株式会社河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田 裕之訳「21 Lessons ; 21世紀の人類のための21の思考」pp.102-104より抜粋
ISBN-10 : 4309467458
ISBN-13 : 978-4309467450
あなたはアルゴリズムにつきまとう問題の数々を並べ立て、人はけっしてアルゴリズムを信頼するようにはならないと結論するかもしれない。だがそれは、民主主義の欠点をすべてあげつらって、正気の人ならそのような制度はけっして選択しないだろうと結論するようなものだ。有名な話だが、ウィンストン・チャーチルは次のように言っている。民主主義はこの世で最悪の政治制度だーただし。他のすべての政治制度を除けば、と。是非はともかく、人々はビッグデータアルゴリズムについても同じ結論に到達するかもしれない。多くの障害を抱えてはいるものの、それよりましな選択肢はない、と。
人間の意思決定の仕方について科学者が理解を深めるにつれ、アルゴリズムに頼りたいという誘惑も強まりそうだ。人間の意思決定をハッキングすれば、ビッグデータアルゴリズムの信頼性が高まるばかりでなく、同時に、人間の感情の信頼性が落ちるだろう。政府や企業が人間のオペレーティングシステムをハッキングすることに成功すれば、私たちは精密誘導の操作や広告やプロパガンダの集中砲火を浴びることになる。私たちの意見や情動を操作するのがあまりに簡単になりかねない。その場合、私たちはアルゴリズムに頼ることを余儀なくされる。めまいに襲われたパイロットが自分の感覚が告げるメッセージを無視して、機械装置を全面的に信頼しなければならないのと同じことだ。
一部の国や一部の状況では、人々はまったく選択肢を与えられず、ビッグデータアルゴリズムの決定に従うことを強制されかねない。とはいえ、自由社会とされている場所でさえも、アルゴリズムが権限を増すかもしれない。私たちはしだいに多くの事柄でアルゴリズムを信頼したほうがいいことを経験から学び、自ら決定を下す能力を徐々に失っていくだろう。考えてもみてほしい。わずか20年のうちに、何十億もの人が的確で信用できる情報を探すという、非常に重要な任務をグーグルの検索アルゴリズムに委ねるようになった。私たちはもう、情報を探さない。代わりに、「ググる(Googleで検索する)」。そして、答えを求めてしだいにグーグルに頼るようになるにつれて、自ら情報を探す能力が落ちる。そして今日、「真実」はグーグルでの検索で上位を占める結果によって定義される。
同じことが、目的地までの移動のような身体能力にも起こっている。人々はグーグルを頼りに動き回る。交差点に差しかかると、直感は「左に曲がれ」と告げているのに、グーグルマップは「右に曲がれ」と言う。最初は自分の直感に従って左に曲がり、交通渋滞に巻き込まれ、重要な会議に出席しそこなう。次のときにはグーグルの言うことを聞いて右に曲がり、時間どおりに到着する。こうして、経験からグーグルを信頼することを学ぶ。一、二年のうちに、グーグルマップが言うことなら何にでも、ろくに考えもせずに従うようになり、スマートフォンが故障したら、完全にお手上げとなる。
2012年3月、オーストラリアで沖の小島に日帰り旅行に出ることにした日本人観光客が、干潮の太平洋に車で突っ込んだ。運転していた21歳の野田ゆずは後に、GPSの指示に従っただけだと述べている。「車で行き着けるとのことでした。道路に導いてくれると繰り返すばかり。そのうち動けなくなってしまいました」。同様の事故は他にもあり、どうやらGPSの指示に従っていて車を湖に乗り入れたり、取り壊し中の橋から落ちたりということが起こっているらしい。目的地まで無事に行き着く能力は筋肉のようなもので、使わないと失われる。配偶者や職業を選ぶ能力にも同じことが当てはまる。
2025年8月31日日曜日
20250830 春風社刊 谷川健一著「古代歌謡と南島歌謡: 歌の源泉を求めて」 pp.97-100より抜粋
春風社刊 谷川健一著「古代歌謡と南島歌謡: 歌の源泉を求めて」
pp.97-100より抜粋
ISBN-10 : 4861100585
ISBN-13 : 978-4861100581
枕詞は今では原義が不明になってしまっていることから、たんなる形容詞や形容句と思われているものも少なくないが、その背後をたどっていくと実体に突きあたる。
「万葉集」巻三には、柿本野人麻呂の旅の歌が八首まとめて載せてある。その一つに有名な、
ともしびの明石大門(あかしおほと)に入らむ日や漕ぎ別れなむ家のあたり見ず(二五四)
がある。「ともしび」が明石の枕詞であり、明石が地名であるのはいうまでもないが、では明石という地名の由来は何かというと、手許にある数種類の「万葉集」の注釈書では穿鑿されていない。そこで歴史地理学者・吉田東伍の「大日本地名辞書」を開いてみると、明石の名は付近の海中に赤い石がとれ、それが硯の材料に最適であることから起った、という説のあることを記している。また古書の中には、「赤石」または「明」という字を当ててアカシと訓ませたものもあるそうである。
しかし私には、明石の名が赤石にもとづくとは思われない。明石市と淡路島の淡路町の間は明石海峡と呼ばれるせまい瀬戸になっている。私は淡路町の岩屋にある海ぞいの旅館で半日ばかり海を見てすこしたことがあるが、その間中、東に西に往き交う船舶のとぎれることがなかった。万葉時代にも、いやそれ以前から、そこが海の重要な交通路であったことはまぎれもない。西国からやってきて「明石大門」を通り越し、はじめて異郷を脱したという感慨を持つ旅人は多かったと思われる。さきの歌につづく人麻呂の歌、
天ざかる夷の長道ゆ恋ひ来れば明石の門より大和島見ゆ(二五五)
という歌には、自分たちの住む国にやっと足を踏み入れるという安堵感がにじみ出ている。この「大和島」というのを畿内というように広域に解する必要はない。秋から冬の晴れた日には、明石から葛城山脈を遠望できると地元の人に聞いた。
この重要な海峡では、船の航行を安全ならしめるために、目印として火が焚かれていたにちがいない。そして、その火をアカシと呼んだと思われる。松の根を切って燃やした灯火を「アカシ」と呼ぶ地方は、今日でも山梨、飛騨、大隅から南島までひろがっている(東條操『全国方言辞典』)。また、松の根を細かく引き裂き、灯火用に焚くときの台をヒデバチと呼んでいるところが各地にある。松明をタイマツと称するのも、松の根を焚いたからである。
こうしてみると、明石という地方は、地中から赤い硯石の材料が出るからではなく、松の根を焚いて航行する船の目印の灯明としたことに由来するのではないか。とすれば、「ともしび」という枕詞と明石という地名が無理なくつながる。
今日の灯台は、明治以前には灯明台と呼ばれていた。すなわち、神社に奉献された灯明台がその役割を果たしてきたのである。明石市の住吉神社もその一つであった。有明海に突きだした宇土半島北側の海岸にある熊本県宇土市住吉町には住吉神社が祀られている。神社の境内には、肥後藩主細川宣紀の寄進した高灯籠があり、ながく灯台として用いられた。現在の住吉灯台の前身にあたるものであった。
烽火の制は、天智帝の時代から始まっている。したがって、万葉時代に海の要衝である明石の瀬戸に松の根を焚いて船舶の航行をたすける「ともしび」の設備があったと推測するのはいっこうに不自然ではない。
pp.97-100より抜粋
ISBN-10 : 4861100585
ISBN-13 : 978-4861100581
枕詞は今では原義が不明になってしまっていることから、たんなる形容詞や形容句と思われているものも少なくないが、その背後をたどっていくと実体に突きあたる。
「万葉集」巻三には、柿本野人麻呂の旅の歌が八首まとめて載せてある。その一つに有名な、
ともしびの明石大門(あかしおほと)に入らむ日や漕ぎ別れなむ家のあたり見ず(二五四)
がある。「ともしび」が明石の枕詞であり、明石が地名であるのはいうまでもないが、では明石という地名の由来は何かというと、手許にある数種類の「万葉集」の注釈書では穿鑿されていない。そこで歴史地理学者・吉田東伍の「大日本地名辞書」を開いてみると、明石の名は付近の海中に赤い石がとれ、それが硯の材料に最適であることから起った、という説のあることを記している。また古書の中には、「赤石」または「明」という字を当ててアカシと訓ませたものもあるそうである。
しかし私には、明石の名が赤石にもとづくとは思われない。明石市と淡路島の淡路町の間は明石海峡と呼ばれるせまい瀬戸になっている。私は淡路町の岩屋にある海ぞいの旅館で半日ばかり海を見てすこしたことがあるが、その間中、東に西に往き交う船舶のとぎれることがなかった。万葉時代にも、いやそれ以前から、そこが海の重要な交通路であったことはまぎれもない。西国からやってきて「明石大門」を通り越し、はじめて異郷を脱したという感慨を持つ旅人は多かったと思われる。さきの歌につづく人麻呂の歌、
天ざかる夷の長道ゆ恋ひ来れば明石の門より大和島見ゆ(二五五)
という歌には、自分たちの住む国にやっと足を踏み入れるという安堵感がにじみ出ている。この「大和島」というのを畿内というように広域に解する必要はない。秋から冬の晴れた日には、明石から葛城山脈を遠望できると地元の人に聞いた。
この重要な海峡では、船の航行を安全ならしめるために、目印として火が焚かれていたにちがいない。そして、その火をアカシと呼んだと思われる。松の根を切って燃やした灯火を「アカシ」と呼ぶ地方は、今日でも山梨、飛騨、大隅から南島までひろがっている(東條操『全国方言辞典』)。また、松の根を細かく引き裂き、灯火用に焚くときの台をヒデバチと呼んでいるところが各地にある。松明をタイマツと称するのも、松の根を焚いたからである。
こうしてみると、明石という地方は、地中から赤い硯石の材料が出るからではなく、松の根を焚いて航行する船の目印の灯明としたことに由来するのではないか。とすれば、「ともしび」という枕詞と明石という地名が無理なくつながる。
今日の灯台は、明治以前には灯明台と呼ばれていた。すなわち、神社に奉献された灯明台がその役割を果たしてきたのである。明石市の住吉神社もその一つであった。有明海に突きだした宇土半島北側の海岸にある熊本県宇土市住吉町には住吉神社が祀られている。神社の境内には、肥後藩主細川宣紀の寄進した高灯籠があり、ながく灯台として用いられた。現在の住吉灯台の前身にあたるものであった。
烽火の制は、天智帝の時代から始まっている。したがって、万葉時代に海の要衝である明石の瀬戸に松の根を焚いて船舶の航行をたすける「ともしび」の設備があったと推測するのはいっこうに不自然ではない。
