2026年2月25日水曜日

20260226 株式会社文藝春秋刊 池田俊彦著「生きている二・二六」 pp.31-33より抜粋

株式会社文藝春秋刊 池田俊彦著「生きている二・二六」
pp.31-33より抜粋

ISBN-10 ‏ : ‎ 4163413502
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4163413501

 全員集結が終ったところで、栗原中尉は、かねてから話しておいた通り今日は愈々昭和維新を決行すると述べ、次いで蹶起の趣意書を読み上げた。

 謹ンデ惟ルニ我神洲タル所以ハ、万世一系タル、天皇陛下ノ下ニ、挙国一体生成化育ヲ遂ゲ、終ニ八紘一宇ヲ完フスルノ国体ニ存ス。此ノ国体ノ尊厳秀絶ハ天祖肇国、神武建国ヨリ明治維新ヲ経テ益々体制ヲ整ヘ、今ヤ方ニ万邦ニ向ツテ開顕進展ヲ遂グベキノ秋ナリ
 然ルニ頃来遂ニ不逞凶悪ノ徒簇出シテ、私心我慾ヲ恣ニシ、至尊絶対ノ尊厳ヲ藐視シ僭上之レ働キ、万民ノ生成化育ヲ阻碍シテ塗炭ノ痛苦ニ呻吟セシメ、従ツテ外侮外患日ヲ逐フテ激化ス
 所謂元老、重臣、軍閥、財閥、官僚、政党等ハコノ国体破壊ノ元兇ナリ、倫敦海軍軍縮条約、並ニ教育総監更迭ニ於ケル統帥権干犯、至尊兵馬大権ノ僭窃ヲ図リタル三月事件或ハ学匪共匪大逆教団等ノ利害相結ンデ陰謀至ラザルナキ等ハ最モ著シキ事例ニシテ其ノ滔天ノ罪悪ハ流血憤怒真ニ譬ヘ難キ所ナリ。中岡、佐郷屋、血盟団ノ先駆捨身、五・一五事件ノ噴騰、相沢中佐ノ閃発トナル、寔ニ故ナキニ非ズ
 而モ幾度カ頸血ヲ濺ギ来ツテ今尚些カモ懺悔反省ナク、然モ依然トシテ私権自慾ニ居ツテ苟且偸安ヲ事トセリ。露支英米トノ間一触即発シテ祖宗遺垂ノ此ノ神洲ヲ一擲破滅ニ堕ラシムルハ火ヲ睹ルヨリモ明カナリ
 内外真ニ重大危急、今ニシテ国体破壊ノ不義不臣ヲ誅戮シテ、稜威ヲ遮リ御維新ヲ阻止シ来レル奸賊ヲ芟除スルニ非ズンバ、皇謨ヲ一空セン。恰モ第一師団出動ノ大命渙発セラレ、年来御維新翼賛ヲ誓ヒ殉死捨身ノ奉公ヲ期シ来リシ帝都衛戍ノ我等同志ハ、将ニ万里征途ニ上ラントシテ而モ省ミテ内ノ亡状ニ憂心転々禁ズル能ハズ。君側ノ奸臣軍賊ヲ斬除シテ、彼ノ中枢ヲ粉砕スルハ我等ノ任トシテ能ク為スベシ。臣子タリ股肱タルノ絶対道ヲ今ニシテ尽サズンバ破滅沈淪ヲ飜スニ由ナシ
 茲ニ同憂同志機ヲ一ニシテ蹶起シ、奸賊ヲ誅滅シテ大義ヲ正シ、国体ノ擁護開顕ニ肝脳ヲ竭シ、以テ神洲赤子ノ微衷ヲ献ゼントス
 皇神皇宗ノ神霊冀クバ照覧冥助ヲ垂レ給ハンコトヲ

昭和十一年二月二十六日
陸軍歩兵大尉 野中四郎
外同志一同

 次いで部隊の編制を下達し、進行順序は第一小隊、第三小隊、第二小隊、機関銃隊とした。なお合言葉として「尊王、斬奸」の四字を決めた。「尊王討奸」という合言葉を使用した部隊もあったが、我が機関銃隊は「尊王斬奸」であった。また栗原中尉は三銭切手を出して「これは我々同志の印である」と軍帽の裏側に貼ってある個所を示した。
 

2026年2月24日火曜日

20260223 文章作成の根源にあるものについて:読書の習慣と記号接地②

 本日の関東南部は、気温が上がり、春を思わせるような陽気でした。この時季は三寒四温と云いますが、たしかに寒い日と暖かい日が数日間毎に交互に来て、全体としては暖かい方に向っている感じがあります。丁度、この時季の和歌山県日高郡みなべ町一帯は、梅の花が満開から散り始める頃であり、国道42号線の、この辺りを自動車で走っていて、窓を開けますと、本当に梅の花の薫りが漂ってくるのです。このようにして土地の薫りを強く感じることは、それまでになく、さらに、その後、何度か当地で、こうした経験を経ることにより、この地域での四季の巡りの様相が理想的なものであると感じられるようになりました。あるいは、紀伊半島の西南部の地域性や自然風土に魅力を感じるようになったのだとも云えます。そして、その一方で読書もありました。当時は既に、ポール・ケネディの「大国の興亡」上下巻やウンベルト・エーコの「薔薇の名前」上下巻などの著作は読み、文系師匠が送付してくださった新刊著書の紹介が掲載された冊子で見つけたロバート・グレーヴスによる「この私、クラウディウス」を当時普及していたアマゾンを通じて購入し、読んでみたところ大変面白く感じられたことから、何度か読み返し、また殿山(合川)ダムへの釣行の際にも持参して、ボートの上で釣りをしつつ読んでいましたが、現在考えてみますと、これは贅沢な時間であったのかもしれません。ともあれ、そのようにして、転勤当初は嫌々であった南紀と云う地域に、何と云いますか、ホンモノらしさを徐々に感じるようになりました。それは、地域に、現代にまで伝わる史実や伝説を示す、さまざまな遺構・遺跡が変に手を加えられず、自然なままで残されていることに感心したためであると云えます。その典型的なものは、古くからの寺社などであり、また、そうした寺社の境内に古墳があることも多く、さらに、もっと古い銅鐸が出土した事例などもあることから、歴史が同一地域の上で、類似・継続した価値観、感覚を遺しつつ積層していることを実感として得ることが出来たことは、私にとって価値のあることでした。しかし、こうしたことを文章として述べることが出来ているのは、まさに、そうした様相を認識して言語化するために学んだ背景があり、具体的には、大学院修士課程での研究があるために、そうした様相を言語化することが出来ているのだと云えます。ともあれ、私は大学院修士課程に進学することを当初から望んでおり、当時、何人かの先生に大学院進学希望の旨を伝えたところ「それは良いかもしれないけれど、とりあえず、数年間は働いてから考えても良いのではないか?」とのことであり、実際に社会人を5年経て、その後、同地域の大学院に進学することになりました。しかし、ここで大変に重要であることは、当初、大学院での専攻として希望していた欧州文化は選択せず、この地域のことを学ぶ地域学を専攻としたことです。これは、以前の南紀在住経験を言語化、再構成しようとする試みであったのだと云い得ます。また、ここでは、それまでの人生で最も多くの書籍を読みました。その意味で、この頃に、何かが外れて、壊れてしまったようにも思われます。しかし他方で、未だに自分が関心を持つ分野の著作であれば、何とか読むことが出来ているのは、この頃の経験があるからとも云えますので、その良し悪しは何とも云えません…。ともあれ、私はこの期間がとても重要であったと考えています。また、この期間で、さきの実感が生じるための、また他の経験がありましたが、それは、当時の自宅の比較的近くにあり、深夜も営業しているメッサオークワ・ガーデンパーク和歌山店内のTSUTAYA WAY書店にて偶然、岩波文庫の棚にあったコンラッド著「闇の奥」を手に取り、何気なく読んでみたところ、その文章にある感性に強く惹き付けられたことです。立ち読みを行う際には、この感覚を頼ると良いと思われます。そして、そうしたことを何度か経験しますと、次第に、自分が興味を持ちつつ読むことが出来る書籍の種類といったものが分かってくるのではないかと思われます。ともあれ、この経験には続きがあるのですが、ここで一旦、区切らせて頂きます。そして、今回も、ここまでお読み頂き、どうもありがとうございます。

*人工知能による編集を経た文章☟
 本日の関東南部は気温が上がり、春を思わせるような陽気でした。この時季は三寒四温と云いますが、たしかに寒い日と暖かい日が数日ごとに交互に訪れ、全体としては暖かい方へと向かっている実感があります。

丁度この時季、和歌山県日高郡みなべ町の一帯は、梅の花が満開から散り始める頃です。国道42号線のこの辺りを自動車で走り、窓を開けますと、本当に梅の薫りが漂ってくるのです。このように自然に魅力を感じることはそれまでになく、その後、当地でこうした経験を重ねることにより、この地域での四季の巡りの様相が理想的なものであると感じられるようになりました。あるいは、紀伊半島西南部の地域性や自然風土そのものに魅力を感じるようになったのだとも云えます。

その一方で、読書がありました。当時は既に、ポール・ケネディの『大国の興亡』やウンベルト・エーコの『薔薇の名前』などは読み終えていましたが、文系師匠が送付してくださった冊子で見つけたロバート・グレーヴスの『この私、クラウディウス』を、当時普及していたアマゾンで購入してみました。読んでみると大変面白く、何度か読み返し、殿山(合川)ダムへの釣行の際にも持参して、ボートの上で釣りをしつつ読んでいたものです。現在考えてみますと、それは贅沢な時間であったと云えるのかもしれません。

ともあれ、そのようにして、転勤当初は嫌々であった「南紀」という地域に、いわば「ホンモノらしさ」を徐々に感じるようになりました。それは、地域に伝わる史実や伝説を示すさまざまな遺構・遺跡が、変に手を加えられず、自然なままで残されていることに感心したためであると云えます。典型的なものは古くからの寺社などであり、その境内に古墳があることも多く、さらにはもっと古い銅鐸が出土した事例もあります。歴史が同一地域の上で、類似・継続した価値観や感覚を遺しつつ積層している。それを実感として得られたことは、私にとって非常に価値のあることでした。

