2018年11月29日木曜日

20181118 惰性や中毒と意地の違いから思ったこと・・

師走まで間近のこの時期に風邪をひきました。くわえて本日は雨模様の一日であり、気温もあまり上がらず、さらに本日はいくらか帰宅が遅くなったことから、ブログ記事作成などせずに、早く就寝した方が良いと考えていましたが、案の定、PCを立ち上げネットに接続してみますと、どうも新しい記事の作成をはじめてしまいます・・(苦笑)。

ここまで書き続けても、この先特に良いことが確実にあるというわけでもないのに、何故、私はこの行為を続けてしまうのでしょうか?そして、ここまで来ますと『継続は力なり』というよりもむしろ、惰性あるいは中毒といったコトバの方が適切ではないか?とも思われるところですが、それでも同時に、そこにはいくらかの努力もあると思われることから、惰性や中毒に付随する後ろめたさのようなものはなく、記事作成の後には、既に慣れて麻痺してしまいましたが、わずかに達成感のようなものもあります。

とはいえ、現在においては、この達成感のために記事作成を行っているというわけでもなく、半ば意地のようなもので継続している部分も少なからずあると云えます。そして、そのように考えてみますと惰性や中毒と意地の本質的な違いは、あるいは傍から見れば同一に見えるある行為の基層にあるマインド・セットにあるのではないかと思われました。おそらく、こうしたマインド・セットといったいわば精神の状態は、外からは分からず、いや、本人でも分からないことも多々あるのではないかと思われます・・。そして、それ故に自身のブログについて、さきに述べたが如く『ああでもない、こうでもない』といった意見を何の衒いもなく書くことが出来るのかもしれません・・(笑)。

ともあれ、そのようなことを書いていますと、自然と脳裏に浮かぶのは、コトバ・言語とそれが示す対象の関係です。このことは以前にも何度か書きましたが、何であれ、文章で何かを書き続けるに際して、かなり重要であるように思われるのです・・。

このことは昨今、自分がよく分からない体系の言語を聞き、用いざるを得ない時によく感じることですが、その意味で自身はコトバ・言語と、それが示す実態を深くまで認識・把握している体系なり分野などはあるのだろうか?とも思うところですが、しかし、こうしたことも、おそらくさきの惰性や中毒と意地の違いのように、本人ではよく分からないことであるのかもしれません(笑)。

あるいはそうしたことを出来るだけ上手く表現するためにブログ記事の作成を行っているのかもしれません・・。
~書籍のご案内~
祝増刷決定!
ISBN978-4-263-46420-5

医歯薬出版株式会社刊
~勉強会の御案内~
前掲書籍の主著者である師匠による歯科材料全般、いくつかの歯科材料を題材とした勉強会・講演会の開催を検討されておりましたら、よろこんでご相談承ります。師匠はこれまで長年、大学歯学部・歯科衛生・歯科技工専門学校にて教鞭を執られた経験から、さまざまなご要望に対応させて頂くことが可能です。

*上記以外の他分野での研究室・法人・院内等の勉強会・特別講義のご相談も承ります。

~勉強会・特別講義 問合せ 連絡先メールアドレス~
conrad19762013@gmail.com 
どうぞよろしくお願いいたします!

数年前から現在までに日本列島各地・特に西日本において発生した、さまざまな大規模自然災害により被害を蒙った地域の速やかな復旧そして復興を祈念しています。
↑こちらもどうぞよろしくお願いいたします! 




2018年11月28日水曜日

20181127 合理的でないことの価値・・創造性?

A「どうですか、最近は何か面白いことはありましたか?」

B「・・ええ、どうでしょうか・・毎日が面白いと云えばそうですし以前、医療法人に勤めていた時と比べますと、その扱う分野が一つだけではないというのが、新鮮であるかもしれませんね・・。まあ、それでもこの年齢で今まで知らなかった分野のバックグラウンドをある程度まで知るのは相当難しいとは思いますがね・・(苦笑)。」

A「はあ、やはりそういったところが大変なのですか・・。それでもBさんの専門分野はたしか歯科の材料でしたよね・・時々は、その分野の先生方とは会われることはあるのですか?」

B「ええ、それは『なくもない』といった感じです・・。また、時折は出向いた先の先生方にご挨拶に伺うこともありますが、大体はメールや電話でのやり取りですね・・。それでも、そうしたやり取りで、何と云いますか、新たな考えや最近の動向などを知ることが出来ますので、そうした交流はかなり大事であると思いますね。」

