2015年8月26日水曜日

中井久夫著「徴候 記憶 外傷」みすず書房刊 pp.6-9 其の1

加藤周一・木下順二・丸山真男・武田清子著 「日本文化のかくれた形」 岩波現代文庫刊 pp.31-37より抜粋と併せて読んでみてください。

また、以前投稿した同引用部はフォントが小さく読み難かったので二分割して投稿します。

「微分回路は、認知手段としては、時進み回路というくらい、先取りなんだ。航空機の速度計がいい例なんだが、少し前の値を予測によって出す。重要なことは、先行経験にほとんど依存しないということだ。ただ、このタイプの認知には固有の限界がある。もしリアルタイムにおける絶対確実な予測を求めれば、まったく答えが出ない。あたりまえだ。そしてこれに近づこうとする時、ホワイト・ノイズをひらって予測がくるう。つまりある精度以上の予測を求めれば全体が壊乱するのだ。それから、微分不能の突然入力にもよわいね。動くものだけを認知する蛙はひょっとすると微分回路的認知で生きているのかもしれないね。蛙の場合は別のシステムを考えられないのではないのだが、とにかく生命としてはかなり古いものではないかね。比較的少数のニューロンを使う場合に効率がいい外界対処の方法だろうね。

変化のみをひろって近い未来の傾向を予測するからこそ、過去の経験への参照がなくてすむわけだが、変化のみを記録するから増幅すると動揺が拡大される。モーターにつないで、微分回路をコントローラーとする動力は不安定なのだ。長期的には非常に疲労しやすいシステムだ。」

「なんだか統合失調症のひとの特性のかなりのところと似ているのではないかな。動揺と疲労しやすさと些細な変化に敏感で案外大変化に強いとか不意打ちにすごく弱いとか。」

「そういわれればそうかな。とにかく、t=0における絶対予測を求めるのは、ヒトが不安になっているときだね。つまり黒子は、不安だね。恐怖とほとんど合体しているような強い不安が発病直前にほとんど奈落の底に転落するような体験に帰着するらしい。患者にとって幻覚や妄想がそれほどこわくないのはなぜかという、その答えはその前の恐怖経験に比べればまだしも耐えうるものだからだというんだ。「背後から忍び寄る影に比べれば他のものは何ほどのこともない。」って意味のことを、つげ義春の「ねじ式」で少年がいうじゃないか。

不安はまずアンテナをとぎすまさせる。とくに警戒性にささげられた聴覚過敏だ。味覚も鋭敏になる。毒がはいっているというひとでなくとも、味が変わるっていう。舌の茸状乳頭という、味蕾の集まっているところが肥大し充血するね。中国医学では舌の毛細血管一般の充血と区別していないけど。感覚の研ぎ澄まされた状態が目に見える唯一の箇所だ。不安な時にアンテナがするどくなる一方の舌の尖あたりは、まるでキイチゴのように茸状乳頭がはれ上がり充血しているぜ、これは最近見つけたことだが、これが悪循環の始まりだ。「アンテナが鋭敏すぎてホワイト・ノイズをひろってしまっているかもしれないよ」というとはっと気が付く患者もいるね。むかし、小部分から全体を推そうとするという意味で「シンタグマ指向性」と呼んだことがある。徴候的認知は「シンタグマ指向的」だ。


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