊か読み進み、さらに、インターネットからも情報を集め続けていますと、徐々に、その背後にある文脈、背景のようなものが認識され、そして、そこからは、その認識された文脈や背景とも整合性のある仮説が思いつくようになるのですが、その時に、いくらかの体系付けられた知見が文脈や背景にありますと、やはり、生じる仮説は制限されてくると云えます。

そしてまた同時に、他者が主張する仮説に対しても、その背景にある、知見や文脈も気になってくるのですが、おそらく、こうしたことは、何も書籍から得られる知識のみならず、現在のさまざまな報道などにおいても同様であると云え、たとえば、現在なお継続中の東欧での戦争についての、さまざまな報道を動画サイトなどで視聴していましても、そうしたことは半ば無意識ながら考えているように思われます。

つまり、それらの扱っている内容が、現在の状況であれ、あるいは過去の歴史であっても、何らかの主張や主旨がある文章や動画などには、須らく文脈や背景があり、また同様に、さきにあげた東欧での戦争においても、現在報道されている状況に至るまでの文脈や背景があり、それは、さまざまな発現の手法によって、19世紀のクリミア戦争から説明することも出来れば、あるいは、さらに以前の16世紀からのロシア帝国とオスマン帝国との当地域をめぐる争いからも説明出来ると云えます。

また、幸いなことに、これらの歴史については、ある程度まではわかっており、日本語のみでも理解出来るような状況があると云えます。そして、ここからが重要であると思われるのですが、それは、今後、生じる出来事においても、それが如何なるものであれ、これまでの歴史的文脈、背景に基づくものであり、それに結節するものであると云うことです。

こうした見解は、多少、後知恵じみたものとして、とらえられるかもしれませんが、それはまた、詭弁ではなく、そして間違いではないのです。

それ故、昨今、戦争当事国の元首が(狂信的に)歴史にのめり込むことにより、現代版「汎スラブ主義」とも云える考えを抱くに至り、去る2月末からの隣国への侵攻を実行したとして「歴史」が何かしら悪影響を与えるものとして、とらえられがちであるのですが、そこで重要であると思われることは、以前投稿の「ウンベルト・エーコの世界文明講義」からの引用記事にあった「百科事典にあるあらゆる真実は、どれも再検討の可能性に開かれている。わたしたちが学術的に開かれた意識をもっているなら、新たな資料がいつか発見されることへの心構えが必要だ。」のように、現在我々が知っている歴史には、どれも再検討の可能性があり、何らかの資料や遺跡などの発見により、既存の歴史像が変わることもあり、また、歴史全般にはそうした性質があることから、それは他国への侵攻の理由にはなり得ないと思われるのですが、しかし、一国を動かす権力者が、ある(偏狭とも云える)自国を絶対化するような視点に基づいた歴史観を信じるようになると事情は異なってくると云えるのかもしれません・・。

ともあれ、そうであるからこそ、面倒であるかもしれませんが、さまざまな異なった視点に基づく歴史像を文脈や背景として認識し、そしてまた、ある特定の歴史像に惑溺しないことが重要であると思われるのですが、これについて最近思ったことは、そうした何と云いますか、体感的とも云える理解に至るまでは、ある程度の期間の訓練が必要であり、さらに、それは若いうちからのものである方が望ましいのではないかと云うことです。

無論、こうした訓練の継続とは、さまざまなスポーツと同様、向き不向きがあると思われますが、こうした分野も、医学などの実学とは異なった種類のものではあれ、それなりの重要性があることは、昨今の国際情勢からもご理解頂けるのではないかと思われるのですが、さて如何でしょうか?

