2025年9月19日金曜日

20250918 大気の薫りと混然一体とした記憶の想起について  ー和歌山への訪問から自然と歴史についてー

 先週末から今週の月曜日にかけて、久しぶりに和歌山を訪問する機会を得ました。今回の滞在は和歌山市内に限られ、市外や南紀方面へ足を延ばすことはありませんでしたが、街なかの空気を吸うと、周囲の山々や海から流れ込む独特の大気の薫りが、かつて南紀や和歌山市内で暮らしていた頃の記憶や感覚を呼び起こしてくれます。そして、この感覚は、気力や忘れかけていた興味なども蘇らせて、心身を元気にしてくれるように思われます。また、対照的に、現在在住している首都圏では、こうした自然豊かな大気を感じられるような環境や機会は乏しく、さまざまな利便性の反面で、自然との距離が遠いように感じられます。

 これまでにも当ブログにて折に触れ何度か述べてきましたが、私がはじめて和歌山の自然環境に接し畏怖を覚えたのは、2001年に北海道から南紀白浜へ転勤した際でした。南紀白浜の関西圏有数の温泉地としての賑わいの背後には、黒潮からの波が打ち寄せる荒々しさと、紀伊山地(熊野)の南方的な鬱蒼とした照葉樹の森が広がっています。そして、その景観は、それまで、鼻で息を吸うと頭が痛くなるような寒い北の大地にいた私にとっては強烈なものであり、全てを包み込んでしまうような、その自然環境の前では、ただ立ち尽くすばかりでした。

 南紀白浜、その北隣の紀伊田辺市、さらに双方の内陸に位置する上富田町は、紀伊山地南西端の沿海部の中核地域であり、古い時代に「牟婁(むろ)」と呼ばれていたのは、この地域であったと推測されます。転勤後、この地名(西牟婁郡)をさまざまな書類や葉書や手紙に書くたびに、それまであまり縁がなく、また関心もなかった、その古風な地名の響きから、何と云いますか、本物の土俗的な歴史の厚みと、時間の隔たりに、ある種の違和感と驚きを感じていました。

 やがて、休日を利用して自転車や自動車で周辺地域を巡るようになりますと、古めかしい地名は「牟婁」にとどまらず、地域に多数あることに気が付きました。また、「牟婁」からさらに内陸に入りますと、熊野信仰の中心地域になります。そして、この「熊野」も「くまの」以外に「いや」と呼ぶ地名があったり、あるいは地名ではありませんが、能楽の曲「熊野(ゆや)」のように、文字と読みの対応関係が異なることを知り驚かされました。こうした経験は、我が国の古い言語と方言との関係や、口語と文語の歴史的な変遷、さらには地域性などについて考えさせる一つの契機になったと云えます。

 さらに、興味深いのは地名だけではありません。地域各地の遺跡や出土物なども、土俗的な歴史の厚みを物語るものと云えます。これまでに当ブログにて何度も題材としている弥生時代の青銅製祭器である銅鐸は、この「牟婁」地域、すなわち田辺・白浜・上富田からも複数出土しています。また、古墳時代に造営された古墳も、当地域に多数存在しており、その造営様式は紀北、すなわち紀ノ川下流域(和歌山市周辺)の古墳とは明らかに異なっています。それら地域の複数古墳は、むしろ、紀伊水道を隔てた対岸、徳島県(阿波)の古墳との類似性が指摘されており、このことは、古代での文化の伝播経路や交易ルートなどを検討するうえで重要な手掛かりであると云えます。

 ともあれ、そうしたことから南紀白浜や和歌山市での在住の頃を振り返ってみますと、自然と歴史が渾然一体となって息づいていたことを改めて実感させられます。内陸部ダム湖での釣行への運転時、周囲を見渡しますと、古くからあまり変わっていないであろうと思しき南方的な横溢とした自然の景観のなかに銅鐸出土地があったり、南紀白浜の白良浜北側に鎮座する熊野三所神社境内にある半ば自然と一体化したような火雨塚古墳を見ていますと、千年以上前からの時の流れや、人々の営みについて否応なく考えさせられます。そして、負け惜しみのように聞こえるかもしれませんが、こうした経験は、少なくとも私にとっては首都圏での生活では得がたいものであったと云えます。あるいは、元来、歴史などに興味を持つ性質であった私にとっては、前述のような自然と歴史が混然一体となった環境によって、歴史への興味が、より具体的なもの、あるいは、地に足のついたものへと深化したのではないかと思われるのです。

