2025年9月7日日曜日

20250906 空回りの時期と当ブログの開始に至るまで③

 振り返ってみますと、2013年9月に(どうにか)学位を取得してから2015年6月に当ブログを開始するまでの2年近くの期間、私は諸事、空回りをしていました。そしてそれは、自らの年齢やキャリアを考慮するあまり、焦燥感に囚われていたいたからであると思われます。とはいえ、こうした焦燥感や葛藤といったものは、発散されないと、そのまま保持されるか、あるいは、さらに悪化するとも思われることから、さきの空回りの期間とは、避けられないものであったと思われます。
 やがて、落ち着きを取り戻し、再びネットや公共職業安定所などで求人情報に目を通すようになり、しばらく経った頃、見つけたのは、首都圏を中心として、多数の分院展開をする比較的大きな医療法人の「訪問歯科診療コーディネーター」職種の求人でした。そこで、応募書類一式を作成、投函してから数日後、法人事務局からご連絡を頂き、面接日時を定め、数日後、都内、東急東横線沿線に立地する法人本部を訪ねました。面接では、履歴概要について尋ねられてから、少し打ち解けた雰囲気になり、しばし会話の後、法人理事から「当法人は色々な職種がありますが、まずは訪問診療のコーディネーターから始めてください。」と云う流れで採用となりました。
 訪問診療コーディネーターとは、一言で云いますと、訪問診療を行う歯科医師や歯科衛生士が、居宅や施設といった外来診療とは異なる環境であっても円滑に診療が出来る様に支援全般を行う職種です。その具体的な内容は、診療スケジュールの調整、ポータブルユニットなどの機材準備や運搬、診療中の各種補助、クレーム対応、会計業務や居宅介護支援事業所・地域包括センター・訪問看護ステーションなどへの周知活動と云う営業までも含まれており、まさに、マルチタスクが要求される職種であったと云えます。また、同法人での私以外の訪問診療コーディネーターの方々の多くは、営業畑の御出身であり、経験を積み、場数を踏んできただけに、それぞれ優れた交渉力やコミュニケーション能力を持たれていましたが、私の方と云えば、以前、5年間のホテル勤務の際にそれらしきことを少し行った経験がある程度であり、それ以外で、営業経験はほぼありませんでした。とはいえ「歯科医療業界を知っている人材」として期待され、採用されたことから、自分なりに頑張ってはみたものの、その割には成果が上がらずに苦労した記憶があります。
 とはいえ、この訪問診療コーディネーター業務の経験は決して無駄なものではなく、社会の高齢化が進行している我が国において、今後、否応なく、さらに重要となる訪問診療という領域を、現場の裏方として近くで見ることが出来たことは貴重な経験であったと云えます。他方、元来、マルチタスクが苦手である私は、訪問診療コーディネーターの業務全般に速やかに慣れることは困難であり、周囲の先輩同僚の方々に、ご迷惑を掛けてしまうことも度々ありました。そして、法人本部の方も、そうしたことに気が付いていたのか、入社後半年程経った頃、法人本部が新たに設立した、医療介護人材に特化した求人求職サイトを運営する一般社団法人へと異動となり、そこでサイトの運営業務全般を行うことになりました。
 この業務は、端的に、さまざまな機関の医療介護職の求人情報を集め、それらをサイトに掲載し、それと同時に、より多くの求職者の登録をはかるといったものでした。当然と云えば当然ですが、こうしたサイトとは、求人情報がより多く掲載されている方が有利であるため、私は、はじめに実家クリニックの求人情報をサイトにアップし、続いて、以前から見知っている医療・歯科医療機関さまにお願いをして、出来るだけ多くの求人情報を頂けるように努力し、さらにテレアポなども試みましたが、結果的に、それなりに多くの求人情報を得ることが出来たのではないかと思われます。そして、そこで集めた情報をサイトにアップし続けました。