2025年8月30日土曜日
20250829 株式会社世界文化社刊 白洲正子著「風姿抄」 pp.38-40より抜粋
株式会社世界文化社刊 白洲正子著「風姿抄」
pp.38-40より抜粋
ISBN-10 : 441809511X
ISBN-13 : 978-4418095117
彼(秦秀雄)は、井伏鱒二氏の「珍品堂主人」のモデルになった人で、珍品を見出すだけでなく、彼自身珍品である。別にそういったものを目指しているわけではない。人が見のがしたものの中に、安くて美しいものを発見する。落穂拾いの名人だ。世間一般の常識的な鑑賞ではなく、非常に個性的な物の見方をする。しぜん面白いものが集まって来るわけだが、時にはまったく他人に通用しない「珍品」に惚れこみ、長々とおのろけを聞かされることもある。
いつか鎌倉時代の根来の盆を買って来た。たしかに時代はあるに違いないが、荒れはてていて、すだれのようなすき間があり、根来とは名ばかりである。だが、秦さんは夢中になっていた。「裏を観てごらんなさい、建長元年と書いてあるでしょう」
だが、そこにはかすかに朱色が残っているだけで、建とも長とも読めはしない。好きなあまりに執念が、ありもしない字まで読ませてしまうのだ。そういう所が、まことに面白い。 大体、ものに惚れこまないような人に、骨董はわからないもので、それは欠点というより、むしろ美点と呼ぶべきであろう。贋物をつかむことも、あえて辞さない。贋物も買う勇気がない奴に、何で骨董がわかるか、という気概を持っている。真贋の問題は、とても奥深いのでここではふれないが、それは悪女にひっかかるような体験で、悪女ほど女の正体がつかめるものはないのである。
とかくそういう人は誤解を受けやすく、秦さんも風評の多い人物だが、私みたいなぽっと出が、長い間つきあえるのも、しんは善人だからに違いない。そういったら、彼はがっかりするだろう。彼は自ら悪人をもって任じ、親鸞上人に帰依しているが、私に関するかぎり、いつも親切なおじさんだった。特に近頃は、年をとったせいもあって、秦さんには申しわけないけれども好々爺じみて来た。もっとも、人間は複雑怪奇なものだから、他の人がどう思うか、それは私の知ったことではない。少なくとも私は、こんな友達を持って、珍品を授けてくれるのを、有難いことに思っている。
私は美術品が、夢にもわかるとは思っていないが、自分が好きなものだけは、はっきりしている。それを知るために、何十年もかかったといっていい。客観的に鑑賞するすべも、心得ていないわけではないが、それは別の世界の出来事で、どんなに立派な国宝でも、自分の性に合わなければ、単に「結構なもの」として頭のすみっこで認識するにすぎない。世の中には、「結構な人間」も大勢いて、尊敬はするが親しみが持てないのと一般である。それだけを知るために、何十年もかかったとは、何という愚かなことか。だが、骨董とは、そういうものであるらしい。
骨董屋はよく物を買うのは真剣勝負だというが、場所が違うだけで、素人にとってもそれは同じことだろう。もしこの茶碗がいけなければ、私が駄目だということだ。うっかり編集者さんの口車に乗せられて、こんな原稿を引き受けてしまったことを、私は後悔している。それは裸の自分を見ることに他ならず、恐ろしくもあり、恥ずかしくもある。
pp.38-40より抜粋
ISBN-10 : 441809511X
ISBN-13 : 978-4418095117
彼(秦秀雄)は、井伏鱒二氏の「珍品堂主人」のモデルになった人で、珍品を見出すだけでなく、彼自身珍品である。別にそういったものを目指しているわけではない。人が見のがしたものの中に、安くて美しいものを発見する。落穂拾いの名人だ。世間一般の常識的な鑑賞ではなく、非常に個性的な物の見方をする。しぜん面白いものが集まって来るわけだが、時にはまったく他人に通用しない「珍品」に惚れこみ、長々とおのろけを聞かされることもある。
いつか鎌倉時代の根来の盆を買って来た。たしかに時代はあるに違いないが、荒れはてていて、すだれのようなすき間があり、根来とは名ばかりである。だが、秦さんは夢中になっていた。「裏を観てごらんなさい、建長元年と書いてあるでしょう」
だが、そこにはかすかに朱色が残っているだけで、建とも長とも読めはしない。好きなあまりに執念が、ありもしない字まで読ませてしまうのだ。そういう所が、まことに面白い。 大体、ものに惚れこまないような人に、骨董はわからないもので、それは欠点というより、むしろ美点と呼ぶべきであろう。贋物をつかむことも、あえて辞さない。贋物も買う勇気がない奴に、何で骨董がわかるか、という気概を持っている。真贋の問題は、とても奥深いのでここではふれないが、それは悪女にひっかかるような体験で、悪女ほど女の正体がつかめるものはないのである。
とかくそういう人は誤解を受けやすく、秦さんも風評の多い人物だが、私みたいなぽっと出が、長い間つきあえるのも、しんは善人だからに違いない。そういったら、彼はがっかりするだろう。彼は自ら悪人をもって任じ、親鸞上人に帰依しているが、私に関するかぎり、いつも親切なおじさんだった。特に近頃は、年をとったせいもあって、秦さんには申しわけないけれども好々爺じみて来た。もっとも、人間は複雑怪奇なものだから、他の人がどう思うか、それは私の知ったことではない。少なくとも私は、こんな友達を持って、珍品を授けてくれるのを、有難いことに思っている。
私は美術品が、夢にもわかるとは思っていないが、自分が好きなものだけは、はっきりしている。それを知るために、何十年もかかったといっていい。客観的に鑑賞するすべも、心得ていないわけではないが、それは別の世界の出来事で、どんなに立派な国宝でも、自分の性に合わなければ、単に「結構なもの」として頭のすみっこで認識するにすぎない。世の中には、「結構な人間」も大勢いて、尊敬はするが親しみが持てないのと一般である。それだけを知るために、何十年もかかったとは、何という愚かなことか。だが、骨董とは、そういうものであるらしい。
骨董屋はよく物を買うのは真剣勝負だというが、場所が違うだけで、素人にとってもそれは同じことだろう。もしこの茶碗がいけなければ、私が駄目だということだ。うっかり編集者さんの口車に乗せられて、こんな原稿を引き受けてしまったことを、私は後悔している。それは裸の自分を見ることに他ならず、恐ろしくもあり、恥ずかしくもある。
2025年8月29日金曜日
20250828 河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ:著 柴田 裕之:訳「NEXUS 情報の人類史 : 下 AI革命」 pp.130-132より抜粋
河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ:著 柴田 裕之:訳「NEXUS 情報の人類史 : 下 AI革命」
pp.130-132より抜粋
ISBN-10 : 4309229441
ISBN-13 : 978-4309229447
お金や神のような共同主観的現実が、人々の頭の外の物理的な現実に影響を与えることができるのとちょうど同じで、コンピューター間現実もコンピューターの外の現実に影響を与えることができる。2016年には「ポケモンGO」というゲームが世界中で大人気になり、年末までに何億回もダウンロードされた。「ポケモンGO」は拡張現実のモバイルゲームだ。プレイヤーは自分のスマートフォンを使って、「ポケモン」と呼ばれるバーチャルな生き物を見つけたり、それと戦ったり、それを捕まえたりすることができる。ポケモンは、物理的な世界の中に存在しているように見える。私は一度、甥のマタンとポケモンハントに出掛けたことがある。彼の家の近所を歩いていても、私には家や木、岩、自動車、人、ネコ、イヌ、ハトなどしか見えなかった。ポケモンは目に入らなかった。スマートフォンを持っていなかったからだ。だが、自分のスマートフォンのレンズを通してあたりを見回しているマタンには、岩の上に立っているポケモンや木の陰に隠れているポケモンが「見えた」。
私にはそれらのポケモンは見えなかったが、彼らはマタンのスマートフォンの中に閉じ込められているわけではないことは明らかだった。他の人々にも、それらのポケモンが「見えた」からだ。たとえば、同じポケモンを捕まえようとしている他の子供にも二人出会った。もしマタンがポケモンをうまく捕まえれば、他の子供たちもたちまち何が起こったかを目にすることができた。ポケモンは、コンピューター間現実の存在だったのだ。それらは、物理的な世界に原子として存在するのではなく、コンピューターネットワークの中にビットとして存在していたが、それでも言ってみれば、さまざまな形で物理的な世界とかかわり合い、その世界に影響を与えることができた。
さて、今度はコンピューター間現実のもっと重大な例を考察しよう。グーグル検索でウェブサイトが与えられる順位について考えてほしい。グーグルでニュースや飛行機のチケット、お薦めのレストランなどを検索すると、あるウェブサイトがグーグルの最初のページのいちばん上に登場する一方、50ページ目の中ほどに追いやられているウェブサイトもある。このグーグルの順位とはいったい何なのか?そして、どうやって決まるのか?グーグルのアルゴリズムは、そのウェブサイトをどれだけの人が訪れるかや、どうやって決まるのか?グーグルのアルゴリズムは、そのウェブサイトをどれだけの人が訪れるかや、他のウェブサイトがどれだけ多くそのサイトにリンクしているかといった、多種多様な要因にポイントを割り振って順位を決める。順位そのものはコンピューター間現実であり、何十億台ものコンピューターをつないでいるネットワーク、すなわちインターネットの中に存在する。ポケモンと同じで、このコンピューター間現実も物理的な世界へとあふれ出てくる。報道機関や旅行代理店やレストランにとって、自分のウェブサイトがグーグルの最初のページのいちばん上に表示されるか、それとも50ページ目の中ほどに表示されるかは死活問題だ。
グーグルの順位はじつに重要なので、人々はあの手この手を使ってグーグルのアルゴリズムを操作し、自分のウェブサイトの順位を上げようとする。たとえば、ボットを使ってウェブサイトへのトラフィックを増やすかもしれない。これはソーシャルメディアでもありふれた現象であり、調整されたボットの大軍団がユーチューブやフェイスブックやX(旧ツイッター)のアルゴリズムを絶えず操作している。もしもある投稿記事が爆発的に拡散したら、それは人間が本当に興味を持ったからなのか、それとも、何千ものボットがXのアルゴリズムをまんまと騙したからなのか?