しかし、こうしたことを文章として述べることができているのは、まさに、その様相を認識し言語化するために学んだ背景――具体的には、大学院修士課程での研究があるからに他なりません。 もともと私は、大学院進学を当初から望んでいました。当時の先生方に相談したところ「数年間は働いてから考えても良いのではないか」との助言をいただき、実際に社会人を5年経て、同地域の大学院に進学することになりました。ここで大変に重要であるのは、当初希望していた「欧州文化」ではなく、この地域のことを学ぶ「地域学」を専攻としたことです。これは、以前の南紀在住経験を言語化し、再構成しようとする試みであったのだと云い得ます。

ここでは、それまでの人生で最も多くの書籍を読みました。その意味で、この頃に「何かが外れて、壊れてしまった」ようにも思われます。しかし他方で、未だに自ら関心を持つ分野の著作であれば読み通せているのは、この頃の経験があるからとも云えますので、その良し悪しは何とも云えません。ともあれ、私はこの期間がとても重要であったと考えています。

また、この期間には、さきほどの実感が生じるための別の経験もありました。それは、当時の自宅近くにあり、深夜も営業していたメッサオークワ ガーデンパーク和歌山店内の「TSUTAYA WAY」にて、偶然、岩波文庫の棚にあったコンラッド著『闇の奥』を手に取り、何気なく読んでみたところ、その文章にある感性に強く惹き付けられたことです。 立ち読みを行う際には、こうした感覚を頼ると良いと思われます。そして、こうした経験を何度か重ねることで、次第に自分が興味を持ち、読むことのできる書籍の種類というものが分かってくるのではないでしょうか。

ともあれ、この経験には続きがあるのですが、ここで一旦、区切らせて頂きます。

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2026年2月23日月曜日

20260222 文章作成の根源にあるものについて:読書の習慣と記号接地

 ここ最近の関東南部では、以前より少し暖かいと感じる日が増えてきたように感じられます。丁度、立春を過ぎたばかりですので、立春の基にある「二十四節気」と云う古い暦にも、それなりに深い意味があるのではないかと思われました。さて、この「二十四節気」の大寒から立春(1月末~2月初め)まで、大変寒い時期が続きましたが、どうにかそれを耐え忍びますと、少し暖かくなり、徐々にまた、生命力が甦ってくるように感じられます。そして、そのことを当ブログの記事作成に関連させてみますと、合点が行くのではないかとも思われますが、ともあれ、ここ最近は、さきに述べた生命力の減衰によるものであるのか、あまり、文章作成をしたいと思うことが少なく、また読書についても、同様に、好調とは云えませんでした。そして、そうした時期に、行うと良いと思われることは、自分にとって文章作成の基本となったものを読み返すことであると考えます。文章作成とは云っても、さまざまな段階があり、私の場合、文章作成の基本となったのは、おそらく、司馬遼太郎の著作であり、それは小学校高学年の頃に知り、中学生の頃は、小遣いを文庫本に換えては読んでいた記憶があります…。そして、そこから高校、大学、社会人の期間、長らく司馬遼太郎の作品を読み続けてきました。社会人になってからは、ホテルマンであったことから、世間の休日は稼ぎ時であり、そのため、休日は平日に一人であることが多く、そのような休日で外出をしない日は、一人で一日中読書をしていることも度々ありました。そうしたなか、南紀白浜在住時に、司馬遼太郎が、この土地について書いた著作があった事を思い出し、検算のつもりで、その著作を読んでみたところ、大きく感動出来るような私の在住経験との合致点はなかったものの、同時に、空疎なことを述べているわけでもないことは理解出来ました。それは、おそらく視座の違いによるものだと思われますが、おそらく、そのようにして、ある程度、書籍を読み続けるなかで、自らの文体も立現れてくるのだと思われますが、しかし、我が国でも2022年以来、人工知能が徐々に社会に浸透し、そして2026年現在においては、かなり普及したのではないかと思われます。具体的に、この汎用化された人工知能を用いますと、大抵の用途のドラフト的な文章などは即座に生成することが出来ます。また同時に、そのおかげで、文量の多い英論文なども普通に読むことが出来るようになり、さらに、何と云いますか、直線的な文章の作成においては、かなり有用であると云えます。しかしながら、こうした即興に近い散文のようなものの作成(生成)は、今なお難しいのではないかと思われます。その意味において、私が当ブログを2015年から継続していることの大きな意味は、人工知能が登場、普及した後の現在においては、それ以前から、自らの文章作成をしてきた証拠になると云うことです。ともあれ、そのように述べる私の、この文体の根本にあるものは、少なからず、小学校高学年の頃から読み続けてきた司馬遼太郎の諸著作があり、それが南紀在住の折、その著作「街道をゆく8 熊野・古座街道・種子島みちほか」をあらためて読みかえし、記号接地の感覚らしきものを得てから、また地域の歴史文化などにも、新たな興味を向けることが出来るようになりました。とはいえ、以前にも述べましたが、こうした変化とは、若い時分であっても、極めて緩慢なものであると云えます。そうして、こうした自らの感覚を歴史や文化に記号接地するためには、やはり、ある程度の読書経験が不可欠であるのではないかと私は考えます。つまり、私は司馬遼太郎の著作を読む習慣があったからこそ、そこ(南紀)で、記号接地の感覚を得て、そこから当地域の歴史文化について述べた他の著作についても「読める」と云う感覚を得ることが出来たのだと云えます。そしてまた、おそらく、司馬遼太郎が同志社大学の著名な考古学者である森浩一先生(故人)と親交があったことから、森浩一先生の著作も同様に読むことが出来る様になり、そして、そこから和歌山市の岩橋千塚古墳群や御坊市の岩内一号墳や紀州・和歌山での銅鐸の出土様相などについても興味を持ち、知り得ることが出来る様になり、それが元になり、修士論文のテーマとなったことから、小学生以来、断続的ではあれ継続していた読書の習慣が、思いのほか役に立ったのではないかとも思われます。ともあれ、冒頭に戻りますと、私の場合、現在の当ブログでの文章作成の基本となったものとは、これまでに述べた司馬遼太郎に加え、加藤周一による「日本文学史序説」(上下巻)もそうであったと云えます。現在でも、この著作をあらためて読み始めてみますと、抜粋引用したくなるような記述に出くわします。実際、当ブログでは少なからず、当著作からの引用記事があります。そして、当著作は2013年、学位取得後に初めて読んだ分野外の著作であり、その後、数年読み続けましたので、それが当ブログの開始時期である2015年とも被るのです。ともあれ、このような現在作成している自らの文章の基本となった著作、文章を読み返すことは、当ブログの作成以外でも、今後のブログ記事作成においても、活かすことが出来ると思われることが少なからずありましたので、やはり、それはそれで良いことであると思われました。

そして、今回もここまで読んでいただき、どうもありがとうございます。


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2026年2月18日水曜日

20260217 2425記事に到達して:近況から

 ここ最近での当ブログを振り返ってみますと、書籍からの引用記事が多く、また、新規投稿そのものの決して頻回とは云えない状態が続いています。これを客観的に見れば、ある程度継続してきた当ブログが、いささか「おざなり」になっていたことは否定出来ません。しかしながら、当ブログでの投稿が滞っていたここ最近の時期においても、文章作成と云う行為自体は途切れてはいませんでした。

 当ブログ以外での文章作成は、以前と変わらずに継続しており、また近年においては、人工知能を援用した文章の作成も少なからず行っていることから、文章の作成自体は、ほぼ毎日、行ってきたと云えます。そのため、本日、久しぶりに自らの言葉でのブログ記事の作成を始めた際も、文章が出てこないと云うことはありませんでした。あるいは、様式が何であれ、文章の作成とは、継続していれば、たとえ、他の様式に移行したとしても、その主題での文章作成が出来ると感じるのであれば、何とか作成出来てしまうものであるのかもしれません…。

 また、文章の作成とは異なりますが、先日、多少、普段よりも身体を動かす機会がありました。所用のため、朝から自転車でJR本八幡駅の近辺を出発し、市川市北部、鎌ヶ谷市にほど近い行政機関へと向かいました。そこで必要な書類の発行を受け、他の書類とまとめて封入し、それを携えて再び自転車で戻り、一度荷物を仕事場に置いてから、今度は本八幡駅から総武線に乗り、都内での別の所用のために出向きました。

 出先での用事を終えて戻り、そのまま室内での仕事に入り、その後、いつものように犬の散歩をして帰宅した時、ふくらはぎを中心として、普段とは明らかに異なる疲労感があることに気が付きました。そこで、Google Mapと人工知能を用いて、その日の移動距離を算出してみたところ、自転車で15km以上、徒歩で3~4kmとのことでした。これは普段の私の生活からすれば、過剰とも云える距離と云えます。

 しかしながら、不思議なことに、その晩の疲労感は部活動の後のそれにも似て、比較的心地良いものであり、そのためか、かえって、その晩の読書は身が入り、充実したものとなりました。もっとも翌朝は、案の定と云うべきか寝坊をしてしまいました。

 さらに、その日を境として数日間、身体の重さやダルさが抜けず、体調が優れない日々が続くこととなりました。それでも、こうした体調のブレがあるなかで、私の状態をどうにか支え、「ピン留め」してくれていたのは、文章の作成であったと云えます。また、当ブログ以外での文章作成は、いくらかの緊張を伴うものであるため、その適度な緊張が、体調のブレを押し留めたのか、そこでは、概ね普段通りでの分量を作成することが出来ました。

 さらにその後は、作成途中の引用記事や、人工知能を援用した記事の加筆修正を進めるうちに、ようやく、少しずつ調子が戻ってきたように感じられます。ともあれ、この一週間での一連の出来事から、私は、もはや若くはないことから、無理は禁物であると同時に、少しは奮いつつ文章を作成することが、当ブログ継続のために重要であることを実感しました…。

 これを換言しますと、放置しておけば次第に萎えてしまう感性や感覚を、自分にとって適度な負荷と緊張により、活性化を試み続けることが重要であると云うことになります。

 そういえば、当ブログは、直近の投稿により、総投稿記事数が2425に到達しました。これは当面の目標としている2500記事まで、前回の2400記事から四分の一ほど進捗したことになります。2400記事に到達してからの進捗は、確かに以前と比較すれば緩慢ではありましたが、それでも、現在も(何とか)進捗はしています。

 これまで当ブログをどうにか10年以上継続し、投稿記事も前述の程度まで達し、さらに、近年では(大変ありがたいことに)他での文章作成の機会もありますが、やはり、当ブログが、私の公表する文章作成の基盤であると云えます。そのため、今後は、もう少し、そして出来る限り、当ブログの方も充実させていきたいです。