 このサイト運営業務は簡潔に文章で述べますと、上記の通りではあるのですが、同時にまた、それなりにストレスも多く、胃が痛くなることも度々ありましたが、この業務は私以外に担当者はおらず、ほとんど全ての求人情報は、私が入手したものでした。
 ともあれ、サイト運営がそれなりに稼働するようになりますと、それは成果であると見做されたのか、法人本部側の対応も変化して、勤務する歯科医師、歯科衛生士向けの法人内勉強会の管理運営業務なども担当させて頂くようになりました。この業務では、法人勤務の歯科医師や歯科衛生士の方々と話す機会が多くありましたが、そのなかで、比較的多く私に話し掛けてきてくださったのは、本院勤務の女性歯科医師であり、お二人の息子さんの子育てを一通り終えられてから臨床に復帰された先生でした。こちらの先生は熱心に訪問診療に取り組まれており、時折、コーディネーターが受ける急患への対応も快く応じてくださり、また、ご高齢で摂食嚥下機能が不自由な方々に対してのリハビリテーションに強い関心を持たれていました。
 そしてある日、こちらの先生から「摂食嚥下機能のリハビリで定評がある東京歯科大学のS教授の研究室に、大学時代からの友人歯科医師数人で見学に行きたいのですが、セッティングをお願い出来ますか?」とのご相談を頂きました。そこで私は歯科理工学の師匠に連絡を取らせて頂き、上記旨を説明いたしますと、師匠は「ワシの門下だと云えば繋がるはずや!」とのことでした。そのため、恐る恐るではありながらも意を決してS教授の研究室にお電話を掛けたところ、比較的速やかにS教授ご本人までつながり、そしてあっさりと見学のご了承まで頂くことが出来ました。後日、こちらの見学は、複数先生方のご協力も頂き、無事に終えることが出来ました。そして数日後、こちらの先生は「研究室見学をさせて頂いたS教授から日本老年歯科医学会学術大会での学会発表を勧めてくださった。」として「折角の機会なので学会発表をしてみたい。」とのことで、そこからS教授研究室の若手教員の先生や、大学勤務のご友人などのご助力などによって、学会発表にまで至ることが出来ました。
 学会発表の成功を先生は大変喜んでくださいましたが、良い出来事のあとには悪い出来事が生じるのか、それを快く思わない法人内の主流派歯科医師・歯科衛生士の方々から、先生そして私も何かと責められるようになり、さらに法人本部に対して事実無根の告げ口などもされて、徐々に居心地が悪くなっていきました。この状況には強く怒りを覚えましたが、反論しても得るものはないと思われ、最終的には、こちらが諦めざるを得ませんでした。
 しかし一方、私は、この学会発表準備の時期と前後して、先述サイトの営業活動や情報収集活動の一環として、大学発の新技術説明会や公的機関主催のイベントにも積極的に参加するようになっていました。その意味で、博士号は、無意味、役に立たないものとして、度々あるいは散々に揶揄され続けましたが、こうした公的あるいは学術的な場に参加する際には、むしろ有効であり、どのイベントでも、そこまで敷居の高さを感じることなく参加することが出来ました。さらに、これらイベントでは、東京ということもあり、普段、なかなかお目に掛かることのない研究者や企業経営者や公的機関の方々のご意見や議論に触れることが出来、そして、その中で興味深い見解を述べられる方については、背景を調べて(当時、手取りが20万円以下であったにも関わらず)所属機関をご支援したり、神保町にて洋書の古書を購入し、通勤電車で読むようにもなりました。
 こうした知的刺激が重なってきますと、不思議と良い出来事が生じるように感じられるようになりました。先述の学会やイベントへの参加をきっかけに得た知見や見解は、自らの新たな学びや機会への希望を惹起させ、より充実したものになったと云えます。一方、当時は既に当ブログも作成しており、睡眠不足による疲労や内面での葛藤は続いていましたが、それでも、何と云いますか、世界が広がっていくような感覚がありました。現在、振り返ってみますと、この時期での経験や出会い、そして理不尽で不愉快な出来事もまた、良くも悪くも、今日の私の礎になっているように思われます。

