2022年10月31日月曜日

20221030【架空の話】・其の98 【モザイクのピースとなるもの】【東京訪問篇⑭】

とはいえ、以前にもCH先生による独白として当ブログ【架空の話】にて述べたことではあるが、院長のCH先生は、某医科系大学付属校の御出身とのことであり、当時の友人には、医師や薬剤師や看護師などの医療系の進路を進んだり、あるいは理工学部といった主に自然科学系分野に進んだ方々も多かったことから、卒業後も、それら友人等と話す機会が度々あれば、本質を掴みつつ、大雑把には大学理工学部教員の述べる内容も理解出来て判断出来るようになるのではないかということであるが、ここまで述べるには、今しばらくの観察と検討が必要であるかもしれない・・。ともあれ、さきに述べた周囲の環境が現在のCH先生の性格を育んだことは、少なくとも間違いではないように思われる・・。

医院見学に来たK医専大の我々を案内されていたCH先生は途中、何度か中座したが、やがて戻って来られた。また、あまり忙しい素振りも見せなく、あるいは気を使って、そのように振舞っていたのかもしれないが、我々の方はスーツ姿のままにて院内を一通り見学させて頂いていた。

その途中で驚いたのは、小型ながらも走査型電子顕微鏡や嚥下造影(VF)検査の機器が院内の検査室らしきところに設置されていたことである。また電子顕微鏡は、その時、ケーシーを着用した若手の歯科医師らしき人物が操作しており、その背後には白衣を着て腕組みをした、これまた歯科医師らしき少し年配の人物が立っており、観察画像を見つつ二人で何やら会話をしていた。そして、その様子をしばし見ていたE先生の様子が突然変わり、スマートフォンで何やら調べはじめた。そして、その斜め後ろの位置から見ていた私は、どうやらE先生は人物を検索をしていることが分かった。そして、おもむろに私の方を向くと、検索した画面を私の方に静かに向けた。そこに映っていたのは、先ほどCH院長から説明を受けた現在、こちらのクリニックの医員兼顧問をされているKA先生であり、それはまた、我々の目の前に腕を組んで立っている人物でもあった。

さきほどの院長からの説明では本日、KA先生は休日とのことであったが、何らかの理由によって出勤されていたのであろう。そこに、中座していたCH先生が戻って来て、我々に向って「いやあ、お待たせして申し訳ない。今、少し大事な電話がありましてね・・。そう、この検査室には走査型電子顕微鏡や嚥下造影(VF)検査の機器が置いてあるのですけれど・・。あれ、顧問、本日はお休みであると聞いていましたが・・。」と丁度、我々が抱いていた疑問を口に出された。

すると顧問と呼ばれた(おそらくは)KA先生は、身体の向きを変えずに顔をCH院長の方に向けて「いや、たしかに今日は休みだけれど、こいつが自分の患者さんの義歯が破折したから、その破断面を見て何故、どのようなメカニズムで破折に至ったのかを調べて、どこかの学会で発表したいって云うから、つきあってやっているんだ。それに、ここのSEM(走査型電子顕微鏡)も高倍率でも結構キレイな画像が見えるからな・・。」とのことであり、SEMを操作している若い人物は操作をしつつ、しきりに頭を下げておられた。

それを聞いてCH院長は「ああ、そうですか。分かりました・・。あッそうだKA先生、本日はKからの来客です。」といって我々を紹介してくださった。E先生は明らかに緊張されていたが、たしかに比較的規模が大きい歯科の臨床系学会の学会長も務められた先生と挨拶を交わす機会は、若手のE先生でもあまりなく、そして私に至っては、そうした機会は皆無であったから、分からなかったが、これはやはり緊張する場面であったのかもしれない。

ともあれ、E先生は緊張しつつも手堅く挨拶をされてから名刺交換をしたが、KA先生の方はフランクな口調で、来院の目的や、知っていそうな先生のことを尋ねられ、その中にS教授やD先生の名前も入っていた。そこでE先生は「はい、そのD先生から、こちらの医院をご紹介頂きましたが、D先生のことについては、そちらの**君の方がよく知っています。」と私の方に話を振って来られた。私の方もそれまでに名刺を準備しておいたため、ぎこちなかったかもしれないが、ご挨拶をさせて頂いた。するとKA先生は私が差し出した名刺を見てから「あれ、この苗字はK特有だと思うけれど、何でこっちで開業しているD先生のことを知っているの?」と尋ねてこられた。そこで私は地元はこちらであり、その際にD先生の歯科治療を受けたことがきっかけでKの医専大に進んだ経緯を手短に述べた。

すると「はあ、なるほどねえ・・。そういう人もいるんだ。まあ頑張んなさい。」とのお返事であったが、その云い方はフランクな調子であったが、同時に人を逸らさない真情のある言葉でもあった。

一通りの挨拶を終えると、今度はCH院長が「よし!K医専大の先生方、今日はこの後に続く**大学理工学部との共同研究打合せの後に、皆で夕食を摂ることになっているのですが、よろしければ先生方もご一緒に参加されますか?」と尋ねてこられた。私とE先生は一瞬顔を合わせてからE先生がCH院長に向い「はい、出来ればご一緒させて頂ければと思います。」と返事をされて、私の方はその横で頷いていた。

それを聞いてCH院長は「よし、分かりました。それと顧問は本日は少し遅れてのご参加でよろしいでしょうか?」とKA先生への確認も行った。

そうすると、我々は医院見学の後、共同研究の打合せが終わるまで、何処かで時間を潰す必要性が生じたが、E先生はノートPC持参であり、そこで、いくつかの報告やメールの返信などをすれば良いと思ったのだろうか、困った様子は全くなかった。

そして、しばらく経つとクリニック事務局の方が本日の夕食会会場を知らせて来てくださった。その会場はクリニックの近くであると思われたが、東京R科大学近くの西洋料理店であった。

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!

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電話番号:047-334-0030 

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2022年10月29日土曜日

20221029 97記事まで【架空の話】を作成して思ったこと

【架空の話】も昨日の投稿によって97記事となりました。これまでに私は文章にて物語を作成した経験はありませんでした。作成しない期間が続き、時間は掛かってしまいましたが、どうにかこのあたりまでは作成することが出来ました。また、この【架空の話】は作成しようと思えば、現在までに作成した文量以上にて作成することが出来ると思われることから、今後も積極的に、その続きを作成したいと思いますので、引続きどうぞよろしくお願いいたします。

また、本日に関しても、先ほどまでは【架空の話】の続きを作成しようと考えていましたが、こうした独白形式の記事を間に挟むことも悪くはないと思われ、本日はこの調子にて進めて行きたいと思います。

とはいえ、これまでの記事作成から分かったことですが、一連の私のブログ記事では、現在作成しているこの独白形式よりも、【架空の話】の方が明らかに多くの方々に読んで頂けている傾向があります。その原因は今もって不明ではありますが、それでも自らが作成した文章が多くの方々に読んで頂けているという事態自体は、作成者側からしますと嬉しいものであり、その文章の種類(独白・【架空の話】)などは、現在のところ、あまり論っても、仕方がないのかもしれません。