そして、今回もここまで読んでいただき、どうもありがとうございます。

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2026年2月13日金曜日

20260212 株式会社筑摩書房刊 加藤周一著「日本文学史序説」上巻 pp.34-39より抜粋

株式会社筑摩書房刊 加藤周一著「日本文学史序説」上巻
pp.34-39より抜粋
ISBN-10 : 4480084878
ISBN-13 : 978-4480084873

 日本人の世界観の歴史的な変遷は、多くの外来思想の浸透によってよりも、むしろ土着の世界観の執拗な持続と、そのために繰返された外来の体系の「日本化」によって特徴づけられる。         

 外来の世界観の代表的なものは、第一に大乗仏教とその哲学、第二に儒学、殊に朱子学、第三にキリスト教、第四にマルクス主義であった。この順序は、必ずしも厳密に、年代の順序ではない。仏教徒儒教は、おそらく同時に、6世紀の中頃に輸入された。しかしそれぞれの世界観が日本文化に圧倒的な影響を及ぼした時期は、仏教の方が儒教の場合よりも早い。仏教は、7世紀から16世紀までの文化の背景として、重きをなした。儒教のの影響は早くから現れて、14、5世紀以降いよいよ強まったが、体系的な世界観としての宋学の影響が決定的になったのは、17世紀以後である。キリスト教は、16世紀後半と19世紀末・20世紀前半の、マルクス主義は両大戦間の知識層に、大きな影響をあたえた。

 以上の他にも注意すべき外来思想として、先には老荘があり、後には西欧19世紀の科学思想があって、いずれも文学との関連において見すごすことができない。しかしそのいずれも、自然・人間・社会・歴史の全体を説明しようとする包括的な体系ではなかった。

 外来の四つの世界観は、すべて包括的な体系である。抽象的な理論を備え、ある場合には彼岸的であり(仏教・キリスト教)、他の場合には此岸的である(儒教・マルクス主義)が、いずれも超越的な存在または原理との関連において普遍的な価値を定義しようとする。すなわち大乗仏教における仏性、キリスト教における神、儒教における天または理、マルクス主義における歴史である。そこでたとえば、仏性が超越的であるから、菩薩の慈悲が善悪の慣習的な基準を超えて、万人に及ぶということにもなる。神が絶対者であるから、万人はその前で平等であり、神に保証された正義は、特殊な歴史的文化を超えて妥当する。天が君主に超越するから、革命(の古典的な意味)が成りたち、理が普遍的であるから、理とされる規範は社会的状況にに左右されない。歴史の法則が主観に超越するから、上部構造としての思想を進歩と反動の観点から説明することもできるのである。超越者が世界的な存在であれば、体系は彼岸的であり、世界内在的な原理であれば、体系は此岸的である。中国の伝統的な世界観は、印度・西欧の場合と異り、此岸的であった(老荘もその例に洩れず)。日本に印度の影響が及んだのは、中国文明を介してであり、西洋の影響が及んだのは、後の時代になってからの事である。したがって中国的世界観の此岸性は、日本の土着の文化の此岸性を保存するのに役立ったはずだろう。おそらく東アジアの文明の全体について、その思想的特徴は、中国の場合にも、日本の場合にも、共通の此岸的正確であるといえるのかもしれない。しかし今しばらくその面を措いて、外来の世界観の、中国思想の場合も含め、抽象的・理論的・包括的な性格、超越的な原理と普遍的な価値への志向についていえば、それこそはまさに土着の世界観と対照的であるが故に、決定的な影響を日本文化にあたえたのである。

 本来日本的な世界観の構造を叙述することは、明示的な理論体系の特徴を列挙するほど容易ではない。神道の理論的な体系は、卜部兼俱から平田篤胤に到るまで、儒・仏・道、またキリスト教のの概念を借用している。外来思想の影響をうけない神道には理論がない。そこで儒・仏の影響が少いとされる記・紀・風土記から土着的と想像されるものの考え方を抽象するほかはないだろう。一方でそれは民俗学的資料と照合し、他方では後代の文献と対比する。そうして想像することができるのは、おそらく下っても4、5世紀の頃には成立していたであろう非超越的な世界観である。その背景には、祖先崇拝・シャーマニズム・アニミズム・多神教の複雑な信仰体系があり、地方によって内容を異にする。その世界観の特徴えおさしあたり要約すれば、およそ次のようにいえるだろう。抽象的・理論的ではなく、具体的・実際的な思考への傾向、包括的な体系にではなく、個別的なものの特殊性に注目する習慣。そこには超越的な原理がない。カミは全く世界内存在であり、歴史的には神代がそのまま人代に連続する。しかもそのカミは無数にあって(八百よろずのカミ)、互いに他を排除しない。当然、唯一の絶対者はありえない。いかなる原理も具体的で特殊な状況に超越しないから、超越的な原理との関連においてのみ定義されるところの普遍的な価値も成りたたない。しかしもちろん、そういうことは、特定の個人にとっての絶対的な価値がありえないという意味ではない。それどころか特定集団の首長が、その集団の成員にとっては、しばしば絶対的な権威となり、忠誠が絶対的な価値となった(天皇制国家からヤクザまで)。しかし他の集団の成員にとっては、その権威は通用しないし、その首長への忠誠は価値ではない。たとえばヤマトタケルがクマソを征伐したのは、自己の集団を拡大するためで、当事者の双方に妥当する価値を実現するためではなかった。その伝統は、少なくともたてまえとして、聖地を解放するために戦った十字軍の話と、根本的に異なる。十字軍の目的は、彼ら自身もトルコ人にも妥当するはずの神の正義を実現することであった。

 このような土着の世界観が、外来の、はるかに高度に組織され、知的に洗練された超越的世界観と出会ったときに、どういうことがおこったか。第一に、外来の世界観がそのまま受け入れられた場合があり、第二に、土着の世界観を足場としての拒絶反応があった。しかし第三に、多くの場合におこったことは、外来の思想の「日本化」である。外来の思想が高度に体系的な観念形態であった場合には(儒・仏・キリスト教・マルクス主義)、その「日本化」の方向は常に一定していた。抽象的・理論的な面の切り捨て、包括的な体系の解体とその実際的な特殊な領域への還元、超越的な原理の排除、したがってまた彼岸的な体系の此岸的な再解釈、体系の排他性の緩和。たしかに少数の例外もあった。また以上の方向のどの面がめだつかも、場合により異なっていた。しかし外来の世界観の体系が日本の歴史過程のなかで変化したとき、変化には必ず一定の方向があり、逆の方向へ変った例はない。ということは、当然、変化を引きおこした力が、歴史のあらゆる時代を一貫し、遂に今日に到るまで失われなかったことを示唆するだろう。その力の主体を土着の世界観と称ぶこともできる。それは「土着の世界観」の一つの定義である。かくして日本文化の背景には、常に、外来の世界観、土着の世界観、日本化された外来種の世界観があったということができる。

2026年2月12日木曜日

20260211 中央公論新社刊 「自由の限界」世界の知性21人が問う国家と民主主義 中公新書ラクレ pp.39-42より抜粋

中央公論新社刊 「自由の限界」世界の知性21人が問う国家と民主主義 中公新書ラクレ
pp.39-42より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4121507150
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4121507150

日本が人口減少に転じてほぼ10年になる。出生率は20年間にわたって非常に低い。国民の年齢中央値は約46.9歳に至り、世界で最も老いた国民と言える。日本は人類にとって未知の領域を進んでいる。
 人口が減っても問題はないと主張する人々がいる。「ひとり当たりの生産性が向上するから」「世界一の日本のロボットが生産を担うから」というような理由を耳にする。ロボット待望論は日本人の秘めた夢ではなかろうか。人口減少で労働力不足が甚だしくなり、移民受け入れが不可避となる前に、完璧なロボットが登場するという夢だ。確かに日本のロボット技術は素晴らしい。加えて、日本の高齢者は定年後も働き続ける意欲を持つ。
 しかし、日本の課題はモノの生産ではない。日本は経済的豊かさを既に手にしている。真の課題は人口の再生産にある。国が繁栄し、居心地も良く、創造的であるためには、十分に若い人口を持つ必要がある。高齢者は既知の技術・知識を使う仕事はできるが、創造し、刷新する仕事は難しい。ロボットは人口を再生産できない。高齢者とロボットの働く社会はうまく機能した場合でも、停滞は免れまい。知的な刷新を可能にするには、人口構造が十分に若くなくてはならない。
 解決策は二つ。一つは子供を作ること、もう一つは移民を受け入れること。前者の方がより大事だが、二つを組み合わせて実施することが効果的だ。だが、日本に出生率回復の決め手はなく、移民受け入れは文化的に容易でない。人口問題は人々がその深刻さを理解する頃には、危機の度合いは加速度的に進んでいるものだ。私の見るところ、日本は決定的に重大な瞬間に近づいている。
 
「同質」の起源
 日本は今、なすべきことは人口問題の大議論だ。同様に重要なことは、明治維新からの近代化の歩みを再検討することだ。
 私見では、日本が人口減少に至ったのは、この150年の近代化のあり方に原因がある。日本は申し分のない社会を築いたと大帝の日本人は感じているため、新たに子供を加えること、移民を受け入れることは申し分のない社会に余分な混乱を与える、と案じているのではなかろうか。
「日本人は同質・均質で、調和を重んじる」という日本の自己イメージは、近代化を通じて作られた。
「家督を相続するのは長男ひとり」という「直系家族」は明治時代に天皇家を対象に法制化され、その後に制定された民法によって社会全体の規範になる。
 明治日本は科学技術・経済・憲法で大いなる近代化を遂げた。直系家族は上下関係に価値を置き、上意下達の社会をうむ。伝達は極めて効率的で、科学技術と経済の発展に寄与した。これは欧州の後発国ドイツにも当てはまる。日独ともに西洋の列強に追いつく。
 しかし、上下関係に基づく秩序は次第に絶対視されるようになり、父権が強化され、社会の制約が増して、社会が硬直化していく。
 今日の日本で直系家族は消滅し、女性の半数近くは大学に進んでいる。にもかかわらず、上下関係重視や女性差別は解消されていない。価値観が硬直しているように見える。
 江戸時代は、秩序は行き渡らず、雑然としていて、柔軟で奔放な側面もあった。庶民の過酷な貧困について承知しているが、女性は今日よりも社会的に自由だったのではなかろうか。こうしたことを速水融先生とその門下の研究から読み取った。
 西洋の意識に日本が立ち現れるのは、明治時代の1905年、ロシアに勝利した時だ。西洋は驚愕したが、日本は西洋の国際政治の独占を破ったことで歴史に貢献したと私は考える。日本はその後、植民地主義を採るが、私の解釈では、西洋列強の模倣に努めた結果だ。列強が植民地を強奪するのなら、日本も持つべきだ、と。
 日本の歴史を大局的に見れば、日本は拡張主義に走る懸念の少ない、平和国家だ。江戸時代は鎖国しながらも、知的・科学技術的情報は国外から取り入れ、国内商業を発達させて、長期の安定を築いた。ほとんど独りでも発展が可能なことを日本は世界に示した。
 日本に今、必要なことは江戸時代の精神を見いだし、江戸時代の柔軟さや奔放さや奔放さを少しは取り戻すことではなかろうか。

