A「昨日投稿分の記事はその後現在に至るまで多くの方々(45)に読んで頂いたようです。
この数は今週投稿分の記事では最高であり、また、投稿翌日にしてここまで達した記事とは、これまでにもあまりなかったのではないかと思われます。
そのことから「はて、これはどうしたことか・・?」とも考える次第ではありますが、同時に現在、あまりそのことを考えてみても、即座に明瞭、確たる意見が出るようにも思われないため、とりあえず、そのことを書いて本日投稿分の記事作成を始めた次第です・・(苦笑)。
さて、昨日分の投稿記事に書いた『分かりにくさ』といえば、以前私は何かの原因によりモヤモヤすることがありますと、ランニングあるいは自転車にて遠乗りに出ることが多くありました・・。
これらはそれ以前の首都圏在住時においても習慣的に行っていたことではあるのですが、その後に在住した南紀、和歌山、鹿児島そして福岡においてもランニング、走ることから歩くこと、あるいは登山などに変ることはありましたが継続され、また、現在においても地下鉄数駅分程度は日常的に歩きます・・。
そして、地方在住当初におけるこの習慣のことを思い返してみますと『走っているはずであるのに進んだ感覚、実感がない』という理由にて割合真剣な不満を抱き、そこから、幾度か、この習慣を止めようかとも考えましたが、それでもあまり他の良い趣味、習慣も読書以外に見出すことが出来ないことから、幾度か変化はするものの止めることはなく、結局、現在に至るまで、このような感じで尾を引いている次第と云えます・・(苦笑)。
また、現在になり考えてみますと、さきに書いたように、さまざまな変化はあったものの、この習慣が継続されたからこそ、自身の場合、いくつかの難しい局面において、どうにかそれらを切り抜けることが出来たのではないかとも云い得ます・・。
もちろん、それは『その行為による直接的な効果』というよりも、それに付随したものに因ることの方が大きいのですが、しかし、あくまでもその起因とは、ここにあると云って良いと考えます・・。
そしてまた、それに加えて、当初に書いた『分かりにくさ』に関しても、こうした行為を継続していたからこそ、それまでに特に専攻したわけでもない分野のことをある程度知り得ることが出来たのではないかと思われます・・。
自慢出来ることではありませんが、自身は大学院入学以前、民俗学、我が国の古代史、西洋の哲学、思想に関しての知識は本当に殆どありませんでした・・(笑)。
かろうじて知っていたのは近現代史程度、いくつかの思想の断片程度であったのではないかと思われます・・。
とはいえ、一度そうした環境に入ってみますと化学反応と云いますか変化が生じるようであり、現在思い返しても、この時期はかなり集中して多くの書籍、文献を読んでいた記憶があります。
一度、自動車にて郊外に立地する大型書店に行き、割合長時間立ち読みをして、帰り際に自動車を駐車場の何処に停めたかをキレイに忘れていたこともありました・・(苦笑)。
さすがにその時は自分のバカさ加減を痛感し多少凹みましたが、しかし一方、当時はそのくらいに集中して書籍を読んでいたのでしょう・・(笑)。
そして、あるいはまた、そうした経験があったからこそ、現在どうにかブログ記事の作成を継続することが出来ているのかもしれません・・(笑)。
今回もここまで興味を持って読んでくださりどうもありがとうございます・・。
去る2016年、熊本、山陰東部、福島周辺地域にて発生した地震によって被害を被った諸地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧とその後の速やかな復興を祈念しています。」
2017年6月30日金曜日
2017年6月29日木曜日
20170628 ブログ記事作成の継続と分かりにくさに対する耐性・・?
A「本日もまた、一旦帰宅の後、休んでから記事作成をはじめました。
さて、昨日投稿分記事も、思いのほか多くの方々(22)に読んで頂けました・・。
また、どうしたわけか、今月に入ってからの閲覧者数は有意に増加しており『大変ありがたい』と思う一方で『そこには一体どのような原因があるのだろうか・・?』とも考えさせられます・・。
とはいえ、ブログ記事の閲覧者数が有意に増加したからといっても自身の周囲に特に大きな変化が生じることもなく、そこから、昨今はどうも『日常での生活』と『ブログ記事の作成』といった二つのパラレルな世界を生きているといった感じすら受けることがあります・・(笑)。
そしてまた、ブログ記事の作成とは、そういった、もしくはその程度のものであり、いやむしろ、記事を作成することにより、さまざまな変化などが生じる、感じ取ることが出来るのであれば、おそらく、自身の場合、現在まで記事作成を継続することが出来なかったのではないかとも思われます・・(苦笑)。
しかし一方、さきに書いた『二つの世界』とは、双方が全くかけ離れているわけでもなく、わずかではあれ、どこかで繋がっており、一方にある『ブログ記事の作成』という、いわば観念的、抽象的な『作業』の継続を通じ、他方にある『自身の日常での生活』に繋がる、貫通する『何か』を、その具体的なカタチとは分からないものの、無意識に近い意識にて探しているのではないかとも思われるのです・・(笑)。
そして、こうした作業の継続を通じ見えてくる『繋がる、貫通する何か』をボンヤリとではあれ認識出来るようになるまでは、ある程度の時間、期間を要するものであり、同時にさまざまな修行、練習、実験、研究といったもの全ては、本質的にそのようなものであろうと思うことから、逆説的にその分かりにくさ故に継続することが出来ているのではないかとも思われます・・(苦笑)。
その意味で、当然ではあるのかもしれませんが、自身は優秀、鋭敏といった性質、資質からは(かなり)かけ離れているものと考えます・・(笑)。
いや、そのように考えてみますと、あるいはブログ記事作成という地味な作業の継続に向く性質とは『分かりにくさに対する耐性』、さらには一種の『鈍感さ』らしきものではないかとも思えてきます・・(笑)。
※その一方で『濁った沼は深く見える』というコトバもありますが・・(苦笑)。
ともあれ、そのように考えてみますと、どこかで読んだ覚えのある我が国の作家群について述べた「長編を書くことが出来る作家は夏目漱石以降、首都からは生まれることが少ない」というコトバが何故だか思い起こされます・・。
もちろん、このコトバとは、あくまでも(ある程度の)傾向を指摘したものではあるのでしょう・・。
しかしながら、一般論として人工的な事物の進化≒便利さ、使い易さ、分かり易さであることは概ね納得することが出来ると思われます。
また、そうした人工事物の進化が相対的に多く見受けられる地域とは、地方であるよりも都市、就中、我が国の場合であれば首都ではなかろうかと思われます。
さて、そのように考えてみますと、現今巷で生じている出来事ともツジツマの合う何かが見受けられるのかもしれませんが如何でしょうか・・(笑)?
そして、今回もここまで興味を持って読んでくださり、どうもありがとうございます・・。
昨年の2016年、熊本、山陰東部、福島周辺地域を襲った地震により被災された諸地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧と、その後の速やかな復興を祈念しています。」
さて、昨日投稿分記事も、思いのほか多くの方々(22)に読んで頂けました・・。
また、どうしたわけか、今月に入ってからの閲覧者数は有意に増加しており『大変ありがたい』と思う一方で『そこには一体どのような原因があるのだろうか・・?』とも考えさせられます・・。
とはいえ、ブログ記事の閲覧者数が有意に増加したからといっても自身の周囲に特に大きな変化が生じることもなく、そこから、昨今はどうも『日常での生活』と『ブログ記事の作成』といった二つのパラレルな世界を生きているといった感じすら受けることがあります・・(笑)。
そしてまた、ブログ記事の作成とは、そういった、もしくはその程度のものであり、いやむしろ、記事を作成することにより、さまざまな変化などが生じる、感じ取ることが出来るのであれば、おそらく、自身の場合、現在まで記事作成を継続することが出来なかったのではないかとも思われます・・(苦笑)。
しかし一方、さきに書いた『二つの世界』とは、双方が全くかけ離れているわけでもなく、わずかではあれ、どこかで繋がっており、一方にある『ブログ記事の作成』という、いわば観念的、抽象的な『作業』の継続を通じ、他方にある『自身の日常での生活』に繋がる、貫通する『何か』を、その具体的なカタチとは分からないものの、無意識に近い意識にて探しているのではないかとも思われるのです・・(笑)。
そして、こうした作業の継続を通じ見えてくる『繋がる、貫通する何か』をボンヤリとではあれ認識出来るようになるまでは、ある程度の時間、期間を要するものであり、同時にさまざまな修行、練習、実験、研究といったもの全ては、本質的にそのようなものであろうと思うことから、逆説的にその分かりにくさ故に継続することが出来ているのではないかとも思われます・・(苦笑)。
その意味で、当然ではあるのかもしれませんが、自身は優秀、鋭敏といった性質、資質からは(かなり)かけ離れているものと考えます・・(笑)。
いや、そのように考えてみますと、あるいはブログ記事作成という地味な作業の継続に向く性質とは『分かりにくさに対する耐性』、さらには一種の『鈍感さ』らしきものではないかとも思えてきます・・(笑)。
※その一方で『濁った沼は深く見える』というコトバもありますが・・(苦笑)。
ともあれ、そのように考えてみますと、どこかで読んだ覚えのある我が国の作家群について述べた「長編を書くことが出来る作家は夏目漱石以降、首都からは生まれることが少ない」というコトバが何故だか思い起こされます・・。
もちろん、このコトバとは、あくまでも(ある程度の)傾向を指摘したものではあるのでしょう・・。
しかしながら、一般論として人工的な事物の進化≒便利さ、使い易さ、分かり易さであることは概ね納得することが出来ると思われます。
また、そうした人工事物の進化が相対的に多く見受けられる地域とは、地方であるよりも都市、就中、我が国の場合であれば首都ではなかろうかと思われます。
さて、そのように考えてみますと、現今巷で生じている出来事ともツジツマの合う何かが見受けられるのかもしれませんが如何でしょうか・・(笑)?
そして、今回もここまで興味を持って読んでくださり、どうもありがとうございます・・。
昨年の2016年、熊本、山陰東部、福島周辺地域を襲った地震により被災された諸地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧と、その後の速やかな復興を祈念しています。」
2017年6月27日火曜日
20170627 読んでいる書籍から考えさせられた我が国の特徴・性質について・・
最近の首都圏は雨も降りますが同時に徐々に気温も蒸し暑くなってきています・・。
そのことから、確実に季節は夏に向かいつつあることを感じますが、未だあまり活性は上がってきません・・(苦笑)。
その一方でブログ記事の閲覧者数は、先月に比べかなり増加しておりますので、その背後には一体何が起きているのかと考えさせられます・・(笑)。
とはいうものの、そうしたことを考えていますと、肝心のブログ記事作成が上手く出来なくなる傾向があるように思われますので、まあ、これまで通り、あまり気負うことなく、緊張し過ぎることなく、記事を作成出来ればと思います・・。
さて、先日購入した古代日本の外交(主に軍事活動)に関しての書籍も、主に電車内での読書にて終盤に近づきましたが、不図『こうした書籍が現在刊行されていることには、一体どのような意味があるのであろうか・・?』と考えさせられます。
また、それと同時に古代から現代に至るまで、あまり変わることのない、我々日本人の対外的な特徴、性質らしきものについても考えさせられます・・【おそらく筆者の狙いの一つはそこにあったのではないだろうか・・?】
それは端的に、おそらく自身を含め『あまり歴史を参考にしない・出来ない』といったことであり、特に『白村江の戦い』あるいは『刀伊の入寇』あたりの項を読んでみますと、時折背筋に寒いものを感じ、眉間にしわが寄ってきます・・。
そのように考えてみますと、我が国の近代初期(日清・日露の役くらいまで)が我が国の歴史の中において特異な時代であり、それは異言すると『西欧文化の吸収を積極的に努めていた時期』であると云えます・・。
そして、それが一段落し土着化するに及んで、おかしな方向に自己愛的となり、そこから自家中毒らしき状態に陥り、排外的傾向を強めていくといった図式が成り立つのではないかと思われます・・。
また、こうした図式とは、さまざまな見方があるのでしょうが、戦後から現在に至るまでの我が国の歴史においてもまた、類似した要素が少なからず見受けられるのではないかと考えます・・。
とはいえ、私自身は思想的に右でも左でもないつもりですが、ただ、我が国の国内にて生じているさまざなな問題【具体的には書きません】の原因ではないかと思われる性質【これも具体的には書きません】を対外的な問題に当て嵌めて考えてみれば、昨今多く見受けられる自己弁護的な論法に徹している言説とは、少なくとも恥ずかしくなるのではないかとも思われるのです・・(苦笑)。
そして、そう考え得ないことが、おそらく、さきに挙げたような我が国の嬉しくない部分の歴史をあまり認識していない証左ではないかと考えるのです・・。
また、自身の感覚からしますと、そうしたことは、我が国以外の研究者を含む、そうしたこと(我が国の歴史・文化)に興味を持つ方々の間では先刻承知であるのではないかと感じさせられます・・。
こうしたことを日本人である自身が書くのは、我が国が嫌いであるからではなくて、むしろ、その逆であるからということは理解して頂きたいところです・・(苦笑)。
そしてまた、そうしたところに一国の文化水準とはあらわれるのではないかとも思われます・・。
我が国の国民性にて一般的に云われる『おとなしさ』とは、思慮深さ、寛容さによるよりも、我慢によるものが大きいのではないでしょうか・・?
それらは、表面上は同じであり、また美点でもあるのかもしれませんが、その中身は大きく異なると考えます・・。
ともあれ、今回もここまで興味を持って読んでくださり、どうもありがとうございます・・。
昨2016年に熊本、山陰東部、福島周辺において生じた一連の地震により被害を被った地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧そしてその後の速やかな復興を祈念します。」
そのことから、確実に季節は夏に向かいつつあることを感じますが、未だあまり活性は上がってきません・・(苦笑)。
その一方でブログ記事の閲覧者数は、先月に比べかなり増加しておりますので、その背後には一体何が起きているのかと考えさせられます・・(笑)。
とはいうものの、そうしたことを考えていますと、肝心のブログ記事作成が上手く出来なくなる傾向があるように思われますので、まあ、これまで通り、あまり気負うことなく、緊張し過ぎることなく、記事を作成出来ればと思います・・。
さて、先日購入した古代日本の外交(主に軍事活動)に関しての書籍も、主に電車内での読書にて終盤に近づきましたが、不図『こうした書籍が現在刊行されていることには、一体どのような意味があるのであろうか・・?』と考えさせられます。
また、それと同時に古代から現代に至るまで、あまり変わることのない、我々日本人の対外的な特徴、性質らしきものについても考えさせられます・・【おそらく筆者の狙いの一つはそこにあったのではないだろうか・・?】
それは端的に、おそらく自身を含め『あまり歴史を参考にしない・出来ない』といったことであり、特に『白村江の戦い』あるいは『刀伊の入寇』あたりの項を読んでみますと、時折背筋に寒いものを感じ、眉間にしわが寄ってきます・・。
そのように考えてみますと、我が国の近代初期(日清・日露の役くらいまで)が我が国の歴史の中において特異な時代であり、それは異言すると『西欧文化の吸収を積極的に努めていた時期』であると云えます・・。
そして、それが一段落し土着化するに及んで、おかしな方向に自己愛的となり、そこから自家中毒らしき状態に陥り、排外的傾向を強めていくといった図式が成り立つのではないかと思われます・・。
また、こうした図式とは、さまざまな見方があるのでしょうが、戦後から現在に至るまでの我が国の歴史においてもまた、類似した要素が少なからず見受けられるのではないかと考えます・・。
とはいえ、私自身は思想的に右でも左でもないつもりですが、ただ、我が国の国内にて生じているさまざなな問題【具体的には書きません】の原因ではないかと思われる性質【これも具体的には書きません】を対外的な問題に当て嵌めて考えてみれば、昨今多く見受けられる自己弁護的な論法に徹している言説とは、少なくとも恥ずかしくなるのではないかとも思われるのです・・(苦笑)。
そして、そう考え得ないことが、おそらく、さきに挙げたような我が国の嬉しくない部分の歴史をあまり認識していない証左ではないかと考えるのです・・。
また、自身の感覚からしますと、そうしたことは、我が国以外の研究者を含む、そうしたこと(我が国の歴史・文化)に興味を持つ方々の間では先刻承知であるのではないかと感じさせられます・・。
こうしたことを日本人である自身が書くのは、我が国が嫌いであるからではなくて、むしろ、その逆であるからということは理解して頂きたいところです・・(苦笑)。
そしてまた、そうしたところに一国の文化水準とはあらわれるのではないかとも思われます・・。
我が国の国民性にて一般的に云われる『おとなしさ』とは、思慮深さ、寛容さによるよりも、我慢によるものが大きいのではないでしょうか・・?
それらは、表面上は同じであり、また美点でもあるのかもしれませんが、その中身は大きく異なると考えます・・。
ともあれ、今回もここまで興味を持って読んでくださり、どうもありがとうございます・・。
昨2016年に熊本、山陰東部、福島周辺において生じた一連の地震により被害を被った地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧そしてその後の速やかな復興を祈念します。」
2017年6月26日月曜日
20170626 今月最も多く読まれた記事から思ったこと・・
A「昨日はかなり久しぶり【数カ月ぶり】に1日のPV数が1000を越えました。
読んで頂いたみなさま、どうもありがとうございます。
さて、今月も終わりに近づきつつありますので、本日投稿記事の主題は『今月最も多く読まれた記事』についてにしてみます。
今月投稿された中で最も多く読まれた記事は2日投稿分の『ラッセルにはじまりコンラッドに至るまで・・M2病の妄想?』であり、この閲覧者数(137)は当月にてダントツと云って良く、次点の1日投稿分の『640記事 昨日の偶然の読書から思ったこと【書籍からの抜粋引用あり】』(79)と60近い差がありました・・。
こうした状況をあらためて見ますと、投稿後ある程度時間が経過しても読まれている記事とは、やはり相対的によく書けているのかもしれないと感じさせられます・・。
とはいうものの、そうした比較的よく書かれた【とされる】記事をブログ記事作成のベースあるいは模範形式として用いることは、ブログ記事をも含めた散文を作成する上において本質的に『何か違うのではないか?』と考えさせられるのです・・(笑)。
私見として、継続性を重視するブログ記事作成において大事なことは、その時、その時に感じたこと、考えたことをあまり飾り立てず簡潔に表明していくことではないかと考えます。
そうした場合、自身の想念、考えのカタチをあまり形式に依らずに、むしろ泥縄式・対症療法的にその場、その場で書いていく方が、結果としては自身を鍛え、また文体の確立、獲得に近づくことが出来るのではないかと思われるのです・・(笑)。
しかし一方、ある時期においては起承転結あるいは緒言、材料・方法、結果、考察といった形式に【意識的に】則り文章を作成することもまた重要であるとも考えるのですが、この移行の仕方、時期とは、おそらく『各々の局面における必要性』によって変わってくると思われますので、その理想モデルなどは示しようがありませんし、またそれ以前に無意味ではないかとも思われます・・。【発展段階説?】
ただ思うことは、意識的に形式に則り文章を作成する時期と形式など考えずに、ただ自身の想念、考えを書いていく時期の双方を持つことが重要ではないかということです。
また弓も弦を張ったままにしておくと切れやすくなると云いますので、意識的であれ、必要に迫られてであれ、双方の時期を【幾度か繰り返し】経験することが思いのほか重要なのではないかと考えます・・。
しかし、そのようなことを書いておきながら、今月最も多く読まれた記事が小説のある部分の形式に則ったものであることは多少皮肉な結果であるのかもしれません・・(苦笑)。
今回もここまで興味を持って読んでくださり、どうもありがとうございます・・。
去る2016年、熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧そしてその後の速やかな復興を祈念しています。」
読んで頂いたみなさま、どうもありがとうございます。
さて、今月も終わりに近づきつつありますので、本日投稿記事の主題は『今月最も多く読まれた記事』についてにしてみます。
今月投稿された中で最も多く読まれた記事は2日投稿分の『ラッセルにはじまりコンラッドに至るまで・・M2病の妄想?』であり、この閲覧者数(137)は当月にてダントツと云って良く、次点の1日投稿分の『640記事 昨日の偶然の読書から思ったこと【書籍からの抜粋引用あり】』(79)と60近い差がありました・・。
こうした状況をあらためて見ますと、投稿後ある程度時間が経過しても読まれている記事とは、やはり相対的によく書けているのかもしれないと感じさせられます・・。
とはいうものの、そうした比較的よく書かれた【とされる】記事をブログ記事作成のベースあるいは模範形式として用いることは、ブログ記事をも含めた散文を作成する上において本質的に『何か違うのではないか?』と考えさせられるのです・・(笑)。
私見として、継続性を重視するブログ記事作成において大事なことは、その時、その時に感じたこと、考えたことをあまり飾り立てず簡潔に表明していくことではないかと考えます。
そうした場合、自身の想念、考えのカタチをあまり形式に依らずに、むしろ泥縄式・対症療法的にその場、その場で書いていく方が、結果としては自身を鍛え、また文体の確立、獲得に近づくことが出来るのではないかと思われるのです・・(笑)。
しかし一方、ある時期においては起承転結あるいは緒言、材料・方法、結果、考察といった形式に【意識的に】則り文章を作成することもまた重要であるとも考えるのですが、この移行の仕方、時期とは、おそらく『各々の局面における必要性』によって変わってくると思われますので、その理想モデルなどは示しようがありませんし、またそれ以前に無意味ではないかとも思われます・・。【発展段階説?】
ただ思うことは、意識的に形式に則り文章を作成する時期と形式など考えずに、ただ自身の想念、考えを書いていく時期の双方を持つことが重要ではないかということです。
また弓も弦を張ったままにしておくと切れやすくなると云いますので、意識的であれ、必要に迫られてであれ、双方の時期を【幾度か繰り返し】経験することが思いのほか重要なのではないかと考えます・・。
しかし、そのようなことを書いておきながら、今月最も多く読まれた記事が小説のある部分の形式に則ったものであることは多少皮肉な結果であるのかもしれません・・(苦笑)。
今回もここまで興味を持って読んでくださり、どうもありがとうございます・・。
去る2016年、熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧そしてその後の速やかな復興を祈念しています。」
2017年6月25日日曜日
20170625 667記事到達・過去に作成した文章を読んで思ったこと、文章の認識的要素・情緒的要素
A「昨日分の記事投稿によって総投稿記事数が666記事となりました。
また、本日分の記事投稿により、それが667記事となります。
この数値とは1000記事を全体、目標とした場合、その三分の二以上に到達したことを意味します。
そして同時に1000記事まで残り333記事ということになりますが、これはこれまで通り、ほぼ毎日の記事投稿を継続することにより、一年程度にて到達可能ということになりますが、そのように考えてみますと、それは果たして長いのか、短いのかよく分かりません・・(笑)。
とはいえ、その一方で、ブログ記事作成当初から現在に至り丁度2年以上継続したことになります。
また1年365日として考え2年としますと730日もしくは731日であり、その間に666の記事投稿としますと大体10日のうち9日は記事投稿を行ってきたことになります。
これに対し、自身としては『まあ、やったな・・』といった感じであり、また、未だ途中と考えることから達成感、感興らしきものはあまり生じませんが、それでも曲がりなりにもこれだけの期間、文章、記事を継続して作成、投稿したことは過去においてありませんでしたので『まあ、折角だから、もう少し継続してみようかな・・』といった感じにはなります・・(笑)。
さて、この先果たして1000記事までどうにか記事作成を継続することになるのでしょうか・・(笑)?