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
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2022年5月10日火曜日

20220509 文化様式の一つとしての古墳造営様式から

先日来から読み進めている、我が国古代史を主題とした著作は、その後も移動時や就寝前の読書にて頁が進みましたが、当著作においても、当初から4世紀代までと、5世紀代以降の古墳では、副葬品の性質・傾向が異なるといった見解であり、概ねこれまで通りの見解であったと云えますが、他方で、そうした副葬品の性質や傾向が変化した、さまざまな要因の見解については、今しばらく読み進めてつつ検討してみようと思います。

時代や地域の相違による、同目的と思しき、各種道具や祭器における形状や意匠の相異と同様、古墳などの墳墓においても、そうした時代性や地域性などのようなものは明らかに存在し、以前、在住していた和歌山県においては、古墳の造営様式に際立って特徴的な傾向があったと云えます。

その造営様式においては、紀ノ川流域あるいは、さらにその下を走る中央構造線沿いの地域において多く産出される青石と呼ばれる緑泥片岩を板状に加工したものを積層して壁状と為して玄室や羨道を造営し、また、玄室については、上方に向かうに伴い、積層板石が中央に向かい徐々に持送りされて、いわばドーム状となっており、この玄室内様相と、同じく壁面の積層された板状青石の様子・意匠を組み合わせて、しばし眺めて意識化することにより、紀州北部地域、紀ノ川下流域における特徴的な古墳造営様式の概要は、理解出来るのではないかと思われます。

さらに、この紀ノ川下流南岸地域において特徴的な玄室の内部には、壁面の積層にも用いられた板状の青石が、まるで棚か梁のように玄室内に懸架されているものが少なからずあり、この意匠(石棚、石梁)もまた、当地域における後期古墳を特徴付けるものであると云えます。

ともあれ、こうした古墳造営様式や、それに用いる材料が概ね定型化されてきますと、それは、いわば、可視化された文化様式のパッケージとも云えるものとなり、そしてまた、これと類似する意匠、造営様式を持つ古墳が、さきの地域外にて発見されますと、その地には、古代ヤマト朝廷の海運事業の一翼を担っていた紀ノ国の豪族紀氏との、何らかの繋がりがある人物が埋葬されていたのではないかと推理されるところですが、これについては、実際のそうした類似した造営様式古墳の分布から考えてみますと、また興味深い仮説が出て来るのでしょうが、ここまで来ますと、それは古墳造営様式に留まらず、以前にも述べた銅鐸、そしてさまざまな日常道具に至るまでが、そうした仮説を生み出す材料となると云えるのですが、しかし、ここにきて最近よく思うことは、こうした時に、仮説があまり思いつかなくなったということです・・。

これは、まだ若く、馬力があった頃では、あまり意識することはなかったのかもしれませんが、こうした「仮の物語」を生み出すところで、我々は少なからずエネルギーを費やしているのではないかと思われます。

ともあれ、また、我が国の古代史が面白く感じられてくるようになってきますと、身体の方も活性化され、そうした仮説も以前と比べて、いくらか滑らかに思い付くようになっていくのではないかとも思われるのですが、さて、実際のところは如何でしょうか・・?

今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

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2022年5月7日土曜日

20220507 中央公論社刊 北杜夫著「どくとるマンボウ医局記」pp.38‐40より抜粋

中央公論社刊 北杜夫著「どくとるマンボウ医局記」
pp.38‐40より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4122056586
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4122056589


