2020年3月28日土曜日

20200327 力強い劇は続き・・

ここに来てまた、世の中が騒然としてきました。アメリカ合衆国にて新型コロナウィルスの感染者が激増したことは、我が国を含む世界に少なからず衝撃を与えたと考えます。

そうした中、ここ徳島では気温が上がったためか、夜になりますと、周囲からわずかながら虫の声が聞こえるようになってきました。ここ数週間での季節の春への推移は、自身としては喜ぶべきものがあると云えます・・。

さて、先日来から読み進めていた伊達千広(宗広)による「大勢三転孝」を一昨日に読了しましたが、こうした大きな意味での歴史区分による考え方は、なかなか重要なものであると再認識しました。

おそらく、一つでも、こうした歴史区分の考え方を、ある程度明瞭に血肉化されていますと、その後の学習により得た他の認識、たとえば源平政権交代説や平家物語と太平記の関係性、はたまた唯物史観に至るまで、それまで保持していたものと関連付け、絡めて考え、そしてまた後に得たさまざまな考えも自分なりに血肉化することが出来るようになるのではないかと思われます。

その意味で、他分野を専攻する方々と異種格闘技のような本気の議論を行うことは大変意味があると私は考えます。これは以前も当ブログにて書きましたが、自身は修士院生時代、本当によく議論を飽きずに行いました・・。あまりにも同じ場所(大学図書館の前)で長く議論をしていることから、図書館に本を借りたり、返しに来られる先生方もこの議論に入ってこられることが度々ありました・・(笑)。

ともあれ、こうした議論が原因となり少し発展し、空いている講義室を借り、それぞれの研究内容を講義形式で発表するような集まりが開かれるようになりました。この発表は、さきの図書館前での議論の延長であることから、空気を読んだり、遠慮をするということはなく、現在思い返してみますと、いくらか野蛮なものであったと云えます・・(苦笑)。

そしてまた、この集まりにも後に先生方も参加されるようになり、さらに他の院生も参加するようになり「院生自主研究報告会」という名も付けられるようになりました・・。

これは我々の修了後、大学院の行事として公式化されたとのことであり、あるいは他の要因もあったのかもしれませんが、図書館前で行っていた議論も白熱したものが続きますと、次第に情念引力のようなものが惹起され、周囲の方々をも巻き込むことが出来るようになるのではないかと思われます。そうしますと、ピーター・ウィアー監督、ロビン・ウィリアムス主演の映画「いまを生きる」(Dead Poets Society)内で引用されたウォルト・ホイットマンのことば「That the powerful play goes on and you may contribute a verse.」「力強い劇は続き、そして、君もその一編を寄せることができる」というコトバを想起せられますが、そこから、現在からしますと青臭いあの議論にも、それなりの意味はあったのではないかとも思えてきます・・(苦笑)。

そしてまた、そこから敷衍して、当ブログは今後、何かの一編に寄せることは出来るのでしょうか・・(笑)?

ともあれ、今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございます。





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2020年3月25日水曜日

20200324 競争や勝ち負けの中でなく分かることについて

今回の記事投稿により、総投稿記事数が1265に達し、残り35記事の投稿により1300記事に到達します。これを来る5月内で達成することは、そこまで困難であるようには感じられませんが、それでも、出来るだけ毎日の記事投稿を続けて行きたいと思います。

さて、先日来の伊達千広(宗広)による「大勢三転考」はなおも読み進めていますが、依然として、伝えられてるさまざまな歴史上の出来事を提示し、その論旨の説明に充てていますが、こうした、いわば帰納法的な書きぶりも、慣れてきますと独特の味わいのようなものがあり、それは近現代以降多くなった説明に重点を置く明解にして直線的な文章とはまた異なる、一種、暗示させるような理解の仕方があることを教えてくれます。また、以前に自身が作成した修士論文も、そうした帰納法的な書きぶりの部分があり、そこでは、論文内で示したさまざまな事例と、後の結論の章で述べた、まとめの文章がどうも釣り合わず「これら事例を統合する、まとめの文章はこのようなものではない。」と、当時なりに苦労してまとめを書いていた記憶がありますが、こうした、さまざまな事例からセンス良く統合・抽象するような能力は未だ自身としては満足とは云えず、あるいはどうにか継続している当ブログも、いくらかはそれに資しているのかもしれませんが、それでも、今少しの伸び代はあるのではないかと勝手ながら考えています(笑)。


とはいえ、一応4年半以上、曲りなりにもブログを継続していますと、文章の好みや、その背後を読む習性が多少は身に付いたのではないかと思われますが、ここに来ていくらか分かったと感じることは、こうした、いくらかの創造性を伴う作業の継続は、本質的に競争や他者との勝ち負けではないと云うことです。おかげさまで、現在までどうにかブログを継続していますが、その途中で競争相手と云えるような存在を見出したことはなく、また、勝ち負けについては尚更であると云えます。継続するのは、自身の意志ただ一つにかかっているわけですから・・この場合、よく云われるように競争相手は自分自身です。


しかしながら、他方で社会を生きていますと、陰に日向に競争が付きまとい、またそれに伴い陰にこもった悪意も醸成され、半ば当然のように社会を生き難いものと感じさせるに至ります。(これに関しては我が国独特の「悪意」のようなものがあるのではないかと思われます。)何かを行うと、誰かが真似をして奪い、また、真似が出来ないと分かると平然と打ち捨てるといった行動は、殆ど誰もが半ば無意識のように行っていることではないでしょうか・・。しかし、少し正気に戻って考えてみますと、こうした影響の循環は、まさに地獄絵図のようであると思われるのですが、さて如何でしょうか?


