中央公論社刊 トム・ホランド著 小林朋則訳 本村凌二監修
「ルビコン」 共和政ローマ崩壊への物語 pp.17‐23より抜粋
SBN-10: 4120037649
ISBN-13: 978-4120037641
『昔々、共和政になるまで、ローマは代々国王が治める国であった。そうした王様の一人で尊大な暴君だったタルクィニウス王のころの出来事として、こんな不思議な話が伝えられている。ある日、王の宮殿に一人の老婆が訪ねてきた。この老婆、両手いっぱいに九冊の本を抱えていて、国王の前に出ると、この本をお買いになりませんかと切り出した。ところが値段があまりにも高く、王は笑って相手にしなかった。すると老婆は、値引きする気はまったく見せず、何も言わずに立ち去ると、九冊のうち三冊を火にくべた。そして戻ってくると、残った六冊をお買いになりませんかと言う。値段は最初の九冊からびた一文も引かれていない。王は、ちょっと迷ったけれど、それでもやっぱり断ると、老婆は再び立ち去って、さらに三冊火にくべる。タルクィニウスは、自分が要らないと言った本に何が書いてあったのか、もう気になって仕方がない。老婆が三冊だけになった本を持って、みたび王宮にやってくると、王は九冊分の値段で即座に三冊を買い取った。老婆はお金を受け取ると、煙のように姿を消した。それから二度と現れることはなかった。
この不思議な老婆は、いったいぜんたい何者なのだ?さっそく三冊の本を開いてみると、そこには驚くべき予言がびっしりと書かれている。これでだれもがピンときた。これほどの予言が書ける女は一人しかいない。アポロン神の巫女シビュラだ。これで名前は分かったけれど、実際この巫女については分からないことの方が多い。何しろシビュラにまつわる言い伝えは、どれもこれも不思議なものばかりだったからだ。トロイ戦争を予言したと伝えられていて、そのため人々の間では、シビュラは十人の女預言者の総称なのだとか、不死身の女性なのだとか、千年も生き続けるよう宿命づけられているとか、言われていた。中には、特に知識人を中心に、シビュラなんて巫女はそもそも存在しないんだと言う者もいた。いずれにしても、確実に言えることは二つだけ。シビュラの予言書が確かに目の前にあることと、その予言書には、角張った古いギリシャ文字で、これからおこるはずの出来事が記されているということだ。予言書が全部灰になる前にタルクィニウスが買い取ってくらたおかげで、ローマ人は未来をのぞける窓を手にしたのである。
もっともタルクィニウスは、この窓をちゃんと生かすことができなかった。前五〇九年、無血クーデターが起きて追放されたのだ。建国以来二〇〇年以上も王が統治してきたローマも、この第七代タルクィニウスが最後の王となった。追放と同時に王政そのものも廃止され、代わって自由な共和政が採用された。これ以降、ローマ人は「王」の称号を異常なまでに毛嫌いするようになる。何しろ「王」という言葉が聞こえただけで、震え上がって耳をふさいだというくらいだ。反タルクィニウスのクーデターが目指したのは、自由の実現だった。君主のいない都市だけが持つ自由。自由こそ、あらゆる市民が生まれながらにして持っている権利である、市民の市民たる証なのだ。でも、将来だれかが独裁者になろうと野望を抱き、この神聖不可侵な自由を踏みにじるかもしれない。そんな事態を未然に防ぐため、共和政を築いた人々は、これまでにないまったく新しいシステムを作り出した。任期一年の政務官を二人選出し、この二人に、追放された王が持っていた権限を均等に分け与えたのである。この政務官を執政官(コンスル)という。ローマ市民のトップに立つ執政官を二人にすることで、危険な野心を抱かぬよう互いに監視させようとというわけだ。これを見ても分かるように、共和政は、ローマを二度とたった一人の最高権力者に支配させたりはしないということを第一に考えていた。執政官を二人にするとは、一見するとずいぶん思い切った手だけれど、実際は、ローマ人が過去から完全に切り離すような抜本的な大改革じゃなかった。王がいなくなっただけで、それ以外はほとんど何も変わらなかったからだ。新たに始まった共和政は、根っこの部分で過去とつながっていて、しかもその根をたどっていくと、はるか遠くの過去に行き着くことさえ少なくなかった。例えば、執政官は特権として平服(トーガ)に王を象徴する紫色の縁取りを付けていたし、鳥占いを行う際の儀式はローマ建国のずっと前から受け継がれてきたものだ。中でも過去とのつながりをはっきり示しているのは、何と言っても例の予言書だろう。不死と思えるほど長寿のシビュラが書き記し、タルクィニウス王が追放されるときに残していった、あの三巻の予言書だ。
その内容は国家機密として厳重に保管され、見ることのできる人間も厳しく制限されていた。もし写し取ったりすれば、袋に詰め込まれて口を縫い閉じられ、海に放り込まれて殺される。予言を見ることができるのは。異変が迫っていることを示す前兆が現れ、国家の一大事に直面しているときだけだ。万策尽きると、特別に任命された政務官が名を受け、ユピテル神殿へ登る。この神殿に、予言書は厳重に保管されているのだ。巻物を開き、消えかかったギリシャ文字に指を走らせる。そして予言を解読し、神々の怒りを鎮めるのに一番いい方法は何か、助言を探し出すのである。
助言は必ず見つかった。もっとも、ローマ人は信心深い半面、現実的なところもあって、宿命論にはかなりの抵抗感を抱いていた。そんなローマ人が未来を知りたいと思った理由はただ一つ、知っていれば破滅をうまく食い止めることが出来ると考えたからだ。空から血の雨が降り、大地の亀裂から火が噴き出し、ネズミが黄金を食べる。こうした恐ろしい前兆は、言ってみれば神々からの督促状で、自分たちが神々への義務を果たしていない警告と見なされた。神々の信頼を取り戻すため、ときにはローマに異国の祭儀を取り入れたり、それまで知られていなかった神を崇拝したりすることもあった。でもたいていは、こしたものを排除するのが普通で、政務官たちは、おろそかにされている伝統がないか懸命に探し回った。過去の姿を取り戻し、今までと同じやり方を守ることで、国家は守られていると考えていたのである。
こうした思いを、ローマ人なら誰もが心の奥底に秘めていた。それは、社会が大きく揺らいでも変わりはない。現に共和政になってから、ローマは一〇〇年にわたって次々と試練が訪れた。社会は激しく動揺し、多くの市民が声高に権利の拡大を求め、制度改革がひっきりなしに行われた。でも、こんな激動の時代にあっても、目新しいことイコール好ましくないことなのだ。もっとも、使えるものなら何でも使うのがローマ人。新たな事柄も、神々の意志だとか古代の習慣だとか、とにかくうまく言い繕って取り入れることもある。でも単に新しいということだけで受け入れることは絶対になかった。ローマ人の気質には、保守性と柔軟性がうまい具合に同居している。何でも役にたっている限りはそのまま使い続け、具合が悪くなったら手直しして使い、とうとう役に立たなくなっても捨てずに大事にとっておくのが常だ。言ってみれば、共和政ローマは建築現場とガラクタ置き場が一つになったような状況だったのだ。ローマの未来は、ごちゃごちゃした過去の遺物に囲まれながら築かれたのである。』
2020年4月29日水曜日
2020年4月28日火曜日
20200428 架空の話・其の3
【架空の話】
「「あと、現在も大学での数少ない友人はこのK県の出身者でして・・」と話しているうちに、その数少ないというよりも、唯一と云っても良い友人であるBのことを思い出していた・・。このBと云う友人は、同じ大学の経済学研究科の修士院生であり会計学を専攻している。そして、さきにも触れたがK県の出身であり、聞いたところによると、その父親は公立病院にて院内薬剤師として勤務しているとのことであった。そのため、時折、医療系の話題が出たが、歯科関連について話題になったことはこれまでになかった。しかし、B自身は、銀行などの金融系への就職を希望しており、当時活発に就職活動を行っていた。ともあれ、そのようなことを思い出し先生の会話に意識が戻り「ええ、それは少し面白そうですね。しかし、その歯科技工士はどのような仕事なのですか?と素人丸出しの質問をすると、先生は「うん、歯科技工士は平たく云うと入れ歯や銀歯などを作る職人さんと云えるのだが、現在、さまざまな工作機械や材料自体も進歩してきて、その職務内容も大きく変化しつつあるのだ。そうした、まあ不安定な過渡期とも云える時期であるから、あまり成り手が少ないのかもしれないけれども、この仕事は、この先もなくてはならない重要な仕事なのだ・・。それだからこそ、最近は色々なところでこれまでの専門学校から大学に替わってきつつあるのだ。だから、このハナシはちょっと検討してみても良いと思うよ・・。」とのことであった。そこで単純な私は少し高揚して、帰宅したその日の夜に早速Bに電話を掛け、この歯科医院で聞いたK県の専門職大学のハナシを伝えたところ「うん、その専門職大学新設のハナシは前に親から聞いたことがあったが、これが出来たのは大学2年の時であり、受験するには時既に遅しだったのだ・・。それよりも最近、地元K県の地銀の面接に呼ばれた。」と嬉しそうに話し、そして「明日は時間があるから少し話そう。」とのことであった。また同様に、家族に先生から聞いた専門職大学のハナシをすると「学費が安ければ、どうにかなるかもしれないが向こうに行ったら生活はどうするのだ?」とのことであったが、それでもエンジニアの父親の性格からすると、手に職をつけることは、少なくとも現在の非生産的な文系院生よりかは大分マシなことであると考えているフシがあったように感じられた・・。また、K県のハナシでは、K県の県庁所在地に今なお先祖の墓があるとのことであり「もし本当に受験して受かれば一度、そこも見てくると良い。」とのことであった。その墓は現在も遠い親戚が管理してくれているとのことであり、少し気の遠くなるハナシではあるが、私の先祖がこちらに移住してきたのは、明治10年の西南戦争の前であり、当時の親戚の多くは、この西南戦争に西郷軍側に従軍し、亡くなったとのことであった・・。私の先祖の方はその後、東京の学校を出て役人になり、最終的には国策で設立した会社で、ある程度の地位に就き、引退後は故郷のK県を思わせる温暖な静岡県沼津市に小さな家を買い、年の大半をそこで過ごしていたとのことであった。この沼津の家は現在も親戚が住んでいる。とはいうものの、ズボラな私は、そうしたことばかりに意識が向き、当日、歯科技工士がどういった職であるかなど調べずに、翌日の昼過ぎに大学近くにある行きつけの喫茶店で、数週間ぶりにBと会った。
久しぶりに会ったBはなるほど、金融系を志望する学生らしく、整った小ぎれいな服装をしていたが、しかし、ここで少し力を入れて話さなければならないことは、この目の前にいるBの服装についてである・・。」
*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
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conrad19762013@gmail.com
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20200428 事実に立脚した想像(創造)について
A「ここ数回は物語のような記事を投稿していますが、あれは大体ご自身の経験がもとになっているのですか?」
B「・・ええ、読んでくださっているのですね。どうもありがとうございます。直近2回の投稿記事は、たしかに自分の経験に基づいていますが、投稿してみますと思いのほか多くの方々に読んで頂き、少し驚きました。そこで、この調子にて、もうしばらく記事作成をしようと思いましたが、一方で、そのまま書き続けるのも少し芸がないと思ったことから、その間に対話形式などの記事を挟んでみようと思っています・・。」
A「いえ、別に他のそうした記事を挟まなくても、読んで頂いている方々がそれなりにいたのであれば、そのまま続ける方がむしろ、良いのではないでしょうか?」
B「ああ、たしかにそうかもしれませんが、さきほどのコトバをより精確にしますと「芸がない」と云うよりも、そのまま戯曲的あるいは直線的に書き続けますと、やはり、その分早く終わってしまいますから、そうした物語作成の背景のようなものを記事として挿入した方が、いくらか全体の幅が広がり、面白味も増すのではないかとも思ったのです。また、現在の新型コロナウィルス感染症による外出自粛によってストレスが溜まり、あのような自身としては珍しい架空の物語を、半ば勢いで作成したとも云えるのですが、面白いことに、そのような背景で作成した記事がそれなりに読んで頂いているのです。」
A「ふーん、そうしますと、今回の外出自粛のによって、あのような記事が出来たということになるのですね・・。まあ、それはそれで期せずして新たな創造の転機になったということになるのでしょうか。」
B「ええ、そうです。まさに新たな創造の転機として今回の外出自粛が作用したと云えますし、また、現在もなお、割合悶々とした状態で記事を作成しているのですが、そうした状態では、論理によって構築するような記事よりも、客観的に認識し得る現実の世界と、そうでない自分のイメージした世界が混淆したような世界を描きますと、それなりに気が晴れるものなのです・・(苦笑)。」
A「うん、まあ、逆に現実が晴れ晴れとした状態では、あまり理想を述べるような必要性や衝動も生じないのかもしれませんね・・。しかし、それでも一応、事実と思われるところに立脚して文章を書いているところが重要であるのかもしれませんね・・。つまり、そうしてイメージされた世界は、事実と近過ぎて事実そのものを述べるような文章である必要はないのかもしれませんが、他方で、事実から遠のきすぎても、読む人々からすると、あまり理解できず、共感することも難しくなるのではないかと思います。その事実からの遠近の匙加減が重要なのだと思います・・。」
B「なるほど、それはたしかにそうかもしれませんね・・。しかし、その意味では現在の我が国のさまざまな文物は特にアニメを中心として、日常的な現実から離れようとする衝動がとても強いのではないかと思われます。あるいは、そうした事実によって象徴される硬質と思われるコトバを散りばめて、そうしたことを敢えて曲解しようとしているようにも思われます。これはかねてからの伝統であるのか、近年はじまったことであるのかイマイチよく分かりませんが、我が国の文化全般を考えるうえで、一つの特筆すべき事柄であるように思われますね・・。」