私の在局中、私の知るかぎり患者から暴行を受けた医者はなく、ただ一人、殴られたり追いかけられたりして被害を受けたのは、HO先生、ホウさんが唯一人だと聞いた。つまり、あまりにホウさんが優しいので、患者のほうでもついこの相手与し易しと思ったのかもしれない。
 にもかかわらず、ホウさんはみんなからひそかに尊敬されていた。表にこそ出さないが、物凄くガクがあり、それこそ何でも知っているというもっぱらの噂であった。
 入局してしばらく経って、たまたま図書室にいたホウさんに向って、私はー今はその言葉を忘れてしまっているがー或るドイツ語について尋ねてみた。それは精神医学用語であると共に、文学用語でもあったからである。他の先生に訊いたとて、満足する答は得られそうもない、むろん教科書などには載っていない難解な用語であった。
 すると、ホウさんはこう答えた。
「さあ、ぼくは知らないが、ひょっとするとこの本に載っているかも知れないから、調べてごらん」
そして、本棚の中のぶ厚い一冊を指さした。私がそのドイツ語の本を開いてみると、果たしてくわしい説明が記されていた。
 むろんのこと、初めからホウさんは知っていたのである。だが、あくまで謙虚なそのお心が、「さあ、ぼくは知らないが」と言わせたのだ。単に学問がある先生なら私も幾人も知っている。だが、慶応精神科の歴史を通じておそらくもっともガクがあったであろうホウさんのこの優しい謙虚さ。このような方と一時なりとも一緒にいられたことは、私の人生の幸せ言える。HO教授が退職されるときに同窓会報に載せられた一見随筆のようなユーモアに富んだ小論文は、医学のほかは大して知識とてない日本の医者たちへの模範文とも言えるであろう。日本の学者は確かに優秀ではあるが、学問バカ、専門家バカばかりがこの世に溢れているようだ。
 そこへ行くと、外国の医学書の論文の中には、医学だけではなく、歴史、文学、美学などに造詣の深い、読んでいて教えられるものが沢山ある。
 私のもっとも好きな本は、精神薄弱者の研究者、ドイツの故ホルスト・ガイヤ―博士の「馬鹿について」であろう。原書のほうは、ラテン語やギリシャ語が多方面にわたってちりばめられていて、私の読みこなせるものではない。末尾に、ユーモアに満ちた警句や逸話が並んでおり、これまでも書いたことがあるが、あえてもう一度引用しておこう。
 「勤勉は馬鹿の助けにはならない。勤勉な馬鹿ほど、はた迷惑なものはない」
また、誰でもその名は知っている有名なクレッチマーの大著「体格と性格」は、まずシェイクスピアの「ジュリアス・シーザー」からの引用文があり、こう書きだされている。
 「普通人びとは悪魔といえばたいてい痩せていて、細い顎に尖り髭をうすく生やしていると考えるのだが、一方肥っちょはどこか気立ての良い愚かさを備えていることになっている。陰謀をめぐらす者は傴僂で軽い咳ばらいをする。齢とった魔女は干乾びた顔つきをしている。朗らかで淫らな雰囲気の場所では、でっぷりとした騎士フォルシュタフが鼻を赤くし禿頭をぴかぴかさせながら姿を現す。常識あるおかみさんは、ずんぐりしてまんまるな姿で手を腰にあて、腕を張っている。聖者たちはひょろりとした姿で、手足は長く、眼光は鋭く、顔色は蒼ざめゴート人のような厳かな物腰だ。
 手短にいえば、節操高い人と悪魔とは尖り鼻で、ユーモアがわかる人は太い鼻をしていなければならぬということだ。これはどういう意味であろうか?さしあたって、これだけのことは言えるであろう。つまり、民衆の空想が幾世紀にもわたって語りつがれながら結晶化したところのものは、客観性をもった民族心理学的記録であり、おそらくは研究者にとっても多少注意を払うくらいの値打ちのある大衆観念の沈殿物であるかもしれない」
 どうですか、皆さん。医学書としては文学的ではなかろうか。

20200506 ブログ記事の作成と読書から思ったこと、新書の面白さ

前回の記事投稿によって、総投稿記事数が1772に達し、本記事を含めて28記事の投稿により、当面の目標としている1800記事に到達します。先日、4月末から当ブログの更新を5日ほど休みましたが、後日、どうにか1800記事まで到達することが出来ましたら、今度は5日どころか、あるいは1カ月以上休もうと考えています。

そして、おそらくは、また再開して、そこから1年ほどで新たに200記事作成し、2000記事まで到達することが出来るのではないかとも思われてきます。そうしますと、概ね8年間にて2000記事を作成したことになりますが、継続期間は置いておき「2000記事」について考えてみますと、私の行為としては相対的に継続した方であると云えます。また、それ以上の期間、継続してきた行為について考えてみますと、それは、以前にも述べましたが読書であると云えます。

とはいえ、こちらも以前と比べますと、大分馬力が落ちた感があると云えますが、そうした中で、かねてより興味関心を抱いている、いくつかの分野についての書籍を飛び移りつつ読んでいることが良いのか、読み進めるテンポは、分野や書籍内容によって異なってきますが、ともあれ、どうにか続けることが出来ているとは云えます。

また、当初は未知であった分野での著作を何冊か、どうにか苦労しつつも読み進めて、自分なりの認識を得たと感じた時などは、年齢により多少鈍化した感はあるものの、やはり、それなりに高揚するものであり、そしてまた、それを宥めて燃料とすることにより、さらに、その先の興味関心の駆動へと繋がるとも云えます。

そして、その当初の足掛かりとなった著作は、私の場合、いや、多くの方々にとっても「新書」である場合が多かったのではないかと思われますが、さて、如何でしょうか?

