最近は特に新しい書籍を読むこともなく、これまでに何度か抜粋引用した加藤周一著の「日本文学史序説」そして野上彌生子著の「迷路」を再度読み返しております。
そして、そうした状態がしばらく続き、また何か新しい著作、書籍が読みたくなるのではないかと思います。
今度は以前少し書きました山田風太郎著の「昭和前期の青春」を読んでみたいと考えておりますが、さて、どうなることでしょうか・・。また、つい先日、銅鐸のことを少し記しましたが、かつて銅鐸、弥生時代関連の書籍を集中的に読んでいた修士課程在籍時、同じく谷川健一著の「青銅の神の足跡」を何度も読み返していたことを想起しました。
谷川健一の著作は、これまでのブログ記事においても何度か抜粋引用させて頂きましたが、現在読んでみても、大変興味深く読むことが出来ます。
そして、その著作「魔の系譜」とは、我々日本人の精神の深層をかなり鋭く、深く抉っているのではないかと思われます・・。
私見としては、この著作とは、現在の我が国であるからこそ真剣に読むに価するのではないかと考えます。
ちなみに谷川健一は熊本県南部の水俣市の御出身です。
そして、それにつられて想起したことは、以前ブログにて記しました同志社大学の森浩一とは、たしか大阪府の御出身であるのですが、さらにその先の出自とは大分県であると氏がその著作内にて記していたことです。このように考えてみますと、案外と私は九州御出身、出自を持つ研究者、著述家を無意識ながら好んで読むような傾向があるのかもしれません・・(笑)。また、九州といえば、私は金関丈夫を想起しますが、この方の著作はその記されている内容の背景にある広大な分野に渡る、膨大な学識、見識に感動すら覚えます・・(笑)。今後我が国には、こうした研究者は出てこないのでしょうか?また、それで思い出しましたが、現在話題となっている三重県の「三重」の語源とは、日本武尊の東征からの帰路、伊吹山周辺にて遭難し、足が腫れ上がり「我が足、三重に曲がりなして、いたく疲れたり」といった記紀(たぶん「古事記」のみであると思われますが・・)の伝説、記述より由来していると知ったのは、たしか金関丈夫氏の著作からではなかったかと思います・・。また一方、谷川健一は、この記述された「足が腫れ上がった」という状態、症状から、これを当時伊吹山麓に在住していた精銅、水銀、鉛(中央構造線のあたりには何故だか水銀(丹)を産出する場所が多い)を扱うことを生業とする人々が排出する有毒ガスに因るものではないかと考察していたことを記憶しております。これもまた、かなり実証的且つ、いかにも神話的であり大変興味深い説であると思います。そして、金関丈夫の視点は谷川健一と若干異なり、ギリシャ神話のオイディプス(ギリシャ語にて「腫れ足」の意)のハナシと関連付けて考察されておりましたが、これもまた大変興味深い説であると思います。また、こうした東西の様々な神話を関連付けて考察するような傾向とは、南方熊楠あるいはイギリスのロバート・グレイヴスにも同様に見受けられるのではないかと思われます。さらにここまで記していて不図、大学院在籍当時に伺った、お師匠が若い時分、スーパーカブにて吹雪の中、東海地方から近畿への帰郷の折り、伊吹峠を命からがら走破したという上記の神話に近い武勇伝を想起しました・・。
ともあれ、今回のブログ記事はこのあたりで一度区切らせていただきます。
ここまで読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。
そして、先月の熊本の大地震にて被災された地域における諸生活インフラの出来るだけ早期の復旧そして、そこからの復興を祈念します。
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