2022年10月8日土曜日

20221008 株式会社文藝春秋刊 大岡昇平著「対談 戦争と文学と」pp.108-111より抜粋

株式会社文藝春秋刊 大岡昇平著「対談 戦争と文学と」pp.108-111より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4168130509
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4168130502

いいだ 私は過去の日本の戦争というものを考えてみて、相変わらず全面的否定の立場ですけれども、ただこういうことがあるのですね。戦後の通念の一つに、ああいう戦争というものは、いわば日本の近代化とか西欧化というものと正反対のものであって、だから近代化して西欧化するということが、戦後の平和の出発であるという問題の立て方がありますね。私はそれにもまったく反対なんです。ある意味では、明治以来百年の、日本の近代化、西欧化というものの帰結が、ああいう戦争なんだと。兵隊を一銭五厘の赤紙で引っぱり出して、ぶったり蹴ったりして戦わせる、そういう、いわば暴虐な、前近代的な野蛮みたいなものも、私に言わせれば、やはり日本の近代化、西欧化、つまり追いつこう追いつこうということの避けがたい結果なんだ。私たちは特攻隊の世代ですから、学校で特攻死しているのがいますけれども、だから普通の世の中の通説と違うものを、僕ら特攻隊にも感じますけれども、無謀な玉砕であり、犬死であるという見方があるけれども、それを支えた特攻隊自身は、かなり、どうやってぶっつけるかということについての、精密な、数学グラフ的な処理もやっているわけですね。それから、彼らは一種の心情だけではないわけですね。自分は死ぬんだ、パッと散って、桜のようにきれいだということだけであれば、主観的な心情だけれども、彼らはそうではないわけで、自分の死によって、結果として、どういう戦争上のプラスが生れて、そのことは全体の戦局転換にとって、どういう意味があるかというような、自分の死自体をも一つの技術的計量のなかに組み込むという、一種の技術主義の極致みたいなものがあるのですよ、あのときの二十歳の若者のなかには、そういうものを考えてみると、単にあれが、よく言われる意味での玉砕精神で、単なる精神主義なんだということでななく、追いつき追い越そうということで、死にものぐるいにやってきて、しかもいろいろなものが足りない、いわば遅れたものとして、そこのところを追いつくにはどうしたらいいかという、かなり技術的な計量があってやっているのだと思いますね。

大岡 僕は「レイテ戦記」で神風特攻は全部記録しましたが、レイテ戦からリンガエンまでは、そういう技術的な面が主なんですよ。パイロットもまだ少しは訓練を受けた経験がありますからね、突っ込むのにも技術がいるのですから。従って自然に全機特攻となったリンガエンがいちばん効果的なんで、二百機ぐらいでそうとうの効果をあげている。沖縄戦の段階に大本営で全機特攻の方針がきまり、特攻用の若者を召集しはじめる。海軍の天号作戦には七千機が参加している。敵の艦隊と神風との決戦になるわけなんです。こういう戦争の形はこの後歴史でくりかえされることはないでしょうけれど、これには日本が第三世界的なところにいた証拠かもしれませんね。第三世界にいながら近代的な装備を持った国が、一方にいなければ沖縄戦は成り立たなかった。しかしおしまいのほうになると、日本の軍隊構成の欠陥が出て来るんです。「きけわだつみのこえ」というのは、実に痛ましくて、ずっと読めなかったので、こんど必要から読んだのですけれども、特攻という行為と送り出されるまでの兵営の生活に矛盾があるのですね。突っ込む操縦だけ教えられて、生死の問題は自分で論理的に解決する。ところが敗戦間際になると「神風」だと思って大きな顔をするなと言ってなぐられたり、出撃前夜、女にふられたりする。兵営の生活の現実というものが自分の覚悟を支えてくれない。日本の勝利も信じられなくなる。使いものにならない練習機に乗らないとぶんなぐられるというようなことで、沖縄へ行く途中でふらふらと海におっこちてしまうというようなことが起きてくる。結局、日本の軍隊の組織の欠陥、腐敗からだめになる。本土決戦は支配層が暴動をおそれてやめたんですが、どうせ成立しなかった。自分で手段を選びとってやったパイロットはそれぞれ立派で、実際、戦果もあげるのですけれども。

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