A「まあ、そうした事情は自分ひとりではなかなか分かりませんし、また、ねつ造するわけにも行きませんので、さまざまな情報を収集するうちに蓄積されたもの、あるいはそれら情報が重なり合いピントが合ったところが、その実際の様相を示しているのではないでしょうかね・・。」

B「ええ、そうですね。また、そうしたことは対象が何であれ、大体同じであるように思います。つまり、何と云いますか、帰納法のようなものではないでしょうか?そして、面倒であるのかもしれませんが、そのNを増やすことにより、より精確な平均値あるいは標準的な像といったものを得ることが出来るのではないでしょうか?」

A「ああ、それはそうかもしれませんね・・。また、それと関連してBさんも同意されると思いますが、歴史などはまさにそういったものであると思います。つまり『これさえ知っておけば大丈夫!』というものがないのです・・。こうした考えは学校の勉強のようなものとは相矛盾するようでして、丁度この辺りで重要になってくるのが、その人の個性といいますか向き不向きのようなものであると思います・・。」

B「ええと、それは『これさえ知っておけば大丈夫』というものがなくとも自然に続けてしまう勉強なり活動に対するそれぞれの方向性といったものでしょうか?」

A「・・そうですね。多分、そうした活動の方向性・傾向に、その人の個性といったものは現れると思いますので・・。そして、これから先の時代は、さまざまな周辺機器を利用して、それを最大限にまで伸ばす、活かすことが大事であるように思います。そして、おそらく、そうした人間の活動に対しては人工知能もしばらくは追いつくことが出来ず、あるいはそうしたものは、今後、創造的となった人間と人工知能を備えた機器との『いたちごっこ』の様相を示すようになるのではないでしょうか・・。」

B「ああ、たしかに人間の人間たる所以は『創造』が関連しているのかもしれませんね。そして、そのように考えてみますと、これまで継続的に作成しているブログも一応、創造であるのかもしれません・・(笑)。」

A「うん、公表する文章を書く、そして、それを続けるというのは、そこまで簡単なことではないと思いますし、それに、そうした精神状態をある程度の時間、持ち続けることも、まあ簡単ではないと同時に、あまり合理的であるとは思えませんね・・(笑)。それでも、何かが内面に生じるまで、その合理的でない活動を続けてみるというのは、事後から見ると、しばしば、そして、いくらかは創造的ではあるのかもしれませんね・・。それでも、このあたりの兼ね合いに関しては、おそらく、どんな哲学も宗教も合理的な解答を用意していないのではないように思いますね・・(笑)。」

B「ええ、多分それは人工知能が人間を対象とした哲学や宗教を創造し、さらに、それを多くの人々が信じるようになるまでは、起きないように思いますが、しかし、そうした事態が実際に生じたら、その後の人間はどうなってしまうのでしょうか・・?あるいは平和で安定した社会にはなるのかもしれませんが、同時にそこからは科学や芸術の進化発展といった創造性はあまり望めない、ある意味、去勢されたような社会になってしまうのではないかと思います・・。」

A「・・ええ、たしかにそうかもしれませんね・・。そして、ですから先ほどの「いたちごっこ」を、たとえ、その行為が合理的ではないと知りつつも自然に続けてしまうような本能に裏打ちされたとでも云える内から湧き起こる気力が大事ではないかと思うのです・・。」


今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!

~書籍のご案内~
祝増刷決定!
ISBN978-4-263-46420-5

医歯薬出版株式会社刊
~勉強会の御案内~
前掲書籍の主著者である師匠による歯科材料全般、いくつかの歯科材料を題材とした勉強会・講演会の開催を検討されておりましたら、よろこんでご相談承ります。師匠はこれまで長年、大学歯学部・歯科衛生・歯科技工専門学校にて教鞭を執られた経験から、さまざまなご要望に対応させて頂くことが可能です。

*上記以外、他分野での研究室・法人・院内等の勉強会・特別講義のご相談承ります。

~勉強会・特別講義 問合せ 連絡先メールアドレス~
conrad19762013@gmail.com 
どうぞよろしくお願いいたします!

数年前から現在までに日本列島各地・特に西日本において発生した、さまざまな大規模自然災害により被害を蒙った地域の速やかな復旧そして、その後の復興を祈念しています。
↑こちらもどうぞよろしくお願いいたします! 








2018年11月26日月曜日

20181126 書籍からの抜粋引用ばかりで記事を作成しない理由・・歴史意識を磨く意味?

