2024年12月18日水曜日

20241218 権力と制度が社会に与える影響:三つの著作から1218後日加筆修正を行う予定

ジョージ・オーウェル著の①『動物農場』、ジョセフ・コンラッドの②『闇の奥』、そしてダロン・アセモグルとジェームズ・A・ロビンソンによる③『国家はなぜ衰退するのか』は、それぞれ異なるジャンルの著作ですが、共通して、社会の本質や権力構造について鋭い洞察を示しています。そして、これら三著作を比較することで、制度が社会や国家に与える影響を考える手掛かりが得られるものと考えます。

①『動物農場』では、寓話形式を用い、革命後の理想に向かうはずな社会が、どのようにして腐敗して、強権的な独裁体制へと変質していくかを描いています。②『闇の奥』では、19世紀末のアフリカ大陸での、列強による植民地支配下で、権力がどのようにして理性ある人間を堕落させるかを示し、倫理的な制御をなくした権力の危険性を描いています。そして③『国家はなぜ衰退するのか』では、歴史学と経済学を視座として、世界各地の包括的制度と収奪的制度とを比較して、国家の盛衰のメカニズムを考察しています。

これら三著作の相違は、アプローチの手法と云えます。①『動物農場』では、寓話的に権力が腐敗する様相を描き、②『闇の奥』では、独特な文学的表現により、19世紀末の植民地支配の実態を描いています。そして『国家はなぜ衰退するのか』では、学術的考察に基づき、制度が社会へ与える影響を帰納法的に論じています。しかし、いずれの著作も、権力の腐敗および、その制度への作用をひとつのテーマとしている点では共通していると云えます。

これら三著作では、権力の腐敗がどのようにして生じ、そして制度が、それを助長あるいは制御するかを描いています。①『動物農場』では、平等を目指した革命が豚のナポレオンによって独裁に変わる様子を描き、制度が権力を制御できない場合、腐敗が避けられないことを警告しています。

『闇の奥』では、植民地支配による人間を堕落させる様子を描きます。主人公クルツの変貌は、社会制度としての倫理を失ったとき、人間の内なる暴力性がいかに引き出されるかを象徴的に示しています。

『国家はなぜ衰退するのか』は、腐敗した権力の根源を制度的視点から分析します。収奪的制度は権力者による富や資源の独占を助長し、社会全体を搾取する構造を形成します。この分析は、『動物農場』や『闇の奥』が描く個別の事例を体系的に理解する枠組みを提供します。

これら三著作が示すのは、制度が人間の行動や社会全体に与える影響の大きさです。『動物農場』は、理想の実現には制度を監視し続ける必要があることを寓話的に伝え、『闇の奥』は制度がいかにして人間を堕落させるかを文学的に描きます。一方、『国家はなぜ衰退するのか』は、包摂的制度が社会の繁栄を促進し、収奪的制度が国家を衰退に導くことを実証的に論じています。

現代社会においても、権力の腐敗や制度の設計はきわめて重要な課題です。これら三著作は、それぞれが異なるアプローチで同じ普遍的な問題に光を当て、制度の健全性が社会の持続可能性に不可欠であることを示しています。権力の制御と制度の透明性を維持する努力は、過去から現在に至るまで普遍的な課題であり続けると云えます。

2024年12月14日土曜日

20241214 口と腸が紡ぐ健康の鍵:フローラバランスの重要性

 我々の体内には約500〜1,000種類、総数で500兆〜1,000兆個の細菌が存在し、その総重量は約2kgに達するとされています。これらの細菌の多くは「腸内フローラ」や「口腔内フローラ」として機能し、栄養吸収や免疫機能の調整、さらには全身の健康に大きな影響を及ぼします。細菌は主に善玉菌、悪玉菌、日和見菌の3種類に分類され、善玉菌は健康維持に貢献し、悪玉菌は健康に害を及ぼすことがあります。日和見菌は通常無害ですが、体調が悪化すると悪玉菌と同調し、健康に悪影響を与える場合があります。このため、体内の細菌バランスを整えることは健康維持の基盤といえます。

 腸内フローラは免疫機能の約7割を担う重要な存在であり、そのバランスが崩れると、大腸がん、糖尿病、肥満、アレルギー、自己免疫疾患、さらにはうつ病など、さまざまな病気のリスクが高まります。同様に、口腔内フローラのバランスが崩れると、虫歯や歯周病だけでなく、心臓病や脳梗塞、糖尿病など全身疾患に影響を及ぼすことが知られています。さらに、口腔内の細菌が血流を通じて全身に広がり、肺炎や胃潰瘍、胃がんを引き起こすリスクもあります。口と腸は一つの消化管でつながっているため、口腔内フローラと腸内フローラは互いに影響を及ぼし合います。このため、どちらか一方のバランスが崩れると、全身の健康にも悪影響が及ぶ可能性があります。