ポケモンやグーグルの順位のようなコンピューター間現実は、人間が神殿や都市に持たせる神聖さのような共同主観的現実と似ている。
pp.130-132より抜粋
ISBN-10 : 4309229441
ISBN-13 : 978-4309229447
お金や神のような共同主観的現実が、人々の頭の外の物理的な現実に影響を与えることができるのとちょうど同じで、コンピューター間現実もコンピューターの外の現実に影響を与えることができる。2016年には「ポケモンGO」というゲームが世界中で大人気になり、年末までに何億回もダウンロードされた。「ポケモンGO」は拡張現実のモバイルゲームだ。プレイヤーは自分のスマートフォンを使って、「ポケモン」と呼ばれるバーチャルな生き物を見つけたり、それと戦ったり、それを捕まえたりすることができる。ポケモンは、物理的な世界の中に存在しているように見える。私は一度、甥のマタンとポケモンハントに出掛けたことがある。彼の家の近所を歩いていても、私には家や木、岩、自動車、人、ネコ、イヌ、ハトなどしか見えなかった。ポケモンは目に入らなかった。スマートフォンを持っていなかったからだ。だが、自分のスマートフォンのレンズを通してあたりを見回しているマタンには、岩の上に立っているポケモンや木の陰に隠れているポケモンが「見えた」。
私にはそれらのポケモンは見えなかったが、彼らはマタンのスマートフォンの中に閉じ込められているわけではないことは明らかだった。他の人々にも、それらのポケモンが「見えた」からだ。たとえば、同じポケモンを捕まえようとしている他の子供にも二人出会った。もしマタンがポケモンをうまく捕まえれば、他の子供たちもたちまち何が起こったかを目にすることができた。ポケモンは、コンピューター間現実の存在だったのだ。それらは、物理的な世界に原子として存在するのではなく、コンピューターネットワークの中にビットとして存在していたが、それでも言ってみれば、さまざまな形で物理的な世界とかかわり合い、その世界に影響を与えることができた。
さて、今度はコンピューター間現実のもっと重大な例を考察しよう。グーグル検索でウェブサイトが与えられる順位について考えてほしい。グーグルでニュースや飛行機のチケット、お薦めのレストランなどを検索すると、あるウェブサイトがグーグルの最初のページのいちばん上に登場する一方、50ページ目の中ほどに追いやられているウェブサイトもある。このグーグルの順位とはいったい何なのか?そして、どうやって決まるのか?グーグルのアルゴリズムは、そのウェブサイトをどれだけの人が訪れるかや、どうやって決まるのか?グーグルのアルゴリズムは、そのウェブサイトをどれだけの人が訪れるかや、他のウェブサイトがどれだけ多くそのサイトにリンクしているかといった、多種多様な要因にポイントを割り振って順位を決める。順位そのものはコンピューター間現実であり、何十億台ものコンピューターをつないでいるネットワーク、すなわちインターネットの中に存在する。ポケモンと同じで、このコンピューター間現実も物理的な世界へとあふれ出てくる。報道機関や旅行代理店やレストランにとって、自分のウェブサイトがグーグルの最初のページのいちばん上に表示されるか、それとも50ページ目の中ほどに表示されるかは死活問題だ。
グーグルの順位はじつに重要なので、人々はあの手この手を使ってグーグルのアルゴリズムを操作し、自分のウェブサイトの順位を上げようとする。たとえば、ボットを使ってウェブサイトへのトラフィックを増やすかもしれない。これはソーシャルメディアでもありふれた現象であり、調整されたボットの大軍団がユーチューブやフェイスブックやX(旧ツイッター)のアルゴリズムを絶えず操作している。もしもある投稿記事が爆発的に拡散したら、それは人間が本当に興味を持ったからなのか、それとも、何千ものボットがXのアルゴリズムをまんまと騙したからなのか?
ポケモンやグーグルの順位のようなコンピューター間現実は、人間が神殿や都市に持たせる神聖さのような共同主観的現実と似ている。
2025年8月27日水曜日
20250826 紀州・和歌山人の性質について
紀州・和歌山は温暖な気候や豊かな自然に包まれながらも、そこに住む人々の多くは、ある種の熱情、反骨精神、そして大胆な行動力を内に秘めている。彼らは、その海洋民らしい進取の気性と冒険心(射幸心も含む)と行動力によって、しばしば既存の枠組みを逸脱し、反抗することで新たな世界を切り拓いて来た。そして、その果敢とも云える地域の人々の精神的傾向は、政治家や外交官としても、商人としても、研究者としても、あるいは軍人としても、さまざまなカタチで卓越性を示してきたと云える。
以下、私見となるが、こうした紀州・和歌山の人々の精神的傾向の原型は古代にまで遡る。五世紀代、ヤマト王権の朝鮮半島における軍事行動で派遣軍の司令官であった紀州の豪族・紀大磐(生磐とも)は、その職分を逸脱し、自ら三韓の王になろうとしたと伝えられる。こうした行動は、現代から見れば「反乱」となるが、さきの地域性の視座から見れば、単に野心や野望に基づくものだけではなく、紀州人が持つ逸脱や反抗の気質を歴史に刻印したものだと云うことが出来る。
この紀州人の精神的な傾向は、千年以上を隔てて維新回天期や明治初期にも姿を現した。紀州藩を出自とする岡本柳之助は、新政府に抵抗する幕臣等によって構成された彰義隊に参加し、維新後は謹慎の後、明治政府陸軍に出仕して西南戦争では九州各地を転戦、活躍し、その軍事的才能を示した。しかしその後、竹橋事件での反政府的行動を指弾され官職追放となり、やがて福澤諭吉を介して当時の朝鮮独立運動指導者等と懇意になり、朝鮮の内政改革のために軍事顧問となった。さらに、辛亥革命に際しては清国に渡って活動し、上海にて客死した。その一様とは云えない生涯からは、安穏を拒み、既成の秩序から逸脱して反抗するという、古来からの紀州人の精神的傾向が看取出来る。
同じく、紀州藩を出自とする陸奥宗光(伊達陽之助)もまた、この紀州人的性質を体現した人物と云える。陸奥は、若い頃に脱藩し、維新回天期には坂本龍馬と共に活動し、維新後は政治家・外交官として手腕を発揮し、我が国の近代化に貢献した。外務大臣としては、各国との不平等条約改正に尽力し、より対等な関係を築くために努力した。そしてまた、近代日本最初の本格的な対外戦争である日清戦争に際しては、危ない局面もありながら、当時、東洋に植民地を持っていた西洋列強諸国を大きく刺激することなく、我が国を戦勝へ導くことに貢献した。
とはいえ、陸奥宗光の生涯には挫折も葛藤も少なからずあったと云える。そして、その紆余曲折の人生経路の背後からは、紀州人らしい強い自我と進取の気性、既存の秩序に挑む姿勢が看取出来る。それが結果として、我が国の近代外交史に確かな足跡を残したのだと云える。
このように紀州人的性質としての「越境・逸脱・反抗」の精神は、それは単なる反発ではなく、社会の停滞を打破し、新たな創造や建設へとつながる原動力であったとも云える。古代から近現代にかけての岡本柳之助や陸奥宗光、それに続く多くの紀州・和歌山を出自とする優れた人々は、この精神を内面的な構え(ハビトゥス)として半ば無意識的に受け継いできたのではないかと思われる。
そしてそれは、偶発的な活動として収斂されるものではなく、紀州・和歌山の自然風土と文化に根ざした地域の人々の性質であると云える。越境と逸脱から生じる新たな諸様相は、時代ごとに異なる意匠を装いつつも、その奥には、現在に至っては著しく衰弱しているが、なおも変わらぬ、さきの内面的な構え(ハビトゥス)が残されているのではないかと考える。その視座から「失われた30年」の我が国の衰退ぶりを検討してみるのも興味深いのではないかと思われる。
今回もまた、ここまでお読みいただき、どうもありがとうございます。

以下、私見となるが、こうした紀州・和歌山の人々の精神的傾向の原型は古代にまで遡る。五世紀代、ヤマト王権の朝鮮半島における軍事行動で派遣軍の司令官であった紀州の豪族・紀大磐(生磐とも)は、その職分を逸脱し、自ら三韓の王になろうとしたと伝えられる。こうした行動は、現代から見れば「反乱」となるが、さきの地域性の視座から見れば、単に野心や野望に基づくものだけではなく、紀州人が持つ逸脱や反抗の気質を歴史に刻印したものだと云うことが出来る。
この紀州人の精神的な傾向は、千年以上を隔てて維新回天期や明治初期にも姿を現した。紀州藩を出自とする岡本柳之助は、新政府に抵抗する幕臣等によって構成された彰義隊に参加し、維新後は謹慎の後、明治政府陸軍に出仕して西南戦争では九州各地を転戦、活躍し、その軍事的才能を示した。しかしその後、竹橋事件での反政府的行動を指弾され官職追放となり、やがて福澤諭吉を介して当時の朝鮮独立運動指導者等と懇意になり、朝鮮の内政改革のために軍事顧問となった。さらに、辛亥革命に際しては清国に渡って活動し、上海にて客死した。その一様とは云えない生涯からは、安穏を拒み、既成の秩序から逸脱して反抗するという、古来からの紀州人の精神的傾向が看取出来る。
同じく、紀州藩を出自とする陸奥宗光(伊達陽之助)もまた、この紀州人的性質を体現した人物と云える。陸奥は、若い頃に脱藩し、維新回天期には坂本龍馬と共に活動し、維新後は政治家・外交官として手腕を発揮し、我が国の近代化に貢献した。外務大臣としては、各国との不平等条約改正に尽力し、より対等な関係を築くために努力した。そしてまた、近代日本最初の本格的な対外戦争である日清戦争に際しては、危ない局面もありながら、当時、東洋に植民地を持っていた西洋列強諸国を大きく刺激することなく、我が国を戦勝へ導くことに貢献した。
とはいえ、陸奥宗光の生涯には挫折も葛藤も少なからずあったと云える。そして、その紆余曲折の人生経路の背後からは、紀州人らしい強い自我と進取の気性、既存の秩序に挑む姿勢が看取出来る。それが結果として、我が国の近代外交史に確かな足跡を残したのだと云える。
このように紀州人的性質としての「越境・逸脱・反抗」の精神は、それは単なる反発ではなく、社会の停滞を打破し、新たな創造や建設へとつながる原動力であったとも云える。古代から近現代にかけての岡本柳之助や陸奥宗光、それに続く多くの紀州・和歌山を出自とする優れた人々は、この精神を内面的な構え(ハビトゥス)として半ば無意識的に受け継いできたのではないかと思われる。
そしてそれは、偶発的な活動として収斂されるものではなく、紀州・和歌山の自然風土と文化に根ざした地域の人々の性質であると云える。越境と逸脱から生じる新たな諸様相は、時代ごとに異なる意匠を装いつつも、その奥には、現在に至っては著しく衰弱しているが、なおも変わらぬ、さきの内面的な構え(ハビトゥス)が残されているのではないかと考える。その視座から「失われた30年」の我が国の衰退ぶりを検討してみるのも興味深いのではないかと思われる。
今回もまた、ここまでお読みいただき、どうもありがとうございます。
ISBN978-4-263-46420-5
*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。
連絡先につきましては以下の通りとなっています。
メールアドレス: clinic@tsuruki.org
電話番号:047-334-0030
どうぞよろしくお願い申し上げます。
2025年8月24日日曜日
20250823 夏風邪をひいて思ったこと…
ここ数日、どうも体調が優れませんでした。思い返してみますと、ここ最近は睡眠時間が短かったことから、疲れが溜まっていたのだと思われます。そして23日(土)の朝、目を覚ましますと、身体と頭は重く、喉の奥にイヤな熱っぽさを感じ、明らかに風邪をひいている状態でした。そのため職場に連絡を入れてから、風邪薬を服用し、再び床に就いたものの、なかなか入眠出来ませんでした。そこで代わる代わる書籍を開いて読んでみましたが、内容は頭に入らず、また、読み進める気力も続かないことから読書も諦め、ひたすら横臥しているうちにまた意識が朦朧として、ようやく眠ることが出来ました。そして、次に目を覚ました時には、すでに窓の外は暗くなっており、一日の大半を眠りに費やしていたことを知りました。
おそらく、最近の体調不良と、今回の風邪は、睡眠不足が原因であったと思われますが、同時にここ最近は、久しぶりに文系の師匠にお目に掛かり、最近読んでいる著作や、読んだ著作、あるいは世界情勢から東南アジアの食文化などについての話題で色々と興味深い示唆を受けました。また、こうした会話をすこぶる楽しく感じられることから「やっぱり私は人文系の人間なのだなあ…」とあらためて思われました。