2026年2月10日火曜日

20260209 中央公論新社刊 エルンスト・H・ゴンブリッチ著 中山 典夫訳「若い読者のための世界史」改訂版 pp.311-313より抜粋

中央公論新社刊 エルンスト・H・ゴンブリッチ著 中山 典夫訳「若い読者のための世界史」改訂版
pp.311-313より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4122072778
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4122072770

きみは、1500年ころからローマでは、ルネサンスの教皇たちが聖職者であるということよりも華やかさとか権威とかを大切にし、有名な美術家を使って豪華な教会を建造していたことをおぼえているね。とくに、すでにフィレンツェで芸術に贅をつくしていたあのメディチ家のふたりの人物が教皇の地位についてからは、ローマでは、まるで奇跡とも思える巨大な建物がつぎつぎと天を目指して築かれていったのだ。コンスタンティヌス大帝が創建したと伝えられ、かつてそこでカール大帝が皇帝の冠をさずけられたあの古代のサン・ピエトロ(ペトロ)大聖堂さえも、もはやものたりなく思えた。そこで、それに代わる途方もない規模とこれまでにないうつくしさをもつ、新しい教会を建てようとしたのだ。もちろん、それには莫大な費用を必要とした。それをどのようにしてあつめるか、それは当時の教皇たちにとってはたいした問題ではなかった。方法はどうでもよい。豪華な教会を建てる資金があつまればよかったのだ。そこで司祭や修道士たちの多くは、教皇に気に入られるため、教会の教えとは合致しないやり方で資金をあつめることをはじめた。

彼らは、罪の赦しを金にかえた。「免罪符」とよばれるものを売ったのだ。たしかに教会は悔いた罪は赦されると教えた。しかしこの「免罪符売り」は、その教えと合致するものではなかった。

 そのころドイツのヴィッテンベルクに、アウグスティヌス修道会に属するマルティン・ルターという名の修道士がいた。1517年、当時のもっとも有名な美術家ラファエロの指導のもとで新しいサン・ピエトロ大聖堂の建設がはじまった。同じ年、その資金をあつめるためにひとりの免罪符売りがヴィッテンベルクにもやってきた。そのときルターは、この非教会的な免罪の濫用を世に知らせようと、95項目の条文を書いた板をヴィッテンベルクの教会の扉に打ちつけた。そのなかで彼は、罪の赦しという神の恩寵を金銭で取り引きすることをはげしく攻撃した。ルターにとって、罪の赦しという神の恩寵は、けっして金などであがなえるものではなかった。彼は、つねに自分自身をすべての罪びと同様神の怒りをおそれねばならない罪びとと感じていた。神の罰から救ってくれるものはただひとつ、神の無限の恩寵だけである。それを人間は、金で売買することなどできない。いかなる善人といえども、すべてを見る、すべてを知る神の前では、罰にあたいする罪びとである。ただ、神のあたえたまう恩寵への信仰のみが、罪びとを救うことができるのである。ただ、神のあたえたまう恩寵への信仰のみが、罪びとを救うことができるのである。それ以外は何もない。

 このことをルターは、やがて免罪とその濫用をめぐるはげしい争いのなかで、いっそうはっきりと、そしてもはや絶対的なものとして主張するようになった。信仰以外、何もいらない。信者をミサをとおして神の恩寵に参加させる司祭や教会さえ、無用である。神の恩寵は、仲介されるものではない。ただ神に対する個人の堅い信頼と信仰のみが、信者を救うことができる。教えの大いなる秘儀、聖なる晩餐にてキリストの肉を食しキリストの血を杯で飲む、ただこの大いなる秘儀を信じるだけである。何ぴとといえども、他人をたすけて神の恩寵を得させることはできない。信じる者は彼自身が司祭である。教会の司祭は、たんに教師、協力者にすぎない。それゆえ彼も、他の人間と同じに生きることがゆるされ、結婚もゆるされる。信じる者に教会の教えはいらない。彼は自分で、聖書のなかに神の教えをさがせばよい。聖書のなかにあるもの、それだけがすべてである。これがルターの考えであった。

2026年2月6日金曜日

20260205 株式会社講談社刊 東浩紀著「動物化するポストモダン」オタクから見た日本社会 pp.56-58より抜粋

株式会社講談社刊 東浩紀著「動物化するポストモダン」オタクから見た日本社会
pp.56-58より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4061495755
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4061495753

 大きな物語の凋落とその補填、というメカニズムは、もう少し視野を広げても位置づけることができる。20世紀の後半はそもそも、日本だけでなく、世界的に、二つの時代に挟まれた大きな変動期だった。50年代までの世界では近代の文化的論理が有力であり、世界はツリー型で捉えられていた。したがってそこでは必然的に、大きな物語がたえず生産され、教育されmまた欲望されていた。たとえばそのひとつの現われが学生の左翼主義への傾倒だった。

 しかし時代は60年代に大きく変わり、70年代以降は、逆に急速にポストモダンの文化的論理が力を強める。そこではもはや、おおきな物語は生産もされないし、欲望もされない。ところがこのような変動は、ちょうどその時期に成熟した人々に大きな負担を与える。なぜなら彼らは、世界そのものがデータベース的なモデルで動き始めているにもかかわらず、教育機関や著作物を通じて、古いツリー型のモデル(大きな物語への欲望)を植え付けられてしまっているからだ。結果としてこの矛盾は、特定の世代を、失われた大きな物語の捏造に向けて強く駆動することになる。ここでは詳しく述べないが、たとえば、70年代のアメリカで高まったニューサイエンスや神秘思想への関心、世界的に生じた学生運動の過激化などはそのひとつの結果だと考えられる。そして日本のオタク文化の台頭もまた、やはり同じ社会的背景を共有している。当時の第一世代のオタクにとって、コミックやアニメの知識や同人活動は、全共闘世代にとっての思想や左翼運動ときわめて近い役割を果たしていた。

大きな物語を必要としない世代の登場

 しかしそのような複雑な心理がいまでもオタク系文化を規定しているかといえば、それはまた別の問題である。むしろ筆者には、逆に、紺代からポストモダンへの流れは、進むにつれて、そのような捏造の必要性を薄れさせていくように思われる。というのも、ポストモダンの世界像のなかで育った新たな世代は、はじめから世界うぃデータベースとしてイメージして、その全体を見渡す世界視線を必要としない、すなわち、サブカルチャーとしてすら捏造する必要がないからだ。もしそうだとすれば、失われた大きな物語の補填として虚構を必要とした世代と、そのような必要性を感じずに虚構を消費している世代とのあいだに、同じオタク系文化といっても、表現や消費の形態に大きな文化が現われているに違いない。

 そして実際にその新しい傾向は、大塚の評論が発表されたあと、90年代の10年間でかなりはっきりと目に見えるものになってきた。90年代のオタクたちは一般に、80年代に比べ、作品世界のデータそのものには固執するものの、それを伝えるメッセージや意味に対してきわめて無関心である。逆に90年代には、原作の物語とは無関係に、その断片であるイラストや設定だけが単独で消費され、その断片に向けて消費者が自分で勝手に感情移入を強めていく、という別のタイプの消費行動が台頭してきた、この新たな消費行動は、オタク自身によって「キャラ萌え」と呼ばれている、後述のように、そこではオタクたちは、物語やメッセージなどはほとんど関係なしに、作品の背後にある情報だけを淡々と消費している。したがって、この消費行動を分析するうえでは、もはや、それら作品の断片が「失われた大きな物語」を補填している、という図式はあまり適切でないように思われる。

2026年2月3日火曜日

20260203 株式会社河出書房新社刊 イタロ・カルヴィーノ著 須賀敦子訳 「なぜ古典を読むのか」 pp.17-19より抜粋

株式会社河出書房新社刊 イタロ・カルヴィーノ著 須賀敦子訳 「なぜ古典を読むのか」
pp.17-19より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 430946372X
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4309463728

 古典とは、他の古典を読んでから読む本である。他の古典を何冊か読んだうえでその本を読むと、たちまちそれが「古典の」系譜のどのあたりに位置するものかが理解できる。

 この時点で私は、ひとつの決定的な問題、すなわち古典を読むことと、古典でないすべての他の読書とを、どう関連づけるかについては書かずにはいられない。つぎのような疑問が、この問題とかかわっている。「もっと根本的なところでわれわれの時代を理解するのに役立つ本を読まないで、なぜ古典を読めというのか」そして、「時事問題にかかわる印刷物がなだれのようにわれわれを圧し潰そうとするこの時代に、古典を読む時間や余裕はどこにあるのか」。

 一日のある部分を。ルクレティウスや、ルキアノスモンテーニュエラスムスケベードマーロウ方法序説ヴィルヘルム・マイスターラスキンプルーストヴァレリー、ときに気が向けば紫式部、あるいはアイスランド・サガなどを読むためだけに、「読書の時間」をもうけている幸福な人間を想像してみよう。それも、出たばかりの新装本の書評を書く仕事、教授資格をとるための論文執筆、契約でひきうけた編集の仕事の切迫した締切りなども、この人には関係ないとしよう。この幸福な人は自分が汚染されないために、読書のダイエットをきびしく守り、新聞を読むことも新刊小説や最近行われた社会調査の誘惑からも、つねに自分を守らねばならない。さて、このような厳格主義がどれほど正しいか、あるいは有益かは、一応、別の問題として措くことにする。時事問題のたぐいは月並で不愉快なものかもしれないけれど、前に進むにしても、後に退くにしても、とにかく自分がどこに立っているかを、わからせてはくれる。そして、古典を読んで理解するためには、自分が「どこに」いてそれを読んでいるかを明確にする必要がある。さもなくば、本自体も読者も、時間から外れた雲のなかで暮らすことになるからだ。古典をもっとも有効に読む人間は、同時に時事問題を論じる読物を適宜に併せ読むことを知る人間だと私がいうのは、こういった理由からである。そのためには、かならずしも内面の静寂を前提としない。忍耐が足りなくていらいらしているときも、なにかが不満でうんざりしているときでも、古典は読める。