また、そうした経緯から「なぜ【架空の話】を当ブログにて作成するようになったのか?」と考えてみますと、コロナ禍により、あまり外出も出来なかった2年前(2020)の4月頃に緊急事態宣言が発令され、屋内に居なければいけないという状況から生じるストレスによって【架空の話】の作成は始まったのですが、その後紆余曲折を経て、今度は自らが新型コロナウィルスに感染してからの回復後に、再度それに取組むようになったということには、あるいは示唆的な何かがあるのかもしれないと考えさせられます・・。

つまり、一連の【架空の話】は、まさに「コロナ禍」によって作成に至ったということです。またこれは、さきに述べましたように自らによる初めての文章による物語でもあり、その文字数は現時点で20万字は下らないように思われます。

どのような人でも、その生きた時代からさまざまな影響を受けるとは云いますが、私の【架空の話】などは、その意味での典型例とも云え、そしてまた、そこでの作成内容から2009~2013年の記憶が励起されることになりましたが、当時の記憶は【架空の話】の作成以前から、たびたびブログ記事としていました。何故ならば、その頃の記憶が最も印象的であったからと思われるのですが、しかし、当時の記憶を題材として、公表するブログ記事(【架空の話】)の作成までを行おうとは、あまり考えないのではないかと思われます・・。

その意味で、やはりこの一連のブログ、そしてまた、その中で【架空の話】の作成に至るまでには、何らかの偶然による幾度かの転機や背中を押されるような出来事があったのだと思われます・・。その意味では、これまで100記事近く【架空の話】を作成出来たことは、未だ到底満足出来るものではありませんが、少なくとも、悪いことではなかったようにも思われますので、今後も引続き【架空の話】の続きを作成したいと思います。

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20221028【架空の話】・其の97 【モザイクのピースとなるもの】【東京訪問篇⑬】

こうして人文社会科学系の研究者であるIM大学のST教授が一旦職を退き、岡山県にある医専大の管理栄養学科へ学士編入することを知り、自分の将来についても、少し考えを巡らせたところ慄然としたが、しかし、であるからと云って、具体的に何かしらの恐怖の念を持ったというわけではない。

そしてまた同時に、当時はたしかに時代も大きく動いていたと云える。何しろ、継続的に進行する少子化と、社会・経済状況の停滞によって、少なからずの大学が続々と閉学していく中で、突然というか、あまり大々的な告知もナシで国内に同じ母体が運営する13の専門職大学が新設されたのであるから・・。そして、私はその中の一つに飛び込み、現在に至っているわけであるが、ともあれ、そうした経緯にて実家からは遠い、そしてまた父祖の地でもあるKに移り住み、どうしたわけか、そこで地元大学大学院の博士課程に進むことになったのである。

そして現在は、指導教員からの指示により、Kにある医療専門職大学口腔保健工学科の実務家教員選定の下準備のため、同大学の助教であるE先生と共に、比較的実家からは近いとも云える、CH先生が運営する歯科医院に訪問・見学させて頂いているところだ。

CH先生は歯科医師でありながらも、その活動領域は広く、我々の対応後には、都内某大学理工学部の研究室と共同研究の打合せに入る予定とのことであった。しかし、少し考えば分かることであるが、自分の専門分野以外の研究領域での大学教員・研究者といった専門家と、議論を交わしながら共同研究の方向性を定めつつ、そして、ある新機能を持つ機器の開発を行うことなどは、そこまで簡単なことでもない。

とはいえ、このCH先生は、その他にも、こうしたプロジェクトを幾つか抱えているとのことであり、さらにまた、CH院長同様、その他の何人かの当クリニック勤務の歯科医師もまた、こうした案件を複数抱えているとのことであった。

通常、歯科医院を運営する歯科医師は、臨床能力の向上に注力する傾向があるが、その点、院長を含めた当クリニックの何人かの歯科医師は、臨床活動への熱意と同様に、前職が大学での研究者であったことからか、前述のように各々、いくつかの共同研究案件を持っていたが、これは我々からすれば驚くべきことであった・・。

後刻、CH院長と共同研究を行っている都内某大学理工学部研究室の教授の先生とお話をさせて頂く機会があったが、その際に「私の述べるところを概ね理解されて、それに対しても大体は適切な判断をすると思われるCH先生だから、この共同研究は続いているのです。」とのことであり、これはたしかに自らの人文社会科学系分野での研究経験からも同様のことが云えると直感的に思った。

とはいえ、さらに後になり思ったことは、以前にもCH先生の独白として当ブログにて述べたことではあるが、院長のCH先生は、医科系大学の付属校の御出身とのことであり、当時の友人には、医師や薬剤師や看護師などの医療系の進路を進んだり、あるいは理工学部といった主に自然科学系分野に進んだ方々も多かったことから、卒業後も、それら友人等と話す機会が度々あれば、本質を掴みつつ、大雑把には大学理工学部教員の述べる内容も理解出来て判断出来るようになるのではないかということであるが、ここまで述べるには、今しばらくの観察と検討が必要であるかもしれない・・。しかし、さきに述べたような周囲の環境が現在のCH先生の個性を育んだことは、少なくとも間違いではないように思われる・・。

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2022年10月26日水曜日

20221026 コロナ罹患後の感覚の変化について

当記事も含めて、あと30記事の新規投稿により、総投稿記事数が当面の目標としている1900に達します。今年はまだ60日以上残っていますので、2日に1記事程度の投稿であっても、年内に到達出来ることが見込まれますが、さらに先にある2000記事への到達のことを考え、出来るだけ毎日作成していくことを心掛けていきたいと思います。

以前にも述べましたが、過日、新型コロナウィルスに感染して臥せっていた当初の2日間は、始終意識が朦朧とした状態であり、まさに寝込んでいましたが、その後になり徐々に回復して、現在に至っているのですが、これまでの数日で、コロナ感染以前と明らかに違っていると感じられたのが味覚と嗅覚です。とはいえ、全てが分からなくなったわけではなく、そしてまた、それらの感覚も、今後徐々に戻ってくるのではないかと思われます。

そしてまた、これは書籍、読書についても同様であり、新型コロナウィルスに感染して臥せっている当初は読書など出来る状態ではありませんでしたが、そこからさらに数日経ってある程度回復しますと、また書籍に手をのばして読むようになりましたが、しかし、この際に、読んでいて面白いと思う書籍の傾向が、感染以前と比べて異なっていることが自覚されました。

過日、感染が自覚される数日前に丁度、ジョン・ト―ランドによる「大日本帝国の興亡」全五巻を読了していました。こちらの著作は、最後の二巻あたりが、読んでいますと、暗澹たる気持ちになってきます。とはいえ、当著作の記述は、著者による、念入りな当時の当事者達へのインタビューや、同じく文献資料なども念入りにあたって執筆され、その文章の多くには、独特の臨場感があり、また、しばしば挿話などもあって、そこから「史実」とされるものへの理解がより深まるようにも思われるのですが、ともあれ、やがて1944~1945年の太平洋戦争末期の様相を扱った4・5巻にまで巻が進みますと、深まった理解によって、当時の戦地・内地での、さまざまな悲惨な状況の背後にあると思しき、そして現在にも繋がる、我が国の社会においてのみ特有な、心のメカニズムのようなものがあるのではないかと思われて、暗澹たる気持ちになってくるわけです・・。そしてまた、その様相についても、このあたりまで書き進めますと、そうした記述があると思われる、これまでに投稿した、いくつかのブログ記事が想起されてきますが、ここで私事になりますが、当ブログをはじめるまでは、外への発信行為などは、殆ど行ってこなかった私ですが、当ブログを始めてから、これまでに、少なからぬ書籍からの引用記事を作成・投稿してきましたが、面白いことに、そうして引用記事に用いた記述、そして、それらの背景にある文脈なども、比較的記憶に深く残るようであり、そうした経緯から、近年ではツイッターなどで連携投稿しますと、ある種、知見の棚卸的な作業をしているように感じに襲われます。とはいえ、作業と云いますと、なにやら単純なものと感じられるかもしれませんが、私見としましては、ツイッターにて流れてくる知見と、自らの手持ちの知見のあらわれともいえる、一連の投稿記事などを、機に応じて連携投稿するというのは、他の方々のツイートなどを拝見してみましても、それなりにセンスが問われるものであるように認識されましたが、如何でしょうか?