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2020年3月23日月曜日

20200323 「影響の循環」と権威を笑うことと尊重することの意味合い

出張時の宿泊は、ビジネスホテルを利用させて頂くことが多く、そうした時は家にテレビを置いてないことから、日常では観ることのないテレビ番組をついつい観てしまいます・・(苦笑)。

その中でも、テレビドラマに関しては、ストーリーを楽しむというよりも、どちらかと云うと観察のように観てしまいます・・(笑)。そして、そこで面白いと感じられたことは、テレビドラマ内での人々の様々な行動、動作が、我々が普段見るものと異なり、変に大きく不自然に見えたことです。そして、その理由について少し考えたところ、あるいはテレビドラマの方が、アニメ内の登場人物の動きから影響を受けているのではないかと思われました。


現実の人間が演じるテレビドラマが、それをある種の抽象化あるいはデフォルメしたものと云えるアニメからの影響を受けるというのは、順序が逆と云いますか、倒錯であると見えますが、しかし他方で、こうした「影響の過程」といったものは、他にも多くあり、大きいものですと、19世紀半ばに西欧文明の様々な要素を抽象し自分なりに取り入れた我が国が、紆余曲折を経て、西欧を発祥とする、さまざまな工業製品を我が国で高性能に製造し、それを西欧に輸出するに至るといった前世期後半の様相もまた、そうしたものの一つであると云えます・・。


そのように考えてみますと、この「抽象化あるいはデフォルメ」作業については、本質的に順序が逆といったことはなく、ただ、そうした「影響の循環」といったものがあるだけではなかろうかと思います。そして、そうした循環を通して、ある種「伝言ゲーム」のような変化、もしくは創造とも云える現象が生じていくのではないかと思われますが、おそらく、その過程において、自然と、変化や創造が生じていく環境の成立のためには、その対象を面白いものとして見る、笑うといったことが重要になってくるのではないかと思われます。また、これは、国家が国民に対して示す何らかの権威が、絶対的であることを要求すればするほど、面白いものとして見れず、笑うことが出来なくなり、萎縮してしまい恐怖政治のようなものに近づいていくのではないかと思われます。


しかし他方で、国家と国民がある程度、共有出来る何らかの厳粛な権威のようなものが存在しなければ、その国あるいは地域は求心力・凝集性を欠くようになり、瓦解してしまうのではないかとも思われます。


つまりは、次なる変化や創造の継続のために権威を笑うことと、その権威を尊重するといった両面の価値をバランスよく維持することが思いのほかに重要であると思われるのですが、通常我々は、こうしたことに意識的になると、どうもそのバランスを維持することをやめてしまうといった性質が見受けられ、そうであるならば、いっそ無関心である方が良いとも思われるところですが、しかしながら、それが実は危険なことであり、また、それ故に、歴史や文学など人文社会科学系学問に重要な価値や意味があるのではないかとも思われるのですが、さて如何でしょうか?


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2020年3月20日金曜日

20200320 盛者必衰・諸行無常の様相?

先日来の伊達千広(宗広)による「大勢三転考」は、直近の出張時に持参しなかったことから、その後あまり頁は進んでいませんが、12世紀末の武家政権誕生に至りました。これにより、それまでの、院を含めた朝廷勢力が唯一の権威であった時代が終わり、東国に新たな権威に基づく統治体制が成立しました。これを「大勢三転考」では、朝廷成立時からの自然発生的であった①「骨」(かばね)に重きを置く制度から、7世紀半ば、大化の改新の頃から、朝廷が制定する各種法令により制度の整備をはかり、より朝廷による統治を十全なものとすることをはかる②「職」(つかさ)の時代への変化、そして、その制度のもとで、下位の軍事専従職としての役割を与えられていた武士が、徐々に力を蓄え、そして12世紀後半、朝廷内での院と天皇方の内紛を契機とし、朝廷に代わる新たな実質的支配者となり、さきの律令制度下の②「職」(つかさ)の時代から、大名・小名などの語源である、本来、地域に勢力を持つものとしての③「名」(みょう)の時代への変化と説明しています。

そして、当著作が著されたのが、まさに19世紀半ば、所謂、武士勢力による支配末期であることから、著者である伊達千広(宗広)の歴史観は、現在の視点から考えてみても、大変優れたものであったと云い得ます。

くわえて、現在、当著作を読み進めているという意味も、自身としては何かしらあるのではないかと考え、半ば戯れに、当著作の視座にて③「名」(みょう)の時代以降の変化を考えてみますと、19世紀後半の明治維新により③「名」(みょう)の時代が終わり、それが④「利益」(利)の時代に変わり、さらに、今後近い将来にはインターネットを基盤とした情報化社会・工作加工技術の更なる進展により④「利益」から、それよりも個々の創造性が重視される⑤「創造」(創)の時代へと変化していくのではなかろうかと考えます。