 理想をいえば、時事問題その他は、窓のそとの騒音ぐらいに思えるのがいちばんいい。窓のそとでは交通渋滞や天候不順があることを知りながら、部屋にいて古典の言説の透徹した格調たかいひびきに耳をかたむける、というのが。しかし、音声をいっぱいにあげたテレヴィジョンみたいな時事問題の喧騒に満ちた部屋にいて、遠くに聞こえる轟音ほどに古典の存在を感じられるなら、それでもずいぶんとましなのである。

20260203 株式会社ゲンロン刊 東浩紀著「テーマパーク化する地球」 pp.165-167より抜粋

株式会社ゲンロン刊 東浩紀著「テーマパーク化する地球」
pp.165-167より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4907188315
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4907188313

 では、そもそも人文学とはなにか。さまざまな定義があるだろうが、筆者はそれを、反復不可能な歴史を扱う知と考える。他方で自然科学は、反復可能な事象を扱う知だと考える。より正確にいえば、反復不可能に見える現象を反復可能な相のもとで捉え返す、それこそが自然科学の本質だと考える。ダーウィニズムは歴史を扱うではないかと反論が来そうだが、吉川浩満が「理不尽な進化」で指摘したとおり、進化論はまさに反復可能性と反復不可能性の矛盾に切り裂かれた学であり、だからこそ逆に自然科学の本質を照らし出している。

 人文学者は、「この歴史」をたった一回の奇跡として受け取る。したがって、偶然としか考えられないような歴史の細部もすべて重視し、伝統の継承なしには前に進めないと考える。対して自然科学者は、「この歴史」を、無限の反復のなかの一例、統計のひとつのサンプルと解釈する。彼らにとって、本質は歴史ではなく歴史を産出する原理のほうであり、したがって、偶然の出来事はノイズとして排除すべきだし、教科書は新しければ新しいほどよいと考える。人文学と自然科学の制度や慣習のちがいは、基本的に歯この差異から帰結する。

 このように整理すればあきらかなように、人文学と自然科学は、どちらが正しいとか、どちらが優位とかいったものではない。人間は、普遍を認識することができるが、実存としてはただいちどしか生きることができない。人類は、普遍的な認識に到達することができるが、その認識へはひとつの歴史を通してしか到達しない。人文学と自然科学の「対立」は、このような人間の存在構造そのものにより生み出されたものであり、「学際的」云々によって乗り越えられるようなものではない。人間は、人文学だけで生きていけないのと同じように、自然科学だけでも生きていけない。そもそも自然科学はその本質において自律的ではない。反復可能な事象を扱う自然科学、それそのものが反復不可能な「ヨーロッパ近代」の産物でしかないという矛盾については、かつてフッサールが「ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学」で扱い、またデリダも、同書付録論文への長いコメンタリーである『「幾何学の起源」序説』で主題としている。

 さて、あらためて依頼された主題に立ち返るとするならば、それゆえ、人間が人間であるかぎり、人文学がなくなることはないというのが筆者の考えである。人類が、ただいちど「この歴史」のなかでしか文化を築けないかぎり、いくら自然科学が発達し世界の物理的制御力が増したとしても、人文学の伝統が消え去ることはない。かりに人間が生物学的には人間ではなくなり、意識が情報になり、記憶が反復可能になり、「わたし」の数が無限に増殖可能になったとしても、そのなかに「このわたし」がいるかぎり、文学や哲学がなくなることはない。その点で人文学の未来は保証されている。人文学を必要とする人間はかならずいる。ただし、その従事者が、これからも現在のような優遇された労働環境を享受し続けることができるか、前世紀までのような社会的影響力をふたたび回復することができるのかといえば、それは保証のかぎりではない。

 人間が人間であるかぎり、人文学がなくなることはない。それは裏返せば、自分が人間であることに気づかない人間にとっては、人文学はほとんど価値がないということである。そして、いつの時代も、たいていの人間は自分が人間であることに気づいていない。

20260202 株式会社岩波書店刊 亀山郁夫著「ショスタコーヴィチ:引き裂かれた栄光」」 pp.364-365より抜粋

株式会社岩波書店刊 亀山郁夫著「ショスタコーヴィチ:引き裂かれた栄光」」
pp.364-365より抜粋

ISBN-10 ‏ : ‎ 4006023715
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4006023713

 1957年、すなわちロシア革命40周年の記念すべき年、ショスタコーヴィチは、第一次ロシア革命を描写的に描く交響曲11番を完成させる。その初演は、同年10月30日、N・ラーフリン指揮、ソヴィエト国立交響楽団の演奏によって行われた。スターリン亡き時代にあって、この交響曲が、その長大さにもかかわらず、革命20周年を記念する交響曲第5番ほどの複雑な内面性をもたなかったことは明らかである。他方、20世紀初頭の革命歌をふんだんに使用した第4楽章は、文句なしに祝祭の音楽と意味づけることができるもので、そのメッセージ性の高さからしてめざましい成功を収めることができたのは当然のことだった。初演からまもなく開かれた作曲家同盟の会議でも、「けたはずれのリアリスティックな力強さを感じさせる作品」との評価が与えられた。

 全体で4つの楽章からなっており、それぞれの楽章に標題がついている。 

 第1楽章「宮殿前広場」は1905年1月9日(ユリウス暦)に起こった「血の日曜日」事件の不気味な予感を漂わせる音楽で、革命歌「開け!」を引用しつつ、革命前夜の不穏な空気を伝える」。アレグロによる第2楽章は。「1月9日」と題されており、低弦による不気味なうごめきが、民衆の行進を描き出す。ドルマトフスキーの詩につけた「革命詩人による10の詩」から第6曲「1月9日」の自己引用がなされ、トランペットの合図によって皇帝軍による虐殺の場面が描かれるが、弦楽器とチェレスタによる音楽はまさに葬送とレクイエムのシンボルと見ることができる。これは、エイゼンシテインの映画「戦艦ポチョムキン」の名場面「オデッサの階段」の伴奏として使用され大きな注目を浴びた。周知のように、「永遠の記憶」と題された次の第3楽章では、二つの革命歌(「同志は斃れぬ」「こんにちは、自由の自由なる言葉よ」)が引用され、力強いクライマックスを迎えたあとに再びレクイエム風の音楽に戻る。第4楽章「警鐘」は、金管楽器による革命歌「狂うがよい、暴君どもよ」、次いで「ワルシャワ労働歌」が使用され、炸裂する音楽ののち最後は帝政ロシアへの警鐘によって閉じられる。

 いかに内面的な複雑さを持たない音楽でも、ショスタコーヴィチにおいてはつねに「二番底」の存在を疑ってかからなくてはならない。十月革命40周年という記念すべき年にふさわしい音楽として、1905年がテーマとして取り上げられること自体、さして問題はない。しかし、この革命がそもそも挫折した革命であることを彼はどう受け止めることができたのだろうか、しかもこの曲が書かれる前年にハンガリー事件が起こり、ショスタコーヴィチ自身が知人を介してその事件の内実にかなり深く通じていた事実もある。

2026年1月25日日曜日

20260125 ローヤルゼリーと朝鮮人参から思ったこと

 2026年1月も終盤に入り、首都圏も厳しい寒波のただ中にあります。氷点下に近い気温と乾燥した空気が心身を芯から凍えさせるようなこの時季になりますと、我々は、古来より滋養強壮効果があるとされてきたローヤルゼリーや朝鮮人参などに、自然と関心が向くのではないでしょうか。

 しかしながら、そもそも何故、これらに滋養強壮効果があるのかと考えてみますと、そこには、薬学や栄養学といった、いわゆる理系学問的な知見を超えた、自然界における摂理や、東アジア地域に連綿と受け継がれてきた民俗文化の古層に通底する、ある種の観念のようなものが見えて来るのではないかと思われるのです。

 まず、ローヤルゼリーについて考えてみますと、一つの巣を形成する蜜蜂の社会において、すべてのメスの幼虫は、遺伝子的には同一であると云えます。しかしながら、その中で選ばれた一匹のメスの幼虫だけが、多くの「働き蜂」からローヤルゼリーを捧げられ、やがて女王蜂となるのです。このローヤルゼリーとは、働き蜂が花粉や蜜を摂取し、代謝・再構成したうえで、頭部にある腺から分泌する、女王蜂となるための特別な物質であると云えます。そして、これを摂取し続けたメスの幼虫だけが、通常は数週間で終わるはずの寿命を劇的に延伸させ、毎日数千個の卵を産み続ける「女王蜂」へと変容を遂げるのです。

 この変容とは『一つの生命体の集団が、その存続をはかる中で、働き蜂たちが自らの生命を削り、分泌されたエネルギーの結晶とも云えるローヤルゼリーにより為される』とも云えるのではないでしょうか。

 そしてまた、これと類似した様相は、植物界においても認められます。朝鮮人参は、その生育過程において、土壌中の養分を、収奪と表現しても差し支えないほど徹底的に吸収し蓄積します。また朝鮮人参は、山深い日陰といった、一般的には植物の生育にとって好ましくないとされる過酷な環境において、十数年という長い歳月をかけて、きわめて緩慢に成長します。そして、その過程において厳しい環境ストレスから守るための「防御成分」が、次第に蓄積・濃縮されていくのだと云えます。

 ここで、両者に共通して重要であるのは、こうした人体にとって薬効となる成分とは、「最適化された快適な環境」においては、むしろ生じ難いという点です。ローヤルゼリーが、群れの存続や維持といった強い「緊張」の中で分泌されるのと同様に、朝鮮人参も、仮に栽培環境を最適化すれば、収量そのものは増加するのかもしれませんが、その薬効は著しく減弱してしまう可能性が高いと云えます。

 そうしたことから、「単に生存すること」と、「ある特有の力(薬効)を宿すこと」とは、しばしば反比例の関係にあるのではないか、とも思われるのです。これを換言しますと、集団存続の危機、あるいは環境との緊張関係といった深刻な摩擦の中においてこそ、こうした「特有の凝縮された力」は生じるのではないでしょうか。