本日もまた【架空の話】の先を進めようと考えていましたが、参考となる情報がなかったことから、一端止めておき、そして近日中に情報を得て、さらに先に進めたいと考えています。

くわえて、過日の新型コロナで臥せっていた際に、さきに述べた味覚・嗅覚への感覚や読む書籍の嗜好性が変ったこと以外にも、そうした感覚の変化があったように思われますが、これはこれで、私としては多少新鮮なものとして感じられますので、死なない程度の風邪などの病気は、時折は罹患しておいても良いのかもしれません。

いや、実は単純に睡眠時間の多寡が影響しているようにも感じられますので、本日は早めに記事を作成・投稿し、そしてまた、早めに休もうと思います。体調はほぼ回復したように思われますが、後遺症であるのか、未だ体のダルさのようなものが少しあります。ともあれ、それもまた睡眠時間によるものであるのかもしれません・・。

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20221025 【架空の話】講義篇と実習篇の続きを作成して思ったこと 【東京訪問篇】の続きも作成してみたいです・・。

昨日の記事投稿により、総投稿記事数が1870に到達しました。今後年内、この調子にて記事作成を継続することにより、おそらく1900記事までは達することが出来ると見込まれますが、それでも、あくまでも先のことは不明であることから、適度に休息を入れつつ、また続けて行こうと思います。

ここ最近もまた、何人かの先生方が作成された文章を拝読させて頂き、そしてまた、今後の進め方についての打合せをさせて頂きましたが、それらもそれらで、聞いていて大変勉強になるものであり、あるいはこれを換言しますと、それら文章に対する私の読み方の浅さにに気が付かされたということになります・・(苦笑)。

しかし、言い訳とはなりますが、それは私の専門ではない、歯科医療の臨床分野についての文章であり、ある程度ハナシを細かく砕いて説明して頂き、ようやく理解できるといったところであるのですが、それでも理解出来ますと、それなりに嬉しく感じるものであり、こうした感覚は出来るだけ維持したいと考えていますが、これもまた、以前の投稿記事で述べたように、内発的な読書や、さまざまな経験によって、どうにか維持、そして発展することができるのではないかと思われるのです。

また、ここ最近は久しぶりに【架空の話】講義篇と実習篇にて、それぞれの続きを作成しましたが、これもまた(かなり)久しぶりであったにも関わらず、そこまでの苦労をしないで作成することが出来、そしてまた、これらの記事は、私の作成記事としては、比較的多くの閲覧者数を得ることも出来ました。やはり【架空の話】は自身による作成記事のジャンルとしては、多く読んで頂けておりますので、こちらも引続き作成して行きたいと思います。

さて、この【架空の話】講義篇と実習篇ともう一つ、K医専大口腔保健工学科の実務家教員選定の下準備のため、医専大の教員であるS先生と東京・首都圏の歯科医院を巡る【東京訪問篇】の筋もあるのですが、こちらについては、当記事冒頭付近にて述べた「何人かの先生方が作成された文章を拝読させて頂き」に繋がり、またそれらも、今後の【架空の話】作成の一つの題材となり得るのではないかとも思われるのです。

この、いわば【東京訪問篇】の先の展開については、比較的内発的に作成したいと考えており、本日もまた、そうしたいと考えていましたが、過日、臥せっていた新型コロナウィルスから未だ完全な回復にまでは至らずに、少し気になることから、本日は【架空の話】の【東京訪問篇】の続きは作成せずに、こうした現状報告的な記事とさせて頂きました。

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
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2022年10月25日火曜日

20221024 株式会社文藝春秋刊 山本七平著 山本七平ライブラリー②「私の中の日本軍」pp.361‐362より抜粋

株式会社文藝春秋刊 山本七平著 山本七平ライブラリー②「私の中の日本軍」pp.361‐362より抜粋
ISBN-10 : 4163646205
ISBN-13 : 978-4163646206

確かにピカソの傑作に比すべき名刀というものも存在するであろう。しかし、「絵」のすべてがピカソの傑作でないのと同様、日本刀のすべてが名刀というわけではない。そして名作とか名刀といわれるものは、いずれもそれぞれの部門で、「例外」なのである。そして数からいえば、「例外」でないものが圧倒的に多いことは、言うまでもない。

 従って、徳川期の小身の小物、旗本小普請などという無名の多数人がもった日本刀というのは、その実態は、みなそれぞれの身分・収入に相応したものであったのが実情であろう。「日本刀神話」は結局、「使用しないから」生きつづけて来たのが実態であろう。従って、本当に使用するかもしれぬとなれば、製品の刃物としての質が必ず一定の水準以上のもの、いわば、メイド・イン・USAの「スプリング刀」を選ぶということになるのが当然であった。

 第三に、R氏も指摘された構造上の欠陥である。日本刀もいろいろな面で評価すれば、確かに立派な鉄器であったであろう。しかし構造的に見て、中国の大刀と果たしてどちらが合理的かといわれれば、確かに疑問を感ぜざるを得ない。というのは、もっと極端な例をあげると、構造的には中国の大刀よりさらに徹底的に彎曲したもの、すなわち砲車についている円匙が、白兵戦では最もよい武器であることは、あくまでも事実だからである。

 この円匙は普通のシャベルとは違って、長いまっすぐな木の柄の先に、小型で平たく分厚いスペードがついている。これをやすりでとぎあげると実によく切れる。この丸い部分をまともに顔にでも受ければ、それこそ顔半分がざっくりとえぐり取られでしまうであろう。

 人間、いざとなればみなやることは同じらしく、「西部戦線異状なし」でも、戦場ズレした兵士が、正規の武器を持たず、円匙と手榴弾を持って突撃する記述がある。ジャングル戦でも、生きのびようと思えば、軍刀は捨てても、円匙と手榴弾をもっていた方がよい。穴も掘れるし、武器にもなるし、ヤシの実もわれるし、ヤシの新芽もむけるし、木の根も掘れるし、水牛もさばけるし、フライパンにもなる。しかも絶対に故障は生じなりから、修理師の必要もないし、また手入れの必要もないのである。本当に「刀」というものを実用品として使っていた民族の「刀」の使い方は、どうも、こういった使い方ではなかったかと思う。いわば刀身を平気で焼き串にも使うという使い方である。美術品としてはともかく、こういう使い方をしようとすれば、日本刀はまず、あらゆる面から欠陥製品であったといえる。