また、これまでの①「骨」(かばね)から②「職」(つかさ)そして③「名」(みょう)への変遷は、一連の中央集権化政策による地域勢力の衰退に伴い、並行しつつ、地域に別の価値観・制度を持つ新たな勢力の形成が為され、その後、内紛を抱えた中央権力が、これら勢力を自家嚢中のものとすることを試みたものの、逆に、この新たな勢力に実質的権力を奪取され、さらには権力そのものの源泉が変化するに至りましたが、この所謂③「名」(みょう)の時代区分においても、さきに述べたような中央集権化による地域の衰退そして、それに対する反動として地域勢力の潜在的な活性化が進行し、それが何らかの契機により顕在化し、内紛が生じ、結果、新たな勢力への支配・権力源泉の移行といった現象が生じるのではないかと思われます。

その意味において、ある程度までは、歴史は繰り返すと云えるのだと考えますが、しかし、全く見えないのは、現今、混乱しつつある社会が、今後、どのような具体的な動きによって④「利益」(利)の時代が終焉を迎え⑤「創造」(創)の時代へと移行していくのだろうかということです・・。とはいえ、この「利益」「創造」の時代という考え自体も空想であるのですが、それでも、どのような混乱を通じてかは分かりませんが、近い将来、これまで当然とされていた、「利益」(利)を基準とする価値観が大きく変わり、それに付随し、人間の価値に関しての基準もまた変化していくのではないかと思われるところですが、さて、如何でしょうか・・。

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。









2020年3月17日火曜日

20200316 「大勢三転考」を読んでいて思ったこと

昨日の記事投稿により総投稿記事数が1261に達し、あと30数記事の新規投稿により、1300記事に到達します。また、今後の投稿ペースにつきましては、概ね2日に1記事の投稿にて5月中での達成が可能になります。同時に、当ブログ開始から丸5年を迎える6月22日までの1300記事以上の投稿は、さきの投稿ペースをある程度守ることにより、特に無理なく達成出来るものと考えます。

さて、先日来から読み進めている伊達千広(宗広)による「大勢三転考」は、その後、さらに頁が進みましたが、未だ7世紀半ば、律令制度に入った時代の記述となっています。この頃に一応確立したとされる律令制度により、当時の我が国は、より中央集権的な国家としてのカタチを整え、他方で、土着豪族の勢力が削がれることとなり、それが8世紀を通じて進行し、そして9世紀初頭、平安時代初期には、この律令制度が形骸化しつつあるとの認識から、それを引締め、再び、中央権力の強化をはかる施策がたびたび行われましたが、そうした施策は、主に新たな法令の制定や、その改編といった条文的なものに留まり、実効性は乏しく、くわえて、8世紀末、桓武天皇の御代における、それまで全国に配備されていた国の軍事組織である軍団の廃止により、中央権力強化のための推進力、そしてまた維持機能が大きく損なわれ、以降、全国的な治安の悪化を招き、そこから後世における武士誕生の環境が成立したとも云えます。

しかしながら、当著作は、こうした時系列的な歴史の記述よりも、主として記紀に記されているさまざまな説話・挿話に基づいて解説し論を進めるといった書き振りであり、少し考えてみますと、当著作が著された江戸時代末期においては、現在の我々が慣れ親しんでいる、おそらくは西洋に端を発する、所謂、科学的にして直線的な書き振りといったものは、一般的なものではなく、こうした説話・挿話を用いて外側から自説を固めつつ解説していくような、いわば一種、帰納法的とも云える書き振りが主流であり、また、学術的であるとされていたのではないかと考えられます。

こうした書き振りは、たしかに現在の我々が読んでみますと、その要旨が何であるのかを(すぐに)理解するのには多少苦労しますが、しかし一方で、歴史などの理解に関しては、あるいはこちらの方が、用いることが可能な説話や挿話といった歴史についての情報が多ければ、より精緻な思索が可能ではないかとも思われました・・。

また、そうしたことを考えさせられるという点においても、やはり当著作は面白く、そしてまた有意義であるのではないかと思われましたが、さて如何でしょうか。

今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。







2020年3月16日月曜日

20200315 現象・事象を言語に置換する作業と創造性について

さすがに40年程度生きていますと、自分の向き・不向きといったものは、大体分かるようになります。また、自身の場合、同じ業種・分野に長くいたわけではないことから、それはことさらであると云えます・・。

さらに、かねてより、私は自身について「何か欠落しているのでは・・」と考えていましたが、それも加味して、ここ最近は、自身に合った職種に就いた方が良いのではないかと、以前にも増して切実に考えるようになってきました・・。

しかしながら、そのように経験に基づく消去法のような考え方で「自身に合った職種」を検討してみても、そう簡単に思い付くものではないようであり、あるいは、そうした決断には、何らかの「勢い」のようなものが必要であるのかもしれません・・。とはいえ、その「勢い」に乗って、そうした職を規定してみても、必ずしも、それが自身の性質に完全に適合しているというわけでもなく、あるいはそこでも、また新たに自身の性質を矯めることが必要になってくるのではないかと思われるのです・・。

そうしますと、自身の性質を矯める部分が最小限で済む職について考えてみることが、重要であるように思われてきますが、そうした場合、一応、現在までに4年以上継続している当ブログが、そうしたものを考える上でいくらか参考になるのではないかと思われるのです。