 そしてまた、この「環境との緊張関係が特有の力を生む」という構造は、我々の精神活動、ことに才能や創造性の成立過程にも対応するのではないかと思われます。

 我々の能力には、社会生活を円滑に営むための「一次的な能力」と、環境との摩擦や違和感の中から成立する「二次的な能力」が存在すると云えます。読み書きや計算、社会適応力などが前者に属するとすれば、深い洞察や表現力、創造性といったものは、後者に位置づけられるでしょう。

 そして、これは私見ではありますが、後者に属する能力とは、多くの場合、整備された快適な環境において十分に育まれることは少なく、むしろ、容易には適応し難い困難な状況や、長い試行錯誤を強いられる時間の中で、自らの精神が押し潰されぬよう抵抗しつつ、内側に「意味」を蓄積していくような過程を経て、成立することが多いのではないでしょうか。

 こうした様相を踏まえて芸術について考えてみますと、芸術が扱うものとは、必ずしも明晰な理論ではなく、我々の内部に保存された「生の緊張の様相」そのものであると考えられます。それは、葛藤や執念といった混沌とした要素であり、それらがさまざまな形式の芸術作品として顕現することで、はじめて、作成者である個人を超え、普遍的な力として他者に作用を及ぼすのではないでしょうか。その意味で、芸術作品もまた、ローヤルゼリーや朝鮮人参と同様、周囲のさまざまな摩擦を引き受けた時にこそ、その真の力を獲得し、発揮するのではないかと思われるのです。

 あるいは、この「快適ではなく、摩擦や緊張のある環境が力を凝縮させる」という考え方は、我が国の西日本の一部地域において見られた犬神信仰の背景とも、通底する要素を有しているのではないかとも考えさせられます。犬神信仰とは、牡犬を首だけ地上に出した状態で地中に埋め、何も与えず、極限の飢えという苛烈な緊張状態を人為的に作り出し、その呪力を最大化できると信じられていた呪術の様式です。これは、(犬の)生命を快適さから強制的に引き剥がし、限界にまで追い込むことで、超常的な霊力の獲得を試みるものであったと考えられます。

 また、こうした呪術は、大陸由来の「蠱毒」に見られるような、閉鎖空間における生存競争によって負のエネルギーを濃縮させる観念と、南方から黒潮に乗って伝来したとされる精霊信仰とが、我が国の文化風土の中で融合した結果である可能性も指摘されています。おそらく古人は、過酷な環境こそが真に「効く」力を生成させる、という、現代を生きる我々の感覚からすれば到底容認し得ない、残酷で峻厳な認識を、自然環境の観察を通じて身体感覚として持っており、そこから、先述の犬神信仰のような観念も伝えられていったのではないかと思われます。

 そしてまた、このような文脈において「伝統」とは、単に保存された情報の集積ではありません。それは、過去から現在、そして未来へと受け渡されていく「緊張の記憶」そのものであるのではないでしょうか。その意味で、伝統芸能や職人の技術が、厳しい規律や「型」という不自由さを要請するのは、そうした摩擦の生じる環境においてのみ、凝縮された力が生成されることを、経験的に知っていたからであるようにも思われます。

 最適化され、容易に獲得された知識は、往々にして早々と消費され、忘れ去られてしまいます。しかし、緊張を伴いながら継承された知識や知恵は、長く、深く、人の心に作用し続けるように思われますが、さて、実際のところは、どうなのでしょうか。

そして、今回もここまで読んでいただき、どうもありがとうございます。

一般社団法人大学支援機構

~書籍のご案内~
ISBN978-4-263-46420-5

*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。

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どうぞよろしくお願い申し上げます。




2026年1月22日木曜日

20260121 中央公論新社刊 陸奥宗光著「蹇蹇録」 pp.3‐5より抜粋

中央公論新社刊 陸奥宗光著「蹇蹇録」
pp.3‐5より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 412160153X
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4121601537

 この時にあたりてわが邦は正に議会閉会中にして、衆議院は例により政府に反対するもの多数を占め種々の紛争を生じたれども、政府はなるべく寛容して衝突を避けんことを試みたりしに、六月一日に至り衆議院は内閣の行為を非難するの上奏案を議決するに至りたれば、政府は止むを得ず最後の手段をとり議会解散の詔勅を発せられんことを奉請するの場合に至り、翌二日、内閣総理大臣の官邸において内閣会議を開くこととなりたるに、たまたま杉村より電信ありて朝鮮は援兵を清国に乞いしことを奉じ来たれり。これ実に容易ならざる事件にして、もしこれを黙視するときはすでに偏傾なる日清両国の朝鮮における権力の干繋をしてなおいっそうはなはだしからしめ、わが邦は後来朝鮮に対しただ清国のなすがままに任するのほかなく、日韓条約の精神も、ために或は蹂躙せらるるの虞れなきにあらざれば、余は同日の会議に赴くや、開会の初めにおいてまず閣僚に示すに杉村の電信をもってし、なお余が意見として、もし清国にしてなんらの名義を問わず朝鮮に軍隊を派出するの事実あるときは、わが国においてもまた相当の軍隊を同国に派遣し、もって不虞の変に備え、日清両国が朝鮮に対する権力の平均を維持せざるべからずと述べたり。閣僚みなこの議に賛同したるをもって、伊藤内閣総理大臣は直ちに人を派して参謀総長熾仁親王殿下および参謀本部次長川上陸軍中将の臨席を求め、その来会するやすなわち今後朝鮮へ軍隊を派出するの内議を協え、内閣総理大臣は本件および議会解散の閣議を携え直ちに参内して、式により聖裁を請い、制可のうえこれを執行せり。

 かく朝鮮国へ軍隊を派遣するの議、決したれば、余は直ちに大鳥特命全権公使をして何時たりとも赴任するに差支えなき準備をなさしめ、また海軍大臣と内議して、同公使を軍艦八重山に搭じ、同艦には特に海兵若干を増載し、かつ同艦および海兵はすべて同公使の指揮に従うべき訓令を発せしむることとなし、また参謀本部よりは第五師団長に内訓し同師団中より若干の軍隊を朝鮮に派するために、至急出師の準備をなすべき旨を命じ、またひそかに郵船会社等に運輸および軍需の徴発を内命し、急遽の間において諸事もっとも敏捷に取り扱いたり。かかる廟算は外交および軍事の機密に属するをもって世間未だ何人もこれを揣測する能わず。而して政府の反対者は廟議すでにかく進行せしを悟らず、しきりにその機関新聞において、もしくは遊説委員をもって朝鮮に軍隊を派遣するの急務なるを痛論し、はげしく政府の怠慢を責め、もって議会解散の余憤を洩らさんとせり。

 廟議すでにかくのごとく決定したり。然れどもこれを実地に執行するにおよんでは、時に臨み機に投じ国家の大計を誤るなきを期せざるべからず。ゆえに政府は慎重の議を尽くし、さらにその方針を確定せり。すなわち、日清両国がおのおのその軍隊を派出する以上はいつ衝突交争の端を開くやも計り難く、もしかかる事変に際会せばわが国は全力を尽くして当初の目的を貫くべきは論を待たずといえども、なるべく平和を破らずして国家の栄誉を保全し日清両国の権力平均を維持すべし、またわれはなるたけ被動者たるの位置をとり、つねに清国をして主動者たらしむべし、またかかる一大事件を発生するや、外交の常習として必ず第三者たる欧米諸国のうち互いに向背を生ずることあるべきも、事情万已むを得ざる場合のほかは厳に事局を日清両国の間のみに限り、努めて第三国の関係を生ずるを避くべし、とはその要領なりき。この廟算は初め伊藤総理と余との熟議に成り、特に多くは伊藤総理の意見に出て当時の閣僚はみなこれを賛襄し、聖裁を仰ぎたるものなれば、日清交戦中わが政府は始終以上の主義をもって一貫せんことを努めたり。

2026年1月20日火曜日

20260120 株式会社河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田 裕之訳「21 Lessons ; 21世紀の人類のための21の思考」pp.127-130より抜粋

 株式会社河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田 裕之訳「21 Lessons ; 21世紀の人類のための21の思考」pp.127-130より抜粋

ISBN-10 ‏ : ‎ 4309467458
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4309467450 

マーク・ザッカ―バーグがオンラインで人類を統一することを夢見ているのに対して、オフラインの世界で最近起こっている出来事は、「文明の衝突」という見方に新しい命を吹き込んでいるように見える。多くの有識者や政治家や一般市民は、シリアの内戦やイスラミックステート(イスラム国)の台頭、ブレグジット騒動、EUの不安定な状態はみな、「西洋文明」と「イスラム文明」の衝突に起因すると信じている。西洋がイスラム諸国に民主主義と人権を押しつけようとしたため、イスラム教の暴力的な反発を招き、イスラム教徒の移民の波とイスラム教徒によるテロ攻撃が相まって、ヨーロッパの有権者は多文化の夢を捨て、外国人を嫌って地元のアイデンティティを優先する道を選んだというわけだ。

 文明の衝突という見方によれば、人類はこれまでずっとさまざまな文明に分かれて暮らしてきており、異なる文明に属する人々は、相容れない世界観を持っているという。これらの相容れない世界観のせいで、文明間の争いは避けられない。自然界では冷酷な自然選択の法則に従ってさまざまな種が生存競争を繰り広げるのとちょうど同じで、文明は歴史を通して衝突を繰り返し、適者のみが生き延びてきたのだ。自由主義の政治家であれ、空想にふける技術者であれ、この厳然たる事実を見過ごす人は、重大な過ちを犯している。

 「文明の衝突」という見方には、広範に及ぶ政治的意味合いがある。この見方を支持する人は、以下のように主張する。「西洋」と「イスラム世界」との折り合いをつけようとする試みはすべて失敗に終わる運命にある。イスラム諸国はけっして西洋の価値観を採用しないし、西洋諸国はイスラム教徒の少数派をけっしてうまく受け容れることはできない。したがって、アメリカはシリアやイラクからの移民を入国させるべきではないし、EUは異文化の共存という誤った考え方を捨て、平然と西洋のアイデンティティを掲げるべきだ。長期的には、たった一つの文明だけが自然選択の情け容赦ないテストを生き延びるのであり、ブリュッセル〔訳注 EUの本部の所在地〕の官僚たちが西洋をイスラム教の危険から救うのを拒否したら、イギリスやデンマークは、独自にそうしたほうがいい。