 現代社会では、食品添加物や抗生物質の過剰使用、環境汚染、そして母乳育児の減少が腸内フローラのバランスを崩す要因となっています。特に母乳に含まれる善玉菌であるロイテリ菌は、赤ちゃんの腸内環境を整える役割を持っています。しかし、人工ミルクにはロイテリ菌が含まれていないため、母乳育児の減少は免疫力低下のリスクを伴います。また、母乳自体にロイテリ菌が含まれないケースも増えており、十分な善玉菌が供給されない問題も指摘されています。

 腸内フローラの状態は食生活や生活習慣に大きく影響されます。日本人の腸内細菌には、海藻類の食物繊維を分解する能力や、肥満抑制に寄与する菌が多いことが判明しています。これは日本特有の食文化によるものですが、近年では食生活の欧米化や抗生物質の乱用が腸内細菌のバランスを崩す要因となっています。腸内細菌は「第二のゲノム」として注目され、そのDNA総数はヒトの遺伝子数をはるかに上回ります。また、腸内細菌が生成する物質は生活習慣病や精神疾患、がん治療にも関与していることが明らかになっています。

 さらに、腸内細菌の研究は遺伝子解析技術の進歩により大きく進展しており、「メタゲノム解析」を通じて腸内細菌の構成が国や地域ごとに異なることも分かっています。日本人の腸内細菌は炭水化物を効率的に利用する菌が多い一方、他国で一般的な古細菌が少ないことが特徴的です。これらの違いは食文化だけでなく、薬剤の使用や環境要因とも関連している可能性があります。

 口腔内フローラと腸内フローラを健康に保つには、日々の口腔衛生管理とバランスの取れた食事が不可欠です。歯磨きや定期的な歯科検診は口腔内フローラのバランスを整え、腸内フローラにも良い影響を与えます。一方、腸内フローラを改善するためには、食物繊維やオリゴ糖を多く含む食品を摂取し、善玉菌の働きを促進することが重要です。

 結論として、口腔内フローラと腸内フローラは相互に関連し、全身の健康維持に欠かせない要素です。現代の生活環境では細菌バランスが乱れやすいため、意識的に口腔衛生と腸内環境を整えることが健康を守る鍵となります。最新の研究を参考にしながら適切な生活習慣を取り入れることで、全身の健康を維持し、病気を予防することが可能です。

そして最後に、今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます!

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2024年12月10日火曜日

和歌山での対話:試製20241218(後日さらに加筆修正の予定)

A:「先日の勉強会以来ですので、あまりお久しぶりではありませんが、今日は是非先生のご意見を伺いたく思い、訪問させて頂きました。ご多忙のなか、お時間取って頂きどうもありがとうございます。」

B:「ええ、構いませんよ。ただ、メールでもお伝えしましたように午後二時から外せない会議がありますので、それまでになりますが、大丈夫ですか?」

A:「はい、大丈夫です。では、早速本題に入らせて頂きますが、つい先日、***大学****学部の開設10周年の記念講演会がありまして、これに出席させて頂いたのですが、その登壇者の先生方が揃って「現在の世界は大きな変化の時代であり混乱している。」との見解を述べられていました。このこと自体は、私はかねてより思ってきたことでしたので、特に驚くことはなかったのですが、しかし同時に、それがある程度共有されている見解であることを実感しました。そこから「では、現在の混乱して大きく変化している世界情勢のなかで、我が国は、どのように処することにより、来るべき時代のなかで発展し続けることが出来るのだろうか?」と思ったのです…。というのも、昨今の我が国は「失われた30年」といったコトバがよく聞かれ、そして実際、低迷し続けていることは、おそらく先生も納得されると思うのですが、こうした状況から、より良い方向への変化をもたらすヒントを人文系研究者であるB先生からお聞きすることが出来ればと思い、今回訪問させて頂いた次第です。」

