pp.192-194より抜粋
ISBN-10 : 4309229433
ISBN-13 : 978-4309229430
ポピュリストは、人民の意思とされるものを、客観的な真実の名の下に退ける機関を胡散臭く思う。真実というものは、エリートたちが不法な権力を強引に手に入れるのを隠す名目にすぎないと、ポピュラリストは見がちだ。そのせいで彼らは、真実の追求には疑いを抱き、プロローグで見たように、「力こそが唯一の現実だ」と主張する。そのため、自分たちに反対するかもしれないような独立した機関の権威を損なったり横取りしたりしようとする。その結果生まれるのが、この世の中は弱肉強食のジャングルであり、人間は権力だけで頭がいっぱいの生き物だという、暗くシニカルな見方だ。社会的なかかわり合いはすべて権力闘争と見なされ、あらゆる機関が部内者の利益を増大させる派閥として描き出される。ポピュリストの想像の世界では、裁判所は心底から正義に関心を抱いてはいない。裁判官たちの特権を守っているだけだ。たしかに裁判官は正義について多く語るが、それらは自らが権力を奪取するための策略にすぎない。新聞は事実には関心がない。フェイクニュースを広めて人々を欺き、ジャーナリスや彼らに資金を提供する陰謀段に利益をもたらそうとする。科学の機関さえもが、真実の探求に専念していない。生物学者や気候学者、疫学者、経済学者、歴史学者、数学者すらも、人民を犠牲にして私腹を肥やそうとする利益団体にほかならない。
全体に、これは人類についての見方としてはかなり卑しむべきものだが、それでも二つの点で多くの人を惹きつける。第一に、この見方はあらゆる社会的なかかわり合いを権力闘争に矮小化するので、現実が単純化され、戦争や経済危機や自然災害のような出来事が理解しやすくなる。パンデミックさえも含めて、世の中で起こることはすべて、エリートたちによる権力追求の表れというわけだ。第二に、このポピュリストの見方が魅力的なのは、正しいこともあるからだ。人間のどんな機関も現に可謬であり、ある程度の腐敗を免れない。本当に賄賂を受け取る裁判官もいる。一般大衆を意図的に欺くジャーナリストもいる。どの学問分野でも、ときおり偏見や縁故者贔屓が見られる。だから、あらゆる機関に自己修正メカニズムが必要なのだ。だが、ポピュリストは力こそが唯一の現実だと確信しているので、裁判所や報道機関や学術機関が、真実や正義といった価値観に突き動かされて自らを正すなどということは、けっして受け容れられない。
多くの人が、ポピュリストは人間の現実を率直に捉えていると考えて信奉するのに対して、強権的な指導者がポピュリズムに惹かれるのには別の理由がある。ポピュリズムは彼らに、民主主義のふりをしながら独裁者になるためにイデオロギー上の基礎を与えてくれるのだ。強権的な指導者が民主主義の自己修正メカニズムを無力化したり横取りしたりしようとするときに、ポピュリズムはとりわけ役に立つ。ポピュリズムによれば、裁判官もジャーナリストも大学教授も、真実ではなくむしろ政治的な利益を追求しているわけだから、人民の擁護者たつ強権的な指導者は、裁判官やジャーナリストや大学教授の地位を支配し、それが人民の敵の手に落ちるのを許さないようにするべきであるということになる。同様に、選挙を運営し、結果を公表する担当の役人たちさえもが極悪非道な陰謀に加担しているかもしれないので、彼らも強権的な指導者に忠誠を誓う人々によって取って代れるべきであることになる。
円滑に機能している民主社会では、国民は選挙の結果や裁判所の判決、報道機関の記事、科学の分野の発見を信頼する。なぜなら、それらの機関が真実の追求に献身的に取り組んでいると信じているからだ。ところが、人々は力こそが唯一の現実であるといったん考え始めると、選挙や裁判、報道、科学などへの信頼を失い、民主主義が崩壊し、強権的な指導者があらゆる権力を奪うことが可能になる。
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