この新書という書籍の様式は、世界規模にて、どの程度まで一般的であるのかは分かりませんが、しかしながら、これまで未知であった分野への初手の一冊としては、適切であるのではないかと考えています。

そして、その新書を読了し、さらに深めたいのであれば、同著者による、もう少し文量の多い著作に取り掛かれば、また、それなりに「知の手ごたえ」を感じることが出来るのではないかと思われます。

私はそのようにして、いくつかの分野での著作を読み進めてきて、年齢により多少、馬力も衰えてはきましたが、それでも、自覚する、ある種の未熟感からか、未だに「もう少しは伸びしろがあるのではないか」と(いつも)思われるのです・・。

そういえば、先日来から読み進めている我が国古代史についての著作は、さらに頁が進み、古墳時代初期に至り、徐々にまた面白くなってきたように感じられます。

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2022年5月6日金曜日

20220505【架空の話】・其の94 【モザイクのピースとなるもの】【講義篇①】

ええと、こちらは口腔保健学科と口腔保健工学科の共通教養科目「歯科英語」の講義室で良かったですか?

あッ、口腔保健工学科の方々がそこにいますので、ここで良いですね。いや、良かった良かった。それでは、すぐにPCをセットしますので、ちょっと待っていてくださいね。ええと、プロジェクター機器への接続ケーブルはこれかな・・?あ、これで大丈夫のようですね・・。そして・・あッ、PC画面が映りましたね。では、今回の講義スライドを出しますのでもう少々お待ちください・・。

はい、では、これですぐに講義に入れるようにしましたので、少しだけ自己紹介などをさせてください。口腔保健工学科の皆さんとは歯科理工学実習や講義の時に度々お目に掛かっていて御存知であると思いますが・・ええと、では、口腔保健工学科の皆さんはどうぞ挙手をしてください・・。

・・ああ、やっぱりあの奥の方で固まっていますね・・。どうぞ遠慮しないで前方の席に座ってください・・(笑)。・・しかし、そうしますと、残りの皆さんは口腔保健学科ということになりますが、おそらく50名以上はいらっしゃるのでは・・?私がK医専大に入った頃は口腔保健学科の定員が40名であったと思いますので、その後も増員しているのですね・・。それで、皆さんの学年は何人いらっしゃるのですか?・・えッ65人!それで口腔保健工学科の方は20人で私が在籍していた頃と変わりはありませんので、また大分増えましたねえ・・。そうしますと、この教室に85人の学生さんがいて、そのうちの男子学生さんは口腔保健工学科の10名だけということですか・・。こうした状況は嬉しいのだか肩身が狭いのだかよくわかりませんね・・(笑)。

えッ、私はこの共通教養科目である「歯科英語」は履修しなかったのか?ということですか・・?ええ、私は二年次からの学士編入でしたので一年次の科目は履修していないのです。それで、口腔保健工学科の皆さんはご存じであるかもしれませんが、ここを卒業した後、K大学の院に進み、現在はセラミックス系の歯科材料についての研究をしているのですが、歯科系に進む以前は、人文系分野の院生でした・・。ええ、そちらの方は修了して、修士の学位は取得させて頂いています・・。

そうした背景がありまして、これまで、こちらの科目を担当されていたH先生が、今年度からしばらく**に留学されることになりましたので、その期間の代役として、私が選ばれたわけではあるのですが、実のところ、こうした科目の講義経験ははじめてとなりますので、皆さん、どうぞよろしくお願いします・・。

しかしまた、指導要領はH先生からお聞きしていて、教材や資料一式もお預かりしていますので、まあ出来なくはないとも思いますが・・。

では、本題に入りましょうか・・。ええっと、教科書の方は指定のISYK出版の「歯科衛生士・歯科技工士のための歯科英語」で良かったですよね、これは皆さんもう持っていますね・・。ああ、注文はしているけれどもまだ手許に届いていない方々については、今日は、近くの方に見せてもらうようにしてください。