B:「…なるほど、それは責任重大ですね…。それで、具体的にAさんはどのようなことをお聞きになりたいのですか?」

A:「はい、では、さきの「失われた30年」といった状況から、より良い方向へ漸進的に、そしてまた根本から変えていくための手段は、やはり教育以外にないと思うのです…。とはいえ、いきなり教育制度を大きく変えても、それはそれで社会にとって大きなストレスとなり、後々悪しき影響が出てくるのではないかと思われます…。そういえば、先生、今年のノーベル経済学賞を受賞されたのは、マサチューセッツ工科大学のダロン・アセモグル教授とサイモン・ジョンソン教授、そしてシカゴ大学のジェームズ・ロビンソン教授の3人で、その受賞理由は「社会制度がどのようにして形成され、そして、それが国家の盛衰にどのような影響を与えるかについての画期的な研究」であったことはご存じであると思いますが、そこで私も彼等の著作「国家はなぜ衰退するのか」に興味を持ち、立ち読みしたところ、これが大変面白く、購入して現在読み進めていえうところです。...あ、すみません、前振りが長くなってしまいましたが、それで、この「国家はなぜ衰退するのか」では、国の政治体制や社会構造が、その国の興亡や盛衰に、どのようなメカニズムで影響を及ぼすのかについて、さまざまな具体例を挙げて述べているわけですが、これまでに読んだところでの、かなり大雑把な要旨は、中央集権体制は、その後の社会発展のためには重要ではあるのですが、それがさらに進み、収奪的あるいは専制的な傾向が強くなると、そうした社会では「出る杭は打たれる」方式で技術革新やイノベーションが生じなくなって衰退に向かっていくということなのです。そして、この指摘には、我が国の「失われた30年」にも通底する要素があるのではないかと思われるのですが、この点について、いかがお考えになりますでしょうか?」

B:「…なるほど、発言の最後の方に出てきた「技術革新やイノベーション」は、先日の勉強会で度々出てきたシュンペーターの「創造的破壊」やベルクソンの「創造的進化」とも関連性がありますからね…。そして、Aさんがその時に我が国でイノベーションや技術革新が自然に生じるようになるためには科学(Science)・技術(Technology)・工学(Engineering)・数学(Mathematics)などの論理的思考力を重視した所謂「STEM教育」が重要であると述べられましたが、それは私も「なるほど」と思い、その後、関連する文献や資料などをあたってみたところ、直近の国際的な認識では「STEM」を構成する4つの分野だけでは不十分であり、これに芸術分野(Art)の頭文字である「A」を追加した「STEAM」教育の重要性が指摘されています。この芸術分野(Art)の本来の語義は、絵画や彫刻や音楽などの、いわゆる一般的に云われるところの「芸術」だけではなく、古くからの人文系も含まれています。そして、この「STEM」にArtの「A」を追加することによって、はじめて、その人の知識体系全体が統合されて、創造性が駆動を始め、さらに、そうした方々が増えることによって、やがて、社会を変えるようなイノベーションや技術革新が生じるといった考えであると云えます。」

A:「STEM」に人文系を含むArtの「A」を追加することにより、個人や社会での創造性が駆動し始めるということですか…。なるほど、それは初耳ながら大変興味深い見解ですね。もう少し続きを伺ってよろしいでしょうか?」

B:「ええ、これが重要なところなのですが、人文系を含むアートを取り入れることによって、創造性や感性を育み、理論や理屈だけでは解決できない複雑な問題に対して適切に対応出来る感覚を養うことがその大きな目的と云えます。そして、こうした現象はルネサンス期のヨーロッパともよく似ていると思うのですが如何ですか?」

A:「ルネサンス…文芸復興ですか…?確かに、当時は中世以来のキリスト教的な道徳に縛られない、新たな文化芸術が勃興した時代でしたよね…。」

B:「ええ、そうです。ルネサンスは、単なる新しい文化芸術の発展ではありませんでした。それはAさんもご存知のウンベルト・エーコの「薔薇の名前」からも分かるように、当時は古代ギリシャ・ローマあるいは、それ以前からのさまざまな知識を再発見して、それらを融合させることで創造性を高めていった時代であったのです。そしてまた、現代のSTEAM教育も、社会における創造性の復興を目指しているのだと云えます。」

A:「なるほど…しかし、正直に直言いますと、現在の我が国では、文化や芸術の復興というよりもアニメやマンガあるいはアイドルやゲームといった、所謂サブカルチャーばかりが目立っているようにも見受けられるのですが…。」

B:「ええ、その点については深刻な問題があると私は考えています...。さきほどのアニメやマンガ、あるいはY本のお笑い芸人や*ャニーズのアイドルの方々が、我が国のさまざまな場面で席巻している状態は、たしかに一見すると多様な文化の象徴のようにも見えますが、実際のところそれは、社会全体の創造性を搾取している側面があるのではないかと考えています。」