 この見解は広く支持されているものの、誤解を招きやすい。イスラム原理主義は現に過激な難問を突きつけてくるかもしれないが、イスラム原理主義が挑んでいる「文明」は、西洋独特の現象ではなく、グローバルな文明だ。だからこそ、イスラミックステートに対抗してイランとアメリカが手を結んだのだ。そして、イスラム原理主義者たちでさえ、中世の幻想にあれほど浸っているにもかかわらず、七世紀のアラビアよりも現代のグローバルな文化にはるかにしっかりと根差している。彼らは、中世の農民や商人の恐れや希望にではなく、現代の疎外された若者の恐れや希望にうまくつけ込んだり応じたりしている。パンカジ・ミシュラとクリストファー・デ・ベレイグが説得力を持って主張しているとおり、過激なイスラム原理主義者たちはムハンマドだけではなくマルクスやフーコーにも大きな影響を受けており、彼らはウマイヤ朝やアッバース朝の支配者ばかりでなく、十九世紀ヨーロッパの無政府主義者の遺産も受け継いでいる。したがって、イスラミックステートでさえも、どこかの謎めいた異質の系統の分枝というよりもむしろ、私たち全員が共有するグローバルな文化の、正道を逸脱した枝と見るほうが正確だ。

 さらに重要なのだが、「文明の衝突」という見方を支えるために、歴史と生物学の類似性を想定するのは間違っている。小さな部族かた巨大な文明まで、人間の集団は根本的に動物の種とは違うし、歴史上の争いは自然選択の過程とはおおいに異なる。動物の種は何千世代にもわたって存続する客観的なアイデンティティを持っている。あなたがチンパンジーかゴリラかは、あなたの信念ではなく遺伝子次第であり、異なる遺伝子が異なる行動を左右する。チンパンジーはオスとメスが混ざった集団で暮らす。彼らはオスとメスの両方から支持者を集めて連合を確立することで権力を競う。それとは対照的に、ゴリラの場合には一頭の支配的なオスが複数のメスから成るハーレムを形成し、自分の地位に挑みかねない他の大人のオスはみなたいてい追い払う。チンパンジーはゴリラのもののような社会体制は採用できないし、ゴリラはチンパンジーのようには自らを組織できない。そして、私たちの知るかぎりでは、チンパンジーとゴリラのそれぞれ特徴的な社会制度は、過去数十年どころか、何十万年にもわたってまったく変わっていない。

 ところが、人間の場合はまるで違う。たしかに人間の集団も明確な社会制度を持ちうるが、それらは遺伝的に決まるわけではなく、数世紀以上存続することはめったにない。たとえば、二〇世紀のドイツ人を考えてほしい。一〇〇年にも満たぬ間に、ドイツ人は自らを六つの非常に異なる制度に組織した。ホーエンツォレルン帝国、ワイマール共和国、第三帝国、ドイツ民主共和国(共産主義の東ドイツ)、ドイツ連邦共和国(西ドイツ)、そして最後が再統一された民主主義のドイツだ。もちろんドイツ人は同じ言語とビールとブラートブルスト〔訳注 ドイツの国民的なソーセージ〕を愛する気持ちを持ち続けた。だが、ドイツ国民を他のあらゆる国民と区別し、ヴィルヘルム二世の時代からアンゲラ・メルケルの時代まで変わらなかったドイツ人ならではの本質など、あるだろうか?そして仮にあなたが何か思いついたとして、それは一〇〇〇年前、あるいは五〇〇〇年前にもあっただろうか?

2026年1月19日月曜日

20260119 東浩紀による新著『平和と愚かさ』を読んで思ったこと

東浩紀氏による新著「平和と愚かさ」で述べられる「平和」とは、昨今の不安定な世界情勢の中で多く論じられるような、正義の完遂や政治的安定といった観念的な地平を指すものではなく、むしろそれは、政治や戦争について考えを巡らせる必要性すらない、いわゆる「平和ボケ」の中に安住し得る状態を指していると云えます。

昨今の我が国において「平和ボケ」という言葉は、危機意識の欠如を意味する否定的な文脈で用いられることが多いと云えます。しかし東氏は、本著においてこの状態に積極的な価値を見出し、メタ的に「思考しなくても良い自由」という核心を突こうとしているように思われます。

また、本著のもう一つの鍵となる「愚かさ」も、単に知的能力の不足や欠如を意味すると云ったものではありません。ここで東氏が指摘しているのは、正義や平和をめぐる思考が明晰化され、論理の連環が強固になればなるほど、かえって対立は先鋭化し、戦争という「合理的解決」へと収束してしまうのではないかという、逆説的なジレンマです。

たとえば「戦争を止めるべきだ」という主張が正論であったとしても、それを論理的に徹底し、あらゆる反論を封殺しようとすれば、最終的には「敵を殲滅する以外に平和への道はない」といった極端な帰結を招きかねません。つまり、論理性とは往々にして、我々を逃げ場のない闘争へと追い込む、チキンレースのような側面を持っていると云えます。

それを踏まえますと、本著で説かれている「愚かさ」とは、こうした論理性の否応のない進展を意識的に抑制しようとする態度であり、事実と論理性のみで全てを判断しようとする現代的な知的態度に対して、敢えて「考えないで済む領域」の重要性を説いているのだと理解出来ます。

また、平和や正義を強く論理化しようとする行為態度は、現代社会における「効率性(コストパフォーマンス)」の追求とも不可分であると云えます。効率を最大化し、無駄を徹底的に削ぎ落とした先にあるのは、数値化はし得ないものの充実した生の営みや、曖昧な情緒性の排除です。そして戦争もまた、究極的には政治的なコスト計算の帰結として選択される「解決策」という側面を持っています。もし我々が、あらゆる事象を論理性と効率性のみで判断しようとするのであれば、どこかで「究極的な破壊」が合理的な選択肢となる危険性を否定することは出来ません。

こうした視座から、本著での東氏の見解は、その手前で踏み止まり、言語化し得ない日常の喜びを享受出来る「余白」を維持することの重要性に集約されていると云えます。それは、効率化一辺倒の現代文明に対する、極めて根源的な批判でもあります。

さらにこの見解は、社会における「無用の用」の再評価とも評し得ます。我々が常に政治や平和について考える必要がなく、むしろ、それらの思考から解放され「考えないで済む領域」が確保されていること自体が、その社会の平和の程度を測る一つの指標となるのです。

もっとも、東氏は「考えないで済む状態」を無条件に称揚しているわけではありません。為政者や考える必要性のある方々が思考を放棄してしまえば、社会の秩序は容易に崩壊します。その意味で、東氏の議論は単純な非武装論や、政治的無関心の免罪符とは一線を画しています。本著で述べられる「愚かさ」とは、単に思考を止めることではなく、思考そのものが孕む「暴力性」を自覚し、それを出来るだけ自然に抑制しようとする態度であると解釈するのが妥当でしょう。

加えて、本著の重要な洞察の一つは、「平和」と「反戦」の峻別にあります。東氏の定義によれば、「反戦」とは戦争に対抗する能動的な政治行為であり、そこには常に「敵」や「対立」の構造が伴います。これに対して「平和」とは、そもそも戦争という概念が意識の遡上にすら上らない、忘却された状態を指します。

ここから「平和は思考不可能であり、記述不可能である」という逆説が導かれます。「私たちは今、平和だ」と言語化した瞬間、その平和は他者との比較や訂正可能性に晒され、政治的議論の客体へと変質してしまいます。平和とは、幸福と同様、語ろうとした瞬間に手の中から零れ落ちていく性質のものなのです。

『平和と愚かさ』は、読者に対して明快な結論や指針を提示する種類の著作ではありません。紀行文を思わせる比較的柔らかなその文体は、読者に思考の速度を落とさせ、読んだ文章の内容を自らのペースで咀嚼・反芻する時間を与えてくれます。

スピードと効率性が求められ、SNS等で「レスバ」や「論破」の応酬が繰り広げられる、末世とも見える現代社会において、東氏の「読み手に委ねる」という態度そのものが、ある種の洗練された思想的実践であるようにも感じられました。

平和を声高に主張することにより、却って平和を壊してしまう我々自身の「思考の型」を自覚し、正義を掲げる熱によって、私たちはあまりにも多くの「日常にある余白」を焼き払ってきたのではないでしょうか?失われてしまった、そうした場所を示し、今なお過熱し続ける世界に水を差すことこそが、本著の持つ大きな価値であると思われました。

そして、今回もここまで読んでいただき、どうもありがとうございます。

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ISBN978-4-263-46420-5

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2026年1月10日土曜日

20260110 興味関心が時間を掛けて文章化に至るまで

年末年始にかけて、ベートーヴェンの交響曲第九番、ならびにベネズエラでの事案を題材にブログ記事を作成しました。いずれも私の専門分野ではなく、その意味では門外漢による文章であると云えます。そのためか、普段の投稿記事に比べて、やや否定的な受け止め方も目についたように感じられました。しかし、実際、それが、どの程度であるのかは慎重に見なければならず、そこには私自身の受け取り方も含まれているのかもしれません…。

とはいえ、冒頭二つの題材は、決して思いつきで選んだものではありません。ベートーヴェンの第九については、以前からなぜか惹かれており、中学生の頃に初めて購入したクラシック音楽のCDもこの楽曲でした。その後も指揮者やオーケストラの異なる録音盤をいくつも聴き、また、本楽曲が印象的に多用されたスタンリー・キューブリック監督『時計仕掛けのオレンジ』も興味深く何度も視聴しました。さらに大学一年生の時には第九の合唱に参加する機会があり、身体を通じて、この楽曲に触れた経験もあります。そして、昨年12月28日に上野の東京文化会館で第九の演奏会に出席させて頂いた折、こうした記憶が改めて励起され、それが記事作成につながったのだと云えます。

また、新年1月3日のベネズエラでの事案についても、2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻から、背景や文脈を理解するために国際関係論や近現代史の書籍を継続的に読んできました。そして、その中にはベネズエラの状況に触れるものもあり、強い関心を抱き続けてきたとまでは云えないにせよ、多少の前提知識は蓄積されており、そこで、今回の事案に際して思うところもあり、ブログ記事題材として取り上げたのだと云えます。

