筑摩書房刊 開高健著「開高健ベスト・エッセイ」
pp.158-160より抜粋
ISBN-10 : 4480435123ISBN-13 : 978-4480435125
小説を書くにはどうすればどうすればよいかということは百人百説で、めいめいがオマジナイや処方箋をもっている。パイプを三服ふかさなければとりかかれないとか、耳の垢をホジらないことには落ち着けないとか、タバコを一箱買いに行ってからとか、いろいろである。デュマはサロンにどかんと腰をおろして雑談をするとそれがことごとく小説になるのでサロンの常連からデュマ小説製造株式会社という仇名をつけられたとか、というような話もあるけれど、そんなのは例外である。
一番多いのは酒、タバコ、それから〆切日が近づくと、ノーシンなどが机のまわりに登場するらしい。私はあまり飲まないがこの薬は奇妙に評判がよくて、あちらこちらで苦笑まじりに噂を聞く。流行の尖端をゆく小説家がシェーファーの万年筆をおいてやおらノーシンの箱に手をのばすなどという風景はいかにも日本らしい。トッポい名前が安心感をさそうのだろう。
コーヒーについてはバルザックが派手な、しかし彼の実力からすればまんざら嘘でもないような賛辞を捧げている。なんでも彼は一日に60杯飲んで12時間書きに書き続けたという噂である。ちょっと引用すると・・・
「・・・こいつが胃の中に入ると昂奮してカーッとなる。戦場にのぞんだナポレオンのひきいる常勝軍のおうに妙想が雲のようにはげしくわきだす。軽騎兵が疾風のようにかけるようにイマージュが飛ぶ。砲兵隊がつうけざまに大砲をブッ放すように論理が躍動する。自然に微笑が浮かぶ。インキが原稿用紙のうえに一面にパッと散る。戦闘開始。インキの洪水が見る見るうちに長編小説を仕上げてくれる。まるで戦争に火薬を使うように・・・」
恐れ入りましたとひきさがるばかりである。
これらは机に向かってからの話だが、それ以前に用意されてある小説のヒントそのものはどうして入手するのか。これまた百人百説で、お菓子のかけらをお茶に浸して口に入れた瞬間に半生の時間を回復した人物もいれば、ライオン狩りや闘牛をやらないことにはダメだとする猛者もいる。チェホフはサラリーマンのようにせっせとメモをつけ、モームは南洋くんだりくんだりからモスクワまで旅行した。万人万様である。
書くものがどうやら発表できるようになった頃のこと、私は毎日タクシーのメーターを眺めているような気分におそわれて憂鬱だった。雲の妙想、軽騎兵のイマージュ、大砲の論理、なにひとつとして在庫皆無である。コーヒーを飲むと酔うし、闘牛をやるには体重が13貫しかない。しようがない、お酒を飲んでフテ寝をした。稼げるのに稼がないのはなんと贅沢な快楽であることか。肘枕、かすんだ目を細くひらき、くちびるをかみながらカッと射す西陽を眺めて暮らした。そのうちに半ば真性のノイローゼとなり、ほんとに衰弱してしまったのにはまったく手を焼いた。
しようがないから好きなE・H・カーの名作「バクーニン」でも翻訳してやろうかと思ったが、これは埴谷雄高氏から、
「ダメだ、ダメだ、そんなことするとますます小説が書けなくなるよ」といわれたのでよしにした。思うに埴谷氏は自分のことをいっていたのである。一年ほどしてから会ってそのことをいうと、まえとまったくおなじ警告をうけた。「道ですれちがった女の匂いがムンと鼻先に迫って離れないような状態におかなくちゃあ」というのが氏の処方箋であった。
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