2022年10月24日月曜日

20221023【架空の話】・其の96 【モザイクのピースとなるもの】【実習篇②】

では、はじめにそれぞれの試料作製に用いる二枚の金属板を選び、そちらの器具を用いて両方共に屈曲してください。

ええと、今回の班員は10人ですが、それに対して、双方金属板の屈曲に用いる器具は、二つのみとなっていますので、効率よく交代して、スムーズに実習を進めて行きましょう。では、ここまでの説明で分からない、不明な点などがありましたら、どうぞご遠慮なく仰ってください。

・・うーん、いらっしゃいませんか・・。やはり実際に行動する前ですと、実感も湧きにくいから質問も出ないのかもしれませんね・・。では、とりあえず、さきの器具を用いて速やかに金属板を屈曲してください。屈曲の角度は90°程度にしますと、後の工程が進め易くなると思いますので、それを意識してください。

ああ、それと、銅板はそうでもないかもしれませんが、ステンレスの方は、屈曲後に金属特有の弾性による「戻り」があると思いますので、そうした性質も加味し意識して作業を行うと良いと思います・・。

ええ、双方種類の金属板の鑞付け部位は、先日、こちらで比較的高番手のペーパー・コーン(ハンド・ピースに装着するコーン状に巻いた紙ヤスリ)で少し研削して酸化膜は除去おきましたが、この鑞付けする部位を手指で触れてしまいますと、手の脂が天然のアンチ・フラックスとして作用して、折角、正しい位置に金属板を設置させることが出来たとしても、鑞が流れ難くなってしまいますので、そうしたことも留意して作業を進めてください・・。

あ、屈曲が終わりましたか・・ちょっと拝見します。こちらはステンレスですが、適切に両方共90°の直角に近い様に加工されていますので良いと思います。そして、この屈曲の工程があと何名か終わりましたら、次の工程を実地にて説明させて頂きます。

・・おっ。これで金属板の屈曲を終えたのが4~5名ほどになりましたね・・。では、次の工程を説明します。お手持ちの実習指示書では6頁になりますのでご覧ください。そこに記載の「鑞付け位置の固定」という項目ですが、このイラストにて示されているように、屈曲した2枚の金属板をガラス練板の上で、さきほど云いました通り、概ね0.05~0.2㎜程度、あるいは即物的に表現しますと、髪の毛1、2本程度の間隔をあけて置いて、そして、そこから少しも動かさずに、先ほど皆さんに手に取って頂いたスティッキー・ワックスで、バーナーの炎とインスツルメンツとを用いて、位置決めした2枚の金属板を固定します。

ええと・・・では、もう7~8名ほど屈曲作業を終えたようですので、次の工程の実地説明をさせて頂きます。ええと、こちらの席を少し使用させてください。まず、金属板を2枚、ガラス練板の上で位置決めを、このような感じで行い、そしてインスツルメンツをバーナーで軽く熱してからスティッキー・ワックスに少し触れて溶かし、その溶けたワックスをインスツルメンツ先端につけたままで、素早く、ワックスが硬化しないうちに、さきの位置決めした間隔に流し込み、位置の固定を行います。この時に、たとえばインスツルメンツの先端が金属に触れて、少しでも位置が動いてしまったら、また、ガラス練板での位置決めからやり直しになります。ですので、この作業では、出来るだけ、近くの方々と距離を取って、互いに干渉や邪魔をしない環境を心がけてください。

はい、こうしてスティッキー・ワックスを間隙に流し込み、位置の固定を行った屈曲した2枚の金属板とは別に、次に、こちらの鑞付け用埋没材を練和して、そちらに置いてある紙製の型枠を再びこのガラス練板の上に置いて、泥状の埋没材を型枠内に流し込み、それが硬化する前に、さきのスティッキー・ワックスで固定した2枚の金属板の屈曲部を素早く植立し硬化まで待ちます。

やがて、埋没材が硬化しますと、植立した2枚の金属板は、さきのワックスを用いた位置関係を変えることなく、さらに強固に「鑞付け位置の固定」が出来ることになります。また、ここまでの状態は、奥のテーブルに置いてある見本試料が示していますので、ご覧になったり、あるいは丁寧に扱いつつ、触れてみてください。

バーナーとインスツルメンツとワックスは、皆さんの人数分ありますので、先ずはスティッキー・ワックスを用いた金属板の位置固定を行ってください。もちろん、これまでの説明や実習書の記述からもお分かりの通り、この間隔が狭すぎると、鑞が流れ難くなり、他方で、間隔が広すぎると、たとえ鑞が流れ込んでも間隔を充たすことが出来ずに、鑞付けの目的である金属の接合自体が出来なくなってしまいます・・。

ですので、この工程も大事なものと云えますので、緊張感を持って取り組んでください。それと、また室内でバーナーを使いますので、ご承知とは思いますが、火はくれぐれも注意して取扱い、そしてまた、水分の補給は各自適宜行ってください。では、はじめましょう。

この工程で、何か不明な点などがありましたら、随時お声掛けください。

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2022年10月22日土曜日

20221022【架空の話】・其の95 【モザイクのピースとなるもの】【講義篇②】

では、今日のテキストを用いた講義はこのあたりにしましょう・・。今回は比較的多く、歯科材料や臨床にて日常的に用いる器具などの英語での名称が出てきましたが、このあたりはテスト作成者側からしますと、問題として出し易いと云えますので・・いや、それ以上に皆さんがここを卒業されて歯科衛生士さんや技工士さんとして海外で仕事をすることになったり、あるいは、外国人が多く在住している国内地域の病院や歯科医院などで勤務するようになりましたら、かなりの高確率で、これらのコトバを用いることになると思いますので、皆さん、出来るだけ多くのこれらコトバを憶えていた方が良いと思います。

たとえば、このテキストの26頁に出てくるスパチュラ(Spatula)という言葉は、そのイラストが示すように細長い先端の形状を持つ金属製の箆のようなものを指していますが、皆さんご承知の通り、これらは私たちのいる歯科医療分野では、数種類あって石膏スパチュラ、アルギンスパチュラ、そしてカヤックのパドルにも似ている両頭のセメントスパチュラなどがありますが、このスパチュラ(Spatula)は和訳すると「箆」になるのですが、また他方で、トランプの絵柄の一つであるスペード(Spade)も、文字にしますと、さきほどのスパチュラ(Spatula)と近くなり、スペードの方は元来、農具の鋤の意味とのことですが、よく知られたトランプのスペード(Spade)の形状に最も近いのは、軍隊で個人装備として広く使われている、先端がラウンド状になった円匙(えんぴ)と呼ばれる小型シャベルではないかと思います。これなどは先端部をヤスリなどで磨ぐと、大変鋭利な武器にもなって、第一次世界大戦を描いた「西部戦線異状なし」というモノクロの名作においても、先端を研いで武器に改造した円匙(えんぴ)を持った兵士が出て来るとのことです。さらに武器として考えてみますと、さきのスパチュラ(Spatula)やスペード(Spade)にも言語的類縁性が認められるのが、古代ローマ帝国から見て北方の蛮族にあたるケルト(ゴール)やゲルマンの戦士達が用いていた長剣シュパータ(Spatha)であり、これは改造を施さなくても武器であり、またおそらく、こちらもさきの二つの「Spa」からはじまるコトバと語義的な類縁性がおあるように思われますが、こうしたことは、面白いもので、実際に辞書を引きつつ、辞書に書かれた文字の字面と、それぞれの意味をボンヤリと眺めつつ考えていますと、何だか突然思い付くといったことがありますので、皆さんもおそらく今後、そうした経験をされることになるのではないかと思います。