A「・・たしかに最近の我が国は特に、何であれ雰囲気重視のところがあるように思われますね・・。これは、より多くの受けを狙った結果であるのか、あるいは本当に能動的にそのようなものを創作しているのかは分かりませんが、時々怖いと思うことがありますね・・。最近の外出自粛で、どうもテレビを観る機会が増えてきますと、そのように感じられますね・・。」
B「ええ、しかし、こうしたことをテレビ側から云わすと「お前らこそ事実をよく見ろ!」といった反論が出てきそうなところが、より一層怖いのです・・。と、まあそのような感じでナチス党政権下でトーマス・マンはドイツに居辛くなったのだと思いますし、丸山眞男氏は当時の若者たちに吊し上げられたのではないでしょうか・・。その意味において、我々はあまり前世紀から進歩していないのかもしれませんね・・。」
*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
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B「・・ええ、読んでくださっているのですね。どうもありがとうございます。直近2回の投稿記事は、たしかに自分の経験に基づいていますが、投稿してみますと思いのほか多くの方々に読んで頂き、少し驚きました。そこで、この調子にて、もうしばらく記事作成をしようと思いましたが、一方で、そのまま書き続けるのも少し芸がないと思ったことから、その間に対話形式などの記事を挟んでみようと思っています・・。」
A「いえ、別に他のそうした記事を挟まなくても、読んで頂いている方々がそれなりにいたのであれば、そのまま続ける方がむしろ、良いのではないでしょうか?」
B「ああ、たしかにそうかもしれませんが、さきほどのコトバをより精確にしますと「芸がない」と云うよりも、そのまま戯曲的あるいは直線的に書き続けますと、やはり、その分早く終わってしまいますから、そうした物語作成の背景のようなものを記事として挿入した方が、いくらか全体の幅が広がり、面白味も増すのではないかとも思ったのです。また、現在の新型コロナウィルス感染症による外出自粛によってストレスが溜まり、あのような自身としては珍しい架空の物語を、半ば勢いで作成したとも云えるのですが、面白いことに、そのような背景で作成した記事がそれなりに読んで頂いているのです。」
A「ふーん、そうしますと、今回の外出自粛のによって、あのような記事が出来たということになるのですね・・。まあ、それはそれで期せずして新たな創造の転機になったということになるのでしょうか。」
B「ええ、そうです。まさに新たな創造の転機として今回の外出自粛が作用したと云えますし、また、現在もなお、割合悶々とした状態で記事を作成しているのですが、そうした状態では、論理によって構築するような記事よりも、客観的に認識し得る現実の世界と、そうでない自分のイメージした世界が混淆したような世界を描きますと、それなりに気が晴れるものなのです・・(苦笑)。」
A「うん、まあ、逆に現実が晴れ晴れとした状態では、あまり理想を述べるような必要性や衝動も生じないのかもしれませんね・・。しかし、それでも一応、事実と思われるところに立脚して文章を書いているところが重要であるのかもしれませんね・・。つまり、そうしてイメージされた世界は、事実と近過ぎて事実そのものを述べるような文章である必要はないのかもしれませんが、他方で、事実から遠のきすぎても、読む人々からすると、あまり理解できず、共感することも難しくなるのではないかと思います。その事実からの遠近の匙加減が重要なのだと思います・・。」
B「なるほど、それはたしかにそうかもしれませんね・・。しかし、その意味では現在の我が国のさまざまな文物は特にアニメを中心として、日常的な現実から離れようとする衝動がとても強いのではないかと思われます。あるいは、そうした事実によって象徴される硬質と思われるコトバを散りばめて、そうしたことを敢えて曲解しようとしているようにも思われます。これはかねてからの伝統であるのか、近年はじまったことであるのかイマイチよく分かりませんが、我が国の文化全般を考えるうえで、一つの特筆すべき事柄であるように思われますね・・。」
A「・・たしかに最近の我が国は特に、何であれ雰囲気重視のところがあるように思われますね・・。これは、より多くの受けを狙った結果であるのか、あるいは本当に能動的にそのようなものを創作しているのかは分かりませんが、時々怖いと思うことがありますね・・。最近の外出自粛で、どうもテレビを観る機会が増えてきますと、そのように感じられますね・・。」
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2020年4月26日日曜日
20200426 架空の話・其の2
【架空の話】
「そして、その5分後には、私は診療チェアーの上にいた。
早速、診療がはじまり、痛む歯の部分だけをくり抜いたゴム製の布のようなものを被せられている時、以前の診療時にはいなかった女性スタッフが先生のサポートにあたっていることに気が向いた。見たところ、私と同年代か少し上であるように見えたが、次第に治療が本格的になってくると、そのようなことも意識が向けられない状態となり、細い鋸のようなものが、歯の真中でギシギシ云いながら歯髄の方に迫ってくる感覚には久しぶりの冷汗が流れた。とはいえ、その治療自体は、そこまでの苦痛はでなかった。そして、治療後の先生の言葉は「右下臼歯の一つで、以前に根っこの治療をした場所に再度膿が溜まって、それで痛かったのだと思う。とりあえず、穴を空け、排膿してから洗浄して仮に封をしておいたから、また近いうちに来てください。」とのことであった。
私の方は、その説明をただ頷いて聞いていたが、しばらくすると先生の方から「そういえば**君は今、A大の大学院生でしたっけ・・。それで、何を専攻しているのかな?」と聞いてきたため「ええ、文学研究科のヨーロッパ文化専攻です・・。」と少し遠慮気味に答えた。すると「それはまた何だか面白そうですね・・。それで、具体的な研究テーマは何ですか?」とさらに踏み込んで聞いてきたことから「ええ、近現代イギリスにおける帰化した作家の役割、もしくは特徴のようなものをジョゼフ・コンラッドという作家を中心として研究しています。」と、これは割合具体的に答えたが、先生の方は「ふーん、それはノーベル文学賞のカズオ・イシグロ氏も範疇に含まれそうですが、同時に何だか難しそうなテーマですね・・。それで院の修了後はどうするつもりなのですか?」と、あまり思っていなかった方向に質問が行ったことから「・・はあ、順調に行けば来春には修士課程を修了して、どこかに就職したいとは考えていますが、正直なところ就職については今現在あまり考えていません・・。」と今度は尻すぼみ気味に返事をした。すると、先生はしばらく天井を見てから意を決したようにこちらを向いて言った「少し前に僕が出たK大学のあるK県に、公立と私立の中間のような、まあ第三セクターによって運営される医療介護系の大学が設置されてね、そこでは私の仕事とも大いに関係がある歯科衛生士と歯科技工士を養成する学科が設置されているのですがね・・。それで歯科衛生士の方の学科、まあ、口腔保健学科と云うのだけれど、こちらは割合人気があって心配無用の態なのですが、もう一つの歯科技工士を養成する学科、これは口腔保健工学科と云うのですが、こちらの方はどうしたわけかあまり人気がないのです・・。まあ、それが理由かどうか分かりませんが、今年の夏に学士編入試験を行うという連絡が来て、それで「誰か良い学生さんを知りませんか?」と、現在その大学で教鞭を執っている同期の友人に尋ねられたのですが、そこで少し唐突ですが**君はこういった話には興味はありますか・・?」とのことであった。これを聞いた私は、歯科技工士云々よりも、とある理由から、その大学があるK県の方に興味を持った。そこで先生に「先生はK大学のご出身だったのですね・・。それで元々はどちらのご出身なのですか?」と、本題からは少し外れた質問をした。すると「・・ああ、知らなかったっけ、たしか君のお父さんはよく知っていると思ったのだが・・。まあ、それはいいけれども、私は元々こちらの出身ですが、学生時代からしばらくはK県に住んでいたのです。そういえば、だいぶ前に君のお父さんに聞いたことがあったけれども、君の家は元々はK県の出身だそうですね・・。」先生のこの返事で、少し先回りをされた感があったが、私は「ええ、そうなのです。だいぶ前、それこそ明治時代にご先祖がk県から上京して、こちらの学校に通い、仕事に就き、居着いてから3世代ほど経っているのですが、如何せん、あちらの苗字は変わったものが多くて、私も根っから、こちらの人間であるはずなのに、苗字からK県出身者と間違われることが度々あるのです・・。あと、現在も大学での数少ない友人はこのK県の出身者でして・・」と話しているうちに、その数少ないというよりも、唯一と云っても良い友人であるBのことを思い出していた・・。」
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「そして、その5分後には、私は診療チェアーの上にいた。
早速、診療がはじまり、痛む歯の部分だけをくり抜いたゴム製の布のようなものを被せられている時、以前の診療時にはいなかった女性スタッフが先生のサポートにあたっていることに気が向いた。見たところ、私と同年代か少し上であるように見えたが、次第に治療が本格的になってくると、そのようなことも意識が向けられない状態となり、細い鋸のようなものが、歯の真中でギシギシ云いながら歯髄の方に迫ってくる感覚には久しぶりの冷汗が流れた。とはいえ、その治療自体は、そこまでの苦痛はでなかった。そして、治療後の先生の言葉は「右下臼歯の一つで、以前に根っこの治療をした場所に再度膿が溜まって、それで痛かったのだと思う。とりあえず、穴を空け、排膿してから洗浄して仮に封をしておいたから、また近いうちに来てください。」とのことであった。
私の方は、その説明をただ頷いて聞いていたが、しばらくすると先生の方から「そういえば**君は今、A大の大学院生でしたっけ・・。それで、何を専攻しているのかな?」と聞いてきたため「ええ、文学研究科のヨーロッパ文化専攻です・・。」と少し遠慮気味に答えた。すると「それはまた何だか面白そうですね・・。それで、具体的な研究テーマは何ですか?」とさらに踏み込んで聞いてきたことから「ええ、近現代イギリスにおける帰化した作家の役割、もしくは特徴のようなものをジョゼフ・コンラッドという作家を中心として研究しています。」と、これは割合具体的に答えたが、先生の方は「ふーん、それはノーベル文学賞のカズオ・イシグロ氏も範疇に含まれそうですが、同時に何だか難しそうなテーマですね・・。それで院の修了後はどうするつもりなのですか?」と、あまり思っていなかった方向に質問が行ったことから「・・はあ、順調に行けば来春には修士課程を修了して、どこかに就職したいとは考えていますが、正直なところ就職については今現在あまり考えていません・・。」と今度は尻すぼみ気味に返事をした。すると、先生はしばらく天井を見てから意を決したようにこちらを向いて言った「少し前に僕が出たK大学のあるK県に、公立と私立の中間のような、まあ第三セクターによって運営される医療介護系の大学が設置されてね、そこでは私の仕事とも大いに関係がある歯科衛生士と歯科技工士を養成する学科が設置されているのですがね・・。それで歯科衛生士の方の学科、まあ、口腔保健学科と云うのだけれど、こちらは割合人気があって心配無用の態なのですが、もう一つの歯科技工士を養成する学科、これは口腔保健工学科と云うのですが、こちらの方はどうしたわけかあまり人気がないのです・・。まあ、それが理由かどうか分かりませんが、今年の夏に学士編入試験を行うという連絡が来て、それで「誰か良い学生さんを知りませんか?」と、現在その大学で教鞭を執っている同期の友人に尋ねられたのですが、そこで少し唐突ですが**君はこういった話には興味はありますか・・?」とのことであった。これを聞いた私は、歯科技工士云々よりも、とある理由から、その大学があるK県の方に興味を持った。そこで先生に「先生はK大学のご出身だったのですね・・。それで元々はどちらのご出身なのですか?」と、本題からは少し外れた質問をした。すると「・・ああ、知らなかったっけ、たしか君のお父さんはよく知っていると思ったのだが・・。まあ、それはいいけれども、私は元々こちらの出身ですが、学生時代からしばらくはK県に住んでいたのです。そういえば、だいぶ前に君のお父さんに聞いたことがあったけれども、君の家は元々はK県の出身だそうですね・・。」先生のこの返事で、少し先回りをされた感があったが、私は「ええ、そうなのです。だいぶ前、それこそ明治時代にご先祖がk県から上京して、こちらの学校に通い、仕事に就き、居着いてから3世代ほど経っているのですが、如何せん、あちらの苗字は変わったものが多くて、私も根っから、こちらの人間であるはずなのに、苗字からK県出身者と間違われることが度々あるのです・・。あと、現在も大学での数少ない友人はこのK県の出身者でして・・」と話しているうちに、その数少ないというよりも、唯一と云っても良い友人であるBのことを思い出していた・・。」
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2020年4月25日土曜日
20200425 架空の話・其の1
【架空の話】
「今世紀に入り、今後さらに進行するであろう社会の高齢化に対応すべく、国内各地に医療・介護系の大学が新設され、既存の大学も、そうした学部・学科を設置する方向で動き、そしてまた、医療介護系専門学校も新たに専門職大学として改組を試みるものが増えてきた。それに伴い、人文社会科学系を専攻する学生数は徐々に減少していった。
私は、もともと文系の大学に進みたいと考え、A大学のヨーロッパ文化専攻に進んだが、この専攻では、あまり良い就職口に就けそうにないことに3年生になってはじめて気が付き、そこで「毒を食らわば皿まで」と、同じ専攻の大学院修士課程に進むことにした。修士課程まで進めば「これまでとは違うビジョンで物事が見え、そして、より良い選択肢を見つけることが出来るのではないか」と考えたわけであるが、他方で、そうした面倒にして困難な選択をなるべく先延ばしして「出来る限り安逸に生きていたい」といった願望が全くなかったとは言い切れない・・(苦笑)。また、この専攻分野であれば、自分は多少のセンスはあるのではないかとも、現実を知らないまま思い込んでいたフシもあったと云える・・(苦笑)。
