ここ数日はブログを更新しませんでした。特に明確な理由があったわけではありませんが、夏バテ気味で気力がやや低迷していたことが影響していたのかもしれません。それでも、この休止期間中も、ふとブログのことを思い出し、新たな記事の題材や文体について考えることが度々ありました。
2022年末頃から断続的にChatGPT を援用したブログ記事の作成を試みを続けていますが、当初と比べれば、多少は使い方に慣れ、意図に近い文章を生成出来るようになってきました。しかし、この手法に慣れるほど、自分自身で文章を書くのが以前より少し億劫に感じられるようにもなりました。ChatGPT による生成と自らによる文章作成をどのように組み合わせるかは、現在もなお模索中ですが、今後も続けて自分なりの最適解を見つけたいと考えています。
たとえば、先日(0906)投稿した「空回りの時期と当ブログの開始に至るまで③」は、過去の複数の記事から文章を抽出・統合し、そこに新たな情報を加えて仕上げたものです。これは比較的文量の多い記事でしたが、こうした統合作業に多少は慣れて効率も上がってきました。しかしまた一方で、こうした作業に時間をかけるほど、前述しましたように、ゼロからの文章作成を始める意欲がやや低下しているといった感覚もあります…。記事作成における「効率」と「意欲」のバランスは、いまだに自分の中で試行錯誤が続いています。
それでも、ChatGPT と自らによる文章作成の双方が重要であることに変わりはないと考えます。そして、どちらか一方に偏るのではなく、自然に両立できることを目指したいと考えています。その意味で、ChatGPT をブログ記事作成に援用するようになってから、たしかに投稿頻度は減少したかもしれませんが、その分、一つの記事にかける時間は増え、結果として文章の精確性はいくらか高まり、また、以前よりも明晰で読み易い文章になってきたとも感じます。もし、この感覚が妥当であるのならば、それは単なる記事数の増減では測れない、いわば「量から質への移行」と評してもよいのかもしれません。
具体的には、かつては一日で記事を仕上げ、そのまま投稿することが多かったのに対し、最近では数日かけて文章を推敲し、全体の流れや構造を整えてから投稿するようになりました。この変化は、単なる作業スタイルの変化ではなく、自分の中での「文章作成」行為そのものの意味が変わってきたことを示しているようにも思われます。また、現時点で、ChatGPT を援用して作成した下書きは二百本以上あり、それぞれに少しずつ推敲や加筆修正を重ねて、順次投稿していきたいと考えています。これは確かに手間はかかりますし、時には気が遠くなるようにも感じられますが、その過程自体が現在の自分にとって重要な営みになっていると考えます。
また、この推敲や加筆修正の作業を通じて、以前よりも自分なりに文章として表現できる内容が増えてきたという手応えや実感もあります。記事数が増えること以上に、自らの考えや感覚が整理され、言語として(自分なりに)定着していく感覚は、とても貴重であると云えます。それは単なるアウトプットではなく、ある種の深化であるのではないかとも考えます。
それ故に、焦らず、途切れることなく、ChatGPT と手作業の双方を活かしつつ、これからもしばらくはブログを続けていきたいと考えています。単に投稿記事数の増加を喜ぶのではなく、自分で納得できる文章を一つずつ積み重ねることを大切にし、今後も出来るだけ読み易く、明晰な文章の作成を目指したいと考えています。
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