また、昨今の当ブログでの投稿記事が思いのほか多くの方々に読んで頂けていたことも嬉しい出来事であったと云えます。もとより、当ブログは、あまり多くの読者、大きな反響を期待する、出来る性質のものではありませんが、そうしたなかで、ある投稿記事が、これまでよりも多少多くの方々に読んで頂けたことは、それなりに嬉しいものであり、また継続への励みにもなります。
さらに過日、グーグル社からメールが届きました。その内容は、以前グーグル・マップにて投稿した写真が、一万回以上閲覧されたというお知らせでした。これは、以前から自分が関心を持ち、行ってきた行為とも関連するものであり、また、それと多少関連すると思われる内容の論文が、著名な某英文医学雑誌に掲載されていたことから、これも嬉しく感じられました。ともあれ、一方で、このように自分の行為が思わぬカタチで社会に溶け込み、認知され、そして人々の選択や行動に影響を与えることもあるということには、少し身が引き締まる思いもあります。
斯様に、体調を崩すこともあれば、思いがけない喜びもあり、まさに「禍福は糾える縄の如し」と云うべきなのでしょう…。風邪のために終日横臥した日も、師匠と文系ネタで盛り上がった日も、投稿ブログが普段よりも多く読んで頂けた日も、そして、グーグル・マップでの投稿写真が多く閲覧して頂いたことによる、ある種の影響の自覚といった、一様ではない出来事が重なり、振り返ってみますと、それなりの起伏があるようにも思われてきます。
そして今回の記事投稿により、総記事数は2370に達します。さらに、あと30本の新規投稿により、当面の目標とする2400記事に到達します。この目標に届く頃には、まだ半袖シャツを着用している時季であることを願います。また、半袖シャツで思い出しましたが、私は鹿児島在住の頃から、盛夏であっても半袖シャツの上に多少ゆったり気味の上着を羽織るようにしています。これは一見、暑苦しく見えるかもしれませんが、鹿児島の盛夏での直射日光を遮ることは、過分な体力の消耗や体温の上昇や日焼けの辛さを防ぐことが出来るため、かえって快適に過ごせることを知ったためです。それ以来、そしてまた、今年の様な異常な暑さの時はなおさら、盛夏であっても外では上着を着て肌を覆うことを心掛けるようになりました。
今回もまた、ここまでお読みいただき、どうもありがとうございます。

おそらく、最近の体調不良と、今回の風邪は、睡眠不足が原因であったと思われますが、同時にここ最近は、久しぶりに文系の師匠にお目に掛かり、最近読んでいる著作や、読んだ著作、あるいは世界情勢から東南アジアの食文化などについての話題で色々と興味深い示唆を受けました。また、こうした会話をすこぶる楽しく感じられることから「やっぱり私は人文系の人間なのだなあ…」とあらためて思われました。
また、昨今の当ブログでの投稿記事が思いのほか多くの方々に読んで頂けていたことも嬉しい出来事であったと云えます。もとより、当ブログは、あまり多くの読者、大きな反響を期待する、出来る性質のものではありませんが、そうしたなかで、ある投稿記事が、これまでよりも多少多くの方々に読んで頂けたことは、それなりに嬉しいものであり、また継続への励みにもなります。
さらに過日、グーグル社からメールが届きました。その内容は、以前グーグル・マップにて投稿した写真が、一万回以上閲覧されたというお知らせでした。これは、以前から自分が関心を持ち、行ってきた行為とも関連するものであり、また、それと多少関連すると思われる内容の論文が、著名な某英文医学雑誌に掲載されていたことから、これも嬉しく感じられました。ともあれ、一方で、このように自分の行為が思わぬカタチで社会に溶け込み、認知され、そして人々の選択や行動に影響を与えることもあるということには、少し身が引き締まる思いもあります。
斯様に、体調を崩すこともあれば、思いがけない喜びもあり、まさに「禍福は糾える縄の如し」と云うべきなのでしょう…。風邪のために終日横臥した日も、師匠と文系ネタで盛り上がった日も、投稿ブログが普段よりも多く読んで頂けた日も、そして、グーグル・マップでの投稿写真が多く閲覧して頂いたことによる、ある種の影響の自覚といった、一様ではない出来事が重なり、振り返ってみますと、それなりの起伏があるようにも思われてきます。
そして今回の記事投稿により、総記事数は2370に達します。さらに、あと30本の新規投稿により、当面の目標とする2400記事に到達します。この目標に届く頃には、まだ半袖シャツを着用している時季であることを願います。また、半袖シャツで思い出しましたが、私は鹿児島在住の頃から、盛夏であっても半袖シャツの上に多少ゆったり気味の上着を羽織るようにしています。これは一見、暑苦しく見えるかもしれませんが、鹿児島の盛夏での直射日光を遮ることは、過分な体力の消耗や体温の上昇や日焼けの辛さを防ぐことが出来るため、かえって快適に過ごせることを知ったためです。それ以来、そしてまた、今年の様な異常な暑さの時はなおさら、盛夏であっても外では上着を着て肌を覆うことを心掛けるようになりました。
今回もまた、ここまでお読みいただき、どうもありがとうございます。
ISBN978-4-263-46420-5
*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。
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2025年8月21日木曜日
20250820 強迫観念から10年間の継続へ 当ブログの原点と現在①
直近の投稿記事においても触れましたが、ここ最近は、ChatGPT を活用して文章を生成し、それらを組み合わせることでブログ記事を作成する機会が増えました。もちろん、この手法は、いまだ試行錯誤の段階ではありますが、当初に比べれば、操作や運用に慣れて、より円滑に作成できるようになってきたと云い得ます。
しかしながら、当ブログを振返ってみますと、その当初は、手書きにて下書きしたものをPC入力し、次いで書籍の引用記事や、対話形式の記事を作成するようになり、やがて、開始から約一年経た頃には、どうにか即興にて、ある程度の文量の独白形式のブログ記事を作成することが出来るようになりました。
当ブログ開始(2015年)以前の私は、ブログのような公表する文章を継続的に作成するような種類の人間ではありませんでした。せいぜい「Facebook」 や 「mixi 」上で短文を時々投稿するといった程度であり、公表する文章の継続的な作成の営みとは、ほど遠いところに居ました。その転機となったのは、遡りますが2013年、(どうにか)学位を取得して帰郷した直後のことでした。当時の私は「何か表現しなければ心身が蝕まれてしまう…」といった強迫観念を覚えるようになっていました。この感覚は日ごとに強まり、やがて「この衝動を昇華しなければならない…」と考えるようになり、そうした内面での徐々なる変化から、2013年9月の帰郷から二年近くを経た2015年6月に当ブログを始めた次第です。
開始当初は「とにかく書き続けなければならない」という切迫感に突き動かされており、現在、開始当初の頃の記事をあらためて読んでみますと、歯科理工学や近現代史、考古学、古代史、民俗学といった、自分がこれまで(ある程度)学んできたと云える分野を記事題材として、それなりに必死に作成していた痕跡が確認できます…(苦笑)。また、当初は公表する文章の作成に慣れていなかったため、文章作成自体が格闘に近いものであったことが思い出されます。そして、その後しばらくは、主に対話形式の記事を投稿していましたが、2016年3月以降から、独白形式を主体とする現在のスタイルへと移行しました。
当ブログでは、初期から地域文化に関する記事が目立ち、それは現在に至るまでの当ブログの特徴の一つとなっています。そして、その理由は、私自身がいくつかの地域文化に対して実感を持ち、且つ、情報の裏付けが出来ると考えているからです。
以前「読者を惹きつける文章は、書き手がその主題について実感を伴った理解を有していることが必要である」という主旨のブログ記事を投稿しており、さらに、ブログ記事の継続的な作成のためには、数回の記事投稿程度では語り尽せない知見の深みを主題について持っている必要があり、その意味において、特に、当ブログ開始初期に地域文化を多く扱ったことは、妥当な選択肢であったと云えます。また、ここで云う「実感を伴った理解」とは、単に知識を保持していることではなく、生活など実際の経験を通じて身体的・感覚的に根付いた、いわば「身体化された理解」を指します。そして、この点こそが、私が当ブログを継続するうえで重視してきたものであると云えます。
この「実感を伴った理解」の重要性を私がを痛感したのは、鹿児島在住の頃でした。当時、私は高等教育機関において実習科目の指導を担当させて頂き、学生さん達に実習の説明をする機会がありました。そうしたなか、2010年に師匠が退職され、さらに、翌年には准教授の先生も定年退職を迎えられたことにより、実習での私の役割負担が著しく増大した翌2012年は、これをさらに強く意識するようになりました。
座学の講義ではない実習とはいえ、正式な教育課程の一部を任されることは、そこまで軽い責務ではありません。また、実習を受ける学生さん達には総じて、説明者が実感を伴った理解を保持していると判断されると真剣に耳を傾ける一方、さきの理解が不十分であると判断されると関心を失うといった傾向があったと記憶しています。そしてまた、この傾向は、少なくとも鹿児島においては、男子学生よりも女子学生において顕著であったとも記憶しています。換言しますと、鹿児島では、説明者が話す内容の理解度や力量・熱量を直観的に見抜くような、ある種の判断力を持たれていると思われる女性がおり、そして、これは白洲正子の文章から受ける感覚(端的に元気さと率直さ)とも、相通じるものがあるように思われました。
ともあれ、そうした見解を得てから私は、当ブログでの記事文章作成に際しても、可能な限り「実感を伴った理解」がある主題を選ぶようにしています。そしてまた、これを重視し続けてきたことが、10年以上にわたり、どうにか当ブログを継続できた要因であると考えています。なぜならば、世に出る大抵の知識や情報は当初、流動的であり、それらを単に引用するだけでは時間の経過と共に陳腐化していってしまいます。しかし、そこに書き手自らの経験や実感を化合、重ね合わせることにより、その知識や情報が含まれた文章は、より長い生命を持ち得ることが出来るのではないかと考えるためです。また、この主題につきましては、さらに述べたい部分がありますが、それについてはまた近い将来に改めて述べたいと思います。
今回もまた、ここまでお読みいただき、どうもありがとうございます。

しかしながら、当ブログを振返ってみますと、その当初は、手書きにて下書きしたものをPC入力し、次いで書籍の引用記事や、対話形式の記事を作成するようになり、やがて、開始から約一年経た頃には、どうにか即興にて、ある程度の文量の独白形式のブログ記事を作成することが出来るようになりました。
当ブログ開始(2015年)以前の私は、ブログのような公表する文章を継続的に作成するような種類の人間ではありませんでした。せいぜい「Facebook」 や 「mixi 」上で短文を時々投稿するといった程度であり、公表する文章の継続的な作成の営みとは、ほど遠いところに居ました。その転機となったのは、遡りますが2013年、(どうにか)学位を取得して帰郷した直後のことでした。当時の私は「何か表現しなければ心身が蝕まれてしまう…」といった強迫観念を覚えるようになっていました。この感覚は日ごとに強まり、やがて「この衝動を昇華しなければならない…」と考えるようになり、そうした内面での徐々なる変化から、2013年9月の帰郷から二年近くを経た2015年6月に当ブログを始めた次第です。
開始当初は「とにかく書き続けなければならない」という切迫感に突き動かされており、現在、開始当初の頃の記事をあらためて読んでみますと、歯科理工学や近現代史、考古学、古代史、民俗学といった、自分がこれまで(ある程度)学んできたと云える分野を記事題材として、それなりに必死に作成していた痕跡が確認できます…(苦笑)。また、当初は公表する文章の作成に慣れていなかったため、文章作成自体が格闘に近いものであったことが思い出されます。そして、その後しばらくは、主に対話形式の記事を投稿していましたが、2016年3月以降から、独白形式を主体とする現在のスタイルへと移行しました。
当ブログでは、初期から地域文化に関する記事が目立ち、それは現在に至るまでの当ブログの特徴の一つとなっています。そして、その理由は、私自身がいくつかの地域文化に対して実感を持ち、且つ、情報の裏付けが出来ると考えているからです。