今回もまた、ここまでお読みいただき、どうもありがとうございます。

一般社団法人大学支援機構

~書籍のご案内~
ISBN978-4-263-46420-5

*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。

連絡先につきましては以下の通りとなっています。

メールアドレス: clinic@tsuruki.org

電話番号:047-334-0030 

どうぞよろしくお願い申し上げます。





2025年9月6日土曜日

20250905 株式会社KADOKAWA刊 松木武彦著「古墳とはなにか 認知考古学からみる古代」 pp.144-148より抜粋

株式会社KADOKAWA刊 松木武彦著「古墳とはなにか 認知考古学からみる古代」
pp.144-148より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4044007632
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4044007638

私たちは、全国のどの神社へいっても、規模の大小や建築様式や付帯施設のいかんにかかわらず、それを神社と認識できる。建物も鳥居もない、道端の小さなほこらですら、それが神社と同じ神の世界に連なるもの、神が居るところ、すなわち宮居だと、私たちには見てとれる。なぜそうできるかというと、大神社も、道端のほこらも、宮居はすべて基本的な構造や要素を共有しているからだ。基本形とは、奥の空間に正面がついた形。もっと具体的にいえば、「空間のなかの神に人が向き合う」という認識と行為の表現だ。要素とは。その基本形をかざるさまざまな材料で、建物やほこらのスタイル、意匠、鳥居や玉垣などの付帯施設、さらにはそれをいろどる神器や榊などである。要素には、時代・地域・規模や、あるいは個々の宮居で細やかな違いがあるし、すべての要素がそろっていない場合も多い。そんなあいまいなことでも、私たちは、宮居を宮居としてきっちり認識するのである。
 まつられる神の名は、宮居ごとに定められている。大きな宮居には、その社会でそれだけの価値をあたえられた神がまつられているだろうし、村のほこらには、もっと近しいところに置かれた神がおさまっているだろう。しかし、ここで重要なのは、そのような神の名や格づけが、いちいち、宮居の様式や意匠や付帯施設の品目などによって厳密に表現されているわけではないことだ。様式や意匠や施設を見たところで、神の名や神格はいえないのである。
 当時に人びとの古墳に対する認識や、古墳の形や要素が意味したところも、同様ではないだろうか。古墳の基本形とは「亡き人を高く埋めてあおぐ」という認識と行為の表現だ。そして基本形をかざる要素とは、墳丘の大きさや形、葺石や埴輪などの付帯施設、さらにはそこに埋められた遺骸をいろどる棺・室および副葬品などである。神社の場合と同じように、これらの要素には地域や個々の古墳で違いがあるし、すべての要素がそろわないことのほうがむしろ多い。
 しかし、基本形が守られ、それをいろどるわずかな要素があるだけで、それは宮居らしくみえる。この「らしくみえる」という認知こそが、もののカテゴリー化のうえできわめて重要だ。この認知によって、当時の人びとも、大きな前方後円墳から村の小方墳までを、同じカテゴリーに属する。一連のものととらえていただろう。大神社から村のほこらまでを、私たちがそうとらえるように。

墳形があらわすもの
 そうだとすれば、さきに注目してきた墳丘の形は、どのように認識されていたのだろうか。「亡き人を高く埋めてあおぐ」基本形をいろどるさまざまな要素のうち、墳丘の形はその一つにすぎない。神社でいえば、建物の形『様式」がこれにあたる。
 全国的にみて、参拝者がどっと押し寄せるような大神社の大きな社殿は、入母屋造を基本とする様式で建てられることが多い。春日造や流造の社殿も広くみられるが、由緒はともかく、建物は小さい。神明造も全国に点在するが小規模だ。いっぽう、出雲地方の大社造のように、ある地方に特徴的に広がる様式もある。岡山県北部の中山造や、隠岐島の隠岐造などは、ごく限られた地域のローカルな様式だ。これらの分布のしかたは、前方後円墳(入母屋造)、前方後方墳(春日造や流造)、方墳(大社造)といった古墳の形の分布のありかたに、アナロジーとして似ているところがある。
 重要なのは、こうした社殿の形が、そこにまつられた神の名、神格、祭儀の流派の違いなどと対応しているわけではないことだ。社殿は、神社のなかでもっともよく目にとらえられるものであるにもかかわらず、その形の意味は、さほど明確でも厳密でもないのである。
 古墳の墳丘の形も同様だった可能性がある。さきに述べたように、前方後円墳と前方後方墳とで、そのほかの要素には違いがまったく見いだせない。出雲の大型方墳についても同じだ。この事実は、そこでおこなわれた行為の本質屋主人公の性質と墳丘の形のあいだに、有為の相関関係がなかったことを示している。
 むろん、墳丘の形に何の意味もなかったということではない。出雲の大型方墳は、大社造と同じように、地域独自のアイデンティティや伝統を、そこの人びとやよそからきた人びとにも感じさせただろう。だが、その内実である棺や石室、供えられた品々、そこでおこなわれた祭儀は同じものである。方墳の墳丘は、内実でなく、あくまでも外形にあらわれた意匠上の伝統だったのだ。だから、今日の古墳研究の主流のように、墳丘の形と規模とを相当に厳密な政治的身分の表示と解釈し、そこから畿内勢力と各地域との政治的関係やその変化をよみとって古墳時代史を叙述していく手法には、すこし行きすぎたところがあるのではないかと筆者は考えている。
 古墳の形と規模が、畿内との政治的関係で決まる局面も、ときにはあっただろう。しかし、それがすべてだったとは考えられない。神社の建物の形と同じように、地域の技術や伝統の継承だったこともあれば、地域内部の競争や相互牽制、いうなれば「空気を読んで」墳丘の形や規模を決める局面なども、大いにあったとみるべきだ。

