そして、この300記事とは、まだ先のハナシにはなりますが、それ以前の一つの大きな節目であった200記事と意味合いが多少異なるのではないかと私は考えております。
それは、200記事に到達までに記した記事とは、その半分以上が書籍からの抜粋引用であるのに対し、そのあとの300記事までの100記事とは、出来るだけ自身の作成した文章をもって構成しているという点においてです。
とはいえ、このブログを作成し始めた主な要因とは、周囲の方々から偶然にも同時期にブログの作成を勧められ、また、私自身も「文章を書きたい」と思っていたにもかかわらず、その意欲が実際の行動に結び付くことが困難であると悩んでいたことに因ります。
そして、ブログを書き始めてからも、なかなか自身の文章を継続的に書くことが困難であり、また、その状況とどうにか妥協するために、面白いと思った書籍の抜粋引用を充てることにした次第です。
しかしながら、このことを現在になって考えてみますと、書籍の抜粋引用といった、いわば当時採った苦肉の策とは、なかなか良かったのではないかとも思えます・・。
何故ならば、それ(書籍の抜粋引用)とは、少なくとも現在記している、この記事のネタにはなっているとは思いますので・・(苦笑)。
また、それに加え、様々な書籍の文体をキーボードを通し書写するという「行為」とは、自身の文体を獲得する上において、なかなか有効な鍛錬、訓練となった(なっている)のではないかとも思います。
それ故、今後もまた自身の文体が分からなくなった、認識、把握し難くなった場合、ブログ記事として公開するかしないかは別として、こうした「行為」をするのではないかと思っております・・。
さらに、これは既に何度か記していることではありますが、ブログ記事を読んで頂いている方々からの実際の明確な言語を用いた伝達手段によるもの、あるいはそうでないものを含めた様々な反応こそが「自身のコトバで記事を書き続けたい・・」という「気持ち」を持ち続け、そしてどうにか現在に至るまで書き続けることができている主要な原因です。
とはいえ、現在の状況とは未だ300記事にまで到達しておりませんので、今後また何か心情の変化などが生じる可能性もまたあります・・。
しかし、それでも、とりあえず300記事までは書いてみようと考えております。
そして、その時、その後に一体どのような精神的な光景が見え、あるいは自身内面の変化を感じ取ることが出来るのか分かりませんが、それでも私とは、こうしたことに関しては、おそらく人並み程度には経験しているのではないかと思われます・・(苦笑)。
そして、昨年春頃に感じ取った「自身の文章が書けなくなっている!」という認識とは、一面において、そうした前述のような経験(の内容)を上手く整理、表出してこなかったことに多く因るのではないかと私は思います。
また、同時にそれは、これまでに自身が経験させていただいたものの(質・量)に対応するものであるとも考えます。
つまり、このことはインプットとアウトプットの関係にも似たものであると思いますが、世の中には、一見ではなかなか分からないようではありますが、こうした「節理」らしきものが様々な宗教文化を問わず、分布、存在するのではないかと思うことがあります・・。
しかしながら、こうしたことを合理性、功利性をもって(全て)覆い被せることができるのではないかと「心得違い」を起こしてしまったことが、現在社会にて見受けられる様々な問題の大きな原因ではないかとも思われます・・。」
熊本での大地震にて被災された地域における出来るだけ早期の復旧・復興を祈念いたします。
また、ここまで興味を持ってブログ記事を読んでいただいた皆様、どうもありがとうございます。
今後ともよろしくお願いいたします。
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