おかげさまで昨日投稿分の記事(主に書籍からの抜粋引用)もまた、比較的多くの方々に読んで頂きました。これを読んでくださった皆さま、どうもありがとうございます。そしてまた、本日も、書籍からの抜粋引用を以て投稿記事にしようと、つい先ほどまで考えていました。たしかに、この手法にて記事作成・投稿を行うのであれば、かなり長期間にわたって比較的容易に記事作成を継続することが出来ると思われます。しかしながら、この手法に一たび慣れてしまいますと、自身で文章を作成することが困難になってしまうおそれがあると考え、本日も含めて以降、出来るだけ自身の文章にて記事作成を行い、そして時折、挿話的に書籍からの抜粋引用を用いるのが当ブログ本来の目的である自身の文体の獲得・文章能力向上のためにも良いのではないかと思われました。そのため、当ブログにて書籍からの抜粋引用の方が比較的楽しく読むことが出来ているという皆さま、まことに申し訳ありませんが、以上の理由により、今後も出来るだけ自身の文章にて記事作成を行わせて頂きます・・。

さて、昨日投稿分記事にて抜粋引用した作品は、戦争小説に分類されるものの、その記述は、主人公の回顧的な独白により物語が進行するわけですが、この独白の仕方がきわめて独特であり、当引用部末尾にもわずかにありましたが、作中にて主人公が経験する出来事が同じく主人公の読書経験の記憶と結びつけられることにより、ハナシの時代背景が古今東西に飛ぶことから、その筋についていくことが困難に感じられることがあります。しかし他方で、こうしたハナシの進め方は、さきに述べた手法としての書籍からの抜粋引用と同様、かなり長い物語とすることも出来るのではないかと思われました【実際の記憶と読書の記憶の掛け算か・・】。

くわえて、少し前の著述家の多くは、こうしたことをあまり痛痒を感じることなく、自然に出来ていたのではないかと思われます。このことを異言しますと、一つ一つの述べるところの意味が深く、さらに、それらの結節の仕方が自然で洗練されているといった感じであると云えます。あるいはまた、帰納法にて用いるピースの一つ一つに味があり、同時にそれらはインターネットで簡単に入手できるような知識ではなく、さらにその組み立て・構成にセンスがあるといったところであるとも云えます。

こうした視座から、昨今作られた我が国のさまざまな文学作品、映画などについて考えてみますと、どうも過去に作られたものと比べ、全体的に深みがなく、何と云いましょうか、史実への忠実さといった意味での重厚さが乏しいのではないかと思われるのです。あるいはそれはPCやCGといった、さまざまな映像制作技術の進化発展により、作中にほんのわずかに登場する小道具などに特にこだわらなくとも、ある程度のものは作成出来てしまうといった事情があるのかもしれませんが・・。

これは映画など映像においては如実に看取出来ることですが、おそらく昨今の小説などに関しても、もとにある戦争体験者による著作(たとえば大岡昇平、山本七平など)を後代の著述家がその記述をコピーし、さらにコピーしていくといった間に、著述全体がボケてくるといったことが生じているのではないかと思われるのです・・。

とはいえ、こうしたコピーに次ぐコピーをしている時代は、多くの場合、実際の戦争体験を持たないで済んでいる平和な時代であるとも云えることから、理想的であるのかもしれません。しかし、そのコピーに次ぐコピーを行っているまさにその時、何らかの間違い、勘違いのようなことがなかば必然的そして無意識的に生じ、内面より次の戦争の準備をしていくことになってしまうのではないかとも思われるのです。そして、それ故に、たとえ直接的な経済的利益に結びつく可能性はかなり低くとも、歴史意識を磨く意味、そしてまた、歴史全般が研究として不断に為される価値といったものがあるように思われるのです。

その意味において、昨今のエンターテイメントのようなもの(のみ)として映画・小説などが歴史を扱うことにより、特に我が国の場合、どうも変な方向に行ってしまうことが多いようにも思われるのですが、さて如何でしょうか?

今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!

~書籍のご案内~
祝増刷決定!
ISBN978-4-263-46420-5

医歯薬出版株式会社刊
~勉強会の御案内~
前掲書籍の主著者である師匠による歯科材料全般、あるいはいくつかの歯科材料を主題とした勉強会・講演会の開催を検討されておりましたら、よろこんでご相談承ります。師匠はこれまで長年、大学歯学部・歯科衛生・歯科技工専門学校にて教鞭を執られた経験から、さまざまなご要望に対応させて頂くことが可能です。

*上記以外、他分野での研究室・法人・院内等の勉強会・特別講義のご相談承ります。

~勉強会・特別講義 問合せ 連絡先メールアドレス~
conrad19762013@gmail.com 
どうぞよろしくお願いいたします!

