2021年10月30日土曜日

20211030 ウンベルト・エーコの著作を読んでいて想起された別の著述家から・・

おかげさまで昨日投稿分の記事は、投稿翌日としては珍しいほどに、多くの方々に読んで頂けました。こちらを読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。そしてまた、これを機にウンベルト・エーコの著作に興味を持たれる方が少しでも増えれば良いと思います・・(笑)。

以前にも書きましたがウンベルト・エーコは、20年以上前に文系の師匠との雑談にて知り、その後、これまでに何冊か読んできましたが、その書きぶりからは、私の場合、どうしたものか、ロバート・グレーヴスの作品が思い出されるのです・・。そこで手近にあった、その著作である「さらば古きものよ」上巻を手に取り、しばし、読んでみますと、その書きぶりのおそらくは別の要素から、今度はジョージ・オーウェルの著作が想起されるのです・・。

また、このうちのロバート・グレーヴスの方も、さきの師匠とのやり取りを通じてその著作を知ったわけですが、こちらは就職して3年程経った頃、南紀白浜での勤務の際でした。当時、師匠は比較的頻繁にハガキや手紙などを送ってきてくださいましたが、その中には度々、師匠が執筆した書評、コラムあるいは別刷などが入っており、私の方は、そうしたものを分からないなりに、分かる部分を読んでいましたが、そうした冊子の中に別の方によるロバート・グレーヴス著「この私、クラウディウス」の書評があり、それを読み、そして当時、はじめたばかりのアマゾンを利用して当著作を購入しましたが、当時の私はこれを大層面白く感じ、これも、昨日投稿の記事にて述べた「ウンベルト・エーコの世界文明講義」と同様、外出にも持って出て、当時よく通っていた田辺市宝来町の「うどん そば あそこ」にて読み、そしてまた、合川ダムでのブラックバスの釣行の際にも濡れないようにビニール袋に入れて持って行き、ボートの上で、釣りの合い間に読んでいました・・。

そう、書籍が本当に面白いと感じはじめますと、自然、よく持ち歩くことになりますが、その点、現在では、比較的重いと云えるハードカバーの書籍を数冊、その他の荷物と一緒にデイパックに詰め、10㎞程度を歩くことは辛く感じられ、それが普通に出来ていた最後の時期は、鹿児島在住の頃であったと思われます。

当時は、デイパックに、ダウンロードした(歯科理工学関連の)英論文数編をバインダーにはさんだものをいくつかと、メモ帳と、何かのために常時持っていたフェイスタオルと、電子辞書と、そして書籍を何冊か入れており、その重さは10㎏近くはあったように思われます。

そして、週末になりますと、このデイパックを背負い、市電にて天文館まで出向き、多くの場合、照国神社の表参道沿いにあるドトールコーヒーの2階にある喫煙席にて、一人の世界に入り、さきに述べた、文献や書籍などをひたすら読み、夕刻前になりますと、店を出て、徒歩にて天文館から脇田、宇宿まで歩いていきました。

その後、千葉県市川市に戻りますと、首都圏ということもあり、とにかく人が多く、これは現在となっても、未だ苦手のままであるのですが、また、そうした地域にあっては、ハードカバーの書籍やバインダーに綴じた英語文献などを、喫茶店などで落ち着いて読むことが出来るような余裕や雰囲気は乏しいと感じられ、外では主に、ブックカバーを被せた文庫や新書などを持ち歩くことになり、重さの軽減も為されはしましたが、他方で、何だか自分が弱くなったようにも感じられました・・。

ともあれ、さきのロバート・グレーヴスもまた、ウンベルト・エーコと同様、文系師匠とのやり取りを通じて知ったわけですが、そうしたやり取りが続き、そこから私の方にて何やら自転運動のようなものが生じますと、徐々に、また自然と「これは院に進むべきではないか・・」と思い悩むようになり、そこから紆余曲折を経て現在の私に至ると云えますが、それでも、私の性質から考えてみますと、このルートにて「まあ良かった」のではないかと思われるのです・・。

しかし、そうであっても、もう少しは諸事良くなるようにも思われますので、今しばらく、1700記事程度までは当ブログを続けてみようと思います。

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

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2021年10月29日金曜日

20211029 現在読み進めている著作からの影響?

 先日来から読み進めている「ウンベルト・エーコの世界文明講義」は、ここ最近では珍しいほどに読書に身が入り、本日で230頁ほどまで進みました。ここ最近は、年齢のためであるのでしょうか、ハードカバー書籍を電車内にて読むことは、以前と比べ、少なくなりましたが、当著作については、身が入っているためかリュックに詰めて持ち歩き、電車での移動時にも読んでいます。

当著作については、過日投稿の記事にて述べましたが、著者の特徴的な「読ませる文章」で書かれ、さらに、その述べるところは、全体的に、さまざまな事象を低倍率(形而上的)にて観察しているような書きぶりではありつつも、それら記述に符合する具体的存在の図像等が豊富に示されており、さらに、読んでいる際に新たな興味深い発見があるのです。

事物を低倍率にて観察した際の文章は、おそらく多くは概要的となり、また同時に、抽象的になり易いとも云えます。あるいは、そうした文章は、一般的に「ベタな能書き的」なものになり易い傾向があると思われることから、そうであってもなお、その記述に惹かれるということには、やはり興味深く、新しい「何か」があるからであるように思われるのです・・。

さて、その「何か」につきましては、また後日に機会を見つけ、何らかのカタチの記事として作成・投稿出来ればと考えていますが、また、その意味からも、やはり、当ブログが現在に至るまで(どうにか)継続している背景には、私の場合、読書があるのだと云えます・・。

つまり、未だ判然とはしていませんが、読書の際に入っている精神のギアと、ブログ記事を作成している時のそれは、同一ではないにしても、似通ったものと思われ、双方行為を継続することにより、習慣的に、そのあたりに精神のギアが入れ易くなっていくのかもしれません。

しかし他方で、記事作成に関しては、慢性的にスランプ気味であると云えますが、そうであっても(どうにか)当ブログが続いていることの背景には、やはり、さきに述べたような事情があるのではないかと思われるのです・・。

また、そういえば、さきほど「低倍率にて観察した」と書きましたが、歴史などを検討するに際して、この「倍率云々」といった表現もしくは(まさしく)視座の置き方は、一般的ではないものの、いくらかは理解を助けるのではないかとも思われました。

ともあれ、さきのウンベルト・エーコの著作を読み進めている影響からか、上述のようなことを、あまり意識や躊躇せずに書くことが出来ているのではないかと思われるのです。さらに、ここ直近の数記事に関してもまた、その影響下にて作成されたものであると云えますが、これらについては後日、また何か新たなことが分かるようになるのでしょうか・・。

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

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2021年10月27日水曜日

20211027 記事作成の背景にある意欲と技術の関係について・・

昨日の投稿記事にて述べた「当初に作成した投稿記事の方が面白く、また、自分なりの主張が出来ているものが多いのでは」は、たしかにその通りであると思われ、さらに、現在読み直し、そこから新たな記事作成のアイデアを得ることも度々あります。

つまり、初期に作成した記事の中に、より個性的とも云える「何か」があるのだと云えますが、その「何か」とは、いくつかあるとは思われますが、それらで共通していることは、それまでの人生の記憶の中で、特に印象的と感じ、文章にしておこうと思い立ったものであるということです。たしかに、それらは比較的鮮明に記憶に残っており、さらに、その記憶に基づいて作成した文章を読んでみますと、その他の当時の周辺事情などもまた、付随して思い出されてくることもあります。そこから、あらためて記憶とは、なかなか面白いものであると思われました・・。