 そして、今回の短い滞在においても、こうした感覚がまた少し甦ったように感じられました。地域での大気の薫りが契機となり、自らの、そしてまた、太古から現代に至るまでの地域の歴史の営みに、また思いを馳せることが出来たように思われます。自然と人間、そして地域の記憶とも云える時間の重層性は、少なくとも私にとっては、和歌山と云う地域において特に顕著に感じられると云えます。また、現在、首都圏に在住する私にとって、この再認識・確認は、単なる懐古に留まらず、同時に、現在よりさきについて考えるための契機にもなったように思われます。

そういえば、吉田松陰による「西遊日記」に以下のような記述があります。

原文
『心はもと活きたり、活きたるものには必ず機あり、機なるものは触に従ひて発し、感に遇ひて動く。発動の機は周遊の益なり。』

現代語訳
『心はもともと生き生きしたもので、必ず動き出すきっかけがある。そのきっかけは何かに触発されて生まれ、感動することによって動き始める。旅はそのきっかけを与えてくれる。』

今回もまた、ここまでお読みいただき、どうもありがとうございます。


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2025年9月17日水曜日

20250916 戦後文学と社会批判の交差点「真空地帯」と「神聖喜劇」

 野間宏による長編小説『真空地帯』(1952)は、戦後文学史において重要な位置を占める作品と云える。野間(1915〜1991)は、1941年から44年にかけての3年間、兵営生活を送り、中国戦線やフィリピンでの戦闘、野戦病院勤務、憲兵隊による検挙、軍法会議、さらには陸軍刑務所での収監を経験した。後年、野間は「私の内に積み重なった戦争と軍隊に対する怒り」を小説化したものが『真空地帯』であると述べており、自らの経験に根差した激しい怒りが作品に迫真性を与えている。戦場の様相を描いた戦記作品ではなく、兵営・内務班における帝国陸軍の実情を一兵士の視点から描いたことが本作品の特徴であると云える。

 小説の舞台は帝国陸軍の内務班である。そこでは人間が自然な要素を奪われ、規律と条文によって兵士へと鋳造される過程が「真空」という比喩で描かれている。兵営は塀と規則に囲まれ、家族や女性が排除され、上官が人工的な「父母」に置き換えられる。こうして人間性は抑圧され、自然な呼吸さえも困難な空間が成立する。そして当時、多くの軍隊経験者は各々自らの経験を想起し、未経験者もまた、その抑圧された環境の様相を想像することが出来た。そうしたことから『真空地帯』は戦後文学を代表するベストセラーの一つとなり、大きな社会的反響を呼んだ。

 しかし本作品は、単なる軍隊小説を超えた論争を巻き起こした。それは同じく軍隊経験者である大西巨人(1916〜2015)による批判である。大西は後に戦後文学の超大作『神聖喜劇』を著したが、この作品もまた帝国陸軍の内務班を舞台として、兵営での理不尽さや社会的矛盾を描いている。

 大西は『真空地帯』に対し、「兵営を社会から断絶した『特殊境涯』と見做すのは誤りであり、軍隊は『累々たる無責任の体系、膨大な責任不在の機構』にほかならない」と批判した。つまり軍隊は決して「真空地帯」ではなく、日本の半封建的絶対主義性と帝国主義的反動性を濃縮した社会の縮図にすぎないというのである。この見解は『神聖喜劇』にも貫かれており、帝国陸軍の兵営を国家と社会の圧縮典型として描いた。また大西は批評「俗情との結託」のなかで、『真空地帯』は著者「真面目さ」が当時の大衆的俗情と結び付き、結果的に国家権力の論理を敷衍してしまう危険性をはらむと指摘した。これに対し野間は、帝国陸軍の兵営を社会と峻別された国家権力の特殊装置と位置づけて反論をした。両者の論争は「『真空地帯』論争」と呼ばれる議論へと発展したが、結局、決着はつかず戦後文学史にその名を留めた。