ともあれ、そのようにしてA大学大学院の修士課程に進んだわけであるが、そこでの生活は、学部生時代の延長のような部分も少なからずあり、他方、研究のための書籍を読む時間については、学部生時代と比べて履修科目が圧倒的に減ったため、かなり増やすことが出来た。また、以前からアルバイトをしていた実家自宅とA大学の通学路の途中にあるS駅近くの古着屋で週3日程度働いていたが、この店は、店長のこだわりか、なかなかシブイ、古い映画作品に出てくるような品が度々並ぶことがあった。ここでのアルバイト勤務は、常連客が店長との会話を通じ、なんとなく働くようになったという背景がある。
しかし、時々、店内で物色している客に対して長いウンチクを語ってしまうこともあり、これについては、時々やんわりと後で店長から注意を受けることがあった・・。それでも店長自体が、そうしたウンチク自体は好きであることから、その注意は「そういうことを人に説明したいのはわかるけれども、多くのお客さんは、そこまでマニアックなハナシを聞きたいとは思っていないから、あまりしなくても大丈夫だよ・・。」といったものであった。とはいえ、自分が良いと思った品を手に取っているのを見かけると、ハナシかけたくなってしまうのは、ごく普通の人情であるように思われるのだが・・。
さて、アルバイトと参考資料・著作の読み込みや、調べものと履修科目の対応、そして少しの遊びにて修士課程1年目を終え、次の2年目では、通常であれば、本格的な就職活動を行うことになるわけであるが、それでも私はどうしたわけか、就職活動に身を入れることは出来ず、バイトは相変わらず続けながら、割合とダラダラした日々を過ごしていた。周囲の院生やゼミの学部生などはリクルート・スーツを着て大学でも就職支援センターなどに頻繁に出入りしていた中、私といえばジーンズにヨレヨレのシャツで図書館と院生研究室ばかりに出入りし、教員の方々から「君はこの先どうするつもりなのかね?」と、あまり興味なさげに訊ねてくることも幾度かあった・・(苦笑)。
当時、傍から見ると私はどのように見えていたのだろうか?いや、そのようなことは今となってはどうでも良い。それよりも、ここからが、少し重要なくだりになってくるのだが、GWが終わり梅雨に入る少し前の時期、どうしたわけか、突然、右下の歯が痛くなり、シフトで入っていたバイトも早退して、一端自宅に戻り保険証を持ってから、近所の歯科医院に、かなり久しぶりに訪問した。その院長は、かつて、どこかの歯科大学で講師あたりまで勤めたていたとのことであり時折、商店街など駅の近くで見かけることがあったが、気安く話しかけるには纏っている緊張感が強すぎるように当時は感じられた・・。しかしながら腕は確かであると近所では評判であり、私の家族も皆、そこでお世話になっていた。
ともあれ、そうした経緯で歯科医院に入ると、丁度、院長が開封したての学会誌のような雑誌を院内入ってすぐの待合室で立ち読みしていたようであり、雑誌を持ちつつ、こちらに目を向け「おお、**君じゃないか・・。久しぶり、どこか歯でも痛くなったのかね?」と聞いてきたので「ええ、どうもお世話になっています。実は右下の歯が少し痛みますので先生に診て頂きたいのですが・・。」といった感じで、右顎に手を触れさすりつつ少し自嘲気味で答えた。」すると「ほお、そうですか・・。丁度今、予約していた患者さんがキャンセルになったところなので、すぐに診てあげれるよ。」とのことであり、普段、あまり運の良し悪しについて考えない私も、これには少し「運が良い」と感じ、また、それが外出先にて腹痛を起こし、飛び込んだ先の施設で清潔なウオッシュレット付きトイレが空いていた時の感覚によく似ていることに気が付いた・・。
そして、その5分後には、私は診療チェアーの上にいた。」
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「今世紀に入り、今後さらに進行するであろう社会の高齢化に対応すべく、国内各地に医療・介護系の大学が新設され、既存の大学も、そうした学部・学科を設置する方向で動き、そしてまた、医療介護系専門学校も新たに専門職大学として改組を試みるものが増えてきた。それに伴い、人文社会科学系を専攻する学生数は徐々に減少していった。
私は、もともと文系の大学に進みたいと考え、A大学のヨーロッパ文化専攻に進んだが、この専攻では、あまり良い就職口に就けそうにないことに3年生になってはじめて気が付き、そこで「毒を食らわば皿まで」と、同じ専攻の大学院修士課程に進むことにした。修士課程まで進めば「これまでとは違うビジョンで物事が見え、そして、より良い選択肢を見つけることが出来るのではないか」と考えたわけであるが、他方で、そうした面倒にして困難な選択をなるべく先延ばしして「出来る限り安逸に生きていたい」といった願望が全くなかったとは言い切れない・・(苦笑)。また、この専攻分野であれば、自分は多少のセンスはあるのではないかとも、現実を知らないまま思い込んでいたフシもあったと云える・・(苦笑)。
ともあれ、そのようにしてA大学大学院の修士課程に進んだわけであるが、そこでの生活は、学部生時代の延長のような部分も少なからずあり、他方、研究のための書籍を読む時間については、学部生時代と比べて履修科目が圧倒的に減ったため、かなり増やすことが出来た。また、以前からアルバイトをしていた実家自宅とA大学の通学路の途中にあるS駅近くの古着屋で週3日程度働いていたが、この店は、店長のこだわりか、なかなかシブイ、古い映画作品に出てくるような品が度々並ぶことがあった。ここでのアルバイト勤務は、常連客が店長との会話を通じ、なんとなく働くようになったという背景がある。
しかし、時々、店内で物色している客に対して長いウンチクを語ってしまうこともあり、これについては、時々やんわりと後で店長から注意を受けることがあった・・。それでも店長自体が、そうしたウンチク自体は好きであることから、その注意は「そういうことを人に説明したいのはわかるけれども、多くのお客さんは、そこまでマニアックなハナシを聞きたいとは思っていないから、あまりしなくても大丈夫だよ・・。」といったものであった。とはいえ、自分が良いと思った品を手に取っているのを見かけると、ハナシかけたくなってしまうのは、ごく普通の人情であるように思われるのだが・・。
さて、アルバイトと参考資料・著作の読み込みや、調べものと履修科目の対応、そして少しの遊びにて修士課程1年目を終え、次の2年目では、通常であれば、本格的な就職活動を行うことになるわけであるが、それでも私はどうしたわけか、就職活動に身を入れることは出来ず、バイトは相変わらず続けながら、割合とダラダラした日々を過ごしていた。周囲の院生やゼミの学部生などはリクルート・スーツを着て大学でも就職支援センターなどに頻繁に出入りしていた中、私といえばジーンズにヨレヨレのシャツで図書館と院生研究室ばかりに出入りし、教員の方々から「君はこの先どうするつもりなのかね?」と、あまり興味なさげに訊ねてくることも幾度かあった・・(苦笑)。
当時、傍から見ると私はどのように見えていたのだろうか?いや、そのようなことは今となってはどうでも良い。それよりも、ここからが、少し重要なくだりになってくるのだが、GWが終わり梅雨に入る少し前の時期、どうしたわけか、突然、右下の歯が痛くなり、シフトで入っていたバイトも早退して、一端自宅に戻り保険証を持ってから、近所の歯科医院に、かなり久しぶりに訪問した。その院長は、かつて、どこかの歯科大学で講師あたりまで勤めたていたとのことであり時折、商店街など駅の近くで見かけることがあったが、気安く話しかけるには纏っている緊張感が強すぎるように当時は感じられた・・。しかしながら腕は確かであると近所では評判であり、私の家族も皆、そこでお世話になっていた。
ともあれ、そうした経緯で歯科医院に入ると、丁度、院長が開封したての学会誌のような雑誌を院内入ってすぐの待合室で立ち読みしていたようであり、雑誌を持ちつつ、こちらに目を向け「おお、**君じゃないか・・。久しぶり、どこか歯でも痛くなったのかね?」と聞いてきたので「ええ、どうもお世話になっています。実は右下の歯が少し痛みますので先生に診て頂きたいのですが・・。」といった感じで、右顎に手を触れさすりつつ少し自嘲気味で答えた。」すると「ほお、そうですか・・。丁度今、予約していた患者さんがキャンセルになったところなので、すぐに診てあげれるよ。」とのことであり、普段、あまり運の良し悪しについて考えない私も、これには少し「運が良い」と感じ、また、それが外出先にて腹痛を起こし、飛び込んだ先の施設で清潔なウオッシュレット付きトイレが空いていた時の感覚によく似ていることに気が付いた・・。
そして、その5分後には、私は診療チェアーの上にいた。」
*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
祝新版発行決定!
ISBN978-4-263-46420-5
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歯科材料全般あるいは、いくつかの歯科材料に関する勉強会・講演会の開催を検討されていましたら、ご相談承ります。また、上記以外、他諸分野での研究室・法人・院内等の勉強会・特別講義のご相談も承ります。
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conrad19762013@gmail.com
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どうぞよろしくお願いいたします!
20200424 ブログ開始当初から現在までの推移について
あまり外に出られない日々が続きますと、ブログ記事作成の方もスランプ気味になるようであり、ここ数日間は、新規の記事作成を行いませんでした。また、これまでの総投稿記事数は1282記事であり、今月中に1285記事まで、どうにか到達しておけば、来月はあまり無理をせずに1300記事に到達できる目算が立ちます。
5年前、2015年に当ブログを開始しましたが、当時は、自分の文章を書くことが出来ないことで悩み、そして、その打開策として、複数の知人から勧められていた「ブログ」を始めた次第ですが、それでも当初は書籍からの抜粋引用記事が多くを占め、自身の文章というものをどのように書けば良いかと、色々と模索していました。一言で「模索」と書いても、それは決して楽なものではなく、精神的に追い詰められるような感覚であり「それが出来なければ自分はどうかなってしまう・・。」と、強く信じさせ、さらにまた、それ以前の時期は、出来はどうであれ、割合スムーズに自身の文章を作成することが出来ていたという記憶や自覚があったことから、この内部衝迫は、それなりに強いものであったと云えます・・。
今となっては、この時期のことは、あまり思い出したくもありませんが、しかし、当時作成したブログ記事は現在も残っていますので、この時期に、どのような記事を作成していたかは現在でも見ることが出来ます。当時作成した記事を読んでみますと、その文章は硬質で頑ななところがあり、あるいは、漢字で構成される専門用語的なものを文中に多く配置し、さらに文章における口語的要素を出来るだけ除き、論文調の文章にて書くことに留意・注意していた感があります。こうした所謂硬質な文章は、情報を簡潔に書くことには適していると思われますが、ブログではあれ、継続的な文章作成には必ずしも向いているとは云えず、そうした一種の硬質な文章に対しての思い込みが、この時期の「書きたくても書けない」という葛藤を生み出していたのではないかと思われます・・。
また、そこで悩み、考えた結果、対話形式の記事に至ったと云えますが、ここでは口語体にて文章を作成することに慣れ、そして、この文体(対話形式)にて半年以上記事作成を続け、次に硬質でない文章による独白形式の文体を書くことがどうにか出来るようになりました。それでも、当初作成された多くの独白形式による記事は、現在読んでみても、あまり良いものとは思われません。しかしながら、それでも、それをさらに続けることによって、どうにか現在に至っているのかもしれません。
①文章が書けないと悩んでいた時期➡②書籍からの抜粋および硬質な論文調による文章➡③口語体による対話形式の文章➡④硬質な文章ではなく、且つそのまま口語体ではない文章によるブログ記事の作成(現在もまたこのフェーズにあると云えます。)
そして、この先、一体どのような自身の文体についての変化が生じるか分かりませんが、そうしたことを認識出来る程度まで、どうにか当ブログを続けていきたいと考えていますので、現状、決して良い時期ではありませんが、読んで頂いている皆さま、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
また、これまで、当ブログ下段に、いくつかの情報を掲載していましたが、それらについても、ここ数日は記事作成後にすぐ寝てしまうといった状態であったことから情報の掲載まで行うことが出来ていませんでした。くわえて、投稿記事が書籍からの抜粋である場合、必ずしも(抜粋した)記事内容と掲載情報がマッチするとは思われないことから、情報の掲載は控えるようにしました。これは今後も継続する予定であり、また自身としては出来るだけ情報を掲載したいと考えているため、今後も自身の文章による記事を投稿して行きたいと考えています。
日本福祉大学
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5年前、2015年に当ブログを開始しましたが、当時は、自分の文章を書くことが出来ないことで悩み、そして、その打開策として、複数の知人から勧められていた「ブログ」を始めた次第ですが、それでも当初は書籍からの抜粋引用記事が多くを占め、自身の文章というものをどのように書けば良いかと、色々と模索していました。一言で「模索」と書いても、それは決して楽なものではなく、精神的に追い詰められるような感覚であり「それが出来なければ自分はどうかなってしまう・・。」と、強く信じさせ、さらにまた、それ以前の時期は、出来はどうであれ、割合スムーズに自身の文章を作成することが出来ていたという記憶や自覚があったことから、この内部衝迫は、それなりに強いものであったと云えます・・。
今となっては、この時期のことは、あまり思い出したくもありませんが、しかし、当時作成したブログ記事は現在も残っていますので、この時期に、どのような記事を作成していたかは現在でも見ることが出来ます。当時作成した記事を読んでみますと、その文章は硬質で頑ななところがあり、あるいは、漢字で構成される専門用語的なものを文中に多く配置し、さらに文章における口語的要素を出来るだけ除き、論文調の文章にて書くことに留意・注意していた感があります。こうした所謂硬質な文章は、情報を簡潔に書くことには適していると思われますが、ブログではあれ、継続的な文章作成には必ずしも向いているとは云えず、そうした一種の硬質な文章に対しての思い込みが、この時期の「書きたくても書けない」という葛藤を生み出していたのではないかと思われます・・。