ともあれ、これまでのところを総合してみますと、ブログ当初の作成記事は、それまでの記憶の中から、いわば優先的に抽出されたものであることから、より印象的なものが多く、またそこから、新たな記事作成のアイデアを得ることもあり、これら文章化した自らの記憶から、さらに他の付随、関連する記憶が想起されることが度々あることは、これまでの継続的な文章作成の余禄のようなものと云えますが、しかし、これは案外と大事なことであるのかもしれません・・。

さて、この最後に述べた、自身が作成した記事を読み、その内容に関連する他の記憶が思い出されることは、これまで、自身による文章からは、明らかなものとして経験したことがなかったため、その価値、意味のようなものは、未だに分かりかねていますが、同時に、何と云いますか、ある種の身体感覚からは「これは少し大事にしておいた方が良いのかもしれない」と感じられるのです。

そしてまた、こうした変化、具体的には、自分が以前に作成した文章を読み、そこから、他の自作文章などが思い出されるようになったということは、ブロガーやツイッターなどの周辺環境がなければ、気が付くことは出来なかったと云えるのかもしれません。その意味で、私の場合、ブロガーと、それと連携するツイッターがあったからこそ、以前のブロガーのみの時期と比べ、自身の作成記事や投稿が、本当に人々に見られていることに、より意識が向くようになったのだとも云えます。

また、それ故に記事作成が多少辛くなったとも云えますが、それでも、記事作成当初から、閲覧者の存在が具体的に意識されるような環境であったならば、継続的な記事作成自体が困難になると思われますので、丁度、ここ最近の時期に、この変化の認識があったことは、いわば適切な頃合であったのではないかとも思われるのです・・。

さらにまた、1500記事到達以降からの慢性的な意欲の減退なども加わり、現今での記事作成は、かつて、1000記事到達直前(2018年5月末頃)の頃の勢いと比べますと、明らかに数段落ちており、あるいは軽量可能ではありませんが、感覚としては、半分以下程度であるように感じられます。

しかし、そうした勢いが減衰した先にある現在においても、どうにか記事作成が継続出来ていることは、やはり、さきの勢いの減衰を補うような「何か」があるからではないかと思われるのですが、それは6年以上にわたり、どうにか記事作成を継続してきたことにより、培ってきた文章作成の技術のようなものがあるのではないかと、現在に至っては思うのです。つまり、当初は意欲が技術を補い、それが徐々に双方所を変えて、技術が意欲を補うようになっていったという推移の様相が、そこにはあるように思われるのです・・。

また、こうした技術を用いて、以前に投稿した記事の内容をいくつか組み合わせた記事を作成することが出来ることも分かり、あるいは、そうしたものは、題材によるとは思われますが、現在作成している当記事のように、ほぼゼロからの記事作成とは、どうも作成の仕方が異なり、私からしますと、双方共に面倒ではありますが、既投稿記事をいくつか組み合わせた記事の作成は、未だ私としては、その作成手法が未だ珍しいと云えることから、またしばらく、慣れるまで点々と作成し投稿し続けたいと考えています。

後年、過去の作成記事内容を抽象化した「概念」をタネとして新たに作成された記事が重なり、さらに後年に至っては、それら重なった記事内容から抽象化された「概念」がさきの「概念」との比較が為されると意外と面白いかもしれません・・。

そういえば、先日投稿の記事にて「当初の頃に何度か言及した題材にて新たな記事作成をしたい」と述べていましたが、この題材は、これまでのブログの継続とも密接な関係があると思われることから、やはり、今しばらくは控えようと思います。

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

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2021年10月26日火曜日

20211025 読書とブログ記事作成のバランスについて

一昨日の投稿記事に出た「ウンベルト・エーコの世界文明講義」は、その後も主に就寝前にて読み進めています。また、この時間帯は同時に、ブログ記事作成に充てる時間帯でもあることから、充実して読書を進めようとしますと、他方のブログ記事作成の方が疎かになってしまうといった傾向が少なくとも私にはあるようです・・。

もっとも、当ブログを始める以前は、専ら読書一辺倒に近く、鹿児島在住時は週に1回程度、当時加入していた「ミクシィ」の日記にて何かしら文章を作成していましたが、それもあまり長くは続きませんでした・・。つまり「私は当ブログを始める前に類似したことを行っていた時期があったものの、それは長続きはしなかった。」ということになりますが、そうしますと、今回の私のブログは比較的続いている方であると云えます。むしろ、ここまで続けた能動的行為はあまりないと云っても良いのかもしれません・・。

しかし、もしも「読書」が、さきの能動的行為に含まれるとするならば、私の場合、この読書の習慣が背景あって、その上に当ブログの継続が為されているのではないかと思われるのです。

そしてまた、何故であるか分かりませんが、ある程度の年齢になりますと、読書という受動的要素が強い能動的行為ばかりを続けることが困難になるようで、それを続けるためには、他方で、受動的要素が乏しい能動的な行為もまた、何か続ける必要があるように思われるのです・・。そして、私にとってのそうした行為とは、当ブログであると云えます。

つまり、私の場合、読書と記事作成のバランスを取ることは、いつも(いつも)難しいのですが、しかしそれでも、これらのバランスの上に当ブログの継続があると云えますので、どちらかに偏しないように(引続き)意識して行きたいところです。しかし、困ったことに、これら二つのうちで楽しいのは、未だに読書の方であり、就中、比較的楽しく読み進めている時には、ブログ記事作成の方は、あまり気が進まなくなると云えます・・。

とはいえ、現在に至るまで、どうにか当ブログは続いていますので、それ以前の私と比べますと、比較的熱心には文章を作成するようになったと云えるところではあるのですが、あるいは何か工夫をしますと、何かしら相転移的に、さらに多くの文章を作成することが出来るようになるのではないかとも思われるのです・・。

もっとも、これは以前の経験に基づくものであり、これまでの記事作成の中で度々あったスランプの時期は、毎回スムーズな記事作成が出来ずに、あれこれとやっていくうちに、何とか記事作成が出来ていたと云え、そしてまた、現在もそれに近い状態と云えますが、それでも、どうにか自分を御して続けられていることから、やはり、何かしら記事の着想を得るための「センサー」のようなものと、それを文章として組み立てるような能力については、あるいは以前と比べると向上したと云えるのかもしれません・・。

そう、文章や文体などは、当初と比べ多少マシになった感覚はありますが、それでも、記事の着想や、述べられている考えなどについては、当初の記事の方が、より、良くも悪くも個性的なものが多く、現在の記事作成においても何かヒントを提供するものが、この頃の記事に有意に多いと云えます。

そしてまた、そうした当初の頃に、何度か言及してきた題材をもう一度用い、次の記事作成を行おうと考えています。

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

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2021年10月23日土曜日

20211023 中央公論新社刊 佐々木高明著「照葉樹林文化とは何か」 pp.44-48より抜粋

中央公論新社刊 佐々木高明著「照葉樹林文化とは何か」
pp.44-48より抜粋

ISBN-10 ‏ : ‎ 4121019210
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4121019219

 モチの次にスシの原型と考えられるナレズシが、やはり照葉樹林対とその周辺に次々と分布していることに注目してみよう。

 ナレズシは、日本では琵琶湖のフナズシによくその原型が残っているが、魚を開いて腹をきれいに掃除して塩をふり、その魚の切り身と炊いたり蒸したりした飯とを交互に重ねて、甕や桶の中に漬け込んだものである。半年ひど置いておくと飯が乳酸発酵してどろどろになるが、乳酸発酵で雑菌の繁殖が抑えられて、魚や肉の保存食となる。このようなナレズシをアッサムのシロンの露天市で、カーシー族の女性が売っているのをみかけたことがある。一包み買って開くと異臭が強く鼻をついて困ったほどだった。