とはいえ、当ブログの作成「のみ」で生きていくことは、現実的ではないと思われることから、そこで培った「何か」を転用することが大事であるのではないかと考えます。

では、継続的なブログ記事に作成によって培った「何か」とは何かと、考えてみますと、それは、端的に「文章作成という一種の抽象化の能力」であると考えます。また、それを異言しますと「本来、文章化されていない現象や事象を、言語によって顕し、以前よりも理解に適うものとすること」と云えます。

そして、こうした現象・事象を言語に置換する作業は、それを行う地盤・背景として、ある程度、学問的な言語の取扱い・運用に通じている必要があると考えますが、そのための学問分野として適切であると思われるのが、理系学問さらには、人類にとって普遍的な人体を取扱う医療系分野であると思われます。

詳細な領域は何であれ、この分野にて、ある程度学問を修め、自身で何らかの言語による発信が出来るようになりますと、それは、おそらく他の興味を持つ分野に対しても波及し、そして、その分野を修めた同様のメソッドにて、他分野についてのことも調べ、修めることが自然と出来るようになるのではないかと考えます。

その点において、おそらく人文社会科学系分野の言語は、必ずしも普遍的とは云えず、あるいは、分野による方言のようなものが強いのではないかと思われるのです・・。しかし他方で、そうした方言とも云える言語を持つ分野もまた、大変重要なものであることから、それを軽視せずに、より高度な領域において、研究が継続されることが望ましいとも考えます。

ともあれ、そうしたことから、管轄省庁などの相違もあるとは思われますが、医療系分野の教育機関の大幅な拡充が、今後、我が国の国際競争力を強化し、そして同様に国内社会での持続可能性を担保する有効な方法であるのではないかと考えるのですが、さて如何でしょうか。

そして、そうした社会になりますと、私程度のブログ記事の継続的な更新は、特に珍しいものではなくなると思われます(笑)。また、そうした社会の方が、たとえ技術はサチュレートしても、創造性が色褪せる・失われることはないものと考えます。

今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。



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2020年3月14日土曜日

20200313 1260記事到達:ブログの継続と読書について

本日の首都圏は日中、気温が上昇し、移動などで体を動かしますと、少し汗ばむほどの陽気でした。とはいえ、明日はまた天気も崩れ、気温も下がるとのことであり、本格的な春の到来までは、今しばらく時間がかかるようです。

さて、今回の記事投稿により、総投稿記事数が1260に到達します。これは大きな区切りではありませんが、それでも残り40記事の投稿により、1300記事に到達出来ることになります・・。これまで当ブログを読んでくださっている皆様、どうもありがとうございます。おかげさまで、どうにか書き続けていることが出来ています(笑)。

書いている自身からしますと、1200であろうが1250記事であろうが、大差はなく、どちらかと云いますと、漫然と続けているわけですが、振り返ってみますと、これまでに当ブログ以外で「継続しているものがあるか」と考えてみますと、あまりなく、自身の根本的な性質は、どちらかというと飽きっぽい方であると思われます・・(苦笑)。しかし、他の物心がつく頃から継続している行為は、これまでに何度か述べたことがありますが「読書」であり、これに関しては集中的に読んでいた時期もあれば、これまた漫然と読んでいた時期もあります。

また、読む書籍の種類は多様ですが、これに関しては、かつてに比べますと、多少硬い、学術書に分類されるような書籍を、分野にもよりますが、比較的気軽に理解しつつ読むことが出来るようになったと云えます・・。

これは、明らかにかつての自身では出来なかったことであり、そこには多少の進歩があったと云えますが、それでも、それはあまり大したことではないように思われるのです・・。

何故ならば、それらは、あくまでも自身の興味の延長線上にあるものだからであり、あまり外部からの必要性に駆られてといったものではないからです・・。

とはいえ、これまでに読むことが出来るようになった分野、各々について、それらの起源について考えてみますと、自然な興味の発露といったものもある一方で、必要性に駆られ読んでいたら、いつの間にか読むことが出来るようになっていた分野もあることから、一概にまとめることは出来ないのかもしれません・・(苦笑)。

いや、あるいは、こうしたものは、それぞれ分野毎で、その動機はさきに述べた通り、多様であるのかもしれませんが、他方で、そうしたものは内部にて関連し合うものであり、それまでの読書によって既に蓄積した知識・知見と、新たに積層されたものが化学的な結合をすることにより、自身と一体化し、それら分野での知識・知見を機に応じて、能動的に使うことが出来るようになるのではないかと思われるのです・・。

そして、これについては、個々人の性質などにより、積層・一体化の構造やパターンが異なることから、容易く一般化することは困難であり、さらに、通常の学校教育システムに必ず適合するというものではないと云えることから、やはり、学校教育のもと、必要性に応じて為される、さまざまな分野の勉強も重要であるとは考えますが、それと同時に、そこで積層・蓄積したものが、その人の本来の性質・本能に近い部分からの興味の発露・成長を圧殺しないようにすることの方が、社会の持続可能性・発展持続性を担保する上において、さらに重要なことではないかと思われるのですが、さて、如何でしょうか・・。