また、そこで悩み、考えた結果、対話形式の記事に至ったと云えますが、ここでは口語体にて文章を作成することに慣れ、そして、この文体(対話形式)にて半年以上記事作成を続け、次に硬質でない文章による独白形式の文体を書くことがどうにか出来るようになりました。それでも、当初作成された多くの独白形式による記事は、現在読んでみても、あまり良いものとは思われません。しかしながら、それでも、それをさらに続けることによって、どうにか現在に至っているのかもしれません。
①文章が書けないと悩んでいた時期➡②書籍からの抜粋および硬質な論文調による文章➡③口語体による対話形式の文章➡④硬質な文章ではなく、且つそのまま口語体ではない文章によるブログ記事の作成(現在もまたこのフェーズにあると云えます。)
そして、この先、一体どのような自身の文体についての変化が生じるか分かりませんが、そうしたことを認識出来る程度まで、どうにか当ブログを続けていきたいと考えていますので、現状、決して良い時期ではありませんが、読んで頂いている皆さま、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
また、これまで、当ブログ下段に、いくつかの情報を掲載していましたが、それらについても、ここ数日は記事作成後にすぐ寝てしまうといった状態であったことから情報の掲載まで行うことが出来ていませんでした。くわえて、投稿記事が書籍からの抜粋である場合、必ずしも(抜粋した)記事内容と掲載情報がマッチするとは思われないことから、情報の掲載は控えるようにしました。これは今後も継続する予定であり、また自身としては出来るだけ情報を掲載したいと考えているため、今後も自身の文章による記事を投稿して行きたいと考えています。
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ISBN978-4-263-46420-5
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2020年4月22日水曜日
20200421 河出書房新社刊 木下順二著「子午線の祀り」pp.18‐20から引用
河出書房新社刊 木下順二著「子午線の祀り」pp.18‐20から引用
ISBN-10: 4309402712
ISBN-13: 978-4309402710
知盛「民部よ。」
重能「はあ?」
知盛「おぬしも口に出すのは過ぎてしまったことだけか?」
重能「は?」
知盛「心にかかるのはこれからのことだ。敵とすれば何よりの手柄のこの生け捕り人、どうにでも使って、難題を吹きかけてくる道具になる。」
重能「勝った源氏がここで吹きかけてくる難題といいますとー」
知盛「平氏と源氏の勝った負けたを雲の向うから眺めながら、あの手この手を楽しんでいられるお人があろう。」
重能「―後白河院でございますな?後白河院が一体どういう―」
知盛「考えてみろ。われら三種の神器を奉じて都を落ちてこのかた、後白河院が焦げるように望んでいられるのは、三種の神器を取り戻すことだ。」
重能「すると―本三位の中将様と引き換えに三種の神器を―」
知盛「ばかを申せ。一人の本三位と日本国のみしるしを引き換えになどと、子供じみた手は使われぬのが後白河院というお人だ。」
重能「なるほど―(考えこむ)」
知盛「(やがて)民部、見ろ、あの北斗を。あの剣先の方角には金神が位して、それを背に負うて戦わねば戦さは必ず敗れる―陰陽寮の小博士がいつやらいっていたのを、その時は気にも留めずに聞き流していたが―」
ISBN-10: 4309402712
ISBN-13: 978-4309402710
知盛「民部よ。」
重能「はあ?」
知盛「おぬしも口に出すのは過ぎてしまったことだけか?」
重能「は?」
知盛「心にかかるのはこれからのことだ。敵とすれば何よりの手柄のこの生け捕り人、どうにでも使って、難題を吹きかけてくる道具になる。」
重能「勝った源氏がここで吹きかけてくる難題といいますとー」
知盛「平氏と源氏の勝った負けたを雲の向うから眺めながら、あの手この手を楽しんでいられるお人があろう。」
重能「―後白河院でございますな?後白河院が一体どういう―」
知盛「考えてみろ。われら三種の神器を奉じて都を落ちてこのかた、後白河院が焦げるように望んでいられるのは、三種の神器を取り戻すことだ。」
重能「すると―本三位の中将様と引き換えに三種の神器を―」
知盛「ばかを申せ。一人の本三位と日本国のみしるしを引き換えになどと、子供じみた手は使われぬのが後白河院というお人だ。」
重能「なるほど―(考えこむ)」
知盛「(やがて)民部、見ろ、あの北斗を。あの剣先の方角には金神が位して、それを背に負うて戦わねば戦さは必ず敗れる―陰陽寮の小博士がいつやらいっていたのを、その時は気にも留めずに聞き流していたが―」
重能「あの星は時刻と季節を知るのに役立つだけのものでございましょう。」
知盛「その通り、あの剣先は一日ひと夜に、また十二の月に、十二の干支を尾差しながらめぐっている。万劫の過去から尽未来際、十二の干支を順々に、狂うことなく尾差してめぐっている。」
重能「人の世の営みとはかかわりもないことでございましょう。」
知盛「天と地のあいだにはな、民部よ、われら人間の頭では計り切れぬ多くのことがあるらしいぞ。」
重能「どこへおいでになります。」
知盛「この狭い屋島の磯のほかに、広い日本国のどこへいまいくところがある。暫くして大船に戻る。」(去る)
重能「お人が変わった。なにやら気弱になってしまわれた。それにいわれることの端々がどうも合点が行かぬ。従三位行中納言左兵衛の督平の朝臣知盛の卿、あの橋合戦のご出陣以来逞しく成長され、宮廷に仕えてただ官職位階を競う者のみ多いご一門の中にあって、誰に劣らず武人たるの力量を持ちただ一人大将たるの器量をそなえられ、その故にこそ一門末の郎党からまで敬われ頼りとされてこられたお人ではないか。何ぼ初めの負け戦とはいっても、あのご様子はいろいろと合点が行かぬ。とりわけてあの馬のこと、わが名と平家武門の意地をその背に負われて、常に全軍の真先かけて乗ってこられたあの名馬をむざむざと敵の手へ。―敗戦の狼狽からか?狼狽はもう少し偉くない者のすることだ。御子息武蔵の守さまを討たせたお気落ちからか?それもあるにはあろうが―何にせよ、あの馬と共に平家の御運が去って行ったのでなければ幸いだが。
何とか新中納言さまに、いま一度奮い立ってお貰い申さねば。おれもこの四国では、どの豪族にもひけをとることない阿波の民部大夫重能だ。平家一門、ここで再び御盛運に向かわれるように何としても力を致さねば、長年御恩を蒙った故平相国清盛公に申し訳がない。また―わが身わが一族にとっても、それよりほかに生きて行く道はないのだ。」(去る)
知盛「その通り、あの剣先は一日ひと夜に、また十二の月に、十二の干支を尾差しながらめぐっている。万劫の過去から尽未来際、十二の干支を順々に、狂うことなく尾差してめぐっている。」
重能「人の世の営みとはかかわりもないことでございましょう。」
知盛「天と地のあいだにはな、民部よ、われら人間の頭では計り切れぬ多くのことがあるらしいぞ。」
重能「どこへおいでになります。」
知盛「この狭い屋島の磯のほかに、広い日本国のどこへいまいくところがある。暫くして大船に戻る。」(去る)
重能「お人が変わった。なにやら気弱になってしまわれた。それにいわれることの端々がどうも合点が行かぬ。従三位行中納言左兵衛の督平の朝臣知盛の卿、あの橋合戦のご出陣以来逞しく成長され、宮廷に仕えてただ官職位階を競う者のみ多いご一門の中にあって、誰に劣らず武人たるの力量を持ちただ一人大将たるの器量をそなえられ、その故にこそ一門末の郎党からまで敬われ頼りとされてこられたお人ではないか。何ぼ初めの負け戦とはいっても、あのご様子はいろいろと合点が行かぬ。とりわけてあの馬のこと、わが名と平家武門の意地をその背に負われて、常に全軍の真先かけて乗ってこられたあの名馬をむざむざと敵の手へ。―敗戦の狼狽からか?狼狽はもう少し偉くない者のすることだ。御子息武蔵の守さまを討たせたお気落ちからか?それもあるにはあろうが―何にせよ、あの馬と共に平家の御運が去って行ったのでなければ幸いだが。
何とか新中納言さまに、いま一度奮い立ってお貰い申さねば。おれもこの四国では、どの豪族にもひけをとることない阿波の民部大夫重能だ。平家一門、ここで再び御盛運に向かわれるように何としても力を致さねば、長年御恩を蒙った故平相国清盛公に申し訳がない。また―わが身わが一族にとっても、それよりほかに生きて行く道はないのだ。」(去る)
2020年4月21日火曜日
20200421 対話形式:電話口にて「最近の状況について」
電話口にて
A「どうもお久しぶりです。そちらはお元気ですか?」
B「ああ、Aさんですか、どうもです。こちらはどうにか元気でやっていますが、東京や、その周辺県は別として、こちらも例の新型コロナウィルスに感染された方が多く、そのため、おそらく、そちらほどではないですが、結構、人混みや感染者が多い場所への移動はシビアになってきていると思いますね・・。」
A「やはり、そうですか、私も今月はじめに帰郷しましたが、その後、今日に至るまで電車で移動したのはたった1回だけです・・。また、帰郷後にお目に掛かりたいと思っている方々にもお会いできず、近くのスーパーに買物で出かけるのが、楽しみになってきてしまいました・・(苦笑)。」
B「はあ、そうですか。まあ、元々そちらは人が多く住んでいて、所謂人口密度が高い地域ですからね。他人事のようで少し恐縮ですが、それは現在の状況からすると、仕方がないのかもしれませんね・・。」
A「ええ、それはもちろん分かってしますが、それでも、この状況は一体何時になったら収束してくれるのでしょうかね・・。」
B「いや、私の専門は公衆衛生や疫学などじゃないですから、それはよく分かりませんが、しかし、つい先日、Aさんのブログにジャレド・ダイアモンド氏の「銃・病原菌・鉄」からの引用がありましたが、あの引用部の末尾に書かれている通りのような推移になっていくのではないかと思いますね・・。まあ、もちろん、これは専門的な知見に基づくものではありませんが・・。」
A「あ、あの記事を読んで頂いていたのですね・・。どうもありがとうございます。私もその部分が、何かしら広く世に知らせるだけの価値があるのではないかと思い、ブログ記事としたわけですが、やはり、ああいった書籍も、あまり良い状況についてではないことが残念ですが、役に立つことがあるように思いました。それで、最近、Bさんの方では、何か面白かった書籍などありましたか?」
B「うーん、恥ずかしながら、こちらはあまり自分の研究分野での書籍すら、あまり読むことが出来ていませんね・・。また学会や大学の行事も軒並み中止か延期になり、あと、ご存知でしょうが、この状況で学生さんも大学に来ていませんので、暇であるように思われがちですが、実はそうでもなく、色々とやっていて、それで、自分の研究分野の書籍も読めないのです・・(苦笑)。それと、先日のAさんのブログに書いてある、ここ最近設立されている専門職大学ですが、あれはやはり医療系が多いのですか?」
A「はあ、やはり大学に学生さんがいなくても、色々とやることはあるわけですね。分かりました。では、何か変わった面白い本でも見つけましたら、またお教えください。それと専門職大学ですが、そういったサイトもありますので、ググりますと出てきますが、やはり今現在では医療や介護系のところが多いようです。あと、少し前に聞いたハナシで面白かったのは、これまで大体各都道府県に一つはあった公立農業大学校の静岡県のものが、公立の農林環境専門職大学に改組・改編されたというハナシです。今回の新型コロナウィルス感染症による影響で、食料などは出来るだけ自給した方が良いという認識になると思われますし、それ以前に食料自給率などは高い方が、経済的な成長云々は別として、国として安定すると思いますので、これはとても素晴らしい取組みであると思いました。あとはデジタルや美容系の専門職大学も新設されるようですが、私としては、やはり医療系のそれをもっと増やして、たとえば、地域の医師会や歯科医師会立の看護学校や歯科衛生士学校などは、大きなところは専門職大学に改組・改編し、あまり大きくないところは、いくつかが集まって、専門職大学を設置すれば良いのではないかと思います。そして、その後のリカレント教育や大学院教育などは地域の医学部、医科大学、歯学部、歯科大学が担うようなシステムにすれば、そこまで悪くはないのではないかと思います・・。ともあれ、これまでに何度か「医療介護系の学生数を大幅に増員した方が良い」という意見を当ブログにて述べてきましたが、今回の状況を教訓として、国の上層部の方々が、これに取組んでくれればと願いますね・・。あとは、大学学部にて公衆衛生学部というのを、いくつか新設するのも良いのではないかと思います。」
B「はあ、そのような流れがあるのですね・・。しかし、そうしますと、将来の人文社会科学系の学問は一体どのようになっていくのでしょうかね・・。私としてはそちらの方が少し心配と云えますね・・。」
A「ああ、それにつきましても、専門職大学の卒業生を大学院生として積極的に入れて、それぞれの好きな分野についての知見を深めるといった方向で行けば、少子化が続いても、そこまで状況は悪くはならないのではないかと思いますが、どうでしょうか・・。」
B「うーん、どうでしょうか・・。それは少し楽観的なご意見であるように思いますね・・。」
今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
A「どうもお久しぶりです。そちらはお元気ですか?」
B「ああ、Aさんですか、どうもです。こちらはどうにか元気でやっていますが、東京や、その周辺県は別として、こちらも例の新型コロナウィルスに感染された方が多く、そのため、おそらく、そちらほどではないですが、結構、人混みや感染者が多い場所への移動はシビアになってきていると思いますね・・。」
A「やはり、そうですか、私も今月はじめに帰郷しましたが、その後、今日に至るまで電車で移動したのはたった1回だけです・・。また、帰郷後にお目に掛かりたいと思っている方々にもお会いできず、近くのスーパーに買物で出かけるのが、楽しみになってきてしまいました・・(苦笑)。」