 知られているかぎり、このカーシー族のものを西の端としてナレズシは点々とそれから東方に分布している。タイの中北部やラオスなどでは、川魚に塩をして、それと飯を交互に漬け込むナレズシが広く分布し、中国でも華南や江南地方の照葉樹林帯に住む少数民族のもとでは、今もナレズシをつくる慣行が広く残っている。私も貴州省東南部のミャオ族やヤオ族、トン族のところでナレズシが、今も盛んにつくられていることを確認している。(次頁のコラム参照)。このほか、カンボジアや北ボルネオ、あるいはフィリピンのルソン島など、照葉樹林帯以外の東南アジアの地域にもその分布が広がっているが、ナレズシの中心はあくまで照葉樹林帯とその周辺地域である。

 石毛直道氏はその著「魚醤とナレズシの研究」(1990年)の中で、塩をした魚に加熱した穀物(コメあるいはアワ)を混ぜて乳酸発酵させたナレズシは、魚醤(魚に塩を加えて発酵させた食品)に米飯が加わったものと考え、その起源は魚醤の利用のもっとも盛んなラオスと東北タイ一帯の水田耕作地帯と考えている。しかし、中国の湖南省(湘西のミャオ族)や台湾山地、中部日本(静岡県大井川上流域や岐阜県根尾川上上流域など)や朝鮮半島など、照葉樹林帯の周辺部には米飯ではなくアワ飯を使う古いタイプのナレズシが点々と分布している。そうしたことから、私はむしろナレズシは長江中・上流域の照葉樹林帯のアワを主作物とする焼畑地帯で起源して照葉樹林にまず拡がり、東南アジアへはドンソン文化の稲作などとともに南下したのではないかと考えている。いずれにしても、その起源について確定的なことはまだわからない。

コラム ミャオ族のナレズシ

中国・貴州省東南部のミャオ族の間では、今でもナレズシづくりが盛んである。そこでは、まず魚の腹を裂き、内臓を捨て、塩を魚の腹にすり込む。その魚の切り身を囲炉裏の上の火棚で半月ほどいぶしながら乾かす。その後、蒸したモチゴメに塩やトウガラシを混ぜ、それを魚の腹につめこみ、その魚の切り身を専用の密閉式の甕(48頁の写真参照)の中につめこんで密閉し、3~6カ月ほど発酵させる。魚は河川でとれる川魚を用いることもあるが、今は水田で養魚したコイやフナを用いることが多いという。

 凌純声氏らが戦前(1930年)に調査した湖南省西部のミャオ族では、軽く鍋の中で加熱処理した魚に塩を加え、数日間天日で乾かし、(炊くか蒸すかした)アワとよく混ぜて密閉した甕の中に1カ月ほど漬け込んだナレズシが盛んにつくられていた。また魚肉のほか、牛肉やブタ肉も塩をしたあと、コメの粉と混ぜて甕の中に密閉して発酵させて食べたという。

 また同じ貴州省のトン族やヤオ族では直径40~50センチほどの木桶の底に蒸したモチゴメを敷き詰め、その上に塩をした生の魚の切り身をびっしりと並べ、さらにその上に蒸し米と魚の切り身を交互に積み重ね、最後に蓋をしてその上に大きな重しを置く、というやり方でナレズシを今もつくっているという。このように加熱や燻製などの前処理をほとんど行わず、甕でなく木桶に漬け込むトン族やヤオ族のやり方や湖南省のミャオ族のコメでなくアワを用いる調理法などは、ナレズシづくりの古い形式をよく伝えるものとみることができる。

20211023 現在読んでいる著作から思ったこと(スマホを持たないことの効果?)

前回の記事投稿により、総投稿記事数が1640となっていたことを先ほど気が付きました。そうしますと、残り60記事の投稿にて、現在目標としている1700記事への到達となります。そして、これは、毎日1記事の投稿頻度の場合、2カ月程、つまり、年内での到達の目途が立つことになります。他方で、10月も残り少ないことから、出来るだけ投稿頻度を下げずに今後も続けたいと考えていますので、どうぞよろしくお願いたします。

さて、つい先日、スマートフォンを地面に落とし、少し破損してしまったことから、修理まであまり触らないように、携帯せずに置いておいたところ、これまでと比べて、少し調子が良く、読書が進んだことから、あるいは、私の場合、そこ(スマホを持たないことと読書の進み具合)にも何か関連があるのかもしれません・・。

しかし他方で、現在読み進めている一冊もまた、大変興味深いものであり、まさに「読ませる」のです・・。当著作は原作はおそらくイタリア語であると思われますが、それを和訳にて、ここまで「読ませる」のは、もちろん、訳者の力量も少なからずあるとは思われますが、やはり、大本にある著者の文体、コトバ使いなどに、何か「力」があるからではないかとも思われるのです・・。

ともあれ、当著者による作品は、以前に何冊か読みましたが、そこでも同様に、この独特の「読ませる」文章があり、今回の著作においても、以前のそれと通底する感覚がありつつも、新しい要素もあり、さらに当著作は、以前に読んだ話としての筋がある「小説」とは異なり、著者の見解、考えを幾つかの項目を立てて述べたものであることから、多少、観念的あるいは抽象的になりがちかと思うとそうでもなく、数多くの画像が図示されており、概ね納得しながら読み進め、さらには、これまでに読んだ記述の中にも既に、少なからず、興味深いものがあることなどは、さきの「スマホを持たないことによる効果」よりも、やはり著作が持つ惹き付ける面白さの方が(私にとっては)余程大きいのではないかと思われるのです・・。

しかしまた、今回読み進めている著作は400頁以上あり、ここ数日間のスマホをあまり触らない期間にて、120頁ほどまで読み進めることが出来ましたが、これは最近の自分としては、明らかに早いものであり、あるいは、以前の「薔薇の名前」と「プラハの墓地」の読書にて無意識に培った当著者の文章を読み進めるコツなどもあったのかもしれません・・。

そう、これまでの記述にてお分かりになったと思われますが、当著者とはウンベルト・エーコで、また、読み進めている著作は「ウンベルト・エーコの世界文明講義」であり、その中には、我が国のサブカルチャーの一面を理解する際にも応用可能な概念があるように思われました。

そういえば、はじめてウンベルト・エーコの著作を知ったのは、文系の師匠の研究室本棚に「薔薇の名前」上下巻があり、この少し奇妙な表紙絵柄の著作に興味を持ち尋ねてみたところ、物語概要を説明され、そして「・・それは、たしかショーン・コネリーが出演して映画にもなったよ。多分、この作品は大抵のお店に置いてあると思うから、興味があれば借りて視ると面白いかもしれないよ・・。」とのことであり、すぐにレンタルしてから、その後ほどなくして神保町の書店にて同著作上下巻の新古本を見つけ購入し、読んだのは現在から既に20年以上前のことになりました・・。

その後「永遠のファシズム」や「プラハの墓地」などを読みましたが、いずれも大変興味深い記述が多く、あるいは私見となりますが、その述べるところや、実証精神の発露の仕方などは、戦前の我が国の研究者とも相通じるものがあるように思われました。ともあれ、当著作につきましては、おそらくまた後日、記事題材にさせて頂くと思われます。

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

順天堂大学保健医療学部


一般社団法人大学支援機構


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2021年10月19日火曜日

20211019 株式会社河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田裕之訳 「21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考」 pp.182-184より抜粋