このテキストには基礎的な歯科臨床用語や、主要な歯科材料の名称などは、一通り網羅されていると思いますので、大学を出たあとの色々な場面でも役立つのではないかと思います・・。また、テストの方は、主にこちらのテキストから出題することになると思います。くわえて、それぞれの章に関連する英語論文なども、事前にH先生から預かっていますので、それらを資料として、さらに深掘りした歯科英語の講義が出来ればと考えています。

そして、その後の時間は「歯科英語」にとらわれない、より一般的な英語を題材として講義をしてみたいと思っています。そこで、その題材となる何か良い著作を御存知でしたら、どなたか教えてください・・。来週まで待ちますが、もしも特にないようでしたら、私が選んだ著作にて進めさせて頂こうと思いますが、いいですか?

・・はいッ。皆さんにとってはそこまで難しいものではないと思いますが、現在、私が教材として検討しているのはジョージ・オーウェルによる「Down and out in Paris and London」(「パリ・ロンドン放浪記」)です。・・いや、たしかに世界的に知られているディストピア小説「1984年」と同著者によるものではあるのですが、こちらの一冊はノンフィクションであって、何といいますか、記述がいちいち具体的なのです。そして、この現象や物事の記述の仕方、いや、それ以前にある視座のようなものは、皆さんが現在学んでいる歯科医療や医療全般とも相通じるものがあるのではないかとも私には思えるのです・・。

・・・と、まあ、こじ付けや牽強付会とも云える意見をここで述べてしまいましたが、そうでなくとも、この一冊は面白いと思いますので、皆さんがよければ、これで進めたいと思います。

もちろん、他に何かご意見があるようでしたら、講義の後でもいいですので、どうぞ仰ってください。

それでは、本日の所定のテキストを用いた講義に入りましょうか・・。

今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

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2022年5月5日木曜日

20220504【架空の話】・其の93 【モザイクのピースとなるもの】【実習篇①】

「以前に行った精密鋳造の実習の頃よりも、さらに少し暑くなってきましたが、今回は皆さんに「鑞付け」の実習をして頂きます・・。

さて、今回の「鑞付け」でもまた、以前の鋳造実習と同様、溶けた合金(溶湯)を扱いますので、少し暑いかもしれませんが白衣はキチンと着用していてください。ええ、もし袖が長いようでしたら、腕まくりの要領で調節してください。あッ、その白衣は袖口を絞ることが出来るのですか・・。

はい、今回の実習では、この実習室で鑞付けに用いる試料を作製してから、そして隣の鋳造実習室で鑞付け作業を行う流れになります。電気炉はもうセットしてから数時間は経っていますので、お気づきの方もいるかもしれませんが、現時点で、向うの部屋(鋳造実習室)はもうかなり暑くなっているはずです。そうした事情もありますので、これまた以前と同様、こまめに水分は摂ってください。

・・あッ、それと、今回も技工用のバーナーを使いますので、髪が長い方は、後ろで束ねるようにしてください。技工作業の際に大変ですし、バーナーの火で髪が燃えてしまうような事故も避けたいですからね・・。

それと、今回は目の前のバーナーに備え付けのワックスタンクにあるワックスは使用しないで、これまた予め机の上に準備してあるスティッキーワックスを主に使います。成分は箱に記載されていて、また箱の中の説明書にも書いてあると思いますので、そちらを参照してください。ええ、もう箱は開けて大丈夫ですよ・・。そう、よければ手に取って触ってみてください・・。今回の実習に使うワックスはどんな感じですか? ええ「触っただけでは分からない」ああ、たしかにそうですね・・。しかし、もう少し触ってみてください。以前の鋳造実習で用いたインレーワックスやパラフィンワックスやユーティリティーワックスとは少し違いませんか・・?ええ、色が違うのはたしかにそうですね・・。その他には・・ああ、そうですね。持った感触が硬いですね・・。これは以前の鋳造実習の際、スプルー途中に付ける「湯だまり」に用いたユーティリティーワックスのような柔らかい材料と比べると、大分違うように感じられるのではないでしょうか?