B「はあ、そうですか。まあ、元々そちらは人が多く住んでいて、所謂人口密度が高い地域ですからね。他人事のようで少し恐縮ですが、それは現在の状況からすると、仕方がないのかもしれませんね・・。」
A「ええ、それはもちろん分かってしますが、それでも、この状況は一体何時になったら収束してくれるのでしょうかね・・。」
B「いや、私の専門は公衆衛生や疫学などじゃないですから、それはよく分かりませんが、しかし、つい先日、Aさんのブログにジャレド・ダイアモンド氏の「銃・病原菌・鉄」からの引用がありましたが、あの引用部の末尾に書かれている通りのような推移になっていくのではないかと思いますね・・。まあ、もちろん、これは専門的な知見に基づくものではありませんが・・。」
A「あ、あの記事を読んで頂いていたのですね・・。どうもありがとうございます。私もその部分が、何かしら広く世に知らせるだけの価値があるのではないかと思い、ブログ記事としたわけですが、やはり、ああいった書籍も、あまり良い状況についてではないことが残念ですが、役に立つことがあるように思いました。それで、最近、Bさんの方では、何か面白かった書籍などありましたか?」
B「うーん、恥ずかしながら、こちらはあまり自分の研究分野での書籍すら、あまり読むことが出来ていませんね・・。また学会や大学の行事も軒並み中止か延期になり、あと、ご存知でしょうが、この状況で学生さんも大学に来ていませんので、暇であるように思われがちですが、実はそうでもなく、色々とやっていて、それで、自分の研究分野の書籍も読めないのです・・(苦笑)。それと、先日のAさんのブログに書いてある、ここ最近設立されている専門職大学ですが、あれはやはり医療系が多いのですか?」
A「はあ、やはり大学に学生さんがいなくても、色々とやることはあるわけですね。分かりました。では、何か変わった面白い本でも見つけましたら、またお教えください。それと専門職大学ですが、そういったサイトもありますので、ググりますと出てきますが、やはり今現在では医療や介護系のところが多いようです。あと、少し前に聞いたハナシで面白かったのは、これまで大体各都道府県に一つはあった公立農業大学校の静岡県のものが、公立の農林環境専門職大学に改組・改編されたというハナシです。今回の新型コロナウィルス感染症による影響で、食料などは出来るだけ自給した方が良いという認識になると思われますし、それ以前に食料自給率などは高い方が、経済的な成長云々は別として、国として安定すると思いますので、これはとても素晴らしい取組みであると思いました。あとはデジタルや美容系の専門職大学も新設されるようですが、私としては、やはり医療系のそれをもっと増やして、たとえば、地域の医師会や歯科医師会立の看護学校や歯科衛生士学校などは、大きなところは専門職大学に改組・改編し、あまり大きくないところは、いくつかが集まって、専門職大学を設置すれば良いのではないかと思います。そして、その後のリカレント教育や大学院教育などは地域の医学部、医科大学、歯学部、歯科大学が担うようなシステムにすれば、そこまで悪くはないのではないかと思います・・。ともあれ、これまでに何度か「医療介護系の学生数を大幅に増員した方が良い」という意見を当ブログにて述べてきましたが、今回の状況を教訓として、国の上層部の方々が、これに取組んでくれればと願いますね・・。あとは、大学学部にて公衆衛生学部というのを、いくつか新設するのも良いのではないかと思います。」
B「はあ、そのような流れがあるのですね・・。しかし、そうしますと、将来の人文社会科学系の学問は一体どのようになっていくのでしょうかね・・。私としてはそちらの方が少し心配と云えますね・・。」
A「ああ、それにつきましても、専門職大学の卒業生を大学院生として積極的に入れて、それぞれの好きな分野についての知見を深めるといった方向で行けば、少子化が続いても、そこまで状況は悪くはならないのではないかと思いますが、どうでしょうか・・。」
B「うーん、どうでしょうか・・。それは少し楽観的なご意見であるように思いますね・・。」
今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
2020年4月20日月曜日
20200420 自分のコトバで書き続けることと、その先にあるものについて
今回の記事投稿により、総投稿記事数が1280に到達します。そしてまた、残り20記事の新規投稿により、1300記事に到達することにもなりますが、それは、現在の記事投稿ペースを保つことにより、5月中にどうにか達成出来る目途が立つと云えます。
さらに、当ブログ開始から5年となる、来る6月22日までには、そこから追加で10~20記事程度は更新出来るのではないかとも思われます。とはいえ、こうした継続期間や投稿記事数などについては、今のところ感慨らしきものは全くなく、ただ「もう少しスムーズに作成記事の着想が湧いてくれれば・・。」と願うところであり、これについては、残念ながら新たなアイデアが積極的に湧いてくるといったこともありません・・(苦笑)。
おそらく、これが出来れば、さらに記事作成を面倒に思うことも少なくなるのでしょうが、現在の自身は、以前にも書いた未だ引越し直後であることに因るのか、かつての比較的スムーズな記事作成が出来ていた時期と比べ、相対的に一種のスランプ状態にあると云えます。しかし、こうした時期に、面白そうなものであっても、書籍からの抜粋を常用しますと、その後、さらにオリジナルの記事作成が困難になると、自身の経験は語ることから、たとえ不調期であっても、自身のコトバで記事作成を行うことが、ブログ継続のために重要なことであるように思います。
また、そのように題材を探り、迷いつつ記事作成を行うことの先に、新たな多くの方々に読んで頂ける記事題材の着想があったり、あるいは、次の記事作成がスムーズになる期間があるのではないかと思われます。しかし、ここで面白いと思うことは、これまで、ある程度の期間、記事作成を行ってはきましたが、そうした未来に対する実際的な考えや勘といったものは、あまり身に着かなかったという自覚があることです・・(苦笑)。いや、
こうしたことは、続けていくうちに、運動練習時の身体感覚のように、ある程度は体得出来ても良いのではないかと思われるところですが、あるいはこれについても、今後、さらに続けていくことにより「何か」が分かってくるのかもしれません・・(笑)。
また、そうしたことも、昨日投稿記事にて書いた「詩人の特性」や柳田國男の「予言力」」とも、少なからぬ関連があると思われます。とはいえ、それは現在に自身にとっては未だ分からない領域ではあるのですが・・。
ともあれ、現在のようなあまり身を入れて書籍を読むことが出来ず、ブログ記事の作成も
スムーズに行かない時期であっても、読み続け、書き続けることにも意味があるのではないかということであり、これについて納得はしているのですが、やはり、その効果が見えない状態では、そうした自身に対して疑念を持ってしまうということです・・(苦笑)。
そして、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。
さらに、当ブログ開始から5年となる、来る6月22日までには、そこから追加で10~20記事程度は更新出来るのではないかとも思われます。とはいえ、こうした継続期間や投稿記事数などについては、今のところ感慨らしきものは全くなく、ただ「もう少しスムーズに作成記事の着想が湧いてくれれば・・。」と願うところであり、これについては、残念ながら新たなアイデアが積極的に湧いてくるといったこともありません・・(苦笑)。
おそらく、これが出来れば、さらに記事作成を面倒に思うことも少なくなるのでしょうが、現在の自身は、以前にも書いた未だ引越し直後であることに因るのか、かつての比較的スムーズな記事作成が出来ていた時期と比べ、相対的に一種のスランプ状態にあると云えます。しかし、こうした時期に、面白そうなものであっても、書籍からの抜粋を常用しますと、その後、さらにオリジナルの記事作成が困難になると、自身の経験は語ることから、たとえ不調期であっても、自身のコトバで記事作成を行うことが、ブログ継続のために重要なことであるように思います。
また、そのように題材を探り、迷いつつ記事作成を行うことの先に、新たな多くの方々に読んで頂ける記事題材の着想があったり、あるいは、次の記事作成がスムーズになる期間があるのではないかと思われます。しかし、ここで面白いと思うことは、これまで、ある程度の期間、記事作成を行ってはきましたが、そうした未来に対する実際的な考えや勘といったものは、あまり身に着かなかったという自覚があることです・・(苦笑)。いや、
こうしたことは、続けていくうちに、運動練習時の身体感覚のように、ある程度は体得出来ても良いのではないかと思われるところですが、あるいはこれについても、今後、さらに続けていくことにより「何か」が分かってくるのかもしれません・・(笑)。
また、そうしたことも、昨日投稿記事にて書いた「詩人の特性」や柳田國男の「予言力」」とも、少なからぬ関連があると思われます。とはいえ、それは現在に自身にとっては未だ分からない領域ではあるのですが・・。
ともあれ、現在のようなあまり身を入れて書籍を読むことが出来ず、ブログ記事の作成も
スムーズに行かない時期であっても、読み続け、書き続けることにも意味があるのではないかということであり、これについて納得はしているのですが、やはり、その効果が見えない状態では、そうした自身に対して疑念を持ってしまうということです・・(苦笑)。
そして、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。
2020年4月19日日曜日
20200418 詩人の持つ特性と人文社会科学分野の価値
本日は先日投稿のブログにて名前が挙がったトーマス・マンによる「トニオ・クレーゲル」が何故だか気になり、引越し荷物の書箱をいくつか開けてみましたが、なかなか見当たらないため、今回は諦めて、自身の文章にて記事作成を行うことにしました。
この「トニオ・クレーゲル」は、鹿児島在住時代に読んだ記憶がありますが、その時はむしろ若干の反感すら覚え、当著作で描かれている所謂「芸術家」には、自分はなるまい、と強く思いました。また、当著作を読んだきっかけは、以前に同著者による「魔の山」を読み、さらに、北杜夫による「どくとるマンボウ」シリーズにて、たびたび影響を受けた作品のひとつとして書かれていたためであるのですが、現在考えてみますと、そこには、大変興味深いことが書かれているのではないかと感じられるのです・・。
北杜夫が「どくとるマンボウ医局記」にて書いていましたが「詩人とは、自分自身のことだけを述べて、それがそのまま全世界のことを述べていることになる人のことだ。」というのがありますが、これについては、読んだ当初は反発に近い感情を抱きましたが、現在になり、このコトバを考えてみますと「なるほど、たしかにそういった「感覚」はあるのかもしれない・・。」と、あらためて考えさせられ、あるいは「それは我が国で云うと、柳田國男が述べていた「予言力」というものに近いのかもしれない・・。」とも考えさせられ、さらには、そうした詩人のある種、特性とも云えるものは、迷信やオカルティズム方面のものと認識せず、また他方で、あまり科学的・数値的な分析なども行うことなく、自然に伸ばしていくことが、国や地域を活性化することに繋がるのではないかと思われます。
そしてまた、おそらく、そうした「感覚」や「特性」は、さまざまな文章や出来事に触れ、そこから得られたものが、油絵の描写や、鍾乳石の生成ように凹凸を形成することにより生じるものであり、少なくとも、一朝一夕には行かないものであると思われ、さらに、その意味において、古くからの人文社会科学系分野の、他には替えられない価値といったものがあるのではないかと思われるのです・・。
そして、そうした視座から考えてみますと、現在の我が国をも含む高度に工業化された社会全般では、あまり、そうしたことに留意していないようにも思われます・・。また、それは、我が国社会の場合、近代以降の一つの(大きな)特徴ではないかとも思われるのですが、さて如何でしょうか?
ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。
日本福祉大学
~勉強会の御案内~
この「トニオ・クレーゲル」は、鹿児島在住時代に読んだ記憶がありますが、その時はむしろ若干の反感すら覚え、当著作で描かれている所謂「芸術家」には、自分はなるまい、と強く思いました。また、当著作を読んだきっかけは、以前に同著者による「魔の山」を読み、さらに、北杜夫による「どくとるマンボウ」シリーズにて、たびたび影響を受けた作品のひとつとして書かれていたためであるのですが、現在考えてみますと、そこには、大変興味深いことが書かれているのではないかと感じられるのです・・。
北杜夫が「どくとるマンボウ医局記」にて書いていましたが「詩人とは、自分自身のことだけを述べて、それがそのまま全世界のことを述べていることになる人のことだ。」というのがありますが、これについては、読んだ当初は反発に近い感情を抱きましたが、現在になり、このコトバを考えてみますと「なるほど、たしかにそういった「感覚」はあるのかもしれない・・。」と、あらためて考えさせられ、あるいは「それは我が国で云うと、柳田國男が述べていた「予言力」というものに近いのかもしれない・・。」とも考えさせられ、さらには、そうした詩人のある種、特性とも云えるものは、迷信やオカルティズム方面のものと認識せず、また他方で、あまり科学的・数値的な分析なども行うことなく、自然に伸ばしていくことが、国や地域を活性化することに繋がるのではないかと思われます。
そしてまた、おそらく、そうした「感覚」や「特性」は、さまざまな文章や出来事に触れ、そこから得られたものが、油絵の描写や、鍾乳石の生成ように凹凸を形成することにより生じるものであり、少なくとも、一朝一夕には行かないものであると思われ、さらに、その意味において、古くからの人文社会科学系分野の、他には替えられない価値といったものがあるのではないかと思われるのです・・。
そして、そうした視座から考えてみますと、現在の我が国をも含む高度に工業化された社会全般では、あまり、そうしたことに留意していないようにも思われます・・。また、それは、我が国社会の場合、近代以降の一つの(大きな)特徴ではないかとも思われるのですが、さて如何でしょうか?
ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。
祝新版発行決定!