数年前より現在までに日本列島各地・特に西日本において発生した、さまざまな大規模自然災害により被害を蒙った地域の速やかな復旧そして、その後の復興を祈念しています。
↑こちらもどうぞよろしくお願いいたします! 











2018年11月25日日曜日

20181125 昨日投稿記事【書籍からの抜粋引用】が多くの方々に読んで頂いたことから・・【主に書籍からの抜粋引用 大西巨人著 『神聖喜劇』第一巻pp.543-546

一昨日投稿の書籍からの抜粋引用部は、その後、現在に至るまでかなり多くの方々に読んで頂けました。また、それは自身が作成する記事と比べてもかなり多いことから、多少複雑な思いもなくはないですが、ともあれ、これを読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。くわえて、この記事と関連があるのか分かりませんが、記事投稿後、いくつかの方面の先生方よりご連絡を頂きました。とはいえ、こうしたことを関連付けて考えてみますと、その後の記事作成が変に力んでしまうこともあり得ることから、とりあえず書くだけは書き、あまり気には留めず、記事作成を継続していこうと思います。

さて、一昨日のような書籍からの抜粋引用による記事投稿が比較的多くの関心を持って頂いたことから、今後しばらく、このフォームにて記事作成をして行こうと思います。そして本日は、これまでに何度かブログ記事にて取り上げ、また、一度その文章を記事として抜粋引用させて頂いた大西巨人著『神聖喜劇』(第一巻)からにします。

光文社刊 大西巨人著 『神聖喜劇』第一巻 pp.543-546
ISBN-10: 9784334733438
ISBN-13: 978-4334733438


『わざわざこの場まで出かけてきた二人の上官がひきつづき事態を傍観している理由も、私に明快でなかった。彼らの意図は何か。もしも彼らが彼らの臨場という事実の威圧によって大前田の火を吐く舌端を牽制しようと欲したのであったならば、それはすでにみごとに失敗したと見られるべきであろう。もはや彼らは、積極的に介入しなければならぬのではないか。だが、昼食喇叭の余韻をさえぎって発言したのは、村上少尉でも山中准尉でもなく、またしても大前田軍曹であった。

『お通夜にでん行ったごたぁる顔を拵えて、うんともすんともぬかさんが貴様たちも、これで少しはわかったろうな。おれだけが、うんにゃ、おれたちだけが、日本軍だけが、あってあられんごたぁるめずらしいことをしよるなんち思うなよ。なんぼチャンコロちゅうても、敵もそげん甘うはない。貴様たちの目にゃ、「日本勝った、支那負けた」で、戦争は万事すらすらっと行きよるごと見えとるかもしれんばってん、―またそれじゃけん、いまは勝ち戦の日本だけが、あってあられんごたぁるめずらしいことをしよるごと目立っとるかもしれんばってん、殺し合い取り合いぶっ壊し合いの根比べともなりゃ、チャンコロも隅にゃ置いとかれんぞ。あぁ、おれはこの目で現地を見て知っとる。なかなかどうして隅にゃ置いとかれるもんか。新聞やラジオやらで「残敵」、「残敵」なんち言い触らすとばっか聞いとったら、まるで支那の軍勢は残り少のうなってしもうたごと貴様たちは思うとろうが、聞くと見るとじゃ大違いよ。それにまた赤のゲリラ部隊は、あっちでもこっちでも執念深う出たり入ったりしとる。もう五年もかかり切りでやっとるちゅうとに、いっちょも片付いとりゃせんじゃろうが?その上に今度は毛唐が相手よ。毛唐とチャンコロとどっちが余計隅に置いとかれんか、知れたことか、「毛唐。」、「毛唐。」ちバカにして、あんまり嘗めてかかっとりどもしょうもんなら、いつか日本も太えまちがいをするとじゃなかろうかねえ。・・・なんせ南方じゃ、あってあられんごたぁるめずらしいことが、いろいろありよるじゃろうなぁ。ありよるにちがわんじゃろうなぁ。』