そういえば昨日分の投稿記事もまた、投稿後24時間も経っていないわりには多くの方々に閲覧して頂けたようです・・。
現在、ほぼ10年前に自身が作成した文章、草稿を読んでみますと、後になり割愛した部分などにも、それなりに面白いと思われることも書かれており、おそらく発想力、創造力のトルクといったものに関しては、当時の方が強かったのではないかと感じられます・・。
加えて、さきの文章・草稿を読んでみますと、何といいますか勢い・スピード感らしきものが感じられるのです・・。
おそらく過去のものではあれ、自身の作成した文章であることから、そのような感覚が生じるのかもしれませんが、その点(文章の勢い、スピード感)において、果たして現在の私とは進化しているのでしょうか・・(笑)。
こうしたことは、おそらく自身ではよく分からないことではありますが、しかし、当時作成した文章とは、自分なりに時間をかけ、推敲を重ね、熟考したものであるのに対し、現在作成している一連のブログ記事とは、ほぼ即興といって良いものであり、その点、つまり即興にて、そしてほぼ毎日、ある程度の長さの文章を作成することに関しては多少は進化しているのではないかとも思われます・・(笑)。
また、その内容に関しても、凡そ文章なるものに含まれる要素に認識的なものと情緒的なものがあるとすれば、過去の即興にて作成した文章とは、概ね情緒的要素の割合が高く、それが現在に近くなるにしたがい、認識的要素の割合が高くなっていくといった傾向があるのではないかと考えます。
そして一連の投稿記事においても、記事毎に両要素の割合のブレが認められるものの、より大きな視点にて過去と比較した場合の現在とは、認識的要素が大きくなり、あるいは両要素のバランスが取れている、融合されたような文章を書くことが出来るようになってきているのではないかと思われるのですが如何でしょうか・・?
そしておそらく文体の獲得とは、こうしたことに大きく関係しているのではないかと思われます。
ともあれ、おかげさまで1000記事を目標、全体とした場合の三分の二まで到達することが出来ました。
そして、今回もまたここまで興味を持って読んで頂いた皆様どうもありがとうございます。
去る2016年、熊本、山陰東部、福島周辺において発生した地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後のすみやかな復興を祈念しています。」
また、本日分の記事投稿により、それが667記事となります。
この数値とは1000記事を全体、目標とした場合、その三分の二以上に到達したことを意味します。
そして同時に1000記事まで残り333記事ということになりますが、これはこれまで通り、ほぼ毎日の記事投稿を継続することにより、一年程度にて到達可能ということになりますが、そのように考えてみますと、それは果たして長いのか、短いのかよく分かりません・・(笑)。
とはいえ、その一方で、ブログ記事作成当初から現在に至り丁度2年以上継続したことになります。
また1年365日として考え2年としますと730日もしくは731日であり、その間に666の記事投稿としますと大体10日のうち9日は記事投稿を行ってきたことになります。
これに対し、自身としては『まあ、やったな・・』といった感じであり、また、未だ途中と考えることから達成感、感興らしきものはあまり生じませんが、それでも曲がりなりにもこれだけの期間、文章、記事を継続して作成、投稿したことは過去においてありませんでしたので『まあ、折角だから、もう少し継続してみようかな・・』といった感じにはなります・・(笑)。
さて、この先果たして1000記事までどうにか記事作成を継続することになるのでしょうか・・(笑)?
そういえば昨日分の投稿記事もまた、投稿後24時間も経っていないわりには多くの方々に閲覧して頂けたようです・・。
現在、ほぼ10年前に自身が作成した文章、草稿を読んでみますと、後になり割愛した部分などにも、それなりに面白いと思われることも書かれており、おそらく発想力、創造力のトルクといったものに関しては、当時の方が強かったのではないかと感じられます・・。
加えて、さきの文章・草稿を読んでみますと、何といいますか勢い・スピード感らしきものが感じられるのです・・。
おそらく過去のものではあれ、自身の作成した文章であることから、そのような感覚が生じるのかもしれませんが、その点(文章の勢い、スピード感)において、果たして現在の私とは進化しているのでしょうか・・(笑)。
こうしたことは、おそらく自身ではよく分からないことではありますが、しかし、当時作成した文章とは、自分なりに時間をかけ、推敲を重ね、熟考したものであるのに対し、現在作成している一連のブログ記事とは、ほぼ即興といって良いものであり、その点、つまり即興にて、そしてほぼ毎日、ある程度の長さの文章を作成することに関しては多少は進化しているのではないかとも思われます・・(笑)。
また、その内容に関しても、凡そ文章なるものに含まれる要素に認識的なものと情緒的なものがあるとすれば、過去の即興にて作成した文章とは、概ね情緒的要素の割合が高く、それが現在に近くなるにしたがい、認識的要素の割合が高くなっていくといった傾向があるのではないかと考えます。
そして一連の投稿記事においても、記事毎に両要素の割合のブレが認められるものの、より大きな視点にて過去と比較した場合の現在とは、認識的要素が大きくなり、あるいは両要素のバランスが取れている、融合されたような文章を書くことが出来るようになってきているのではないかと思われるのですが如何でしょうか・・?
そしておそらく文体の獲得とは、こうしたことに大きく関係しているのではないかと思われます。
ともあれ、おかげさまで1000記事を目標、全体とした場合の三分の二まで到達することが出来ました。
そして、今回もまたここまで興味を持って読んで頂いた皆様どうもありがとうございます。
去る2016年、熊本、山陰東部、福島周辺において発生した地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後のすみやかな復興を祈念しています。」
20170624 かつて書いた修士論文草稿を偶然見つけて思ったこと・・『牟婁』について
2003年秋に至るまで数年在住した南紀において私は自転車、自動車を用い在住地域をそれなりに散策をした。
こうした折に自転車にて富田川支流のとある上流地域に迷い込んだことある。
ここでの雰囲気がコトバでは未だ上手く書くことが出来ないものの、とにかく何やら神聖?異様?なものであったことが強く印象に残り、後年、当地の大学院にて地域の歴史、文化に関する書籍、文献をやみくもに読んでいると、かつてその地域において、ある特異とも云える雨乞い祭祀が行われていたことを知った。
そこで「これには何かあるのではないか?」と自身の感覚を頼り、さらに研究を進めていると、これと類似した、あるいは同一の起源を持つを考えられる雨乞い祭祀が数少ないものの西日本~東海を中心に数例見出すことが出来た。
また、当雨乞い祭祀の歴史について調べてみると、面白いことに『続日本紀』そして『日本霊異記』から当雨乞い祭祀と強い関連性があると思われる記述、説話をいくつか見出すことが出来た。
そのことから、当雨乞い祭祀は奈良、平安時代以前より行われていたと考え得るのであるが、その起源については、分からず、なおも書籍、文献をあたっていると、戦前の朝鮮総督府が刊行した現地にて行われている雨乞い祭祀を含む祭祀全般について書かれた書籍を偶然、大学図書館にて見つけた。
この書籍によると当時、朝鮮半島においては古来より犠牲獣を用いる諸祭祀が我が国と比べ一般的ではあったものの、さきに述べた特異な雨乞い祭祀形態と同一起源であると判断可能な要素は多くは見出すことは出来なかった。
とはいえ、当書籍によると、傾向としては朝鮮半島南西部の全羅南道にある程度それらが集中していたと云い得る。
この全羅南道とは、我が国特有の古墳形状であるとされる前方後円墳(当地では5~6世紀築造とのこと)が集中して発見されている地域であることから、それらの間には何かしら共通する歴史的背景があるのではないかと考えられる。
ちなみにこの全羅南道とは、古代において百済、新羅と異なり、当時の倭国との関係がより深かったとされる任那に属する地域であったことから、むしろ、こうした関係性の指摘とは当然であるのかもしれないが・・。
また、さらに想像をたくましくすると継体朝の6世紀初頭において、当任那地域の西側が北隣の百済に割譲されるという事態があったことを日本書記が伝えているが、この時に割譲された(任那・全羅南道)地域の一つの地名に『牟婁』というものがあった。
この『牟婁』と同じ字を用いる地名は、日本書記あるいは、さきとは別の『日本霊異記』説話からも理解される通り、現在の和歌山県の紀伊田辺あたりから南紀一帯(田辺市、西・東牟婁郡あるいは南・北牟婁郡も含むか)を指すものであった。
そして、その地域の中でも、おそらく紀伊田辺周辺とは、古来より地域における中核的存在であったことが、その遺跡、遺物等の数量などから理解することが出来る。
この和歌山県の牟婁とさきの任那、全羅南道での古地名である牟婁とは、何かしら関係があるのではないかと考えることが出来るが、一つの仮説として、さきに書いた6世紀初頭の百済による任那割譲の際、百済よりも倭国にアイデンティティーを持つ集団が、その地を離れ、何らかの縁を辿り、対馬海峡を渡り、この地、南紀一帯に住むことになり、その地名を故地にちなんで牟婁にしたのではないかと考えられる。
そして、彼らが頼った縁とは、古代倭国の外交、外地(朝鮮半島)での軍事活動に多く携わったとされる紀伊国の豪族紀氏が関係しているのかもしれない・・。
以上はあくまでも想像ではありますが、同時にそこまで無理なハナシでもないように思われますが如何でしょうか・・?
今回もまた興味を持って読んでくださり、どうもありがとうございます・・。
昨2016年、熊本、山陰東部、福島周辺において発生した地震により被害を被った地域の出来るだけ早い諸インフラの復旧、そしてその後の速やかな復興を祈念しています。」
こうした折に自転車にて富田川支流のとある上流地域に迷い込んだことある。
ここでの雰囲気がコトバでは未だ上手く書くことが出来ないものの、とにかく何やら神聖?異様?なものであったことが強く印象に残り、後年、当地の大学院にて地域の歴史、文化に関する書籍、文献をやみくもに読んでいると、かつてその地域において、ある特異とも云える雨乞い祭祀が行われていたことを知った。
そこで「これには何かあるのではないか?」と自身の感覚を頼り、さらに研究を進めていると、これと類似した、あるいは同一の起源を持つを考えられる雨乞い祭祀が数少ないものの西日本~東海を中心に数例見出すことが出来た。
また、当雨乞い祭祀の歴史について調べてみると、面白いことに『続日本紀』そして『日本霊異記』から当雨乞い祭祀と強い関連性があると思われる記述、説話をいくつか見出すことが出来た。
そのことから、当雨乞い祭祀は奈良、平安時代以前より行われていたと考え得るのであるが、その起源については、分からず、なおも書籍、文献をあたっていると、戦前の朝鮮総督府が刊行した現地にて行われている雨乞い祭祀を含む祭祀全般について書かれた書籍を偶然、大学図書館にて見つけた。
この書籍によると当時、朝鮮半島においては古来より犠牲獣を用いる諸祭祀が我が国と比べ一般的ではあったものの、さきに述べた特異な雨乞い祭祀形態と同一起源であると判断可能な要素は多くは見出すことは出来なかった。
とはいえ、当書籍によると、傾向としては朝鮮半島南西部の全羅南道にある程度それらが集中していたと云い得る。
この全羅南道とは、我が国特有の古墳形状であるとされる前方後円墳(当地では5~6世紀築造とのこと)が集中して発見されている地域であることから、それらの間には何かしら共通する歴史的背景があるのではないかと考えられる。
ちなみにこの全羅南道とは、古代において百済、新羅と異なり、当時の倭国との関係がより深かったとされる任那に属する地域であったことから、むしろ、こうした関係性の指摘とは当然であるのかもしれないが・・。
また、さらに想像をたくましくすると継体朝の6世紀初頭において、当任那地域の西側が北隣の百済に割譲されるという事態があったことを日本書記が伝えているが、この時に割譲された(任那・全羅南道)地域の一つの地名に『牟婁』というものがあった。
この『牟婁』と同じ字を用いる地名は、日本書記あるいは、さきとは別の『日本霊異記』説話からも理解される通り、現在の和歌山県の紀伊田辺あたりから南紀一帯(田辺市、西・東牟婁郡あるいは南・北牟婁郡も含むか)を指すものであった。
そして、その地域の中でも、おそらく紀伊田辺周辺とは、古来より地域における中核的存在であったことが、その遺跡、遺物等の数量などから理解することが出来る。
この和歌山県の牟婁とさきの任那、全羅南道での古地名である牟婁とは、何かしら関係があるのではないかと考えることが出来るが、一つの仮説として、さきに書いた6世紀初頭の百済による任那割譲の際、百済よりも倭国にアイデンティティーを持つ集団が、その地を離れ、何らかの縁を辿り、対馬海峡を渡り、この地、南紀一帯に住むことになり、その地名を故地にちなんで牟婁にしたのではないかと考えられる。
そして、彼らが頼った縁とは、古代倭国の外交、外地(朝鮮半島)での軍事活動に多く携わったとされる紀伊国の豪族紀氏が関係しているのかもしれない・・。
以上はあくまでも想像ではありますが、同時にそこまで無理なハナシでもないように思われますが如何でしょうか・・?
今回もまた興味を持って読んでくださり、どうもありがとうございます・・。
昨2016年、熊本、山陰東部、福島周辺において発生した地震により被害を被った地域の出来るだけ早い諸インフラの復旧、そしてその後の速やかな復興を祈念しています。」
2017年6月24日土曜日
20170623 其2 岩波書店刊 トーマス・マン著『魔の山』上巻pp.268-270より抜粋引用
岩波書店刊 トーマス・マン著『魔の山』上巻pp.268-270より抜粋引用
ISBN-10: 4003243366
ISBN-13: 978-4003243367
『ハンス・カストルプはそのときあいにく頭がぼんやりとしていたし、「ベルクホーフ」の六品の昼食で有機体がてんやわんやであったが、セテムブリーニが法の一般原理を「自由と進歩の源泉」と呼んだ意味を理解しようとつとめた。
ハンス・カストルプはそれまで進歩を十九世紀における起重装置の進歩というようなものに理解してきた。
それにまた、彼はセテムブリーニ氏がそういうものを軽蔑しないこと、祖父のセテムブリーニもまた軽蔑しなかったことを感じた。
イタリア人は二人の祖国であるドイツにたいして、封建制度の甲冑をがらくたに一変させた火薬、そして印刷術がその国で発明されたという理由から、ふかい尊敬を表明した。印刷術は思想の民主的普及、いいかえると、民主的思想の普及を可能にしたからであった。
そういう点で、そして過去の問題にするかぎり、イタリア人はドイツをたたえたが、しかし、ほかの民族が迷信と奴隷状態に沈淪しているときに、まっさきに啓蒙、教養、自由の旗をひるがえした彼の祖国イタリアに、栄冠が当然あたえられるべきであるとした。
従兄弟が彼と山腹のベンチのそばで初めて出会ったときにわかったとおり、彼はハンス・カストルプの専門である工学と交運を重要視していたが、それは工学と交運そのものを重要視していたというよりも、この二つが人間の倫理的完成にたいして持つ意義を重要視していたのであった。
―彼は二つにそういう意義をみとめることをためらわないと言明した。
彼によると、工学は自然をつぎつぎと征服し、連絡をつけ、道路網と電信網を完成し、それによって風土的差別を克服し、諸民族を相互に接近させ相互の親睦を促進させ、相互の人間的協調の道をひらき、諸民族の偏見を打破し、最後には人類全体の融合統一を実現させる上に、もっとも信頼できる手段であった、人類は暗黒、恐怖、憎悪から出発して、光輝ある道を前進し向上して、融和、内面的光明、親善、幸福という最後の目標に向かうのであって、この途上で工学はもっとも有効な推進力であるそうであった。
セテムブリーニ氏はそう話しながら、ハンス・カストルプがこれまではなれあっているものとのみ考えていた二つのカテゴリーを一息に一括して、工学と倫理性!といった。
それから彼はほんとうにキリスト教の救世主についてしゃべりはじめ、キリストが最初に平等と融合の原理を啓示し、つづいて印刷術がその原理の普及をいちじるしく押し進め、ついにフランス革命がそれを法律へ高めたのだといった。
セテムブリーニはそれをたいへん明快なぴちぴちした言葉で話したが、ハンス・カストルプは漠然とした理由からではあったが、その話をひどく混乱した話のように感じた。』
ISBN-10: 4003243366
ISBN-13: 978-4003243367
『ハンス・カストルプはそのときあいにく頭がぼんやりとしていたし、「ベルクホーフ」の六品の昼食で有機体がてんやわんやであったが、セテムブリーニが法の一般原理を「自由と進歩の源泉」と呼んだ意味を理解しようとつとめた。
ハンス・カストルプはそれまで進歩を十九世紀における起重装置の進歩というようなものに理解してきた。
それにまた、彼はセテムブリーニ氏がそういうものを軽蔑しないこと、祖父のセテムブリーニもまた軽蔑しなかったことを感じた。
イタリア人は二人の祖国であるドイツにたいして、封建制度の甲冑をがらくたに一変させた火薬、そして印刷術がその国で発明されたという理由から、ふかい尊敬を表明した。印刷術は思想の民主的普及、いいかえると、民主的思想の普及を可能にしたからであった。
そういう点で、そして過去の問題にするかぎり、イタリア人はドイツをたたえたが、しかし、ほかの民族が迷信と奴隷状態に沈淪しているときに、まっさきに啓蒙、教養、自由の旗をひるがえした彼の祖国イタリアに、栄冠が当然あたえられるべきであるとした。
従兄弟が彼と山腹のベンチのそばで初めて出会ったときにわかったとおり、彼はハンス・カストルプの専門である工学と交運を重要視していたが、それは工学と交運そのものを重要視していたというよりも、この二つが人間の倫理的完成にたいして持つ意義を重要視していたのであった。
―彼は二つにそういう意義をみとめることをためらわないと言明した。
彼によると、工学は自然をつぎつぎと征服し、連絡をつけ、道路網と電信網を完成し、それによって風土的差別を克服し、諸民族を相互に接近させ相互の親睦を促進させ、相互の人間的協調の道をひらき、諸民族の偏見を打破し、最後には人類全体の融合統一を実現させる上に、もっとも信頼できる手段であった、人類は暗黒、恐怖、憎悪から出発して、光輝ある道を前進し向上して、融和、内面的光明、親善、幸福という最後の目標に向かうのであって、この途上で工学はもっとも有効な推進力であるそうであった。
セテムブリーニ氏はそう話しながら、ハンス・カストルプがこれまではなれあっているものとのみ考えていた二つのカテゴリーを一息に一括して、工学と倫理性!といった。
それから彼はほんとうにキリスト教の救世主についてしゃべりはじめ、キリストが最初に平等と融合の原理を啓示し、つづいて印刷術がその原理の普及をいちじるしく押し進め、ついにフランス革命がそれを法律へ高めたのだといった。
セテムブリーニはそれをたいへん明快なぴちぴちした言葉で話したが、ハンス・カストルプは漠然とした理由からではあったが、その話をひどく混乱した話のように感じた。』
20170623 日常生活(環境・ハナシ言葉)が文章の好みに対して与える影響・・?
A「一昨日投稿の記事はどうしたわけか、その後も閲覧者数が伸び続けております。
以前も書きましたが、ほぼ毎日、習慣として作成している一連のブログ記事において、こうした現象が生じることは、作成者としてはなかなか面白いことであると云えます・・(笑)。
そして、その理由を出来るだけ客観的に考えてみまと、その書かれている文章に、ある程度共感らしきものを惹起させる要素、あるいは、過去の事実を活写したと云い得る要素が見受けられるからではないかと考えます・・。
こうしたことは、おそらく書いた本人ではよく分からないものの、読む側に立った場合において感知し得る何かがあるのかもしれません・・。
一方、そのように考えるものの、自身もまたどちらかと云えば文章を読み慣れている方であり、それ故、おそらくほぼ無意識ながら、文章に対する好みといったものがあるとも考えます。
そして、そのように考えますと、おそらく、これもまたほぼ無意識に行っていることではあるのかもしれませんが、それ(自身の文章に対する好み、志向)が『現在の自身の文体』を成立せしめているのではないかと思われます。
無論、そうしたものは、経時的に変化するものではあるのですが、それと同時に、そのさらに深いところにもまた、経時的にも変化し難い核となるような文章に対する志向といったものがあるのではないかと考えさせられます・・。
そして比較的変化し易い、いわば表層にある志向といったものは、ある程度明瞭に、その時々に読んでいる書籍、文献等の影響を受けていることが自覚され得ます。
一方、表層ではない、内層もしくは深層にある文章に対する志向といったものは『一体どのような過程にて形成され、そして、どのような契機、原因にて変化していくのか?』とは、なかなか明瞭には理解、認識し難いことではないかと思われます・・。
おそらくそれは、表層における志向とも関連はしているのでしょうが、その関連の仕方とは、単にそれが記憶として蓄積され、風化し、その過程において残ったものが、更なる表層の蓄積により、内層もしくは深層を形成するものとなり、また、表層に対して変化を与え得るものとなるといった割合単純な動態だけではないように思われるのです・・。
そして、その際に大きく抜け落ちている要素とは『日常生活からの影響』ではないかと思われます・・。
さて、これまで言及してきた『文章に対する志向』とは、それが表層であれ内層、深層によるものであれ、あくまでも文章つまり『文字言語』に対しての志向であると云えます。
そして、さきほどの『抜け落ちている』とした日常生活からの影響とは、音声言語・ハナシ言葉によるものが大きいのではないかと思われるのです・・。
おそらくこのことも割合スンナリと納得することが出来るのではないかと思われますが、しかし、この文字言語と音声言語の関係とは、あるにはあるのでしょうが、単純にどちらかもしくは双方が活性化することによって何か変化が生じるといったものだけではなく、さらに大きく、先ずその置かれた環境によって、大きく何かが変化し、次いでその環境における音声言語(地方色のある言語文化)から影響を受け、その反応として、おそらく音声言語に変化が生じ、次いで文字言語においてもまた変化が生じるといった感じではないかと思われます・・。
そしてまた、こうしたことは人の精神さらにはその肉体に対してもまた何らかの変化を与えるのではないかと考えますが如何でしょうか・・?
