B「うん、まあどうにか元気でやっていますよ。
とはいえ最近はずいぶん寒くなり朝晩が少し辛くなってきました・・まあ、毎年のことだけれども(笑)。」
A「ええ、私も様々なところに住んできましたが、どこでも冬の寝起きが辛いことには変わりがありませんね(笑)。」
B「まあ、よほど南の方に行けば、また話は別かもしれないけれど、そうすると今度は昼間の暑さが辛いことになりかねないからねえ・・(笑)。」
A「ええ、そうですね。
そう考えますと、案外日本列島は特別に寒くも暑くもない、すごし易いところなのかもしれませんね。」
B「そうだね。
多分地域によって若干のブレはあるかもしれないけれども大体はそうじゃないかな。
あと前の君のブログに書いてあったけれども日本列島は火山が多くて、その副産物・副次的要素として温泉も多いのだけれど、この季節になるとまた温泉が恋しくなるね(笑)。」
A「そうですね・・私も鹿児島市在住時は週末に市内の温泉に行っていました。鹿児島は県内に多く温泉があり、市内中心部に近いところにもあります。ただ、それが愛媛、松山の道後温泉の様に古来より高名であったり観光地化されていないことから、何といいますか、地元の人々の日常生活に溶け込んでいるのです。ですから、これが今後観光地化してしまいますと、おそらく地元の人々は反対するのではないかと思います・・。」
B「へえ、鹿児島で温泉と云えば霧島や指宿が有名だけれども、市内にも温泉があるんだね。」
A「ええ、そうです。しかし道後温泉ほど古いものではないと思います。
それに特に九州南部はある程度の深さの穴を掘ると温泉が出るいわれていますから・・。
しかし現在の状況に立ち戻りますと、そこまで遠くなくていいですので、伊豆あたりの温泉に行ってみたいですね・・・(溜息)。」
B「伊豆ですか・・いいですね。
そういえば伊豆半島はフィリピン海プレートに属していて、これは日本列島でもここだけなんだよね。
それが原因かどうか分からないけれどもあそこはまた自然風土が何だか独特だよね(笑)。」
A「ええ、科学的ではないかもしれませんが、一般道で小田原、真鶴あたり通過し、静岡県に入りしばらく走りますと何だか空気が違ってくるような気がします・・。
そして同時に植生もまた南方的な横溢さを示すようになるのではないかと思います。」
B「なるほど確かに伊豆半島の空気や植生は関東とはどうも違うよね・・。そういえば前の君のブログでも似たようなことが書かれていなかったかな?」
A「あ、そうですね!
それで今思い出しましたけれど、関係ないかもしれませんが、古代律令制で朝廷に認識されていた神社(式内社)の数は伊豆諸島を含む旧伊豆国が他に比べ有意に多いのです。
これはたしか西郷信綱の論考にありましたけれども、それによると平安時代中期頃の朝廷の支配領域の辺縁、辺境と認識されている地域に外敵侵入の阻止、地鎮の意味を込めて多くの神社を設置したのではないかとのことでした・・。
しかし、こういった考えは世界各地に類例を見ます。
具体的にはローマ帝国北方辺境におけるハドリアヌスの壁、中国歴代王朝が北方辺境に築いた万里の長城などです。
そしてこのことを約言すると、実質的な防衛機能を持つ城砦を築くのが彼等の手法であり、一見実質的でない呪術的な意味での防衛機能を持つ施設、つまり神社を築くのが我々の祖先の手法ではないかということです。
しかしながら以上の分類の仕方はあくまでも表層的なものであり、よく考えてみると事情はもう少し込み入っていると思います・・。先を続けてもいいですか・・?」
B「ああ、どうぞ、今までの話は大体わかったから、その込み入った事情とやらを是非聞いてみたいね(笑)。」
A「どうもありがとうございます。
それでは続けます。
ところでBさんは奈良県天理市の石上神宮は御存知ですか?」
B「・・もちろん知っているよ。
大分前だけれど参拝にも行ったよ。
あの神社はたしか神武東征に出てくる神剣の布都御魂(ふつのみたま)が御神体で、あとは百済王から贈られた七支刀が納められているのではなかったかな?」
A「専門の分野と違っていてもさすがによく御存知ですね・・(笑)。」
B「なあに、私が幼い頃の子供向け読本なんていうのは戦争期に出版されたのも普通にあったからね・・。
それで、そういう本にはそういった神話はごく普通に書かれていたものだよ・・。
それでまあ、後から得た知識やらを肉付けしたり、修正し易いんだろうね(笑)。」
A「ははあ、なるほどです。
あ、それで石上神宮ですが、この神社は仰る通り朝廷にとって神聖とされる武器が納められていることで有名なのですが、その考えを敷衍、拡張して、ここは古代大和朝廷の武器庫としての役割、性質をも持っていたと考えられています。
そうしますと、前にいいました我が国の古代において辺境地域に神社を設置する傾向とは、当時、神社が武器庫でもあるならば、それはそれで呪術的一辺倒でもなく実質的な意味合いも有していたと考えられるのです。
さらにこの考えを補強する要素として、石上神宮は物部氏の氏神を祀っているのですが、伊豆国をはじめとした東海地域の諸国造もまた物部氏に出自を持つものが多いことが挙げられます。」
B「ああ、それはたしか前に君のブログに書かれていたような気がしますね。」
A「ええ、それは確か銅鐸に対しての興味からの抜粋ですが、仰るとおりです。
そして、この考えに銅鐸、銅剣、銅矛などの青銅製鋳造祭器を要素として加えて考えてみると、これがまた面白いのです。
つまり、これらの青銅製祭器とは辺縁、辺境における地鎮の役割も持っていたと考えられているのです。
そうしますと、本来地鎮の役割を有していた青銅製祭器が廃れ、それが武器庫としての神社となり、さらにそこから社会の安定化に伴い、武器庫的要素が薄れ、現在の神社の様になっていった過程がまあ何となく理解できるような気がするのです・・。
しかし、これはあくまでも古代朝廷から見た辺縁、辺境地域における神社の性格、傾向であって、全部が全部そうではありません・・。」
B「ふーん、何だか面白いね・・あと、そういうのは日本だけでなく他の国においてはどの様な傾向があるのか調べてみたら、もしかしたら、もっと興味深いものが見つかるかもしれないね。」
A「ええ、そうですね。
それは確かに面白そうですね。
機会があれば是非もう少し深く追究してみたいですね・・。」
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