 株式会社河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田裕之訳 「21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考」

pp.182-184より抜粋
ISBN-10: 4309227880
ISBN-13: 978-4309227887

近代以降の世界で伝統宗教が相変わらず力を持っており、重要であることを示す最適の例は、日本かもしれない。1853年にアメリカの艦隊が近代世界に対して日本の門戸を開かせた。それに応じて、日本は急速な近代化に乗り出し、大成功を収めた。数十年のうちに、科学と資本主義と最新の軍事テクノロジーに依存する強力な官僚国家となり、中国とロシアを打ち負かし、台湾と朝鮮を領土とし、最終的には真珠湾でアメリカ艦隊を撃沈し、極東におけるヨーロッパ人による帝国主義支配を覆した。とはいえ日本は、やみくもに西洋の青写真をなぞったわけではない。日本は独自のアイデンティティを守り、近代の日本人を科学や近代性、あるいは、何らかの漠然としたグローバルなコミュニティではなく祖国に対して確実に忠実たらしめることを固く決意していた。

 その目的を達成するために、日本は固有の宗教である神道を日本のアイデンティティの土台とした。実際には、日本という国は神道を徹底的に作り直した。伝統的な神道は、さまざまな神や霊や魔物を信じるアニミズムの信仰の寄せ集めで、どの村も、お気に入りの霊や地元の風習を持っていた。19世紀後期から20世紀初期にかけて、日本は神道の公式版を創り出し、地方の伝統の数多くを廃止させた。この「国家神道」を、日本のエリート層がヨーロッパの帝国主義から学んだ、国民や民族という非常に近代的な考え方と融合させた。そして、国家への忠誠を強固にするのに役立ちうるものなら、仏教や儒教、封建制度の武士の気風のどんな要素も、そこに加えた。仕上げに、国家神道は至上の原理として天皇崇拝を神聖化した。天皇は太陽の女神である天照大神の直系の子孫で、自身も現人神であると考えられていた。

 一見すると、新旧のこの奇妙な組み合わせは、近代化の速習コースを受けようとしている国にしては、はなはだ不適切な選択に思えた。現人神?アニミズムの霊?封建制度の気風?これは近代の工業大国というよりも新石器時代の族長支配のように聞こえる。

 ところが、これが魔法のように効果を発揮した。日本人は息を呑むような速さで近代化すると同時に、国家に対する熱狂的な忠誠心を育んだ。神道国家の成功の象徴として最も有名なのは、日本が他の大国に先駆けて、精密誘導ミサイルを開発した事実だ。アメリカがスマート爆弾を実戦配備するよりも何十年も前、そして、ナチスドイツがようやく初歩的な慣性誘導式V2ロケットを配備し始めていた頃、日本は精密誘導ミサイルで連合国の艦船を何十隻も沈めた。このミサイルは、「カミカゼ」として知られている。今日の精密誘導兵器はコンピューターが誘導するにに対して、カミカゼは爆弾を積んだ通常の飛行機で、片道の任務に進んで出撃する人間の搭乗員が操縦していた。このような任務に就く意欲は、国家神道に培われた、命知らずの自己犠牲精神の産物だった。このようにカミカゼは、最新のテクノロジーと最新の宗教的教化の組み合わせを拠り所としていたのだった。

 知ってか知らずか、今日非常に多くの政府が日本の例に倣っている。現代の普遍的な手段や構造を採用する一方で、伝統的な宗教に頼って独自の国家としてのアイデンティティを維持している。日本における国家神道の役割は、程度こそ違うものの、ロシアでは東方正教会のキリスト教が、ポーランドではカトリック教が、イランではシーア派のイスラム教が、サウジアラビアではワッハーブ派のイスラム教が、イスラエルではユダヤ教が担っている。宗教はどれほど古めかしく見えたとしても、少しばかり想像力を働かせて解釈し直してやれば、いつでも最新テクノロジーを使った装置や最も高度な現代の機関と結びつけることができる。

20211018 本日多く読んで頂いた記事の傾向から思ったこと

おかげさまで一昨日の投稿記事「10月14・15日投稿の2引用記事の投稿経緯について・・」も投稿後2日としては、比較的多くの方々に読んで頂けました。これを読んでくださった皆さま、どうもありがとうございます。そして、本日については、また書籍からの引用を以て充てようと考えていましたが、やはり「自分で書くことが出来る時は、自分が書いておこう。」と思い直して、さきほど来より記事作成を始めた次第です。

さて、本日に関しては、どうしたものか「才能」について扱った記事が比較的多く読んで頂いていましたが、才能については、たとえば運動の才能などは分かり易いものと云えます。

また、それとは趣が異なりますが、自然科学分野での才能も比較的分かり易いのではないかと思われます。しかしそれは、その専門分野を話題としている時であり、当該分野以外の、いわば他愛もない雑談の中からは、なかなか分かり難いのではないかと思われます・・。

つまり、自然科学、理系分野での才能は、その専門分野について語り、述べている時に分かり易いのではないかと思われます。

一方、これが人文社会科学、文系になりますと、上記ほどには分かり易いものではなく、ある程度の期間、その述べるところを聞いてみないとよく分からないのではないかと思われるのです・・。

以前、歯系院に在籍していた頃、周囲の方々に人文社会科学ネタの話題を振ってみても、ウケは良くなく、さらには、私が何か出まかせ、適当なコトを云っているのではないかとも思われていたようです・・。ある時、実験室か休憩室にて、そうしたハナシ(たしか日本近現代史ネタ)をしていますと、その場におられた先輩院生が突如、その話した内容の真偽をネットで調べ始め、そして、私に質問を振ってこられました。その質問内容は、特に難しいものではなく、間違ってはいないと思われる返答をしますと、しばらく考えた後に「うーん」と唸り、続けて「なるほどぉ・・」と納得されたようでした・・。こうしたことは歯系院在籍の頃は最後の最後まで度々ありましたが、幸運であったのは、この時の周囲の方々の多くは、私が話す人文社会科学ネタが、そこまで荒唐無稽なものではないようだと納得されると、半ば悪意的あるいは挑発的に論うことはなくなっていったことでした。・・。多分「たしかにコイツは少しおかしいけども、人文系のことについては多少は知っているようだ・・。」といった感じになったのではないかと思われます・・(笑)。

そしてまた、実験や研究については、また別の言語世界がそこにはあるのです・・。その中で、私などはバイオ系の知識などはほぼ皆無であり、歯科材料の専門家とされる歯科技工士ではあるのですが、その背景にあるものは、なんだかよく分からず、そこでは(ほぼ)評価の仕様がない、人文社会科学分野の知識であり、そこから、私はどうも変に理屈っぽく、扱い難い存在であったのかもしれませんが、他方で、私はかつて団体球技の運動部に所属し、また一応社会人として5年間を過ごし、また、歯系院での研究室の方々は、教授をはじめ、そうした話題を研究分野以外のものとしてハナから認めないといった(閉鎖的な)方々ではなく、理があり、背景知識がそこまでおかしなものでなければ、興味を持って聞いて下さり、現在考えてみますと、概して良心的で鷹揚な方々であったのだと云えます。