A:「…それはどういう意味ですか?アニメやマンガやお笑いやアイドルなどのサブカルチャーが社会の創造性を搾取しているということですか...?」

B:「ええ、端的にマンガやアニメをはじめサブカルチャー全般は、より多くの人々から受容されるために直感的且つ単純で理解し易いコンテンツとなってしまう傾向が強く、現実に即した難解なテーマや長期的あるいは多角的な視点を持つ思考を省略しがちであると考えます。また、お笑いに関しても同様に、即物的と云うのか、瞬発力のある笑いを重視する傾向が強く、それが社会問題への真剣な議論や熟考された洞察を後回しにしてしまうといった傾向があるのだと考えます。」

A:「...ええ、たしかにそうですね。サブカルチャー全般は、あまり考えなくても享受できるような「楽しさ」を(過度に)重視しているようにも見受けられますね…。そして、それを継続することによって、人々から能動的な探究心や熟考する力を奪っているということですか?」

B:「ええ、そうです。そうした刺激を受動的に享受し続けていますと、徐々に、その人が本来持っている能動性や、そこから派生する思考や創造性といったものを減衰させてしまうのではないかと考えています…。もちろん、それはさきのサブカルチャー全般だけでなく、今やネット上に溢れている二次元・三次元を問わないポルノ・コンテンツも同様であり、そして、それらのコンテンツが社会に浸透すればするほど、それに伴い、その社会全体の創造性が蝕まれていくのだと考えています。また、そうしたいわば安易な楽しみを重視する刺激の危険性に対して警鐘を鳴らしても、多くの方々は、そうした刺激をもたらす文化事物を「文化の多様性」や「表現の自由」などを盾として、そうした警告めいた主張を「古めかしい家父長制時代の残滓」として断じ、逆に論難してくるのは、前世紀のマンガ文化が勃興しつつあった時代の様相と概ね同様ではないでしょうか…?」

A:「…たしかにそうですね。また、そうした様子は、敗戦などの大規模な挫折があった国や地域においては、比較的多く見られるのではないかと思われますが、その意味において、おそらく、現在の我が国を席捲あるいは代表しているとも云える、さきの一連の文化事物の多くも、その淵源は敗戦直後のドサクサ期に力をつけてきたものが多いようですからね…。そして、それが社会に主要な娯楽文化として定着したのは我が国の復興目指しい時代でしたから…まあ「国も順調に栄えつつあるのだから、そうした文化などに、いちいち目くじらを立てなくとも良いのではないか?」といった余裕もあったのでしょうが、しかし、その後、その娯楽文化が、さらに広汎に社会に認知されて人気を博するようになりますと、我が国の経済的な力が衰えてきて、やがて、前世紀末頃からは、今なお続く「失われた30年」が始まりましたので、見方によれば、そうした娯楽文化の多くは、新たな文化様式の創造に寄与することが出来なかった、あるいは寄与する性質を持っていなかったのではないかとも思われますね…。」

B:「ええ、今Aさんが仰った歴史的経緯の読みに私も同意します。かつてのヨーロッパでのルネサンスが古代以来の知識の再発見を通じて創造性を駆動させて社会を変化させたのに対して、現代の我が国では、娯楽文化化したサブカルチャーをイタズラに称賛、そして消費することで、未来に生じるかもしれない創造性が浪費されてしまったのではないかと考えます。そしてまた「このままだと我が国はマズいことになるのではなか?」といった危惧も抱かせます。」

A:「そして、その対策として、さきほどのSTEAM教育があるといった認識で良いのでしょうか?」

B:「ええ、そうです。STEAM教育は、若い世代に能動的に探究心と創造性を育み、取り戻させるための取り組みと云えます。そして、それによってサブカルチャーに頼らない、文化的教養によって、もう一度、我が国の社会に活力や創造性を取り戻すことができるのではないかと考えています。」

A:「確かに、それが実現できれば、もっと広い視野で物事を考えられる人材が育ちそうです。ただ、制度を変えるには時間がかかりますよね。もっと短期的にできる取り組みとして、どのようなものが考えられますか?」

B:「短期的には、教育現場での『横断型プロジェクト』を導入することが効果的だと思います。例えば、学生が複数の分野の知識を組み合わせて社会課題を解決するような課題に取り組む場を設けることです。これにより、自然に分野間のつながりや創造性の重要性に気付くことができます。また、企業や自治体との連携によるインターンシップやフィールドワークも良いでしょう。実社会において分野の垣根を越えて活動することの意義を体感できるはずです。」

A:「なるほど、現場レベルから変化を促す取り組みですね。それは現実的で効果がありそうです。ところで、先生ご自身は、これまでのご経験や研究を通じて、特に重要だと感じる創造性の要素は何だと思われますか?」