南方戦線に関して独白調で感慨しながら天空をもろに仰いだ大前田の満面に、正午の光があざやかな膜を張った。その光の膜が不意に歪んで罅割れて、得体の知れぬ悍ましい薄笑いが音もなく現れた。七、八秒あと、薄笑いと光の膜とを諸共に振り捨てた大前田の真顔に、ふたたび帽の庇に隈取る影が下りた。彼の垂れていた右腕が右横へおだやかにしなやかに持ち上げられるのを私は見ていたが、たちまち彼は、そのたなごころで右外股を一打ち丁と打った。

『いまは「日本勝った、日本勝った、米英負けた」ととんとん拍子で運んどるごたぁって、結構なことよ。この調子で、今年の夏か秋にゃカリフォルニア州はサン・フランシスコへんに敵前上陸するちゅう話もある。十一月三日の明治節ごろにゃアメリカもイギリスもお手上げじゃちゅう話もある。そのとおりに行きゃ世話はあるめいが、どうじゃろうか。「ほんとにそうなら、うれしいね」じゃなかろうか。おれにゃようはわからんが、お隣の支那さん一つさえ、六年がかりで持て扱うて、埒は明いとらんちゅうとに、遥か太平洋の向こうの大きな国を二つも相手にしといて、置いた物を取るごとそげん気安う見縊っとると、当てがはずれるかもしれん。勝ち戦のうちはぇぇ。ばってん、まだこれまでのところは、こっちから手近な先様の田舎出店を二つ三つたたき潰しにかかっとるちゅうだけで、アメリカ本店、イギリス本店をぐらりとでもさせたとじゃない。万が一、日本が負け戦になってみろ。いんにゃ、日本が負けてしまうことはなかじゃろう。まぁ仕舞いにゃ勝つじゃろうが、万が一、途中で形勢が悪うなって、敵が内地に攻め上がちゅうごたぁることになってみろ。日本人大ぜいが毛唐の軍隊からどげなあってあられんごたぁるめずらしい目に会わせられるか、考えるだけでも、おれはぞっとする。味方が負け戦になって敵が攻め入って来りゃ、否も応もなしに必ずそげな目に会わせられるとじゃ。そげんことになってから、なんぼあわてふたいめいても吠え面かいても、もう間に合やせん。上つ方か耶蘇教坊主か何かのごと聖人ぶるかして、「日本の戦争は、そげなあってあられんごたぁるめずらしいことをしよるとでありますか。」なんちゅう美しい寝言を言うたりしとったら、反対に自分たちが敵から思う存分そげなことをされにゃなるめえぜ。こっちが勝ち戦のときにゃやらかすことを、敵も勝ち戦のときにゃやらかすまでよ。そげな美しい寝言は、味方が味方にむかって言うはずのもんじゃない。味方が敵にむかって言うはずのもんじゃ。さもなきゃ味方が敵から言われるはずのもんじゃ。そうして何をどげん言おうと言わりょうと、とどのつまり「勝ちゃ官軍、負けりゃ賊軍。」ちゅうわけぞ。それが戦争よ。・・罷りまちごうて、もしも日本が負け戦にでもなろうもんなら・・・。』

しかし大前田は、語を中絶した。彼は、左手を帯剣の柄から放ち、その手の平で、面上のほとんど出てはいないであろう汗をぬぐい取るように額から顎までを一度ねんごろに撫で下ろすと、ここの太陽の下に不存在の何物かを見つめるかのように、この上なくむごたらしい何事かを思い描くかのように、薄目を作って、眉を顰めた。そのあやしげな面体で、数秒時間の沈黙を彼は守った。大前田の饒舌の内容よりも、むしろその憑かれたような止めどのなさが、今更に私は気味が悪くなってきていた。その話題の野放図な飛躍発展に反して、彼の声色は、―書き抜きの棒読みのような孤独な穏便な有様からわずかに変化していたけれども、―甲高くも荒々しくも上っ調子にもなっていなかった。そのくせ、そのおしなべて単調な地味な声音の長ったらしいつながりには、ある超現実の気違いじみた熱気が立ち籠めているようであった。癇癪を起したドストエフスキーが不断の彼は片言でしかしゃべられないドイツ語を流暢にあやつって啖呵を切っているというような図が、なぜか私に連想せられていた。』

2018年11月23日金曜日

20181123【書籍からの抜粋引用】岩波書店刊 ジョージ・オーウェル著 小野寺 健訳『オーウェル評論集』pp.307-311【ナショナリズムについて】

岩波書店刊 ジョージ・オーウェル著 小野寺 健訳『オーウェル評論集』pp.307-311

『『ナショナリズム』というときわたしがまっさきの考えるのは、人間を昆虫と同じように分類できるものと考えて、何百万、何千万という集団をひとまとめに、平然と「善」「悪」のレッテルを貼れるときめてかかる考え方である。