ともあれ、しかし何故、ここでこのようなことを述べるのかと、その動機について考えてみますと、それは、どうにか現在まで継続している当ブログが、さきに述べた読書と同様、自然な興味の発露に基づくものであると考えるからであると云えます。

さまざまな科学・技術の進化発展により、今後、教育も大きく変わっていくことが要求されると思われますが、その変革の際、このことを一つ念頭において頂くと、いくらか社会が面白くなっていくのではないかと思われます・・。

しかしながら、我が国はおそらく、この部分がかなり弱い、もしくは弱くなっていくような普遍的な性質・国民性を持っているようにも思われるのです・・。

あるいはそれは資源が乏しい割に人口が多い国の宿命のようなものなのでしょうか・・。イマイチよく分かりません。

今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。





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2020年3月11日水曜日

20200311 文章化について思ったこと

オリジナルのブログ記事作成の為には、経験や刺激といったものが不可欠と云えます。また、毎日生きていますと、それなりに経験や刺激を得ますが、それが日常化していきますと、それらの中にある、記事の主題・軸となり得る「新奇の要素」を見出しにくくなり、そこから、新たな記事作成が困難になってくると云えます。

また、新たな経験や刺激を得たとしても、それをそのまま即座に文章化して記事とすることは、これまでの経験上、自身の場合は避けた方が良く、それよりも、ある程度の時間を経て、得た経験や刺激が内部にて、こなれてくることにより、他の要素と関連付けた文章として展開することが可能になり、そして、ある意味、気化や蒸散に近いようなカタチでの文章の作成が可能になるのではないかと思われるのです。

おそらく、作成する文章の目的によっても異なるのでしょうが、現在、自身が継続的に作成しているブログなどの場合、さきにも述べた通り「経験や刺激の即座の文章化」は必ずしも賢明でなく、それよりも、多少時間をかけてでも、経験や刺激を抽象化した文章を作成する方が、ある程度の期間の継続を望む場合には、適切であるのではないかと思われます。

とはいえ、この経験や刺激を抽象化した文章の作成は、多くの場合、作成文章を「他の何か」に関連付ける必要性があることから、これはこれで面倒であるのですが、ブログ記事に限らず、それでも継続していくことにより、この「関連付け」の背景(概念)操作がスムーズに出来るようになり、また、そうしてボンヤリとではあれ、構成された背景の様相を文章に移し替えることが出来るようになっていくのではないかと思われます。

また、この文章の移し替えの作業がスムーズに出来、さまざまな経験や刺激そして考えを適切に文章化することが出来るようになることが所謂「文体の獲得」であると考えますが、その意味で自身の場合、未だそこには至っていないように感じられます・・。

しかしながら、やはり当ブログ開始当初と較べますと、いくらかは文章化出来るようになってきたとも思われますので、もうしばらくは続けてみようと考えています。

そして、最後にこうした文章をここ数回書いているのは、未だ現在あまり深くまで理解出来ていないと感じられる伊達千広(宗広)による「大勢三転考」を読み進めていることが要因ではないかと考えられます・・(苦笑)。

その意味において、あまり強い経験や刺激ではないものの、読書もまた、それなりに継続的なブログ記事作成の為には重要であるようにも思われます。

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20200310 内面の動きとコトバそして透明人間?

精確には、どのような理由によるものか分かりませんが、特に季節の変わり目は、スムーズな記事作成が困難と感じられる日が多いと云えます・・。ここ最近投稿した記事を眺めますと、去る2月初旬以降の投稿記事の多くは、あれこれ苦心して作成していた記憶が残っています・・。そこから3月に入りますと、それに多少拍車が掛かり、本日に至っては「さて、どうしたものかな・・。」と感じつつ先程、記事作成を始めた次第です。

他方で、投稿記事数の方は、今回の記事投稿によって1258に至り、1300記事到達まで残り40記事に迫ろうとしています。そして、その為にも、たとえスムーズには行かなくとも、毎回の記事作成が重要であると云えるのですが、その視座から、これまでを振り返ってみますと、書籍からの抜粋引用も時折はありますが、それでも、ここまでよく続けてきたとも感じられるのです(笑)。

そしてまた、現在のようなスランプ状態においては、こうした感慨をも題材として記事を作成することは、頻繁でなく時々であれば、そこまで悪いことではないようにも感じられます・・(苦笑)。

さて、ここ最近は、先日投稿の記事にて述べました「三寒四温」が、もう一段階温暖化して巡って来ているように感じられます。そうしたことから、あるいはブログ記事の作成などにおいては、暑さ寒さ何れであっても、安定している時期の方が適しているのかもしれないと思われますが、たしかに冒頭に述べましたように、季節の変わり目は記事作成に苦慮し、頭を抱えていた記憶が多く残っています・・。

そして、そこから夏に近づいてきますと、徐々に活性が上がり、何と云いますか「勢いに乗って」記事作成が出来るようになるのです・・。また、次に寒くなってきますと、精神も収縮し、文章の内向的な傾向は強くなり、そして悲観的内容の記事をより多く作成するようになると云えます・・。