2025年9月5日金曜日

20250904 河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ:著 柴田 裕之:訳「NEXUS 情報の人類史 : 上 人間のネットワーク」 pp.192-194より抜粋 

河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ:著 柴田 裕之:訳「NEXUS 情報の人類史 : 上 人間のネットワーク」
pp.192-194より抜粋 
ISBN-10 ‏ : ‎ 4309229433
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4309229430

ポピュリストは、人民の意思とされるものを、客観的な真実の名の下に退ける機関を胡散臭く思う。真実というものは、エリートたちが不法な権力を強引に手に入れるのを隠す名目にすぎないと、ポピュラリストは見がちだ。そのせいで彼らは、真実の追求には疑いを抱き、プロローグで見たように、「力こそが唯一の現実だ」と主張する。そのため、自分たちに反対するかもしれないような独立した機関の権威を損なったり横取りしたりしようとする。その結果生まれるのが、この世の中は弱肉強食のジャングルであり、人間は権力だけで頭がいっぱいの生き物だという、暗くシニカルな見方だ。社会的なかかわり合いはすべて権力闘争と見なされ、あらゆる機関が部内者の利益を増大させる派閥として描き出される。ポピュリストの想像の世界では、裁判所は心底から正義に関心を抱いてはいない。裁判官たちの特権を守っているだけだ。たしかに裁判官は正義について多く語るが、それらは自らが権力を奪取するための策略にすぎない。新聞は事実には関心がない。フェイクニュースを広めて人々を欺き、ジャーナリスや彼らに資金を提供する陰謀段に利益をもたらそうとする。科学の機関さえもが、真実の探求に専念していない。生物学者や気候学者、疫学者、経済学者、歴史学者、数学者すらも、人民を犠牲にして私腹を肥やそうとする利益団体にほかならない。
 全体に、これは人類についての見方としてはかなり卑しむべきものだが、それでも二つの点で多くの人を惹きつける。第一に、この見方はあらゆる社会的なかかわり合いを権力闘争に矮小化するので、現実が単純化され、戦争や経済危機や自然災害のような出来事が理解しやすくなる。パンデミックさえも含めて、世の中で起こることはすべて、エリートたちによる権力追求の表れというわけだ。第二に、このポピュリストの見方が魅力的なのは、正しいこともあるからだ。人間のどんな機関も現に可謬であり、ある程度の腐敗を免れない。本当に賄賂を受け取る裁判官もいる。一般大衆を意図的に欺くジャーナリストもいる。どの学問分野でも、ときおり偏見や縁故者贔屓が見られる。だから、あらゆる機関に自己修正メカニズムが必要なのだ。だが、ポピュリストは力こそが唯一の現実だと確信しているので、裁判所や報道機関や学術機関が、真実や正義といった価値観に突き動かされて自らを正すなどということは、けっして受け容れられない。
 多くの人が、ポピュリストは人間の現実を率直に捉えていると考えて信奉するのに対して、強権的な指導者がポピュリズムに惹かれるのには別の理由がある。ポピュリズムは彼らに、民主主義のふりをしながら独裁者になるためにイデオロギー上の基礎を与えてくれるのだ。強権的な指導者が民主主義の自己修正メカニズムを無力化したり横取りしたりしようとするときに、ポピュリズムはとりわけ役に立つ。ポピュリズムによれば、裁判官もジャーナリストも大学教授も、真実ではなくむしろ政治的な利益を追求しているわけだから、人民の擁護者たつ強権的な指導者は、裁判官やジャーナリストや大学教授の地位を支配し、それが人民の敵の手に落ちるのを許さないようにするべきであるということになる。同様に、選挙を運営し、結果を公表する担当の役人たちさえもが極悪非道な陰謀に加担しているかもしれないので、彼らも強権的な指導者に忠誠を誓う人々によって取って代れるべきであることになる。
 円滑に機能している民主社会では、国民は選挙の結果や裁判所の判決、報道機関の記事、科学の分野の発見を信頼する。なぜなら、それらの機関が真実の追求に献身的に取り組んでいると信じているからだ。ところが、人々は力こそが唯一の現実であるといったん考え始めると、選挙や裁判、報道、科学などへの信頼を失い、民主主義が崩壊し、強権的な指導者があらゆる権力を奪うことが可能になる。