 さらに、この論争と並行して『真空地帯』は国民的な論争にも巻き込まれた。サンフランシスコ講和条約後の我が国は米国から軍隊の駐留と再軍備を迫られ、当時の知識人の間では、米国の帝国主義に抵抗する国民的団結を文学で組織しようとする議論が生じた。その文脈から『真空地帯』は、数百万人が経験した内務班生活を共通経験として呼び覚まし、反米ナショナリズムの基盤となる可能性を持った。野間自身も自著を「国民解放のレジスタンス文学」と位置づけている。ここに反戦小説でありながらナショナリズムを喚起するという逆説が生じた。すなわちそれは、戦前の国家主義的ナショナリズムとは異なる、米国による新たな帝国主義に対抗するための左翼的ナショナリズムであった。

 話を戻せば、この論争の焦点は「内務班をどう捉えるか」に帰着する。内務班を国家の暴力装置の核と見做すのか、あるいは社会の縮図と見るのか。野間は前者を強調し、大西は後者を主張した。大西はまた、自らの論考を丸山眞男の「超国家主義の論理と心理」とを比較しつつ、我が国の組織全般を「累々たる無責任の体系」と規定して批判した。だが、その批判の改善は為されず、むしろ、現代日本国家は戦前・戦中にも匹敵する「無責任の体系」に堕していると警告した。これは大西独自の見解であり、また、文学論争を超えた現代社会への批判の射程の長さを示していると云える。

 こうして見ると、『真空地帯』をめぐる論争は、単なる文学論争ではなく我が国社会の在り方そのものを問うものであったと云える。戦後の左翼的ナショナリズムは、現在の所謂「リベラル」の源流ともなり、その価値観が社会の主流となった結果、我が国はさまざまな場面で漸進的あるいは抜本的な制度改革を果たせず、「失われた30年」の停滞へと至った。大西巨人が『真空地帯』に対して批判した「俗情との結託」とは、単なる文学批判にとどまらず、後に我が国が惰性と責任回避の構造に陥ることを予告した大いなる警句として読むことが出来るのではないかと考える。

ともあれ、今回もまた、ここまでお読みいただき、どうもありがとうございます。


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2025年9月13日土曜日

20250912 ブログ記事作成について、量から質への移行?

 ここ数日はブログを更新しませんでした。特に明確な理由があったわけではありませんが、夏バテ気味で気力がやや低迷していたことが影響していたのかもしれません。それでも、この休止期間中も、ふとブログのことを思い出し、新たな記事の題材や文体について考えることが度々ありました。

 2022年末頃から断続的にChatGPT を援用したブログ記事の作成を試みを続けていますが、当初と比べれば、多少は使い方に慣れ、意図に近い文章を生成出来るようになってきました。しかし、この手法に慣れるほど、自分自身で文章を書くのが以前より少し億劫に感じられるようにもなりました。ChatGPT による生成と自らによる文章作成をどのように組み合わせるかは、現在もなお模索中ですが、今後も続けて自分なりの最適解を見つけたいと考えています。

 たとえば、先日(0906)投稿した「空回りの時期と当ブログの開始に至るまで③」は、過去の複数の記事から文章を抽出・統合し、そこに新たな情報を加えて仕上げたものです。これは比較的文量の多い記事でしたが、こうした統合作業に多少は慣れて効率も上がってきました。しかしまた一方で、こうした作業に時間をかけるほど、前述しましたように、ゼロからの文章作成を始める意欲がやや低下しているといった感覚もあります…。記事作成における「効率」と「意欲」のバランスは、いまだに自分の中で試行錯誤が続いています。

 それでも、ChatGPT と自らによる文章作成の双方が重要であることに変わりはないと考えます。そして、どちらか一方に偏るのではなく、自然に両立できることを目指したいと考えています。その意味で、ChatGPT をブログ記事作成に援用するようになってから、たしかに投稿頻度は減少したかもしれませんが、その分、一つの記事にかける時間は増え、結果として文章の精確性はいくらか高まり、また、以前よりも明晰で読み易い文章になってきたとも感じます。もし、この感覚が妥当であるのならば、それは単なる記事数の増減では測れない、いわば「量から質への移行」と評してもよいのかもしれません。

 具体的には、かつては一日で記事を仕上げ、そのまま投稿することが多かったのに対し、最近では数日かけて文章を推敲し、全体の流れや構造を整えてから投稿するようになりました。この変化は、単なる作業スタイルの変化ではなく、自分の中での「文章作成」行為そのものの意味が変わってきたことを示しているようにも思われます。また、現時点で、ChatGPT を援用して作成した下書きは二百本以上あり、それぞれに少しずつ推敲や加筆修正を重ねて、順次投稿していきたいと考えています。これは確かに手間はかかりますし、時には気が遠くなるようにも感じられますが、その過程自体が現在の自分にとって重要な営みになっていると考えます。