ISBN978-4-263-46420-5
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歯科材料全般あるいは、いくつかの歯科材料に関する勉強会・講演会の開催を検討されていましたら、ご相談承ります。また、上記以外、他諸分野での研究室・法人・院内等の勉強会・特別講義のご相談も承ります。
~勉強会・特別講義 問合せ 連絡先メールアドレス~
conrad19762013@gmail.com
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どうぞよろしくお願いいたします!
2020年4月17日金曜日
20200417 記事作成の環境と住環境の快適さについて【絶対矛盾的自己同一?】
直近の2日間は書籍からの抜粋引用を充て、また、双方共に比較的多くの方々に読んで頂いていたことから、本日も書籍からの抜粋引用にしようと考え、その著作も決めていましたが、このあたりで自身の文章による記事を作成しておかないと、また少し鈍ってきてしまうと考え、本日は自身の文章にて記事を作成することにしました。
ブログ記事の作成を含めて、こうした多くの人に読んで頂く、公開を前提とする文章の作成は、その「波」(なみ)と云いますか「間」(ま)に乗ることが出来ないと、なかなか上手く書き進むことが出来ないようであり、おそらく、これが文章作成の要諦であると考えます。
とはいえ、この文章作成の「波」や「間」にどうすれば比較的容易に乗れるのかと考えてみても、今現在その効果的な方法は見出されていません。あるいは、他の書籍を読んでみることが、その一つの方法であるのかもしれませんが、これについては、記事作成のためPC机に座る以前から行っていることであり、自身については既に込々であると云えます。
また、その日にさまざまな経験があると、たとえ、その経験を題材としてなくとも、比較的容易に文章作成の「波」や「間」に乗れるようであり、そのように考えてみますと、実際の経験であれ、読書であれ、何らかの精神に対する特徴的な刺激があった日については、滑らかなキーボードの指の運びとなる傾向があると云えます。
その意味においては、やはり刺激の多い都市部の方が自身にとっては相対的に、こうしたブログ記事の作成には適していると云えるのではないかと考えます。とはいえ、現今の首都圏・千葉県市川市の状況は、さまざまな報道番組が伝えている通りであり、そしてまた今後もしばらくは予断を許さない状況とのことです・・。その意味において、現今状況下での記事作成は、自身にとっては多少苦しい・面倒くさいものであると云えますが、そうであっても、この程度まで書き進めることが出来ているのであれば、それは全く問題はない範囲内であると云えます。
また、ハナシは変わり、ここに来まして、かなり久しぶりに、常時投稿記事下段に掲載しています、勉強会・講演会のご案内へのお問合せを頂戴いたしましたが、これらにつきましても、現今蔓延している新型コロナウィルス感染症のため、しばらくは速やかな対応が困難になると思われます。しかし、これが収束しましたら、是非、対応させて頂きたく思いますので、ご連絡頂けましたら、その点(日程等について)も踏まえて対応させて頂きますので、ご興味御座いましたら、どうぞよろしくお願いいたします。
くわえて、ブログ掲載情報について言及したついでに述べさせて頂きますと、こうした外部講師による特別講義や医院・法人内勉強会につきまして、対応させて頂くことが可能な科目は医学系・歯科医学系・人文社会科学系と多岐に渡りますので、何らかのご要望が御座いましたら、それも併せてお伝え頂けましたら、出来るだけ対応させて頂きたいと考えていますので、どうぞよろしくお願いいたします。
そいいえば、つい先日「ブログは5年間続けると大爆発が起きる」と聞きましたが、それについては、今後、約2か月後あたりに検証できると思いますので、少し留意しておこうと思います(笑)。自身としては、これが多少なりとも貨幣的価値を持つようになるか、あるいは自身がこうした文章作成により、いくらかの収入を得られるようになれば良いと考えており、さらに、こうしたことを述べたついでに書き添えますと、1年の半分程度を西日本の比較的温暖な地域(出来れば九州が良いです。)に住み、残り半分をここ千葉県市川市に住むことが出来るようになれれば、さらに申し分ないと考えていますが、こうした希望は贅沢なものなのでしょうか・・。
また、そのように考えてみますと、さきに述べたブログも含む文章作成については、首都圏など都市部在住の方が好都合であり、一方、生活環境としての快適さで考えると、温暖な西日本が良いということになりますが、これはこれで双方の経験者としては、それなりに筋が通っていると思われるのですが、さて、皆様はこうしたことをどのようにお考えになるでしょうか?
今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。
日本福祉大学
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ブログ記事の作成を含めて、こうした多くの人に読んで頂く、公開を前提とする文章の作成は、その「波」(なみ)と云いますか「間」(ま)に乗ることが出来ないと、なかなか上手く書き進むことが出来ないようであり、おそらく、これが文章作成の要諦であると考えます。
とはいえ、この文章作成の「波」や「間」にどうすれば比較的容易に乗れるのかと考えてみても、今現在その効果的な方法は見出されていません。あるいは、他の書籍を読んでみることが、その一つの方法であるのかもしれませんが、これについては、記事作成のためPC机に座る以前から行っていることであり、自身については既に込々であると云えます。
また、その日にさまざまな経験があると、たとえ、その経験を題材としてなくとも、比較的容易に文章作成の「波」や「間」に乗れるようであり、そのように考えてみますと、実際の経験であれ、読書であれ、何らかの精神に対する特徴的な刺激があった日については、滑らかなキーボードの指の運びとなる傾向があると云えます。
その意味においては、やはり刺激の多い都市部の方が自身にとっては相対的に、こうしたブログ記事の作成には適していると云えるのではないかと考えます。とはいえ、現今の首都圏・千葉県市川市の状況は、さまざまな報道番組が伝えている通りであり、そしてまた今後もしばらくは予断を許さない状況とのことです・・。その意味において、現今状況下での記事作成は、自身にとっては多少苦しい・面倒くさいものであると云えますが、そうであっても、この程度まで書き進めることが出来ているのであれば、それは全く問題はない範囲内であると云えます。
また、ハナシは変わり、ここに来まして、かなり久しぶりに、常時投稿記事下段に掲載しています、勉強会・講演会のご案内へのお問合せを頂戴いたしましたが、これらにつきましても、現今蔓延している新型コロナウィルス感染症のため、しばらくは速やかな対応が困難になると思われます。しかし、これが収束しましたら、是非、対応させて頂きたく思いますので、ご連絡頂けましたら、その点(日程等について)も踏まえて対応させて頂きますので、ご興味御座いましたら、どうぞよろしくお願いいたします。
くわえて、ブログ掲載情報について言及したついでに述べさせて頂きますと、こうした外部講師による特別講義や医院・法人内勉強会につきまして、対応させて頂くことが可能な科目は医学系・歯科医学系・人文社会科学系と多岐に渡りますので、何らかのご要望が御座いましたら、それも併せてお伝え頂けましたら、出来るだけ対応させて頂きたいと考えていますので、どうぞよろしくお願いいたします。
そいいえば、つい先日「ブログは5年間続けると大爆発が起きる」と聞きましたが、それについては、今後、約2か月後あたりに検証できると思いますので、少し留意しておこうと思います(笑)。自身としては、これが多少なりとも貨幣的価値を持つようになるか、あるいは自身がこうした文章作成により、いくらかの収入を得られるようになれば良いと考えており、さらに、こうしたことを述べたついでに書き添えますと、1年の半分程度を西日本の比較的温暖な地域(出来れば九州が良いです。)に住み、残り半分をここ千葉県市川市に住むことが出来るようになれれば、さらに申し分ないと考えていますが、こうした希望は贅沢なものなのでしょうか・・。
また、そのように考えてみますと、さきに述べたブログも含む文章作成については、首都圏など都市部在住の方が好都合であり、一方、生活環境としての快適さで考えると、温暖な西日本が良いということになりますが、これはこれで双方の経験者としては、それなりに筋が通っていると思われるのですが、さて、皆様はこうしたことをどのようにお考えになるでしょうか?
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2020年4月16日木曜日
株式会社草思社刊 ジャレド・ダイアモンド 著 倉骨 彰 訳 「銃・病原菌・鉄」上巻pp.367-373
株式会社草思社刊 ジャレド・ダイアモンド 著 倉骨 彰 訳
「銃・病原菌・鉄」上巻pp.367-373
ISBN-10: 9784794218780
ISBN-13: 978-4794218780
『病原菌の視点で感染症を分析するのはこれくらいにして、人間の側に立って感染症にかからないためにはどうしたらいいかを考えると、いまいましい奴らは全部やっつけてしまえ、というのが結論である。たとえば、この目的を実現するために、人間の身体は病気にかかると発熱する。われわれは、発熱をたんなる「病気の症状」と考えがちであるが、人間の体温調節には遺伝子が関与しており、偶然に上がったり下がったりするものではない。病原菌によっては、人間の身体よりも熱に弱いものがある。われわれの体は、体温を上げることで、自分たちが病原菌によってやられる前に侵入した菌を焼き殺そうとするのである。
感染に対する人間の体のもうひとつの反応は、免疫システムの動員である。人間の体では、白血球などの細胞が侵入した菌を探し出して殺そうとする。いったん感染症にかかると、その病原菌に対する抗体が体内に出来て、同じ感染症に再度かかりにくくなる。しかし病原菌の種類によっては、抗体が長続きしない。誰もが知っているとおり、インフルエンザや風邪に対する抵抗力は一時的なもので、人は何度もインフルエンザにかかったり風をひいたりする。その逆に、麻疹、風疹、百日咳、天然痘などについては、一度感染して抗体が出来てしまうと、終生免疫が体内にでき、そうした病気には二度とかからなくなる。ワクチンはこの原理を逆手に取ったものである。死んだり弱められた病原菌株をわれわれの体に接種して、実際に病気になることなく、その病気に対する抗体(免疫)をつくらせるのである。
ところが、病原菌によっては、われわれの体の免疫防御をもってしても侵入をふせぐことができないものがある。そうした病原菌は、人間の抗体が認識する抗原と呼ばれる部分を変化させ、人間の免疫システムをだますのである。インフルエンザがしょっちゅうはやるのは、抗体の部分がちがう新種のインフルエンザウィルスが登場し続けているせいである。したがって、2年前にインフルエンザにかかった人も、今年のウィルスが新種であれば、そのウィルスに対する抗体を持っていない。マラリアや睡眠病も、素早く抗原部分を変化させる能力においては、インフルエンザウィルスの上をいくが、もっともやっかいなのがエイズウィルスである。このウィルスは、感染者の体内で増殖しながら抗原部分を変化させることでつぎつぎと変身し、患者の免疫システムを無力化させて、やがて死においやってしまうのだ。
世代が代わるときにわれわれの遺伝子を変化させる自然選択も、病原菌に対する防御メカニズムの一つであるが、これは作用するまでもっとも時間がかかる。たとえば、どの病気であろうと、他の人びとにくらべて遺伝的に強い抵抗力を持っている人がいる。疫病が大流行したときでも、その病原菌に対する遺伝子を持っている人びとは、持っていない人びとより生き残れる可能性が高い。ということは、歴史上、同じ病原菌に繰り返しさらされてきた民族は、その病原菌に対する抵抗力を持った人びとの割合が高いーそうした遺伝子を持たなかった不運な人びとの多くは、死んでしまって(自然淘汰されてしまって)、子孫を残せなかったからである。
この自然淘汰による防御メカニズムは、遺伝的に抵抗力が弱い人には何の役にも立たないものの、人間の集団全体の抵抗力を遺伝的に強化している。鎌型赤血球貧血症遺伝子、テイ・サックス(黒内障家族性白痴)遺伝子、そして嚢包性線維症遺伝子などは、人間集団全体の抵抗力を強化している遺伝子の例である。これらの遺伝子は、相当の犠牲者をはらったうえで、アフリカ大陸の黒人、アシュケナージ系ユダヤ人(ドイツ・ロシア・ポーランド系ユダヤ人)、そして北ヨーロッパ人に防御メカニズムをあたえている。アフリカ大陸の黒人は鎌型赤血球貧血症遺伝子のおかげで、マラリアに対する抵抗力がある。
また、テイ・サックス遺伝子および嚢包性線維症遺伝子のおかげで、アシュケナージ系ユダヤ人と北ヨーロッパ人は、それぞれ結核と、細菌性下痢に対する対抗力がある。
もちろん、人間と他の生物との接触は、通常、人間を病気にするものではない。これは、人間とハチドリの交流を見ればわかる。この交流は、人間を病気にするものでなければ、ハチドリを病気にするものでもない。この平和な関係が続いているのは、ハチドリが、人間の身体を食用にしたり、子孫を増やすのに人間をあてにしたりせずに、花蜜や昆虫を食べて生きるように進化しているからである。その結果、人間はハチドリから身を守るようにする必要はなかった。そして、ハチドリのほうも、人間から身を守るように進化する必要がなかった。
