小説の舞台は帝国陸軍の内務班である。そこでは人間が自然な要素を奪われ、規律と条文によって兵士へと鋳造される過程が「真空」という比喩で描かれている。兵営は塀と規則に囲まれ、家族や女性が排除され、上官が人工的な「父母」に置き換えられる。こうして人間性は抑圧され、自然な呼吸さえも困難な空間が成立する。そして当時、多くの軍隊経験者は各々自らの経験を想起し、未経験者もまた、その抑圧された環境の様相を想像することが出来た。そうしたことから『真空地帯』は戦後文学を代表するベストセラーの一つとなり、大きな社会的反響を呼んだ。
しかし本作品は、単なる軍隊小説を超えた論争を巻き起こした。それは同じく軍隊経験者である大西巨人(1916〜2015)による批判である。大西は後に戦後文学の超大作『神聖喜劇』を著したが、この作品もまた帝国陸軍の内務班を舞台として、兵営での理不尽さや社会的矛盾を描いている。
大西は『真空地帯』に対し、「兵営を社会から断絶した『特殊境涯』と見做すのは誤りであり、軍隊は『累々たる無責任の体系、膨大な責任不在の機構』にほかならない」と批判した。つまり軍隊は決して「真空地帯」ではなく、日本の半封建的絶対主義性と帝国主義的反動性を濃縮した社会の縮図にすぎないというのである。この見解は『神聖喜劇』にも貫かれており、帝国陸軍の兵営を国家と社会の圧縮典型として描いた。また大西は批評「俗情との結託」のなかで、『真空地帯』は著者「真面目さ」が当時の大衆的俗情と結び付き、結果的に国家権力の論理を敷衍してしまう危険性をはらむと指摘した。これに対し野間は、帝国陸軍の兵営を社会と峻別された国家権力の特殊装置と位置づけて反論をした。両者の論争は「『真空地帯』論争」と呼ばれる議論へと発展したが、結局、決着はつかず戦後文学史にその名を留めた。
さらに、この論争と並行して『真空地帯』は国民的な論争にも巻き込まれた。サンフランシスコ講和条約後の我が国は米国から軍隊の駐留と再軍備を迫られ、当時の知識人の間では、米国の帝国主義に抵抗する国民的団結を文学で組織しようとする議論が生じた。その文脈から『真空地帯』は、数百万人が経験した内務班生活を共通経験として呼び覚まし、反米ナショナリズムの基盤となる可能性を持った。野間自身も自著を「国民解放のレジスタンス文学」と位置づけている。ここに反戦小説でありながらナショナリズムを喚起するという逆説が生じた。すなわちそれは、戦前の国家主義的ナショナリズムとは異なる、米国による新たな帝国主義に対抗するための左翼的ナショナリズムであった。
話を戻せば、この論争の焦点は「内務班をどう捉えるか」に帰着する。内務班を国家の暴力装置の核と見做すのか、あるいは社会の縮図と見るのか。野間は前者を強調し、大西は後者を主張した。大西はまた、自らの論考を丸山眞男の「超国家主義の論理と心理」とを比較しつつ、我が国の組織全般を「累々たる無責任の体系」と規定して批判した。だが、その批判の改善は為されず、むしろ、現代日本国家は戦前・戦中にも匹敵する「無責任の体系」に堕していると警告した。これは大西独自の見解であり、また、文学論争を超えた現代社会への批判の射程の長さを示していると云える。
こうして見ると、『真空地帯』をめぐる論争は、単なる文学論争ではなく我が国社会の在り方そのものを問うものであったと云える。戦後の左翼的ナショナリズムは、現在の所謂「リベラル」の源流ともなり、その価値観が社会の主流となった結果、我が国はさまざまな場面で漸進的あるいは抜本的な制度改革を果たせず、「失われた30年」の停滞へと至った。大西巨人が『真空地帯』に対して批判した「俗情との結託」とは、単なる文学批判にとどまらず、後に我が国が惰性と責任回避の構造に陥ることを予告した大いなる警句として読むことが出来るのではないかと考える。
ともあれ、今回もまた、ここまでお読みいただき、どうもありがとうございます。
ISBN978-4-263-46420-5
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