それでも、専門外の分野を題材として文章を公表する行為は、我が国ではしばしば「越権」あるいは「付け焼き刃」と見なされ、白眼視されることもあります。しかし「専門ではない」ということと「何の知見の蓄積もない」ということは、必ずしもイコールではありません。専門性は、職業的訓練や研究成果などによって可視化されますが、知的関心の持続や思考の蓄積は、肩書や業績として表面化しない場合も多々あります。また、専門家でないからこそ、特定の学派や内部での言語世界に拘束され過ぎず、事象を一定の距離をもって捉え直せることもおおいにあり得ます。もちろん、その際には断定を避け、問いとして提示するような慎重さが必要であるとは考えますが...。

しかし、そうした慎重さとは、沈黙を選ぶ理由にもなりません。文章を作成するという行為は、おそらく、他者に結論を押しつけるためではなく、自らの中で持続してきた興味関心あるいは疑問を整理し、言語化する作業でもあると考えます。そして、さきの両記事も、そうした試みとして作成したものと云えます。無論、読んでくださった方々すべてに受け入れられることを期待しているわけではありません。ただ、これらの文章が単なる思いつきではなく、ある程度の時間をかけて培われた興味関心の延長線上にあることは、出来ましたら、ご理解頂ければと思います。

そして、今回もここまで読んでいただき、どうもありがとうございます。


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2026年1月5日月曜日

20260104 今回のベネズエラ情勢から想起された「バナナ共和国」について

今回一連のベネズエラ・ボリバル共和国(以下、ベネズエラ)をめぐる報道に接し、久しく意識することのなかった「バナナ共和国(banana republic)」という言葉を思い出しました。以前、 ユヴァル・ノア・ハラリ の著作でこの言葉を知り、その語感の面白さから調べたところ、それが単なる蔑称ではなく、特定の歴史的・政治的構造を的確に表現したものであることを知りました。また、この言葉を創案したのが、ジャーナリストでもあった短編の名手と称される米国の作家 オー・ヘンリー であったことにも、当時は少なからず驚かされました。

「バナナ共和国」とは、特定の一次産品の生産に国家経済が依存し、外国資本と結びついた買弁的支配層が国家の主要な意思決定を左右する体制を指します。こうした国家は形式上は独立国であっても、実質的な主権は国外勢力に握られていることが少なくありません。そしてこの言葉が、今年初頭のベネズエラをめぐる一連の報道を通じて、あらためて想起されたのです。

今回、米軍が首都カラカスで実施した「真夜中のハンマー作戦(Midnight Hammer operation)」は、現職国家元首の身柄拘束を目的とする典型的な斬首作戦でした。長期間にわたる情報収集、通信・電力・情報網への事前侵入と遮断準備、さらには現地勢力への黙認工作などにより、ベネズエラ側に本格的な反撃の機会は与えられず、作戦は短時間で実行され、当初の目的は達成されました。

この成功は、2022年以来続く第二次露宇戦争におけるロシア軍の初動と対照的です。ロシア軍も当初、首都急襲による政権中枢の無力化、すなわち斬首作戦を志向しましたが、首脳の身柄拘束には至らず、ウクライナ軍の頑強な抵抗に直面して失敗し、戦争は長期化しました。

一方、今回のベネズエラでの米国による斬首作戦は成功したため、大規模な戦争は回避されました。その成否を分けたのは兵器の性能ではなく、作戦設計です。米国は目的を「政権転覆」ではなく「元首の身柄確保」に限定し、占領や統治を前提とせずに軍事行動を完結させました。さらに、その後の処理を国内の刑事司法手続に接続することで、軍事行動を「法執行」として再定義しました。

しかし同時に、この成功は国家主権という国際秩序の根幹を揺るがすものでもあります。他国の元首を軍事力によって拘束し、自国の司法制度に組み込む行為は、主権が事実上、力によって書き換えられたことを意味します。加えて、資源管理を含む暫定的な統治関与が示唆されたことで、ベネズエラは再び外国勢力の管理下に置かれる構図へと近づいたと云えるでしょう。

ここで「バナナ共和国」という言葉は、単なる歴史用語ではなく、現在の情勢を理解するための分析枠組みとして立ち上がってきます。独裁的元首の排除と秩序回復が掲げられる一方で、国家の富と意思決定が外国の管理下に置かれるのであれば、それは名称の如何を問わず、従属構造にほかなりません。

この事態を最も深刻に受け止めているのが、カリブ海地域の反米的国家、とりわけキューバです。長年ベネズエラ産石油に依存してきたキューバにとって、その供給源が米国の管理下に入ることは、経済問題にとどまらず体制存続に直結します。ベネズエラで起きたことが前例となれば、次は自国ではないかという警戒感が強まるのは自然な流れです。

他のカリブ海諸国や中南米左派政権もまた、表立った対抗を控えつつ、外交姿勢の再調整や域外大国との関係改善を通じ、間接的な牽制に動く可能性があります。中南米諸国は、かつてのモンロー主義を想起させる米国の行動を前に、静かな緊張状態に入りつつあると考えられます。

独裁体制の崩壊がベネズエラ国民に一定の希望をもたらす可能性は否定できません。しかし、その過程で国家主権が大きく損なわれたこともまた事実です。斬首作戦という戦術的成功の先に、いかなる戦略のもとで政治体制と秩序が再構築されるのか。この一連の報道を通じて「バナナ共和国」という言葉が想起されたのは、その問いが再び現実のものとなったからにほかなりません。

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2026年1月3日土曜日

20260103 2026年初投稿記事:最近の読書から思ったこと

新年を迎え、すでに3日間が経過しましたが、当ブログの方は、昨年12月29日分の投稿から更新はしていません。しかしながら、この間の年末年始の期間を振返りますと、この期間に、新たに入手したものや積読状態であった書籍を比較的落ち着いて読み進めることが出来ました。とりわけ、12月24日に届いた東浩紀による「平和と愚かさ」は、500頁近い文量ではありますが、読み始めてみますと、著者の文体に乗せられるのか、比較的スムーズに読み進むことが出来、現在、300頁ほどまでに至りました。本著作は、戦争や国際政治などを正面から論じるというよりも、著者が訪問した世界各地の風景や施設から、それぞれの歴史や文化について論じ、そこから平和について論を立てる、いわば、紀行文的な体裁の思想文であり、平易とは云い得ませんが、比較的読み易い文章であると云えます。また、そのなかの「我々が政治について語りすぎていること自体が、かえって平和から遠ざかっているのではないか?」という問題提起は、我々に即断を促すものではなく、むしろ、それ以前にある、いわばメタな考えを、より地に足の着いたものへと導くことを企図したものであるように思われました。

また、もう一つの読み進めている著作である伊藤之雄著、中公新書の「元老」は、現在の我が国の状況と、どこか通底するものがあるのではないかと思いつつ読み進めています。当著作は、明治維新から昭和初期にかけての我が国の政治を題材としていますが、そこで改めて意識させられるのは、戦前の我が国における元老という存在が、制度として明文化されていなかったにもかかわらず、実質的には政治の均衡を支える重要な役割を果たしていたと云う点です。元老は、大日本帝国憲法に規定された制度ではなく、特に法的な権限を持つ存在でもありませんでした。それでも首相奏薦を通じて、政党政治と天皇制、さらには軍部とのあいだに介在する、非公式な調停装置として機能していた側面があったことは否定出来ません。

繰り返し、元老は、戦前の大日本帝国憲法に規定された公的制度ではなく、その権能や資格、待遇が明文化された存在でもありませんでした。にもかかわらず、天皇の輔弼という立場から、内閣総理大臣の奏薦をはじめとする国家の重要事項に参画し、事実上、政権形成に大きな影響力を持っており、実際、天皇は元老が奏上した首相候補を拒否した例はなく、大命降下は実質的に元老の判断に基づいていたと理解されています。

とはいえ、元老は常に一体として行動していたわけではなく、その政治的な働き掛けは、元老各個人の判断と人脈に依存する側面が強かったことも指摘されています。つまり、元老は内閣の安定を支えようとする一方で、場合によっては倒閣に動いた例もあり、元老の影響力は必ずしも一方向的なものではありませんでした。にもかかわらず、軍、政党、官僚、そして天皇制とのあいだに介在し、直接的な衝突を和らげる「非公式な調停装置」として機能していました。

最後の元老であった 西園寺公望 は、昭和15(1940)年に亡くなっていますが、その時まで元老や元老制度が十分な影響力を保持していたわけではありません。既に1930年代後半には、元老の政治的影響力は著しく低下していました。それでもなお、最後の元老、西園寺の死により、明治維新以来からの政治的慣行が名実ともに終焉したことが、太平洋戦争開戦に至る遠因の一つであったとする指摘もあります。

軍部大臣現役武官制や統帥権干犯問題、昭和恐慌からの政党政治への不信、国際情勢の緊張化など、戦前の我が国が軍国化への傾斜を強めるには、複数の要因が重なっています。しかし、それらの過程のなかで、軍や政治の暴走を非公式にではあれ、抑制し得る機能を持つ存在が失われてしまったことは、結果として、その後の軍国化への歯止めを弱めたと云えるでしょう。

また、戦前の国民が「元老ではなく軍部を信頼した」と単純に判断することにも注意が必要です。当時、元老とは国民にとって可視的な存在ではなく、また、可視的な存在による政党政治の方は汚職、不祥事や分裂などで国民からの信頼を失っていました。その結果、消去法の様に、軍が秩序や強さを体現する存在として国民に認識され、支持を集めるといった構図が形成されたのであり、それはいわば、国民が積極的に軍部を選択したというよりも、他に信頼できる政治の担い手を見つけることが出来なかったというのが、実態に近いと思われます。

そして、こうした構図とは、決して過去にのみ当てはまるものではありません。現代の我が国社会においても、ネット環境の向上、SNSの普及などにより、情報の流通速度は飛躍的に高まりましたが、その一方で、既存メディアや政治への不信は、むしろ強まりつつあるように見受けられます。そして、その背景の一部には、面倒な調整や専門的知見に基づく判断よりも、分かり易く、強い断定調の言葉の方が支持を集め易いといった時代を通じて共通する我が国の事情や構造といったものがあるのではないかとも思われるのです。

もちろん、現代の我が国には、文民統制や憲法秩序、民主的官僚制といった、1945年の敗戦による民主化以降に培った制度的基盤があり、戦前の社会と同じに考えることは出来ません。しかし一方で、混乱する政治を調停して、一極への力の集中を抑制する装置が弱体化、衰滅すると、我が国の社会(民意)は「分かり易い勢力」の方へと傾斜する傾向があったと云うことは、我が国近現代史が示す一つの教訓と受け止めて良いのではないかと考えます。

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