今回もまた興味を持って読んでくださり、どうもありがとうございます・・。
去る2016年、熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した地震によって被害を被った地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の速やかな復興を祈念しています。」
以前も書きましたが、ほぼ毎日、習慣として作成している一連のブログ記事において、こうした現象が生じることは、作成者としてはなかなか面白いことであると云えます・・(笑)。
そして、その理由を出来るだけ客観的に考えてみまと、その書かれている文章に、ある程度共感らしきものを惹起させる要素、あるいは、過去の事実を活写したと云い得る要素が見受けられるからではないかと考えます・・。
こうしたことは、おそらく書いた本人ではよく分からないものの、読む側に立った場合において感知し得る何かがあるのかもしれません・・。
一方、そのように考えるものの、自身もまたどちらかと云えば文章を読み慣れている方であり、それ故、おそらくほぼ無意識ながら、文章に対する好みといったものがあるとも考えます。
そして、そのように考えますと、おそらく、これもまたほぼ無意識に行っていることではあるのかもしれませんが、それ(自身の文章に対する好み、志向)が『現在の自身の文体』を成立せしめているのではないかと思われます。
無論、そうしたものは、経時的に変化するものではあるのですが、それと同時に、そのさらに深いところにもまた、経時的にも変化し難い核となるような文章に対する志向といったものがあるのではないかと考えさせられます・・。
そして比較的変化し易い、いわば表層にある志向といったものは、ある程度明瞭に、その時々に読んでいる書籍、文献等の影響を受けていることが自覚され得ます。
一方、表層ではない、内層もしくは深層にある文章に対する志向といったものは『一体どのような過程にて形成され、そして、どのような契機、原因にて変化していくのか?』とは、なかなか明瞭には理解、認識し難いことではないかと思われます・・。
おそらくそれは、表層における志向とも関連はしているのでしょうが、その関連の仕方とは、単にそれが記憶として蓄積され、風化し、その過程において残ったものが、更なる表層の蓄積により、内層もしくは深層を形成するものとなり、また、表層に対して変化を与え得るものとなるといった割合単純な動態だけではないように思われるのです・・。
そして、その際に大きく抜け落ちている要素とは『日常生活からの影響』ではないかと思われます・・。
さて、これまで言及してきた『文章に対する志向』とは、それが表層であれ内層、深層によるものであれ、あくまでも文章つまり『文字言語』に対しての志向であると云えます。
そして、さきほどの『抜け落ちている』とした日常生活からの影響とは、音声言語・ハナシ言葉によるものが大きいのではないかと思われるのです・・。
おそらくこのことも割合スンナリと納得することが出来るのではないかと思われますが、しかし、この文字言語と音声言語の関係とは、あるにはあるのでしょうが、単純にどちらかもしくは双方が活性化することによって何か変化が生じるといったものだけではなく、さらに大きく、先ずその置かれた環境によって、大きく何かが変化し、次いでその環境における音声言語(地方色のある言語文化)から影響を受け、その反応として、おそらく音声言語に変化が生じ、次いで文字言語においてもまた変化が生じるといった感じではないかと思われます・・。
そしてまた、こうしたことは人の精神さらにはその肉体に対してもまた何らかの変化を与えるのではないかと考えますが如何でしょうか・・?
今回もまた興味を持って読んでくださり、どうもありがとうございます・・。
去る2016年、熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した地震によって被害を被った地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の速やかな復興を祈念しています。」
2017年6月22日木曜日
20170622 【ブログ開始2周年!】自分を制御するものとは・・「記憶」・「力」?
昨日投稿の記事は投稿翌日ではあるものの多くの方々に読んで頂けました。さて、この記事にて面白く読んで頂けたのは前半部・後半部の何れでしょうか・・?
そして、その要因が主に後半部にあるとしてハナシを先に進めます・・。
さて、昨日の投稿記事にて鉢巻が出てきましたが、この鉢巻とは、それ以前に別の文系院時代の知人が所持したものであり私を含め計3名が学位審査の際に所持していたことになります。
また、この先もそれが上手い具合に誰かの手に渡れば良いとは考えておりますが、さて、それは果たして何時のことになるのでしょうか・・(苦笑)?
加えて、このことを書いておりますと、今後しばらく経ちましたら、こうした経験を経た時期(2012~2013年)のことを、おそらくブログ記事であるとは思われますが、何らかのカタチで書いてみたいとも考えるようになります・・(笑)。
とはいえ、どの時期においてもそうなのですが、世間というものの中で関与する方々とは、全てが全て、文章作成者にとって良い人間ばかりであるとは限らないことから、こうしたものはどうも書き難く感じてしまうのです・・(苦笑)。
その一方で、こうしたことを『筆誅だ!』とばかりに勢い込んで書くのもあまり思慮深い行為であるとは思えませんので、まあ落ち着いた、抑えた筆致で自然に書くことが出来るようになるまで、さきに書いたように、もうしばらく待つのが良いと思われます・・。
しかし、思い返してみますと2012・13年の時期とは、本当に周囲の方々の助けがなければ、どうなっていたか分かりませんし、またそれはとても怖くて想像することも出来ません・・。
あるいはまた2012年のよく分からない多忙さがなければ、さきの想像も出来ない方向に転んでいたのではないかとも思えます・・。
そして、その意味で、やはり私は一つ一つの組織などは別としても、当時在住していた鹿児島の地域社会あるいは大学自体に対しては(大いに)感謝すべきと考えるのです・・。
また、そこで頂いた・埋め込まれた自身でも未だよく分からない『力』により、今現在ブログ記事の作成を継続出来ていたり、仕事になるか分からないことに対してあれこれ動いたり、また決して容易とは云えない大学職種への公募へも応募し続けることが出来ているのではないかと思われるのです・・。
あるいはそれは、一つの地域内にて過ごし、そして、それと同時に(表層的な)合理性にくわえ、他地域およびその文化に対しての優越感を育んでこられた方々には本質的にあまり理解して頂ける心情ではないものと思われます・・。
しかし、であるからといって、非合理的な心情および他地域に対しての意味不明の屈辱感らしきものを感じている方が優れているわけでもないのでしょうが、それでも、たかだかそれだけのこと(そうした地域に住んでいること、その文化を我が物としていると信じていること)で他地域に対しての優越感を覚えている文化全般の浅薄さとは、正直なところ、どうしても感じざるを得ないことがあります・・(苦笑)。
今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
去る2016年、熊本、山陰東部、福島県周辺において発生した地震によえい被災された地域の出来るだけ早い諸インフラの復旧そして、その後の速やかな復興を祈念しております。
そして、その要因が主に後半部にあるとしてハナシを先に進めます・・。
さて、昨日の投稿記事にて鉢巻が出てきましたが、この鉢巻とは、それ以前に別の文系院時代の知人が所持したものであり私を含め計3名が学位審査の際に所持していたことになります。
また、この先もそれが上手い具合に誰かの手に渡れば良いとは考えておりますが、さて、それは果たして何時のことになるのでしょうか・・(苦笑)?
加えて、このことを書いておりますと、今後しばらく経ちましたら、こうした経験を経た時期(2012~2013年)のことを、おそらくブログ記事であるとは思われますが、何らかのカタチで書いてみたいとも考えるようになります・・(笑)。
とはいえ、どの時期においてもそうなのですが、世間というものの中で関与する方々とは、全てが全て、文章作成者にとって良い人間ばかりであるとは限らないことから、こうしたものはどうも書き難く感じてしまうのです・・(苦笑)。
その一方で、こうしたことを『筆誅だ!』とばかりに勢い込んで書くのもあまり思慮深い行為であるとは思えませんので、まあ落ち着いた、抑えた筆致で自然に書くことが出来るようになるまで、さきに書いたように、もうしばらく待つのが良いと思われます・・。
しかし、思い返してみますと2012・13年の時期とは、本当に周囲の方々の助けがなければ、どうなっていたか分かりませんし、またそれはとても怖くて想像することも出来ません・・。
あるいはまた2012年のよく分からない多忙さがなければ、さきの想像も出来ない方向に転んでいたのではないかとも思えます・・。
そして、その意味で、やはり私は一つ一つの組織などは別としても、当時在住していた鹿児島の地域社会あるいは大学自体に対しては(大いに)感謝すべきと考えるのです・・。
また、そこで頂いた・埋め込まれた自身でも未だよく分からない『力』により、今現在ブログ記事の作成を継続出来ていたり、仕事になるか分からないことに対してあれこれ動いたり、また決して容易とは云えない大学職種への公募へも応募し続けることが出来ているのではないかと思われるのです・・。
あるいはそれは、一つの地域内にて過ごし、そして、それと同時に(表層的な)合理性にくわえ、他地域およびその文化に対しての優越感を育んでこられた方々には本質的にあまり理解して頂ける心情ではないものと思われます・・。
しかし、であるからといって、非合理的な心情および他地域に対しての意味不明の屈辱感らしきものを感じている方が優れているわけでもないのでしょうが、それでも、たかだかそれだけのこと(そうした地域に住んでいること、その文化を我が物としていると信じていること)で他地域に対しての優越感を覚えている文化全般の浅薄さとは、正直なところ、どうしても感じざるを得ないことがあります・・(苦笑)。
今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
去る2016年、熊本、山陰東部、福島県周辺において発生した地震によえい被災された地域の出来るだけ早い諸インフラの復旧そして、その後の速やかな復興を祈念しております。
20170621 ブログ記事作成の環境について、知人からの葉書にて思ったこと・・
本日もまた昨日分の作成記事同様、帰宅後すぐには記事作成を行うことなく、一度休み、深夜過ぎになり記事作成を開始しました。こちらの時間帯の方が比較的静かになっており、記事作成に適していると云えるかもしれません・・。
また、こうしたことは人によっても異なるのかもしれませんが、私の場合、ブログ記事作成の際は割合静かな環境の方を好みます。
時折、喫茶店などでノートパソコンにて何やら書類等を作成されている方々を見かけることがありますが、私の場合、概ね、そうしたことは不得手であると思われます・・。
しかし一方、大変面白いことに、以前、当ブログ記事の下書きをノートに書いて作成していた時期がありましたが、この場合は、喫茶店、図書館といった環境の方が文章の作成は捗るようであり、少なくとも、さきに書いたような静かな環境を好むといったことはありません・・。
このように考えてみますと、そうした『ブログ記事を作成するという同一の行為』において、何故そのような差異が生じたのかとは、なかなか興味深いものがあると云えます。
何故ならば、そのような微妙な点*PCへの直接入力*ノートへの下書きの作成により、それぞれの記事作成に適していると感じる環境が異なるということは、あるいはさらに何か他の要素を加味することにより、また更なる変化が生じるという可能性が示唆されるからです・・。
これは今後さらに考える価値があるものと云えます・・。
そして、今後、何かしらの変化もしくは成果が生じた場合、またそれをブログ記事にしてみようと思います・・(笑)。
さて、つい先日文系院時代の知人からお葉書が届きました。
文面によると、さらに以前、私が送付したあるものが起因のようですが、その一方で、つい先日頂いた別の文系院時代の知人からの電話との関連性もまた聊か気になるところです・・(笑)。
この葉書を書かれた方は、私の周囲で初めて、あるいは先陣を切って博士課程に進まれた方であり、また、さらに思い返してみますと、以前、当ブログにも書きましたが、2013年7月の私の学位審査直前に、御自身が同じ局面において所持されていた『闘魂』と書かれた鉢巻を手紙と共に送付して頂いた方でもあります・・。
これらが封入された封筒を開け、中を確認した時は、さすがに多少目が潤みました・・。
また、この鉢巻は現在も私が所持しており、今後同じ局面に立つであろう方にお渡ししなければならないと考えています・・(笑)。
とはいえ、現状において博士課程、就中、文系に進学する場合、その先にかなりの困難(本当にこればかりは『困難とコトバで書くのは簡単だが・・』と思います。)が予想されると考えられますので『周囲にそうした方が出て欲しい』と望む気持ちとは、なかなか複雑なものであるとも云えます・・。
また一方で、自身の場合、専攻研究分野こそ異なりますが、同じ局面に至るまで、さまざまな事情があったと云えますので、現状をも含め、その『困難』とは、ある程度は理解出来るのではないかと思われます・・。
加えて、それと多少関連することであり、またこれは自身の現在の職務ともまた関連することではあるのですが、今後、歯科衛生士にて大学院(修士・博士)に進学された方々が就職先として臨床を行う個人経営の歯科医院あるいは中小医療機関に向かう傾向が増大することにより、歯科医療ひいては社会全般が多少変化するのではないかと思われます・・。
そして実際、そのように感じさせる兆しのようなものが時折感じられるのです・・。
しかしながら、これに関しては、もう少しの観察期間を要することではありますが・・。
今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨2016年、熊本、山陰東部、福島県周辺において生じた地震により被害を被った地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧そして、その後の速やかな復興を祈念しております。
また、こうしたことは人によっても異なるのかもしれませんが、私の場合、ブログ記事作成の際は割合静かな環境の方を好みます。
時折、喫茶店などでノートパソコンにて何やら書類等を作成されている方々を見かけることがありますが、私の場合、概ね、そうしたことは不得手であると思われます・・。
しかし一方、大変面白いことに、以前、当ブログ記事の下書きをノートに書いて作成していた時期がありましたが、この場合は、喫茶店、図書館といった環境の方が文章の作成は捗るようであり、少なくとも、さきに書いたような静かな環境を好むといったことはありません・・。
このように考えてみますと、そうした『ブログ記事を作成するという同一の行為』において、何故そのような差異が生じたのかとは、なかなか興味深いものがあると云えます。
何故ならば、そのような微妙な点*PCへの直接入力*ノートへの下書きの作成により、それぞれの記事作成に適していると感じる環境が異なるということは、あるいはさらに何か他の要素を加味することにより、また更なる変化が生じるという可能性が示唆されるからです・・。
これは今後さらに考える価値があるものと云えます・・。
そして、今後、何かしらの変化もしくは成果が生じた場合、またそれをブログ記事にしてみようと思います・・(笑)。
さて、つい先日文系院時代の知人からお葉書が届きました。
文面によると、さらに以前、私が送付したあるものが起因のようですが、その一方で、つい先日頂いた別の文系院時代の知人からの電話との関連性もまた聊か気になるところです・・(笑)。
この葉書を書かれた方は、私の周囲で初めて、あるいは先陣を切って博士課程に進まれた方であり、また、さらに思い返してみますと、以前、当ブログにも書きましたが、2013年7月の私の学位審査直前に、御自身が同じ局面において所持されていた『闘魂』と書かれた鉢巻を手紙と共に送付して頂いた方でもあります・・。
これらが封入された封筒を開け、中を確認した時は、さすがに多少目が潤みました・・。
また、この鉢巻は現在も私が所持しており、今後同じ局面に立つであろう方にお渡ししなければならないと考えています・・(笑)。
とはいえ、現状において博士課程、就中、文系に進学する場合、その先にかなりの困難(本当にこればかりは『困難とコトバで書くのは簡単だが・・』と思います。)が予想されると考えられますので『周囲にそうした方が出て欲しい』と望む気持ちとは、なかなか複雑なものであるとも云えます・・。
また一方で、自身の場合、専攻研究分野こそ異なりますが、同じ局面に至るまで、さまざまな事情があったと云えますので、現状をも含め、その『困難』とは、ある程度は理解出来るのではないかと思われます・・。
加えて、それと多少関連することであり、またこれは自身の現在の職務ともまた関連することではあるのですが、今後、歯科衛生士にて大学院(修士・博士)に進学された方々が就職先として臨床を行う個人経営の歯科医院あるいは中小医療機関に向かう傾向が増大することにより、歯科医療ひいては社会全般が多少変化するのではないかと思われます・・。
そして実際、そのように感じさせる兆しのようなものが時折感じられるのです・・。
しかしながら、これに関しては、もう少しの観察期間を要することではありますが・・。
今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨2016年、熊本、山陰東部、福島県周辺において生じた地震により被害を被った地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧そして、その後の速やかな復興を祈念しております。
2017年6月20日火曜日
20170620 昨日分の記事投稿パターンから思ったこと・・
多少疲れが溜っていたのか、昨日は記事作成途中に眠くなり、一旦寝てしまいました・・(苦笑)。
そして、明け方になり目が覚め、途中であった記事を一応完成させ、投稿時間をセットしてから再度床に就いた次第です。
こうした記事作成パターンは初めてでしたが、やはりこの疲れが溜っていた原因とは、先週末にある程度の遠出をしたことに因るのではないかと思われます・・。
一方、現在は特に首都圏において、そこそこの移動はしておりますので、やはり慣れないところに赴くというのは、それなりにストレスとなり、疲労が蓄積するのかもしれません・・。
また、そのように考え、かつての鹿児島在住時を振り返ってみますと、在住も二年目あたりになりますと、所用などで関東、東海方面に出向いても、故郷(千葉・首都圏)に近づいたという感覚は皆無になっており、逆に飛行機が鹿児島空港に帰着すると、何だか安心するといった感覚になっており、その内面の変化を我が事ながら奇妙に、そして新鮮に感じていたことが思い起こされます・・(笑)。
そのことから、やはり『日常性』という感覚は、厳然として存在すると思われるのですが如何でしょうか?
さて、冒頭に書きましたように、昨日分の作成記事は本日朝に投稿しましたが、それでも今現在までの閲覧者数はこれまでのそれと大きく変化することはありませんでした・・。
そのことから『別に記事を投稿しなくても、あまり閲覧者数は変わらないのではないか?』とも思うところではあるのですが、それでも毎日の記事作成を継続しているからこそ、あまり多いとは云えないにしても、ある程度の方々に読んで頂けていると思われますので、やはり出来る限り毎日の記事作成は継続した方が良いと云う結論に至ります・・(笑)。
また、それと同時に(ほぼ)毎日記事を作成、投稿していて面白いことは、時折、他と比較して(有意に)多く読まれる記事が作成されるということです。
しかし、であるからといって、漠然とした書かれる文章の質の向上(もしくは文体の獲得)を目指す以外に、こうした(有意に多く読まれる)記事の量産を小手先の技術(そうした記事の模倣の量産)に拠って試みるのは、あまり良いこととも思われないため、大意においては自分なりの創造およびその表出の仕方には留意しつつも、今現在はとりあえず(ほぼ)毎日の記事作成、投稿にのみ重点を置いている次第です・・。
加えて、これまでにも書いたことがありますが、本来、自身のブログとは、多くの閲覧者数の獲得を狙ったものではないことから、むしろ現在の平均的な閲覧者数およびこれまでの合計とは、かなり意外なものであるとも云えるのです・・(笑)。
とはいえ、これまで一連の記事を興味を持って読んでくださっている皆様、本当にどうもありがとうございます・・。
昨2016年、熊本、山陰東部、福島周辺を襲った地震によって被災された地域の出来るだけ早い諸インフラの復旧、そして、その後の速やかな復興を祈念しています。」
そして、明け方になり目が覚め、途中であった記事を一応完成させ、投稿時間をセットしてから再度床に就いた次第です。
こうした記事作成パターンは初めてでしたが、やはりこの疲れが溜っていた原因とは、先週末にある程度の遠出をしたことに因るのではないかと思われます・・。
一方、現在は特に首都圏において、そこそこの移動はしておりますので、やはり慣れないところに赴くというのは、それなりにストレスとなり、疲労が蓄積するのかもしれません・・。
また、そのように考え、かつての鹿児島在住時を振り返ってみますと、在住も二年目あたりになりますと、所用などで関東、東海方面に出向いても、故郷(千葉・首都圏)に近づいたという感覚は皆無になっており、逆に飛行機が鹿児島空港に帰着すると、何だか安心するといった感覚になっており、その内面の変化を我が事ながら奇妙に、そして新鮮に感じていたことが思い起こされます・・(笑)。
そのことから、やはり『日常性』という感覚は、厳然として存在すると思われるのですが如何でしょうか?
さて、冒頭に書きましたように、昨日分の作成記事は本日朝に投稿しましたが、それでも今現在までの閲覧者数はこれまでのそれと大きく変化することはありませんでした・・。
そのことから『別に記事を投稿しなくても、あまり閲覧者数は変わらないのではないか?』とも思うところではあるのですが、それでも毎日の記事作成を継続しているからこそ、あまり多いとは云えないにしても、ある程度の方々に読んで頂けていると思われますので、やはり出来る限り毎日の記事作成は継続した方が良いと云う結論に至ります・・(笑)。
また、それと同時に(ほぼ)毎日記事を作成、投稿していて面白いことは、時折、他と比較して(有意に)多く読まれる記事が作成されるということです。
しかし、であるからといって、漠然とした書かれる文章の質の向上(もしくは文体の獲得)を目指す以外に、こうした(有意に多く読まれる)記事の量産を小手先の技術(そうした記事の模倣の量産)に拠って試みるのは、あまり良いこととも思われないため、大意においては自分なりの創造およびその表出の仕方には留意しつつも、今現在はとりあえず(ほぼ)毎日の記事作成、投稿にのみ重点を置いている次第です・・。
加えて、これまでにも書いたことがありますが、本来、自身のブログとは、多くの閲覧者数の獲得を狙ったものではないことから、むしろ現在の平均的な閲覧者数およびこれまでの合計とは、かなり意外なものであるとも云えるのです・・(笑)。
とはいえ、これまで一連の記事を興味を持って読んでくださっている皆様、本当にどうもありがとうございます・・。
昨2016年、熊本、山陰東部、福島周辺を襲った地震によって被災された地域の出来るだけ早い諸インフラの復旧、そして、その後の速やかな復興を祈念しています。」
20170619 白村江の戦いとクリミア戦争・バラクラヴァの戦いから思ったこと・・
A「先日来より読み進めている書籍にて、ようやく7世紀半ば過ぎの『白村江の戦い』の項まで至りました。
そして、この『白村江の戦い』の項を読んでおりますと、どうしたわけか以前に観た19世紀半ば頃の『クリミア戦争』を舞台とした『遥かなる戦場』(原題「The Charge of the Light Brigade」)という映画が思い出されました。
この映画の題名は、同じ戦争・戦闘を題材としたテニスンによる、どちらかといえば勇壮な同名の詩に基づいており、この映画においては、さきほどの詩の印象(勇壮)とは異なり、平時・戦時における当時の軍上層部の腐敗、無能ぶり、そしてそこから必然的に生じる犠牲のバカバカしさについて特に力点を置いて描かれていたように記憶しています。
この映画が制作された時代背景が多少気になるところではありますが、ともあれ、このクリミア戦争はイギリス・フランス・トルコ側が勝利し、その結果、特に前二国の国際的な力が強まり、後に続く19世紀後半の帝国主義全盛期が齎されたとも云えます。
そしてまた丁度この時期とは、我が国においてもペリー来航により、幕末動乱期(維新回天期)に入ろうとする時期でもありましたので、この19世紀半ばとは、世界史、日本史的に見ても共通して一つの大きな時代の変革期であったのではないかと思われます・・。
またそれはさきに書いた『白村江の戦い』においても同様であり、この戦争での惨敗を機に、そこから惹起される外圧意識により我が国(倭国)は内乱等を経て本格的な中央集権体制へと移行したと考えられています。
それ故、当然ではあるのでしょうが、我が国も直接、間接を問わず国際間にて生じる出来事から多大なる影響に受けており、それは現在もまた同様であると云えます。
その意味で、現在の東アジアの状況とは、今後、如何なる状況への進展に結び付くのかとはやはり多少気になるところです・・。
とはいえ、そこまでハナシが大きくなりますと、あまり具体的なことは分かりませんので書きませんが、しかし少なくとも現在およびその(少し)先の未来とは、おそらく我が国の前世紀後半に見られたような、さまざまな事物の社会での急激な増加、浸透といった時代ではなく、何においても量から質への転換が図られる時代になるのではないかと思われます。
多くの事物において、その『量』とは、それぞれ測定、数値化され、比較検討すること、ひいては一般化することが容易ではあるのですが一方、その『質』となると、なかなかそのようには行かないのではないかと思われるのです・・。
さまざまな事物がその質においても、同様の手法にて、それぞれ何らかの要素による測定、数値化が為され、比較され、その大小によって良し悪しが判断、決定されるようになりますと、それはこれまでもそうであったように、無意識ながら次第に人間それ自身にまでもおよび、結果的に人間のみが持つとされる特質である創造性が壊死してしまうおそれも少なからずあるのではないでしょうか・・?
