とはいえ、日本列島とは、火山と温泉が多い地域であるので、あまり深い意味はなさそうです。
私がはじめて入った温泉とは、おそらく祖父母の家があった伊豆のものであると思います。
この伊豆を含めた伊豆半島一帯とは、関東および他の隣接する地域と、属するプレート(地球表面を覆う岩盤)が異なり、また温泉も湧出することから、何となく、植生、風土も異なり一種独特の感じを受けます。
また、これと類似した感じを受けたのは南紀白浜であり、伊豆に比べて、さらに南方的要素を濃厚にしたような植生、風土でした。
南紀白浜に隣接する田辺市等を含めたこの地域一帯とは、本州にありながらも大変南国的な気候風土であり、さらに西日本、関西の文化圏にも連なっているという意味において、大変興味深い地域ではないかと思います。
また、おそらく熊野信仰などもそういった土壌により育まれていったのではないかと考えさせられます。
加えて、南紀においては万葉集に登場する歴史的人物の逸話も数多くあり、これは万葉の時代より南紀白浜温泉(牟婁湯)が人々に認知、愛好されていたことをしめします。
とはいえ、こうした逸話とは何も南紀白浜温泉のみに限らず、有馬温泉、別府温泉、道後温泉などにおいても同様に見出すことができます。
おそらく古代の人々は、こうした温泉に何かしら蘇生あるいは不老長寿の効能を認めたのではないかと思います。
そして、そうした生死観に連なる考えとは、その土地の葬送文化つまり古墳文化などに対しても何かしらの影響を与えているのではないかと思われます。
また、こうした温泉と古墳の関連で私が想起するのは砂蒸温泉で有名な鹿児島県指宿市にある弥次ヶ湯古墳であり、これは薩摩半島において、その存在が大変珍しい古墳であり、造営された時代は6世紀代とされていますが、その様式、背景文化等についての詳細はあまり知られていません。
「一連の私のブログ記事を興味を持ち読んでくださっている方々、どうもありがとうございます。
皆様のお陰でとりあえずここまで書き続けることが出来ております。」
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