無論、それ一辺倒ではありませんが、それでも、たしかにそうした傾向は存在し、そこをどのように自分自身を御し、記事作成を継続することも、なかなか面白いところであるのかもしれません。また、ブログ記事の作成に関しては、とりあえず、御する自身を知るためにも、当初ある程度の期間の継続が必要であると考えます。また、おそらく、この期間が思いのほかに長く、毎日の投稿であっても、数か月~1年程度は掛かるのではないかと思われます・・。そして、そこから先も決して記事作成が簡単になるわけではありませんが、他方で、それに慣れることにより、幾分かの不安定さは残りますが、どうにか「安定した継続」と評することが出来る状態になると云えます。

また、さらに、そこから2年程度継続しますと、記事作成は当初期と比べますと、多少スムーズになりますが、体質のようなものの変化が生じ、より多くの時間で、ブログのことを半ば無意識下においても考えるようになり、また、面白いことに、内側から生じるコトバが、ブログでの文章のコトバと近似してくるのです・・(苦笑)。

しかし、ここで重要と思われることは、それ以前は内面のコトバが明瞭に聞こえていたのか。あるいは、内面の動きに精確にコトバを当て嵌めて考えていたのか。であると云えますが、実のところ、この継続期間において、徐々に自身の用いるコトバが内面での動きと連動することが出来るようになり、そして、本来目に見えず、形状化し難い内面での動きに対し、しなやかなコトバの衣を被せ、内面での動きを言語によって(ある程度精確に)表現することがどうにか出来るようになったのではないかと思われるのです。これにつきましては、全身に繃帯を巻いた透明人間の姿を思い起こして頂きますと、その様相を理解して頂けるのではないかと思われました・・(笑)。

また、ここまで書いていて不図思い起こされたことは、こうしたことは、現在読み進めている伊達千広(宗広)著「大勢三転考」での記述とも関連があるのではないかと云うことです。つまり、本来目に見えず、形状化し難い「歴史」に対する理解の仕方は、現段階においてはコトバを用いる以外になく、また、その方法は、さきの内面とコトバの連動とも同様・類似したメカニズムといったものがあるのではないかと思われるのですが、さて、如何でしょうか・・。

今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。







2020年3月8日日曜日

20200307 よく分からない著作を読みつつ思ったこと・・

先日、岡義武による「国際政治史」を読了し、現在は伊達千広(宗広)による「大勢三転考」を読み進めていますが、未だ十全に意味を理解しつつ読んでいるという状態ではなく、だちらかと云うと「眺めている」といった状態に近いと云えます・・(苦笑)。とはいえ、著者の書き振りであるのか、あるいは同時代著作に多く見られる特徴であるのか分かりませんが、歴史上からのたとえ話を多く提示し、いわば「帰納的」に、その述べるところの意味を伝えようとしている傾向があると云えます。(たしかコンラッドによる「闇の奥」にも同様の記載があったと思われます・・。)

また、それを読んでいる自身としては、未だ、その意味するところや文脈がよく分からないところが多いのですが、それと同時に、徐々にではありますが「筋が通ってきている」といった感覚も受けつつあります。ちなみに現在読み進めている同著「骨(かばね)の時代」の項では、提示している歴史上の話の殆どは、通常、古代あるいは古墳時代に分類されるものであり、そこから、国学者でもあった伊達千広(宗広)が、記紀を深く読んでいたことが理解され、また、同時に江戸時代末期の国学者の有様、考え方のようなものが伝わってくると云えます。

くわえて、さきに「帰納的」と述べましたが、そこで思い出されるのは、自身がかつて研究していた紀伊半島西南部地域における雨乞い祭祀についてです・・。

この研究は、とりあえず拾える資料から同地域にて行われていた雨乞い祭祀についての記述を収集し、それらを地図上にプロットし、他方で雨乞い以外の同地域全般の歴史、文化的背景などについての理解を深め、そして、それらの関連性を考察し、何かしらの説・筋が立った新たな物語の提示を試みるといったものでした。

そして、その下ごしらえとも云える、地域で行われていた雨乞い祭祀具体例の収集、そして地域の歴史的文脈の理解については「ある程度出来た」といった感覚を得るに至りましたが、次の最も重要な仕上げ段階とも云える、新たな説や物語の提示がなかなか難しく、現在でも「上手く説明出来た」といった自覚はありません・・。

とはいえ、この研究により、まさしく、さきの「帰納的な手法」で提示出来たと思われることは、自身が特異と考えた「牛の首を滝などの水源に投げ込み降雨をはかる、祈祷する」といった手法の雨乞い祭祀が、古いものであれば景戒による「日本霊異記」に数例記載があり、また、それは明治時代以降においても継続していたとの記録が複数あることから、その我が国における淵源は、新しくとも奈良時代、そして、そこから近現代に至るまで、おそらくは連綿と地域におけるお祭祀文化として継続されてきたものであることを示唆出来たということです・・。

さらに加えて、同地域における銅鐸の出土地をプロットしてみますと、それはそれで面白いのですが、そこからは未だ、ある程度明瞭な説・筋道の立った物語は提示出来そうにありません・・。しかし他方で、歴史などについて、ある程度までの理解が深まりますと、こうした関連のありそうな近隣領域の知識とリンクしそうな感覚を覚えるに至るわけですが、こうした感覚がパッと思い付く時がなかなか面白く、面倒とは思いつつも色々と読み続けてしまうのではないかと思われます・・。