では、さきに挙げた映画作品「西部戦線異状なし」の時代背景である第一次世界大戦についてですが、講義の冒頭で述べましたジョージ・オーウェルによる「パリ・ロンドン放浪記」(Down and out in Paris and London)の時代背景が丁度、第一次世界大戦後のおそらく1920年代であり、この作品に、帝政ロシアが革命によって倒されて国外に亡命した、かつての帝政ロシア陸軍の士官、たしか大尉でしたっけ・・のボリスという人物が登場しますが、おそらく1920年代当時の世界では、かたや戦禍も欧州各国と比べては浅く、そして戦勝国となって富が溢れていたスコット・フィッツジェラルドによる「グレート・ギャッツビー」に描かれているようなアメリカ合衆国の社会がある一方で、ファシスト政権誕生の培地ともなった、敗戦によって高額な賠償金が課されて急激なインフレが進行してしまい経済が破綻状態であったワイマール・ドイツのような社会状況もありました・・。

フィッツジェラルドの「グレート・ギャッツビー」は皆さんご存知ですか・・?ちょっとお手数ですが、ご存知の方は挙手をお願いします・・。

おお!皆さん結構ご存知のようですね。さすがです・・。え、そうです。この作品は映画化もされていますよね・・。それでも皆さんが御存知であるのは、おそらくレオナルド・ディカプリオが主演で、バズ・ラーマン監督の作品であると思うのですが、それ以前にも往年の名優ロバート・レッドフォードが主演で、後に「地獄の黙示録」の監督となるフランシス・フォード・コッポラが脚本を担当して、さらに洋服ブランドの「ポロ」で有名なラルフ・ローレンが、映画衣装を担当してアカデミー賞衣装デザイン賞を受賞した、1970年代の映画作品もあるのですが、私としては後者の方が、より当時の時代精神に迫っている印象があるのですが、まあDVDもおそらくツタヤに置いてあると思いますので、両方の作品を英語字幕にして英語の勉強をしながら観るのも面白いかもしれませんよ・・。

え、ああ作家の村上春樹氏がこの「グレート・ギャッツビー」を和訳しているのですか・・。はあ、それは知りませんでした・・。私が読んだのは、たしか新潮文庫の版で訳者は村上氏ではありませんでした。それで村上氏はどちらの出版社から出されているのですか?
へえ中央公論新社ですか・・。分かりました。どうもありがとうございます。今度機会を見つけて少し読んでみます。

ああ、では早速、ジョージ・オーウェルの「パリ・ロンドン放浪記」(Down and out in Paris and London)を読んでいきましょうか? まず私が音読して、その部分を和訳して行きますので、とりあえず聞いていてください。そして、その次から私が指名させて頂きますので、その続きを音読して、そしてその和訳をしてください。それで、これは高校までの英語の講義とはちょっと違いますので、出来れば演劇のように文章に入り込んで楽しみつつ音読をしてください。いや、私も含めて英語が母国語ではありませんので、発音などもそこまで神経質にならなくて大丈夫です。むしろ、こうして音読していくうちに、自然に上達していくのではないでしょうか・・。

では行きます・・。おお!いきなり何やらフランス語らしき記述がありますね・・まあ、いいや、じゃあ行きますよ。

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!

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2022年10月21日金曜日

20221020 【架空の話】の背景の詳細について

おかげさまで昨日の投稿記事は、投稿翌日としては比較的多くの方々に読んで頂けました。これを読んでくださった皆さま、どうもありがとうございます。また、そこでの内容から、本日の投稿記事については【架空の話】の続きを・・といった流れになると思われるところですが、過日の新型コロナ感染下での朦朧とした中で生じた、意識の変化は、前述の通り【架空の話】続編の作成を促すものであったのと同時に、その背景・文脈となる出来事の記憶や考えについてもまた、文章として著してみたいというものでもあり、そこから、本日についても昨日と同様、続編の作成はせずに、その周辺にあることについて述べて行きたいと思います。

 先ず、一連の【架空の話】では、設定として「医療専門職大学運営機構」という組織が存在し、その運営は、主に民間のシンクタンクが担っており、さらに、その資金の出所は、医師会・歯科医師会や民間運営の大手医療機関、あるいは製薬会社や医療機器メーカー、そして大学といった研究機関となっています。これらの組織から、それぞれ「医療専門職大学運営機構」へスタッフが出向・派遣されて、その中で、さまざまなデータに基づき、各地域毎に設置される専門職大学の立地や学科編制などが、さきのシンクタンク・スタッフ等と検討され、その結果が各地域自治体等の既存組織に報告され、今度は、その中で、ある程度具体的な設置の方向性について検討されるのですが、ここで、スムーズに、ほぼ運営機構側から提出された原案のままで通る地域があったり、あるいはまた、議論が難航し、差し戻しの再検討が繰り返された地域もありましたが、しかし、その骨子である「地域に学費が安価な医療系大学の新設を」自体は、どの地域であっても共通する要望であったことから、最終的には、概ね一年程度の交渉にて、運営機構側と自治体等の既存の地域組織との間に合意が成立し、比較的スムーズな設置合意に至り、用地の選定や地域毎の運営側組織の選定へと至ったのですが、ここでの在地運営組織の選定も思いのほかに難航して、二転三転することもありましたが、地域の医師会・歯科医師会、そして民間大手医療機関や在地志向の研究所などが入ることは、概ね当初からの読み通りであったと云えますが、ここで、さきに述べた「製薬会社や医療機器メーカー、そして大学」といった在地志向性が比較的乏しい組織からの意向が強くなると、話が難航することが多かったとのことですが、これに関しては、これまでに既に国内複数地域に、いくつもの看護大学を擁している学校法人日本赤十字学園や青葉学園(東京医療保健大学の運営元)などが運営機構に属し、スタッフも出向していたことから、それまでの在地各組織との交渉経験が活かされたと聞いているが、しかし、運営機構に属している大学組織は、これら二つのみではなく、その他には、首都圏の老舗私立歯科大学や医学部の新設を狙う老舗私立大学や、医歯薬看護などを網羅した地方の国立大学法人といった大学が加盟していましたが、具体的には【架空の話】内に登場するK医療専門職大学の場合では、これまでの【架空の話】での文脈から、在地の国立大学法人が加盟している可能性が濃厚と云え、そうした事情のあらわれが、登場するS教授のように、設立当初の医専大各学科の教授職は、在地国立大学法人の教授が兼任するといった様相になっていると云えます。

【架空の話】を作成している側としましても、背景組織などについても少しは考えているつもりではありましたが、こうしてあらためて文章として書いてみますと、これはこれで自分なりにまた考えさせられました。しかし、ともかく、私見としましては、こうした学費が安価な医療系の専門職大学が国内に多数新設されることは、国の力を先細りさせることのない、比較的妥当とも云える未来への投資であるように思われるのですが、実際のところはどうなのでしょうか?

