2024年5月12日日曜日

20240511 株式会社文藝春秋刊 山本七平著 山本七平ライブラリー⑦「ある異常体験者の偏見」pp.182-184より抜粋

株式会社文藝春秋刊 山本七平著 山本七平ライブラリー⑦「ある異常体験者の偏見」pp.182-184より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4163646701
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4163646701

占領下の言論統制やプレスコードの実態は不思議なほど一般に知られていない。マスコミ関係者がこの問題をとりあげると、必ず、例外的な犠牲者を表面に立て、自分はその陰にかくれて、自分たちは被害者であったという顔をする。それは虚偽である。本当の被害者は、弾圧されてつぶされた者である。存続し営業し、かつ宣撫班の役割を演じたのみならず、それによって逆に事業を拡張した者は、軍部と結託した戦時利得者でありかつ戦後利得者であって、「虚報」戦意高揚記事という恐るべき害悪をまき散らし、語ることによって隠蔽するという言葉の機能を百パーセント駆使して「戦争の実態」を隠蔽し、正しい情報は何一つ提供せず、国民にすべてを誤認させたという点では、軍部と同様の、また時にはそれ以上の加害者である。占領下の言論統制やプレスコードという問題になると、この点の究明は避けるわけにはいかないが、細かい点は別の機会に譲るとして、多くの出版人が言うように「プレスコードのしめつけは東条時代よりひどかった」のは事実だろう。

 この点、内務省や軍部の統制には、表むきは実にきつく、つまらぬことまでうるさく干渉するくせに、どこか幼稚なところがあった。「**は***である」で本が出せた時代などは、ソビエトや中国の言論統制と比較すれば、幼稚を通り越した間抜けであろう。戦時中は非常にきびしくなったとはいえ、やはり、こういった間抜けがあった。戦前の伝説的ベストセラー「小島の春」の出版社社主、故長崎次郎氏からは、いろいろな教えをうけたが、以上の点で非常に面白い話をきいた。戦争中「小島の春」は実質的には発禁であった。再版したくても紙を配給してくれないので出版できない。今この本を読んでも、軍部がなぜこの本を発禁にしたか、だれにも理解できないであろう。どこを探しても軍部批判も戦争非難もあるわけではない。従って一種の感情的な「毛嫌い」とでもいう以外にないが、当時日赤の名誉総裁であった貞明皇后がこの本の愛読者で、「何とか再版できぬか」といろいろ骨を折られたが、それでも軍部が頑として拒否し、紙を配給せず、従ってどうしても再版できない。軍部にも戦争にも直接には何の関係もない愛生園の一ルポにも、これほど神経質なのだから、当時のマスコミが、軍部の一顰一笑にまで神経質に迎合しただけでなく、その結論をわれ勝ちに先取りして競争して掲載したとしても不思議ではない。しかしこれだけ統制しながら、抜けた点もある。というのは、「小島の春」は少部数だが再版できたのである。これは一つの美談であろう。しかしその背後にあるものは、軍部に迎合すれば多量の紙を配給されて大出版社たり得、軍部ににらまれれば紙の配給をとめられて実質的に廃業に追いこまれて行くという当時の実態である。

 マックの統制はこれとは型が違ったらしい。神経症的な毛嫌いはなく、かつ、枠は一見大きいように見えたが、占領政策に障害ありと認めたものは、即座に出版を停止させ、抜け道は一切なかった。「野呂栄太郎全集」の中断は、それが理由だときいた。たかだか二千部三千部という、部数という面から見ればほとんど影響はあるまいと思われるものにまで直接的統制が及んだということは、新聞、放送は徹底的に統制されていた証拠といえるであろう。そしてこの、日本的な抜け道がないということが、「東条時代よりきつい」という印象の原因といえるであろう。そしてこの、日本的な抜け道がないということが、「東条時代よりきつい」という印象の原因であろうと思う。事実マックは、「私信」すら遠慮なく組織的に開封して点検した。こういうことは、戦争中の軍部も行わなかったし、日本軍の占領地でも全く行われなかったそうである。ほかの多くの例は除くが、あらゆる点から見てマックの言論統制が戦争中より徹底したものであるという古い出版人の意見は、妥当性があると私は思っている。ただ彼は軍部よりはるかに巧みであって、一般の人びとにはほとんどそれを感じさせず、「言論」が自由になったような錯覚を、統制した新聞を通じて、人びとに与えていたのである。そして今でも人びとは、この錯覚を抱きつづけている。民主主義と軍政の併存(?)は、実は、この錯覚の上に成り立った蜃気楼にすぎない。

 プレスコードによって情報源を統制してしまえば、あとは放っておいて「自由」に議論させればよい。そしてその議論を誘導して宣撫工作を進めればよいわけである。この点日本の新聞はすでに長い間実質的には「大日本帝国陸海軍・内地宣撫班」(と兵士たちは呼んだ)として、毛沢東が期待したような民衆の反戦蜂起を一度も起させなかったという立派な実績をもっており、宣撫能力はすでに実証ずみであった。これさえマック宣撫班に改編しておけば、占領軍に対する抵抗運動など起こるはずはない、と彼は信じていた。これは私の想像ではない。私にはっきりそう明言した米軍将校がいる。そしてそれはまさに、その通りになった。「史上最も成功した占領政策」という言葉は、非常な皮肉であり、同時にそれは、その体制がマックが来る以前から日本になり、彼はそれにうまくのっかったことを示している。そしてこれは戦争中の軍部の位置をマックに置いてみれば明らかであろう。

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