しかし病原菌は、人間の体内の栄養素を摂取する生物として進化してきた。しかも、もとの犠牲者が死んだり抵抗力をつけてしまったとき、新たな犠牲者をもとめて飛んでいく羽根を持っていない。病原菌の多くが、さまざまな伝播方法を進化させてきたのはそのためである。病気になったときに現れる症状の多くは、人間の体を媒介にして自分を伝播させるために病原菌が編み出した策略である。もちろん人間の側も、病原菌の策略に対抗する策略を進化させてきた。そしてこのイタチごっこに終わりはない。負けた側には、死が待っている。戦いの全てを判断するのは、自然淘汰という名の審判である。この戦いは、電撃戦なのだろうか。それともゲリラ戦なのだろうか。
【流行病とその周期】
特定の地域を選択して、そこで発生する感染症の種類と数が時系列的にどのように変化するかを観察してみると、病気の種類によって発生パターンがかなり異なることがわかる。たとえば、マラリアや鉤虫病などは、発生時期がばらばらで、いつでも新しい症状が現れるパターンを示す。しかし、疫病の場合は、たくさんの発症例があったあと、まったく発症が見られない時期がしばらくつづき、そのあとでふたたびたくさんの発症例が見られる、という波状的なパターンを示す。
そうした病気の中で、われわれがいちばんよく知っているのはインフルエンザである。インフルエンザは、ひどい年には大々的に流行する(それはインフルエンザウィルスにとっては、とても良い年である)。コレラは、つぎに流行するまでの間隔がもっとも長くて、20世紀のアメリカ大陸では、1991年に南米のペルーであったのが最初の流行だった。今日でもインフルエンザやコレラの流行は新聞の第一面を飾る。そしてこれらの病気は、近代医学が登場するまでは心底恐れられていた。人類史上、もっとも猛威をふるった疫病は、第一次世界大戦が終結した頃に起こったインフルエンザの大流行で、そのときに世界で2000万人が命を落としている。1346年から52年にかけて流行した黒死病(腺ペスト)では、当時のヨーロッパの全人口の四分の一が失われ、死亡率70パーセントという都市もあった。1880年、カナダの太平洋鉄道がサスカチェワン地域を貫いて建設されたときには、それまで白人や白人の持つ細菌にさらされることがほとんどなかったサスカチェワン地域のアメリカ先住民の人口のじつに9パーセントが、毎年、結核の犠牲となって死んでいった。
ぽつりぽつりと患者が現れるのではなく、突然大流行する感染症には、共通する特徴がいくつかある。まず、感染が非常に効率的で速いため、短期間のうちに、集団全体が病原菌にさらされてしまう。つぎに、これらの感染症は「進行が急性」であるー感染者は、短期間のうちに、死亡してしまうか、完全に回復してしまうかのどちらかである。そして、一度感染し、回復した者はその病原菌に対して抗体を持つようになり、それ以降のかなり長きにわたって、おそらく死ぬまで、同じ病気にかからなくなる。最後に、こうした感染症を引き起こす病原菌は、人間の体の中でしか生きられないようで、地中や動物の体内で生存していくことができない。麻疹(はしか)、風疹、おたふく風邪、百日咳、天然痘は、子供のかかる病気としてよく知られているが、これらの伝染病も前記の四つの特徴を備えている。
これらの特徴がどのように組み合わさって病気は流行するのだろうか。この疑問に答えるのはそれほどむずかしくない。簡単に説明してしまえば、急速に広がり、症状が急速に進む病気は、集団全体にたちどころに蔓延する。そして感染者は、短期間のうちに死んでしまうか、回復して抗体を持つようになるかのいずれかで、感染したままいつまでも生き続けることはない。そして、感染者の減少とともに、人間の生体内中でしか生きられない病原菌も、そのうち死滅してしまい、それとともに大流行も収束してしまう。つぎの大流行は、抗体を持たない新生児がかかりやすい年齢に達し、集団外部から新たな感染者が訪れるまでは起こらないのである。』
「銃・病原菌・鉄」上巻pp.367-373
ISBN-10: 9784794218780
ISBN-13: 978-4794218780
『病原菌の視点で感染症を分析するのはこれくらいにして、人間の側に立って感染症にかからないためにはどうしたらいいかを考えると、いまいましい奴らは全部やっつけてしまえ、というのが結論である。たとえば、この目的を実現するために、人間の身体は病気にかかると発熱する。われわれは、発熱をたんなる「病気の症状」と考えがちであるが、人間の体温調節には遺伝子が関与しており、偶然に上がったり下がったりするものではない。病原菌によっては、人間の身体よりも熱に弱いものがある。われわれの体は、体温を上げることで、自分たちが病原菌によってやられる前に侵入した菌を焼き殺そうとするのである。
感染に対する人間の体のもうひとつの反応は、免疫システムの動員である。人間の体では、白血球などの細胞が侵入した菌を探し出して殺そうとする。いったん感染症にかかると、その病原菌に対する抗体が体内に出来て、同じ感染症に再度かかりにくくなる。しかし病原菌の種類によっては、抗体が長続きしない。誰もが知っているとおり、インフルエンザや風邪に対する抵抗力は一時的なもので、人は何度もインフルエンザにかかったり風をひいたりする。その逆に、麻疹、風疹、百日咳、天然痘などについては、一度感染して抗体が出来てしまうと、終生免疫が体内にでき、そうした病気には二度とかからなくなる。ワクチンはこの原理を逆手に取ったものである。死んだり弱められた病原菌株をわれわれの体に接種して、実際に病気になることなく、その病気に対する抗体(免疫)をつくらせるのである。
ところが、病原菌によっては、われわれの体の免疫防御をもってしても侵入をふせぐことができないものがある。そうした病原菌は、人間の抗体が認識する抗原と呼ばれる部分を変化させ、人間の免疫システムをだますのである。インフルエンザがしょっちゅうはやるのは、抗体の部分がちがう新種のインフルエンザウィルスが登場し続けているせいである。したがって、2年前にインフルエンザにかかった人も、今年のウィルスが新種であれば、そのウィルスに対する抗体を持っていない。マラリアや睡眠病も、素早く抗原部分を変化させる能力においては、インフルエンザウィルスの上をいくが、もっともやっかいなのがエイズウィルスである。このウィルスは、感染者の体内で増殖しながら抗原部分を変化させることでつぎつぎと変身し、患者の免疫システムを無力化させて、やがて死においやってしまうのだ。
世代が代わるときにわれわれの遺伝子を変化させる自然選択も、病原菌に対する防御メカニズムの一つであるが、これは作用するまでもっとも時間がかかる。たとえば、どの病気であろうと、他の人びとにくらべて遺伝的に強い抵抗力を持っている人がいる。疫病が大流行したときでも、その病原菌に対する遺伝子を持っている人びとは、持っていない人びとより生き残れる可能性が高い。ということは、歴史上、同じ病原菌に繰り返しさらされてきた民族は、その病原菌に対する抵抗力を持った人びとの割合が高いーそうした遺伝子を持たなかった不運な人びとの多くは、死んでしまって(自然淘汰されてしまって)、子孫を残せなかったからである。
この自然淘汰による防御メカニズムは、遺伝的に抵抗力が弱い人には何の役にも立たないものの、人間の集団全体の抵抗力を遺伝的に強化している。鎌型赤血球貧血症遺伝子、テイ・サックス(黒内障家族性白痴)遺伝子、そして嚢包性線維症遺伝子などは、人間集団全体の抵抗力を強化している遺伝子の例である。これらの遺伝子は、相当の犠牲者をはらったうえで、アフリカ大陸の黒人、アシュケナージ系ユダヤ人(ドイツ・ロシア・ポーランド系ユダヤ人)、そして北ヨーロッパ人に防御メカニズムをあたえている。アフリカ大陸の黒人は鎌型赤血球貧血症遺伝子のおかげで、マラリアに対する抵抗力がある。
また、テイ・サックス遺伝子および嚢包性線維症遺伝子のおかげで、アシュケナージ系ユダヤ人と北ヨーロッパ人は、それぞれ結核と、細菌性下痢に対する対抗力がある。
もちろん、人間と他の生物との接触は、通常、人間を病気にするものではない。これは、人間とハチドリの交流を見ればわかる。この交流は、人間を病気にするものでなければ、ハチドリを病気にするものでもない。この平和な関係が続いているのは、ハチドリが、人間の身体を食用にしたり、子孫を増やすのに人間をあてにしたりせずに、花蜜や昆虫を食べて生きるように進化しているからである。その結果、人間はハチドリから身を守るようにする必要はなかった。そして、ハチドリのほうも、人間から身を守るように進化する必要がなかった。
しかし病原菌は、人間の体内の栄養素を摂取する生物として進化してきた。しかも、もとの犠牲者が死んだり抵抗力をつけてしまったとき、新たな犠牲者をもとめて飛んでいく羽根を持っていない。病原菌の多くが、さまざまな伝播方法を進化させてきたのはそのためである。病気になったときに現れる症状の多くは、人間の体を媒介にして自分を伝播させるために病原菌が編み出した策略である。もちろん人間の側も、病原菌の策略に対抗する策略を進化させてきた。そしてこのイタチごっこに終わりはない。負けた側には、死が待っている。戦いの全てを判断するのは、自然淘汰という名の審判である。この戦いは、電撃戦なのだろうか。それともゲリラ戦なのだろうか。
【流行病とその周期】
特定の地域を選択して、そこで発生する感染症の種類と数が時系列的にどのように変化するかを観察してみると、病気の種類によって発生パターンがかなり異なることがわかる。たとえば、マラリアや鉤虫病などは、発生時期がばらばらで、いつでも新しい症状が現れるパターンを示す。しかし、疫病の場合は、たくさんの発症例があったあと、まったく発症が見られない時期がしばらくつづき、そのあとでふたたびたくさんの発症例が見られる、という波状的なパターンを示す。
そうした病気の中で、われわれがいちばんよく知っているのはインフルエンザである。インフルエンザは、ひどい年には大々的に流行する(それはインフルエンザウィルスにとっては、とても良い年である)。コレラは、つぎに流行するまでの間隔がもっとも長くて、20世紀のアメリカ大陸では、1991年に南米のペルーであったのが最初の流行だった。今日でもインフルエンザやコレラの流行は新聞の第一面を飾る。そしてこれらの病気は、近代医学が登場するまでは心底恐れられていた。人類史上、もっとも猛威をふるった疫病は、第一次世界大戦が終結した頃に起こったインフルエンザの大流行で、そのときに世界で2000万人が命を落としている。1346年から52年にかけて流行した黒死病(腺ペスト)では、当時のヨーロッパの全人口の四分の一が失われ、死亡率70パーセントという都市もあった。1880年、カナダの太平洋鉄道がサスカチェワン地域を貫いて建設されたときには、それまで白人や白人の持つ細菌にさらされることがほとんどなかったサスカチェワン地域のアメリカ先住民の人口のじつに9パーセントが、毎年、結核の犠牲となって死んでいった。
ぽつりぽつりと患者が現れるのではなく、突然大流行する感染症には、共通する特徴がいくつかある。まず、感染が非常に効率的で速いため、短期間のうちに、集団全体が病原菌にさらされてしまう。つぎに、これらの感染症は「進行が急性」であるー感染者は、短期間のうちに、死亡してしまうか、完全に回復してしまうかのどちらかである。そして、一度感染し、回復した者はその病原菌に対して抗体を持つようになり、それ以降のかなり長きにわたって、おそらく死ぬまで、同じ病気にかからなくなる。最後に、こうした感染症を引き起こす病原菌は、人間の体の中でしか生きられないようで、地中や動物の体内で生存していくことができない。麻疹(はしか)、風疹、おたふく風邪、百日咳、天然痘は、子供のかかる病気としてよく知られているが、これらの伝染病も前記の四つの特徴を備えている。
これらの特徴がどのように組み合わさって病気は流行するのだろうか。この疑問に答えるのはそれほどむずかしくない。簡単に説明してしまえば、急速に広がり、症状が急速に進む病気は、集団全体にたちどころに蔓延する。そして感染者は、短期間のうちに死んでしまうか、回復して抗体を持つようになるかのいずれかで、感染したままいつまでも生き続けることはない。そして、感染者の減少とともに、人間の生体内中でしか生きられない病原菌も、そのうち死滅してしまい、それとともに大流行も収束してしまう。つぎの大流行は、抗体を持たない新生児がかかりやすい年齢に達し、集団外部から新たな感染者が訪れるまでは起こらないのである。』
2020年4月15日水曜日
中央公論社刊 石光真清著 石光真人編「城下の人」新編・石光真清の手記(一)西南戦争・日清戦争 pp.32~35より抜粋
中央公論社刊 石光真清著 石光真人編「城下の人」新編・石光真清の手記(一)西南戦争・日清戦争 pp.32~35より抜粋
ISBN-10: 4122064813
ISBN-13: 978-4122064812
『神風連の領袖、加屋霽堅に初めて会い、熊本城の由来を聞いた私は、ざんぎり頭の洋学生の兄真澄や従兄たちに、手柄顔でその話をしたのに母までが苦笑し、兄たちは私の稚児髷、帯刀の姿をひやかして、声を立てて笑った。姉の真佐子だけが洋学生たちを睨みすえて私をかばってくれた。
父は、この有様を黙って眺めていたが、「お前たちは、神風連、神風連と、あの方々を、天下の大勢に暗い頑迷な人のように言うが、それは大変な誤りだ」と、おだやかながらも、きつい眼付きで、ひとわたり皆を見まわして言った。
「あの方たちは、御一新前は熊本藩の中枢にあって、藩政に大きな功労のあった方々だ。学識もあり、勤皇の志も厚い。ところが御一新後の世の動きは、目まぐるしく総てが欧米化して、日本古来の美点が崩れて行くので、これでは国家の前途が危ういと心配し、明治五年、太田黒伴雄氏、加屋霽堅氏等をはじめ国学の林桜園先生の感化を受けた百七十余名の方々が会合して今後の方針を協議された。この会合で日本古来の伝統は必ず護る。外国に対しては強く正しく国の体面を保つことを申し合わせた。この人々を進歩派の人たちが神風連と呼ぶようになったもので、その後、いろいろと保守の策を試みたが、時代の風潮を阻むことは出来なかった。この上は、神明の力によって世論の挽回を図るほかに道がないと、党人は神社神社に参拝して、至尊万歳、国祚康楽、国威振張、外夷摂服、の祈りを捧げた。そのために家産を傾けた人もあるが、そんなことには頓着なく目的達成に心肝を砕いておられるのである。忠操の清烈、素行の端正、神風連の党人は実に立派な人格者ばかりだ。県が神官の採用に当って、殆ど神風連を任命したのは、この人々の誠意に感じてであった。それで加屋先生が加藤社の祠官となっておられるのだ。父はこう説明して皆の顔を見渡した。