だが、その次に考えるのはーそしてこの方がはるかに重要なのだがー自分を一つの国家あるいはこれに似た何らかの組織と同一視して、それを善悪を超えた次元に置き、その利益を推進すること以外はいっさいの義務をみとめない考え方である。ナショナリズムと愛国心ははっきり違うのだ。

二つの言葉はふつうきわめてあいまいに使われているから、どんな定義を下してみても異論が出るだろうが、ここには二つの異なったというより対立する概念が潜んでいるのであって、両者ははっきり区別しておかねばならない。わたしが「愛国心」と呼ぶのは、特定の場所と特定の生活様式に対する献身的愛情であって、その場所や生活様式が世界一だと信じてはいるが、それを他人にまで押しつけようとは考えないものである。愛国心は、軍事的にも文化的にも、本来防御的なのだ。

ところがナショナリズムのほうは権力志向と固く結びついている。ナショナリストたるものはつねに、より強大な権力、より強大な威信を獲得することを目指す。それも自分のためではなく、個人としての自分を捨て、その中に自分を埋没させる対象として選んだ国家とか、これに類する組織のためなのである。

この言葉の対象を、ドイツや日本をはじめとする悪評高い明白なナショナリズム運動に限るなら、こんなことはすべてわかりきっている。ナチズムのようにわれわれが外から観察できる現象をつきつけられれば、誰もが同じようなことを言うだろう。だが繰り返して言えば、ここで「ナショナリズム」という言葉を使うのは、ほかにうまい言葉がないからで、わたしの考えている広い意味のナショナリズムとは、共産主義、政治的カトリシズム、シオニズム、ユダヤ人差別、トロツキズム、平和主義(パシフィズム)といった運動ないし風潮まで含むのである。それは必ずしも一政府一国家への忠誠心であるとは限らず、まして自分の祖国への忠誠心である必要もない。それどころか、その対象になる組織が、かならずしも現実に存在する必要さえないのである。

具体的な例をいくつかあげるなら、ユダヤ世界、イスラム世界、キリスト教世界、プロレタリアート、白人種といったものも、すべて熱烈なナショナリスティックな感情の対象になりうるのであって、こういうものが実在するかどうかは大いに疑わしく、どれをとっても万人が認める定義など存在しないものばかりである。

ここでもう一度、ナショナリスティックな感情が純粋に消極的なものでもありうることを強調しておいてもいいだろう。たとえばトロツキストのばあいにしても、彼らは単にソヴィエト連邦の敵になっただけなのであって、これに類するそれ以外の組織に忠誠心を抱いたわけではない。ここ事実の意味を理解してもらえば、わたしがナショナリズムと呼ぶものの本質も、ずっと明確になる。

ナショナリストとは、威信競争という観点からしか考えない、すくなくともまずそれを考える人間なのである。積極的なばあいも消極的なばあいもあるーつまり後押しするために精神的エネルギーを使うこともあれば、引きずりおろすことに使うこともあるわけだが、いずれにしてもその考えはつねに勝利か敗北か、栄光か屈辱かといった思想を軸に回転する。ナショナリストは歴史を、それもとくに現代史を、大きな勢力の果てしない興亡としてとらえる。そして彼の目には、あらゆる事件が、自分の陣営は上り坂にあり憎むべき敵は下り坂にある証拠だと見えるのである。

だがさいごにもう一つ大切な点は、ナショナリズムを単なる成功礼賛と混同してはならないということである。ナショナリストは、いちばん強いものの味方をするという単純な原理は採らない。逆に、いったん自分の立場を決めたあとは、それが事実いちばん強いのだと言い聞かせて、客観的情勢がどれほど圧倒的に非であろうと、この信念を固守することが出来るのである。ナショナリズムとは自己欺瞞をふくむ権力願望なのだ。

ナショナリストたるものは例外なく、どんな目にあまる不誠実な行為でもやってのけるがー自分より大きなものに殉じているという意識があるためにー自分はぜったい正しいという不動の信念を持つことも出来るのである。』

2018年11月21日水曜日

20181121 1130記事を過ぎて思うこと、自分の才能、取り柄とは・・

当ブログの総投稿記事数はつい先日1130記事に到達し、年内の目標である1150記事も目前とまでは行きませんが視野に入ってきたとは云えます。そして、もしも、このまま1日1記事の投稿ペースを維持すれば、来月半ば前には1150記事に到達することも出来るように思われます。年内に無事1150記事に到達しましたら、いくらかは記事を作成、投稿しますが基本的には、しばらく記事作成を休もうと思います。