そしてまた、こうした性質から、どのような用途のワックスであるか検討してみるのも面白いかもしれません・・。

では、次に今回用いるワックスインスツルメンツですが、これらも前にお伝えしたように、あまり長時間バーナーの火を当てないでください・・。先週の実習後、一昨日になってから全部を熱湯に入れて、しばらく浸けてから、取り出して、まだ熱いうちにウェスでワックスを拭き取ってキレイにしました。おそらく、今回の実習の後もやることになるとは思いますが、皆さんも使用する各器材は出来るだけキレイに使いましょう。まあ、言うまでもないことであるのかもしれませんが・・。

あと、机の上に今回の鑞付け実習での試料作製の工程毎でのサンプルも置いていますが、では、これらを用いて今回の実習行程の説明を続けさせて頂きます。

では、まず、こちらのサンプルには、二つの曲げられた金属板が、石膏様の材料で満たされた型枠内に設置されていることが分かると思います。そして、これら二つの金属版の間には、ごく僅かな間隔があることも認められると思います。

そして、この間隔に、溶けた合金すなわち「鑞」を流し込み、二つの金属板を「鑞付け」することが今回の実習の目的になりますが、はじめに、これらの間隔が広すぎても、あるいはわずかであっても双方が接触していても試料作製は困難になります。その間隔は、実習書に記載があると思いますが、大体、0.05~0.2㎜程度内に収めてください。具体的に表現しますと髪の毛1、2本程度の間隔になりますので、今回もまた、そこそこ慎重な作業になると思います。

また、この微細な間隔を保持したままで二つの金属板を固定するのに用いるのが、さきほど皆さんに触って頂いたスティッキーワックスになります。そして、そのように考えてみますと、さきほど、そちらの方、ええと、Aさんですか?がスティッキーワックスを触った感想で仰っていた「持った感触が硬い」にも何か意味があるのではないかとも考えられますね・・。

さて、次は試料作製に用いる金属板についてです。皆さんの目の前に銅とステンレス鋼を材料とした二種類の概ね同一寸法の金属板がありますが、全ての両端、つまり鑞付け部位となる部位については予め比較的高番手のサンドペーパーで研削して酸化膜は除去していますが、これらの金属板をはじめに屈曲させて、後で型枠内の埋没材に固定し易い状態にしてから、両金属板の間隔を設定し、そのままの状態を保持したままで、こちらのスティッキーワックスを用いて固定します。

使用する金属板の種類ですが、今回は班員が丁度10人ですので、出席番号最初の5人が銅板を用いて、そして後半の5人の方々はステンレス鋼を用いて試料を作製して頂きます。また、私も皆さんと一緒に試料を作製しようと思いますので、それぞれの工程の中で分からないことやご質問などがありましたら声をかけてください。

では、はじめにそれぞれの試料作製に用いる二枚の金属板を選んでから、そちらの器具を用いて両方とも屈曲してください。」

今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
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2022年5月4日水曜日

20220503 株式会社平凡社刊 ジョン・エリス著 越智道雄訳「機関銃の社会史」pp.137-141より抜粋

株式会社平凡社刊 ジョン・エリス著 越智道雄訳「機関銃の社会史」pp.137-141より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4582532071
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4582532074

海軍陸戦隊は、次に行われた1884年、85年のエジプト遠征にも参加し、ハルツームにとらわれたゴードン将軍救出にむかった。イギリス軍は小型砲艦に何丁かのガトリング銃を積んでいったのだが、実際に戦場で使われたのは、チャールズ・ベレズフォード率いる、少人数の陸戦隊兵士たちが装備したガードナー銃一丁だけだった。ベレズフォードの一行は一個小銃隊に同行し、アブー・クレイでアラブ人の襲撃にあった。イギリス軍はすぐにガードナー銃を中心に方陣隊形を整え、デルウィーシュたちの襲撃を撃退しはじめた。だが実際には、ガードナー銃は70発を撃ったところで早くも故障してしまった。しかし、そうした効果だけでも、兵士たちは十分に勇気づけられた。ベレズフォードは、自らこう語っている。「私が銃を撃つと敵は並んだまま次々と倒れていく。まるで将棋倒しのような眺めだった」。そして、海軍陸戦隊の兵士はここでもまた、機関銃を守るために捨て身の勇気を見せられることを証明している。この戦いの途中、なんとベレズフォードは自分の機関銃を方陣の外に運びだした。その途端、デルウィーシュたちが攻め込んできた。その後の白兵戦の間に、ベレズフォードの部下八人、すなわち、そこにいた海軍陸戦隊全員が、次から次へともう一度機関銃を作動させようと試みるうちに、全滅させられてしまった。ここまでくると、ベレズフォードの機関銃への愛着は多少行き過ぎにも思える。この後、メテムネ奪回のために出兵したイギリス軍銃隊には、七ポンド砲を装備した中隊が随行した。「だが、ガードナー銃はなかった。その理由はどうも、臀部の腫れ物がひどくて、ベレズフォードが従軍できなかったためらしい。時には、ベレズフォードはガードナー銃を自分の私物だと思っていたような印象を受ける」。