あるいは、そこで創造性を担保、保持するため、他に対する嗜虐性を強化することもまたあるのではないかとも考えます・・(これは案外新しい意見かもしれない・人身御供の起源?)。
とはいえ、そうした状況において、それぞれの民族、国民が持つ歴史、文化によって、その反応が変わってくるのではないかと思われます・・。
そのことから、やはり歴史、思想などもまた重要であるものと考えるのです・・。
今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
去る2016年、熊本、山陰東部、福島県周辺にて生じた地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、その後の速やかな復興を祈念しております。」
そして、この『白村江の戦い』の項を読んでおりますと、どうしたわけか以前に観た19世紀半ば頃の『クリミア戦争』を舞台とした『遥かなる戦場』(原題「The Charge of the Light Brigade」)という映画が思い出されました。
この映画の題名は、同じ戦争・戦闘を題材としたテニスンによる、どちらかといえば勇壮な同名の詩に基づいており、この映画においては、さきほどの詩の印象(勇壮)とは異なり、平時・戦時における当時の軍上層部の腐敗、無能ぶり、そしてそこから必然的に生じる犠牲のバカバカしさについて特に力点を置いて描かれていたように記憶しています。
この映画が制作された時代背景が多少気になるところではありますが、ともあれ、このクリミア戦争はイギリス・フランス・トルコ側が勝利し、その結果、特に前二国の国際的な力が強まり、後に続く19世紀後半の帝国主義全盛期が齎されたとも云えます。
そしてまた丁度この時期とは、我が国においてもペリー来航により、幕末動乱期(維新回天期)に入ろうとする時期でもありましたので、この19世紀半ばとは、世界史、日本史的に見ても共通して一つの大きな時代の変革期であったのではないかと思われます・・。
またそれはさきに書いた『白村江の戦い』においても同様であり、この戦争での惨敗を機に、そこから惹起される外圧意識により我が国(倭国)は内乱等を経て本格的な中央集権体制へと移行したと考えられています。
それ故、当然ではあるのでしょうが、我が国も直接、間接を問わず国際間にて生じる出来事から多大なる影響に受けており、それは現在もまた同様であると云えます。
その意味で、現在の東アジアの状況とは、今後、如何なる状況への進展に結び付くのかとはやはり多少気になるところです・・。
とはいえ、そこまでハナシが大きくなりますと、あまり具体的なことは分かりませんので書きませんが、しかし少なくとも現在およびその(少し)先の未来とは、おそらく我が国の前世紀後半に見られたような、さまざまな事物の社会での急激な増加、浸透といった時代ではなく、何においても量から質への転換が図られる時代になるのではないかと思われます。
多くの事物において、その『量』とは、それぞれ測定、数値化され、比較検討すること、ひいては一般化することが容易ではあるのですが一方、その『質』となると、なかなかそのようには行かないのではないかと思われるのです・・。
さまざまな事物がその質においても、同様の手法にて、それぞれ何らかの要素による測定、数値化が為され、比較され、その大小によって良し悪しが判断、決定されるようになりますと、それはこれまでもそうであったように、無意識ながら次第に人間それ自身にまでもおよび、結果的に人間のみが持つとされる特質である創造性が壊死してしまうおそれも少なからずあるのではないでしょうか・・?
あるいは、そこで創造性を担保、保持するため、他に対する嗜虐性を強化することもまたあるのではないかとも考えます・・(これは案外新しい意見かもしれない・人身御供の起源?)。
とはいえ、そうした状況において、それぞれの民族、国民が持つ歴史、文化によって、その反応が変わってくるのではないかと思われます・・。
そのことから、やはり歴史、思想などもまた重要であるものと考えるのです・・。
今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
去る2016年、熊本、山陰東部、福島県周辺にて生じた地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、その後の速やかな復興を祈念しております。」
20170602 ラッセルにはじまりコンラッドに至るまで・・M2病の妄想?
昨日分の投稿記事は、投稿翌日にしてはここ最近珍しいほど多くの方々に読んで頂けました。とはいえ、相変わらずその理由は分かりません・・(苦笑)。
しかし、一つ思い当たるのは、やはり抜粋引用した書籍が良かったのではないかということです・・。
そのことから、さきほど、この著作の頁を繰ってみますと、あちこちに赤ペンで線が引かれており、その痕跡を辿ってみると、どうやら過去の私は、この一連の著作(全三巻)のうち二巻目の半分ほどまでは読んでいたようです・・。
また、さらに遡って、何故当時ラッセルの著作を読むようになったのかと考えてみますと、それは以前もブログ記事にて書いたと記憶しておりますが、修士課程院生時の議論にてよく出てきたからであると思われます・・。
この当時は当然の如く、主に民俗学、考古学関連の書籍を読んでおりましたが、それだけではどうも自身の述べる事柄の論拠が乏しいと思われたのか、こうした思想、哲学関連の著作をも読む習慣が身に着いたのではないかと思われます・・。
ちなみにこうした議論を通して知り、自分なりにある程度精読した記憶があるのはオルテガ、フレイザー、バタイユ、コンラッドなどであり、中でもコンラッドに関しては、その著作『闇の奥』(Heart of Darkness)になみなみならぬ関心を抱き、当時その和訳が岩波文庫版と市場に出回っていないものの二種があり、前者に関しては既に入手、既読であったのですが、後者を手に入れるために、自分なりに苦心した記憶があります・・。
加えて、当ブログにおいて一記事として抜粋引用している著作(闇の奥)冒頭部分をそれまでの研究にて知り得た古代史、紀伊半島の歴史に当て嵌めて、さきの議論あるいは雑談などの際に述べていたことが思い起こされます・・(苦笑)。
それは以下のように・・
『僕は大昔のこと、我が国の初代天皇(大王)に率いられた一団がここにやってきた頃のことを考えていたんだ・・ついこの間のことのようにね・・。
そしてあとの時代、この紀の川の河口から髪を角髪(みずら)に結い、胡服に身を包み、直刀を杖立てた連中にはじまり、鎧兜姿に太刀を履いた連中がそれぞれ船団を組んでこの港、当時は雄ノ湊とか徳勒津とか云ったらしいけれども、そこからさまざまな事情を背負いつつ出立して行ったわけだが、それはね、青々とした水田、畑を走る一陣の風あるいは一瞬の稲妻のようなものなんだ・・。
われわれ人間の生なんてはかないものだーせいぜいこの古ぼけた地球が回り続けるかぎり、それが続くことを祈ろうじゃないか。
しかし、我々が今でも知り得ない世界はついこの間までこのあたりを覆っていたんだ・・。
まあ想像してもごらんよ、九州の東海岸にいた航海術に長けた連中が・・そうそう、そういえば当時の我が国には、外洋航海を目的とするような構造船はなくて、大型の丸木舟に舷側板を立てたような船だけであったらしいけれども、そうした船で瀬戸内海を東に抜けて今の大阪か奈良あたりに向かうと決まった時の気持ちをね・・。
それはいわば、自分達とは全く違う不可解な形をした青銅祭器を祀っているような連中の間を抜けて・・いや、そうした連中の真っ只中に行くわけなんだが、それでもこの当時九州東海岸にいた連中はとても勇ましかったようで、ものの本などによると、古代有数の軍事部族であった大伴氏や佐伯氏などは、ここに出自を持っているらしいのだがね・・。
ともあれ、彼等がこのあまり堅牢とはいえない、まあ準構造船とでも云えるような船に兵糧・武器その他あれこれを積んで、どうにか瀬戸内海を抜け、そうだな当時の大阪、河内平野一帯に広がっていた潟湖である河内湖に入り、その流れ込みの淀川のデルタ地帯に上陸したところあたりを想像してみたまえ・・。
砂州、沼沢、故地とは違った植生の森林、自分達とは異なるイントネーションの言語、衣服・・それまで自分達が慣れ親しんだ文化が見当たらなく、陸に上がっても狡猾な罠があったり、毒矢で射られたりして、この航海で見知った仲間達が日を追って減っていったに違いない・・。
こうした環境では、水、森林、草原、藪のなかにも、死がそっと潜んでいるのだ。
だが、もちろんそれでも彼等は特に思い惑うこともなく上陸地点を慎重に選定しながら、時には敵対部族とも戦いながら、更なる航海を続け、また上陸後は上陸後で険しい山道を通り抜け、どうにか目的地に達することが出来たのであろう・・。
彼等こそがこうしたまったく見知らぬ土地に立ち向かうに十分な強さを備えた連中だったのだ。
そして、もし、この一連の長く続く航海、在来部族との諍い、そして、この慣れない気候風土を生き抜いたあかつきには、この航海の目的地でもあり、そして、いずれは此処が己が居地ともなることもあろうという思いに元気づけられることもあっただろうよ・・。』
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨年に熊本、山陰東部、福島県周辺において生じた地震によって被害を被った地域の出来るだけ早い諸インフラの復旧、そして、その後の速やかな復興を祈念しております。
しかし、一つ思い当たるのは、やはり抜粋引用した書籍が良かったのではないかということです・・。
そのことから、さきほど、この著作の頁を繰ってみますと、あちこちに赤ペンで線が引かれており、その痕跡を辿ってみると、どうやら過去の私は、この一連の著作(全三巻)のうち二巻目の半分ほどまでは読んでいたようです・・。
また、さらに遡って、何故当時ラッセルの著作を読むようになったのかと考えてみますと、それは以前もブログ記事にて書いたと記憶しておりますが、修士課程院生時の議論にてよく出てきたからであると思われます・・。
この当時は当然の如く、主に民俗学、考古学関連の書籍を読んでおりましたが、それだけではどうも自身の述べる事柄の論拠が乏しいと思われたのか、こうした思想、哲学関連の著作をも読む習慣が身に着いたのではないかと思われます・・。
ちなみにこうした議論を通して知り、自分なりにある程度精読した記憶があるのはオルテガ、フレイザー、バタイユ、コンラッドなどであり、中でもコンラッドに関しては、その著作『闇の奥』(Heart of Darkness)になみなみならぬ関心を抱き、当時その和訳が岩波文庫版と市場に出回っていないものの二種があり、前者に関しては既に入手、既読であったのですが、後者を手に入れるために、自分なりに苦心した記憶があります・・。
加えて、当ブログにおいて一記事として抜粋引用している著作(闇の奥)冒頭部分をそれまでの研究にて知り得た古代史、紀伊半島の歴史に当て嵌めて、さきの議論あるいは雑談などの際に述べていたことが思い起こされます・・(苦笑)。
それは以下のように・・
『僕は大昔のこと、我が国の初代天皇(大王)に率いられた一団がここにやってきた頃のことを考えていたんだ・・ついこの間のことのようにね・・。
そしてあとの時代、この紀の川の河口から髪を角髪(みずら)に結い、胡服に身を包み、直刀を杖立てた連中にはじまり、鎧兜姿に太刀を履いた連中がそれぞれ船団を組んでこの港、当時は雄ノ湊とか徳勒津とか云ったらしいけれども、そこからさまざまな事情を背負いつつ出立して行ったわけだが、それはね、青々とした水田、畑を走る一陣の風あるいは一瞬の稲妻のようなものなんだ・・。
われわれ人間の生なんてはかないものだーせいぜいこの古ぼけた地球が回り続けるかぎり、それが続くことを祈ろうじゃないか。
しかし、我々が今でも知り得ない世界はついこの間までこのあたりを覆っていたんだ・・。
まあ想像してもごらんよ、九州の東海岸にいた航海術に長けた連中が・・そうそう、そういえば当時の我が国には、外洋航海を目的とするような構造船はなくて、大型の丸木舟に舷側板を立てたような船だけであったらしいけれども、そうした船で瀬戸内海を東に抜けて今の大阪か奈良あたりに向かうと決まった時の気持ちをね・・。
それはいわば、自分達とは全く違う不可解な形をした青銅祭器を祀っているような連中の間を抜けて・・いや、そうした連中の真っ只中に行くわけなんだが、それでもこの当時九州東海岸にいた連中はとても勇ましかったようで、ものの本などによると、古代有数の軍事部族であった大伴氏や佐伯氏などは、ここに出自を持っているらしいのだがね・・。
ともあれ、彼等がこのあまり堅牢とはいえない、まあ準構造船とでも云えるような船に兵糧・武器その他あれこれを積んで、どうにか瀬戸内海を抜け、そうだな当時の大阪、河内平野一帯に広がっていた潟湖である河内湖に入り、その流れ込みの淀川のデルタ地帯に上陸したところあたりを想像してみたまえ・・。
砂州、沼沢、故地とは違った植生の森林、自分達とは異なるイントネーションの言語、衣服・・それまで自分達が慣れ親しんだ文化が見当たらなく、陸に上がっても狡猾な罠があったり、毒矢で射られたりして、この航海で見知った仲間達が日を追って減っていったに違いない・・。
こうした環境では、水、森林、草原、藪のなかにも、死がそっと潜んでいるのだ。
だが、もちろんそれでも彼等は特に思い惑うこともなく上陸地点を慎重に選定しながら、時には敵対部族とも戦いながら、更なる航海を続け、また上陸後は上陸後で険しい山道を通り抜け、どうにか目的地に達することが出来たのであろう・・。
彼等こそがこうしたまったく見知らぬ土地に立ち向かうに十分な強さを備えた連中だったのだ。
そして、もし、この一連の長く続く航海、在来部族との諍い、そして、この慣れない気候風土を生き抜いたあかつきには、この航海の目的地でもあり、そして、いずれは此処が己が居地ともなることもあろうという思いに元気づけられることもあっただろうよ・・。』
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨年に熊本、山陰東部、福島県周辺において生じた地震によって被害を被った地域の出来るだけ早い諸インフラの復旧、そして、その後の速やかな復興を祈念しております。
2017年6月18日日曜日
20170618 具体・抽象への書く文章のブレが生じる要因(未だ不可知なもの)
A「昨日は一件は書籍からの抜粋引用でしたが、二件の記事投稿を行ったことによってか、本日これまでの閲覧者数は思いのほか多くなりました(300程度)。
また、本日に関しては、昨日二件の記事投稿を行ったことにより記事投稿は止めておこうとも考えましたが、一方で、何も書かないでおくのも気持ちが悪いことから『とりあえず何かしら書いてみよう・・』と思い立ち、現在こうして記事作成を試みている次第です・・(苦笑)。
さて、先日来より読み進めている書籍も頁数半分以上にまで至り、そこに書かれていることの多くは、これまでの研究成果によってか、かなり明瞭、具体的な記述となっており、大変勉強になります。
また同時に、こうした書籍を読みますと、当然ではあるのでしょうが、自身がかつて興味を持ち、ある程度文献、書籍を読んだと云える分野での研究が、その後も進展していることが実感出来ます。
さらにまた、こうした経験を得ることにより、自身もまた、さまざまなことに対する興味関心が新たに湧いてくるとも云えます・・。
そして、これまでの経験から、それは直ちに自身のブログ記事の題材としては生かされないものの、ある程度時間が経ってから、何かしら新たな記事着想のタネとなる傾向があるものと云えます・・。
また、自身がこれまでどうにか記事作成を継続出来ている一つの原因とは、ここにあるのではないかとも思われるのです・・。
またその一方で、無用な、もしくは悪意ある詮索を避けるため、仕事上のことは、あまりブログ記事の題材にはしないことにしておりましたが、これは現在になり振り返って考えてみますと、少なくとも悪くない選択であり、これまでの作成記事の主たる題材とは、自身の(数年前の)経験、読書に基づいたものであったからこそ、あまり多くの閲覧者数を得ることが出来ないにしても現在まで記事作成を継続することが出来たのではないかと思われるのです・・。
これもまた一つのブログ記事作成を継続させる手法ではないかとも思われます・・(笑)。
あるいは、こうした手法での記事作成に慣れることを通じて、仕事上でのことを記事として書く必要性が生じた場合、あまり痛痒を感じることなく作成することが可能になるとも云えるのかもしれません・・。
何故ならば、一般的に文章を書く場合、具体的な出来事などを書く方が抽象的な考えなどを書くよりも書き易いと思われますので・・。
一方、読み手として考えてみますと、一般的に我々は考え・想念などを文章にて辿るような抽象的、思弁的な文章よりも、具体的な記述内容を持つ文章の方が分かり易く、理解し易いといった傾向があるように思われます。
また、それ故に当記事冒頭に挙げたかつて自身が面白く、勉強になると感じた研究分野においてその後、研究が進展していることが理解し得たとも云えるのではないでしょうか?
おそらく、こうした一つの要素・分野毎の抽象・具体への志向およびそれに付随する書く文章の(抽象、具体への)ブレとは、何かしら未だ自身にとっては不可知な要因によって循環しているのかもしれないと考えさせられます・・(笑)。
果たして今しばらく書き続ければ何かが分かってくるのでしょうか(笑)?
ともあれ、今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨年2016年、熊本、山陰東部、福島県周辺において発生した地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の速やかな復興を祈念しております。」
また、本日に関しては、昨日二件の記事投稿を行ったことにより記事投稿は止めておこうとも考えましたが、一方で、何も書かないでおくのも気持ちが悪いことから『とりあえず何かしら書いてみよう・・』と思い立ち、現在こうして記事作成を試みている次第です・・(苦笑)。
さて、先日来より読み進めている書籍も頁数半分以上にまで至り、そこに書かれていることの多くは、これまでの研究成果によってか、かなり明瞭、具体的な記述となっており、大変勉強になります。
また同時に、こうした書籍を読みますと、当然ではあるのでしょうが、自身がかつて興味を持ち、ある程度文献、書籍を読んだと云える分野での研究が、その後も進展していることが実感出来ます。
さらにまた、こうした経験を得ることにより、自身もまた、さまざまなことに対する興味関心が新たに湧いてくるとも云えます・・。
そして、これまでの経験から、それは直ちに自身のブログ記事の題材としては生かされないものの、ある程度時間が経ってから、何かしら新たな記事着想のタネとなる傾向があるものと云えます・・。
また、自身がこれまでどうにか記事作成を継続出来ている一つの原因とは、ここにあるのではないかとも思われるのです・・。
またその一方で、無用な、もしくは悪意ある詮索を避けるため、仕事上のことは、あまりブログ記事の題材にはしないことにしておりましたが、これは現在になり振り返って考えてみますと、少なくとも悪くない選択であり、これまでの作成記事の主たる題材とは、自身の(数年前の)経験、読書に基づいたものであったからこそ、あまり多くの閲覧者数を得ることが出来ないにしても現在まで記事作成を継続することが出来たのではないかと思われるのです・・。
これもまた一つのブログ記事作成を継続させる手法ではないかとも思われます・・(笑)。
あるいは、こうした手法での記事作成に慣れることを通じて、仕事上でのことを記事として書く必要性が生じた場合、あまり痛痒を感じることなく作成することが可能になるとも云えるのかもしれません・・。
何故ならば、一般的に文章を書く場合、具体的な出来事などを書く方が抽象的な考えなどを書くよりも書き易いと思われますので・・。
一方、読み手として考えてみますと、一般的に我々は考え・想念などを文章にて辿るような抽象的、思弁的な文章よりも、具体的な記述内容を持つ文章の方が分かり易く、理解し易いといった傾向があるように思われます。
また、それ故に当記事冒頭に挙げたかつて自身が面白く、勉強になると感じた研究分野においてその後、研究が進展していることが理解し得たとも云えるのではないでしょうか?
おそらく、こうした一つの要素・分野毎の抽象・具体への志向およびそれに付随する書く文章の(抽象、具体への)ブレとは、何かしら未だ自身にとっては不可知な要因によって循環しているのかもしれないと考えさせられます・・(笑)。
果たして今しばらく書き続ければ何かが分かってくるのでしょうか(笑)?
ともあれ、今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨年2016年、熊本、山陰東部、福島県周辺において発生した地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の速やかな復興を祈念しております。」
20170617 其の2 筑摩書房刊 山田風太郎著『昭和前期の青春』pp.171-174より抜粋引用
筑摩書房刊 山田風太郎著『昭和前期の青春』pp.171-174より抜粋引用
ISBN-10: 4480433317
ISBN-13: 978-4480433312
『弱肉強食は生物の原則で、同時に人間の原則だ。形は変わっても、この原則は永遠に変わらない、という強食派に対して、そんな原則をほしいままにさせないのが人類の進歩だ、と弱肉派がいう。
実は私は個人の素質としては弱肉派のほうだから、こちらに拍手を送りたい。
出来ればその陣営の人となりたい。が―例の低音がいう。
少なくとも日本を弱肉の地位に置かないように渾身の努力をはらうのが、子孫に対するいまのわれわれの義務ではあるまいか。―そもそも、資源なく人間のみひしめく日本という国は、何らかのかたちで他を侵略しなければ生存可能因果な国ではないのか。
ある国が攻めて来たら、どうせ叶わないのだから、威厳をもってただちに降伏すればいい、という論があった。
しかし降伏すれば、それで一件落着、万事大団円とは参らない。こんどはその国の敵国から容赦なく攻撃を受けることになるだろう。
だいいち降伏という事態に威厳を持つことなんか出来やしない。勝利者がそんなことは許さないのである。それは言葉のアヤに過ぎない。
そもそも一国をあげて粛々と降伏するには、国民すべて一つの宗教的信念に徹していなかればならないが、いったい日本人がそんなかたちの宗教民族になれるだろうか。
それどころではない、世界にさきがけて不戦の憲法を持つことすら、ニンに過ぎたことではなかったろうか?