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
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2022年10月20日木曜日

20221019 【架空の話】への思いの変化について

先週の水曜日(10/12)に体調の悪化を自覚し、同日に検査を受けて新型コロナウィルス感染症に感染していることが判明してから、当初の2日ほどは、立って歩くことも儘ならず、頭が重く、咽喉も痛く、そして体の節々が痛むといった状態でした。それでも発熱はそこまで高くなく39℃まで届くことはありませんでした。やがて発症から3日ほど経つと、さきに挙げた症状も大分おさまりを見せ、書籍を読むことも出来るようになりました。とはいえ、ここでの読書はあまり頭に入らず、とりあえず字面を追うといった感覚が強かったと云えます。しかし、この字面を追い、文章を読むという行為自体も継続しておかないと、後の回復の際、大変になってしまう恐れがあることから、とりあえず、手に取ってはしばらく読み、そして次の書籍に換えてまた読む、といったことを意図などは気にせずに繰り返していました。しかし、こうした読書方法は、これまであまり行ったことがなかったことから、それなりに新鮮に感じられるものがありました。

そして、その「新鮮に感じられる」の内容とは何であったのかと考えてみますと、それは、奇しくも当ブログの作成についてであったと云えます。とりわけ、その中でも、これまでに90話以上作成してきました【架空の話】の続きをあらためて作成したいと思うようになりました。

しかしながら、さきに述べた比較的短時間での取っ替え引っ替えの読書が、どのような経緯により、新たな【架空の話】の作成意欲に結び付いたのかと考えてみますと、それは不明であり、あるいは、さきの読書方法に因らなくとも、病床に臥してから、少し回復に向かってきますと、これまで少しは留意していたものの、手をつけるまでには至っていなかったことに意識が向くものであるのか、さらに「では、次はどのようにして【架空の話】の続きを作成するか?」と考え、そして現時点までに作成した【架空の話】の内容の整理をはじめました。現在までに展開している【架空の話】では、K医専大口腔保健工学科での実務家教員選定の下準備として、医専大にて兼任教授も務めているK大学大学院医歯学総合研究科のS教授からの依頼により、かつてのS教授門下であり、現在は医専大口腔保健工学科にて助教として勤務しているE先生と、人文系(英文学)での背景を持ち、医専大OBであり、現在はK大学大学院医歯学総合研究科の博士課程に在籍している主人公「私」の二人が、東京・首都圏を訪問し、知己である地元の開業歯科医師から得た情報に基づき、はじめの歯科医院へ訪問したところになりますが、こちらの歯科医院での情報が比較的多いことから、ここで一度止まってしまい、そのままであり、他方では、主人公が、医専大の口腔保健学科・口腔保健工学科の1年生を対象とした教養科目の講義を担当することとなり、その1日目の様子と、K大学歯学部の3年生を対象とした歯科理工学実習「鑞付け」の様子を描いたものを【架空の話】として作成しましたが、これらも個人的には、それなりに思い入れのある、印象深い記憶ではあるのですが、どうも先が進まず、そのままにしてしまいました。

また、この【架空の話】に関しては、この1年間にて、何人かの方々から「あれはその先どうなっているの?」や「【架空の話】に登場する医専大は実在するの?」といったご質問などを何度か頂いていたことから「これはいつか続きを作成しなくては・・」と考えていましたが、これまでは、何かに制御されていたのか、どうも先を書き進めることが出来ませんでしたが、今回、さきに述べた新型コロナウィルスの感染による病臥の期間での読書により意識に変化が生じて【架空の話】の先を作成したいと思うようになりました。ああしたものは、同じブログ記事ではありながら「勢い」が重要であると思われることから、また勢いのあるうちの現在のストーリーの展開具合を整理して、さらに、そのことをブログ記事として公表することにより、否応なく先に進むようにと今回の当記事を作成した次第となります。

作成してみましたら、意外と長い文章となってしまいましたが、また今後も、とりあえず1900までは作成したいと考えておりますので、引続き、どうぞよろしくお願いいたします。

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2022年10月18日火曜日

20221018 中央公論社刊 司馬遼太郎著「歴史の中の日本」内「歴史を動かすもの」pp.113-115より抜粋

中央公論社刊 司馬遼太郎著「歴史の中の日本」内「歴史を動かすもの」pp.113-115より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4122021030
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4122021037

私は戦後日本が好きである。ひょっとすると、これを守らねばならぬというなら死んでも(というとイデオロギーめくが)いいと思っているほどに好きである。江戸体制の惰力がすっかり消え、明治国家の重さが消滅し、昭和軍閥のデモーニッシュなイデオロギーも去り、可憐な日本人たちは数百年の深海生活から浅海に浮き上がってきた小魚のむれのように一時は水圧の変化に適応できずとまどいはしたが(あるいは、なおもとまどっているともいえるが)とにかく、有史以来、日本人がやっと自由になる、しかも近年にいたって日本人が有史以来、はじめて食える社会を持った(この食えて自由であるという事実を直視しなければならない。この事実に虚構のフィルターをかぶせることだけはやめてもらわねばならない)。

 活動家の学生諸子は権力ということばをつかいたがるが、過去との比較において、こんにちのこの国に「権力」らしい権力が存在すると考えることじたい、幻想である。政治はせいぜい調整的機能を果たしているにすぎず、今後、権力どころか政治そのものまでがその分野を小さくしてゆき、ついにはゲームになるかもしれず、あるいはいますでになりつつある。機動隊と学生活動家との間の表面的もしくは本質的光景がその一例であろう。

 しかしこまったことに、権力というこの魔神的な存在をめぐらなければ、酩酊的体質の人間は酩酊できないということである。虚構を実在たらしめるには大権力の存在が必要であり、ときには権力が敵方のものであっても、それが大きければ大きいほど、それを攻撃する側の虚構はいきいきとした現実感をもち、酩酊の度は深くなる。学生が、たかが調整機能でしかないいまの政府に対し「権力、権力」とお題目のようにさわぎたてるという心理の深層のなかに権力の大成長をのぞむ願望が当然秘められており、また政府を支援する重国家願望の酩酊体質者たちもまた学生さわぎを誇大に幻想し、重国家の到来を願望している。いずれにしてもひどい目にあうのは、普通のひとー非酩酊体質である。非酩酊体質としてはもうええかげんにせい、と叫びたいが、残念ながら叫ぶには酩酊を必要とする。酔ってもおらぬのに馬鹿元気を出して叫ぶわけにもゆかず、なんとなくテレビの騒動ニュースをみてむっつりしている。

 こういう非酩酊体質はカトリックでも日本の古念仏でも、古来地獄にも極楽にもゆけないとされておどされてきたが、しかし人間のうちの大部分を占めるこの種の人間どもを救ったのが、イデオロギーが支配権をうしなった近代的市民社会であった。日本史でいえば戦後二十数年の社会であったであろう。ただしここに、タダの人間のためのこの社会が、変な酩酊者によってゆるぎそうな危険な季節にそろそろきている。どうかそういう国が二度と日本にやってこないよう、タダの人間としては空念仏でもとなえているしか仕方がないようでもある。

