A「ここ最近のブログの一日の閲覧者数は、以前とあまり変わらず、大体300~500人程度となっております。
以前用いていた対話形式の文体から現在の独白形式の文体に変えたことにより、多少閲覧者数に変化が生じるかと思いましたが、現在のところ特に大きな変化はありません。
ただ、これは気のせいであるかもしれませんが、閲覧された記事の動向を見ておりますと、以前に比べ、記事を深く読まれているのではないかと思うことがあります・・。
そして「深く読む」といいますと、現在再び読んでおります「迷路」上巻は100頁程度まで進みました。
今回のこの読書においては、以前あまり深く考えず読み飛ばしていた事柄、たとえば作中に出てくる現在では聞くことがない語句、事物の意味をインターネットなどで調べたりして読み進めています。
そうした、一種精読に近い読書、読解とは、多少面倒くさい反面、新たな疑問、発見などが出来、なかなか面白いものであるとも思います。
そういえば、以前より、インターネットなど情報技術の進化、普及に伴い、大学など高等教育機関での文系学問の意味、価値が大幅に減じた、減じるといった内容を何度か聞いたことがありました。
たしかにインターネットの普及以前であれば、さきに記した精読、読解の作業においては、図書館等を利用し、記載されている語句、事物の意味、背景を調べ、解釈し、読み進めてゆくのが一般的であったと思われます。
それがその後、PCあるいはその端末機器を広く一般的に使用することにより、かなり簡便にこうした精読、読解作業が概ね出来るようになったことは、たしかに「長足の進歩」であるとは思います。
しかし、そうであるからといって文系学問の意味、価値が減じたということにはならないと思います。
それは一般的に考えてみて、理系の分析機器が進化し、その操作が簡便になったからといって、理系学問自体の意味、価値が減じることがないのと同じことではないかと思います。
それ故、文系学問の場合、周辺機器の進化発展により様々な情報の入手が簡便になるからといって、その学問自体の意味、価値が減じると考えることには、そうした評価をくだす方々が当初よりその学問分野に価値を認めず『より根源からの能動的な興味』を持ちえないことから、そのような評価になりやすいのではないかと思います・・。
そして、こうしたことは私を含め、我々の多くが様々な事物に対し、そうした評価を比較的安易にくだしているのではないかと思われます・・。
また、それに加え、そうした評価とは、インターネットの普及により、個々人が、より一層、そうした評価を諸事物に対し、くだし易くなってきているのではないでしょうか?
その意味において、かなり原始的、単純であるのかもしれませんが、私は紙媒体の書籍およびその読解には何かしら(今現在不可知な)大きな価値、意味があるのではないかと考えています・・。」
ここまで興味を持って読んでいただいた皆様、どうもありがとうございます。
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