医専大卒業後は、そのままK大学大学院に進学した。ここに至るまでは色々とあったが、ともあれ、どうにか進学することは出来た。また、この進路は転居を要さず、むしろ通学先はさらに近くなることから、楽になると思われたのだが、私の住むアパートの敷地を出てすぐに坂があり、その坂のさきにK大学があるのだが、この坂が意外なほどに険しく、通常の自転車では、一度も地に足をつけないで上り切ることは困難なほどであった。
そうした事情もあり、入学後すぐに中古にて原付を購入したが、首都圏在住時は、その交通事情から、さすがに危険であると考え、乗ることを控えていた原付にいざ乗ってみると、これがかなり便利であり楽しかった。休日に鹿児島から桜島フェリーに原付を載せ、大隅半島側に渡り、垂水、鹿屋を抜け、大崎や志布志の地域を一周したこともあったが、当時の私にとって原付は、とても新鮮に感じられる一種の遊び道具のようなものでもあった・・。
さて、K大学大学院に進んでからの日常は、医専大の頃と大きく変わりはなかったが、今までの医専大では教えられる学生という立場であったが、ここK大院では、他の研究室の先生からすると、私のような歯科技工士なり立て1年目のいわばオールド・ルーキーの院生でも、何かの専門家として扱われることから、あまり下手なことは出来ず、云えないような雰囲気であった・・。
朝、研究室に着くと、その一角にある自分の席に荷物を置き、既に出勤されている研究室の先生方に挨拶をしてから、その時間には大抵在室であったS教授の研究室に行き、当日の予定などを聞き、特に用事がなければ、依頼を受けていた、さまざまな試料の作製に取り掛かり、そして、それと併行して自分の研究分野と関連すると思しき先行研究、著名な論文などを読み、辞書をひいては訳していくといった作業をしていた。
片や先行研究の読み込みで、もう片方は1000℃以上にまで加熱された電気炉内から試料の出し入れなどを行っていたことは、現在考えてみると、あるいは少しおかしかったのかもしれないが、当時としては、そうしたことも考えずに、ただただ作業をしていたことが思い出される。とはいえ、こうした事情は、当研究室を修了された他の先生方もまた概ね同様であり、それぞれ先生方が行っている手指を用いる実験と、論文の読み込みや作成などの文章仕事とのバリエーションに特徴があり、これもこれで興味深いものであったと云える。
そういえば、S教授には、同じ研究分野にて着実に地歩を固めつつある若手の後継研究者と云われるような存在はなく、むしろ逆に、この研究分野、いやS教授のもとで学位を取得されると、どうしたわけか、より素の自分に近いと思われる研究分野へと進まれて行くといった不思議な傾向があるように見受けられた・・。
一面的ではあるものの、良い指導教授とは、あるいは本来そうしたものであるのかもしれない。
今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。
連絡先につきましては以下の通りとなっています。
メールアドレス: clinic@tsuruki.org
電話番号:047-334-0030
どうぞよろしくお願い申し上げます。
0 件のコメント:
コメントを投稿