しかしそれでも、2013年の学位審査の頃は、それまでに蓄積された「何か」によって、おかしくなっており、ある一歩を踏み外すと、これまで培ってきた人文社会科学分野での知識も雲散霧消してしまうといった強い感覚もあり、そうした中「お前はこれまで学位取得のため、指導教授がいなくなってからも一人でやってきた。そしてここで上手く行けば、この分野の教員にもなれるかもしれない・・。しかし、そうなったら、これまでお前が好んで学んで来た人文社会科学分野の知識はなくなるであろう・・何しろ、そんなものは、この分野の教員には必要ではないし、また、専門分野以外のことを変に知っていても、それは本業の分野を圧迫することだろう・・。」といった、それまでの生活で培った、いわば、その世界での常識といった意見も反芻され、あるいはそれなりにアブナイ状況であったのかもしれません・・。

そして、どうにか学位取得は叶いましたが、そこからは今現在に至るまで、さきに述べたような精神的危機のような状況はありませんでしたが、同時に、自分の無能、非才振りからの鈍痛を感じるような日が多く、また、そうして徐々に弱くなっていく自分が認識され、そこからもまた、落ち込み、鬱気味になることが多く、そうした時には「指導教授さえ退職にならなければ・・」と、り場の無い「怒り」が湧いてくることがあり、これは未だに意識して抑えないと、さらに沸々と沸いてくるようです・・。

しかしながら、そこで不図思い出されたのが、以前の投稿記事にて述べていた

「そういえば、S教授には、同じ研究分野にて着実に地歩を固めつつある若手の後継研究者と云われるような存在はなく、むしろ逆に、この研究分野、いやS教授のもとで学位を取得されると、どうしたわけか、より素の自分に近いと思われる研究分野へと進まれて行くといった不思議な傾向があるように見受けられた・・。」

そしてもう一つが

「去る7月24日投稿分の「【架空の話】・其の67 【モザイクのピースとなるもの】」のなかで、登場するS教授について「S教授には若手の後継研究者とされる存在はなく、むしろ、その研究室で学位を取得すると、その先は、それぞれ、より御自身の素に近いと思われる分野に進んでいくといった、何やら不思議な傾向があるように見受けられた。」といったことを述べましたが、これは、私の歯科理工学分野の師匠を思い出し、モデルとしたものであり、たしかにその弟子筋の先生方を思い返してみますと、今現在、同じ研究分野に残っているのは皆無ではないもののごく少数であり、他の多くの先生方は違う研究室に在籍されているか、開業医・勤務医になられているかの何れかであると云えます。しかし、今現在、研究室にはいないからといって、活性が低くなっているかと云うと、そうでもなく、それぞれ、やはり御自身の得意とするところを活かし、ご活躍されておられると聞き及んでいます。そして、ここまで書いていて思い出されたことは、何らかの行動により、その人の才能が分かるといったことが時折ありますが、これを初めて感じたのは在鹿児島の頃でした。あるいは当時、ストレスにより少し過敏になっており、他者の行動の一つ一つが気になっていたのかもしれません。ともあれ、それと同じ頃に「何かこの人はスゴイな・・」と感じ始めるようになったということには何らかの関連があるように思われ、そして、それを生じさせているものは「内面での葛藤」であると思われます。」

でしたが、これらを視座として考えますと、私の場合は、これまで、どうにか続けてきた当ブログこそが「自身の得意とするところを活かし・・」であったのではないかとも思われるのですが、もし、そうであるとしますと、さきの「指導教授さえ退職にならなければ・・」とは、むしろ逆に、実はこれがあったからこそ、当ブログを続けることが出来ているのだとも云えてしまうのですが、果たして、そのあたりはどうなっているのでしょうか・・。

「人間万事塞翁が馬」なのでしょうか?

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

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2021年10月16日土曜日

20211016 10月14・15日投稿の2引用記事の投稿経緯について・・

おかげさまで、去る13日投稿分の「既投稿記事をいくつかまとめたもの⑩」も、その後比較的多くの方々に読んで頂けました。これを読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。さて、当記事を投稿の後、床に就き、翌朝、目が覚めて、まだ少しボンヤリとしている時に、おぼろげながら「昨日の記事に書いた白良浜で紀州鉈を手にした職人の方々を見て驚いたのと類似した感覚は、司馬遼太郎による、どこかの短文にもあったと思うが・・。」といった意見が浮かんできました。

この意見は、もちろん私自身のものではありますが、同時に、私の中の第三者のような何かからの意見のようでもあり、少なくとも、ここで文章を作成している主体としての私は、そうした意見は持っていなかったと云えます(大岡昇平の「俘虜記」の冒頭近くにそうした記述がありました。)。ともあれ、この意見をしばし検証してみますと「かなり以前に購入した司馬遼太郎による中公文庫版「歴史の中の日本」の中に終戦直後の頃、山伏のことを見てビックリしている占領軍のことが書いてあったような・・。」といったことがさらに明瞭に思い出され、さらに、それはブログ記事の題材にもなり得ると考えて、後刻、その著作を思い出せるようにと、卓上のメモ紙に「歴史の中の日本」、司馬遼太郎と走り書きをしておきました。そうして身支度も終えて家を出たわけですが、帰宅後にPC前に置かれた、このメモ紙を見て「ああ、そうだった。今日はこの文章を引用して記事にするのだ。」と思い出し、当著作の置いてある場所を思い出し、そして、取り出してから記事作成に取り掛かったわけですが、こうした経緯があることもまた、それはそれで記事題材になり得ることから、私にとっては、面白いと同時に貴重なものであるとも云えます・・(笑)。

さて、そしてその翌日もまた書籍(ちくま新書 小泉悠著「現代ロシアの軍事戦略」)からの引用記事でしたが、もともと、この日、10月15日は、記事作成をしないでおこうと考えていましたが、不図、就寝前に観ていた動画ニュースにて、はじめて「ハイブリッド戦争」というコトバが使われていることに気が付き、この未だ比較的珍しいと云えるコトバの説明が、さきの著作内にあったことが思い出され、当著作はすぐに思い出せる場所に置いてあったことから、頁を開いて、該当記述部を見つけ、既に時刻も遅かったことから、すぐに引用記事として作成・投稿しました。

こうした経緯もまた、微細ながらも世相の推移を示すものであり興味深いものと云えます。そして、ここ2日間の投稿記事の経緯について述べ、そこから、書籍からの引用も大事であるとは思われましたが、他方で、一連の当ブログに関しては、やはり、自分の文章で作成した記事を主軸とした方が良いと思われることから、ここに、そのことを述べた記事を作成することにしました・・。

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

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20211015 筑摩書房刊 ちくま新書 小泉悠著「現代ロシアの軍事戦略」 pp.60-62より抜粋

筑摩書房刊 ちくま新書 小泉悠著「現代ロシアの軍事戦略」
pp.60-62より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4480073957
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4480073952

ところで、「ハイブリッド戦争」という言葉は、ウクライナ危機に際して発明されたものではない。この言葉を最初に用いたのは米海兵隊のジェームズ・マティス中将(のちにトランプ政権下で国防長官を務めたことで知られる)と米海兵隊退役大佐のフランク・ホフマンであった。

米海軍の機関紙「プロシーディングス」に掲載された2005年の論文「将来戦ーハイブリッド戦争の台頭」(Mattis and Hoffman 2005)で両名が主張していることを、筆者なりに簡単にまとめてみよう。

 両名が第一の前提とするのは、戦争の相手は独自の創造性を持った人間なのだという点である。したがって、米国が通常型の軍事力で今後とも世界最強の地位を維持するのだとしても、米国の敵が「我々のルールでプレイしなければならないということはない」。むしろ、米国の敵は在来型軍事力の劣勢を挽回するために、テロやゲリラ戦といった多様な手法を駆使して小さな戦術的成功を積み重ね、そのために、テロやゲリラ戦といった多様な手法を駆使して小さな戦術的成功を積み重ね、その効果をメディアや情報戦によって増幅するといった「非在来型」の方法に訴えてくる可能性が高い。