この時点においては未だ尚早であるのかもしれませんが『ブログは1000記事を越えてからが本番だ。』といった意見がありますが、これに関して自身は、その後100記事以上を越えていることから『ブログの本番とは何か?』については多少理解出来たのではないかとも思われるところですが、実際のところは何一つそうした感覚はなく、ただただ毎日何かしら書き続け、その中で時折、比較的多くの方々に読んで頂ける記事、あるいは、ある程度の期間にわたって読み続けて頂ける記事が出てくるといった感じです・・(笑)。

とはいえ、目標としていた1000記事の後に、さらに100記事以上作成し続けることが出来たことに関しては『まあ、そのくらいのことは出来るのだな・・。』といった感覚、そしてまた、体力と時間さえあれば2000記事くらいまでは続けることが出来るような感覚は自然に生じてくるようです・・。しかし、それでも自身にこうした文章を作成する才能があるとは、どうしても思われないのです・・(苦笑)。

そして、ここで『才能』というコトバが出てきましたが『では、私の才能あるいは取り柄は一体何であろうか?』と考えてみますと、他者評価による整合性を得ることが出来ていないため明言することは差し控えますが『やはり歴史や文学などをさまざまな手法を用い他者に対し口語ベースで語ること』ではないかと思われるのです・・。

これに関しては、おそらく、いくらかの素地のようなものはあり、そしてそれ以上に、その後の師匠筋が良かったのではないかと思われます。ともあれ、そのようなことから、私が自分の『才能』を生かしつつ努力し続けることの出来る職に就くことが出来るとすれば、その職は、何らかの医療専門職学科にて、その専門職領域と関連する歴史、文学などを複合させた教養科目を担当することではないかと思われます。くわえて、それと同時にさまざまな材料による試料の作成、そして就職支援などで、わずかではあるかもしれませんが寄与することが出来るようにも思われます。そして、こうした職をいくつかの大学にて(季節毎に)クロスアポイントメントで行うことが出来るようになれば、大変面白いのではないかと思われるのですが、さて如何でしょうか?

しかし、何れにせよ社会の成立そしてその発展のためには、もちろん科学技術は極めて重要であるのですが、それと同程度に、こうした『歴史や文学』もまた重要であることを、本格的に忘れかけてきているのが現在の我が国社会であり、また、それをどこかで認めているからこそ、昨今、さまざまなモノガタリ・アニメなどでタイムループ・転生ものが流行するのでしょうが、しかし、それらモノガタリ・アニメは、本当の『歴史や文学』を面倒くさい、堅苦しいものとして踏みにじり続けてきた我が国の社会が、その代替として生み出し、興隆したものであることから、それらから『歴史や文学』のエッセンスを学ぶことはおそらく不可能ではないかと思われるのです・・。

また、そうした状況に対し開き直り、そして半ばヤキになっているのが、昨今の我が国に見受けられるさまざまな国粋風の文化・活動ではないでしょうか?・・・いや、しかし、そのように考えてみますと、こうしたことは幕末期、昭和初期からも、現在と類似・同様の構造が見えるのではないかとも思われてきますが、さて、如何でしょうか?

今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!

~書籍のご案内~
祝増刷決定!
ISBN978-4-263-46420-5

医歯薬出版株式会社刊
~勉強会の御案内~
前掲書籍の筆頭著者である師匠による歯科材料全般、あるいはいくつかの歯科材料を主題とした勉強会・講演会の開催を検討されておりましたら、よろこんでご相談承ります。師匠はこれまで長年にわたり大学歯学部・歯科衛生・歯科技工専門学校にて教鞭を執られた経験より、さまざまなご要望に対応させて頂くことが可能です。

*上記以外、他分野での研究室・法人・院内等の勉強会・特別講義のご相談承ります。

~勉強会・特別講義 問合せ 連絡先メールアドレス~
conrad19762013@gmail.com 
どうぞよろしくお願いいたします!

数年前より現在までに日本列島各地・特に西日本において発生した、さまざまな大規模自然災害により被害を蒙った地域の速やかな復旧そして、その後の復興を祈念しています。
↑こちらもどうぞよろしくお願いいたします! 