以前「読者を惹きつける文章は、書き手がその主題について実感を伴った理解を有していることが必要である」という主旨のブログ記事を投稿しており、さらに、ブログ記事の継続的な作成のためには、数回の記事投稿程度では語り尽せない知見の深みを主題について持っている必要があり、その意味において、特に、当ブログ開始初期に地域文化を多く扱ったことは、妥当な選択肢であったと云えます。また、ここで云う「実感を伴った理解」とは、単に知識を保持していることではなく、生活など実際の経験を通じて身体的・感覚的に根付いた、いわば「身体化された理解」を指します。そして、この点こそが、私が当ブログを継続するうえで重視してきたものであると云えます。
この「実感を伴った理解」の重要性を私がを痛感したのは、鹿児島在住の頃でした。当時、私は高等教育機関において実習科目の指導を担当させて頂き、学生さん達に実習の説明をする機会がありました。そうしたなか、2010年に師匠が退職され、さらに、翌年には准教授の先生も定年退職を迎えられたことにより、実習での私の役割負担が著しく増大した翌2012年は、これをさらに強く意識するようになりました。
座学の講義ではない実習とはいえ、正式な教育課程の一部を任されることは、そこまで軽い責務ではありません。また、実習を受ける学生さん達には総じて、説明者が実感を伴った理解を保持していると判断されると真剣に耳を傾ける一方、さきの理解が不十分であると判断されると関心を失うといった傾向があったと記憶しています。そしてまた、この傾向は、少なくとも鹿児島においては、男子学生よりも女子学生において顕著であったとも記憶しています。換言しますと、鹿児島では、説明者が話す内容の理解度や力量・熱量を直観的に見抜くような、ある種の判断力を持たれていると思われる女性がおり、そして、これは白洲正子の文章から受ける感覚(端的に元気さと率直さ)とも、相通じるものがあるように思われました。
ともあれ、そうした見解を得てから私は、当ブログでの記事文章作成に際しても、可能な限り「実感を伴った理解」がある主題を選ぶようにしています。そしてまた、これを重視し続けてきたことが、10年以上にわたり、どうにか当ブログを継続できた要因であると考えています。なぜならば、世に出る大抵の知識や情報は当初、流動的であり、それらを単に引用するだけでは時間の経過と共に陳腐化していってしまいます。しかし、そこに書き手自らの経験や実感を化合、重ね合わせることにより、その知識や情報が含まれた文章は、より長い生命を持ち得ることが出来るのではないかと考えるためです。また、この主題につきましては、さらに述べたい部分がありますが、それについてはまた近い将来に改めて述べたいと思います。
今回もまた、ここまでお読みいただき、どうもありがとうございます。
ISBN978-4-263-46420-5
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2025年8月15日金曜日
20250814 徒歩での移動と試行錯誤が生む新たな文章
本日は所用もあり、比較的長い距離を徒歩で移動しました。精確に距離を測定したわけではありませんが、おそらく、合計では10キロメートルには達しないものの、5キロメートル以上は歩いたのではないかと思われます。また、その後、帰宅してからは自転車にて、さらに5キロメートル以上走りましたが、幸い、この時刻には陽もすでに傾き、気温も下がっていたため、辛さは感じられませんでした。くわえて走行時は風も心地よく、運動としては、程良い負荷であったと思われました。
さて、私の場合、こうした徒歩や自転車での移動は、当ブログでの記事作成に一定の効果をもたらしていると考えています。歩くことにより、頭の中の考えが自然と整理され、そして、それが文章作成のための助走や準備のように機能するのです。また本日も、その効果があったためか、帰宅後に落ち着いてからは、比較的スムーズに記事作成に取り掛かることができました。
当ブログでのこれまでの投稿記事は、当記事のような「独白形式」のものが最も多く、これが基本的なスタイルであると云えます。一方、近年は、以前の投稿記事にて何度か述べましたように、ChatGPTを活用した記事作成も行っています。この手法での文章の作成は、新規投稿の日だけではなく、それ以外の日にも、たとえごく短いものであっても、何かしら作成しており、そして、それらの多くが当ブログの下書きとして蓄積されています。これら下書きの多くは、すぐに公開されるわけではありませんが、後になって読み返してみますと、新たなアイデアが湧いて来たり、あるいは、作成記事の骨格として用いることが出来ることが比較的多く、大袈裟であるかもしれませんが、一種の財産になりつつあります。
そして、直近投稿の二記事:『2025年8月、混迷する国際社会と国内の状況から思ったこと』および『第二次宇露戦争の現在に至るまでの戦局推移の様相について』も、ChatGPTにより生成した下書きに、加筆修正を行い完成させたものです。とはいえ、実際にこれら記事を読まれた方々の多くは、その下書きがChatGPTによって生成されたものであるとは思われないと考えます。その理由は、生成された下書き全体に大幅に加筆を行い、また、文章の流れや文体を整えるだけではなく、内容も当初とは、かなり異なる、いわば、それなりに私の文章になっていると思われるからです。
こうした下書き文章への加筆や編集作業にも徐々に慣れてきており、その作業の過程では以前のそれとは異なる種類の「集中」も感じられるようになったと云えます。この感覚は、従来の即興的なブログ記事作成の時とはまた異なり、叩き台、ドラフトとなる文章を手元に置きつつ構築していく、一種、編集者的な視点を伴った集中であると云えます。その意味で、従来とは別の新たな文章作成の手法が、漸進的にではありますが、確立されつつあるのではないかとも思われます。
ともあれ、ChatGPTを文章作成に用いることで、既存の断片的な素材となる文章を組み合わせ、そこに新たな要素を加えたり調整したりする作業は、かなり効率的に出来るようになり、端的に、私の頭脳のレベルを超えた文章作成が出来るようになったと云い得ます。しかし一方、この手法では、先述した日常の出来事から即興的に文章を展開させるような文章作成に不向きであるか、あるいは現時点では、そうした文章作成のための有効な手段とはなっていのも現状です。いずれにせよ、こうした現時点での特性を理解したうえで使い続けることにより、いずれは試行錯誤の段階を脱し、文章作成の幅もさらに広がるのではないかと思われます。
さらに、このブログという発表形式は、完成された文章だけを公開するものではありません。たとえ不完全であっても、自らの試行錯誤を記録した文章を公開することにも(多少は)価値があり、場合によっては読者の共感や新たな発想を引き出すきっかけにもなり得ます。その意味では、こうした変化の過程そのものを記録し、共有することにも、それなりの意義があるのではないかと考えます。そして、こうした試行錯誤や変化を積み重ねることにより、やがては先述したような新しい記事作成のスタイルが定着して、さらに、より多様で豊かな文章での表現が出来るようになるのではないかと、少し期待しています。
さて、私の場合、こうした徒歩や自転車での移動は、当ブログでの記事作成に一定の効果をもたらしていると考えています。歩くことにより、頭の中の考えが自然と整理され、そして、それが文章作成のための助走や準備のように機能するのです。また本日も、その効果があったためか、帰宅後に落ち着いてからは、比較的スムーズに記事作成に取り掛かることができました。
当ブログでのこれまでの投稿記事は、当記事のような「独白形式」のものが最も多く、これが基本的なスタイルであると云えます。一方、近年は、以前の投稿記事にて何度か述べましたように、ChatGPTを活用した記事作成も行っています。この手法での文章の作成は、新規投稿の日だけではなく、それ以外の日にも、たとえごく短いものであっても、何かしら作成しており、そして、それらの多くが当ブログの下書きとして蓄積されています。これら下書きの多くは、すぐに公開されるわけではありませんが、後になって読み返してみますと、新たなアイデアが湧いて来たり、あるいは、作成記事の骨格として用いることが出来ることが比較的多く、大袈裟であるかもしれませんが、一種の財産になりつつあります。
そして、直近投稿の二記事:『2025年8月、混迷する国際社会と国内の状況から思ったこと』および『第二次宇露戦争の現在に至るまでの戦局推移の様相について』も、ChatGPTにより生成した下書きに、加筆修正を行い完成させたものです。とはいえ、実際にこれら記事を読まれた方々の多くは、その下書きがChatGPTによって生成されたものであるとは思われないと考えます。その理由は、生成された下書き全体に大幅に加筆を行い、また、文章の流れや文体を整えるだけではなく、内容も当初とは、かなり異なる、いわば、それなりに私の文章になっていると思われるからです。
こうした下書き文章への加筆や編集作業にも徐々に慣れてきており、その作業の過程では以前のそれとは異なる種類の「集中」も感じられるようになったと云えます。この感覚は、従来の即興的なブログ記事作成の時とはまた異なり、叩き台、ドラフトとなる文章を手元に置きつつ構築していく、一種、編集者的な視点を伴った集中であると云えます。その意味で、従来とは別の新たな文章作成の手法が、漸進的にではありますが、確立されつつあるのではないかとも思われます。
ともあれ、ChatGPTを文章作成に用いることで、既存の断片的な素材となる文章を組み合わせ、そこに新たな要素を加えたり調整したりする作業は、かなり効率的に出来るようになり、端的に、私の頭脳のレベルを超えた文章作成が出来るようになったと云い得ます。しかし一方、この手法では、先述した日常の出来事から即興的に文章を展開させるような文章作成に不向きであるか、あるいは現時点では、そうした文章作成のための有効な手段とはなっていのも現状です。いずれにせよ、こうした現時点での特性を理解したうえで使い続けることにより、いずれは試行錯誤の段階を脱し、文章作成の幅もさらに広がるのではないかと思われます。
さらに、このブログという発表形式は、完成された文章だけを公開するものではありません。たとえ不完全であっても、自らの試行錯誤を記録した文章を公開することにも(多少は)価値があり、場合によっては読者の共感や新たな発想を引き出すきっかけにもなり得ます。その意味では、こうした変化の過程そのものを記録し、共有することにも、それなりの意義があるのではないかと考えます。そして、こうした試行錯誤や変化を積み重ねることにより、やがては先述したような新しい記事作成のスタイルが定着して、さらに、より多様で豊かな文章での表現が出来るようになるのではないかと、少し期待しています。
今回もまた、ここまでお読みいただき、どうもありがとうございます。

ISBN978-4-263-46420-5
*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。
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2025年8月10日日曜日
20250810 2025年8月、混迷する国際社会と国内の状況から思ったこと
2025年8月現在、世界は依然として深い混迷の中にあると云えます。そして、その出発点の一つは、2020年に本格化した新型コロナウイルス感染症の世界的流行であったと云えます。これは、20世紀初頭のスペイン風邪以来の規模と影響を持つ感染拡大でした。歴史を振り返れば、14世紀のペスト流行は百年戦争と、19世紀のコレラ流行は欧州諸国間の戦争や革命と、そして、先述スペイン風邪は第一次世界大戦末期と重なりました。しかし、こうした感染症拡大の事例の多くは、交通手段が現代ほど発達していなかったことにより、あくまでも地域的または限定的なものであり、現代のように全世界を覆うほどの感染症が、複数の紛争・戦争あるいは国際的危機と前後するといった事例はまだ少ないか、初めてであると云えます。そして、この稀な構図こそが、現代の世界的規模での混乱の深刻さを一層際立たせていると考えます。
世界規模のコロナ禍は、各国に都市封鎖や国境閉鎖といった厳しい措置を取らせ、経済活動や人の往来を大きく制限しました。そこでは緊急事態であることから、国際協調よりも自国の防疫と経済維持を優先する姿勢が強化され、各国は内向きにならざるを得ませんでした。そして、この「内向化」が、世界各国の相互信頼関係を揺るがし、既存の国際秩序に亀裂を進展させたのではないかと考えます。