いまそれを支持する国民が大半ではないか、という論に対して、それはただ眼先の泰平に酔い痴れているだけの怠け者のねごとに過ぎない、と低い声がいう。
こんな問答は、何か事が起こらなければ決着のつかない、果てしのない水掛論に過ぎない、とは思うが、いやそう水掛論といっても片付けてもいられない、とも考える、事が起こってからではもう遅いのである。
二年や三年で一応訓練出来る刀と鉄砲だけの戦争の時代ではないのである。
また、突如発作的に大々的軍備に踏み切れば、それこそそのこと自体が事を起こすもととなる。
やるなら、むしろ無用時に、ある水準までの備えをしておかなければならないのではないか、とも考える。
これはとうてい戦中派とか戦後思想とかの次元で論じられる問題ではない。
くり返すが、日本民族はこれから何千年も何万年も生存してゆかなければならないのである。
その間、すべてのことにおいて、ほかの民族に、せめて出来るだけピッタリくっついてゆくことがそのための条件ではあるまいか。
ひとり、あんまり変わった方法で生きながらえゆこうというのは、虫がよ過ぎ、ウヌボレ過ぎ、夢想が過ぎ、はては「非合理」なのではあるまいか。
しかし、しかし、しかし。―
実際問題として、本格的再軍備というのは至難でしょうなあ。私はいまの日本人の男性でさえ再軍備賛成論者は50%に満たないと見ている。
女性のほとんどすべては反対論だろう。その理由のきわめて大きな部分は、現在の酔夢をさましたくないという願望であるにしろ、何といっても軍備らしい軍備なくして過ごして来た「日本の黄金時代」の記憶は決定的である、そしてまたそういう国民から生まれた軍隊が、たとえ何兆円の金をかけようと物の役には立つとは思われない。
「戦中派」の正確な定義はよく知らないが、私はあの戦争中、学校でいえば中学生から大学生までの年齢期にあった人間だと解釈している。
その年齢だから、ある意味でいえば、戦中派は戦争をひき起こした責任はない。
その戦中派も今や老いつつあるが、彼らは戦争に対してではなく、戦後自分たちの子供の教育に過ちを犯したのではなかろうか、と疑うことがある。彼らは戦中の苦難を子供に語る。しかし考えてみれば右の理由で、その苦難はみずから求めたものではなく、いつのまにか落とされた運命であって、自慢出来る苦労話ではない。それがわかっているから、実は、いうことに自信がない。子供は親のうしろ姿を見て育つ。子供は戦中派のうしろ姿を見て、あまり感心しないのである。
私にしてすら、事実はこの未曾有の泰平の日々を、安逸の中に沈んでいるのである。
庭に野鳥が来る。はじめ残飯パンのたぐいを与えていたが、次第に鳥の数がふえ、餌をアテにしてやまないので、いつしか新しい米やパン粉を盛大にまいてやるようになった。
それで庭に大きくバカという字を書くと、鳥がバカの字なりにならんで食べている。
それを二階の書斎から双眼鏡で見て、終日暮らしていることもあるのである。
ただ、そんなとき、あのガダルカナルの戦いの日本兵に、この米、このパン粉をやっていたら、あるいはーなど、ふっと頭に浮かばせながら。
「不戦日記」はすでに遠くなりにけり、か、いまだ遠くはなりゆかず、か。―』
ISBN-10: 4480433317
ISBN-13: 978-4480433312
『弱肉強食は生物の原則で、同時に人間の原則だ。形は変わっても、この原則は永遠に変わらない、という強食派に対して、そんな原則をほしいままにさせないのが人類の進歩だ、と弱肉派がいう。
実は私は個人の素質としては弱肉派のほうだから、こちらに拍手を送りたい。
出来ればその陣営の人となりたい。が―例の低音がいう。
少なくとも日本を弱肉の地位に置かないように渾身の努力をはらうのが、子孫に対するいまのわれわれの義務ではあるまいか。―そもそも、資源なく人間のみひしめく日本という国は、何らかのかたちで他を侵略しなければ生存可能因果な国ではないのか。
ある国が攻めて来たら、どうせ叶わないのだから、威厳をもってただちに降伏すればいい、という論があった。
しかし降伏すれば、それで一件落着、万事大団円とは参らない。こんどはその国の敵国から容赦なく攻撃を受けることになるだろう。
だいいち降伏という事態に威厳を持つことなんか出来やしない。勝利者がそんなことは許さないのである。それは言葉のアヤに過ぎない。
そもそも一国をあげて粛々と降伏するには、国民すべて一つの宗教的信念に徹していなかればならないが、いったい日本人がそんなかたちの宗教民族になれるだろうか。
それどころではない、世界にさきがけて不戦の憲法を持つことすら、ニンに過ぎたことではなかったろうか?
いまそれを支持する国民が大半ではないか、という論に対して、それはただ眼先の泰平に酔い痴れているだけの怠け者のねごとに過ぎない、と低い声がいう。
こんな問答は、何か事が起こらなければ決着のつかない、果てしのない水掛論に過ぎない、とは思うが、いやそう水掛論といっても片付けてもいられない、とも考える、事が起こってからではもう遅いのである。
二年や三年で一応訓練出来る刀と鉄砲だけの戦争の時代ではないのである。
また、突如発作的に大々的軍備に踏み切れば、それこそそのこと自体が事を起こすもととなる。
やるなら、むしろ無用時に、ある水準までの備えをしておかなければならないのではないか、とも考える。
これはとうてい戦中派とか戦後思想とかの次元で論じられる問題ではない。
くり返すが、日本民族はこれから何千年も何万年も生存してゆかなければならないのである。
その間、すべてのことにおいて、ほかの民族に、せめて出来るだけピッタリくっついてゆくことがそのための条件ではあるまいか。
ひとり、あんまり変わった方法で生きながらえゆこうというのは、虫がよ過ぎ、ウヌボレ過ぎ、夢想が過ぎ、はては「非合理」なのではあるまいか。
しかし、しかし、しかし。―
実際問題として、本格的再軍備というのは至難でしょうなあ。私はいまの日本人の男性でさえ再軍備賛成論者は50%に満たないと見ている。
女性のほとんどすべては反対論だろう。その理由のきわめて大きな部分は、現在の酔夢をさましたくないという願望であるにしろ、何といっても軍備らしい軍備なくして過ごして来た「日本の黄金時代」の記憶は決定的である、そしてまたそういう国民から生まれた軍隊が、たとえ何兆円の金をかけようと物の役には立つとは思われない。
「戦中派」の正確な定義はよく知らないが、私はあの戦争中、学校でいえば中学生から大学生までの年齢期にあった人間だと解釈している。
その年齢だから、ある意味でいえば、戦中派は戦争をひき起こした責任はない。
その戦中派も今や老いつつあるが、彼らは戦争に対してではなく、戦後自分たちの子供の教育に過ちを犯したのではなかろうか、と疑うことがある。彼らは戦中の苦難を子供に語る。しかし考えてみれば右の理由で、その苦難はみずから求めたものではなく、いつのまにか落とされた運命であって、自慢出来る苦労話ではない。それがわかっているから、実は、いうことに自信がない。子供は親のうしろ姿を見て育つ。子供は戦中派のうしろ姿を見て、あまり感心しないのである。
私にしてすら、事実はこの未曾有の泰平の日々を、安逸の中に沈んでいるのである。
庭に野鳥が来る。はじめ残飯パンのたぐいを与えていたが、次第に鳥の数がふえ、餌をアテにしてやまないので、いつしか新しい米やパン粉を盛大にまいてやるようになった。
それで庭に大きくバカという字を書くと、鳥がバカの字なりにならんで食べている。
それを二階の書斎から双眼鏡で見て、終日暮らしていることもあるのである。
ただ、そんなとき、あのガダルカナルの戦いの日本兵に、この米、このパン粉をやっていたら、あるいはーなど、ふっと頭に浮かばせながら。
「不戦日記」はすでに遠くなりにけり、か、いまだ遠くはなりゆかず、か。―』
20170617 昨年この時期作成のブログ記事および知人からの電話にて思ったこと・・
昨年の丁度この時期に作成したブログを読んでみますと『季節の変わり目故かブログ記事作成が困難である。』といったことが書かれておりましたが、たしかに今の状況もまたブログ記事作成がなんとなく面倒に感じております・・(苦笑)。
加えて、思い返してみますと、一昨年のこの時期とは、まさしく文章作成が出来ないことで悩んでいた時期でもあり、その打開策として一連のブログ記事作成を始めた頃ですので、やはり春~夏の季節の変わり目という、この時期とは、私の場合、文章作成に対しては良い影響をもたらさないのかもしれません・・(苦笑)。
とはいえ、その一方で一昨年、昨年と比べてみますと、その状況は幾分かは良くなっているように感じられます。
そして、こうしたことを実感として感じられることが継続的なブログ記事作成が生み出している効果であるのかもしれません・・。
また、今後さらに記事作成を継続することによって、果たして、この実感とは大きなものとなり、さらには一つの自信として体得出来るようになるのでしょうか・・?
しかし、何れにせよ、記事作成を継続することが前提であり、大事であると思われますので、もうしばらくはこれを継続しようと思います・(笑)。
さて、本日かなり久しぶりに文系院時代の知人から電話がありました。
久しぶりということもあり、割合長い時間話しましたが、以前と変わらずお元気そうな様子であり安心しました・・。
また、思い返してみますと、先月末から本日のこの電話に至るまで「どうしたわけか、ここ最近は文系院の方々との連絡が多いな・・。」と思うところです・・(笑)。
とはいうものの、こうしたことの背景には一体どのような原因、力が作用しているのかとは今もって理解しかねるところではあるのですが・・。
私としては、どうしてもそれらは単なる偶然とは思えないのです・・(笑)。
そして今現在の段階では科学的には立証出来なくとも、同時に迷信ではない、何かしらの法則性、関連性をもった事象、出来事とは、まだまだ世の中には多く存在するのではないかと思うのです・・。
あるいは理系的な物言いでこうした事象、出来事を表現する場合「それは統計学の領域ではないかな・・?」といった感じになるのかもしれませんが、統計学でもまた、人の行動ではなく、さらに奥にある内面における(真の)傾向を看取、見出すことは困難であると考えます・・。
こうしたことは、おそらく、この記事を読んで頂いている方々の多くもまた、ご理解して頂けるのではないかと思います・・。
そして、こうした内面における何かしらの傾向、特徴を看取するためには、やはり古今東西の文献、モノガタリ、小説などをなるべく能動的に多く読むことが大事であり、理系であれ、文系であれ、本質的に『学ぶ』とは、そうした『人の世』に関する特質、核なるものを能動的な態度にて看取、見出すことを目指したものではないかと思われるのです・・。
今回もまた、ここまで興味を持って読んでくださり、どうもありがとうございます。
昨年に熊本、山陰東部、福島県周辺にて生じた地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、その後の速やかな復興を祈念しております。
加えて、思い返してみますと、一昨年のこの時期とは、まさしく文章作成が出来ないことで悩んでいた時期でもあり、その打開策として一連のブログ記事作成を始めた頃ですので、やはり春~夏の季節の変わり目という、この時期とは、私の場合、文章作成に対しては良い影響をもたらさないのかもしれません・・(苦笑)。
とはいえ、その一方で一昨年、昨年と比べてみますと、その状況は幾分かは良くなっているように感じられます。
そして、こうしたことを実感として感じられることが継続的なブログ記事作成が生み出している効果であるのかもしれません・・。
また、今後さらに記事作成を継続することによって、果たして、この実感とは大きなものとなり、さらには一つの自信として体得出来るようになるのでしょうか・・?
しかし、何れにせよ、記事作成を継続することが前提であり、大事であると思われますので、もうしばらくはこれを継続しようと思います・(笑)。
さて、本日かなり久しぶりに文系院時代の知人から電話がありました。
久しぶりということもあり、割合長い時間話しましたが、以前と変わらずお元気そうな様子であり安心しました・・。
また、思い返してみますと、先月末から本日のこの電話に至るまで「どうしたわけか、ここ最近は文系院の方々との連絡が多いな・・。」と思うところです・・(笑)。
とはいうものの、こうしたことの背景には一体どのような原因、力が作用しているのかとは今もって理解しかねるところではあるのですが・・。
私としては、どうしてもそれらは単なる偶然とは思えないのです・・(笑)。
そして今現在の段階では科学的には立証出来なくとも、同時に迷信ではない、何かしらの法則性、関連性をもった事象、出来事とは、まだまだ世の中には多く存在するのではないかと思うのです・・。
あるいは理系的な物言いでこうした事象、出来事を表現する場合「それは統計学の領域ではないかな・・?」といった感じになるのかもしれませんが、統計学でもまた、人の行動ではなく、さらに奥にある内面における(真の)傾向を看取、見出すことは困難であると考えます・・。
こうしたことは、おそらく、この記事を読んで頂いている方々の多くもまた、ご理解して頂けるのではないかと思います・・。
そして、こうした内面における何かしらの傾向、特徴を看取するためには、やはり古今東西の文献、モノガタリ、小説などをなるべく能動的に多く読むことが大事であり、理系であれ、文系であれ、本質的に『学ぶ』とは、そうした『人の世』に関する特質、核なるものを能動的な態度にて看取、見出すことを目指したものではないかと思われるのです・・。
今回もまた、ここまで興味を持って読んでくださり、どうもありがとうございます。
昨年に熊本、山陰東部、福島県周辺にて生じた地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、その後の速やかな復興を祈念しております。
2017年6月17日土曜日
20170617 現在読んでいる書籍から・・
つい先ほど帰宅しましたが、本日は大変長く感じる一日であり疲れました(笑)。
そのことから、本日は記事作成を止めて、早めに休もうと考えておりましたが、ブログの閲覧者数をチェックしてみますと、本日もまた三ケタの方々に読んで頂いていたことから、にわかに気を取り直し、現在こうして記事を作成している次第です・・(苦笑)。
さて、現在読んでいる書籍に書かれていたことであり、また以前にブログ記事として抜粋引用した書籍においても書かれていたのですが、古代4、世紀頃の朝鮮半島では、その南端に任那、伽耶といった国があり、その北部の西部に百済、東部に新羅が位置していたのですが、この南端の任那、伽耶とは、あまり統一的、中央集権的な王権、国家体制らしきものが確立されなかったようであり、それと同時に対馬海峡を挟んだ南隣の倭国とも交易を盛んに行っており、当然の如く人の行き来も盛んでした。
おそらくこの当時、朝鮮半島南部と北部九州の間には、かなり似通った、共通した文化らしきものがあったのではないかと思われます・・。
しかし後年、朝鮮半島のさらに北方に位置する高句麗が強大化するに及び、その南隣諸国(百済・新羅)もまた圧迫を受け、あるいは刺激され、統一、中央集権的な王権が確立されていなかった任那、伽耶国土を蚕食することとなり、そのことから対馬海峡を挟み南隣に位置する倭王権が任那あるいは百済の要請を受け、海外派兵をすることがたびたびあった。
こうした派兵の際、指揮、統率者として倭王権豪族である紀氏、大伴氏某などが赴いたと考えられている。
また、彼等の中には半島での戦いにおいて功績を上げた者もおり、北東アジア騎馬文化の香りが濃厚に感じられる馬冑が出土した和歌山市大谷古墳の被葬者も、おそらく、そうした史的背景に立つ人物ではないかとされている・・。
加えて、以前投稿した『ラッセルにはじまりコンラッドに至るまで・・M2病の妄想?』にて描いた世界、光景とは、こうした史的背景を一つの基盤としている。
今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
去る2016年、熊本、山陰東部、福島県周辺において発生した地震によって被害を被った地域の出来るだけ早い諸インフラの復旧、そして、その後の速やかな復興を祈念しております。」
そのことから、本日は記事作成を止めて、早めに休もうと考えておりましたが、ブログの閲覧者数をチェックしてみますと、本日もまた三ケタの方々に読んで頂いていたことから、にわかに気を取り直し、現在こうして記事を作成している次第です・・(苦笑)。
さて、現在読んでいる書籍に書かれていたことであり、また以前にブログ記事として抜粋引用した書籍においても書かれていたのですが、古代4、世紀頃の朝鮮半島では、その南端に任那、伽耶といった国があり、その北部の西部に百済、東部に新羅が位置していたのですが、この南端の任那、伽耶とは、あまり統一的、中央集権的な王権、国家体制らしきものが確立されなかったようであり、それと同時に対馬海峡を挟んだ南隣の倭国とも交易を盛んに行っており、当然の如く人の行き来も盛んでした。
おそらくこの当時、朝鮮半島南部と北部九州の間には、かなり似通った、共通した文化らしきものがあったのではないかと思われます・・。
しかし後年、朝鮮半島のさらに北方に位置する高句麗が強大化するに及び、その南隣諸国(百済・新羅)もまた圧迫を受け、あるいは刺激され、統一、中央集権的な王権が確立されていなかった任那、伽耶国土を蚕食することとなり、そのことから対馬海峡を挟み南隣に位置する倭王権が任那あるいは百済の要請を受け、海外派兵をすることがたびたびあった。
こうした派兵の際、指揮、統率者として倭王権豪族である紀氏、大伴氏某などが赴いたと考えられている。
また、彼等の中には半島での戦いにおいて功績を上げた者もおり、北東アジア騎馬文化の香りが濃厚に感じられる馬冑が出土した和歌山市大谷古墳の被葬者も、おそらく、そうした史的背景に立つ人物ではないかとされている・・。
加えて、以前投稿した『ラッセルにはじまりコンラッドに至るまで・・M2病の妄想?』にて描いた世界、光景とは、こうした史的背景を一つの基盤としている。
今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
去る2016年、熊本、山陰東部、福島県周辺において発生した地震によって被害を被った地域の出来るだけ早い諸インフラの復旧、そして、その後の速やかな復興を祈念しております。」
2017年6月15日木曜日
20170615 継続的なブログ記事作成のモデル化、たとえ・・勢い・着想・文章化?
本日これまでのブログ閲覧者数もまた200近くとなっていました・・。
しかし650記事を超えると閲覧者数が有意に増加するといったことは、これまでに聞いたことがありませんので、これには、その他の分からない要因が作用しているのかもしれません・・。
とはいえ、そのようなことを気にしていても記事の着想などはあまり湧くことはないと考えますのでハナシを変えることにします・・(笑)。
そういえば、普段はあまり考えないことではあるのですが、ここ最近『私は一体誰に対して読んでもらおうと記事を作成しているのだろうか?』と不図思うことがあります。
こうしたことはあまり考えないでいる方が記事作成は捗るのですが、しかし一方、あまりにも考えないでいると、今度は何と云いますか、記事を書く際の焦点がブレることにより記事、文章を書く際に必要な『勢い』が徐々に減衰していくのではないかとも思うのです・・。
一方、こうした公表を前提とする文章を書く際に『勢い』など必要ないという考えもあるかもしれませんが、おそらくそれは間違いであると考えます・・。
たとえどのような識者であろうと、文章を書く際においては、この『勢い』そしてその日毎の持続がなければ、ある程度の長さの文章の継続的な作成とは、為し得ないのではないかと思われます・・。
また、継続的なブログ記事作成とは、この『勢い』を毎日『絞り出す』もしくは『湧き出すのを待ち』作成していることになるのですが、おそらく、この行為(絞り出す・待つ)が意外と疲れるのではないかと思われます・・(苦笑)。
つまり、少し極端に書きますと、この『勢い』が得られたならば、あとは適当と思われる『着想』を途中で推敲を入れつつ文章化すれば、ブログ記事程度としては、ある程度まとまったものにはなるのではないかと考えられるのです・・。
そうしますと、今度は『では『着想』はどうするのだ?』といったことになるかもしれませんが、おそらく『着想のタネ』とは常時精神内部を浮遊していて、それがこの『勢い』に反応、凝固し文章化するようなメカニズムではないかと思われるのです・・。
それは丁度、冷水で満たされた円筒管の外側に沿って、零度以下に冷やされた冷却リングがゆっくりと移動するような状態をイメージして頂ければと思います。
そうしますと円筒管内の冷水は冷却リングの内側に近い部分だけが急速に凍結凝固します。
このようにして冷水にて満たされた円筒管の内側では、冷却リングの移動に伴い、凍結部位もまた移動することになります。
そして冷却リングが通り過ぎた後では再び凍結部位は溶けて冷水に戻るのです・・。
このたとえでは円筒管内の水が着想のマトリックスとなる精神であり、凍結凝固という作用が文章化を意味し、移動する冷却リングが凍結凝固という作用を生みだす勢いといった感じになるのではないかと思われます・・。
あまり上手いたとえではないかもしれませんが、自身としてはそのような感じではなかろうかと考えております・・(笑)。
しかし他方においては、昨日挙げた著作を読み進めていて、そこで分からない、気になる部分がいくつかありモヤモヤしているのもまた今現在の状態でもあるのです・・(苦笑)。
とはいえ、今回もまた、ここまで興味を持って読んでくださってどうもありがとうございます。
昨年である2016年、熊本、山陰東部、福島県周辺において生じた地震により被害を被った地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の速やかな復興を祈念しております。
しかし650記事を超えると閲覧者数が有意に増加するといったことは、これまでに聞いたことがありませんので、これには、その他の分からない要因が作用しているのかもしれません・・。
とはいえ、そのようなことを気にしていても記事の着想などはあまり湧くことはないと考えますのでハナシを変えることにします・・(笑)。
そういえば、普段はあまり考えないことではあるのですが、ここ最近『私は一体誰に対して読んでもらおうと記事を作成しているのだろうか?』と不図思うことがあります。
こうしたことはあまり考えないでいる方が記事作成は捗るのですが、しかし一方、あまりにも考えないでいると、今度は何と云いますか、記事を書く際の焦点がブレることにより記事、文章を書く際に必要な『勢い』が徐々に減衰していくのではないかとも思うのです・・。
一方、こうした公表を前提とする文章を書く際に『勢い』など必要ないという考えもあるかもしれませんが、おそらくそれは間違いであると考えます・・。
たとえどのような識者であろうと、文章を書く際においては、この『勢い』そしてその日毎の持続がなければ、ある程度の長さの文章の継続的な作成とは、為し得ないのではないかと思われます・・。
また、継続的なブログ記事作成とは、この『勢い』を毎日『絞り出す』もしくは『湧き出すのを待ち』作成していることになるのですが、おそらく、この行為(絞り出す・待つ)が意外と疲れるのではないかと思われます・・(苦笑)。
つまり、少し極端に書きますと、この『勢い』が得られたならば、あとは適当と思われる『着想』を途中で推敲を入れつつ文章化すれば、ブログ記事程度としては、ある程度まとまったものにはなるのではないかと考えられるのです・・。
そうしますと、今度は『では『着想』はどうするのだ?』といったことになるかもしれませんが、おそらく『着想のタネ』とは常時精神内部を浮遊していて、それがこの『勢い』に反応、凝固し文章化するようなメカニズムではないかと思われるのです・・。
それは丁度、冷水で満たされた円筒管の外側に沿って、零度以下に冷やされた冷却リングがゆっくりと移動するような状態をイメージして頂ければと思います。
そうしますと円筒管内の冷水は冷却リングの内側に近い部分だけが急速に凍結凝固します。
このようにして冷水にて満たされた円筒管の内側では、冷却リングの移動に伴い、凍結部位もまた移動することになります。
そして冷却リングが通り過ぎた後では再び凍結部位は溶けて冷水に戻るのです・・。
このたとえでは円筒管内の水が着想のマトリックスとなる精神であり、凍結凝固という作用が文章化を意味し、移動する冷却リングが凍結凝固という作用を生みだす勢いといった感じになるのではないかと思われます・・。
あまり上手いたとえではないかもしれませんが、自身としてはそのような感じではなかろうかと考えております・・(笑)。
しかし他方においては、昨日挙げた著作を読み進めていて、そこで分からない、気になる部分がいくつかありモヤモヤしているのもまた今現在の状態でもあるのです・・(苦笑)。
とはいえ、今回もまた、ここまで興味を持って読んでくださってどうもありがとうございます。
昨年である2016年、熊本、山陰東部、福島県周辺において生じた地震により被害を被った地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の速やかな復興を祈念しております。
2017年6月14日水曜日
20170614 昨日投稿の記事から、輿論形成の『凝集力』について・・
昨日投稿分の記事は思いのほか多く読まれており、そのことから、さきほど少し加筆修正、また関連すると思しき他記事の共有を行いました。
とはいえ、白状しますとこの昨日投稿分の記事とは、かなり眠気を感じながら作成したものであり、現在となっては一体何故、あるいはどのような経緯にてこの主題で記事を作成したのかとはよく分からないのです・・(苦笑)。
そして、そのような状態にて作成した記事が比較的多くの方々に読まれていたことは自身としては多少不思議に思うところであり、且つ、それこそがブログ記事作成を行っていて感じる面白いところではないかと思われます・・(笑)。
また、それと果たして関連するものか分かりませんが、本日は帰宅途中にある割合大型の書店に立ち寄り、文庫、新書コーナーを徘徊しておりますと、我が国古代の外交に関しての著作が目に留まり、これを立ち読みしてみますと大変興味深いことが書かれていたため思わず購入してしまいました(笑)。
この行為を現在になり振り返って考えてみますと、そういえば私は気温が上昇すると、思想系の著作より歴史系、就中我が国古代史関連の著作を読みたくなる傾向があることが思い出しました・・(笑)。
そこから敷衍して、こうした読書の傾向らしきものとは、地域、国毎においても存在するのではないかと思われ、こうした傾向が地域、国の輿論形成における何かしらの『凝集力』として働いているのではないかとも思われました・・。
また、それは今現在の段階においては非科学的と見做されるのかもしれませんが、しかしながら現在科学的とされるさまざまな考えもまた、それが一定の支持を集める見解に至るまでは、やはり非科学的なものとされていたことは明記しておいても良いことではないかと思います・・。
それはアルフレート・ヴェーゲナーの大陸移動説のように・・。
無論、文系、理系と多少学問的背景は異なるのではありましょうが、やはり何かしら考え続け、述べ続け、論証され続けることにより、後世の社会、学問の進化発展に寄与する新たな見解、説とは今後まだまだ出てくる可能性があるのではないかと考えます。
たとえどんなに小さなことであれ・・。
そして、そこから見て反対に本当に恐ろしい社会とは、極端に云いますと『新たな見解、説はもういらなくて、現在ある知見で事足りるような社会の価値観を定め、それを固定化してしまおう。』といった考えが定着してしまった社会ではないかと思われます・・。【断捨離も良し悪し・・?】
また、それは本当の意味での保守、伝統主義とは大きく異なる単なる『因循姑息』と評して良いものであると考えます。
このことは、古来より受動的な立場に拠りがちな我が国においては、より深く考える価値のあることではないかと思われるのですが、如何でしょうか?