今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございました。

2020年3月7日土曜日

「以前と比べると、春が近づいていることを実感する日が増えてきましたが、それでも、まだ寒い日が多く、また世間では新型コロナウィルスによる影響か、社会全般の活性が下がっているようにも見えますが、そちらはお元気ですか。」

「ええ、つい先日は風邪をひいてしまい、その後、大体は回復しました。しかし、どうしたわけか、まだ少し体の節々が痛みますね・・(苦笑)。また、仕方がないのかもしれませんが、たしかに社会全体が何と云いますか、色々と自粛ムードですね・・。この風潮は一体何時頃まで続くのでしょうか・・。」

「ううん、ウィルスの感染は暖かくなってきますと収まってくるようですので、ゴールデン・ウィーク頃までには、通常に戻っているのではないでしょうか・・。まあ、少し希望的観測も入っているけれどもね・・(笑)。」

「はあ、そのようなものなのですね・・。

2020年3月5日木曜日

20200304 「創造的退行」というコトバから思ったこと

今回の新規投稿を含めて45記事の投稿により総投稿記事数が1300に到達します。また、今後、毎日1記事のコンスタントな投稿は困難であるとは思われますが、それでも、6月前には1300記事に到達出来ればと、少し考えを変えました。また、それに加えて少し以前から、こうした文章の作成によって生きていくこと、あるいはその一つの柱とすることが出来れば、とも考えるようになってきましたが、未だ、その道筋はまるで見えませんので、とりあえずは1300記事、そして丸5年間の継続までは、あまり考えずに記事作成を続けて行こうと思います(笑)。

ネットで調べてみますと2年間のブログ継続(3カ月に1記事の更新にて継続と判断)は全体の10%程度とのことであり、そうしたことから、とりあえず4年間は続いている当ブログは「多少はスゴイのかな?」と思うところですが、そうした実感は全く湧いてきません。それよりも、意識的ではなくとも、そうした環境を提供してくれた周囲の環境をありがたく思い、また、睡眠時間を削ってまで記事作成を行っていた開始当初の2年間程は、現在もそうであるかもしれませんが、何かに憑かれていたのではないかとすら思われます・・(苦笑)。

さて、一言で「憑かれていた」と表現しましたが、それはおそらく、一種の強迫観念のようなものであり、現在では、さきの期間に比べますと和らいだとは云えますが、それでも、全くなくなったわけではなく、具体的に云いますと、書籍を選ぶ際においても「これはブログ記事のネタになりそうだ。」などと考えてしまったり、あるいは移動中などに不図、何かしら面白そうな考えが浮かびますと、それを忘れないようにメモをしたり、持参している書籍に書きこんだり、あるいは口遊んだりといった行動をするようになり、見様によれば「退行」ともとれる行動をするようになったと云えます・・(苦笑)。

しかしながら、心理学の考えでは「創造的退行」というコトバがあるようで、さきの行動も、また(いささか勝手ながら)見様によれば「創造的退行」ともとることが出来るのではないかとも思われるのです。また、こうした考えを、大きな歴史の流れに当て嵌めて考えてみても面白いように思われます・・。

秩序立った社会を「進化」したものと考えるならば、その反対の「退行」とは、秩序が混乱している社会であると云えます。また、創造的な活動全般に関しては、秩序立った社会であるよりも、混乱とは行かなくとも、さまざまな価値観が混在、混沌として揺れ動いている社会の方が、より活発に為される傾向があるのではないかと思われます・・。

また、混乱や混沌の状態からはじまり、そこから秩序の形成に至るまでの流れ、リズムに関連して創造的活動の顕れ様も変化していくのではないかと思われます。そして、そこから、ある国や地域が持つ特徴といったものもボンヤリとながら見えてくるのではないかと思われますが、さて如何でしょうか?





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2020年3月4日水曜日

20200303 買置きしたものから・・

おかげさまで先日投稿の「読書による性質の変化について」が、アメーバブログにて人気記事にランクイン(30位)となりました。これまでに何度かランクインさせて頂いていますが、未だにこの判断基準がよく分かりません・・。とはいえ、それでもランクインはいくらか嬉しいものであり、もうしばらく記事作成を継続してみようという気にさせてくれます・・(笑)。

さて、昨日の記事作成時にはすっかり忘れていましたが、昨晩、就寝前に、買置きして未だ読んでいない書籍があることを思い出しました。それは筑摩書房の「日本の思想」という全集の第6巻であり、当巻に収録されている伊達宗広(千広)による「大勢三転考」を読みたいと考え購入していました。

この「大勢三転考」も、さきの「読書による性質の変化について」で出ました山本七平による著作で知り、興味を持った著作であるのですが、さらに面白いことは「大勢三転考」の著者である伊達宗広(千広)は、これまた当ブログにて度々とり上げた陸奥宗光の実父であるということです・・。

ある程度書籍を読み、そして自分の好みのようなものが出てくるようになりますと、こうした、しょうもないですが、面白いことが生じるのではないかと思われます(笑)。

ともあれ、そうした経緯にて昨日から「大勢三転考」を読み始めた次第ですが、幸いなことには、そこまで文量が多くなく、また現代語訳が下段に附記されていることから、比較的読み易いのですが、しかし、肝心の意味がイマイチよく分かりません・・(苦笑)。