そうした中、2022年2月24日、ロシアはウクライナへの全面侵攻を行い、北からはベラルーシ経由で、南からはクリミア半島を経て、そして東からはドンバス地域へと三方面から侵攻し、当初は首都キーウを早々に陥落させる目論見でしたが、ウクライナ軍民による激しい抵抗と西側諸国の迅速な軍事・経済支援により、この目論見は頓挫し、戦争は長期化し現在に至っています。このロシアによるウクライナ侵攻は、欧州の安全保障体制を揺るがすのみならず、エネルギーや食料の供給網にも深刻な影響を与えました。
世界規模のコロナ禍は、各国に都市封鎖や国境閉鎖といった厳しい措置を取らせ、経済活動や人の往来を大きく制限しました。そこでは緊急事態であることから、国際協調よりも自国の防疫と経済維持を優先する姿勢が強化され、各国は内向きにならざるを得ませんでした。そして、この「内向化」が、世界各国の相互信頼関係を揺るがし、既存の国際秩序に亀裂を進展させたのではないかと考えます。
そうした中、2022年2月24日、ロシアはウクライナへの全面侵攻を行い、北からはベラルーシ経由で、南からはクリミア半島を経て、そして東からはドンバス地域へと三方面から侵攻し、当初は首都キーウを早々に陥落させる目論見でしたが、ウクライナ軍民による激しい抵抗と西側諸国の迅速な軍事・経済支援により、この目論見は頓挫し、戦争は長期化し現在に至っています。このロシアによるウクライナ侵攻は、欧州の安全保障体制を揺るがすのみならず、エネルギーや食料の供給網にも深刻な影響を与えました。
そして、その衝撃が冷めやらぬ2023年10月7日、地中海東岸のパレスチナ自治区を拠点とするイスラム教スンニ派武装組織ハマースが、隣接するイスラエルに対して越境・奇襲攻撃を行いました。これを契機として中東情勢は一気に緊迫し、以降、今なお続くこの紛争は、国際社会を巻き込みながら、いよいよ深刻さが増した状況に至っていると云えます。
2022年2月からのロシアのウクライナ侵攻により国際秩序が大きく動揺する中、その翌年に新たな大規模紛争が勃発したという事実は、これまでの国際社会が危機的状況に陥っていると云う近年の状況を後追い的に鮮明にしたと云い得ます。そして今や「次は何処で何が起こるのか?」といった深刻な不安が国際社会を覆っていると云えます。
これを踏まえて東アジアに目を転ずれば、ここにも緊張の火種がくすぶり続けています。今や押しも押されぬ大国となった隣国中国は、さらなる海洋進出を強め、台湾、フィリピン、ベトナムとの摩擦を深め、さらに、我が国では、中国が一方的に領有権を主張する尖閣諸島をめぐる領土問題が、双方納得の上で解決出来る見通しは極めて困難であるのが現状と云えます。そして、こうした現状を踏まえれば、大変残念ながら、我が国においても大規模な武力衝突を伴う国際紛争の可能性を完全に否定することは出来ません。さらに、東アジア地域の安全保障は、経済やエネルギー供給とも密接に結びついており、この地域での武力衝突は、我が国に留まらず、世界規模で広範な影響を及ぼす危険性もあることも付記する必要があります。
こうした我が国をめぐる国際情勢の緊迫化と並行して、国内においても社会での不安要因が露わとなり、そこから、かねてよりの政治・経済・社会面での停滞感は強化、固着化して社会における閉塞感は一層増しているのが現状であると考えます。
特に昨今においては、芸能界や学生スポーツにおける不祥事も相次ぎ、これらの事件からも、組織運営の脆弱さや、思想の欠乏といった我が国特有とも云える根強い構造的問題が浮き彫りとなります。おそらく、これらは決して単発の事件ではなく、通底するものがあると思われるのですが、残念ながら、それに対する解決策は未だ見出せていません。
いずれにしましても、我が国が平和と経済的繁栄を当然のように享受していた「繁栄の時代」は既に過去のものとなりました。これからは、その記憶を心の片隅に残しつつ、近年あまり効果的に機能しなくなってしまった制度や組織を部分的に補修しつつ、対症療法的に社会の延命をはかる時期が続くものと思われます。しかし、おそらく、そうした時期は長くは続かず、やがて近い将来、大規模で抜本的な社会改革を迫られる局面が来る(来てしまう)のではないかと考えます。
もちろん、これは杞憂であるに越したことはありませんが、しかしいずれにせよ、我が国では漸進的にではあれ、改革が求められるということは事実であると考えます。そして、それにより社会でのさらなる荒廃や、国際的な武力衝突による流血を未然に防ぐか、被害の最小化をはかることが出来るのではないかと考えます。そのため国内においては、社会の健全性を維持して国民の多くが将来に希望を持てる環境を整える努力が求められ、国際的には、外交・安全保障の分野での情勢の変化を冷静かつ精確に読み取り、戦略的判断を積み重ねることが重要であると考えます。端的に国際社会での我が国の立ち位置の安定と、国内社会でのそれは表裏一体のものであり、双方が両立してこそ、この困難と云える時代をどうにか乗り切ることが出来るのではないかと考えます。
現在を生きる我々は、内なる課題と外からの脅威が同時に押し寄せる文字通り「内憂外患」の時代に生きていると云えます。しかし、であるからと云って徒に悲観に沈むのではなく、こうした現状を直視しつつ、出来るだけ安定した社会基盤を築こうとする意志を持つことが重要であると思われます。そして、そのためには、国の行方を左右するさまざまな出来事や決定に我々国民が関心を持つことが不可欠であると云えます。また、その前提として、精確な知識を学び、事実と意見とを区別して判断出来る力を養う努力を続ける必要があると考えます。そして、この力を社会全体に広く根付かせるためには、教育、特に高等教育の役割が極めて重要であると考えます。高等教育は、単に専門知識や技術の習得にとどまらず、複雑雑多な情報を統合して批判的に分析し、陰謀論や虚偽情報を退ける知性を涵養することが大きな目的であると考えます。そして、社会全体でこうした知的基盤が共有されてこそ、ポピュリズムではない健全な民主主義社会と持続可能な経済活動や国家運営が成り立ち、機能するのではないかと考えます。
2022年2月からのロシアのウクライナ侵攻により国際秩序が大きく動揺する中、その翌年に新たな大規模紛争が勃発したという事実は、これまでの国際社会が危機的状況に陥っていると云う近年の状況を後追い的に鮮明にしたと云い得ます。そして今や「次は何処で何が起こるのか?」といった深刻な不安が国際社会を覆っていると云えます。
これを踏まえて東アジアに目を転ずれば、ここにも緊張の火種がくすぶり続けています。今や押しも押されぬ大国となった隣国中国は、さらなる海洋進出を強め、台湾、フィリピン、ベトナムとの摩擦を深め、さらに、我が国では、中国が一方的に領有権を主張する尖閣諸島をめぐる領土問題が、双方納得の上で解決出来る見通しは極めて困難であるのが現状と云えます。そして、こうした現状を踏まえれば、大変残念ながら、我が国においても大規模な武力衝突を伴う国際紛争の可能性を完全に否定することは出来ません。さらに、東アジア地域の安全保障は、経済やエネルギー供給とも密接に結びついており、この地域での武力衝突は、我が国に留まらず、世界規模で広範な影響を及ぼす危険性もあることも付記する必要があります。
こうした我が国をめぐる国際情勢の緊迫化と並行して、国内においても社会での不安要因が露わとなり、そこから、かねてよりの政治・経済・社会面での停滞感は強化、固着化して社会における閉塞感は一層増しているのが現状であると考えます。
特に昨今においては、芸能界や学生スポーツにおける不祥事も相次ぎ、これらの事件からも、組織運営の脆弱さや、思想の欠乏といった我が国特有とも云える根強い構造的問題が浮き彫りとなります。おそらく、これらは決して単発の事件ではなく、通底するものがあると思われるのですが、残念ながら、それに対する解決策は未だ見出せていません。
いずれにしましても、我が国が平和と経済的繁栄を当然のように享受していた「繁栄の時代」は既に過去のものとなりました。これからは、その記憶を心の片隅に残しつつ、近年あまり効果的に機能しなくなってしまった制度や組織を部分的に補修しつつ、対症療法的に社会の延命をはかる時期が続くものと思われます。しかし、おそらく、そうした時期は長くは続かず、やがて近い将来、大規模で抜本的な社会改革を迫られる局面が来る(来てしまう)のではないかと考えます。
もちろん、これは杞憂であるに越したことはありませんが、しかしいずれにせよ、我が国では漸進的にではあれ、改革が求められるということは事実であると考えます。そして、それにより社会でのさらなる荒廃や、国際的な武力衝突による流血を未然に防ぐか、被害の最小化をはかることが出来るのではないかと考えます。そのため国内においては、社会の健全性を維持して国民の多くが将来に希望を持てる環境を整える努力が求められ、国際的には、外交・安全保障の分野での情勢の変化を冷静かつ精確に読み取り、戦略的判断を積み重ねることが重要であると考えます。端的に国際社会での我が国の立ち位置の安定と、国内社会でのそれは表裏一体のものであり、双方が両立してこそ、この困難と云える時代をどうにか乗り切ることが出来るのではないかと考えます。
現在を生きる我々は、内なる課題と外からの脅威が同時に押し寄せる文字通り「内憂外患」の時代に生きていると云えます。しかし、であるからと云って徒に悲観に沈むのではなく、こうした現状を直視しつつ、出来るだけ安定した社会基盤を築こうとする意志を持つことが重要であると思われます。そして、そのためには、国の行方を左右するさまざまな出来事や決定に我々国民が関心を持つことが不可欠であると云えます。また、その前提として、精確な知識を学び、事実と意見とを区別して判断出来る力を養う努力を続ける必要があると考えます。そして、この力を社会全体に広く根付かせるためには、教育、特に高等教育の役割が極めて重要であると考えます。高等教育は、単に専門知識や技術の習得にとどまらず、複雑雑多な情報を統合して批判的に分析し、陰謀論や虚偽情報を退ける知性を涵養することが大きな目的であると考えます。そして、社会全体でこうした知的基盤が共有されてこそ、ポピュリズムではない健全な民主主義社会と持続可能な経済活動や国家運営が成り立ち、機能するのではないかと考えます。
As of August 2025, the world remains mired in deep turmoil. One of the starting points of this situation was the global outbreak of COVID-19 in 2020, which escalated into a pandemic on a scale and with an impact unseen since the influenza pandemic of the early 20th century, often referred to as the Spanish Flu. Looking back at history, the 14th-century plague coincided with the Hundred Years’ War, the 19th-century cholera outbreaks overlapped with wars and revolutions in Europe, and, as mentioned earlier, the Spanish Flu struck in the closing stages of World War I. However, most such historical outbreaks occurred in eras when transportation was far less developed than today, meaning they remained regional or relatively limited. Few, if any, infectious diseases in modern history have spread across the globe while coinciding with multiple wars, conflicts, or international crises. This rare convergence, I believe, underscores the gravity of the current global disorder.