2025年9月4日木曜日

20250903 株式会社 河出書房新社 三島由紀夫著 対談集「源泉の感情」 pp.97‐99より抜粋

株式会社 河出書房新社 三島由紀夫著 対談集「源泉の感情」
pp.97‐99より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4309407811
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4309407814

三島 伝統の問題があるな。

安部 伝統はよそうや。

三島 安部公房のような伝統否定と、おれのような伝統主義者とが、どういうふうに喧嘩するかということは、面白いよ。

安部 おれも科学的伝統は幾分守っているからな。

三島 でも科学には、前の学説が否定されたら、どうやってやる。

安部 方法だよ。

三島 メトーデの伝統か。

安部 そうそう、事実というものはだね、科学のなかでは非常にもろいものだよね。だから好きなんだ。あおれは、科学は。

三島 日本の伝統は、メトーデが絶対にないことを特色とする。

安部 それが伝統か。困ったな。

三島 それはそうだよ。絶対そう思う。日本では、伝承というものにメトーデが介在しないのだ。それがいちばんの日本の伝統の特徴だよ。たとえば秘伝というものがあるだろう。お能で、秘伝を先生が弟子に譲る場合ね、入門者だって秘伝書を読めばいいようなものの、先生の戸棚から盗んで入門者が読んでも、なんにも解りはしない。それから20年くらいお能を勉強するのだ。そうしないとなんだか知らないけれども、一所懸命口移しに覚えて、30年か40年か50年かたって、なんか曖昧模糊としたことを書いてある巻き物をくれるだろう。月がどうだとか、日輪がどうだとか。それを読むとアッとわかるのだね。わかるそれは秘伝だから、ほかの人には言えない。言ったってほんとうはしようがないのだね。そうしてメトーデがないところで伝承していくのが日本の伝統だよ。

安部 だから日本でスパイ小説が発達しないのだな(笑)。

三島 盗んだってしようがないから、ぜんぜん。

安部 せいぜい忍者で止まったということか。

日本ではよく巻き物を盗んだりするが、盗んでもしょうがないのだ。

安部 嘘なんだな。

三島 嘘なんだ。そうして文学もそうだけれども、舞台芸術、武道なんかに象徴的にあらわれていると思うけれども、伝承という考えは、西洋でも、つまり鍛冶屋に弟子に入って、徒弟時代、遍歴時代、それからマスターになるね。それはメトーデを教わるのだよ。メトーデをだんだんマスターから教わって、マスターピースを作ってマスターになるのだよね。だけどそれは、西洋の歴史はメトーデの伝承の歴史だね。日本はそうではない。秘伝だろう。秘伝というのは、じつは伝という言葉のなかにはメトーデは絶対にないと思う。いわば日本の伝統の形というのは、ずっと結晶体が並んでいるようなものだ。横にずっと流れていくものは、なんにもないのだ。そうして個体というのは、伝承される。至上の観念に到達するための過渡的なものであるというふうに、考えていいのだろうと思う。

 そうするとだね、僕という人間が生きているのは、なんのためかというと、僕は伝承するために生きている。どうやって伝承したらいいかというと、僕は伝承すべき至上理念に向って無意識に成長する。無意識に。しかしたえず訓練して成長する。僕が最高度に達したときになにかつかむ。そうして僕は死んじゃう。次にあらわれてくるやつは、まだなんにもわからないわけだ。それが訓練し、鍛錬し、教わる。教わっても、メトーデは教わらないのだから、結局、お尻を叩かれ、一所懸命ただ訓練するほかない。なんにもメトーデがないところで模索して、最後に、死ぬ前にパッとつかむ。パッとつかんだもの自体は、歴史全体に見ると、結晶体の上の一点から、ずっとつながっているかも知れないが、しかし絶対流れていない。

2025年9月3日水曜日

20250902 中央公論新社刊 中公クラシックス トクヴィル著 岩永健吉郎訳「アメリカにおけるデモクラシーについて」 pp.140-144より抜粋

中央公論新社刊 中公クラシックス トクヴィル著 岩永健吉郎訳「アメリカにおけるデモクラシーについて」
pp.140-144より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4121601610
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4121601612