 また、この推敲や加筆修正の作業を通じて、以前よりも自分なりに文章として表現できる内容が増えてきたという手応えや実感もあります。記事数が増えること以上に、自らの考えや感覚が整理され、言語として(自分なりに)定着していく感覚は、とても貴重であると云えます。それは単なるアウトプットではなく、ある種の深化であるのではないかとも考えます。

 それ故に、焦らず、途切れることなく、ChatGPT と手作業の双方を活かしつつ、これからもしばらくはブログを続けていきたいと考えています。単に投稿記事数の増加を喜ぶのではなく、自分で納得できる文章を一つずつ積み重ねることを大切にし、今後も出来るだけ読み易く、明晰な文章の作成を目指したいと考えています。

2025年9月12日金曜日

20250911 手作業での文章作成とChatGPTによる援用について

 長年にわたり研究をされてきた人文系の先生方には、膨大な読書と思索の蓄積があります。それは何にも代え難い知の財産であり、社会にとっても大切なものです。しかし昨今、研究環境は急速に変化しつつあります。情報はデジタル化され、国際的な議論はオンラインで進み、さらに人工知能(AI)も実用的なものとなりました。そうした背景から、OpenAI社のChatGPTは、人文系研究者の方々にとっても役立つ存在になりつつあると云えます。

 まず、ChatGPTは知識を整理する手助けになります。たとえば、思想や古典などの文学作品をChatGPTからの視点でまとめさせますと、自分の考えを改めて見直すきっかけが生まれます。これは単に便利な道具というだけではなく、過去の知識と現在の課題を改めて結び直す橋のようなものと云えます。実際、我が国の大学院生全体で見ますと、ChatGPTなどの生成AIの利用率は、およそ半数を超えており(52%)、理系では57%、文系でも43%が既に日常的に用いています。また、理系では工学、生命科学、医学・疫学などでの利用が目立ち、コード生成やデータ解析、論文執筆補助などの場面で急速に普及しています。人文系でも、論文の要約や外国語文献の読解、原稿作成補助などに導入されつつあり、じわじわと利用が広がっています。

 また、ChatGPTは知的な対話相手にもなり得ます。一般的に年齢を重ねますと、同世代の仲間との議論の場は減り、若い世代とは関心が少しずつ離れていくこともあります。そうした際に、AIとのやりとりは、自分の考えを試し、反論や補足を受けながら思索を続ける小さな「書斎の議論」のようにも機能します。理系の分野では「研究補助」としての活用が今や当たり前になりつつありますが、人文学の研究者にとっても、おそらく、これは決して遠い話ではないと考えます。むしろ、深い読書と思索を土台とされる年長の研究者の方々にとってこそ、ChatGPTなどの生成AIは、刺激的な議論の相手となる可能性を秘めていると云えます。

 さらに、これまでの研究を社会に発信しようとする際にも役立ちます。専門的な議論をより分かり易くに伝えるためには工夫が要りますが、ここに生成AIを効果的に用いますと、専門性を保ちつつも、読み易い文章へと調整することが出来ます。つまり、社会へ広く知識を伝える際にも活用出来るのです。

 とはいえ、もちろん、生成AIは万能ではありません。誤りもあり、判断の最終責任は使用者各々にあります。しかしだからこそ、深い知識と批判的な視座を持たれる年長の研究者の方々こそ、これを正しく使いこなすことが出来るのではないかと考えます。生成AIが出す案をそのまま受け入れるのではなく、自分の経験と学識で吟味して、さらにそこに意味を与えることが出来るのは、長年、学問的訓練を積んだ方々ならではの強みであると考えます。

 また、若い世代が主に効率性を求めて生成AIを用いるのと比べると、むしろ年長の研究者の方が、生成AIを「知的な遊び道具」として面白く活かせているようにも見受けられます。理系の世界で先に普及が進み、人文系でも着実に広がりつつある現在であるからこそ、その運用を試みますと、独自の成果を引き出すことが出来るのではないかと考えます。端的に生成AIは、新たな時代の「書斎の友」として、あるいは「研究の補助」にもなり得ると云えます。

