本日は割合長く歩きました、先ほど帰宅し、スマホの万歩計を確認しますと12.8㎞との表示でしたが、そのくらいはたしかに歩いたのかもしれません・・。
さて、先日から読み進めていた村上春樹著「羊をめぐる冒険」上下巻を昨日読了しました。当作品は読みにくい文体ではありませんでしたが、下巻に入ってから読み進めるのに時間がかかりました。とりわけ、物語結末近くになるにつれて「現実感」が希薄になっていき、主人公が本当に友人の鼠や、最後の方で突如登場する「羊男」と話しているのかさえ曖昧に感じられました。
また同時に、この結末近くの文章が自身にとっては大変印象的であり、何やらよく分からない焦燥感らしきものを惹起させられました。あるいは自身が内心で恐れている「何か」が、そこに描かれていたからなのしょうか?また同時に、こうした構成から私はドストエフスキーの「地下生活者の手記」そして自身が一時期耽読していたコンラッドの「闇の奥」を彷彿とさせられましたが、偶然にも「羊をめぐる冒険」最終部にて「コンラッドの小説」が突如として登場してきましたが、これは、さきに述べたこととも、何らかの関連があるようにも思われます。
ともあれ、当作品は結末部での文章が大変印象的であると云え、私を含め読者の多くは、そこの文章から何かを想起し、そして、何らかの情動をも惹起させられるのではないかと思われます。また、その情動とは、必ずしも文章化に適するものではなく、それ以前の「感覚的」なものであるように思われるのです。とはいえ、その感覚は、さきに述べたように印象的ではあることから、やはり、当作品には、それなりに価値があるのではないかと私には思われました。そして、当作品の読了により、村上春樹氏の青春三部作を読んだことになりますが、読む以前と比べますと、何やら新しい不思議な感覚が残ったように感じられました・・。
それはトーマス・マンの「魔の山」、大西巨人の「神聖喜劇」、野上弥生子の「迷路」、大岡昇平の「俘虜記」、ウンベルト・エーコの「プラハの墓地」などの読了後の感覚と質的に異なるように感じられるのですが、同時に、それはそれで一つの位置を占めても、もしくは、文学的価値を与えられても良いものであると私には思われました。
しかし、この次は少しハードな著作に取組んでみようと考えています。そうした著作にて直近に読んで印象的であったものは岡義武の「明治政治史」上下巻でしたが、また休日に書店で立ち読みしつつ吟味してみようと思います・・(笑)。
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