 歴史はときに酩酊者に勝利を得さしめるが、ながい目でみれば歴史はこの空念仏群の強靭さの前に屈しつづけてきたようである。歴史を動かし社会に黙々と衣食を供給してきたのはこの層であるとむしろ自信をもって思ってやりたいが、どういうものであろう。

2022年10月8日土曜日

20221008 株式会社文藝春秋刊 大岡昇平著「対談 戦争と文学と」pp.108-111より抜粋

株式会社文藝春秋刊 大岡昇平著「対談 戦争と文学と」pp.108-111より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4168130509
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4168130502

いいだ 私は過去の日本の戦争というものを考えてみて、相変わらず全面的否定の立場ですけれども、ただこういうことがあるのですね。戦後の通念の一つに、ああいう戦争というものは、いわば日本の近代化とか西欧化というものと正反対のものであって、だから近代化して西欧化するということが、戦後の平和の出発であるという問題の立て方がありますね。私はそれにもまったく反対なんです。ある意味では、明治以来百年の、日本の近代化、西欧化というものの帰結が、ああいう戦争なんだと。兵隊を一銭五厘の赤紙で引っぱり出して、ぶったり蹴ったりして戦わせる、そういう、いわば暴虐な、前近代的な野蛮みたいなものも、私に言わせれば、やはり日本の近代化、西欧化、つまり追いつこう追いつこうということの避けがたい結果なんだ。私たちは特攻隊の世代ですから、学校で特攻死しているのがいますけれども、だから普通の世の中の通説と違うものを、僕ら特攻隊にも感じますけれども、無謀な玉砕であり、犬死であるという見方があるけれども、それを支えた特攻隊自身は、かなり、どうやってぶっつけるかということについての、精密な、数学グラフ的な処理もやっているわけですね。それから、彼らは一種の心情だけではないわけですね。自分は死ぬんだ、パッと散って、桜のようにきれいだということだけであれば、主観的な心情だけれども、彼らはそうではないわけで、自分の死によって、結果として、どういう戦争上のプラスが生れて、そのことは全体の戦局転換にとって、どういう意味があるかというような、自分の死自体をも一つの技術的計量のなかに組み込むという、一種の技術主義の極致みたいなものがあるのですよ、あのときの二十歳の若者のなかには、そういうものを考えてみると、単にあれが、よく言われる意味での玉砕精神で、単なる精神主義なんだということでななく、追いつき追い越そうということで、死にものぐるいにやってきて、しかもいろいろなものが足りない、いわば遅れたものとして、そこのところを追いつくにはどうしたらいいかという、かなり技術的な計量があってやっているのだと思いますね。

大岡 僕は「レイテ戦記」で神風特攻は全部記録しましたが、レイテ戦からリンガエンまでは、そういう技術的な面が主なんですよ。パイロットもまだ少しは訓練を受けた経験がありますからね、突っ込むのにも技術がいるのですから。従って自然に全機特攻となったリンガエンがいちばん効果的なんで、二百機ぐらいでそうとうの効果をあげている。沖縄戦の段階に大本営で全機特攻の方針がきまり、特攻用の若者を召集しはじめる。海軍の天号作戦には七千機が参加している。敵の艦隊と神風との決戦になるわけなんです。こういう戦争の形はこの後歴史でくりかえされることはないでしょうけれど、これには日本が第三世界的なところにいた証拠かもしれませんね。第三世界にいながら近代的な装備を持った国が、一方にいなければ沖縄戦は成り立たなかった。しかしおしまいのほうになると、日本の軍隊構成の欠陥が出て来るんです。「きけわだつみのこえ」というのは、実に痛ましくて、ずっと読めなかったので、こんど必要から読んだのですけれども、特攻という行為と送り出されるまでの兵営の生活に矛盾があるのですね。突っ込む操縦だけ教えられて、生死の問題は自分で論理的に解決する。ところが敗戦間際になると「神風」だと思って大きな顔をするなと言ってなぐられたり、出撃前夜、女にふられたりする。兵営の生活の現実というものが自分の覚悟を支えてくれない。日本の勝利も信じられなくなる。使いものにならない練習機に乗らないとぶんなぐられるというようなことで、沖縄へ行く途中でふらふらと海におっこちてしまうというようなことが起きてくる。結局、日本の軍隊の組織の欠陥、腐敗からだめになる。本土決戦は支配層が暴動をおそれてやめたんですが、どうせ成立しなかった。自分で手段を選びとってやったパイロットはそれぞれ立派で、実際、戦果もあげるのですけれども。

20201007 歴史への理解の経緯と、もののあはれ?

連携させるブログ記事やツイートなどを変えて投稿したためか、昨日の引用記事は投稿翌日としては多くの方々に読んで頂けました。こちらを読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。

また、その内容については7年前に投稿した引用記事である「20151030 竹山道雄著「昭和の精神史」講談社刊pp.113-119より抜粋」内に「特攻隊や「七つボタン」は真に悲劇だった。あれがナチスのような人間奴隷視から生まれたのなら、まだしも救いはあるが、日本の場合はそうではなかった。絶体絶命の窮余の戦術だった。その責任者の大西中将は自刃した。そして、あのくわしい日記「戦藻録」をつづった宇垣纏海軍中将は、みずから八月十五日に「まだ停戦命令がでてゐないから」とて、沖縄に特攻突入した。そのときのことを、この日記のあとがきにつぎのように記してある。・・」と、同じ場景の記述があり、それぞれの書きぶりから、現在の我々では理知的には理解し難く、しかし同時に現在の我々の感性とも全く無関係とは云えない、通底する、ある種の悲劇性や悲壮感が感じられ、手のひらで額と両目を覆いたくなります・・。

そしてまた、こうした悲劇性や悲壮感に思いを巡らしますと「では、何故、当時の我が国はこうした局面に至るまで戦争を継続したのか?いや、それ以前に、何故、そして誰が、このような戦争をはじめたのか?」と考えが至るのですが、その歴史的経緯については、以前より、そうした、やるせない思いから生じる疑問を抱くことが度々あったことから、その理解が深まるであろうと考えられる著作をいくらか読んできました。

そして、そうした著作ついても、過日投稿の記事にて述べた、自分なりの人間交際(じんかんこうさい)から得た情報に基づいて入手してきました。

しかし、以前の投稿記事においても述べましたが、それ以前から私は、太平洋戦争・第二次世界大戦を含む近現代史が好きであり、関連する著作や映像資料はそれなりに目を通してきたつもりですが、若い時分は、我が国からの視座から生じる、さきの悲劇性や悲壮感といったものは、どうしたわけか、あまり感じることはありませんでした。

これは、現在考えてみますと、おそらく、実人生での経験が乏しく、著作や映像資料にて扱っている歴史的経緯や各々の場面に対して、内発的な興味や、それに伴う知識などは、ある程度あるものの、それらに対する血の通った情感を伴う理解、あるいは古いコトバで云うところの「もののあはれ」と近しいものであるかもしれませんが、そうした、ある種の感覚が発達していなかったことに因るのではないかと考えられます・・。

