pp.34-36より抜粋
「日本文化について」ということですが。別にお話しすることを考えてないんです。(笑)…ただ、文化ということの定義を仮に申し述べておきますと、文化というのは、文明という言葉との間において成立している言葉でありまして、文明に対して文化は…というように。
…文明というのは、旅客機が飛んでおりまして、航空機文明というものにわれわれは誰でも簡単に参加することができます。チケットを買って、そして飛び立つときに、指示のとおりベルトを締めれば、それで航空機文明に参加できる。文明というのは便利なもの、そしてそれに参加するのには、ごく簡単な手続きだけで済むものです。たとえば自動車文明というのは、街角でタクシーをとめまして、メーター通り料金をお支払いすれば、目的地に着けてくれます。
それに対して、文化というのは、やや非合理なもの、やや特殊なもの、場合によっては、その民族や社会にのみ限られるものです。
むろん文化も広く行き渡る場合があります。たとえば、ジーンズというものがあります。ジーパンがはやっています。ジーパンは、アメリカという多民族国家の中で成立した、若者ーだけではありませんけれどもーの流行ででき上がってきたものです。日本は島国ですから、アメリカではやっているんだろうというので、はく人もいます。海外のものが珍しいというわけではなく、ジーパンは文明なのか、アメリカの文化なのか、ちょっとわかりにくいですが、つまり他の国で受け入れられる文化もずいぶんあります。
…たとえば大相撲をロンドン子がずいぶん見ているそうですな。賭けなんかしているそうですな。ですから、大相撲は文化でありますけれどもー珍しがられて受け入れられている場合もありますがー外国でも受け入れられる。
しかし、大相撲は非常に文化的要素が強いものであります。たとえば、すぐさま相撲を取ればいいのに、いろんな手続きをする。いろんなしぐさをします。あれは神事なんでしょうな。日本の古くからの神道の要素が非常に強うございます。また、日本の神様は神々の神様でありますから、西洋とか中近東のアラーの神のように絶対者ではないわけで、たくさんいらっしゃいます。そして、共通して神様は退屈なさるそうで、神遊びをなさいます。神様のお喜びになるのは若者であります。若者が大好きであります。日本の神様は、若者の中でも若者らしいーというのは力を競う相撲であります。万葉時代では、元気のいい若者が元気よく振る舞っているというのを醜(しこ)と言いました。お相撲で四股を踏むというのは、あれは当て字であって、本来の日本語としては、つまり醜(しこ)ぶっている、神様の前で醜(しこ)ぶっているという意味でしょうな。
お相撲は大昔からあったんですけれど、普通、芸能的なもの、スポーツのようなものは王様とか貴族たちの楽しみにして、そういうことでできあがるものでありますが、大相撲は、江戸や大阪その他の木戸銭でできあがっている、というが興業としての大相撲のおもしろさです。王様ではなく普通の人間の入場料でできあがっている。そしてお客さんというのは喜ばせなきゃいけませんですから、いろいろそれに沿ってマナーが発達していったり、無様なものはそぎ落されていったり、ルールもあまり煩瑣なものはそぎ落されていったりして…大相撲というのはよくできたものですね。これは珍しく日本の大衆が生んだスポーツでありますから、そういうものは、日本の大衆が生んだスポーツでありますから、そういうものは、やはり海外にもー海外にも大衆がいますからー受け入れられるんでしょうな。だけれども、基本的には大相撲は文化です。
それに対して、文化というのは、やや非合理なもの、やや特殊なもの、場合によっては、その民族や社会にのみ限られるものです。
むろん文化も広く行き渡る場合があります。たとえば、ジーンズというものがあります。ジーパンがはやっています。ジーパンは、アメリカという多民族国家の中で成立した、若者ーだけではありませんけれどもーの流行ででき上がってきたものです。日本は島国ですから、アメリカではやっているんだろうというので、はく人もいます。海外のものが珍しいというわけではなく、ジーパンは文明なのか、アメリカの文化なのか、ちょっとわかりにくいですが、つまり他の国で受け入れられる文化もずいぶんあります。
…たとえば大相撲をロンドン子がずいぶん見ているそうですな。賭けなんかしているそうですな。ですから、大相撲は文化でありますけれどもー珍しがられて受け入れられている場合もありますがー外国でも受け入れられる。
しかし、大相撲は非常に文化的要素が強いものであります。たとえば、すぐさま相撲を取ればいいのに、いろんな手続きをする。いろんなしぐさをします。あれは神事なんでしょうな。日本の古くからの神道の要素が非常に強うございます。また、日本の神様は神々の神様でありますから、西洋とか中近東のアラーの神のように絶対者ではないわけで、たくさんいらっしゃいます。そして、共通して神様は退屈なさるそうで、神遊びをなさいます。神様のお喜びになるのは若者であります。若者が大好きであります。日本の神様は、若者の中でも若者らしいーというのは力を競う相撲であります。万葉時代では、元気のいい若者が元気よく振る舞っているというのを醜(しこ)と言いました。お相撲で四股を踏むというのは、あれは当て字であって、本来の日本語としては、つまり醜(しこ)ぶっている、神様の前で醜(しこ)ぶっているという意味でしょうな。
大相撲にはそういうしぐさがいろいろあります。いろいろありますから、これはやっぱり日本の風土から生まれたものであります。…こんなお相撲の話をしているのは、これは前置きでありまして、メインの話ではありませんが…(笑)。
お相撲は大昔からあったんですけれど、普通、芸能的なもの、スポーツのようなものは王様とか貴族たちの楽しみにして、そういうことでできあがるものでありますが、大相撲は、江戸や大阪その他の木戸銭でできあがっている、というが興業としての大相撲のおもしろさです。王様ではなく普通の人間の入場料でできあがっている。そしてお客さんというのは喜ばせなきゃいけませんですから、いろいろそれに沿ってマナーが発達していったり、無様なものはそぎ落されていったり、ルールもあまり煩瑣なものはそぎ落されていったりして…大相撲というのはよくできたものですね。これは珍しく日本の大衆が生んだスポーツでありますから、そういうものは、日本の大衆が生んだスポーツでありますから、そういうものは、やはり海外にもー海外にも大衆がいますからー受け入れられるんでしょうな。だけれども、基本的には大相撲は文化です。
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