B:「そうですね…。創造性の本質は、多様性と好奇心にあると考えています。異なる背景や考え方を持つ人々と接することで新しい視点が得られ、それが創造の種となります。また、自分が興味を持ったことに対して深く掘り下げる好奇心は、その種を育てる肥料のようなものです。ですから、多様性を尊重し、好奇心を刺激する環境をいかに整えるかが、創造性を育む鍵になるでしょう。」

A:「多様性と好奇心…。それは、教育だけでなく職場や社会全体でも意識されるべき視点ですね。本日は本当に多くの示唆を頂き、感謝いたします。このお話をぜひ他の方々にも共有したいと思います。」

B:「そう言っていただけると嬉しいです。お役に立てたのなら何よりです。どうぞ、また何かあればいつでもお尋ねください。」






B:「確かにその意見も一理ありますが、私はむしろ、マンガやアニメといった娯楽文化を高等教育からは一定の距離を置くべきではないかと考えています。これらのメディアは大衆文化としての役割を果たしていますが、それを高等教育に組み込むことは、本来の学問の厳密性や深みを薄めてしまう可能性があるのではないでしょうか。」

A:「なるほど。つまり、安易に娯楽文化を高等教育に組み込むことで学問の本質が損なわれてしまう可能性がある、ということですね…。では、その主張にはどのような背景があるのですか?」

B:「まず、マンガやアニメは、その性質上、簡略化された表現やストーリーで大衆にアピールすることを目的としています。一方、高等教育は、深い洞察や厳密な論理、そして複雑な現象を捉える力を育む場です。マンガやアニメを教育に組み込むと、学生が物事を表層的に捉え、安易に満足してしまうリスクが高まります。」

A:「確かに、それは一理ありますね。特に、マンガやアニメが感情に訴える要素が強い分、冷静で論理的な思考が後回しになりがちかもしれません。」

B:「そうなんです。さらに、これらのメディアは、瞬間的な感情の高まりや娯楽性に重きを置いており、長期的な視点や批判的思考を育てるには不向きです。高等教育においては、物事を長期的かつ多角的に分析する力を養うべきであり、それを阻害する可能性のある要素は排除すべきだと思います。」



B:「確かに、それらが初等教育や中等教育において興味を引き出すためのツールとして使われることには一定の効果があるでしょう。しかし、高等教育の場では、それ以上に高度で深い議論や研究が求められます。そのため、マンガやアニメを持ち込むことは、むしろ学生の知的成長を妨げる可能性が高いのです。」

A:「具体的には、どういった点が学生の知的成長を妨げるとお考えですか?」

B:「例えば、一次資料や原典に触れる機会を増やすことです。学生には、自分の手で資料を読み解き、考察する経験を積ませるべきです。また、討論やディベートのような場を設けて、学生同士が互いの意見を深め合う環境を作ることも有効です。」

A:「確かにそれは重要ですね。ただ、マンガやアニメが提供する娯楽文化そのものが日本の重要な産業である点についてはどうお考えですか?」

B:「その点については、経済的な価値を否定するつもりはありません。しかし、それはあくまで娯楽としての価値であり、教育の場にそのまま持ち込むべきではありません。高等教育が目指すのは、知識や技術の高度な習得だけでなく、それを支える深い思索や批判的な視点の育成です。これらは、娯楽文化とは根本的に異なる方向性を持っています。」

A:「つまり、高等教育は独自の役割を果たすべきであり、娯楽文化とは分離されるべきということですね。その一方で、学生たちが学びに対する意欲を失わないようにするための工夫も必要ではないでしょうか?」

B:「もちろんです。そのためには、教育の中身をより充実させることが求められます。例えば、学問的なテーマをより身近な事例と結びつけたり、フィールドワークやプロジェクト学習を通じて実践的な学びを提供したりすることが有効です。」

A:「実践的な学びを重視することで、娯楽文化に頼らずとも学生の興味を引きつけることが可能になる、ということですね。ところで、近年ではデジタル技術の活用も進んでいますが、その点についてはどうお考えですか?」

B:「デジタル技術は教育において大きな可能性を秘めています。特に、高度なシミュレーションやデータ分析を通じて、学生が理論と実践を結びつける経験を積むことができます。しかし、ここでも注意が必要なのは、あくまで教育の質を高める手段として技術を使うべきであり、単に興味を引くための娯楽的な要素に偏らないことです。」

A:「そのバランスが重要なのですね。では、先生が考える理想的な高等教育の形とはどのようなものでしょうか?」

B:「私が理想とする高等教育とは、学生が自ら考え、行動し、社会に貢献する力を養う場です。そのためには、深い学びと実践が不可欠です。知識をただ受動的に得るのではなく、それを活用して課題を解決する力を育てることが重要です。そして、そのような力を育む環境を整えることが、高等教育の使命だと思います。」