20181121 徳島在住以降初めての新たな著作の読了から思ったこと・・

昨日乗っていた夜半の大阪発徳島行のバス車内にて、去る9月23日に徳島への転居以来はじめて購入し読み続けていた書籍(上巻)を読了しました。この著作は上下巻ものであり、本日より続きの下巻を読み進めていこうと思いますが、同時に徳島にて初めて新たな書籍を読了したことは、多少嬉しく感じます。

これは単なる個人的な偏見であるのかもしれませんが、書籍などを読みに際しては、あまり人口の多くないゆったりとした環境よりも、多少人口密度が高く、不快に思うか思わないかの瀬戸際あたりの環境の方が、集中して読むことが出来るように思われます。また、私はかねてより書籍を読むことは、どの地域に在住していても続けていたことから、読書時の環境については、それなりに考えてきたと云えますが、面白いことに、昔からあまり変わらない自分の習性として、首都圏に入ると書籍を読むスピードが有意に速くなります。

そして、この感覚あるいは現象をこれまで繰り返し感じてきたことから、さきに述べた『多少人口密度が高く、不快に思うか思わないかの瀬戸際あたりの環境の方が、集中して読むことが出来る』といった考えに至ったと云えますが、しかし他方で、自分の場合、より多くの書籍を読んだのは和歌山在住時であり、また(自分なりに)気合を入れてさまざまな書籍・論文等を読んだのは鹿児島在住時の頃でした。

そこから、あまり人口密度の高くない地方都市在住の時期であっても、それなりに多くの書籍を読んできたとは云えるのですが、ここで現在と異なることは、明確な目標の有無、そしてその目標への道程から、つかの間、自分を逃避させるための何かの存在といったことになります。つまり、当時の自身は目標を意識している時も、そこからの逃避をしている時も読書をしていたということになります。そして現在においては、自分で思い定めた学位の取得といったある程度重い目標はなく、それ故、そこからの逃避もまた必ずしも不可欠ではないことから、現今における読書は、見方によれば、自分のニュートラルな本質を示しているとも云えるのかもしれません・・。

それでも、仕事上での必要性以外で、毎日何らかの書籍は少なくとも何頁かは読んでいますが、徳島在住以降の全く新たな書籍の読了は、今回のこの著作であり、また、私見としてはこの著作は同著者前作の『サピエンス全史』と同様、かなり面白く感じられ、特に頁が進むにつれて、読み進む速度が増し、そして夜半いや真夜中といっても良い24時少し前の高速鳴門あたりのバス車内にて、この著作を読みおえた時は何やらよく分からない感慨が生じました(笑)。さらにそのすぐ後に、このバスが高速鳴門の停留所にとまり、ドアが開きますと、何やらベートーベンの第九交響曲のサビが聞こえてきました・・。書籍を読了した直後の余韻に耽っていた自分は、当初これを幻聴ではないかと思いましたが、よくよく考えてみますと、以前にもバスがこの停留所に停まった時も、同じ曲が流れていたことが思い出され、そこから、これは幻聴でなく、映画『バルトの楽園』で知られる坂東俘虜収容所がこの付近にあったことに因む選曲であることに気が付かされました・・。あまり知られていることではありませんが、我が国で最も著名と云っても過言ではないクラシックの楽曲ベートーベンの第九交響曲が日本で、いやアジアで初めて全曲演奏されたのは、ここ徳島県の鳴門市(かつては板野郡)であるのです・・。くわえて、それは今から丁度100年前、第一次世界大戦が終結した年(1918年)のことです。

今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
~書籍のご案内~
祝増刷決定!
ISBN978-4-263-46420-5

医歯薬出版株式会社刊
~勉強会の御案内~
前掲書籍の筆頭著者である師匠による歯科材料全般、あるいはいくつかの歯科材料を主題とした勉強会・講演会の開催を検討されておりましたら、よろこんでご相談承ります。師匠はこれまで長年にわたり大学歯学部・歯科衛生・歯科技工専門学校にて教鞭を執られた経験より、さまざまなご要望に対応させて頂くことが可能です。

*上記以外、他分野での研究室・法人・院内等の勉強会・特別講義のご相談承ります。

~勉強会・特別講義 問合せ 連絡先メールアドレス~
conrad19762013@gmail.com 
どうぞよろしくお願いいたします!

数年前より現在までに日本列島各地・特に西日本において発生した、さまざまな大規模自然災害により被害を蒙った地域の速やかな復旧そして、その後の復興を祈念しています。
↑こちらもどうぞよろしくお願いいたします!