しかし他方で、当時は、こうした感覚が発達していなかったからこそ、悲劇性や悲壮感といった、ネガティブな痛みを伴う感情をおぼえることなく、興味の赴くままに書籍や映像資料に目を通し、より多くの知識を得ることが出来たのではないかとも思われるのです。

そこから、こうした時期も、播種と云う意味においては、きわめて重要であり、ここで得られた、さまざまな知識が後になり発展し、そして変転や変態を遂げて、自分なりの考えとして結実するのではないかと思われます。

そしてまた、こうした結実に至る現象自体は、人文社会科学・自然科学系といった分野を問わず、知識の集積と実人生での経験の化合により結実する、ある程度体系的な考えと云う意味において、共通しているのではないかとも思われますが、どうも我が国においては傾向として、おそらくは相当古くから「情感を伴う内発的な興味を抱きつつ、歴史的経緯を事実から類推する」といったことが、かなり苦手であり、また、おそらくはそれに因り、当記事冒頭にある悲劇的な場景へと至ってしまったのではないかとも思われるのです・・。こうした堂々巡りもまた、それなりに苦しいものではありますが、しかし、昨今の我が国での出来事を見聞きしていましても、どうも、この堂々巡りから脱するような気配や出来事といったものが無いように見受けられますが、こちらも実際のところはどうなのでしょうか?

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!

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2022年10月6日木曜日

20221006 早川書房刊 ジョン・ト―ランド著「大日本帝国の興亡」〔新版〕5 :平和への道 pp.313‐314より抜粋

早川書房刊 ジョン・ト―ランド著「大日本帝国の興亡」〔新版〕5 :平和への道
pp.313‐314より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4150504385
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4150504380

 九州の大分基地では、宇垣中将が最後の神風攻撃の準備をしていた。彼は、日記で報復を呼びかけた。

 事ここに至る原因については種々あり。自らの責また軽しとせざるも、大観すれば、これ国力の相違なり。独り軍人たるのみならず帝国臣民たるもの今後に起るべき万難に抗し、ますます大和魂を振起し皇国の再建に最善を尽し、将来必ずやこの報復を完うせんことを望む。余また大楠公精神をもって永久に尽すところあるを期す。

 宇垣は階級章をすべてむしり取った制服をつけ、双眼鏡と山本から与えられた小刀を持って、飛行場にやって来た。計画では三機による攻撃だったが、十一機の小型爆撃機が待機していた。宇垣は小さな台に上がると、集まった航空隊員に「皆、それほど、私といっしょに征ってくれるのか」と問いかけた。いっせいに手が上がった。宇垣は先導機の飛行士の後部座席にのぼって入った。彼に座席をとり換えられた遠藤明義兵曹長が抗議した。「長官は私の座席をとってしまわれました。」

「貴様はクビだ」宇垣は意味ありげに微笑して言った。遠藤は負けずに、よじ登り、宇垣のわきに割り込もうとした。宇垣はよしよしと体をずらした。

 四機がエンジンの不調で引き返さねばならなかったが、その他はそのまま沖縄に向かって行った。午後七時二十四分、遠藤は宇垣の感動的な別れの言葉を打電した。

 過去半歳ニワタル麾下各隊ノ奮戦ニカカワラズ 驕敵ヲ撃砕シ 神州護持ノ大任ヲ果スコト能ワザリシハ本職不敏ノ致ストコロナリ。本職ハ皇国無窮ト天航空部隊特攻精神ノ高揚ヲ確信シ 特攻隊員ガ桜花ト散リシ 沖縄ニ進攻 皇国武人ノ本領ヲ発揮シ 驕敵米艦ニ突入撃沈ス。指揮下各部隊ハ本職ノ意ヲ体シ 来ルベキアラユル苦難ヲ克服シ 精強ナル国軍ヲ再建シ 皇国ヲ万世無窮ナラシメヨ。天皇陛下万歳。

数分後、遠藤は機が目標に突入しつつあると報告してきた。

2022年10月5日水曜日

20221005 自分にとって重要な意味を持つ著作を見つける意味について(口語と文語・人間交際?)

おかげさまで、昨日投稿分の記事も比較的多くの方々に読んで頂けました。こちらを読んでくださった皆さま、どうもありがとうございます。さて、この記事では文章の作成において「読書や会話などが良い効果を齎すのではないか」と述べましたが、これまでの経験から、これは間違いではないと思われます。また、その中での読書、つまり書籍を読むということは、多くの場合、その著者との対話を行うということであり、これがスムーズに為されれば、それに応じて頁もまた進み、そしてより楽しい読書経験になると云えます。しかし、読み進めるのが困難である場合は、その文章の意味を調べたり、あるいは考えながら進めなければならないため、決して楽しい読書とは云えないと思われます。とはいえ、それが自分にとって何か重要な意味を持つ著作であるのならば、調べ、考えながらの読書もまた、決して面倒ばかりではなく、さきの意味とは異なった楽しさが感じられるのではないかとも思われます。

そして、そこで問題となってくるのが「自分にとって重要な意味を持つ著作」を探し出すことであると思われます。他方で、図書館や大型書店などに行きますと、一生掛けても到底読み切れないほどの書籍が刊行されていることを実感させられます。その中から「自分にとって重要な・・」を見出すことは、少なくとも、そこまで簡単ではないように思われます。では、どのようにして、その「重要な著作」を見つけ出すのかと考えてみますと、ここで「人との会話」に一つの重要な意味があるように思われるのです。これについて私見を述べさせて頂きますと、我々が日常用いている言語は、当初に口語として発達し、そして、その意味を凝結させたものが文語・文章であると云えます。つまり「はじめに口語ありき」であると云えます。それに伴い、我々の言語に対しての感性もまた、口語の方に理解の重点が置かれているものと考えます。端的に、自分の感性に基づいた判断に際しては、口語による経験、つまり会話に基づいてした方が良いと思われるのです。しかしながら他方、会話において、あまり事実には依拠しない、感性的とも云える内容を、それらしく流麗に語ることと、さまざまな事実とされるデータに基づいて、ある程度事実と云い得る妥当性を呻吟しながら訥々と語るのでは、前者の方により魅力を覚えるのが、我々多くの一般的な反応であると思われます。しかし、それを起点として、さらに研鑽を重ねることにより、後者の方がより妥当であり、且つ伝わり易い言語表現にたどり着き、そして徐々に前者を凌駕していくのが、ある程度の長さの期間で見た、社会にて度々生じている循環のようなものではないかと思われるのです。その意味で、丁度、現在の我が国社会あるいは、より広く、世界のさまざまな場面において、後者が前者を凌駕していく過程にあるのではないかと思われるのです。こうした社会の変化とは、おそらく江戸時代から明治時代への変化がそうであったように、人々の話すコトバつまり口語に変化が生じて、それが徐々に文語にも影響を及ぼしていくのだと思われますが、そうした中で「自分にとって重要な意味を持つ著作」を人との会話を通じて見出していくということは、一つの道楽的な趣味としても、また社会をよく見抜くための勉強としても、それなりに面白く、あるいは福沢諭吉が「学問のすすめ」内で述べた「人間交際」(じんかんこうさい)にも時代背景的に、そうした意味合いもあったのではないかとも思われるのですが、さて、実際のところはどうなのでしょうか?

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