アメリカには、これまで著名な作家がごく少数しか出なかった。偉大な歴史家もいなかったし、詩人もなかった。住民は、いわゆる文学を、一種の不信の眼をもって見る。ヨーロッパには、第三級の町で、毎年、連邦24州を合わせたよりも多い文学作品を刊行するところがある。アメリカ人の精神は普遍的な観念から遠ざかる。理論的な発見には決して向かわない。政治さえも、また産業と同じ傾向にある。合衆国では、立法は絶えず行われるが、法の一般原理を探求する偉大な著作家はいまだない。アメリカ(の人々)には、法律家や解説者はあるが、経世の書を著すものはいない。政治において、世界に例を示すほうが、教えを垂れるよりむしろ多い。機械の技術についても同様である。アメリカでは、ヨーロッパの発明の応用には鋭敏で、それを完全なものにしてのち、自国の必要に見事に適応させる。人々は器用ではあるが、工学の理論を培おうとはしない。よい職人はいるが、発明家は少ない。フルトンは、その天才を長いこと諸外国(人のところ)に売り歩いたのち、はじめて自国に捧げうるようになったのである。

 イギリス系アメリカ人の文明の状態を知りたいと思う人は、この問題を二つの異なった相の下に見ることになる。有識者のみに注目すれば、その少ないのに驚かされ、文盲を数えれば、アメリカの人民は地上で最も開明されているように見える。国民全体はこの両極端の間にある。これは他のところでもすでに述べた。

 ニューイングランドでは、各市民が人間の知識の規範的な諸観念を授けられる。その他、宗教の教えと証しとを学ぶ。祖国の歴史と憲法の要綱も教わる。コネティカットとマサチュセッツとでは、これらを不完全にしか知らないものはごくまれである。全く知らないものがいたら、いわば珍事である。

 ギリシャ、ローマの共和政とアメリカの共和政とを比較すると、前者には(少数の)手書きの本の図書館と無知の人民とがあり、後者には数多くの定期刊行物があり、開明された人民が住んでいる。(とても比較にはならない。)次いで、アメリカを判断するのにギリシャ、ローマの(歴史の)助けをかり、二千年前のことを研究して現代の事態の推移を予見しようと、あらゆる努力がなされているのに思い至る。そうすると、このように新しい社会状態には新しい観念だけが適用されるべきだと考えられて、(古代との比較の空しさを悟って)私は自分の蔵書を焼きたい気になる。

 また、ニューイングランドに関する私の叙述を無差別に連邦全体に及ぼしてはならぬ。西方、南方に進むにつれ、人民の教育は低下する。メキシコ湾に面する諸州では、われわれのところ(フランス)と同様に、初等の知識ももたない人が相当にいる。しかし、合衆国では、全く無学の状態にある地域は探しても見あたらない。その理由は簡単である。ヨーロッパの諸国民は未開と野蛮から出て、文明、開化を志した。その進歩は均等ではなく、あるものは駆け足で、他は、いわば並み足であり、停止しているものもあれば、また途上で眠っているものもある。

 合衆国の状況は全然ちがっている。イギリス系アメリカ人の祖先は文明のすべてに浴して、この地に着いた。もはや何も学ぶものがなく、ただ忘れないようにすればよかった。そして、このアメリカ人の子孫が、年々、荒野に居を移すとともに、既得の知識と学問に対する尊敬の念とをもっていったのである。教育が文明の効用を感じさせ、この文明を子供たちに伝えるようにした。合衆国においては、社会は幼年期をもたず、成年期に生れた。

 アメリカの人々は田舎者という言葉を全く使わない。そんな観念がないからである。未開時代の無知、田園的な簡素さ、村落の質朴さは、彼らの間に全く維持されていない。また、生成途上の文明のもつつよさも、悪さも、粗野な慣習も、素直な優しさも、彼らの頭にはない。

 連合した諸州のきわみ、社会が果て、荒野のはじまるところに大胆な冒険屋がいる。彼らは親のもとにいれば貧困な境涯に甘んじなければならないので、それを逃れるためにアメリカ大陸の孤独な環境に踏み入り、そこに新しい祖国を求めるのをものともしない。住居となるべき地点に着くや否や、開拓者は急いで幾本かの木を伐り倒し、葉陰に丸木小屋を建てる。この人里から離れた住居ほど哀れに見えるものはない。旅行者が夕刻そこに近づくと、板壁を通して、炉の火の輝きが遠くから見える。夜、風が立つと、森の木々の中で木の葉ぶきに屋根がざわめくのが聞こえる。このすばらしいい小屋には野卑と無知とがひそんでいるにちがいない。と思わないものがあろうか(誰でもそう思うであろう)。しかし、開拓者とその住みかとを連関させて(考えて)はならない。周囲はすべて野蛮、未開であるが、彼は18世紀間の労働と経験との成果である。彼は都会の服を着、都会の言葉を話す。過去を知り、未来に好奇の念をもち、現在について議論する。彼は非常に開花された人間であり、ただしばらく身を屈して森の中に住み、また、新世界の広野に、聖書と斧と新聞とをもって、踏み入るのである。