The pandemic forced countries to impose strict measures such as city lockdowns and border closures, severely restricting economic activity and the movement of people. In this state of emergency, nations tended to prioritize domestic infection control and economic preservation over international cooperation, turning inward. This inward shift eroded mutual trust among states and deepened the fractures in the existing international order.
Amid these tensions, on February 24, 2022, Russia launched a full-scale invasion of Ukraine, attacking from three directions: from the north via Belarus, from the south out of Crimea, and from the east into the Donbas region. The Kremlin’s initial plan—to seize Kyiv swiftly—was thwarted by fierce Ukrainian resistance and the rapid military and economic support from the West. The war has since dragged on, shaking Europe’s security architecture and severely disrupting global energy and food supply chains.
In October 2023, more than a year after the invasion began, the situation was further destabilized when Hamas, an armed Sunni Islamist group based in the Gaza Strip, carried out a cross-border surprise attack on neighboring Israel. This triggered an immediate escalation of tensions in the Middle East, and the ensuing conflict—which continues to this day—has grown increasingly severe, drawing in the wider international community.
The fact that a new major conflict erupted barely a year after Russia’s invasion of Ukraine starkly illustrates the depth of the crisis now facing the international system. It has left the world overshadowed by a pervasive question: “Where will the next major crisis erupt?”
Turning to East Asia, tensions continue to smolder here as well. China, now an undisputed global power, has intensified its maritime expansion, heightening friction with Taiwan, the Philippines, and Vietnam. Regarding Japan, the dispute over the Senkaku Islands stems from China’s unilateral claim to sovereignty—Japan does not recognize that any territorial dispute exists. The prospects for a mutually acceptable resolution remain extremely slim. Given this reality, it would be unrealistic to rule out entirely the possibility of a major international conflict involving Japan. Furthermore, security in East Asia is deeply intertwined with economic stability and energy supply, meaning that any military clash in the region could have far-reaching global consequences.
Parallel to these external threats, domestic society has also seen its own sources of unease emerge. Long-standing stagnation in politics, the economy, and society has become entrenched, deepening the sense of paralysis. In recent years, a string of scandals in the entertainment industry and high school sports has exposed persistent structural problems in Japan—most notably fragile organizational management and a pervasive **poverty of thought**. These are unlikely to be isolated incidents but rather symptoms of underlying issues for which effective solutions have yet to be found.
The “age of prosperity” when Japan could take peace and economic growth for granted is now over. From here on, while holding on to the memory of that era, the nation will likely enter a prolonged phase of patching up failing institutions and organizations in a piecemeal, stopgap manner to prolong social stability. Yet such a phase will not last indefinitely; at some point in the not-too-distant future, Japan will be forced to undertake sweeping, fundamental reforms.
Ideally, these fears will prove unfounded. But gradual reform is inevitable if Japan is to avert further social deterioration and prevent—or at least minimize—the bloodshed that could result from international military conflict. Domestically, this means fostering a sound society in which most citizens can look to the future with hope. Internationally, it means reading changes in the security environment with precision and composure, and making strategic decisions accordingly. In short, Japan’s stability at home and its standing abroad are inseparable: only by maintaining both can the country hope to navigate these difficult times.
We now live in an age of *internal disquiet and external threats*. Yet rather than sink into despair, we must face this reality squarely, with the will to build as stable a social foundation as possible. This requires citizens to take an active interest in the decisions and events that will shape the nation’s future. And as a prerequisite, we must cultivate the ability to acquire accurate knowledge, distinguish fact from opinion, and think critically. Education—especially higher education—has an essential role to play here, not only in imparting specialized skills but also in fostering the critical intelligence needed to synthesize complex information and reject conspiracy theories and falsehoods. Only when such an intellectual foundation is widely shared can a healthy democracy, a sustainable economy, and effective national governance flourish.
今回もまた、ここまでお読みいただき、どうもありがとうございます。
ISBN978-4-263-46420-5
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2025年8月3日日曜日
20250803 第二次宇露戦争の現在に至るまでの戦局推移の様相について
2022年2月24日、露が宇に対し全面侵攻を開始した。露のプーチン大統領はこれを「特別軍事作戦」と称し、北(ベラルーシ経由)、南(クリミア半島から)、東(ドンバス地域)の三方面からの同時侵攻を実施。これが第二次宇露戦争の「第1段階」にあたり、当初は、宇の首都キーウの迅速な制圧とゼレンスキー政権の転覆、いわゆる「斬首作戦」を企図していた。
露軍は首都キーウ郊外にまで迫ったものの、宇側軍民による激しい抵抗、西側諸国の初期支援により作戦は頓挫し、2022年3月下旬には露軍はキーウ近郊からの撤退を余儀なくされた。
この第二次宇露戦争は、その後の戦局の推移に応じ、現在に至るまで、少なくとも8つの段階に分けられる。この段階区分はCSIS(米戦略国際問題研究所)やRUSI(英王立防衛安全保障研究所)など複数の国際的シンクタンクの見解ともおおむね一致している。
第2段階では、露軍が戦力を東部ドンバス地域に集中して、同地域のドネツク州およびルハンシク州の完全制圧を目指し、マリウポリやセヴェロドネツクなどの主要都市を占領したものの、その過程における兵力の損耗率は高かった。
次いで、第3段階では、2022年夏から秋にかけて宇軍が反転攻勢を展開した。これにより宇北東部ハルキウ州で約400平方キロメートルを奪還し、11月には宇南部のヘルソン市の奪還にも成功して露軍による南部攻略に大きな打撃を与えた。
そして第4段階では、続く冬季に露軍が東部バフムトやソレダルでの攻勢を強化したが、宇軍の防御に阻まれ、戦果は限定的なものに留まった。
第5段階では、戦局が塹壕戦と包囲戦へと移行。バフムト周辺での攻防が激化したものの、戦線は膠着し、有意な戦局の変化は見られなかった。
第6段階では、宇軍が露本土に対して主に無人機を用いた越境攻撃を露クルスク州などへ行い、露軍は防御への注力も余儀なくなり、兵力の再配備を強いられることとなった。
第7段階では、露軍が再び東部・南部での攻勢を強め、これにより宇東部ドネツク州ポクロウスクやコスティアンティニフカ周辺にて局地的な前進が見られたものの、全体としては戦線の突破には至らず、大きな戦局の打開には至らなかった。
そして現在は第8段階、すなわち「長期消耗戦フェーズ」へと移行している。露軍は当初の短期決戦から持久戦への戦略転換を行い、時間を武器とした戦いに移行したとされる。軍事理論的にも、初期での突破に失敗した場合、消耗戦に持ち込むというのは、露軍の古来からの戦略であるとされている。
現在、露軍は巡航ミサイルやイラン製無人機「シャヘド」用いた宇の軍需施設やインフラへの攻撃を継続しており、将来的には1日500機規模の無人機生産体制を構築するとの見方もあるものの、その具体的数値には諸説ある。
一方、宇も露領内への反撃を強化して「スパイダーウェブ作戦」と称する無人機攻撃により長距離戦略爆撃機TU-95などに損害を与えることに成功している。また、前線では有刺鉄線とドローンを組み合わせた防衛戦術を展開しつつも、露軍は1日15~20平方キロメートルの領域を徐々に侵食しており、宇側の損耗も深刻化している。
上記、8段階の戦局分析は、前述した複数国際シンクタンクとの評価とも概ね一致しており、そして現況の第8段階では、露が長期戦を通じて戦略的主導権を維持しようとしているという見方も広く共有されている。そこから、現在の戦局は、戦略・戦術・外交の各レベルにおいて膠着と消耗の様相を呈しており、終結の見通しは立っておらず、今後の戦況の帰趨は、西側諸国の軍事支援の継続性、特に米国の対露政策により、大きく左右されることになると考えられる。
Eight Phases of the Russo-Ukrainian War Since the 2022 Full-Scale Invasion
Lead
On 24 February 2022, Russia launched a full-scale invasion of Ukraine—the largest escalation in the ongoing Russo-Ukrainian War, which began in 2014 with the annexation of Crimea and the outbreak of conflict in the Donbas. What the Kremlin likely expected to be a rapid operation has unfolded into a protracted conflict, now in its third year and entrenched in a costly war of attrition. Analysts from the Center for Strategic and International Studies (CSIS) and the Royal United Services Institute (RUSI) broadly agree that the war since February 2022 can be understood in eight distinct phases.