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2025年9月7日日曜日

20250906 空回りの時期と当ブログの開始に至るまで③

 振り返ってみますと、2013年9月に(どうにか)学位を取得してから2015年6月に当ブログを開始するまでの2年近くの期間、私は諸事、空回りをしていました。そしてそれは、自らの年齢やキャリアを考慮するあまり、焦燥感に囚われていたいたからであると思われます。とはいえ、こうした焦燥感や葛藤といったものは、発散されないと、そのまま保持されるか、あるいは、さらに悪化するとも思われることから、さきの空回りの期間とは、避けられないものであったと思われます。
 やがて、落ち着きを取り戻し、再びネットや公共職業安定所などで求人情報に目を通すようになり、しばらく経った頃、見つけたのは、首都圏を中心として、多数の分院展開をする比較的大きな医療法人の「訪問歯科診療コーディネーター」職種の求人でした。そこで、応募書類一式を作成、投函してから数日後、法人事務局からご連絡を頂き、面接日時を定め、数日後、都内、東急東横線沿線に立地する法人本部を訪ねました。面接では、履歴概要について尋ねられてから、少し打ち解けた雰囲気になり、しばし会話の後、法人理事から「当法人は色々な職種がありますが、まずは訪問診療のコーディネーターから始めてください。」と云う流れで採用となりました。
 訪問診療コーディネーターとは、一言で云いますと、訪問診療を行う歯科医師や歯科衛生士が、居宅や施設といった外来診療とは異なる環境であっても円滑に診療が出来る様に支援全般を行う職種です。その具体的な内容は、診療スケジュールの調整、ポータブルユニットなどの機材準備や運搬、診療中の各種補助、クレーム対応、会計業務や居宅介護支援事業所・地域包括センター・訪問看護ステーションなどへの周知活動と云う営業までも含まれており、まさに、マルチタスクが要求される職種であったと云えます。また、同法人での私以外の訪問診療コーディネーターの方々の多くは、営業畑の御出身であり、経験を積み、場数を踏んできただけに、それぞれ優れた交渉力やコミュニケーション能力を持たれていましたが、私の方と云えば、以前、5年間のホテル勤務の際にそれらしきことを少し行った経験がある程度であり、それ以外で、営業経験はほぼありませんでした。とはいえ「歯科医療業界を知っている人材」として期待され、採用されたことから、自分なりに頑張ってはみたものの、その割には成果が上がらずに苦労した記憶があります。
 とはいえ、この訪問診療コーディネーター業務の経験は決して無駄なものではなく、社会の高齢化が進行している我が国において、今後、否応なく、さらに重要となる訪問診療という領域を、現場の裏方として近くで見ることが出来たことは貴重な経験であったと云えます。他方、元来、マルチタスクが苦手である私は、訪問診療コーディネーターの業務全般に速やかに慣れることは困難であり、周囲の先輩同僚の方々に、ご迷惑を掛けてしまうことも度々ありました。そして、法人本部の方も、そうしたことに気が付いていたのか、入社後半年程経った頃、法人本部が新たに設立した、医療介護人材に特化した求人求職サイトを運営する一般社団法人へと異動となり、そこでサイトの運営業務全般を行うことになりました。
 この業務は、端的に、さまざまな機関の医療介護職の求人情報を集め、それらをサイトに掲載し、それと同時に、より多くの求職者の登録をはかるといったものでした。当然と云えば当然ですが、こうしたサイトとは、求人情報がより多く掲載されている方が有利であるため、私は、はじめに実家クリニックの求人情報をサイトにアップし、続いて、以前から見知っている医療・歯科医療機関さまにお願いをして、出来るだけ多くの求人情報を頂けるように努力し、さらにテレアポなども試みましたが、結果的に、それなりに多くの求人情報を得ることが出来たのではないかと思われます。そして、そこで集めた情報をサイトにアップし続けました。