「洋学をやるお前たちとは学問の種類も違っているし、時代に対する見透しも違うが、日本の伝統を守りながら漸進しようとする神風連の熱意と、洋学の知識を取入れて早く日本を世界の列強の中に安泰に置こうと心掛けるお前たちと、国を思う心には少しも変わりがない。前に言った林桜園先生はこの人たちの精神の基を礎いた方だが、非常に博学な学者だった。実学派の人たちからも敬意を捧げられておられるのだが、先生が亡くなられてから、いつとはなしに先生を頑迷な国学者だ漢学者だと批評する人が多くなった。進歩を急ぐの余り、そのようなことになったものと思う。林桜園先生は御自分でもオランダ語に精通しておられ、その教えを受けた人たちは二千人を超えているとのことだ。蘭書の講義もし、兵学、科学に力を入れておられた。ただただ神明の加護を願い、結髪帯刀を主義とするような、そんなことは教えられなかった。その後、政府が世界の情勢を検討された結果、進歩を急ぐ政策を促進するにつれて、この一党がうとんじられるようになり、頑迷だ、固陋だと批判される始末になった。それも無理はない。政府では広く世界に眼をひらいてアメリカ、イギリス、フランス等の各国の事情を実地に調査した結果、今までのようにオランダの書物だけに頼って外国の事情を狭く見て来た人たちと自然に見解を異にして来たのだ。こうなって来ると、不幸なことだが・・・神風連の人たちの中には急進派に反対するの余りに、徒に新政を非難するような風潮が生まれて来たし、急進派もまた神風連を時代に盲目な人たちとして嘲うようになったのだ。けれども国の将来を思う心は同じだ。お前たちが洋学をやるにしても、あの方々の立派な人格を見習い、日本人としての魂を忘れない心掛けが大切だ。林桜園先生が蘭書を読む時は、読む前に床に蘭書を置いて足で踏んでから読んだと言われている。そこまでせよとは言わないが、お前たちにその心掛けが必要だという意味が判ってくれればよい。いいかな。今後はあの方々を軽蔑するようなことは慎みなさい。」
兄や従兄は神妙な顔でお辞儀した。父の話には、いつも厳しい説得力があった。
「いつの世にも同じことが繰り返される。時代が動き始めると、初めの頃は皆同じ思いでいるものだが、いつかは二つに分れ三つに分れて党を組んで争う。どちらに組する方が損か得かを胸算用する者さえ出て来るかと思えば、ただ徒に感情に走って軽蔑し合う。古いものを嘲っていれば先覚者になったつもりで得々とする者もあり、新しいものといえば頭から軽佻浮薄として軽蔑する者も出て来る。こうしてお互いに対立したり軽蔑したりしているうちに、本当の時代遅れの頑固者と新しがりやの軽薄者が生れて来るものだ。これは人間というものの持って生れた弱点であろうなあ・・」と言って父は座を立って書斎に入ってしまった。母も兄も従兄も叱られた生徒のように膝に眼を落して黙っていた。』
ISBN-10: 4122064813
ISBN-13: 978-4122064812
『神風連の領袖、加屋霽堅に初めて会い、熊本城の由来を聞いた私は、ざんぎり頭の洋学生の兄真澄や従兄たちに、手柄顔でその話をしたのに母までが苦笑し、兄たちは私の稚児髷、帯刀の姿をひやかして、声を立てて笑った。姉の真佐子だけが洋学生たちを睨みすえて私をかばってくれた。
父は、この有様を黙って眺めていたが、「お前たちは、神風連、神風連と、あの方々を、天下の大勢に暗い頑迷な人のように言うが、それは大変な誤りだ」と、おだやかながらも、きつい眼付きで、ひとわたり皆を見まわして言った。
「あの方たちは、御一新前は熊本藩の中枢にあって、藩政に大きな功労のあった方々だ。学識もあり、勤皇の志も厚い。ところが御一新後の世の動きは、目まぐるしく総てが欧米化して、日本古来の美点が崩れて行くので、これでは国家の前途が危ういと心配し、明治五年、太田黒伴雄氏、加屋霽堅氏等をはじめ国学の林桜園先生の感化を受けた百七十余名の方々が会合して今後の方針を協議された。この会合で日本古来の伝統は必ず護る。外国に対しては強く正しく国の体面を保つことを申し合わせた。この人々を進歩派の人たちが神風連と呼ぶようになったもので、その後、いろいろと保守の策を試みたが、時代の風潮を阻むことは出来なかった。この上は、神明の力によって世論の挽回を図るほかに道がないと、党人は神社神社に参拝して、至尊万歳、国祚康楽、国威振張、外夷摂服、の祈りを捧げた。そのために家産を傾けた人もあるが、そんなことには頓着なく目的達成に心肝を砕いておられるのである。忠操の清烈、素行の端正、神風連の党人は実に立派な人格者ばかりだ。県が神官の採用に当って、殆ど神風連を任命したのは、この人々の誠意に感じてであった。それで加屋先生が加藤社の祠官となっておられるのだ。父はこう説明して皆の顔を見渡した。
「洋学をやるお前たちとは学問の種類も違っているし、時代に対する見透しも違うが、日本の伝統を守りながら漸進しようとする神風連の熱意と、洋学の知識を取入れて早く日本を世界の列強の中に安泰に置こうと心掛けるお前たちと、国を思う心には少しも変わりがない。前に言った林桜園先生はこの人たちの精神の基を礎いた方だが、非常に博学な学者だった。実学派の人たちからも敬意を捧げられておられるのだが、先生が亡くなられてから、いつとはなしに先生を頑迷な国学者だ漢学者だと批評する人が多くなった。進歩を急ぐの余り、そのようなことになったものと思う。林桜園先生は御自分でもオランダ語に精通しておられ、その教えを受けた人たちは二千人を超えているとのことだ。蘭書の講義もし、兵学、科学に力を入れておられた。ただただ神明の加護を願い、結髪帯刀を主義とするような、そんなことは教えられなかった。その後、政府が世界の情勢を検討された結果、進歩を急ぐ政策を促進するにつれて、この一党がうとんじられるようになり、頑迷だ、固陋だと批判される始末になった。それも無理はない。政府では広く世界に眼をひらいてアメリカ、イギリス、フランス等の各国の事情を実地に調査した結果、今までのようにオランダの書物だけに頼って外国の事情を狭く見て来た人たちと自然に見解を異にして来たのだ。こうなって来ると、不幸なことだが・・・神風連の人たちの中には急進派に反対するの余りに、徒に新政を非難するような風潮が生まれて来たし、急進派もまた神風連を時代に盲目な人たちとして嘲うようになったのだ。けれども国の将来を思う心は同じだ。お前たちが洋学をやるにしても、あの方々の立派な人格を見習い、日本人としての魂を忘れない心掛けが大切だ。林桜園先生が蘭書を読む時は、読む前に床に蘭書を置いて足で踏んでから読んだと言われている。そこまでせよとは言わないが、お前たちにその心掛けが必要だという意味が判ってくれればよい。いいかな。今後はあの方々を軽蔑するようなことは慎みなさい。」
兄や従兄は神妙な顔でお辞儀した。父の話には、いつも厳しい説得力があった。
「いつの世にも同じことが繰り返される。時代が動き始めると、初めの頃は皆同じ思いでいるものだが、いつかは二つに分れ三つに分れて党を組んで争う。どちらに組する方が損か得かを胸算用する者さえ出て来るかと思えば、ただ徒に感情に走って軽蔑し合う。古いものを嘲っていれば先覚者になったつもりで得々とする者もあり、新しいものといえば頭から軽佻浮薄として軽蔑する者も出て来る。こうしてお互いに対立したり軽蔑したりしているうちに、本当の時代遅れの頑固者と新しがりやの軽薄者が生れて来るものだ。これは人間というものの持って生れた弱点であろうなあ・・」と言って父は座を立って書斎に入ってしまった。母も兄も従兄も叱られた生徒のように膝に眼を落して黙っていた。』
2020年4月14日火曜日
20200414 熊本大地震から4年経て思ったこと
本日は、2016年に発生した熊本大地震から丁度、4年目にあたります。また、2016年当時の自身も、これをブログ記事の題材としていましたが、その後、もう少し記憶を辿ってみますと、それから1年半後の2017年11月に、応募した公募の面接のため、熊本を訪れていたことが思い出されました。
この時、熊本城は修復途中であり、石垣にシートが大きく被せてありましたが、熊本市街はそこまで大きな被害の痕跡が見当たらず、活気があって賑わっていたと記憶しています。
そして、この時に市内を散歩をしていて偶然見つけたのが桜山神社であり、ここでは、維新回天期に殉じた当地出身の志士、1876年に生じた神風連の乱にて決起して亡くなられた方々を祀っており、それら墓前には新しい花々が供えられ一種独特な静けさに包まれていました。
また、以前の投稿ブログにて書きましたが、2016年の熊本大地震は、さきの神風連の乱から140年後に起きた出来事なのです。そして、その中間地点が1946年であり、1年前にずらしますと、太平洋戦争敗戦の年となります。
とはいえ、地震などは典型的な自然災害であり、それを他の歴史的出来事などと並べて考えることは、必ずしも科学的な意味では適切とは云えないのかもしれませんが、それでも、これらを並べて考えてみますと、何と云いますか、近現代日本の動きの様相・概要が、ある程度理解出来るようになるのではないかとも思われるのです・・。私見ではありますが、こうした視点・視座を定めて考えることにより「歴史」というものは、徐々にその流れを見せてくれ、そして理解出来るようになるのではないかと考えます。
そして現在、熊本の復興はさらに進み、今度は世界規模で新型コロナウィルス感染症の拡大が進んでいます・・。そして、そのように考えてみますと、我が国を含めて、世界の人類の文明全体は、果たして良い方向へ向かっているのでしょうか・・。
あるいはまた、その行く先を良い方法に方向を修正するためには、どのようなことを行えば良いのでしょうか・・。その抽象的な答えは、やはり歴史の中にあるのではないかと考えます。
さて、ハナシは変わりまして、今月に入ってからはブロガーのみでの記事投稿となっており、以前から続けていたアメーバブログの更新が遅れていますが、これは先にも書きました通り未だ体調が不安定であることから、日毎の更新作業が出来ないからであり、これについては、今後、出来るだけ近いうちに、再び投稿したいと考えています・・。
また、ここまで書いて不図、思い出したのが矢玉四郎による「はれときどきぶた」という絵本であり、案外この絵本のテーマは、さきに述べた内容、そしてトーマス・マンによる「トニオ・クレーゲル」とも近い部分があるのかもしれないと思われました・・(笑)。
今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。
日本福祉大学
~勉強会の御案内~
この時、熊本城は修復途中であり、石垣にシートが大きく被せてありましたが、熊本市街はそこまで大きな被害の痕跡が見当たらず、活気があって賑わっていたと記憶しています。
そして、この時に市内を散歩をしていて偶然見つけたのが桜山神社であり、ここでは、維新回天期に殉じた当地出身の志士、1876年に生じた神風連の乱にて決起して亡くなられた方々を祀っており、それら墓前には新しい花々が供えられ一種独特な静けさに包まれていました。
また、以前の投稿ブログにて書きましたが、2016年の熊本大地震は、さきの神風連の乱から140年後に起きた出来事なのです。そして、その中間地点が1946年であり、1年前にずらしますと、太平洋戦争敗戦の年となります。
とはいえ、地震などは典型的な自然災害であり、それを他の歴史的出来事などと並べて考えることは、必ずしも科学的な意味では適切とは云えないのかもしれませんが、それでも、これらを並べて考えてみますと、何と云いますか、近現代日本の動きの様相・概要が、ある程度理解出来るようになるのではないかとも思われるのです・・。私見ではありますが、こうした視点・視座を定めて考えることにより「歴史」というものは、徐々にその流れを見せてくれ、そして理解出来るようになるのではないかと考えます。
そして現在、熊本の復興はさらに進み、今度は世界規模で新型コロナウィルス感染症の拡大が進んでいます・・。そして、そのように考えてみますと、我が国を含めて、世界の人類の文明全体は、果たして良い方向へ向かっているのでしょうか・・。
あるいはまた、その行く先を良い方法に方向を修正するためには、どのようなことを行えば良いのでしょうか・・。その抽象的な答えは、やはり歴史の中にあるのではないかと考えます。
さて、ハナシは変わりまして、今月に入ってからはブロガーのみでの記事投稿となっており、以前から続けていたアメーバブログの更新が遅れていますが、これは先にも書きました通り未だ体調が不安定であることから、日毎の更新作業が出来ないからであり、これについては、今後、出来るだけ近いうちに、再び投稿したいと考えています・・。
また、ここまで書いて不図、思い出したのが矢玉四郎による「はれときどきぶた」という絵本であり、案外この絵本のテーマは、さきに述べた内容、そしてトーマス・マンによる「トニオ・クレーゲル」とも近い部分があるのかもしれないと思われました・・(笑)。
今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。
日本福祉大学
祝新版発行決定!
ISBN978-4-263-46420-5
~勉強会の御案内~
歯科材料全般あるいは、いくつかの歯科材料に関する勉強会・講演会の開催を検討されていましたら、ご相談承ります。また、上記以外、他諸分野での研究室・法人・院内等の勉強会・特別講義のご相談も承ります。
~勉強会・特別講義 問合せ 連絡先メールアドレス~
conrad19762013@gmail.com
conrad19762013@gmail.com
どうぞよろしくお願いいたします!
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