つまり日本の歴史において天皇が支配してきた時代は、非常に多くの人間が半ば奴隷状態であったというわけです。ただ一部の特権階級のもののみに属してきたその文化というものは、ぼくには非常にナンセンスなものであると思われるし、そんなものが伝統であれば壊したほうがいいと思う。
あなたは文化、文化とおっしゃるけれども、人間はまず文化を云々する前に飯を食う事が大切である。
国家を守ることが大事であるといいますけれども、国家というものが一体どういうものであるのか。
一部の支配階級が結局存続擁護のためにつくったものである、そういうことはおそらく学問的に大体確かであろうという説が成り立っているわけです。
にもかかわらず、あなたがそういう発言をするのは、時間的にも場所的にもある程度社会的影響力のある人間としては非常に無責任である。
はっきり言いますと、あなたは天皇というものが、何か非常にすばらしいもののように考えているようですけれども、ぼく個人の感じからいえば、天皇が頂点に立つ歴史というものは人民の屈辱の歴史であるし、今まで受け継がれてきたものも非常に屈辱的なものである。
・・・結局天皇というものは民族の誇りうる象徴ではなくて、屈辱の象徴であるという考えが成立するわけです。
ぼくはそういう感じを抱いている。だからあなたの考えとはだいぶ違うのだろうと思います。あなたのそういう発言は非常に無責任であると思うが、それについてあなたはどう思われますか」
これは慇懃無礼―いや傲慢無礼を絵にかいたような学生議論である。彼は羽仁五郎や井上清の日本歴史と天皇に関する左翼パンフレットを読んでいるかもしれぬが、日本の古典そのものは読んでいないから、日本の文化をナンセンスだと言い、そんな伝統は壊したほうがいいと言う。
唯物史観の公式以外には何の学問もしていないから、国家は支配階級の機関であり、天皇を戴く歴史は人民の屈辱の歴史であると、どうやら本気で信じ込んで、それでもひとかどの理論家を気取っている。この型の赤チン(赤のチンピラの略語で、故鈴木茂三郎氏の造語)の思考様式は昔も今も同じである。
このF君に対して、三島由紀夫がどんなふうに答えるか。私は少なからず興味を持って読んでみた。はたして三島は相手の慇懃無礼を逆手にとった。
「今のご質問は非常に理性的なご質問だと思いました。というのは、あなたの考えと私の考えは非常にちがうだろうと思うというあの一句のためでありました。まさに非常にちがうのですな。文化というものの規定を特権階級のものである。じゃソヴィエットのレニングラード・バレー団も王子様と王妃様が、王子とお姫様が出てきて跳んだりはねたりして踊る。これも特権階級の文化だ、ということになりますな」と親切らしく始めて、「文化というものは結局マルキシズムの階級史観では絶対に解明できない。あらゆる哲学者が文学論、芸術論になると失敗するのです。カントの判断力批判をお読みになったらわかるでしょうが、判断力批判は美という問題を扱って、バナナの皮にすべったようにスッテンコロリンと転んでいる。」と相手の衒学癖を先回りをし、やがて次第に腹の虫がおさえかねたらしく、「トロツキーは、政治はプロレタリア独裁、文化はブルジョア的でよろしいという方針であったので、彼は追放されなかった短い期間にソヴィエットにも、たとえばマヤコフスキーの詩、その他の国際的に誇れる文化が生まれた」「そしてこのトロツキーは粛清されたんです。あなたのような人によって。・・・文化というものは特権階級の文化だと規定するあなた自身が日本語をしゃべっているじゃないか。この日本語がどれほど美しい蓄積の上につくられたか。何も宮廷の言葉ばかりじゃない。日本の庶民人民の言葉のなかにも美しい日本語が残っているのに、今あなたの日本語を聞いていると一向美しくないのは、まったくあなたの理論によくあっている。あなたはそういう日本語を使うことによって、特権階級の文化を滅ぼしているのじゃなくて、あなた自身の文化を滅ぼしているのだ」
国家論については、アメリカの国家と日本の国家を比較分析してみせて、
「ユナイテッド・ステーツ」と日本の国とはまるで違うのです。・・我々はとにかく太古以来この一つの島のなかに同民族が、同文化、同言語を使って連綿とつづいていき、自らこの国を成した。手塚治虫の漫画なんか見ると、あたかも人民闘争があって、奴隷制があって、神武天皇という奴隷の酋長がいて、奴隷を抑圧して国家をつくったように書いてあるが、あなたは手塚治虫の漫画を読みすぎたんだ。これはこのごろの子供に読ませるための共産主義者の宣伝で、単純な頭にわかりやすく漫画で書いてある。それを読みすぎてこういう質問が出てきちゃった。私の言いたいのはそれだけです。」
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