A:「確かにその通りですね。本日のお話は大変勉強になりました。私自身も、高等教育における娯楽文化の影響について改めて考えるきっかけになりました。本当にありがとうございました。」

B:「こちらこそ、非常に有意義な議論でした。また何かあればいつでもご相談ください。」

2024年12月9日月曜日

20241209 クリミア戦争について

クリミア戦争は、19世紀中盤の欧州において、ナポレオン戦争以来の大きな転換点となった出来事と云える。この戦争は、単にロシアとオスマン帝国の間の対立だけではなく、列強諸国の複雑な利害と戦略が絡み合った国際的な衝突であった。

戦争の大きな背景には、衰退するオスマン帝国と、それを利用して南下を狙うロシアの野心がある。また、バルカン半島での民族主義運動は、ロシアにとって、同胞スラヴ民族を保護・支援する名目でオスマン帝国領土に介入する好機と考えた。そして、こうした一連のロシアの動向の先には地中海への進出という大きな戦略的野望があった。しかし、それは西欧列強であるフランスや英国からの強い警戒を招くものであり、特に第二帝政時代のフランスのナポレオン3世は、国内での支持を集めるためロシアとの対立を選び、英国はインドへの航路の安全確保のため地中海の安定を最優先とした。こうした背景からフランス・英国共にロシアの更なる南下を阻止するためオスマン帝国側で参戦した。

1853年7月にロシアがオスマン帝国領内に軍を派遣し、バルカン半島への進攻を開始したことで戦争は始まった。当時の西欧列強は、1815年のナポレオン戦争以来のウィーン体制を維持しようと試みたが、この戦争の勃発により、この体制は崩壊した。ロシアの行動は欧州全体の平和を脅かすものとされ、列強間との対立が一気に表面化した。そこで、外交交渉が試みられましたが、ロシアはこれを拒否して戦争へと突き進んだ。

戦場の中心はクリミア半島であった。特にセヴァストポリ攻防戦は、近代的な兵器や塹壕戦が初めて大規模に使用されたことで、新たな戦争の様相を示した。そして、この戦争では70万人以上が命を落とし、また、戦場の不衛生な環境による感染症での戦病死者数も多く、そうした様子は、写真を掲載した新聞によって速やかに本国に知らされ、近代的な戦争の残酷さが浮き彫りになった。フローレンス・ナイチンゲールは、この戦争を通じて看護活動の重要性を世界に示し、後の近代的な医療制度の基礎を築いた。

1856年、パリ条約によって戦争は終結した。この条約によりロシアは黒海での軍事力を制限され、領土の割譲を強いられた。結果とし欧州諸国の勢力均衡は再編されて、ロシアの影響力は一時的に後退した。一方で、英国とフランスが中心となる、新たなパワーバランスが形成された。

クリミア戦争は近代化された戦争を象徴する出来事であり、同時に国際社会のパワー・バランスを変えた。この戦争からの教訓は、工業化を経た近代の戦争がいかに破壊的であり、また、医療体制がいかに重要かを示している。さらに、国際関係では、列強諸国が新たな勢力均衡を模索するきっかけにもなった。そして、この戦争による影響は、現在なおも続いている第二次宇露戦争の経緯や帰趨を考えるする上においても重要であると云える。

そして最後に、今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます!
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20241208 「文明開化の光と影:日本社会の発展と文化的アイデンティティ」開戦の日に寄せて

 明治維新による西洋近代化の影響は、現代の我が国の社会に深く根付いていると云えるが、我々の多くは、この影響の元である明治以降の西洋近代化について、あまり多くは理解していないのが現状と云える。そこから、現代の我が国社会にも影響を与えている西洋近代化、即ち「文明開化」について考え、その本質を理解することは、今後の社会を考えるうえで重要であると考える。

 「文明開化」を考えるに際しては、ある程度、明瞭な定義を付与するのが適切と云える。しかしながら、定義があまりにも厳密であると、現実での変化に定義の方が対応し難くなり、たとえば、円を「中心から円周上の任意の点までの距離が等しい図形」と定義しても、現実世界の円とは常に完璧な形状ではない。そこから、定義に対する柔軟性の重要さは、我々の活力の発現の仕方にも通じるものがあり、時には活力が節約され、あるいはまた別の時には、好んで消費されるといった様相をがあると云える。

 このことをもう少し述べると、活力には、効率を求めエネルギーを節約する性質と、楽しみや快楽を追求して積極的に消耗するといった性質がある。そして、これらの性質が相互に作用し合い、競争が激化したり、生活が複雑化してきたが、概して、我々の社会は進化発展を遂げてきたと云い得る。