さらにまた、このことは昨日、一昨日に投稿したブログ記事内容とも少なからず関与することではないかと思われます。
ともあれ今回もまた、ここまで興味を持って読んでくださり、どうもありがとうございます。
去る2016年に熊本、山陰東部、福島県周辺において生じた地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧そして、その後の速やかな復興を祈念しております。」
とはいえ、白状しますとこの昨日投稿分の記事とは、かなり眠気を感じながら作成したものであり、現在となっては一体何故、あるいはどのような経緯にてこの主題で記事を作成したのかとはよく分からないのです・・(苦笑)。
そして、そのような状態にて作成した記事が比較的多くの方々に読まれていたことは自身としては多少不思議に思うところであり、且つ、それこそがブログ記事作成を行っていて感じる面白いところではないかと思われます・・(笑)。
また、それと果たして関連するものか分かりませんが、本日は帰宅途中にある割合大型の書店に立ち寄り、文庫、新書コーナーを徘徊しておりますと、我が国古代の外交に関しての著作が目に留まり、これを立ち読みしてみますと大変興味深いことが書かれていたため思わず購入してしまいました(笑)。
この行為を現在になり振り返って考えてみますと、そういえば私は気温が上昇すると、思想系の著作より歴史系、就中我が国古代史関連の著作を読みたくなる傾向があることが思い出しました・・(笑)。
そこから敷衍して、こうした読書の傾向らしきものとは、地域、国毎においても存在するのではないかと思われ、こうした傾向が地域、国の輿論形成における何かしらの『凝集力』として働いているのではないかとも思われました・・。
また、それは今現在の段階においては非科学的と見做されるのかもしれませんが、しかしながら現在科学的とされるさまざまな考えもまた、それが一定の支持を集める見解に至るまでは、やはり非科学的なものとされていたことは明記しておいても良いことではないかと思います・・。
それはアルフレート・ヴェーゲナーの大陸移動説のように・・。
無論、文系、理系と多少学問的背景は異なるのではありましょうが、やはり何かしら考え続け、述べ続け、論証され続けることにより、後世の社会、学問の進化発展に寄与する新たな見解、説とは今後まだまだ出てくる可能性があるのではないかと考えます。
たとえどんなに小さなことであれ・・。
そして、そこから見て反対に本当に恐ろしい社会とは、極端に云いますと『新たな見解、説はもういらなくて、現在ある知見で事足りるような社会の価値観を定め、それを固定化してしまおう。』といった考えが定着してしまった社会ではないかと思われます・・。【断捨離も良し悪し・・?】
また、それは本当の意味での保守、伝統主義とは大きく異なる単なる『因循姑息』と評して良いものであると考えます。
このことは、古来より受動的な立場に拠りがちな我が国においては、より深く考える価値のあることではないかと思われるのですが、如何でしょうか?
さらにまた、このことは昨日、一昨日に投稿したブログ記事内容とも少なからず関与することではないかと思われます。
ともあれ今回もまた、ここまで興味を持って読んでくださり、どうもありがとうございます。
去る2016年に熊本、山陰東部、福島県周辺において生じた地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧そして、その後の速やかな復興を祈念しております。」
20170613 社会における女性的要素と男性的要素の活性化がもたらすこと・・?
本日帰宅後ブログ閲覧者数をチェックしてみますと、昨日ほどではなかったものの、これまでの平均的な閲覧者数と比べてはかなり多かったといえます。
さて、昨日の対話形式の投稿記事内容とも関連することであるかもしれませんが、さまざまなレベルでの自然且つ健全な進化が為されるためには、男性的要素と女性的要素の均衡もしくはその棲み分け、認め合いらしきものが成立していないと難しいのではないかと、ここ最近社会のさまざまな出来事を見聞きしていると思います・・。
その点において我が国とは、太平洋戦争以降の社会において女性的要素が徐々に増大してゆくなか、昨今、近隣の国際関係が緊迫度を増し、急遽、男性的要素の強化が望まれているところではあると思われるのですが、おそらく我が国における健全な男性的要素およびその発達とは、太平洋戦争の敗戦によって、かなり歪み、変質することとなり、その一方でさきにも述べた通り、現在をも含む戦後社会とは、どちらかというと女性的要素の増大に寄与した、あるいはその要素を自己の勢力として取り込むことに成功した方々が多く、社会において功成り名遂げているのではないかと思われます・・。
そして、多くのこうした方々が行政、経営などの責任ある立場、任にあたっているという事態とは、あるいは我が国の近代以降はじめてのことではないでしょうか・・?
また、これと類似した時代状況とは、平安時代末期の宮廷社会ではないかと思われます。
東国という自らの文化とは異なる、隔たった、古来より未開、野蛮とされる地域の勢力が強くなりつつあり、そして、その勢力が洛中にまで影響を及ぼすようになると、彼等(宮廷社会)は、それを自らのものとして取り込み、自らの社会内での権力闘争にこれ(東国勢力)を用いることをはかるのですが、結局のところ、彼等(東国勢力)が持つ物理的な力『武力』により、二百年以上にわたり栄華を誇ったその時代は終わりを告げることになるのです・・。
そして、それ以降、明治維新に至るまで、700年近くの間、京都宮廷勢力とは、時折波瀾らしきものはあるものの、概ね覇権を握ることはありませんでした・・。
また、大変面白いことに、こうした時代背景(宮廷社会の覇権末期)において『とりかへばや物語』は成立したとされているのです・・。
時代が混乱に向かうと直覚される時、そして、それを直覚出来るほどの場所、地域にいる女性達の多くが、自らも戦うことが可能な男性になることを空想、現実を含めて望むようになり、その結果として、この物語が成立したのかもしれません・・。
これもまた一つの時代精神を示すものであるのかもしれません・・。
とはいえ、この物語の内容とは裏腹にか、平家物語の壇之浦の戦い終盤における船上での平家方武将、公達の女房連への『さあ、もう間もなく世にも珍しい髭面の坂東武者を見ることが出来ますよ・・(笑)』といった意味のコトバに現実の歴史とは集約されるのであった・・。
今回もまた、ここまで興味を持って読んでくださり、どうもありがとうございます。
去る2016年、熊本、山陰東部、福島県周辺にて発生した地震によって被害を被った地域の出来るだけ早い諸インフラの復旧、そしてその後のすみやかな復興を祈念しております。」
さて、昨日の対話形式の投稿記事内容とも関連することであるかもしれませんが、さまざまなレベルでの自然且つ健全な進化が為されるためには、男性的要素と女性的要素の均衡もしくはその棲み分け、認め合いらしきものが成立していないと難しいのではないかと、ここ最近社会のさまざまな出来事を見聞きしていると思います・・。
その点において我が国とは、太平洋戦争以降の社会において女性的要素が徐々に増大してゆくなか、昨今、近隣の国際関係が緊迫度を増し、急遽、男性的要素の強化が望まれているところではあると思われるのですが、おそらく我が国における健全な男性的要素およびその発達とは、太平洋戦争の敗戦によって、かなり歪み、変質することとなり、その一方でさきにも述べた通り、現在をも含む戦後社会とは、どちらかというと女性的要素の増大に寄与した、あるいはその要素を自己の勢力として取り込むことに成功した方々が多く、社会において功成り名遂げているのではないかと思われます・・。
そして、多くのこうした方々が行政、経営などの責任ある立場、任にあたっているという事態とは、あるいは我が国の近代以降はじめてのことではないでしょうか・・?
また、これと類似した時代状況とは、平安時代末期の宮廷社会ではないかと思われます。
東国という自らの文化とは異なる、隔たった、古来より未開、野蛮とされる地域の勢力が強くなりつつあり、そして、その勢力が洛中にまで影響を及ぼすようになると、彼等(宮廷社会)は、それを自らのものとして取り込み、自らの社会内での権力闘争にこれ(東国勢力)を用いることをはかるのですが、結局のところ、彼等(東国勢力)が持つ物理的な力『武力』により、二百年以上にわたり栄華を誇ったその時代は終わりを告げることになるのです・・。
そして、それ以降、明治維新に至るまで、700年近くの間、京都宮廷勢力とは、時折波瀾らしきものはあるものの、概ね覇権を握ることはありませんでした・・。
また、大変面白いことに、こうした時代背景(宮廷社会の覇権末期)において『とりかへばや物語』は成立したとされているのです・・。
時代が混乱に向かうと直覚される時、そして、それを直覚出来るほどの場所、地域にいる女性達の多くが、自らも戦うことが可能な男性になることを空想、現実を含めて望むようになり、その結果として、この物語が成立したのかもしれません・・。
これもまた一つの時代精神を示すものであるのかもしれません・・。
とはいえ、この物語の内容とは裏腹にか、平家物語の壇之浦の戦い終盤における船上での平家方武将、公達の女房連への『さあ、もう間もなく世にも珍しい髭面の坂東武者を見ることが出来ますよ・・(笑)』といった意味のコトバに現実の歴史とは集約されるのであった・・。
今回もまた、ここまで興味を持って読んでくださり、どうもありがとうございます。
去る2016年、熊本、山陰東部、福島県周辺にて発生した地震によって被害を被った地域の出来るだけ早い諸インフラの復旧、そしてその後のすみやかな復興を祈念しております。」
2017年6月12日月曜日
20170612 2012年夏の出来事に基づいた対話
昨日は二つの記事を投稿し、また本日の日中は動き、仕事以外でPC・スマホを見る時間はありませんでしたが、先ほど帰宅し、ブログの閲覧者数を確認しますと、驚いたことに、これまでにない程多くの閲覧者数となっておりました・・。
正直なところ未だに半信半疑であり『これは一体どうしたものか・・?』と思っておりますが、いずれにしましても読んで頂いた皆様どうもありがとうございます・・。
とはいうものの、本日は朝から頭が痛く、これは昨晩寝る間際に点けた冷房によるものではないかと思われましたが、この原因も未だよく分かりません・・。
それでも本日分の記事作成を行うべく、また、さきに書いた閲覧者数によって多少勢い付き、現在このように記事作成を行っている次第です・・(苦笑)。
さて、つい先日知人と話しておりますと、以下のようなハナシとなりました・・。
※以下対話形式
A「そういえば2012年の夏に隣国の大統領が日本海に浮かぶ我が国固有の領土とされる島に上陸していから一気に国内の輿論が硬化したように記憶していますが、どうですか・・?」
B「ええ、あの出来事は確かに衝撃的でした・・。
私もどちらかというと右寄りではないはずですが、自国の領土であることが自明であるとされる場所に、いきなり隣国の元首が上陸してくるといった出来事は、やはり驚くに値することです・・。
また、それで思い出すのは、漠然と感じたことではありますが、あの時顕著に、そして急激に態度が硬化したのは、男性よりも女性の方ではないかということです・・。
それにより、割合国内で人気の高かった各種韓流モノとは、現在に至るまで徐々に影を潜め、衰退していったのではないかと思われます・・。」
A「ああ、それはたしかに私も感じました・・。
さまざなな文化的事物が流入することに対し、一般的に女性とは男性より寛容且つ、それを喜んで自分なりに受け入れるところがあるように思われますが、それが、こと領土といった具体的な国土に対する侵害と受け止められる行為に対しては、男性以上に敏感なセンサーらしきものを持っているのではないかと感じさせられますね・・(笑)。」
B「ええ、それはたしかにそうですが、しかし一方で隣国からすれば、特に近代以降の我が国とは、自国に対して実質的な植民地支配を行った国であり、且つ最終的には敗れた国でもありますので、何かしら自国内の不満をぶつけるのに適当な国なのでしょうね・・。
また、我が国も我が国で歴史問題などに関しては信じられないほど無神経であると思うことがありますし・・。
時折聞く『日本は朝鮮半島を植民地化していなかった』といった言説などは本当に単なるコトバ上のみのものであって、それは実際の『歴史』とは全く関係のないものであると思えるのです・・。
あるいはそうした独特のコトバの運用の仕方とは、我が国の自殺率が高いことや、ブラック企業が根絶しないことにも親和性があるのではないでしょうか・・?
そしてまた、そうしたコトバの運用・論法などを見聞きしますと、甚だ嬉しくないことにさまざまな場面にて、これと類似した手法にて事態を説明、釈明するのが我が国の特徴、傾向の一つではないかとも思えてくるのです・・。
おそらく、各国はこうした我が国における傾向に対し、言語は違えども、何といいますか「精神構造の違いに起因する薄気味の悪さ、同様のことに起因する内面、良心の欠如」といったものを強く、漠然と感じているのではないでしょうか・・それは太平洋戦争中に見られた帝国陸海軍のある種の異常とも云える攻撃精神そしてそこからの行動のように・・もしかすると、彼等の中では、それらの間には連続性を見出せるのかもしれません・・。」
A「・・ええ、仰りたいことよく分かります・・。
また、そういったことをお聞きしますと、私はどうも大岡昇平著の「俘虜記」を思い出してしまうのですが、そうしますと今度はどうも『我が国の社会、組織全般には自浄作用といったものが無いのかもしれない・・?』と考えさせられるのです・・(苦笑)。
また、司馬遼太郎や村上兵衛の晩年の苦悩は、そうしたことを既に直覚していたことに因るのではないだろうか・・?とも考えさせられるのです・・。」
B「しかし私は、我々日本の国民は各国からの観察者と同程度に賢明であり、現在のこのさまざな混乱を試験管やウェルの中での出来事、反応などのように観察し、機を見て悪しきものをまとめて取り除くことを企図しているのではないかと思われる一面もあるのです・・。」
A「・・たしかにそう願いたいところではありますが、それでしたら何故、過去においては太平洋戦争にまで突入してしまったのでしょうか・・(苦笑)?」
B「ええ、まさしくそこに大岡昇平の「俘虜記」の時代、つまり太平洋戦争の時代から進化した何か新しく良いものがあるのではないかと私には思われるのです。」
A「なるほど・・それはあくまでも仮説でしょうが、しかし同時に大変期待を抱かせるものですね・・(笑)。」
今回もまた、ここまで興味を持って読んでくださり、どうもありがとうございます。
昨2016年、熊本、山陰東部、福島県周辺において発生した地震により被害を被った地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そして、その後のすみやかな復興を祈念しております。
正直なところ未だに半信半疑であり『これは一体どうしたものか・・?』と思っておりますが、いずれにしましても読んで頂いた皆様どうもありがとうございます・・。
とはいうものの、本日は朝から頭が痛く、これは昨晩寝る間際に点けた冷房によるものではないかと思われましたが、この原因も未だよく分かりません・・。
それでも本日分の記事作成を行うべく、また、さきに書いた閲覧者数によって多少勢い付き、現在このように記事作成を行っている次第です・・(苦笑)。
さて、つい先日知人と話しておりますと、以下のようなハナシとなりました・・。
※以下対話形式
A「そういえば2012年の夏に隣国の大統領が日本海に浮かぶ我が国固有の領土とされる島に上陸していから一気に国内の輿論が硬化したように記憶していますが、どうですか・・?」
B「ええ、あの出来事は確かに衝撃的でした・・。
私もどちらかというと右寄りではないはずですが、自国の領土であることが自明であるとされる場所に、いきなり隣国の元首が上陸してくるといった出来事は、やはり驚くに値することです・・。
また、それで思い出すのは、漠然と感じたことではありますが、あの時顕著に、そして急激に態度が硬化したのは、男性よりも女性の方ではないかということです・・。
それにより、割合国内で人気の高かった各種韓流モノとは、現在に至るまで徐々に影を潜め、衰退していったのではないかと思われます・・。」
A「ああ、それはたしかに私も感じました・・。
さまざなな文化的事物が流入することに対し、一般的に女性とは男性より寛容且つ、それを喜んで自分なりに受け入れるところがあるように思われますが、それが、こと領土といった具体的な国土に対する侵害と受け止められる行為に対しては、男性以上に敏感なセンサーらしきものを持っているのではないかと感じさせられますね・・(笑)。」
B「ええ、それはたしかにそうですが、しかし一方で隣国からすれば、特に近代以降の我が国とは、自国に対して実質的な植民地支配を行った国であり、且つ最終的には敗れた国でもありますので、何かしら自国内の不満をぶつけるのに適当な国なのでしょうね・・。
また、我が国も我が国で歴史問題などに関しては信じられないほど無神経であると思うことがありますし・・。
時折聞く『日本は朝鮮半島を植民地化していなかった』といった言説などは本当に単なるコトバ上のみのものであって、それは実際の『歴史』とは全く関係のないものであると思えるのです・・。
あるいはそうした独特のコトバの運用の仕方とは、我が国の自殺率が高いことや、ブラック企業が根絶しないことにも親和性があるのではないでしょうか・・?
そしてまた、そうしたコトバの運用・論法などを見聞きしますと、甚だ嬉しくないことにさまざまな場面にて、これと類似した手法にて事態を説明、釈明するのが我が国の特徴、傾向の一つではないかとも思えてくるのです・・。
おそらく、各国はこうした我が国における傾向に対し、言語は違えども、何といいますか「精神構造の違いに起因する薄気味の悪さ、同様のことに起因する内面、良心の欠如」といったものを強く、漠然と感じているのではないでしょうか・・それは太平洋戦争中に見られた帝国陸海軍のある種の異常とも云える攻撃精神そしてそこからの行動のように・・もしかすると、彼等の中では、それらの間には連続性を見出せるのかもしれません・・。」
A「・・ええ、仰りたいことよく分かります・・。
また、そういったことをお聞きしますと、私はどうも大岡昇平著の「俘虜記」を思い出してしまうのですが、そうしますと今度はどうも『我が国の社会、組織全般には自浄作用といったものが無いのかもしれない・・?』と考えさせられるのです・・(苦笑)。
また、司馬遼太郎や村上兵衛の晩年の苦悩は、そうしたことを既に直覚していたことに因るのではないだろうか・・?とも考えさせられるのです・・。」
B「しかし私は、我々日本の国民は各国からの観察者と同程度に賢明であり、現在のこのさまざな混乱を試験管やウェルの中での出来事、反応などのように観察し、機を見て悪しきものをまとめて取り除くことを企図しているのではないかと思われる一面もあるのです・・。」
A「・・たしかにそう願いたいところではありますが、それでしたら何故、過去においては太平洋戦争にまで突入してしまったのでしょうか・・(苦笑)?」
B「ええ、まさしくそこに大岡昇平の「俘虜記」の時代、つまり太平洋戦争の時代から進化した何か新しく良いものがあるのではないかと私には思われるのです。」
A「なるほど・・それはあくまでも仮説でしょうが、しかし同時に大変期待を抱かせるものですね・・(笑)。」
今回もまた、ここまで興味を持って読んでくださり、どうもありがとうございます。
昨2016年、熊本、山陰東部、福島県周辺において発生した地震により被害を被った地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そして、その後のすみやかな復興を祈念しております。
2017年6月11日日曜日
20170611 650記事に到達して思ったこと・・余聞
A「さて、さきほどの記事投稿により総投稿記事数が650に到達しましたが、やはりこれといった感慨らしきものは湧いてきませんでした・・(苦笑)。
また、次の目標は700記事ということになりますが、現在の記事投稿頻度を維持しますと、おそらく8月初旬迄には到達することが出来るのではないかと思われます・・。
また、それに加えてもう少し遠大な目標を立てるとすれば、何時頃になるか分かりませんが、あまり無理をすることなく記事作成を継続し1000記事まで到達することが出来れば、良いと考えております・・。
また、総投稿記事数を1000を目標としますと、今現在では、その三分の二にも達しておらず、今後17記事を作成、投稿し667記事にまで到達すれば、そこに達したということになりますが、そのように考えてみますと、ここから667記事到達への17記事あまりの作成もまた多少やる気が湧いてきますが、とりあえず今後もあまり焦ることなく、落ち着いて記事作成を継続していこうと思います・・。
とはいえ、正直なところ、ブログ記事作成当初は現在の投稿記事数650までも継続することが出来るとは思ってもみませんでした・・。
しかし実際ここに至ってみますと、何となく「ここまで来たなあ・・」といった感じであり、また今後の目標とする700記事到達においても「到達できるかどうかは分からないけれどもとりあえずやってみるか・・」といった感じであり、これまた正直なところ、あまり喜怒哀楽の感情を生じせしめるようなものはありません・・。
また、このことは以前と比べて徐々に変わってきたことでもありますので(当初は比較的ある区切りの良い記事数への到達を割合喜んでいた)この変化とは、一体どのような内面の経緯により為されたのかとは、なかなか面白く気になるところでもあります・・(笑)。
あるいは単純に自身の感情といったものが鈍磨しているだけなのでしょうか・・(笑)?