また、こうした事態は単独で発生するとは限らず、国家間戦争と同時に発生したり、その最中にサイバー攻撃に対処したりしなければならなくなるかもしれない、と両名は述べる。つまり、ここでマティスとホフマンが指摘している将来戦争の形ーハイブリッド戦争ーとは、古典的な戦争概念に当てはまらない方法を含めた、多様な主体と手法を混合(ハイブリッド)したものということになろう。

 当時、マティスとホフマンの念頭にあったのは、イラクやアフガニスタンでの対テロ戦争や、いわゆる「ならずもの国家」との戦争が複合的な様相を呈するような事態であったと思われる。両名の論文が発表された後、米陸軍の野外教範3-0C・1「作戦」には「ハイブリッド脅威」という概念が初めて盛り込まれたが、これは「非集権的でありながら我が方に対して結束し、従来は国民国家が独占していた能力を有する正規、非正規、テロリスト及び犯罪グループの組み合わせ」と定義されており、多様な非国家主体の連合体が想定されていたことがわかる。

 いずれにしても、2014年にロシアがウクライナに対して行った介入が「ハイブリッド戦争」として理解されたのは、その前提となる文脈が西側の軍事思想家たちの間に存在していたためであった。つまり、次世代の戦争は主体と手段の混合を特徴とするに違いないという議論が、ロシアの軍事力行使が持つ様々な側面の中から、そのハイブリッド性を特に際立たせる効果をもたらしたのである。

2021年10月15日金曜日

20211014 中央公論社刊 司馬遼太郎著「歴史の中の日本」内「山伏の里」pp.285-287より抜粋

中央公論社刊 司馬遼太郎著「歴史の中の日本」内「山伏の里」pp.285-287より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4122021030
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4122021037

昭和23年の夏だったか、京都の円山公園に異様な装束の人物があつまっていた。むろん、この集会は、当時の進駐軍司令部の許可はえられていたが、末端の兵たちは、かれらが何物であるかを知らず、その集団を目撃したどのアメリカ兵の表情にも、きみわるげな恐怖のいろがあった。

ある兵は、この異様な服装のひとりにカメラをむけようとしたが、その男が不意にふりかえったために、カメラを落として逃げ出したりした。たまたま居あわせた私に、ひとりのアメリカ兵がツバをのみながら、「あれはサムライか」「ちがうヤマブシという連中だ」かれらは、4、500人もいた。山伏の総本山である京都の聖護院門跡が、戦後最初の峰入り(門跡が全国の山伏を引率し、かれらの聖地である大峰山に入る行事)をしたときのことであったように思う。

どの山伏も、戦前から大事に保存してきた正装をつけていた。頭にトキンをいただき、ケサ、スズカケをつけ、金剛杖やシャクジョウを地につき、なかにはホラ貝やオノをもった者もあり、門跡はたしか、馬上で帯剣していたような記憶がある。

日本全体が、アメリカ人や第三国人に対して、負け犬そっくりの気持におちいっていた当時だったから、この異様な集団は、目のさめるほどの力動感を我々にあたえた。むろん、アメリカ兵は、もっとおどろいたことだろう。かれらは、山伏群を遠まきにして近よりはしなかった。

かれらの目からみれば、この装束は、いかにも悪魔的にみえたはずである。

これは私の想像ではなく、悪魔的というのは、すでに天文18年(1549)7月、九州にやってきたスペインの宣教師フランシスコ・ザビエルが、はじめて山伏をみて目をみはり「これは悪魔だ」とローマ法王庁にかきおくっているのである。

私は、13歳のとき、叔父に連れられて大峰山にのぼった。叔父はべつに山伏趣味はなかったらしいが、大峰山がよほどすきだったらしく、それまでに何度ものぼっている。

「どうや、ええ山やろ」

と、かれは1日7里行程の登山を私にしいたうえ、山腹の洞川という町の安カフェーで、私にビールをのませた。そのカフェーには、山伏がいっぱいいた。私はかれらの「悪魔」的装束はこわくなかったが、ビールをつぐ女給の首すじがオシロイでまっしろになっているのがひどく気味わるかったのをおぼえている。

それが病みつきになって(といって、カフェーやビールの味でもなく)私は、それから四度ばかり大峰にのぼっている。

2021年10月14日木曜日

20211013 既投稿記事をいくつかまとめたもの⑩

おかげさまで一昨日投稿の記事は、投稿後二日としては、思いのほか多くの方々に読んで頂くことができました。当記事を読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。また、そこから考えますと、私の作成記事の多くは、西南日本に在住していた期間の記憶に基づいて作成されたものであると云えますが、とりわけ、和歌山での記憶は、私にとって初めての西南日本での在住経験であったことから、鮮烈に覚えているものが多く、それは日常生活の中で、何かしらの違和感を感じるようなことから、意識が惹起され、そして記憶されるといった流れがあったように思われます。

たとえば、現地の方々が日常的に使っている道具から、それが意識されることがありましたが、そのような道具のなかで、強く印象に残っているのが、当地特有の形状をした「紀州鉈」と呼ばれるものであり、私が南紀白浜に住み数カ月経ち、本格的な観光シーズンに入る前に、勤務ホテル近辺の白良浜の掃除を私を含む何人かの従業員で行っていた際、同時に、おそらくは町から依頼を受けた植木屋さんであると思われますが、本職らしい方々がいらっしゃいましたが、彼等が手にしていたのが、当時の私としては奇妙なほどに柄が長いと感じられ、鉈とも槍とも云えるような刃物(紀州鉈)であり、後になって知りましたが、この形状および類似する形状の鉈は、西南日本を主とした西日本一帯にて広く用いられているとのことでした。

しかし、当時の私は、地下足袋に脚絆を巻き、作業ズボンをはき、赤黒く日焼けされた方々が使い込まれたと思しき紀州鉈を各々手に持ちつつ雑談をされている様子を見て、何と云いますか、過去の時代にタイムスリップをしたような感じを受けました。たしかに、現在においては、昼間の屋外で、大きな刃物を持たれた方々が雑談している光景を見ることは極めて少ないと思われますので、その感覚は現在においても、特におかしいとは思われません・・。

こうして、自分の中で違和感、疑問が生じ、その後、機会を見つけて、この「鉈」についての情報を仕入れ、そして、さらに、その背景を徐々に理解していくわけですが、この時(2001年)受けた違和感は、数年後の修士課程院生の頃に某冊子に記事となって載りました。残念ながら、その記事のデータは現存しませんが、そのなかでゲオルグ・ジンメルによる記述を援用し、紀州鉈の特徴について述べていましたが、あの当時もまた多少奮っていて、おかしくなっていたのかもしれません・・(苦笑)。

ともあれ、この特徴的と云える紀州鉈の形状は、大きくはヒツ鉈と分類され、「ヒツ」と呼ばれる、刃に対してオフセットに取り付けられたソケット部位に木柄を差し込み、鉈として用いるわけですが、この形状の鉈は、関東をはじめ東日本ではあまり見受けることは少なく、その多くは、西日本、とりわけ西南日本にて多く見られます。

また、我が国の武器として、これに近いものは、平安時代から室町期を通じて北部九州地域にて主に用いられた「筑紫薙刀」と呼ばれるものであり、この武器も刃部に対してオフセットになっているソケット部(ヒツ)に木柄を差し込む構造となっています。