 我が国の文明開化とは、19世紀当時の西欧列強からの圧力による外発的な社会変化の典型例であると云える。そして、急激な外圧による影響を受ける過程で、我が国の社会は、それまで自然に行ってきた自らの国・地域の文化伝統を十分に時間を掛けて吸収するだけの余裕を失い、さらに続く西洋からの影響を受容するために、以前からの文化伝統をも放棄せざるを得ない場面が多くなり、そのたびに不安や虚無感を覚え、やがて、ものごとを深くから理解しようとする内発性が徐々に削がれていった。

 そして、我が国で文明開化が進行するほど、我々の生活は競争が激化して、困難を伴うものとなり、他方で幸福度はあまり向上せずに矛盾した様相を示すようになった。そこから、この「文明開化」は一見すると、その後の我々の社会に便利さや繁栄をもたらしたとは云えるが、その反面で、急速な変化への適応によって内的葛藤を強いている。競争が激化し、生活が複雑化する一方で、生存に対する不安や努力の本質といったものは、時代を超えて変わらない点は注目すべきことである。

 こうした状況下で、我が国の文明開化では「外発的な刺激による急速な変化」を特徴とする一方で、内発的な変化に伴う自然な感覚や、その持続性を欠いていたことから、我々は常に文化的な変化のさなかに自らのアイデンティティ(自己同一性)を模索し続けなければならなかった。こうした外発的な変化が与える心理的負担は、現代においてもなお継続しており、それが我が国国民多くの抱える精神的な困難の根源であると考える。

 文明開化により形成され、現在までも続く我が国の社会は、西洋技術による効率化などの恩恵を享受しながらも、文化的アイデンティティ(自己同一性)の喪失などに不安や戸惑いを覚えている。これらを踏まえると、さきの文開化を再評価して、社会が持続可能な発展を実現するためには、一方的に外部からの影響を受容するだけではなく、内発的な文化の成熟を育む努力が必要であるのではないかと考える。

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2024年12月2日月曜日

20241201 読書に関連する記憶と時代精神の変化

 昨日の投稿記事は少し異なりましたが、ここ直近数回は、現在も読み進めているダロン・アセモグルおよびジェームズ・ロビンソンによる「国家はなぜ衰退するのか」を基軸としたブログ記事を作成して、その興味深い点についても述べましたが、後になり、またいくつか思い出すことがあったため、本日はそれについて書きます。

 先日投稿のブログ記事にて、さきの「国家はなぜ衰退するのか」と関連性が認められるものとして、近年特に名高いユヴァル・ノア・ハラリによる一連の著作、そしてジャレド・ダイアモンドによる「銃・病原菌・鉄」をはじめとする一連の著作そして、それらに加えて、宮崎市定や会田雄次、司馬遼太郎などの一部の著作、そしてフレーザーによる「金枝篇」などを挙げましたが、さらに追加して、先日の和歌山訪問による影響であるのか、人文系院生当時、受けていた上野皓司先生による講義のテキストとして朝日新聞出版刊 クライブ・ポンティングによる「緑の世界史」上下巻が指定されて、購入して読んでみたところ、大変興味深く感じられたことが思い出されました。

 そして当時、よく議論をしていた周囲の方々に「緑の世界史」について話したところ「そういった内容であればジャレド・ダイアモンドの「銃・病原菌・鉄」に近いのではないか?」とのご意見を頂き、さらに「近代経済学や会計学以外の専攻分野の経済学の修士院生であれば「銃・病原菌・鉄」ぐらいの著作は普通は学部時代に読んでいますよ。」とも云われ、当時私はその著作を読んでいなかったことから、負けん気と羞恥心から「いや、しかし私はサミュエル・ハンティントンの「文明の衝突」やポール・ケネディの「大国の興亡」は社会人時代に読みましたが、それらの著作は読んでいますか?」と訊ね返しました…。

 すると、彼らはそれらの書名は知っていたものの、読んではいなかったことから、その裏を取るように議論を続けていると、納得されたのか、険悪な雰囲気にはならずに「じゃあ続きはまた…」といったカタチで終わり、そしてその後も、たびたびこうした議論が為されたことは、当ブログにて何度か述べました。

 しかし、そうしたことを現在進行中の読書から新たな記憶が想起されたことは、これまでに何度か経験しましたが、それでも、なかなか興味深いものがあり「記憶」の面白さについて考えさせられます。そして、そうしたことを考えてみますと、さらに、関連することとして想起されたのは、さきに挙げたジェームズ・ロビンソンとジャレド・ダイアモンドが編著、そしてダロン・アセモグルが分担執筆した慶應義塾大学出版会刊「歴史は実験できるのか」を購入した時のことです。