 このサイト運営業務は簡潔に文章で述べますと、上記の通りではあるのですが、同時にまた、それなりにストレスも多く、胃が痛くなることも度々ありましたが、この業務は私以外に担当者はおらず、ほとんど全ての求人情報は、私が入手したものでした。
 ともあれ、サイト運営がそれなりに稼働するようになりますと、それは成果であると見做されたのか、法人本部側の対応も変化して、勤務する歯科医師、歯科衛生士向けの法人内勉強会の管理運営業務なども担当させて頂くようになりました。この業務では、法人勤務の歯科医師や歯科衛生士の方々と話す機会が多くありましたが、そのなかで、比較的多く私に話し掛けてきてくださったのは、本院勤務の女性歯科医師であり、お二人の息子さんの子育てを一通り終えられてから臨床に復帰された先生でした。こちらの先生は熱心に訪問診療に取り組まれており、時折、コーディネーターが受ける急患への対応も快く応じてくださり、また、ご高齢で摂食嚥下機能が不自由な方々に対してのリハビリテーションに強い関心を持たれていました。
 そしてある日、こちらの先生から「摂食嚥下機能のリハビリで定評がある東京歯科大学のS教授の研究室に、大学時代からの友人歯科医師数人で見学に行きたいのですが、セッティングをお願い出来ますか?」とのご相談を頂きました。そこで私は歯科理工学の師匠に連絡を取らせて頂き、上記旨を説明いたしますと、師匠は「ワシの門下だと云えば繋がるはずや!」とのことでした。そのため、恐る恐るではありながらも意を決してS教授の研究室にお電話を掛けたところ、比較的速やかにS教授ご本人までつながり、そしてあっさりと見学のご了承まで頂くことが出来ました。後日、こちらの見学は、複数先生方のご協力も頂き、無事に終えることが出来ました。そして数日後、こちらの先生は「研究室見学をさせて頂いたS教授から日本老年歯科医学会学術大会での学会発表を勧めてくださった。」として「折角の機会なので学会発表をしてみたい。」とのことで、そこからS教授研究室の若手教員の先生や、大学勤務のご友人などのご助力などによって、学会発表にまで至ることが出来ました。
 学会発表の成功を先生は大変喜んでくださいましたが、良い出来事のあとには悪い出来事が生じるのか、それを快く思わない法人内の主流派歯科医師・歯科衛生士の方々から、先生そして私も何かと責められるようになり、さらに法人本部に対して事実無根の告げ口などもされて、徐々に居心地が悪くなっていきました。この状況には強く怒りを覚えましたが、反論しても得るものはないと思われ、最終的には、こちらが諦めざるを得ませんでした。
 しかし一方、私は、この学会発表準備の時期と前後して、先述サイトの営業活動や情報収集活動の一環として、大学発の新技術説明会や公的機関主催のイベントにも積極的に参加するようになっていました。その意味で、博士号は、無意味、役に立たないものとして、度々あるいは散々に揶揄され続けましたが、こうした公的あるいは学術的な場に参加する際には、むしろ有効であり、どのイベントでも、そこまで敷居の高さを感じることなく参加することが出来ました。さらに、これらイベントでは、東京ということもあり、普段、なかなかお目に掛かることのない研究者や企業経営者や公的機関の方々のご意見や議論に触れることが出来、そして、その中で興味深い見解を述べられる方については、背景を調べて(当時、手取りが20万円以下であったにも関わらず)所属機関をご支援したり、神保町にて洋書の古書を購入し、通勤電車で読むようにもなりました。
 こうした知的刺激が重なってきますと、不思議と良い出来事が生じるように感じられるようになりました。先述の学会やイベントへの参加をきっかけに得た知見や見解は、自らの新たな学びや機会への希望を惹起させ、より充実したものになったと云えます。一方、当時は既に当ブログも作成しており、睡眠不足による疲労や内面での葛藤は続いていましたが、それでも、何と云いますか、世界が広がっていくような感覚がありました。現在、振り返ってみますと、この時期での経験や出会い、そして理不尽で不愉快な出来事もまた、良くも悪くも、今日の私の礎になっているように思われます。