 思想が広野のさなかを流布する信じられないほどの速さを頭に浮べるのは困難である。このような大きな知的運動は、フランスで最も開け人口も最も多い地方にさえ、起こるとは信じられない。

 疑いもなく、合衆国においては、人民の教育が民主的共和制の維持に強く貢献している。精神を啓蒙する知育と、習俗を規制する徳育とを分離しないところでは、どこでもそうであろうと思う。しかしながら、私はこの利点を誇張しようとは少しも思わぬ。まして、ヨーロッパの多数の人々のように、読み書きを教えれば、すぐによい市民がつくれるとは信じえない。真の文明は主として経験から生まれる。アメリカの人々を徐々に自治に慣れさせなかったならば、彼らのもつ、書物から得た知識が、今日その自治の成功に大きな助けとなることは決してなかったであろう。

2025年8月31日日曜日

20250831 株式会社河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田 裕之訳「21 Lessons ; 21世紀の人類のための21の思考」pp.102-104より抜粋

株式会社河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田 裕之訳「21 Lessons ; 21世紀の人類のための21の思考」pp.102-104より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4309467458
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4309467450

 あなたはアルゴリズムにつきまとう問題の数々を並べ立て、人はけっしてアルゴリズムを信頼するようにはならないと結論するかもしれない。だがそれは、民主主義の欠点をすべてあげつらって、正気の人ならそのような制度はけっして選択しないだろうと結論するようなものだ。有名な話だが、ウィンストン・チャーチルは次のように言っている。民主主義はこの世で最悪の政治制度だーただし。他のすべての政治制度を除けば、と。是非はともかく、人々はビッグデータアルゴリズムについても同じ結論に到達するかもしれない。多くの障害を抱えてはいるものの、それよりましな選択肢はない、と。 

 人間の意思決定の仕方について科学者が理解を深めるにつれ、アルゴリズムに頼りたいという誘惑も強まりそうだ。人間の意思決定をハッキングすれば、ビッグデータアルゴリズムの信頼性が高まるばかりでなく、同時に、人間の感情の信頼性が落ちるだろう。政府や企業が人間のオペレーティングシステムをハッキングすることに成功すれば、私たちは精密誘導の操作や広告やプロパガンダの集中砲火を浴びることになる。私たちの意見や情動を操作するのがあまりに簡単になりかねない。その場合、私たちはアルゴリズムに頼ることを余儀なくされる。めまいに襲われたパイロットが自分の感覚が告げるメッセージを無視して、機械装置を全面的に信頼しなければならないのと同じことだ。

 一部の国や一部の状況では、人々はまったく選択肢を与えられず、ビッグデータアルゴリズムの決定に従うことを強制されかねない。とはいえ、自由社会とされている場所でさえも、アルゴリズムが権限を増すかもしれない。私たちはしだいに多くの事柄でアルゴリズムを信頼したほうがいいことを経験から学び、自ら決定を下す能力を徐々に失っていくだろう。考えてもみてほしい。わずか20年のうちに、何十億もの人が的確で信用できる情報を探すという、非常に重要な任務をグーグルの検索アルゴリズムに委ねるようになった。私たちはもう、情報を探さない。代わりに、「ググる(Googleで検索する)」。そして、答えを求めてしだいにグーグルに頼るようになるにつれて、自ら情報を探す能力が落ちる。そして今日、「真実」はグーグルでの検索で上位を占める結果によって定義される。

 同じことが、目的地までの移動のような身体能力にも起こっている。人々はグーグルを頼りに動き回る。交差点に差しかかると、直感は「左に曲がれ」と告げているのに、グーグルマップは「右に曲がれ」と言う。最初は自分の直感に従って左に曲がり、交通渋滞に巻き込まれ、重要な会議に出席しそこなう。次のときにはグーグルの言うことを聞いて右に曲がり、時間どおりに到着する。こうして、経験からグーグルを信頼することを学ぶ。一、二年のうちに、グーグルマップが言うことなら何にでも、ろくに考えもせずに従うようになり、スマートフォンが故障したら、完全にお手上げとなる。