くわえて、紀州鉈と類似した形状のヒツ鉈は、現在の九州地域においても広く見られ、あるいは殆ど同じとも見受けられるものもありますが、こうした事情の背景には、古くから、樹々の伐採など林業に従事する方々は、木の国たる紀州和歌山と、樹々が良く育つ日向の国の宮崎や、同様に多くの森林を擁する土佐の国、高知を往来していたと聞き及んでいたことから、その過程にて、山林業や伐採などに用いられる、こうした道具も自然に伝播していったのではないかと思われます。

そしてまた、そうした交流ルートが古くから存在したからこそ、それに乗り、すぐれた漁法や、醤油・鰹節の製造法や、火縄銃などの武器が列島各地に齎されていったのだと云えますが、同時に各地には、微妙な相違がある、それぞれの気候風土の中で育んできた文化から生じる「好み」のようなものがあり、それに適応・適合しつつ、局地的な展開(発展)を遂げて行ったのだと思われますが、そうしますと、ここで不図、何故か「ガラパゴス化」というコトバが思い出されてきました・・。

ともあれ、このあたりでまた、さきの投稿記事にて述べました、乳酸発酵による酸味や柑橘による酸味を嗜好する文化と、これまでに述べた「ヒツ鉈」の文化に親和性があり、それを接合出来るのではないかと思われてきましたが、それにつきましては、また別の記事にて述べさせて頂きたいと思います。

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

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2021年10月12日火曜日

20211011 既投稿記事をいくつかまとめたもの⑨

週末は思いのほかに忙しかったことから、新規の記事作成は行いませんでした。一方で、出来るだけ早く、次の目標としている1700記事に到達するためには、記事作成を行った方が良いと思われることから、本日は、つい先ほどから記事作成をはじめました。

さて、最近のニュースで知ったことですが、丁度この時季の味の風物詩と云える秋刀魚が、今年は豊漁とのことであり、秋刀魚を含む青魚全般が好きである私としては喜ばしいかぎりと云えます。

青魚と云えば、和歌山県在住時に青魚を材料とした郷土料理である「なれずし」や「はやずし」を時折食べていましたが、これは現在の一般的な「寿司」とは異なり、あるいは、その「寿司」の祖型に近いものであると云え、さらに視野を広くしますと、東アジアの南方地域にて特徴的な「照葉樹林文化」に含まれる食文化の一つであるとも云えます。

もともと温暖湿潤と云える当地域の自然環境は、発酵食品をつくるのに適しており、さきの「寿司」もまた、その元祖は保存可能な発酵食品であり、和歌山の「なれずし」は、そのカタチを今に遺す興味深い食品であると云え、現地に訪問の折には、実際に召し上がってみる価値はあると考えます。

とはいえ、この「なれずし」は、西洋化された現在の我々の味覚からしますと、食べ慣れない味といえ、米飯と鯖と塩のみを材料とした棒寿司様のものを樽に漬け込み、乳酸発酵によって自然の酸味が(まさに)醸成されたその味わいは、酢飯によって、その(自然の酸味)名残りを留める現在の握りずしとは、明らかに異なり、好き嫌いは割合顕著に分かれるものと思われます。

また、この和歌山の「なれずし」は、県内地域によって用いる魚が異なり、市内から御坊あたりの中紀までは鯖が主流であり、これが南下して紀伊田辺あたりにまで行きますと、変わって冒頭の秋刀魚が主流となり、そこから、半島東側の紀伊新宮あたりまでの半島南端地域一帯は、概ねそうであると云えます。

これはおそらく、地域と海流との関係によるものと思われますが、外洋を流れる黒潮こと日本海流に接する南紀地域では、秋刀魚が主流となり、他方、周防灘、伊予灘にはじまる瀬戸内の東端に位置し、外洋へと通じる地域と云える紀伊水道の紀州側地域である中紀以北では、鯖が主流となります。

そういえば、半島東側の紀伊新宮に出自を持つ詩人・作家の佐藤春夫による「秋刀魚の歌」という詩があり、その中で「焼いた秋刀魚を食べる際に、まだ熟していない青い蜜柑を絞って汁をかける」と書いていましたが、この食べ方も案外と古く、さきの乳酸発酵による「なれずし」によって魚の味と酸味が混ざった味わいを知ってから、こうした焼き魚の食べ方を偶然に発明したのではないかと思われます・・。

また、ここまで書いていて思い出しましたが、紀伊新宮、那智勝浦周辺の民俗を扱った書籍に「当地域の漁民は、家の垣根(暴風除けにもなる)に蜜柑などの柑橘の樹を植え、漁に出る際に、その垣根の樹から柑橘の実をもいで持って出て、沖合の船上にて、捕れた魚による食事を摂る際に、その柑橘の実を絞って食べていた」といったことが書かれていましたが、これもまた、さきの佐藤春夫の歌にあった秋刀魚の食べ方と同根であると思われます。

そしてまた、ここから先が少し想像が飛躍するところではあるのですが、それにつきましては、また別の機会に述べたいと思います。

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2021年10月8日金曜日

20211008 株式会社光文社刊 大西巨人著「神聖喜劇」第一巻 pp.244-246より抜粋

 株式会社光文社刊 大西巨人著「神聖喜劇」第一巻

pp.244-246より抜粋

ISBN-10 ‏ : ‎ 4334733433
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4334733438

われわれは、教育期間中に数回、堀江隊長の精神訓話を聞かされた。その精神訓話は、すべて「勅諭」の無味乾燥な祖述、月なみな忠君愛国説話であった。「一つの誠心」という語句が、たいそう彼の気に入っていて、精神訓話のおりにも、そのほかのおりにも、彼は、バカの一つ覚えのようにその語句を反復力説していた。この「一つの誠心」の出典もまた「勅諭」であって、そこには「右の五カ条ハ軍人たらんもの暫も忽にすべからず。さてこれを行ハむには一つの誠心こそ大切なれ。抑此五カ条ハ我軍人の精神にして一つの誠心ハ五カ条の精神なり。」と書かれていた。

 ある日の精神訓話中、めずらしいことに堀江隊長は、「君がためいのち死にきと世の人に語り継ぎてよ峯の松風」という和歌一首を感慨無量の朗詠調で引用してから、「この歌を作ったのは誰か。答えられる兵は、手を挙げよ。」と求めた。しばらく誰も手を挙げなかったが、さらに堀江隊長が「誰もおらないのか。誰かおるだろう?」とうながしたあと、やがて谷村「帝大出」二等兵が、名告り出て、「「万葉集」の大伴家持であります」と臆面もなく言明し、堀江隊長は、「む、そのとおり「万葉集」、尊王攘夷の忠臣の歌じゃ。」とこれまた臆面もなく谷村の答えを確認した。幕末の一志士が残したその短歌に多少の愛着を持っていた私は、ひとしお彼らの問答が愉快でなかった。

 こういうふうに、堀江隊長の精神訓話は、くだらなかった。しかし、ただ一つだけ、第一回の精神訓話において、彼が開口一番「軍人は死してのち「おのれ」である」と引導を渡すように断定したのを、私は肝に銘じた。彼は、その後の精神訓話時にも何度かおなじ言葉を口に出したけれども、それに直接の注釈を加えようとはしなかった。私は、彼の低級陳腐な精神訓話一般中で特別例外的に神妙独自なその警句の意味をあれこれと思案し、結局それを「没我」とか「滅私」とかにかかわらせて解釈した。・・・(義は山嶽よりも重く死は鴻毛よりも軽しと覚悟せよ。」とは「勅諭」の説くところである。軍人には「私」も「おのれ」も存在するべきではない、軍人は死んでのち初めて「自己」を問題にすることができる、軍人は生きている限り滅私無欲の忠節を尽くさねばならない、-そういう内容に、彼は、「死してのち「おのれ」」という非凡な詩人表現を与えたのであろう。・・・私は、それでもまだちょっと変な気がしながらも、そのように無理納得をしていた。