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2025年9月6日土曜日

20250905 株式会社KADOKAWA刊 松木武彦著「古墳とはなにか 認知考古学からみる古代」 pp.144-148より抜粋

株式会社KADOKAWA刊 松木武彦著「古墳とはなにか 認知考古学からみる古代」
pp.144-148より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4044007632
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4044007638

私たちは、全国のどの神社へいっても、規模の大小や建築様式や付帯施設のいかんにかかわらず、それを神社と認識できる。建物も鳥居もない、道端の小さなほこらですら、それが神社と同じ神の世界に連なるもの、神が居るところ、すなわち宮居だと、私たちには見てとれる。なぜそうできるかというと、大神社も、道端のほこらも、宮居はすべて基本的な構造や要素を共有しているからだ。基本形とは、奥の空間に正面がついた形。もっと具体的にいえば、「空間のなかの神に人が向き合う」という認識と行為の表現だ。要素とは。その基本形をかざるさまざまな材料で、建物やほこらのスタイル、意匠、鳥居や玉垣などの付帯施設、さらにはそれをいろどる神器や榊などである。要素には、時代・地域・規模や、あるいは個々の宮居で細やかな違いがあるし、すべての要素がそろっていない場合も多い。そんなあいまいなことでも、私たちは、宮居を宮居としてきっちり認識するのである。
 まつられる神の名は、宮居ごとに定められている。大きな宮居には、その社会でそれだけの価値をあたえられた神がまつられているだろうし、村のほこらには、もっと近しいところに置かれた神がおさまっているだろう。しかし、ここで重要なのは、そのような神の名や格づけが、いちいち、宮居の様式や意匠や付帯施設の品目などによって厳密に表現されているわけではないことだ。様式や意匠や施設を見たところで、神の名や神格はいえないのである。
 当時に人びとの古墳に対する認識や、古墳の形や要素が意味したところも、同様ではないだろうか。古墳の基本形とは「亡き人を高く埋めてあおぐ」という認識と行為の表現だ。そして基本形をかざる要素とは、墳丘の大きさや形、葺石や埴輪などの付帯施設、さらにはそこに埋められた遺骸をいろどる棺・室および副葬品などである。神社の場合と同じように、これらの要素には地域や個々の古墳で違いがあるし、すべての要素がそろわないことのほうがむしろ多い。
 しかし、基本形が守られ、それをいろどるわずかな要素があるだけで、それは宮居らしくみえる。この「らしくみえる」という認知こそが、もののカテゴリー化のうえできわめて重要だ。この認知によって、当時の人びとも、大きな前方後円墳から村の小方墳までを、同じカテゴリーに属する。一連のものととらえていただろう。大神社から村のほこらまでを、私たちがそうとらえるように。

墳形があらわすもの
 そうだとすれば、さきに注目してきた墳丘の形は、どのように認識されていたのだろうか。「亡き人を高く埋めてあおぐ」基本形をいろどるさまざまな要素のうち、墳丘の形はその一つにすぎない。神社でいえば、建物の形『様式」がこれにあたる。
 全国的にみて、参拝者がどっと押し寄せるような大神社の大きな社殿は、入母屋造を基本とする様式で建てられることが多い。春日造や流造の社殿も広くみられるが、由緒はともかく、建物は小さい。神明造も全国に点在するが小規模だ。いっぽう、出雲地方の大社造のように、ある地方に特徴的に広がる様式もある。岡山県北部の中山造や、隠岐島の隠岐造などは、ごく限られた地域のローカルな様式だ。これらの分布のしかたは、前方後円墳(入母屋造)、前方後方墳(春日造や流造)、方墳(大社造)といった古墳の形の分布のありかたに、アナロジーとして似ているところがある。
 重要なのは、こうした社殿の形が、そこにまつられた神の名、神格、祭儀の流派の違いなどと対応しているわけではないことだ。社殿は、神社のなかでもっともよく目にとらえられるものであるにもかかわらず、その形の意味は、さほど明確でも厳密でもないのである。
 古墳の墳丘の形も同様だった可能性がある。さきに述べたように、前方後円墳と前方後方墳とで、そのほかの要素には違いがまったく見いだせない。出雲の大型方墳についても同じだ。この事実は、そこでおこなわれた行為の本質屋主人公の性質と墳丘の形のあいだに、有為の相関関係がなかったことを示している。
 むろん、墳丘の形に何の意味もなかったということではない。出雲の大型方墳は、大社造と同じように、地域独自のアイデンティティや伝統を、そこの人びとやよそからきた人びとにも感じさせただろう。だが、その内実である棺や石室、供えられた品々、そこでおこなわれた祭儀は同じものである。方墳の墳丘は、内実でなく、あくまでも外形にあらわれた意匠上の伝統だったのだ。だから、今日の古墳研究の主流のように、墳丘の形と規模とを相当に厳密な政治的身分の表示と解釈し、そこから畿内勢力と各地域との政治的関係やその変化をよみとって古墳時代史を叙述していく手法には、すこし行きすぎたところがあるのではないかと筆者は考えている。
 古墳の形と規模が、畿内との政治的関係で決まる局面も、ときにはあっただろう。しかし、それがすべてだったとは考えられない。神社の建物の形と同じように、地域の技術や伝統の継承だったこともあれば、地域内部の競争や相互牽制、いうなれば「空気を読んで」墳丘の形や規模を決める局面なども、大いにあったとみるべきだ。