 2012年3月、オーストラリアで沖の小島に日帰り旅行に出ることにした日本人観光客が、干潮の太平洋に車で突っ込んだ。運転していた21歳の野田ゆずは後に、GPSの指示に従っただけだと述べている。「車で行き着けるとのことでした。道路に導いてくれると繰り返すばかり。そのうち動けなくなってしまいました」。同様の事故は他にもあり、どうやらGPSの指示に従っていて車を湖に乗り入れたり、取り壊し中の橋から落ちたりということが起こっているらしい。目的地まで無事に行き着く能力は筋肉のようなもので、使わないと失われる。配偶者や職業を選ぶ能力にも同じことが当てはまる。

20250830 春風社刊 谷川健一著「古代歌謡と南島歌謡: 歌の源泉を求めて」 pp.97-100より抜粋

春風社刊 谷川健一著「古代歌謡と南島歌謡: 歌の源泉を求めて」
pp.97-100より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4861100585
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4861100581

 枕詞は今では原義が不明になってしまっていることから、たんなる形容詞や形容句と思われているものも少なくないが、その背後をたどっていくと実体に突きあたる。

「万葉集」巻三には、柿本野人麻呂の旅の歌が八首まとめて載せてある。その一つに有名な、

ともしびの明石大門(あかしおほと)に入らむ日や漕ぎ別れなむ家のあたり見ず(二五四)

がある。「ともしび」が明石の枕詞であり、明石が地名であるのはいうまでもないが、では明石という地名の由来は何かというと、手許にある数種類の「万葉集」の注釈書では穿鑿されていない。そこで歴史地理学者・吉田東伍の「大日本地名辞書」を開いてみると、明石の名は付近の海中に赤い石がとれ、それが硯の材料に最適であることから起った、という説のあることを記している。また古書の中には、「赤石」または「明」という字を当ててアカシと訓ませたものもあるそうである。

 しかし私には、明石の名が赤石にもとづくとは思われない。明石市と淡路島の淡路町の間は明石海峡と呼ばれるせまい瀬戸になっている。私は淡路町の岩屋にある海ぞいの旅館で半日ばかり海を見てすこしたことがあるが、その間中、東に西に往き交う船舶のとぎれることがなかった。万葉時代にも、いやそれ以前から、そこが海の重要な交通路であったことはまぎれもない。西国からやってきて「明石大門」を通り越し、はじめて異郷を脱したという感慨を持つ旅人は多かったと思われる。さきの歌につづく人麻呂の歌、

天ざかる夷の長道ゆ恋ひ来れば明石の門より大和島見ゆ(二五五)

という歌には、自分たちの住む国にやっと足を踏み入れるという安堵感がにじみ出ている。この「大和島」というのを畿内というように広域に解する必要はない。秋から冬の晴れた日には、明石から葛城山脈を遠望できると地元の人に聞いた。

 この重要な海峡では、船の航行を安全ならしめるために、目印として火が焚かれていたにちがいない。そして、その火をアカシと呼んだと思われる。松の根を切って燃やした灯火を「アカシ」と呼ぶ地方は、今日でも山梨、飛騨、大隅から南島までひろがっている(東條操『全国方言辞典』)。また、松の根を細かく引き裂き、灯火用に焚くときの台をヒデバチと呼んでいるところが各地にある。松明をタイマツと称するのも、松の根を焚いたからである。

 こうしてみると、明石という地方は、地中から赤い硯石の材料が出るからではなく、松の根を焚いて航行する船の目印の灯明としたことに由来するのではないか。とすれば、「ともしび」という枕詞と明石という地名が無理なくつながる。

 今日の灯台は、明治以前には灯明台と呼ばれていた。すなわち、神社に奉献された灯明台がその役割を果たしてきたのである。明石市の住吉神社もその一つであった。有明海に突きだした宇土半島北側の海岸にある熊本県宇土市住吉町には住吉神社が祀られている。神社の境内には、肥後藩主細川宣紀の寄進した高灯籠があり、ながく灯台として用いられた。現在の住吉灯台の前身にあたるものであった。

 烽火の制は、天智帝の時代から始まっている。したがって、万葉時代に海の要衝である明石の瀬戸に松の根を焚いて船舶の航行をたすける「ともしび」の設備があったと推測するのはいっこうに不自然ではない。