Phase One:
The Drive on Kyiv (February–March 2022) Russia struck on three fronts: from the north via Belarus, from the south out of Crimea, and from the east into the Donbas. The Kremlin’s goal was a “decapitation strike” to seize Kyiv and overthrow President Volodymyr Zelensky’s government. Fierce Ukrainian resistance, combined with early Western arms shipments, forced Russian troops to withdraw from the Kyiv region by late March.
Phase Two:
The Battle for the Donbas (Spring 2022) With the Kyiv offensive abandoned, Moscow shifted its main effort eastward, aiming to capture all of Donetsk and Luhansk provinces. Mariupol fell after a devastating siege, and Severodonetsk was taken, but at heavy cost in men and materiel.
Phase Three:
Ukraine’s Counteroffensives (Summer–Autumn 2022) Ukrainian forces launched coordinated counterattacks. In the northeast, they recaptured about 400 square kilometres in Kharkiv region. In the south, they liberated Kherson in November, dealing a severe blow to Russia’s position on the western bank of the Dnipro River.
Phase Four:
Winter Offensives in Bakhmut and Soledar (Late 2022–Early 2023) Russia intensified assaults on Bakhmut and Soledar. Months of high-casualty fighting produced only marginal territorial gains.
Phase Five:
Stalemate and Attrition (Spring 2023) The war settled into entrenched positions and trench warfare. The battle for Bakhmut became symbolic of the grinding deadlock.
Phase Six:
Cross-Border Strikes (Mid-2023) Ukraine expanded its reach into Russian territory, using drones to hit targets in regions such as Kursk. These attacks forced Moscow to reallocate forces to bolster domestic air defences.
Phase Seven:
Renewed Russian Pushes (Late 2023–Early 2024) Russia resumed offensives in eastern and southern Ukraine, making small advances near Pokrovsk and Kostyantynivka. However, these gains were insufficient to break through Ukrainian lines.
Phase Eight:
The Long War (2024–Present) The conflict has shifted decisively into a war of attrition. Russia’s strategy now appears aimed at exhausting Ukraine over time, a method deeply rooted in its military tradition. Moscow continues to strike Ukrainian infrastructure and defence facilities with cruise missiles and Iranian-made Shahed drones. Some Western analysts predict that Russia could scale up production to several hundred drones per day, though estimates vary. Ukraine, in turn, has stepped up its so-called “Spiderweb Operation”—long-range drone strikes inside Russia that have reportedly damaged strategic Tu-95 bombers. On the front lines, Ukrainian forces combine barbed-wire defences with drone-assisted targeting. Even so, Russian troops continue to erode Ukrainian-held ground, advancing by an estimated 15–20 square kilometres per day in some sectors.
Analysis and Outlook
The eight-phase framework aligns closely with CSIS and RUSI assessments. The war is now deadlocked across military, political, and diplomatic fronts, with no clear end in sight. The trajectory will hinge heavily on the endurance of Western military support—particularly U.S. policy toward Ukraine. A potential shift in Washington’s stance, influenced by domestic politics and upcoming elections, could alter the balance of the conflict. European nations, though committed, face constraints in ammunition production and budgetary pressures, raising questions about their long-term capacity to sustain Kyiv’s war effort.
露軍は首都キーウ郊外にまで迫ったものの、宇側軍民による激しい抵抗、西側諸国の初期支援により作戦は頓挫し、2022年3月下旬には露軍はキーウ近郊からの撤退を余儀なくされた。
この第二次宇露戦争は、その後の戦局の推移に応じ、現在に至るまで、少なくとも8つの段階に分けられる。この段階区分はCSIS(米戦略国際問題研究所)やRUSI(英王立防衛安全保障研究所)など複数の国際的シンクタンクの見解ともおおむね一致している。
第2段階では、露軍が戦力を東部ドンバス地域に集中して、同地域のドネツク州およびルハンシク州の完全制圧を目指し、マリウポリやセヴェロドネツクなどの主要都市を占領したものの、その過程における兵力の損耗率は高かった。
次いで、第3段階では、2022年夏から秋にかけて宇軍が反転攻勢を展開した。これにより宇北東部ハルキウ州で約400平方キロメートルを奪還し、11月には宇南部のヘルソン市の奪還にも成功して露軍による南部攻略に大きな打撃を与えた。
そして第4段階では、続く冬季に露軍が東部バフムトやソレダルでの攻勢を強化したが、宇軍の防御に阻まれ、戦果は限定的なものに留まった。
第5段階では、戦局が塹壕戦と包囲戦へと移行。バフムト周辺での攻防が激化したものの、戦線は膠着し、有意な戦局の変化は見られなかった。
第6段階では、宇軍が露本土に対して主に無人機を用いた越境攻撃を露クルスク州などへ行い、露軍は防御への注力も余儀なくなり、兵力の再配備を強いられることとなった。
第7段階では、露軍が再び東部・南部での攻勢を強め、これにより宇東部ドネツク州ポクロウスクやコスティアンティニフカ周辺にて局地的な前進が見られたものの、全体としては戦線の突破には至らず、大きな戦局の打開には至らなかった。
そして現在は第8段階、すなわち「長期消耗戦フェーズ」へと移行している。露軍は当初の短期決戦から持久戦への戦略転換を行い、時間を武器とした戦いに移行したとされる。軍事理論的にも、初期での突破に失敗した場合、消耗戦に持ち込むというのは、露軍の古来からの戦略であるとされている。
現在、露軍は巡航ミサイルやイラン製無人機「シャヘド」用いた宇の軍需施設やインフラへの攻撃を継続しており、将来的には1日500機規模の無人機生産体制を構築するとの見方もあるものの、その具体的数値には諸説ある。
一方、宇も露領内への反撃を強化して「スパイダーウェブ作戦」と称する無人機攻撃により長距離戦略爆撃機TU-95などに損害を与えることに成功している。また、前線では有刺鉄線とドローンを組み合わせた防衛戦術を展開しつつも、露軍は1日15~20平方キロメートルの領域を徐々に侵食しており、宇側の損耗も深刻化している。
上記、8段階の戦局分析は、前述した複数国際シンクタンクとの評価とも概ね一致しており、そして現況の第8段階では、露が長期戦を通じて戦略的主導権を維持しようとしているという見方も広く共有されている。そこから、現在の戦局は、戦略・戦術・外交の各レベルにおいて膠着と消耗の様相を呈しており、終結の見通しは立っておらず、今後の戦況の帰趨は、西側諸国の軍事支援の継続性、特に米国の対露政策により、大きく左右されることになると考えられる。
Lead
On 24 February 2022, Russia launched a full-scale invasion of Ukraine—the largest escalation in the ongoing Russo-Ukrainian War, which began in 2014 with the annexation of Crimea and the outbreak of conflict in the Donbas. What the Kremlin likely expected to be a rapid operation has unfolded into a protracted conflict, now in its third year and entrenched in a costly war of attrition. Analysts from the Center for Strategic and International Studies (CSIS) and the Royal United Services Institute (RUSI) broadly agree that the war since February 2022 can be understood in eight distinct phases.
Phase One:
The Drive on Kyiv (February–March 2022) Russia struck on three fronts: from the north via Belarus, from the south out of Crimea, and from the east into the Donbas. The Kremlin’s goal was a “decapitation strike” to seize Kyiv and overthrow President Volodymyr Zelensky’s government. Fierce Ukrainian resistance, combined with early Western arms shipments, forced Russian troops to withdraw from the Kyiv region by late March.
Phase Two:
The Battle for the Donbas (Spring 2022) With the Kyiv offensive abandoned, Moscow shifted its main effort eastward, aiming to capture all of Donetsk and Luhansk provinces. Mariupol fell after a devastating siege, and Severodonetsk was taken, but at heavy cost in men and materiel.
Phase Three:
Ukraine’s Counteroffensives (Summer–Autumn 2022) Ukrainian forces launched coordinated counterattacks. In the northeast, they recaptured about 400 square kilometres in Kharkiv region. In the south, they liberated Kherson in November, dealing a severe blow to Russia’s position on the western bank of the Dnipro River.
Phase Four:
Winter Offensives in Bakhmut and Soledar (Late 2022–Early 2023) Russia intensified assaults on Bakhmut and Soledar. Months of high-casualty fighting produced only marginal territorial gains.
Phase Five:
Stalemate and Attrition (Spring 2023) The war settled into entrenched positions and trench warfare. The battle for Bakhmut became symbolic of the grinding deadlock.
Phase Six:
Cross-Border Strikes (Mid-2023) Ukraine expanded its reach into Russian territory, using drones to hit targets in regions such as Kursk. These attacks forced Moscow to reallocate forces to bolster domestic air defences.
Phase Seven:
Renewed Russian Pushes (Late 2023–Early 2024) Russia resumed offensives in eastern and southern Ukraine, making small advances near Pokrovsk and Kostyantynivka. However, these gains were insufficient to break through Ukrainian lines.
Phase Eight:
The Long War (2024–Present) The conflict has shifted decisively into a war of attrition. Russia’s strategy now appears aimed at exhausting Ukraine over time, a method deeply rooted in its military tradition. Moscow continues to strike Ukrainian infrastructure and defence facilities with cruise missiles and Iranian-made Shahed drones. Some Western analysts predict that Russia could scale up production to several hundred drones per day, though estimates vary. Ukraine, in turn, has stepped up its so-called “Spiderweb Operation”—long-range drone strikes inside Russia that have reportedly damaged strategic Tu-95 bombers. On the front lines, Ukrainian forces combine barbed-wire defences with drone-assisted targeting. Even so, Russian troops continue to erode Ukrainian-held ground, advancing by an estimated 15–20 square kilometres per day in some sectors.
Analysis and Outlook
The eight-phase framework aligns closely with CSIS and RUSI assessments. The war is now deadlocked across military, political, and diplomatic fronts, with no clear end in sight. The trajectory will hinge heavily on the endurance of Western military support—particularly U.S. policy toward Ukraine. A potential shift in Washington’s stance, influenced by domestic politics and upcoming elections, could alter the balance of the conflict. European nations, though committed, face constraints in ammunition production and budgetary pressures, raising questions about their long-term capacity to sustain Kyiv’s war effort.
今回もまた、ここまでお読みいただき、どうもありがとうございます。

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