しかし、もしも実際に感情が鈍磨しているのであれば、ブログ記事作成の継続など望まず、もっと簡単に楽しむことが出来る他の何かに興味を持ち、それを行うのではないかとも思われます・・。
いずれにせよ、こうしたことも、もう少し記事作成を継続してみないと今以上明瞭に分かることはないと思われますので、とりあえずは、もうしばらく記事作成を継続することにします・・(笑)。
ここまで読んで頂きどうもありがとうございます。
今回の記事は同日作成記事の余聞のようなものです。
また、次の目標は700記事ということになりますが、現在の記事投稿頻度を維持しますと、おそらく8月初旬迄には到達することが出来るのではないかと思われます・・。
また、それに加えてもう少し遠大な目標を立てるとすれば、何時頃になるか分かりませんが、あまり無理をすることなく記事作成を継続し1000記事まで到達することが出来れば、良いと考えております・・。
また、総投稿記事数を1000を目標としますと、今現在では、その三分の二にも達しておらず、今後17記事を作成、投稿し667記事にまで到達すれば、そこに達したということになりますが、そのように考えてみますと、ここから667記事到達への17記事あまりの作成もまた多少やる気が湧いてきますが、とりあえず今後もあまり焦ることなく、落ち着いて記事作成を継続していこうと思います・・。
とはいえ、正直なところ、ブログ記事作成当初は現在の投稿記事数650までも継続することが出来るとは思ってもみませんでした・・。
しかし実際ここに至ってみますと、何となく「ここまで来たなあ・・」といった感じであり、また今後の目標とする700記事到達においても「到達できるかどうかは分からないけれどもとりあえずやってみるか・・」といった感じであり、これまた正直なところ、あまり喜怒哀楽の感情を生じせしめるようなものはありません・・。
また、このことは以前と比べて徐々に変わってきたことでもありますので(当初は比較的ある区切りの良い記事数への到達を割合喜んでいた)この変化とは、一体どのような内面の経緯により為されたのかとは、なかなか面白く気になるところでもあります・・(笑)。
あるいは単純に自身の感情といったものが鈍磨しているだけなのでしょうか・・(笑)?
しかし、もしも実際に感情が鈍磨しているのであれば、ブログ記事作成の継続など望まず、もっと簡単に楽しむことが出来る他の何かに興味を持ち、それを行うのではないかとも思われます・・。
いずれにせよ、こうしたことも、もう少し記事作成を継続してみないと今以上明瞭に分かることはないと思われますので、とりあえずは、もうしばらく記事作成を継続することにします・・(笑)。
ここまで読んで頂きどうもありがとうございます。
今回の記事は同日作成記事の余聞のようなものです。
20170611 おかげさまで650記事に到達しました。文章を書く際の緊張感・・弁証法?
本日の記事投稿で投稿記事が650に到達します。
また、先日来よりSNSとの連携を試験的に行ってみたところ、閲覧者数が増加し昨日は、ここ最近では見られない程多くの閲覧者数を得ることができました・・。
とはいえ、このようなSNSとブログとの連携を自身で行っておきながら、以下のようなことを書くのも矛盾しておりますが『多くの方々に記事が閲覧されているという自覚』とは、どうやら(それに慣れるまでは)記事作成においては必ずしもプラスではなく、どうも萎縮してしまうといった要素も少なからずあるように思われるのです・・(苦笑)。
しかし同時に、さきの自覚とは、記事を書く上において、自身に緊張感を生じさせることから、書く記事の内容に対しても、より深く考えさせる効果もまたあるように思われます・・。
そして、この双方要素の内面での葛藤こそが自身の場合、ブログ記事作成の『力』となっているのではないかと思われるのです。
それでもやはり、こうしたものも他のさまざまなことと同様にバランスが大事であり、緊張感ばかり大きくなりますと萎縮して記事作成が困難な状態となり、一方それが皆無であれば、書かれる内容もまた、意図しないことながら無意識に手を抜いてしまうといった傾向があるように思われます・・。
それ故、おそらく自身にとって最も望ましい展開とは、ある程度の『量』の記事作成によって閲覧者数が増大することに伴い生じる緊張感に耐え得る、それを記事作成に対してプラスに転化し『記事内容、質』の向上が為し得る自身に漸進的に進化発展を遂げることではあるのでしょうが、実際にはそこまで単純に行くものでもなく、もっと込み入った複雑な事情が存在するものと考えます・・(苦笑)。
また、以上のことを一般化するのもまた単純過ぎるのではあるのでしょうが、ものごとの進化発展の背景とは、概ねそのようなものではないでしょうか・・(笑)?
ともあれハナシを冒頭に戻し、今回の記事投稿によって投稿記事数が650に到達するわけですが、あまり実感や感慨なども湧かず『じゃあ次は700記事かな・・?』といった考えがボンヤリと出てくる程度です・・(笑)。
そして、そのようなことを書いておりますと、さきには『記事作成における緊張感は必要である』といった意味のことを書いたにもかかわらず、それらの蓄積である投稿記事数に対しては意識していないことはないものの、緊張感を含む感慨といったものをあまり持ち得ないこととは、なかなか面白い、あるいはまた多少一般化し得る心的傾向といったものを垣間見ることが出来るのではないかとも思われましたが如何でしょうか・・(笑)?
また、ブログ記事作成が創造の一つであるとするならば、そこには、創造という行為の背景にある、何かしらの傾向、特徴を示しているのではないかとも考えられます・・。
ともあれ、今回650記事に到達し、以上のようなことを書くことが出来る背景には、面白いものばかりではない、一連の投稿記事を(継続的に)読んでくださって方々がいらっしゃるからであることは間違いないことです・・。
おかげさまで650記事に到達することが出来ました。
そして今回もまた、ここまで興味を持って読んでくださり、どうもありがとうございます。
去る2016年、熊本、山陰東部、福島県周辺にて発生した地震によって被害を被った地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そして、その後の速やかな復興を祈念しております。」
また、先日来よりSNSとの連携を試験的に行ってみたところ、閲覧者数が増加し昨日は、ここ最近では見られない程多くの閲覧者数を得ることができました・・。
とはいえ、このようなSNSとブログとの連携を自身で行っておきながら、以下のようなことを書くのも矛盾しておりますが『多くの方々に記事が閲覧されているという自覚』とは、どうやら(それに慣れるまでは)記事作成においては必ずしもプラスではなく、どうも萎縮してしまうといった要素も少なからずあるように思われるのです・・(苦笑)。
しかし同時に、さきの自覚とは、記事を書く上において、自身に緊張感を生じさせることから、書く記事の内容に対しても、より深く考えさせる効果もまたあるように思われます・・。
そして、この双方要素の内面での葛藤こそが自身の場合、ブログ記事作成の『力』となっているのではないかと思われるのです。
それでもやはり、こうしたものも他のさまざまなことと同様にバランスが大事であり、緊張感ばかり大きくなりますと萎縮して記事作成が困難な状態となり、一方それが皆無であれば、書かれる内容もまた、意図しないことながら無意識に手を抜いてしまうといった傾向があるように思われます・・。
それ故、おそらく自身にとって最も望ましい展開とは、ある程度の『量』の記事作成によって閲覧者数が増大することに伴い生じる緊張感に耐え得る、それを記事作成に対してプラスに転化し『記事内容、質』の向上が為し得る自身に漸進的に進化発展を遂げることではあるのでしょうが、実際にはそこまで単純に行くものでもなく、もっと込み入った複雑な事情が存在するものと考えます・・(苦笑)。
また、以上のことを一般化するのもまた単純過ぎるのではあるのでしょうが、ものごとの進化発展の背景とは、概ねそのようなものではないでしょうか・・(笑)?
ともあれハナシを冒頭に戻し、今回の記事投稿によって投稿記事数が650に到達するわけですが、あまり実感や感慨なども湧かず『じゃあ次は700記事かな・・?』といった考えがボンヤリと出てくる程度です・・(笑)。
そして、そのようなことを書いておりますと、さきには『記事作成における緊張感は必要である』といった意味のことを書いたにもかかわらず、それらの蓄積である投稿記事数に対しては意識していないことはないものの、緊張感を含む感慨といったものをあまり持ち得ないこととは、なかなか面白い、あるいはまた多少一般化し得る心的傾向といったものを垣間見ることが出来るのではないかとも思われましたが如何でしょうか・・(笑)?
また、ブログ記事作成が創造の一つであるとするならば、そこには、創造という行為の背景にある、何かしらの傾向、特徴を示しているのではないかとも考えられます・・。
ともあれ、今回650記事に到達し、以上のようなことを書くことが出来る背景には、面白いものばかりではない、一連の投稿記事を(継続的に)読んでくださって方々がいらっしゃるからであることは間違いないことです・・。
おかげさまで650記事に到達することが出来ました。
そして今回もまた、ここまで興味を持って読んでくださり、どうもありがとうございます。
去る2016年、熊本、山陰東部、福島県周辺にて発生した地震によって被害を被った地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そして、その後の速やかな復興を祈念しております。」
20170610 SNSとブログ記事を連動させて思ったこと・・直観・直覚・・帰納?
昨日、試験的にいくつかの当ブログの記事をSNSと連動させてみたところ、明らかな閲覧者数の増加を示しましました・・。
とはいえ、これはこれで自身にとってはプレッシャーとなると考えたことから、毎回の投稿記事を連動させることは、とりあえず控えておきます・・。
今後、それに慣れてきた場合、徐々に移行して行けばそれで良いものと考えます。
また、このブログ記事とSNSとの連動に伴い、昨日投稿のブログ記事にて書いた、ここ最近、随分以前に投稿した記事がぽつぽつと読まれている状態がさらに加速、励起されたようであり、冒頭に述べた閲覧者数の増加とは、概ねそのような記事(随分以前に投稿した記事)の閲覧によるものであるのです・・。
さらに加えて面白いことは、それら読まれている記事とは、必ずしも昨日SNSにて連動させた過去の記事ではないということです・・(笑)。
こうなりますと、自身でも、よくその事情、作用機序が分からなくなるところではあるのですが、不思議なことに、その一方で、読まれていた記事と昨日の投稿記事との関連について考えてみますと、どうも私の個人的なこと、いや少なくとも一連のブログ記事や以前SNSにて書いた意外のことを知っているのではないかと考えさせられるのです・・。
とはいえ、このように考えるに至った経緯とは、残念ながら現在の私の文章表現力、言語能力にて端的、簡潔に説明することが困難であり、同時に、その感知されたことは、それを今現在ブログ記事主題として書いている自身のいわば創造の源泉ともいえることから、そう簡単に解明、明瞭化されてしまっては面白くないのです・・(笑)。
こうしたこともまた、以前のブログ記事において書いた学問における論証過程の重要さと通底する何かがあるのではないかと思われますが、如何でしょうか・・(笑)?
さらに、ここまで書いておりますと、我が国の多くの地域でその伝説がある妖怪『座敷わらし』とは、案外こうした考えが具体的な日常生活において発露されたものではないかとも思われるのです・・。
また、これはある程度一般化され得ることであると思われますが、さまざまなことを調べておりますと或る時点で『コトバにはならないけれども分かった』と感じる時があります。
これは直観、直覚といったものの為せるワザとのことですが、その後さらに倦むことなく調べ、究め続けておりますと、徐々にその感覚が言語化されてきます。
そして、この一連の経緯こそが意識下にて行われていた論証過程が徐々に意識上に顕現してくるといった現象ではないかと考えます・・。
こうしたことを思い至るに及んで、現在私は既に若くはない年齢には達しましたが、未だ時において直観、直覚といったものが働いたことに、多少安堵するのです・・。
いや、あるいはこうした直観、直覚とは、若いうちよりも、ある程度の年齢に達してからの方がよく働くものであるのでしょうか・・?
このことをもう少し考えてみますと、おそらく直観、直覚とは、それがある程度『確からしい』と自覚されるものであれば、それは主体が積んだ経験、学識などもまた同様にある程度の『量』に達していると思われます。
何故ならば、それは参照し得る経験、知識が多いということになりますので(確からしさとは、そのような土台の上に立つ)。
さて、そうした土台、前提の上で、何かの契機、きっかけによって直観、直覚を得るとは、いわば無意識に行われている内面での経験、知識の参照作業に何らかの刺激が加わることによって直観、直覚が発露されるということになると考えられます・・。
そして、それは考え方のモデルでいいますと、帰納法による推論に近いのではないかと思われますが如何でしょうか・・?
しかしそうなりますと、そこで問題になるのは、では内面にて行われている経験、知識の参照作業を行っている『力』とは一体何であろうか?ということになると思われます。
また、この『力』とは、おそらく勉強、学ぶ『力』ともある程度関連はあると思われる一方、単純に比例、随伴するものでもないのではないかとも思われるのです・・。
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨年、熊本、山陰東部、福島県周辺において発生した地震によって被害を被った地域の出来るだけ早い諸インフラの復旧、そして、その後の速やかな復興を祈念しております。」
とはいえ、これはこれで自身にとってはプレッシャーとなると考えたことから、毎回の投稿記事を連動させることは、とりあえず控えておきます・・。
今後、それに慣れてきた場合、徐々に移行して行けばそれで良いものと考えます。
また、このブログ記事とSNSとの連動に伴い、昨日投稿のブログ記事にて書いた、ここ最近、随分以前に投稿した記事がぽつぽつと読まれている状態がさらに加速、励起されたようであり、冒頭に述べた閲覧者数の増加とは、概ねそのような記事(随分以前に投稿した記事)の閲覧によるものであるのです・・。
さらに加えて面白いことは、それら読まれている記事とは、必ずしも昨日SNSにて連動させた過去の記事ではないということです・・(笑)。
こうなりますと、自身でも、よくその事情、作用機序が分からなくなるところではあるのですが、不思議なことに、その一方で、読まれていた記事と昨日の投稿記事との関連について考えてみますと、どうも私の個人的なこと、いや少なくとも一連のブログ記事や以前SNSにて書いた意外のことを知っているのではないかと考えさせられるのです・・。
とはいえ、このように考えるに至った経緯とは、残念ながら現在の私の文章表現力、言語能力にて端的、簡潔に説明することが困難であり、同時に、その感知されたことは、それを今現在ブログ記事主題として書いている自身のいわば創造の源泉ともいえることから、そう簡単に解明、明瞭化されてしまっては面白くないのです・・(笑)。
こうしたこともまた、以前のブログ記事において書いた学問における論証過程の重要さと通底する何かがあるのではないかと思われますが、如何でしょうか・・(笑)?
さらに、ここまで書いておりますと、我が国の多くの地域でその伝説がある妖怪『座敷わらし』とは、案外こうした考えが具体的な日常生活において発露されたものではないかとも思われるのです・・。
また、これはある程度一般化され得ることであると思われますが、さまざまなことを調べておりますと或る時点で『コトバにはならないけれども分かった』と感じる時があります。
これは直観、直覚といったものの為せるワザとのことですが、その後さらに倦むことなく調べ、究め続けておりますと、徐々にその感覚が言語化されてきます。
そして、この一連の経緯こそが意識下にて行われていた論証過程が徐々に意識上に顕現してくるといった現象ではないかと考えます・・。
こうしたことを思い至るに及んで、現在私は既に若くはない年齢には達しましたが、未だ時において直観、直覚といったものが働いたことに、多少安堵するのです・・。
いや、あるいはこうした直観、直覚とは、若いうちよりも、ある程度の年齢に達してからの方がよく働くものであるのでしょうか・・?
このことをもう少し考えてみますと、おそらく直観、直覚とは、それがある程度『確からしい』と自覚されるものであれば、それは主体が積んだ経験、学識などもまた同様にある程度の『量』に達していると思われます。
何故ならば、それは参照し得る経験、知識が多いということになりますので(確からしさとは、そのような土台の上に立つ)。
さて、そうした土台、前提の上で、何かの契機、きっかけによって直観、直覚を得るとは、いわば無意識に行われている内面での経験、知識の参照作業に何らかの刺激が加わることによって直観、直覚が発露されるということになると考えられます・・。
そして、それは考え方のモデルでいいますと、帰納法による推論に近いのではないかと思われますが如何でしょうか・・?
しかしそうなりますと、そこで問題になるのは、では内面にて行われている経験、知識の参照作業を行っている『力』とは一体何であろうか?ということになると思われます。
また、この『力』とは、おそらく勉強、学ぶ『力』ともある程度関連はあると思われる一方、単純に比例、随伴するものでもないのではないかとも思われるのです・・。
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨年、熊本、山陰東部、福島県周辺において発生した地震によって被害を被った地域の出来るだけ早い諸インフラの復旧、そして、その後の速やかな復興を祈念しております。」
2017年6月10日土曜日
20170609 記事の着想が得られ難い時にはどのような文章を書けば良いのか・・?
A「どうしたわけか少し以前より、直近の投稿記事ではない、随分過去の投稿記事がポツポツと読まれているような状態が続いております・・。
また、その読まれている記事の間には特に共通性といったものは看取されないことから、今現在においては、そこにどのような『意味』があるのかとは認識することが困難です。
とはいえ、同時にそうした一連の反応から、悪意らしきものをも看取することも困難でありますので、まあ単純に『読んで頂いてどうもありがとうございます。』といった反応が適切なのではないかと思われます・・。
また投稿記事数も650に近づきつつありますが、これといった心境の変化なども生じることはなく、ほぼ毎日このような感じで記事を作成しています・・。
そして、こうしたどちらかといえば単調な『作業』を通して、今後、何かしら新たな変化とは生じるのでしょうか・・?
しかしながら自身の体験に基づきますと、ブログ記事を書いていて、こうした考えが浮かぶのは、概ね新たな着想が得られない時であり、そのことから、こうした考え、視点とは、おそらく、なくしてはいけないものではあるのでしょうが、同時に過度に焦点を当て過ぎても、あまり良いものではないのかもしれないと思われるのです・・(苦笑)。
それはせいぜい、こうした着想が得られ難い状態にもかかわらず、何かを書かなければならない時にしばしば役に立つといったものであるように思われます・・(笑)。
そのように考えてみますと、おそらく一概に文章を書くとは云っても、その内容とは、大きく二つに分けて、外界に対する興味から発するものと、内心への興味による内省的なものがあるのではないかと思われます・・。
つまりは、自身の状態が外界に対し能動的になっておりますと、やはりその書かれる文章もまた、自然そうした内容を取り扱うようになり、一方、内心への興味に傾いておりますと、どちらかというと、そうした文章になるようです・・。
こうしたことは、これまでにブログ記事の継続的な作成のために多少考えたことがありましたが、それでもその原因というものは明確には分かりませんでした・・(苦笑)。
とはいえ、それが分からずとも、こうした(形式が決められていない)ブログ記事を書くというのであれば、さきに書いたように、特に外界への能動性、興味に由って書かれていなかればならないというわけでもないことに気が付き(これは本当に思い込みでした。)、その文章とは、内心への興味に基づくものであっても特に問題はないようです・・。
しかし、ここで少し問題になることは、この内心への興味に基づく文章を書く場合においては、時として、そして意図せずに、自身の普通、一般的ならざるところを顕してしまうおそれがあることです・・(苦笑)。
こうしたことは特に我が国の社会においては強く意識されるところでもあり、おそらくブログなどで生じる『炎上』といった現象も、多くは、こうしたことに端を発しているのではないかと思われます・・。
そのことから、あまりそうしたことを気にしないつもりでいた自身も記事を書き進めるにつれ、徐々に泥沼にはまっていくように身動きが取れない状態に陥り、そこから自分なりに試行錯誤をした結果、対話形式の文体を採り書き続け、再びどうにか文章を書けるようになっていったと一連の経緯を物語ることが出来ます・・。
この対話形式の文章とは、当初より文体をあまり必要としない口語体で書くことが出来、また、その文章が独白形式のように全てが作成者のものとは見做されず、加えて多少フィクション的要素が存在することにより、公開を前提とする文章作成の際に生じる緊張感を和らげるという効果があったのではないかと思われます・・。
とはいえ、こうしたことはあくまでも自身の経験に基づく個人的なものであり、万人に対して普遍的な効果を持つとは断言できません・・。
ただ、記事として書いておいても特に不味いとは思われないことから、今回このように書いておく次第です・・。
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
去る2016年、熊本、山陰東部、福島県周辺を襲った地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そして、その後の速やかな復興を祈念しております。」
また、その読まれている記事の間には特に共通性といったものは看取されないことから、今現在においては、そこにどのような『意味』があるのかとは認識することが困難です。
とはいえ、同時にそうした一連の反応から、悪意らしきものをも看取することも困難でありますので、まあ単純に『読んで頂いてどうもありがとうございます。』といった反応が適切なのではないかと思われます・・。
また投稿記事数も650に近づきつつありますが、これといった心境の変化なども生じることはなく、ほぼ毎日このような感じで記事を作成しています・・。
そして、こうしたどちらかといえば単調な『作業』を通して、今後、何かしら新たな変化とは生じるのでしょうか・・?