こうした時は、上段記載の原文と比較し、吟味しつつ読み進めるのが良いと思われるため、多少面倒ではありますが、自分なりに意味が通るようになるまで読んでみようと思います。また、こうした著作は読み進めるにつれ、慣れてくるといった部分も少なからずあるのではないかと思われます。

分かってもいないのに書くことは、気が引けますが、大まかに、この「大勢三転考」は、一種の歴史論であると云え、そこでは、我が国の歴史では、人間の価値を決める主な要因が二度大きく変化したとしています。先ずはじめが骨(かばね)の時代、次いで職(つかさ)の時代、そして名(みょう)の時代としてします。とはいえ、今現在、骨(かばね)の時代についての記述を読んでおり、イマイチその内容を掴んでいませんので、おいおい分かってきましたら、あらためて記事として書いてみようと思います。

ともあれ、江戸時代末期に書かれた当著作もまた、なかなか面白く、現代の研究者や著述家があまり書きそうもないような記述に出会いますと「はああ、なるほどお・・!」といった感覚を覚えるわけですが、そうした時に一瞬、その時代の時代精神あるいは時代の情景といったものが脳裏に浮かぶことがありますが、これはなかなか面白く、あるいはこうしたことを継続していきますと、意識的に、その書かれた時代の時代精神に身を置いて考えること、あるいは感覚のスイッチを切り替えるようなことが出来るようになるのかもしれません・・。

そして、このようなことを考えてみますと、次にウィトゲンシュタインの「論理哲学論考」の記述が思い出されるわけですが、とりあえず本日はこのあたりで止めておこうと思います。

今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。


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2020年3月3日火曜日

20200302 今後読んでみたい書籍から思ったこと

今後2~3日に1回の記事投稿頻度にて来る6月22日まで記事作成を継続することにより、ブログ開始5年にて1300記事を投稿したことになります。また、そうしますと同時に、この5年間、10日のうち7日以上の割合で記事を投稿し続けたことになりますので、自身としてもいくらかは頑張ったと云えるのではないかと思われます・・(笑)。

さて、先日、岡義武著「国際政治史」を読了以来、特に本腰を入れ、新たな書籍を読み始めてはいませんが、しばらくはこうした期間も良いのではないかと思われます。しかしながら、面白いもので、何かしら書籍を読んでいないと、ブログ記事の作成もスムーズに行かないようであり、その意味で、今回の記事作成に関しては、いくらか痛痒を覚えていると云えます・・(苦笑)。

ともあれ、そうした経緯から、さきほどアマゾンのサイトにて、ほしいものリスト、およびカートを見てみますと、過去の自分がリストやカートに追加した書籍が掲示されるわけですが、それらの中で、現在見ても「これは面白そうだ!」と感じられた書籍は岩波書店刊 近藤義郎著「前方後円墳の時代」であり、頁も500頁超となかなかのボリュームであることから、多少尻込みもしますが、それだけに読んでみたいとも思えるのです・・(笑)。

また、大戦争と、その後の冷戦体制といった重苦しい展開にてむすんだ前回の著作から、ロマンや想像をかきたてられる我が国の古墳時代についての著作を読むことは、より現在の欲求に適っているのではないかとも思われる次第です。

自身は、いくつかの時代について扱った著作を、周期的に、ある程度集中して読む傾向を持っていると云えますが、我が国の考古学にハマった時期は比較的遅く、さきの記事にて書きました山本七平の著作を読み始めたのと、大体同じ頃、20代半ば頃であったと記憶しています。

当時は和歌山県在住であり、近隣に当時の自身ではよく分からない遺跡などを割合多くあったことから、帰郷時に神保町の古本屋街で読み易そうな考古学についての古書を探したり、あるいは父親の書斎から考古学関連の著作、そして写真の多い「別冊太陽」のような雑誌を引っ張り出してはバッグに詰めて持ち帰り、和歌山の寓居で読んでいました・・。

ちなみに、この昭和期に刊行された「別冊太陽」と同判の写真の多い雑誌は、内容も良く、読み易く、そして面白いものが多かったように記憶しています。ああいった雑誌は、おそらく平成も過ぎた令和の現在では、作ることは難しいのではないかと思われます・・。

ともあれ、当時の私は、そうした雑誌に掲載されている写真や記述に触発され、近隣の遺跡や古墳をはじめ、休日には遠出をしてまで見に行くようになりました。また、こうしたことを書いていて想起されるのは、不思議なことに夏の情景なのです・・(笑)。

蝉が鳴く中、神保町で購入した古書の記載を頼りに、手ぬぐいを首に巻き、汗をかき、蚊を払いつつ、その路中から、おそらく、ここ数年は誰も入ったことのないように思われる草生した横穴式石室様式の古墳に辿りついた時の感覚は、ただの達成感とはまた違う、充実した感覚がありました・・(笑)。

そして、そうした感覚を何度か経験しますと、さきの考古学関連の著作をより、自然に身を入れて読むことが出来るようになり、さらには大学の図書館などにも頻繁に足を運ぶようになりました・・。

さて、今後の自身には、果たして、こうした変容といったものは再び生じることはあるのでしょうか・・(笑)。

今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。
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