 エジプトとスーダンでの戦いは、1898年に山場をむかえた。その年、イギリス政府はもうこれで遠征を終りにしようと思っていた。しかし、このころ、遠征軍はすでにマクシム銃を装備しており、その信頼性は疑いようもなかった。遠征の最後の決戦は、オムドゥルマンの戦いだった。ここで、デルウィーシュたちの大軍はイギリス軍の前線に何度も突撃をしかけたが、そのたびに圧倒的な小火器の銃撃によって撃退された。この大量の火力のなかで最も威力を発揮したのがマクシム銃だった。イギリス軍に同行していたドイツ人従軍記者はこう書いた。「銃の射程を合わすのに手間どったが、それが終わると敵はばたばたと倒れていった。デルウィーシュたちの突撃を撃退するのに六丁のマクシム銃が大きな役割を果たしたことは明らかである」。別の従軍記者は、その日の夕暮れの戦場の有り様を伝える記事で、この武器がもたらした戦果についてこう書いている。

 それはマフーディ派[イスラム教の一派。終末論的な世界観をもつ]のいう最後の日、それも最大級のものだった。彼らは近寄ることすらできなかったのに、逃げることを拒んだ。(中略)あれは戦争ではなく、虐殺だ。(中略)折り重なった死体の山はなかったー折り重なった死体はほとんどなく、どこまでいっても一様な間隔で倒れていたのだ。頭の下にあてた靴を永遠の枕として、安らかに横たわっている者がいる。ひざまづき、最後の祈りを終えないままこときれた者もいる。そのほか、ひきちぎられてばらばらになった者もいる。

 この戦いにはウィンストン・チャーチルが同行していたために、チャーチルのいた第21槍騎兵連隊が無益な突撃をしたということ以外には、現代の神話はこの戦いについて何ひとつ語り伝えていない。だが当時、オムドゥルマンの戦いのもつ意義についてのはるかに適確な評価が、エドワード・アーノルド卿によってなされていた。マクシムはそれを自慢げに自伝に引用している。「これまで、多くの戦争の勝敗を分けてきたのは、士官や兵士たちの突撃と技量、勇敢さだった。しかし、今度の戦いを勝利にみちびいたのは、ケント在住のもの静かな科学に携わる紳士だ」。オムドゥルマンでの死傷者数は、イギリス兵28人、他国兵20人に対し、デルウィーシュの〈死者〉は11000人にものぼっていつ。この数字を見れば、アーノルド卿が特別深い洞察力を持っていたとは思わないだろう。だが、当時にあって自動火器の価値を認める用意ができていた著名人はアーノルド卿ただ一人だったといっても過言ではない。ほかの人間たちにとっては、それは、英国魂の勝利、白人の全般的な優越性を示すもう一つの実例となったにすぎない。

 だが実際、マクシム銃はオムドゥルマンの戦い以前から、アフリカで、すでにその価値を証明していた。未開拓の奥地で、さまざまな開拓者が変わることのない熱意をもって愛用していたのだ。セシル・ローズやフレデリック・ルガードのような男にとって、またイギリス領南アフリカ会社や帝国東アフリカ貿易会社のような組織にとって、ヨーロッパ人による統治をつづけていくためには、マクシム機関銃が必要不可欠だった。マクシム自身は、自分の発明品がそうした役割に用いられることを、単純に喜ぶだけだった。