本日は特に帰宅が遅く23時過ぎ頃でした。
また、なかなか疲れてもいて「今日のブログ記事作成は止めておこうかな・・?」などとも不図思いました。
しかしそれと同時に、本日は多少朝早く出勤したためか、電車がすいており、無理せずに座席に座ることが出来た為、ブログのネタ帳に何かしら書き込むことが出来ました。
その内容とは「情報について」です。
その時のうろ覚えの記憶のままに記しますが、日本国内において本格的にラジオ網が普及し始めたのは、関東大震災の後、大正末期から昭和初期頃であったと思われます。
そしてその後、満州事変、5・15事件、2・26事件、ノモンハン事件と太平洋戦争開戦への道を歩んでゆきます。
このような時代の様々な側面における社会の世相を扱った著作、学術書、映画などを読んだり、観たりしますと「コトバによる情報が波及し易い状況が作られると、その影響により、社会において、何かしら変動が生じ易くなるのではないか?」と考えさせられます。
そして、そうした状況を作り出すものがラジオであり、テレビであり、そして現今のインターネットといったいわゆる情報媒体ではないかと思われます。
このように、ヒトは、多くの情報を入手出来る状況に置かれると、自身の状態を、その情報に基づき、相対的に考えることが出来るようになり、それに伴い、それまでに考えることのなかった様々な疑念、考えが生じるのではないでしょうか?
それがそれまでの権威の否定であれ、再確認であれ、とりあえず変化は生じます・・。
そのように考えてみますと、様々な情報が多く飛び交う都会とは、同時に、様々な意味における変化が激しいということと強い関連があるのではないかと思われます。
まあ、当たり前といえば当たり前ではあるのでしょうが・・。
そして、多くの統治機関、施政者側は、こうした情報およびそれを発信する機関、組織を自身の(安定した)権力基盤を脅かすものと見做し、これらに対し、弾圧、懐柔などを試みたりすることは、歴史的に見て、ある程度普遍的なことであるのではないでしょうか?
また、それと同時に古代ローマ帝国以来、特に欧米にて顕著に見られた「分割して統治せよ」といった統治概念なども、おそらく前記の考えと親和性が強いのではないかと考えさせられます。
そして、さらに、よくよく考えてみますと、この「分割して統治せよ」とは、国、地域といった大きな領域のみならず、洋の東西問わず、大小さまざまなレヴェルの組織などにおいても、統治者、施政者側は、半ば無意識ながらも、自身の安定した統治を行うための重要な方策、術策として(現在なお)用いられているのはないかと考えさせられますが如何でしょうか?
九州・熊本の大地震にて被災された地域の早期の復旧そして復興を祈念いたします。
また、ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。」
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