 当著作は2019年の徳島在住時に購入した記憶がありますが、当時の私は、そのうちの二人の著者が5年後にノーベル経済学賞を受賞することは知らず、ただ、立ち読みをして興味深いと思われたことから購入したわけですが、しかし同時に、現在思い返してみますと、当時既に、さきに挙げたジャレド・ダイアモンドやユヴァル・ノア・ハラリによる著作が書店で平積みされており、そこから出版物を介して、ある種の時代精神のようなものが看取され得たのではないかとも思われます。そして、その後、当著作の執筆者たちがノーベル経済学賞を受賞されたことは、私にとっては興味深いことであると云えます。

 くわえて、直近以外でのノーベル経済学賞受賞の研究は、その多くが数学的なアプローチによるものであり、私にとっては理解が困難な研究テーマばかりでしたが、その意味において2024年のノーベル経済学賞の受賞には、同年の物理学・化学賞の受賞テーマが人工知能についての研究であったことにも通底するレジーム・チェンジあるいは時代精神の変化があったのではないかと思われました。そして、そうした変化があったのであれば、おそらく、その大きな要因は、近年の世界規模でのコロナ禍、第二次宇露戦争、そして昨年からの中東での紛争やさらに不安定化しつつある東アジア情勢といったものがあるのではないかと思われました。
 
 あるいは経済学賞だけについて考えてみますと、端的に、これまでの西洋文明に属する欧米諸国を中心とした国際秩序、異言しますと、16世紀以降からの西力東漸の延長にある国際秩序が以前よりも通用しなくなってきた世界の状況を反映しているのではないかとも思われました。

そして最後に、今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます!

一般社団法人大学支援機構


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ISBN978-4-263-46420-5

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どうぞよろしくお願い申し上げます。


2024年12月1日日曜日

20241130 情報過多の時代で歴史を学ぶ意味について

 現代の社会では、膨大な情報がインターネット上に溢れていますが、個人が、それら全ての情報を閲覧して理解することは、実質的に不可能と云えます。そこで、個人に求められるのは、単に多くの情報を集めることではなく、それらの意味や背景を理解して、重要なものを選択できることにくわえ、それら部分・断片的な情報から対象の全体像を把握することは困難であることから、選択された複数の情報を関連付けて総合化する能力と云えます。そして、そうした能力を得る方法として「歴史を学ぶこと」がきわめて有効であると考えます。

歴史とは、単なる過去の出来事の記録ではなく、ある程度長い期間を通じた社会における、さまざまな事物の変化の様相を理解するための重要な手掛かりであると云えます。歴史を学ぶことで、こうした、さまざまな変化の流れを理解して、そのうえではじめて自らが生きる社会での、さまざまな課題や問題を、より広い視野から認識して考えることが出来るようになるのではないかと考えます。

次に、歴史を学び知ることにより、さまざまな国・地域・時代に対する理解を深め、その視野も広がります。そしてその結果、現在の自らの即自的な価値観のみが絶対ではないことに気がつくようになり、自らのものとは異なる他の文化をも尊重して、柔軟な対応が自然に出来るようになり、そして、こうした行為態度とは、おそらく国際間での対話や活動においても、少なからず良い効果を齎すものと考えます。

また、歴史を学ぶことは、批判的思考力を鍛える訓練にもなります。一つの出来事に対しても解釈が異なる場合があります。そのため、歴史の学習では多角的な視点で資料を検証し、あまり情緒を介さず、客観的な判断をくだす必要があります。この過程によって情報を鵜呑みにせず、分析的に考える力が養われると考えます。そこから、歴史を学ぶ意味や価値とは、さまざまな情報の背景を理解し、それを自らが生きる現在に応用する力を磨くことが出来るようになる点にあると考えます。

現在のような情報過多の時代にあっては、ただ情報を得るだけでなく、それをいかに活用するかが問われます。歴史についての知識は、情報を整理し、ある局面において必要な知恵を引き出すうえで、きわめて効果的であり、そこから過去の出来事(歴史)から敷衍して考える能力とは不可欠であると云い得ます。歴史を学ぶことで、我々はただの情報の受け手ではなく、情報をより本質から理解し、さらには、それを基に発信して、未来をも創造する能力を手に入れることも出来るのではないかと考えます。そして、この能力こそが、これまでの我が国では等閑視され続けてきましたが、国内外共に混乱が続く現在の社会をより深くから理解・認識して、適切な対応をするために不可欠なものであると考えます。最後に、今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます!
一般社団法人大学支援機構


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