 私は長い間だまされていたのであった。そのうち私は、堀江隊長がわれわれ以前の入隊兵たちにも年来その文句を授けてきたという事実を(神山、村崎その他から)おいおい聞き知ってもいた。ところが、教育期間の後半、三月二日(月曜)の精神訓話時に、堀江隊長は、その警抜な金言をみずから訂正した。「いつぞや隊長が「軍人は死してのち「おのれ」である。」といったのは隊長のあやまりであったから、ここに訂正する。あれは「軍人は死してのちやむである。」と言うほうが正しい。いいか。」と堀江隊長は、いかめしく宣言したのである。堀江隊長は、ただ「死してのち已む。」ないし「死而後已。」の「已」を「己」と取り違えていたに過ぎなかったのである。かつて彼は、書物の中か何かで、その文句を見たのでもあったろうか(私は、「曾子曰ク、士ハ以テ弘毅ナラザルベカラズ、任重クシテ道遠シ、仁以テ己ガ任ト為ス、亦重カラズヤ、死シテ後已ム、亦遠カラズヤ。」を思い出したが、堀江隊長が「論語」を読んだ、とは私に信ぜられなかった)。その時期どういう内情が彼の長年の蒙を啓いたのか、私は知り得なかった。その無知無学の所産からまんまと一杯食わせられていた私自身も、なにしろ好い面の皮であったのであろう。

20211007 本日の書店での立読みと物色から思ったこと・・

10月に入り首都圏もさらに秋めいてきましたが、本日は久しぶりに都心の大型書店に出向き、しばし、立読みを伴う書籍の物色をしてきました。そうしたなか、偶然に面白そうな書籍を手に取り見つけた時は、現在でも気分が高揚するものであり、そしてまた、それは何と云いますか、その時の自分の心持ちによって(気分が高揚する)対象となる書籍の種類が変わることから、果てが見つからず、また、どうも飽きがこないようにも思われるのです・・。

ともあれ、考えてみますと、私はこの行動をこれまでに、どのくらいの期間続けてきたのでしょうか・・?それはおそらく、本格的に書籍を読むようになった大学院修士課程の頃からであると思われますので15年程度になると云えます。

そして、この行動はその後、何処に住んでいようとも、あまり変化することはなく、また、地域によっては、大規模書店に出向くことが、それなりの距離の散歩にもなっていたことから、この立読みを伴う書籍の物色は運動ともなって、心身の健康にも幾分かは寄与したのだと云えます。

くわえて、本日に関しては、スマートフォンを自宅に忘れて出て来てしまったため、久しぶりに、スマホの検索機能に頼らず、手にした書籍の情報を入手する必要性が生じましたが、大変面白いことに、検索機能に頼らず、自ら頁を広げ、その書籍の吟味をしている時の方が、得られる充実感は大きいと感じられました。

そういえば、当ブログをはじめた2015年の頃、私はスマホを所持しておらず、そしてまた、当ブログの過去の複数記事にて、スマホの危険性を述べていたことがありましたが、たしかにそれは、少なくとも全面的な間違いではなく、また、ある程度普遍的なことであるようにも思われました。そしてまた、その感覚を受けたあとに電車に乗り、車両内を眺めてみますと、目に付く乗客の半分程度がスマホ画面を見ていることに、ある種の驚きをもって気が付かされるのです・・。

とはいえ、おそらく、そうした機器をより多くの人が持つことによって、社会全体にとって有益なことも少なからず生じるとは思われるものの、他方で、さきの述べたような、ある種の情報の入手、および能動的な価値判断のもとになる「感覚」の知覚ついては、その機能を退化、減衰させるような性質もまた、あるように思われるのです・・。

そうして、これまでのスマホを用いた書籍情報の入手の仕方が、それ以前と比べて安逸であり、あまり感覚に訴えないものになってしまっていたことを悟るわけですが、それでも、今後もやはり、必要であれば、スマホの機能を用いるものと思われます。しかし、その頻度などを意識して出来るだけ変えて行きたいとも思いました。我々には、ある道具の使用法に慣れますと、それに馴染んでやがては始終使うようになるといった性質(福沢諭吉の云う「惑溺」にも近いものであるのでしょうか?)もあると思われますので、こうしたことをあらためて考えることにも意味があるのではないかと思われました。

しかし、以前にスマホの危険性を述べておきながら、その本人が数年後には、そうした状態に普通に浸かっていることは、恐ろしくもありますが、同時に何だか滑稽にも思われます・・。

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。
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2021年10月5日火曜日

20211004 これまで続いたブログ記事作成について思ったこと

仕事を終えてからすぐに犬の散歩に出かけ、その帰りに食材を購入し、帰宅し、夕食をつくり食べますと、大体20:30は過ぎていることが多いようです。そして、一休みしてから記事作成を始めようとしますと、面白いことに、日中に思い付いたことや散歩の途中にて考えていたことが、あたかも逃げ水のように消えてしまっているのです・・(苦笑)。

しかし、少し以前に気が付いたのですが、それは、精確には単に消えているのではなく、未だPCのキーボード操作によって文章化出来るにまでには至っていない状態であると思われるのです。

これは、当ブログの継続を通じて分かるようになってきたことであり、また、ブログ記事であれ、こうした文章の作成のためには、その土台として、より多くの関連する、あるいは類似した主題の文章を作成する必要があり、それらの上に新たに作成された文章が置かれ、そして後に、その文章自体もまた、新たな土台の一部となっていくのです。

その意味で、これまで書籍からの引用、対話形式、そして独白形式など、いくつかの手法にて記事作成を行ってきましたが、それでも、未だに「自身の文体を確立した」という実感はなく、また、ツイッターにて他の方々による投稿を読み「これは敵わないな・・」と否応なく痛感させられることは多々あり、(今更ながら)自らの浅学菲才ぶりに落ち込むこともありますが、そうであっても、現在に至るまで、どうにか否定しないで済むことは、これまで6年以上にわたり、どうにか、1600記事程度の投稿をしてきたことであり、あるいは、これがなければ、端的に、私はどこかで、精神を病んでか、体を壊していたかで斃れていたと思われます・・。

また一方で、この6年間、生きるために、いくつかの仕事についてきましたが(失礼ながら)どれも私としては、そこまで熱心になれるものではなく、あるいは、現在に至って思うことは、既にその期間において、当ブログに熱心の軸足を置いていたのかもしれません・・。

しかし、その熱心の軸足を置いたブログは未だに収益化することが出来ておらず、時折お目に掛かる院の先輩に「そのあたり(収益化)のことをもう少し考えた方が良いよ・・」と、何度か、その話題に際して云われたことがありましたが、それはまさしく、その通りであると考えています・・。とはいえ、詳しくはわかりませんが、収益化の方法は少なくないと思われ、また今現在は、以前にも書いたとおり気力も充実していないことから、よりブログ実体の充実の方に軸足を置いていた方が良いと思われるのです。

また、それと同時に、現時点で収益化が出来ていなくとも、6年程度、毎日近く、公表を前提とした文章を作成していますと、紆余曲折があり、今現在もまた、良い状態ではありませんが、それでも、それが(どうにか)続いていることは、収益化以前にあると云える、精神衛生にとって、大きな意味を持っているのではないかと思われるのです・・。

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

順天堂大学保健医療学部


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ISBN978-4-263-46420-5

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