2025年9月5日金曜日

20250904 河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ:著 柴田 裕之:訳「NEXUS 情報の人類史 : 上 人間のネットワーク」 pp.192-194より抜粋 

河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ:著 柴田 裕之:訳「NEXUS 情報の人類史 : 上 人間のネットワーク」
pp.192-194より抜粋 
ISBN-10 ‏ : ‎ 4309229433
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4309229430

ポピュリストは、人民の意思とされるものを、客観的な真実の名の下に退ける機関を胡散臭く思う。真実というものは、エリートたちが不法な権力を強引に手に入れるのを隠す名目にすぎないと、ポピュラリストは見がちだ。そのせいで彼らは、真実の追求には疑いを抱き、プロローグで見たように、「力こそが唯一の現実だ」と主張する。そのため、自分たちに反対するかもしれないような独立した機関の権威を損なったり横取りしたりしようとする。その結果生まれるのが、この世の中は弱肉強食のジャングルであり、人間は権力だけで頭がいっぱいの生き物だという、暗くシニカルな見方だ。社会的なかかわり合いはすべて権力闘争と見なされ、あらゆる機関が部内者の利益を増大させる派閥として描き出される。ポピュリストの想像の世界では、裁判所は心底から正義に関心を抱いてはいない。裁判官たちの特権を守っているだけだ。たしかに裁判官は正義について多く語るが、それらは自らが権力を奪取するための策略にすぎない。新聞は事実には関心がない。フェイクニュースを広めて人々を欺き、ジャーナリスや彼らに資金を提供する陰謀段に利益をもたらそうとする。科学の機関さえもが、真実の探求に専念していない。生物学者や気候学者、疫学者、経済学者、歴史学者、数学者すらも、人民を犠牲にして私腹を肥やそうとする利益団体にほかならない。
 全体に、これは人類についての見方としてはかなり卑しむべきものだが、それでも二つの点で多くの人を惹きつける。第一に、この見方はあらゆる社会的なかかわり合いを権力闘争に矮小化するので、現実が単純化され、戦争や経済危機や自然災害のような出来事が理解しやすくなる。パンデミックさえも含めて、世の中で起こることはすべて、エリートたちによる権力追求の表れというわけだ。第二に、このポピュリストの見方が魅力的なのは、正しいこともあるからだ。人間のどんな機関も現に可謬であり、ある程度の腐敗を免れない。本当に賄賂を受け取る裁判官もいる。一般大衆を意図的に欺くジャーナリストもいる。どの学問分野でも、ときおり偏見や縁故者贔屓が見られる。だから、あらゆる機関に自己修正メカニズムが必要なのだ。だが、ポピュリストは力こそが唯一の現実だと確信しているので、裁判所や報道機関や学術機関が、真実や正義といった価値観に突き動かされて自らを正すなどということは、けっして受け容れられない。
 多くの人が、ポピュリストは人間の現実を率直に捉えていると考えて信奉するのに対して、強権的な指導者がポピュリズムに惹かれるのには別の理由がある。ポピュリズムは彼らに、民主主義のふりをしながら独裁者になるためにイデオロギー上の基礎を与えてくれるのだ。強権的な指導者が民主主義の自己修正メカニズムを無力化したり横取りしたりしようとするときに、ポピュリズムはとりわけ役に立つ。ポピュリズムによれば、裁判官もジャーナリストも大学教授も、真実ではなくむしろ政治的な利益を追求しているわけだから、人民の擁護者たつ強権的な指導者は、裁判官やジャーナリストや大学教授の地位を支配し、それが人民の敵の手に落ちるのを許さないようにするべきであるということになる。同様に、選挙を運営し、結果を公表する担当の役人たちさえもが極悪非道な陰謀に加担しているかもしれないので、彼らも強権的な指導者に忠誠を誓う人々によって取って代れるべきであることになる。
 円滑に機能している民主社会では、国民は選挙の結果や裁判所の判決、報道機関の記事、科学の分野の発見を信頼する。なぜなら、それらの機関が真実の追求に献身的に取り組んでいると信じているからだ。ところが、人々は力こそが唯一の現実であるといったん考え始めると、選挙や裁判、報道、科学などへの信頼を失い、民主主義が崩壊し、強権的な指導者があらゆる権力を奪うことが可能になる。