しかしながら自身の体験に基づきますと、ブログ記事を書いていて、こうした考えが浮かぶのは、概ね新たな着想が得られない時であり、そのことから、こうした考え、視点とは、おそらく、なくしてはいけないものではあるのでしょうが、同時に過度に焦点を当て過ぎても、あまり良いものではないのかもしれないと思われるのです・・(苦笑)。
それはせいぜい、こうした着想が得られ難い状態にもかかわらず、何かを書かなければならない時にしばしば役に立つといったものであるように思われます・・(笑)。
そのように考えてみますと、おそらく一概に文章を書くとは云っても、その内容とは、大きく二つに分けて、外界に対する興味から発するものと、内心への興味による内省的なものがあるのではないかと思われます・・。
つまりは、自身の状態が外界に対し能動的になっておりますと、やはりその書かれる文章もまた、自然そうした内容を取り扱うようになり、一方、内心への興味に傾いておりますと、どちらかというと、そうした文章になるようです・・。
こうしたことは、これまでにブログ記事の継続的な作成のために多少考えたことがありましたが、それでもその原因というものは明確には分かりませんでした・・(苦笑)。
とはいえ、それが分からずとも、こうした(形式が決められていない)ブログ記事を書くというのであれば、さきに書いたように、特に外界への能動性、興味に由って書かれていなかればならないというわけでもないことに気が付き(これは本当に思い込みでした。)、その文章とは、内心への興味に基づくものであっても特に問題はないようです・・。
しかし、ここで少し問題になることは、この内心への興味に基づく文章を書く場合においては、時として、そして意図せずに、自身の普通、一般的ならざるところを顕してしまうおそれがあることです・・(苦笑)。
こうしたことは特に我が国の社会においては強く意識されるところでもあり、おそらくブログなどで生じる『炎上』といった現象も、多くは、こうしたことに端を発しているのではないかと思われます・・。
そのことから、あまりそうしたことを気にしないつもりでいた自身も記事を書き進めるにつれ、徐々に泥沼にはまっていくように身動きが取れない状態に陥り、そこから自分なりに試行錯誤をした結果、対話形式の文体を採り書き続け、再びどうにか文章を書けるようになっていったと一連の経緯を物語ることが出来ます・・。
この対話形式の文章とは、当初より文体をあまり必要としない口語体で書くことが出来、また、その文章が独白形式のように全てが作成者のものとは見做されず、加えて多少フィクション的要素が存在することにより、公開を前提とする文章作成の際に生じる緊張感を和らげるという効果があったのではないかと思われます・・。
とはいえ、こうしたことはあくまでも自身の経験に基づく個人的なものであり、万人に対して普遍的な効果を持つとは断言できません・・。
ただ、記事として書いておいても特に不味いとは思われないことから、今回このように書いておく次第です・・。
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
去る2016年、熊本、山陰東部、福島県周辺を襲った地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そして、その後の速やかな復興を祈念しております。」
2017年6月8日木曜日
20170608 『思考モデルの援用』『本歌取り』創造のために必要なものとは・・?
先日6月2日投稿分記事の『ラッセルにはじまりコンラッドに至るまで・・M2病の妄想?』は、どうしたわけか投稿後数日を経た現在に至るまで読まれ続けております。
これには何か深い意味があるかは分かりませんが、それでも自身からしますと、書籍からの抜粋引用およびその援用ではなく、まあ『本歌取り』のようなカタチではあり、また、これまでとは多少趣向を変えて作成した文章が比較的多くの方々に読まれていることには、何かしらの『意味』はあるのかもしれません・・。
これは、今後引き続きある程度記事作成を行うことによって、あるいは、その『意味』といったものを明瞭化、言語化することが出来るようになるのかもしれません・・(笑)。
また、そのようなことを書いておりますと、つい先日5日の投稿記事『文章を作成する際のフィラー(充填材)とマトリックス(母材)帰納と演繹?』において『思考モデルの援用』について書きましたが、多少大雑把に考えてみますと、さきの『本歌取り』と、この『思考モデルの援用』とは意味合い的に類似しているのではないかと思われたのですが如何でしょうか・・?
そして、そのように考えてみますと、さきのブログ記事に書いたように、こうした文章であれ、何かしらの作品であっても、それが形式、内容の全てにおいてオリジナルというものを創造することは困難であり、また同様に創造されたもののどこからがコピーであり、どこからがオリジナルであるのかとは、その明瞭な判断もまた困難ではないかと思われるのです・・。
また、我々の現実的な経済活動、競争とは、さきに述べた『思考モデルの援用』『本歌取り』さらに平たく云えば『真似』そして、それに加えた幾ばくかの改善の連鎖、応酬により為されていると云っても良く、こうしたことはさまざまな研究においても同様ではないかと思われます・・。
また、漸進的な進化発展とは、概ねそのような感じで為されていくのが通例ではないでしょうか?
しかしながら、昨今においては、さまざまな事物の作成・製作技術の進化発展により、以前に比べかなり容易に『新たな』事物を作成することが出来るようになりました・・。
そして、そうした事情により経済活動・研究などでの競争(連鎖、応酬)も激化し、どうにも収拾がつかないことから、著作権・知的財産などが声高に叫ばれるようになってきたのかもしれません・・。
とはいえ、そうした規制的な傾向が強まっても、我々の創造活動全般が鈍化しなければ良いのですが、果たして、その先には如何なる展開が待ち受けているのでしょうか・・?
ともあれ、何れにせよ、それを制御することが出来るのは、おそらく技術あるいは法律的な規制などではなく『生きた思想・哲学あるいは固有の歴史・文化』といったものではないかと思われるのですが、さて、如何でしょうか・・?
今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨年に熊本、山陰東部、福島県周辺を襲った地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そして、その後の速やかな復興を祈念しております。
これには何か深い意味があるかは分かりませんが、それでも自身からしますと、書籍からの抜粋引用およびその援用ではなく、まあ『本歌取り』のようなカタチではあり、また、これまでとは多少趣向を変えて作成した文章が比較的多くの方々に読まれていることには、何かしらの『意味』はあるのかもしれません・・。
これは、今後引き続きある程度記事作成を行うことによって、あるいは、その『意味』といったものを明瞭化、言語化することが出来るようになるのかもしれません・・(笑)。
また、そのようなことを書いておりますと、つい先日5日の投稿記事『文章を作成する際のフィラー(充填材)とマトリックス(母材)帰納と演繹?』において『思考モデルの援用』について書きましたが、多少大雑把に考えてみますと、さきの『本歌取り』と、この『思考モデルの援用』とは意味合い的に類似しているのではないかと思われたのですが如何でしょうか・・?
そして、そのように考えてみますと、さきのブログ記事に書いたように、こうした文章であれ、何かしらの作品であっても、それが形式、内容の全てにおいてオリジナルというものを創造することは困難であり、また同様に創造されたもののどこからがコピーであり、どこからがオリジナルであるのかとは、その明瞭な判断もまた困難ではないかと思われるのです・・。
また、我々の現実的な経済活動、競争とは、さきに述べた『思考モデルの援用』『本歌取り』さらに平たく云えば『真似』そして、それに加えた幾ばくかの改善の連鎖、応酬により為されていると云っても良く、こうしたことはさまざまな研究においても同様ではないかと思われます・・。
また、漸進的な進化発展とは、概ねそのような感じで為されていくのが通例ではないでしょうか?
しかしながら、昨今においては、さまざまな事物の作成・製作技術の進化発展により、以前に比べかなり容易に『新たな』事物を作成することが出来るようになりました・・。
そして、そうした事情により経済活動・研究などでの競争(連鎖、応酬)も激化し、どうにも収拾がつかないことから、著作権・知的財産などが声高に叫ばれるようになってきたのかもしれません・・。
とはいえ、そうした規制的な傾向が強まっても、我々の創造活動全般が鈍化しなければ良いのですが、果たして、その先には如何なる展開が待ち受けているのでしょうか・・?
ともあれ、何れにせよ、それを制御することが出来るのは、おそらく技術あるいは法律的な規制などではなく『生きた思想・哲学あるいは固有の歴史・文化』といったものではないかと思われるのですが、さて、如何でしょうか・・?
今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨年に熊本、山陰東部、福島県周辺を襲った地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そして、その後の速やかな復興を祈念しております。
20170607 本日久しぶりに野球観戦をして思ったこと・・
A「本日は仕事も兼ねて朝から神宮球場に行き、野球を観戦しました・・。
野球観戦はかなり久しぶりではありましたが、途中、野球部のOBでもあり文系院時代の知人に、これまたかなり久しぶりにお目に掛かり、しばらくお話をすることが出来ました・・。
それは、あまり強くなかった野球部がどのような経緯を経て強くなってきたかという内容であり、説明する彼は至って冷静な様子で話されてはいましたが、それを聞いていた私は途中、先日読んだ柔道を題材とした小説と何かしらリンクする、重なるものを見出しました・・。
ちなみにその説明してくださった方は、院生時代より『文武両道』というコトバを重視されていたと記憶していますが、大変面白いことに、この傾向とは、歯科理工学の師匠においても類似したものが見出され、そのことから師匠自らが先頭になり、弟子共を引き連れ山登りをされることが多々あったのではないかと思われます・・。
また師匠の方は高校時代サッカー部に所属されていたとのことであり、あるいは後年の山登りにおける健脚ぶりとは、この当時に培われたものであるのかもしれません・・。
さて、昨今の御時世においては、さまざまな面においてそうであるのかもしれませんが、運動もしくは勉強といった、どちらかに特化し練習、強化する方が、その特性、才能を効率よく伸ばすことが出来るという考えが一般論になりつつあるのではないかと思われます。
そしてその一方で、さきに挙げた文武両道的なハナシを聞いたり、また思い出したりしますと、果たして我々人間とは、何かに特化して効率よく才能を伸ばす方が良いのであろうか、あるいは幸せなのであろうか?とも考えさせられるのです・・。
とはいえ、こうしたことは、おそらく欧米においては、かねてより議論され続けたことであり、先日抜粋引用したミルの著した文章もまた、その背景には、こうした大きな疑問があったのではないかと思われるのです・・。
そして、欧米においては、こうした議論の際に多く出てくるのが『一般教養の重要さ』であるのですが、近代以降の我が国の場合、後発工業国という事情もあってか、どうも一般教養の重要さといった議論が出てくること自体が少なく、またそれ以前に『その一般教養とは何であるか?』といったことにおいても、実はコンセンサスはないのかもしれません・・(これも近代以降に欧米化を遂げた我が国としては難しい問題であるのかもしれませんが・・)。
ともあれ、では『一般教養』と、さきの『文武両道』がどこで結節するのかと考えてみますと、それは根源における『能動性』ではないかと思われます・・。
またそれを異言しますと『自らの内からの力によって、元からのセンスの良し悪しはともかく、何を選び、そしてどのようなことを行ってきたか』ということではないでしょうか・・?
そして、それを自らの内からの力によって行うその根源には、何かしら思想、哲学(思い込みかもしれないが・・)といったものがなければ疲弊、枯渇してしまうのではないでしょうか・・?
(その意味では、現在の社会とは過度に科学的ともいえ、思想、哲学あるいは思い込みを抱き難い社会であるのかもしれません・・)。
無論、こうしたことは自身のブログについても同様であり、ある意味これを継続して作成していることとは、そうしたことの自問自答の一形態であるとも云えるのです・・(笑)。
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨年に熊本、山陰東部、福島県周辺を襲った地震によって被害を受けた地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そして、その後の速やかな復興を祈念しております。」
野球観戦はかなり久しぶりではありましたが、途中、野球部のOBでもあり文系院時代の知人に、これまたかなり久しぶりにお目に掛かり、しばらくお話をすることが出来ました・・。
それは、あまり強くなかった野球部がどのような経緯を経て強くなってきたかという内容であり、説明する彼は至って冷静な様子で話されてはいましたが、それを聞いていた私は途中、先日読んだ柔道を題材とした小説と何かしらリンクする、重なるものを見出しました・・。
ちなみにその説明してくださった方は、院生時代より『文武両道』というコトバを重視されていたと記憶していますが、大変面白いことに、この傾向とは、歯科理工学の師匠においても類似したものが見出され、そのことから師匠自らが先頭になり、弟子共を引き連れ山登りをされることが多々あったのではないかと思われます・・。
また師匠の方は高校時代サッカー部に所属されていたとのことであり、あるいは後年の山登りにおける健脚ぶりとは、この当時に培われたものであるのかもしれません・・。
さて、昨今の御時世においては、さまざまな面においてそうであるのかもしれませんが、運動もしくは勉強といった、どちらかに特化し練習、強化する方が、その特性、才能を効率よく伸ばすことが出来るという考えが一般論になりつつあるのではないかと思われます。
そしてその一方で、さきに挙げた文武両道的なハナシを聞いたり、また思い出したりしますと、果たして我々人間とは、何かに特化して効率よく才能を伸ばす方が良いのであろうか、あるいは幸せなのであろうか?とも考えさせられるのです・・。
とはいえ、こうしたことは、おそらく欧米においては、かねてより議論され続けたことであり、先日抜粋引用したミルの著した文章もまた、その背景には、こうした大きな疑問があったのではないかと思われるのです・・。
そして、欧米においては、こうした議論の際に多く出てくるのが『一般教養の重要さ』であるのですが、近代以降の我が国の場合、後発工業国という事情もあってか、どうも一般教養の重要さといった議論が出てくること自体が少なく、またそれ以前に『その一般教養とは何であるか?』といったことにおいても、実はコンセンサスはないのかもしれません・・(これも近代以降に欧米化を遂げた我が国としては難しい問題であるのかもしれませんが・・)。
ともあれ、では『一般教養』と、さきの『文武両道』がどこで結節するのかと考えてみますと、それは根源における『能動性』ではないかと思われます・・。
またそれを異言しますと『自らの内からの力によって、元からのセンスの良し悪しはともかく、何を選び、そしてどのようなことを行ってきたか』ということではないでしょうか・・?
そして、それを自らの内からの力によって行うその根源には、何かしら思想、哲学(思い込みかもしれないが・・)といったものがなければ疲弊、枯渇してしまうのではないでしょうか・・?
(その意味では、現在の社会とは過度に科学的ともいえ、思想、哲学あるいは思い込みを抱き難い社会であるのかもしれません・・)。
無論、こうしたことは自身のブログについても同様であり、ある意味これを継続して作成していることとは、そうしたことの自問自答の一形態であるとも云えるのです・・(笑)。
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨年に熊本、山陰東部、福島県周辺を襲った地震によって被害を受けた地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そして、その後の速やかな復興を祈念しております。」
2017年6月6日火曜日
20170606 先月5月30日の続き【現地栄養ドリンクの誘い】
A「本日は以下に、先月30日に書いたインドネシアでの出来事の続きを書いてみようと思います・・。
『到着翌日のレセプションは夜半過ぎ(21:00頃)に閉会となり、私ははじめて飲んだ現地のビールに気をよくして、閉会後に独りでホテルから出て近隣のコンビニ?何でも屋?のようなお店に行き、ペットボトル飲料を数本購入し、部屋に戻り風呂に入り少し酔いを醒ましてから、昨日と同様、独り予演を何回か行った後、歯磨きをして床に就いた・・。
翌朝目を覚ますと、目ざまし時計代わりにテレビを付け、無造作にチャンネルを回すと耳慣れた日本語、それも当時日本で放送され昼食時に講座のテレビにて(大体)欠かさず観ていた連続ドラマの登場人物たちの声が聞こえたため、掛布団を跳ね除けて画面を見ると、なんと、そのドラマが放映されていた。
私はそのドラマを横目で見ながら、洗面所に行き、顔を洗い、ひげを剃り、歯を磨き、用意してきたワイシャツ、背広に着替えて、テレビを消し少し早めに朝食会場に向かった・・。
ちなみに当時は写真からもお分かり頂ける通り坊主頭に近い髪型であったため、寝グセの心配もなければ、髪をセットするという面倒もなかった・・。
昨日と同様、朝食会場では装飾された鍵盤打楽器の演奏が行われており、それがまた雰囲気に合っていると感じられたことから、内心で「ははあ、この演奏は、よく日本のホテルの和食堂で演奏されていたり、有線で流れている琴の演奏みたいなものだろう・・。」と一人合点をした・・(笑)。
同行の先輩方も本日が発表本番ということは無論承知していただろうが、特に(表立って)緊張しているといった気配は見せず、本日の朝に放映されていた、さきのテレビドラマの話題にてしばし盛り上がった・・。
また、一人が客室冷蔵庫内に日本でも有名な栄養飲料【通称:赤ベコ飲料】の現地版が置いてあったことを指摘し、別の一人が『発表前に飲んでみようか・・』と冗談めかしていったところ、また別の一人が真剣な顔つきで『いや、それは止めておいた方がいいだろう、発表前にお腹でもこわしたらコトだから、飲むのであれば発表後にしよう・・。』といった、もしここでこうした意見が真剣なトーンで出なければ、おそらく誰かは飲んでいたのではないかと思われる・・(笑)。
朝食後は一旦部屋に戻り、荷物を準備し、少し早めに部屋を出た、すると近くの部屋からドアは閉まっているものの、話し声などが割合はっきりと聞こえることに気が付いた・・。
これは発表前の緊張で過度に聴覚が研ぎ澄まされていたからであったのあろうか・・。
就寝時は隣り合わせの部屋から物音が聞こえるということはなかったので、特に壁が薄いということはなかったはずであるのだが・・。
ともあれ、そのような感覚をおぼえつつ用意されたバスに乗車し、昨日同様、学会場に向かった・・。
一人の先輩が各々発表前に会場外のベランダに呼び出し師匠へのコメントを収録していたが、こうした状況においてもマメに記録を撮り続けるのは、やはり理系的な心性、行為態度ではないかと思われる・・(笑)。
さて、自身の発表の番になると、やはり大変緊張するものであり、一応独り予演通りに発表は出来たものの、発表後の質疑応答では(案の定)ボロが出て、いやメッキが剥げて、シドロモドロ振りを存分に発揮していたことを記憶している・・(苦笑)。
とはいえ、最終的にはどうにか主客共に意は通じ合ったようであり、発表、質疑応答を終え、まさしく冷汗をかきながら演壇を降りた。
私以外の先輩方も発表・質疑応答共に大過なく終え、また他の方々の発表を聞き、休憩時間では他の国々からの出席者に質問をしたりして、どうにかこの日も無事に閉会を迎えることができた・・。
そして、この日の夕食は野外でのビュッフェ形式とのことであり、その後、さらに移動し、本格的な伝統舞踊演劇を観てといった、かなり行事が盛り沢山な一日であった。
また、そうしたことから、この日の晩は発表を無事終えた安心感をはじめとする一日の疲れから、またスムーズに寝入ることが出来た。
その翌日は、観光ツアーが組まれている予定であったが、翌朝、目を覚ましてホテルロビーに行ってみると、どうもただならぬ様子であったので、既にこの場所に来て様子をうかがっていた先輩に事情、状況を尋ねてみると『いや、前々から懸念されていた火山の噴火が起きてね、この周囲も相当灰が降っているよ、うん、これはさすがに桜島の降灰とはワケが違うね・・もしかしたら、帰りの飛行機にも影響が出るかもしれない・・。』とのことであり、このことから先の我々の予定に、まさしく暗雲が垂れ込みはじめたのであった・・。』
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
去る2016年、熊本、山陰東部、福島県周辺にて発生した地震によって被害を被った地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そして、その後の速やかな復興を祈念しております。」
『到着翌日のレセプションは夜半過ぎ(21:00頃)に閉会となり、私ははじめて飲んだ現地のビールに気をよくして、閉会後に独りでホテルから出て近隣のコンビニ?何でも屋?のようなお店に行き、ペットボトル飲料を数本購入し、部屋に戻り風呂に入り少し酔いを醒ましてから、昨日と同様、独り予演を何回か行った後、歯磨きをして床に就いた・・。
翌朝目を覚ますと、目ざまし時計代わりにテレビを付け、無造作にチャンネルを回すと耳慣れた日本語、それも当時日本で放送され昼食時に講座のテレビにて(大体)欠かさず観ていた連続ドラマの登場人物たちの声が聞こえたため、掛布団を跳ね除けて画面を見ると、なんと、そのドラマが放映されていた。
私はそのドラマを横目で見ながら、洗面所に行き、顔を洗い、ひげを剃り、歯を磨き、用意してきたワイシャツ、背広に着替えて、テレビを消し少し早めに朝食会場に向かった・・。
ちなみに当時は写真からもお分かり頂ける通り坊主頭に近い髪型であったため、寝グセの心配もなければ、髪をセットするという面倒もなかった・・。
昨日と同様、朝食会場では装飾された鍵盤打楽器の演奏が行われており、それがまた雰囲気に合っていると感じられたことから、内心で「ははあ、この演奏は、よく日本のホテルの和食堂で演奏されていたり、有線で流れている琴の演奏みたいなものだろう・・。」と一人合点をした・・(笑)。
同行の先輩方も本日が発表本番ということは無論承知していただろうが、特に(表立って)緊張しているといった気配は見せず、本日の朝に放映されていた、さきのテレビドラマの話題にてしばし盛り上がった・・。
また、一人が客室冷蔵庫内に日本でも有名な栄養飲料【通称:赤ベコ飲料】の現地版が置いてあったことを指摘し、別の一人が『発表前に飲んでみようか・・』と冗談めかしていったところ、また別の一人が真剣な顔つきで『いや、それは止めておいた方がいいだろう、発表前にお腹でもこわしたらコトだから、飲むのであれば発表後にしよう・・。』といった、もしここでこうした意見が真剣なトーンで出なければ、おそらく誰かは飲んでいたのではないかと思われる・・(笑)。
朝食後は一旦部屋に戻り、荷物を準備し、少し早めに部屋を出た、すると近くの部屋からドアは閉まっているものの、話し声などが割合はっきりと聞こえることに気が付いた・・。
これは発表前の緊張で過度に聴覚が研ぎ澄まされていたからであったのあろうか・・。
就寝時は隣り合わせの部屋から物音が聞こえるということはなかったので、特に壁が薄いということはなかったはずであるのだが・・。
ともあれ、そのような感覚をおぼえつつ用意されたバスに乗車し、昨日同様、学会場に向かった・・。
一人の先輩が各々発表前に会場外のベランダに呼び出し師匠へのコメントを収録していたが、こうした状況においてもマメに記録を撮り続けるのは、やはり理系的な心性、行為態度ではないかと思われる・・(笑)。
さて、自身の発表の番になると、やはり大変緊張するものであり、一応独り予演通りに発表は出来たものの、発表後の質疑応答では(案の定)ボロが出て、いやメッキが剥げて、シドロモドロ振りを存分に発揮していたことを記憶している・・(苦笑)。
とはいえ、最終的にはどうにか主客共に意は通じ合ったようであり、発表、質疑応答を終え、まさしく冷汗をかきながら演壇を降りた。
私以外の先輩方も発表・質疑応答共に大過なく終え、また他の方々の発表を聞き、休憩時間では他の国々からの出席者に質問をしたりして、どうにかこの日も無事に閉会を迎えることができた・・。
そして、この日の夕食は野外でのビュッフェ形式とのことであり、その後、さらに移動し、本格的な伝統舞踊演劇を観てといった、かなり行事が盛り沢山な一日であった。
また、そうしたことから、この日の晩は発表を無事終えた安心感をはじめとする一日の疲れから、またスムーズに寝入ることが出来た。
その翌日は、観光ツアーが組まれている予定であったが、翌朝、目を覚ましてホテルロビーに行ってみると、どうもただならぬ様子であったので、既にこの場所に来て様子をうかがっていた先輩に事情、状況を尋ねてみると『いや、前々から懸念されていた火山の噴火が起きてね、この周囲も相当灰が降っているよ、うん、これはさすがに桜島の降灰とはワケが違うね・・もしかしたら、帰りの飛行機にも影響が出るかもしれない・・。』とのことであり、このことから先の我々の予定に、まさしく暗雲が垂れ込みはじめたのであった・・。』
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
去る2016年、熊本、山陰東部、福島県周辺にて発生した地震によって被害を被った地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そして、その後の速やかな復興を祈念しております。」
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